ジャイアント馬場(ジャイアントばば、1938年〈昭和13年〉… ジャイアント馬場(ジャイアントばば、1938年〈昭和13年〉1月23日 - 1999年〈平成11年〉1月31日)は、日本のプロレスラー、タレント、元プロ野球選手。本名および旧リングネーム・プロ野球選手時代の登録名は馬場正平()。 日本のプロレス界の史上最大の長身と巨体を持ち、力道山・アントニオ猪木と並んで日本のプロレスそのものを代表する存在である。コマーシャルやテレビ番組などでも人気を博した。現役時代は、当時の世界最高峰の王座であるNWA世界ヘビー級王座に3度就いた。全日本プロ・レスリング代表取締役社長・会長、NWA第一副会長を歴任した。三条市名誉市民。 リングネームは、初渡米武者修行中の1961年、ニューヨークのプロモーターであったビンス・マクマホン・シニアがババ・ザ・ジャイアント(Baba the Giant)と命名したことに由来する。
柳家 さん吉(やなぎや さんきち、1938年〈昭和13年〉1… 柳家 さん吉(やなぎや さんきち、1938年〈昭和13年〉1月18日 - 2022年〈令和4年〉2月15日)は、落語協会に所属していた落語家。新潟県中蒲原郡村松町(現・五泉市)出身。本名∶榑井 昌夫(くれい まさお)。 新潟県立村松高等学校卒業後1957年6月に五代目柳家小さんに入門、柳家小二三を名乗り内弟子修行。 1960年11月に二ツ目昇進し、柳家小三郎に改名。1962年、さん吉に改名。(※一部の資料で-1963年改名となっている) 1973年3月、三升家勝彌、橘家圓平、三遊亭さん生、三代目吉原朝馬、柳家小のぶ、柳家かゑる、三升家勝二、桂小益、林家枝二、さん吉の十人で真打昇進。 サウナで倒れ全身火傷を負ってしまい、闘病・リハビリをしていた。
井田 進也(いだ しんや、1938年 - 2016年11月2… 井田 進也(いだ しんや、1938年 - 2016年11月27日)は、日本の比較思想史研究家。大妻女子大学名誉教授。文学博士。新潟県長岡市生まれ、群馬県高崎市育ち。 『中江兆民全集』(岩波書店)の編集者の一人。福沢研究センター客員研究員。無署名論説認定方法を応用した『福澤諭吉全集』収録の「時事新報論説」執筆者再認定を実行している。 2016年12月27日死去。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
桑山 弥三郎(くわやま やさぶろう、1938年 - 2017… 桑山 弥三郎(くわやま やさぶろう、1938年 - 2017年1月10日)は日本の書体デザイナー、ロゴデザイナー。かな書体タイポス開発者の一人で、1970年代に日本タイポグラフィ協会常任委員、後に佐藤敬之輔賞選考委員を務めた。新潟県柏崎市出身。1962年武蔵野美術学校卒業。 1970年代に雑誌『アイデア』に多数の記事を寄稿。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
青空 はるお(あおぞら はるお、本名:坂上 洋祐〈さかうえ … 青空 はるお(あおぞら はるお、本名:坂上 洋祐〈さかうえ ようすけ〉、1937年11月5日 - 2010年代初頭)は、日本の漫才師、俳優、レポーター、司会者。 新潟県三条市出身。地元の中学校を卒業後、集団就職で上京。しばらくは会社員として勤務していたが、漫才師を目指して1959年にコロムビア・トップ・ライトに師事。同門の青空あきおと2人で「青空はるお・あきお」コンビを結成し、人気を博す。 1972年、12年に渡って組んで来たコンビを解散する。その後は単独でタレントとしてNTV系列の『テレビ三面記事 ウィークエンダー』や『ルックルックこんにちは』などに事件レポーターとして出演し、主に「男女関係のもつれによる事件」を担当する。
小林 達雄(こばやし たつお、1937年11月2日 - 20… 小林 達雄(こばやし たつお、1937年11月2日 - 2025年8月22日)は、日本の考古学者。國學院大學文学部名誉教授。新潟県立歴史博物館名誉館長。 1937年、新潟県長岡市生まれ。新潟県立長岡高等学校を卒業。その後、國學院大學文学部で学び、國學院大學大学院博士課程満期退学。 東京都教育庁文化課に入り、文化庁文化財調査官に転任。1978年に調査官を退任し、國學院大學文学部助教授に就いた。1985年に教授昇格。1994年、学位論文『縄文土器の研究』を國學院大學に提出して博士号を取得。2008年に國學院大學を定年退任し、名誉教授となった。2023年、アメリカ芸術科学アカデミーの会員に選出された。
