松木 謙治郎(まつき けんじろう、1909年1月22日 - … 松木 謙治郎(まつき けんじろう、1909年1月22日 - 1986年2月21日)は、福井県敦賀市出身のプロ野球選手(一塁手)・監督・指導者・解説者。
福井県:920人
松木 謙治郎(まつき けんじろう、1909年1月22日 - … 松木 謙治郎(まつき けんじろう、1909年1月22日 - 1986年2月21日)は、福井県敦賀市出身のプロ野球選手(一塁手)・監督・指導者・解説者。
大槻 筆子(おおつき ふでこ、1909年 - 1992年9月… 大槻 筆子(おおつき ふでこ、1909年 - 1992年9月19日)は、日本のキリスト教伝道者。夫は同じく伝道者の大槻武二。武二とともに聖イエス会の中心人物であり、教団内では霊母と呼ばれた。 1931年3月、キリスト教に関心を持つ。5月27日に高浜の城山海岸にて、東舞鶴教会の上井乙熊牧師より受洗。1932年3月11日、「なんじは我に従え」との召命に従い、西舞鶴教会・綾部教会を経て神戸ホーリネス教会に出家、献身。12月3日に大槻武二と結婚。 1933年にホーリネス教会が分裂し、中田重治を支持してきよめ教会に所属し、1934年2月に武二とともに須磨きよめ教会に任命される。1936年満州国奉天の奉天きよめ教会に任命される。
馬場 啓之助(ばば けいのすけ、1908年11月23日 - … 馬場 啓之助(ばば けいのすけ、1908年11月23日 - 1988年11月2日)は、日本の経済史学者、一橋大学名誉教授。一橋大学経済学部長、一橋大学学長(事務取扱)、社会保障研究所所長等を務めた。 福井市生まれ。横浜育ち。福井市足羽小学校、横浜小学校、第二横浜中学校(現神奈川県立横浜翠嵐高等学校)を経て、1931年東京商科大学(現一橋大学)本科卒。山内得立に師事。 東亜研究所副調査員などとして研究。外務省嘱託として香港への派遣や、大日本帝国陸軍比島軍政監部付を務め、村田省蔵の比島調査委員会で杉村広蔵委員の下、補助委員として調査に従事した。 杉村が理事を務めた交易営団で総務部総務課長代理などを経て、戦後は農林省農業総合研究所計画部長を経て、1952年学習院大学教授、56年一橋大学教授、61年経済学部長、「近代経済学方法論」で一橋大経済学博士。
豊田 三郎(とよだ さぶろう、1908年〈明治41年〉9月1… 豊田 三郎(とよだ さぶろう、1908年〈明治41年〉9月18日 - 2015年〈平成27年〉12月6日)は、日本の昭和 - 平成期の洋画家。 福井県大野郡下味見村(現・福井市)生まれ。福井農林学校(現・福井農林高校)を卒業し家業の農業に従事していたが25歳で上京、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)へ入学。卒業後は中島飛行機製作所に勤務。1950年に教員となり、郷里・福井県内の公立中学校で1968年まで美術を教えた。 1989年に「ふるさとの山河」でサロン・ド・パリ展大賞受賞。豊かな緑の杉の描写を特徴とし、「トヨダグリーン」とも表現される。2001年、当時の福井県足羽郡美山町より、名誉町民の称号が贈られた。
渡辺 明(、1908年〈明治41年〉5月13日 - 1999… 渡辺 明(、1908年〈明治41年〉5月13日 - 1999年〈平成11年〉)は映画美術監督。福井県出身。愛称は「ナベさん」。 1929年(昭和4年)、美術学校を卒業後、松竹下賀茂撮影所に助監督として入社。その後、1931年(昭和6年)に美術担当となる。 1941年(昭和16年)、撮影技師だった円谷英二と知り合い、グラスワークなどのトリック撮影を円谷とともに研究する。同年、円谷に誘われ東宝に移籍。 1942年(昭和17年)、映画『ハワイ・マレー沖海戦』(山本嘉次郎監督)で特殊美術を担当。特撮用ミニチュア製作など美術全般を担当する。 1947年(昭和22年)、『戦争と平和』(亀井文夫・山本薩夫監督)から特殊技術も兼任。
林 了(はやし りょう、1908年〈明治41年〉3月9日 –… 林 了(はやし りょう、1908年〈明治41年〉3月9日 – 1953年〈昭和28年〉12月20日)は、昭和期の歯科医師、政治家。参議院議員(1期)、日本大学歯学部教授。医学博士。 福井県福井市生まれ。1929年(昭和4年)日本大学歯科医学校(現日本大学歯学部)を卒業。同年、歯科医院を開業。1932年(昭和7年)日大歯科医学校附属医院に勤務。以後、城西病院歯科部長、日大歯科医学校長、日大歯学部教授を歴任。 その他、日本歯科医師会理事、同事務局長、同常務理事、同税制対策委員長、日本歯科医師政治連盟(現日本歯科医師連盟)理事長、臨時診療報酬調査会委員、臨時医療保険審議会委員、社会保険診療報酬支払基金理事、軽井沢会理事長、軽井沢国際観光協会顧問、八欧無線(株)顧問などを務めた。
軽部弥生一(かるべ やよいち、1908年 - 1989年7月… 軽部弥生一(かるべ やよいち、1908年 - 1989年7月2日)は、日本の官僚。福井県出身。
中道 益平 (なかみち ますへい、1907年5月29日 - … 中道 益平 (なかみち ますへい、1907年5月29日 - 1978年5月18日)は、日本の障害者福祉活動家。光道園創設者。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
山本 和夫(やまもと かずお、1907年〈明治40年〉4月2… 山本 和夫(やまもと かずお、1907年〈明治40年〉4月25日 - 1996年〈平成8年〉5月25日)は、日本の児童文学作家、詩人。妻は、児童文学作家で翻訳家の山本藤枝。ロシア児童文学の翻訳・研究家の松谷さやかはその子にあたる。 福井県遠敷郡松永村門前(現小浜市)で、山本文雄の長男として生まれる。旧制小浜中学校卒業。中学時代より詩作を