高橋 信司(たかはし しんじ、1937年10月12日 - )… 高橋 信司(たかはし しんじ、1937年10月12日 - )は、日本の射撃競技(ピストル種目)選手。警察官。1964年東京オリンピックに出場。 新潟県立六日町高等学校卒業。 1964年東京オリンピックに、男子フリー・ピストル種目(以下、国際大会での出場種目は同じ)で出場。 1966年、神奈川スポーツ賞受賞。 1971年アジア射撃選手権(ソウル)に出場、4位入賞。 1975年アジア射撃選手権(クアラルンプール)に出場、銀メダル獲得。
豊山 勝男(ゆたかやま かつお、1937年8月18日 - )… 豊山 勝男(ゆたかやま かつお、1937年8月18日 - )は、新潟県新発田市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は内田 勝男(うちだ かつお)。最高位は東大関。現役時代の体格は189cm、137kg。得意手は突っ張り、右四つ、吊り、寄り、上手投げ。元日本相撲協会理事長(第8代)。 母子家庭に育ち、苦学しながら文武両道に励んだ。新潟県立新発田商工高等学校定時制在学中は陸上(投擲競技)や野球で活躍。一時はプロ野球の有名球団からの誘いもあったが、OBである先生の勧めにより東京農業大学農学部農芸化学科に進学し、相撲部に入部。相撲の経験は無かったが4年次には学生横綱となり、その実績が認められて1961年3月場所に時津風部屋から、異例の幕下10枚目格付出という破格待遇で初土俵を踏んだ。
小川 竹二(おがわ たけじ、1937年(昭和12年)6月17… 小川 竹二(おがわ たけじ、1937年(昭和12年)6月17日 - 2014年(平成26年)2月18日)は、日本の政治家。元新潟県豊栄市(現・新潟市)長(5期)。位階は従四位。旭日中綬章。 新潟県北蒲原郡葛塚町(現・新潟市北区葛塚)出身。葛塚町立葛塚中学校(現・新潟市立葛塚中学校)、新潟県立新発田高等学校を経て、1960年立命館大学経済学部卒。卒業後は帰郷し、農業に従事した。1966年の下越水害で被災。1971年、豊栄市議会議員に当選し、4期務める。1987年、豊栄市長に当選し、2005年に新潟市に合併するまで5期務めた。新潟県市長会長、北信越市長会長、全国市長会副会長を歴任した。2002年に新潟市長選挙に立候補した篠田昭を支援した。
佐藤 幸治(さとう こうじ、1937年〈昭和12年〉6月9日… 佐藤 幸治(さとう こうじ、1937年〈昭和12年〉6月9日 - )は、日本の法学者。専門は憲法学。京都大学名誉教授、日本学士院会員。学位は法学博士(京都大学・1990年)。司法制度改革、特に法科大学院創設を主導した。 新潟県西蒲原郡月潟村(現:新潟市南区)出身。新潟県立新潟高等学校を経て、京都大学法学部に入学した。指導教官は、戦後主流となった宮沢俊義の憲法学派とは真っ向から対立する保守派憲法学の重鎮大石義雄であった。卒業後、住友銀行に入行した。1年後に同行を退職した後、京都大学法学部助手、助教授、教授。1990年に学位論文「現代国家と司法権」で京都大学法学博士。1991年から1993年には京都大学法学部長。
中山 輝也(なかやま てるや、1937年6月9日 - )は、… 中山 輝也(なかやま てるや、1937年6月9日 - )は、日本の実業家、地質学の専門家。 新潟県新発田市出身。1952年に新潟市立関屋中学校、1956年に新潟県立新潟高等学校、1960年に新潟大学理学部を卒業した。技術士(応用理学部門)の資格を持つ。 1960年の応用地質株式会社、1961年からの新潟県企業局の土木部を経て、1973年(昭和48年)に北日本技術コンサルタント株式会社(現、株式会社キタック)を設立。 1979年、大湿地帯で食物生産がまともにできなかった中華人民共和国の三江平原を農業地帯として開発するプロジェクトに参加、当時42歳で最年少だったが、専門知識があっただけでなく過去に訪中経験があったことからプロジェクトチームの亀田郷土地改良区の理事長であった佐野藤三郎に声をかけられ、対中国初の政府開発援助である竜頭橋ダム建設事業に貢献した。
梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5… 梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5月19日)は、日本の文芸評論家。本名は佐藤春夫。 新潟県新潟市生まれ。1957年に新津高校を卒業し、法政大学文学部に入る。在学中に、吉本隆明と出会い、雑誌「試行」に文学評論を発表する。1962年より千葉県の県立高校に教諭として勤務し、1998年に退職する。その後、弘前学院大学教授、法政大学大学院講師などを務めた。 2010年5月19日0時8分、千葉市中央区の病院で食道癌による敗血症のため73歳で死去。
小池 清彦(こいけ きよひこ、1937年〈昭和12年〉2月2… 小池 清彦(こいけ きよひこ、1937年〈昭和12年〉2月22日 - )は、日本の政治家、防衛官僚。新潟県加茂市長(6期)、防衛研究所長などを歴任した。 新潟県加茂市生まれ。加茂市立加茂中学校、新潟県立三条高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1960年、防衛庁に入庁。英国王立国防大学に留学し、帰国後は防衛庁防衛局計画官、防衛庁長官官房防衛審議官、防衛研究所長を歴任した。1990年に防衛庁教育訓練局長に就任。1992年6月に防衛庁を退官。同年7月、防衛大学校学術・教育振興会理事長に就任。 1995年4月、加茂市長選挙に無所属で立候補し、初当選。以後6期連続当選。2003年に勃発したイラク戦争に関しては、元防衛官僚ながら小泉純一郎首相によるイラクへの自衛隊派遣に反対する要望書を政府に提出した。
星 鐵太郎(ほし てつたろう、1937年〈昭和12年〉1月1… 星 鐵太郎(ほし てつたろう、1937年〈昭和12年〉1月15日 - 2019年〈令和元年〉9月10日)は、日本の機械工学者、精密工学者。工学博士。豊橋技術科学大学名誉教授、精密工学会名誉会員。 新潟県新潟市の新潟鐵工所新潟工場技師・星光一の長男として出生。 1955年(昭和30年)3月に新潟高等学校を卒業、1959年(昭和34年)3月に京都大学工学部機械工学科を卒業、1961年(昭和36年)3月に京都大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程を修了。 1961年(昭和36年)4月に京都大学工学部精密工学科助手に就任、1962年(昭和37年)から1964年(昭和39年)までアメリカのペンシルヴァニア州立大学大学院に留学、1965年(昭和40年)4月に京都大学工学部精密工学科助教授に就任、1966年(昭和41年)3月に京都大学から工学博士の学位を取得、1974年(昭和49年)から1975年(昭和50年)までアメリカのカーネギーメロン大学客員准教授、1979年(昭和54年)4月に豊橋技術科学大学工学部第二工学系教授に就任、1986年(昭和61年)4月に豊橋技術科学大学国際交流会館長に就任、1990年(平成2年)4月に豊橋技術科学大学情報処理センター長に就任、1992年(平成4年)4月に国際協力機構の高等教育開発計画でインドネシアに赴任、1995年(平成7年)4月に豊橋技術科学大学工学部第二工学系長に就任、1998年(平成10年)4月に豊橋技術科学大学工作センター長に就任、2002年(平成14年)3月に豊橋技術科学大学を定年退官、4月に自宅に星技術研究所を開業、同月に豊橋技術科学大学名誉教授の称号を受称。
村山 弘義(むらやま ひろよし、1937年(昭和12年)1月… 村山 弘義(むらやま ひろよし、1937年(昭和12年)1月13日 - )は、日本の検察官。弁護士(青陵法律事務所)。元東京高等検察庁検事長。
水野 久美(、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日… 水野 久美(、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日本の女優・タレント。本名は五十嵐 麻耶。高瀬プロダクションを経てオフィスPSCに所属。 新潟県三条市出身。実家は写真館を経営。新潟県立三条東高等学校卒業。 実家の隣が「三条座」という劇場であったことから、江利チエミや美空ひばりのショーや歌舞伎の演目などを観劇しているうちに役者を志すようになった。シェイクスピア悲劇『リア王』のコーディリア姫役を中学で演じ、本物の涙を流す演技をしたことでますます「舞台への思い」が強くなり、高校在学中には演劇部に所属し、『源氏物語』の「末摘花」などの発表会では3年連続でヒロイン役を演じたほか、ティーンエイジャー向け雑誌・ジュニアそれいゆ主催によるミス・ジュニアそれいゆで1位に選出された。
山口 幸夫(やまぐち ゆきお、1937年 - )は、特定非営… 山口 幸夫(やまぐち ゆきお、1937年 - )は、特定非営利活動法人原子力資料情報室の共同代表。 新潟県十日町市出身。1965年に東京大学数物系大学院博士課程(物性物理学専攻、工学博士)修了。1968年に東京大学工学部(物理工学科)講師となる。 ベトナム反戦運動をしていた「ただの市民が戦車を止める会」(神奈川県相模原市の「戦車闘争」(1972年)の時に結成)の会員らと有機農法の作物の共同購入をするなど、三里塚闘争への支援も行っている。成田空港問題シンポジウムを主催した隅谷調査団に河宮信郎を推挙したが、シンポジウム後は闘争の幕引きを図る動きに反発し、地球的課題の実験村と行動を共にした。現在は一般社団法人三里塚大地共有運動の会代表理事を務める。
清水 邦夫(しみず くにお、1936年〈昭和11年〉11月1… 清水 邦夫(しみず くにお、1936年〈昭和11年〉11月17日 - 2021年〈令和3年〉4月15日)は、日本の劇作家、演出家。演劇企画グループ「木冬社」代表。妻は女優の松本典子。 新潟県新井市(現・妙高市)出身。新潟県立高田高等学校を経て早稲田大学第一文学部演劇科卒業。 早稲田大学在学中に初戯曲『署名人』を発表し、注目を浴びる。1960年早稲田大学卒業後、岩波映画に入社するが1965年に退社。劇作家として劇団「青俳」などに戯曲を提供する。 東京・新宿のアートシアター新宿文化劇場を拠点に、演出家・蜷川幸雄とコンビを組み、一時代を画した。1968年に蜷川と現代人劇場を結成。1969年の『真情あふるる軽薄さ』(蜷川幸雄演出)が反響を呼び、蜷川らと結成した劇結社「櫻社」が解散する(1974年)まで、蜷川とコンビを組み、反体制的な若者を描いた作品で人気を集める。
溝上 恵(みぞうえ めぐみ、男性、1936年9月12日 - … 溝上 恵(みぞうえ めぐみ、男性、1936年9月12日 - 2010年1月4日)は、日本の地震学者。専門は地震計測。東京大学地震研究所教授を経て、同大学名誉教授。地震防災対策強化地域判定会会長・地震予知連絡会委員・中央防災会議委員などを歴任。新潟県長岡市出身。 微小地震の研究で知られ、地震予知の対象をプレスリップ(前兆すべり)に限定するなど前兆分析の分野で大きく貢献した。
北原 保雄(きたはら やすお、1936年8月4日 - 202… 北原 保雄(きたはら やすお、1936年8月4日 - 2024年2月22日)は、日本の国語学者・言語学者。位階は従三位。学位は文学博士(筑波大学・1981年)(学位論文「日本語助動詞の研究」)。筑波大学名誉教授・元学長。新潟産業大学名誉学長。独立行政法人日本学生支援機構元理事長、文化審議会委員(国語分科会会長)。 新潟県柏崎市出身。新潟県立柏崎高等学校、1960年、東京教育大学卒業。1968年、同大学大学院文学研究科国語学博士課程中退。東京都公立学校教員、和光大学講師、助教授を経て、1974年に筑波大学文芸・言語系助教授。1981年「日本語助動詞の研究」で筑波大学より文学博士の学位を取得。1984年に同大学教授に就任。
吉岡 静夫(吉岡 靜夫、よしおか しずお、1936年〈昭和1… 吉岡 静夫(吉岡 靜夫、よしおか しずお、1936年〈昭和11年〉5月21日 - 2023年〈令和5年〉7月2日)は、日本の政治家。元新潟県糸魚川市長(1期)。 新潟県糸魚川市出身。慶応義塾大学法学部(通信制)中退。1958年(昭和33年)糸魚川市役所に入り、26年間勤務する。1984年(昭和59年)に退職。タウン誌を発行する。糸魚川市議会議員を3期務めた。 1997年(平成9年)糸魚川市長選挙に立候補するが、元市議会議長の山田紀之に敗れて落選した。※当日有権者数:-人 最終投票率:78.40%(前回比:-pts) 2001年(平成13年)に再び立候補し、現職を破って初当選する。同年11月5日に市長に就任した。
平賀 壯太(ひらが そうた、1936年4月15日 - 202… 平賀 壯太(ひらが そうた、1936年4月15日 - 2020年2月12日)は、日本の分子生物学者。熊本大学名誉博士。大腸菌の染色体とプラスミドの分配機構の研究について一貫して取り組み、この分野において長らく世界的なリーダーであった。趣味は昆虫研究と油絵である。
佐善 明(さぜん あきら、1936年〈昭和11年〉4月3日 … 佐善 明(さぜん あきら、1936年〈昭和11年〉4月3日 - 1991年〈平成3年〉3月23日)は、日本の洋画家。千葉大学工学部工業意匠学科教授。 新潟県新潟市東大畑通(現 新潟市中央区東大畑通)出身。1955年(昭和30年)3月に新潟高等学校を卒業、1960年(昭和35年)3月に新潟大学教育学部芸能科絵画科を卒業、4月から千葉大学工業短期大学部工業意匠科で教務員として勤務。 1976年(昭和51年)10月に文化庁芸術家在外研修員としてアメリカに渡り、1年間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校とマサチューセッツ工科大学で客員研究員として研修。 1985年(昭和60年)10月に文部省在外研究員として再びアメリカに渡り、1年間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校芸術学部デザイン科で客員教授として勤務。
池田 澄子(いけだ すみこ、1936年3月25日 - )は、… 池田 澄子(いけだ すみこ、1936年3月25日 - )は、日本の女性俳人。生活の周辺をややアイロニカルに眺めた口語的な文体の俳句を得意としながら、生の孤独、戦争などのテーマを詠んだ句も多い。代表句に「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」「ピーマン切って中を明るくしてあげた」「前ヘススメ前ヘススミテ還ラザル」など。 神奈川県鎌倉市に生まれる。父の出征のため父の郷里である新潟県村上市に疎開し、1947年より結婚まで新潟市に育つ。新潟県立新潟中央高等学校卒業。俳句をはじめた時期は遅く、38歳でたまたま目にした阿部完市の俳句に興味を抱いたのがきっかけである。1975年に堀井鶏主宰の「群島」に入会(のち同人。
庄山 悦彦(しょうやま えつひこ 1936年3月9日 - 2… 庄山 悦彦(しょうやま えつひこ 1936年3月9日 - 2020年6月5日)は、日本の実業家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 株式会社日立製作所社長(第7代)、社団法人日本経済団体連合会副会長、株式会社日立製作所会長、日本赤十字社監事、公益社団法人発明協会会長などを歴任した。
荒川 正昭(あらかわ まさあき、1936年3月2日 - 20… 荒川 正昭(あらかわ まさあき、1936年3月2日 - 2022年10月30日)は、日本の内科医。新潟大学名誉教授、大学入試センター名誉教授・顧問。新潟大学学長や、大学入試センター理事長を務めた。魚沼市名誉市民。 旧満州(中国東北部)生まれ。新潟県北魚沼郡(現・魚沼市)出身。新潟県立小千谷高等学校を経て、1960年新潟大学医学部卒業。 1972年川崎医科大学内科学腎臓アレルギー部門助教授。1976年川崎医科大学内科学(腎)教授。1980年新潟大学医学部内科学第二講座教授。1994年新潟大学医学部長。1998年新潟大学長。2002年新潟県福祉保健部参与。2003年広神村名誉村民。2004年大学入試センター理事長。
玉泉 八州男(たまいずみ やすお、1936年2月25日 - … 玉泉 八州男(たまいずみ やすお、1936年2月25日 - )は、日本の英文学者。専攻はシェイクスピアとエリザベス朝演劇。 新潟県高田市(現・上越市)生まれ。新潟県立高田高等学校、東京大学文学部英吉利文学科卒業。東京大学大学院人文科学研究科英語英文学専攻博士課程満期退学。東京工業大学工学部助教授を経て教授。1985年、『女王陛下の興行師たち』でサントリー学芸賞受賞。千葉大学文学部教授。帝京大学文学部教授、帝京大学名誉教授。日本シェイクスピア協会会長(1997-1999年度)。2007年日本学士院会員。2011年瑞宝重光章。
青柳 卓雄(あおやぎ たくお、1936年2月14日 - 20… 青柳 卓雄(あおやぎ たくお、1936年2月14日 - 2020年4月18日)は、日本の医用工学者。新潟県新発田市生まれ、同県三島町(現・長岡市三島地区)育ち。日本光電工業でのパルスオキシメーターの原理の発見と装置の発明で知られる。 1936年2月14日、新潟県新発田市にて、数学および電気工学の教師の父・紋七と専業主婦だった母・タツのもとに生まれ、2男2女の4人の兄弟姉妹の次男である。 1954年に新潟県立長岡高等学校を、1958年に新潟大学工学部電気工学科を卒業。 卒業研究担当の恩師(淀川寛)の推薦で島津製作所に入社した。当初は中央研究所の電子工学研究室に配属され、特に半導体応用電子機器の開発に従事した。
大矢 紀(おおや のり、1936年2月11日 - )は、日本… 大矢 紀(おおや のり、1936年2月11日 - )は、日本画家。「生命の胎動」をテーマに、山、樹木、花鳥静物を描く。雪山や火山など壮大な自然、山岳風景また花を得意とする、日本画家である。 日本橋三越本店を始め、個展、グループ展多数。現在日本美術院評議員、NHK文化センター講師、川崎市文化財団理事、長岡市名誉市民、川崎市市民文化大使、五泉市観光大使。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
渡辺 喜三郎(わたなべ きさぶろう、1936年1月29日 -… 渡辺 喜三郎(わたなべ きさぶろう、1936年1月29日 - 2019年9月25日)は、日本の柔道家(講道館7段)。 新潟県加茂市出身。県立加茂農林高校2年生の時に滝沢虎雄6段の元で柔道を始め、身長176cm・体重80kgと均整の取れた体躯と先天的な体の弾力性や巧妙な体捌きを以て稽古に励んだ。生来左利きであったが柔道においては右組を主とし、高校時代には中央大学出身の宮内英二8段の指導も受けてメキメキと頭角を現した。 1954年春に高校卒業後は師の宮内と同じ中央大学へ進学して菊池揚二9段や山辺正路8段の薫陶を受け、忽ち当時の学生柔道界において抜きん出た存在となった。この頃の学生柔道界は日本大学の松下三郎を筆頭に早稲田大学の三宅倫三、天理大学の今村春夫や古賀正躬、明治大学の神永昭夫、関西大学の岩田兵衛、東京教育大学の長谷川博之や猪熊功らが全国的に名を馳せた時代であり、渡辺はそれらと鎬を削って学生柔道黄金時代の立役者の1人として活躍している。
小林 一三(こばやし かずみ、1936年〈昭和11年〉1月4… 小林 一三(こばやし かずみ、1936年〈昭和11年〉1月4日 - )は、日本の政治家。元新潟県新津市長(3期)。 新潟県中蒲原郡新津町出身。1958年、新潟大学農学部卒。卒業後は国家公務員試験に合格し、建設省に入る予定だったが、事情により建設省が新潟県庁へ推薦したため、新潟県庁に入ることになった。土木部砂防課長、上越、新潟の各土木事務所長、土木部都市整備局長などを歴任した。 1991年、新潟県庁を退職し、新津市長選挙に立候補し、当選する。以来3期務める。3期目途中の2000年に新潟県知事選挙に立候補するが落選した。2003年の第43回衆議院議員総選挙において自由民主党から比例北陸信越ブロックで立候補するが落選した。
吉野 昌孝(よしの まさたか、1935年10月15日-202… 吉野 昌孝(よしの まさたか、1935年10月15日-2023年11月1日)は、三菱電機が1970年3月に発売した換気送風機「ロスナイ」の原理の発明者、三菱電機元社員。同社で35年間ロスナイ開発に携わった。 吉野はロスナイの原理を発明しその事業化を推進した。ロスナイは、室温と湿度をほとんど変えずに部屋の換気を行うことができる製品であり、室内と外気のそれぞれの温度と湿度を同時かつ連続的に交換することで、室内の温度と湿度の変化を抑えながら空気の換気が出来る静止型全熱交換器。湿度交換も同時に行えることが特徴である。 当初住宅用として開発され、後に業務用にも使われた。新幹線N700系電車、国会議事堂、東京都庁、横浜ランドマークタワー等に設置されている。
市村 俊彦(いちむら としひこ、1935年9月23日 - )… 市村 俊彦(いちむら としひこ、1935年9月23日 - )は日本のテレパシーの研究者。 新潟県中蒲原郡横越村(現新潟市江南区)生まれ。新潟県立新潟工業高等学校、新潟大学理学部物理学科(物性物理専攻)を卒業。新潟青陵高等学校、新潟明訓高等学校で教諭経験。 会社勤務の傍ら、数百名の会員を擁する超心理研究会を主宰し、1967年から1987年にかけて会誌『テレパシー』を119号まで発行した。
関 広一(せき ひろかず、1935年8月9日 - 2015年… 関 広一(せき ひろかず、1935年8月9日 - 2015年(平成27年)1月18日)は、日本の政治家。新潟県小千谷市長(2期)。 新潟県小千谷市出身。新潟県立六日町高等学校卒。小千谷市役所に入り、市職員労働組合書記長、新潟県労働金庫監事から、小千谷市議会議員に転じ、議長となった。1998年小千谷市長広井庄一の辞職による出直し市長選挙に立候補し、広井を破って初当選。2002年は無投票当選。市長を2期務め、2006年に退任した。2015年死去。
二宮 洸三(にのみや こうぞう、1935年8月1日 - )は… 二宮 洸三(にのみや こうぞう、1935年8月1日 - )は、日本の気象学者。学位は、理学博士(1968年)。元気象庁長官。 新潟県柏崎市出身。1958年東京大学理学部物理学科卒。1968年理学博士。1958年気象庁に入り、1974年気象研究所予報研究部第一研究室長、1978年電子計算室予報官、1980年同数値予報班長、1983年仙台管区気象台技術部長、1985年気象庁予報部数値予報課長、札幌管区気象台長、気象庁海洋気象部長、予報部長。1993年気象庁長官。1997年東京大学気候システム研究センター客員教授。2000年海洋研究開発機構特任上席研究員。2012年同退職。2005年藤原賞受賞。
諫山 正(いさやま ただし、1935年7月3日 - 2021… 諫山 正(いさやま ただし、1935年7月3日 - 2021年9月3日)は、日本のマルクス経済学者。新潟大学名誉教授。元新潟青陵大学学長。元新潟市都市計画審議会会長。 新潟県新潟市出身。1959年九州大学経済学部経済学科卒業。1963年東京教育大学大学院文学研究科社会学専攻修士課程修了、文学修士。1967年同博士課程単位取得退学。1980年新潟大学経済学部教授。1990年新潟大学経済学部長、新潟大学大学院経済学研究科長。2001年定年退職、新潟大学名誉教授、新潟青陵女子短期大学教授。2004年新潟青陵大学短期大学部教授、新潟青陵大学短期大学部学長代行。2005年学校法人新潟青陵学園評議員、学校法人新潟青陵学園理事。
浅井 信雄(あさい のぶお、1935年6月23日 - 201… 浅井 信雄(あさい のぶお、1935年6月23日 - 2015年3月6日)は、日本の国際ジャーナリスト。三桂所属。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校、東京外国語大学インド・パーキスターン語学科卒。 1958年読売新聞社入社。海外特派員としてジャカルタ、ニューデリー、カイロ各特派員を経て、1978年から1981年までワシントン支局長。1981年に読売新聞社を退社。 その後はジョージタウン大学研究員、野村総合研究所在米コンサルタント、1983年に東京大学、東京外国語大学各講師、三菱総合研究所研究員、財団法人中東調査会理事を歴任。 1987年から1998年まで、神戸市外国語大学国際関係学科教授(国際政治学)。
高橋 幸治(、1935年〈昭和10年〉6月10日 - )は、… 高橋 幸治(、1935年〈昭和10年〉6月10日 - )は、日本の俳優。 新潟県十日町市出身。新潟県立十日町高等学校、東洋大学経済学部卒業。 大学在学中に宮口精二の運転手となる。 1959年、研究生として文学座に入る。 1963年の『日本の孤島』で初舞台。同年、新藤兼人脚本・監督の『母 (1963年の映画)』でデビュー。 1965年、NHK大河ドラマ『太閤記』の織田信長役に抜擢。信長役の演技が評判を呼び、局には助命嘆願が殺到するほどの人気を得た。同年、映画『アンデスの花嫁』南米ロケから帰国後、過労のために入院したことを告知するのが遅れ、出演予定だった舞台公演に穴を空けたとして文学座を除籍。 しかし、人気は衰えず、1966年の『おはなはん』には主人公の夫・速水謙太郎中尉役で出演。
中村 洋二郎(なかむら ようじろう、1935年6月6日 - … 中村 洋二郎(なかむら ようじろう、1935年6月6日 - 2025年3月8日)は、日本の弁護士。新潟県弁護士会所属。1981年度新潟県弁護士会長、1987年度日本弁護士会連合会副会長を務めた。新潟県新潟市出身。
半藤 末利子(はんどう まりこ、1935年6月4日 - )は… 半藤 末利子(はんどう まりこ、1935年6月4日 - )は、日本の随筆家。旧姓は松岡(まつおか)。 東京府生まれ。夏目漱石の長女・筆子と作家松岡譲の間に四女として誕生 第二次世界大戦中は、父の故郷である新潟県長岡市に疎開した。新潟県立長岡高等学校を経て、早稲田大学芸術科と上智大学比較文化科を卒業した。2017年9月24日、夏目漱石生誕150年に新宿区立漱石山房記念館名誉館長に就任した。 著書に『夏目家の糠みそ』『漱石夫人は占い好き』などがある。 夫の半藤一利は作家、随筆家。姉の松岡陽子マックレインは比較文学研究者でオレゴン大学名誉教授。
小黒 昌一(おぐろ しょういち、1935年〈昭和10年〉5月… 小黒 昌一(おぐろ しょういち、1935年〈昭和10年〉5月4日 - 2008年〈平成20年〉11月4日)は、日本の英文学者、英語学者。早稲田大学名誉教授。専門は古代・中世英文学および古代・中世英語。小沼丹と平岡篤頼に師事。 新潟県新潟市出身。1951年(昭和26年)4月に新潟高等学校に入学、1953年(昭和28年)12月に祖父の小黒猶一の新潟高等学校と早稲田大学の後輩の会津八一を訪問した。 1954年(昭和29年)3月に新潟高等学校を卒業、1958年(昭和33年)3月に早稲田大学第一文学部文学科(英文学専攻)を卒業。 1962年(昭和37年)3月に早稲田大学大学院文学研究科(英文学専攻)修士課程を修了、1965年(昭和40年)6月にワシントン大学大学院(英語学専攻)修士課程を修了。
小林 昭男(こばやし あきお 1935年4月26日 - )は… 小林 昭男(こばやし あきお 1935年4月26日 - )は、日本の俳優、テレビ番組ディレクター。新潟県新井市(現・妙高市)出身。 三浦雄一郎のいとこ。 趣味はスキー、ゴルフ、自動車(A級ライセンス所持)、野球、釣り、ボウリング、射撃、フリーダイビング、ビリヤード、麻雀、カメラ、料理、海外旅行など。草野球では1972年当時「東京ライタース」というチームでスイッチヒッターとして活躍していたという。私生活では双子の娘がいる。 新潟県立新井高等学校卒業後、日活俳優学校、大映養成所を経て水島道太郎に師事し。テレビデビューはドラマ『ダイヤル110番』(日本テレビ)。当初は俳優として活動していたが、その後テレビディレクターとして『11PM』(日本テレビ)、『歌のグランドヒットショー』(NET)などの番組を担当するようになる。
田村 博(たむら ひろし、1935年(昭和10年)4月14日… 田村 博(たむら ひろし、1935年(昭和10年)4月14日 - 2010年(平成22年)8月28日)は、日本の人間工学者。工学博士。モバイル学会初代会長。ヒューマンインタフェース学会名誉会員(第1号)、京都工芸繊維大学名誉教授。 新潟県新潟市出身。1954年(昭和29年)3月に新潟高等学校を卒業、1958年(昭和33年)3月に京都大学工学部電気工学科を卒業、1963年(昭和38年)3月に京都大学大学院工学研究科電気工学専攻博士課程を修了。 1963年(昭和38年)に京都大学工学部助手に就任、同年9月に退任、10月に大阪大学基礎工学部制御工学科助手に就任、1964年(昭和39年)に同講師に就任、1966年(昭和41年)に同助教授に就任。
福田 真久(ふくだ まさひさ、1935年3月13日 - 20… 福田 真久(ふくだ まさひさ、1935年3月13日 - 2005年10月25日)は、日本の国語学者・国文学者。国士舘大学名誉教授。専攻は国語学・国文学(万葉集・俳諧・芭蕉)。 新潟県佐渡島生れ。中央大学大学院国文学博士課程単位取得満期退学。国士舘大学文学部助教授、教授、2005年退任、名誉教授。北京大学中日詩歌比較研究会名誉会長。 2005年10月25日、肝臓癌のため死去。没後、従五位瑞宝中綬章叙勲。
吉田 修(よしだ おさむ、1935年3月1日 - )は、日本… 吉田 修(よしだ おさむ、1935年3月1日 - )は、日本の医学者。前奈良県立医科大学学長。京都大学名誉教授。学位は、医学博士(京都大学・1967年)。専門は泌尿器科学。 岡山県出身。元日本学術会議議員。38歳で京都大学医学部泌尿器科学講座を主宰。以後多数の俊英を育成。日本泌尿器科学会総会会長、同理事長、日本癌治療学会総会会長、同理事などを歴任。泌尿器科学領域全般に幅広い業績。特に泌尿器腫瘍学分野で画期的な業績。また、医学教育分野や医事行政にも造詣が深く、文部科学省、厚生労働省関連の協議会、懇談会などに数多く参加。 2008年6月よりiPSアカデミアジャパン株式会社代表取締役社長(現在相談役)、2012年4月より天理医療大学学長。
田村 大五(たむら だいご、1935年(昭和10年)2月20… 田村 大五(たむら だいご、1935年(昭和10年)2月20日 - 2009年(平成21年)2月13日)は、日本のベースボールコラムニスト、スポーツジャーナリスト。 『巨人軍5000勝の記憶』 読売新聞社、ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。一部記事(公式戦初勝利、他多数)
山本 和郎(やまもと かずお、1935年2月6日 - 201… 山本 和郎(やまもと かずお、1935年2月6日 - 2016年7月12日)は、日本の心理学者。慶應義塾大学名誉教授。日本コミュニティ心理学会初代会長。日本・精神技術研究所心理臨床学院長。専門はコミュニティ心理学。 新潟県新潟市生まれ。1950年大田区立大森第六中学校卒業、1953年東京都立小山台高等学校卒業、1958年東京大学文学部心理学科卒業、1963年同大学院人文科学研究科心理学専攻博士課程単位取得退学、1963年国立精神衛生研究所研究員、1965年ハーバード大学医学部リサーチ・フェロー(1966年帰国)。 慶應義塾大学文学部助教授、1981年教授。2000年定年退任、名誉教授、大妻女子大学人間関係学部教授。
廣川 洋一(ひろかわ よういち、1935年1月19日 - 2… 廣川 洋一(ひろかわ よういち、1935年1月19日 - 2019年11月8日)は、日本の哲学者。筑波大学名誉教授。専攻は西洋哲学。古代ギリシア哲学が専門。 新潟県出身。1954年新潟県立長岡高等学校卒業。1958年東京教育大学文学部卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。田中美知太郎、松平千秋、藤沢令夫らに学ぶ。1977年京都大学で博士号を取得。同年から翌年までロンドン大学研究員。 東海大学文学部助教授、教授を経て、1988年筑波大学哲学・思想学系教授、1999年定年退官、名誉教授。龍谷大学文学部教授。2005年退任。 2019年11月8日、前立腺がんのため死去。83歳没。
阿刀田 高(あとうだ たかし、1935年1月13日 -)は、… 阿刀田 高(あとうだ たかし、1935年1月13日 -)は、日本の小説家。「奇妙な味」の短編で知られる。1993年から1997年まで日本推理作家協会会長、2007年から2011年まで日本ペンクラブ会長を務めた。文化功労者。山梨県立図書館名誉館長。 国会図書館司書を経て、『冷蔵庫より愛をこめて』(1978年)で作家に。『ナポレオン狂』(1979年)で直木賞を受賞。ブラックユーモアやミステリーを盛り込んだ短編の名手。ほかに『佐保姫伝説』(2009年)、『闇彦』(2010年)など。 東京生まれ。一人の兄と三人の姉の下で双子の兄として生まれるが、弟は1歳になる前に早世。両親は共に宮城県仙台市の出身だった。
稲野 和子(いなの かずこ、1935年1月3日 - 2014… 稲野 和子(いなの かずこ、1935年1月3日 - 2014年12月18日)は、日本の女優。本名は福田和子。新潟県新潟市出身。夫は演出家・脚本家の福田陽一郎。文学座に所属していた。 新潟青陵高等学校卒業後、実践女子短期大学に入学するも、入学した年の秋に休学届を出して劇団民藝に研究生として入り、1956年に『煉瓦女工』で初舞台を踏むが、これが父親の反対に遭ったことで、一度大学に復学。 結局大学は1956年秋に中退し、翌1957年、文学座に研究生として入り、1959年に『マヤ』のフィフィンヌ役でデビュー。1964年に座員となり、晩年まで所属して舞台に上がり続けると共に、テレビドラマや映画にも多数出演した。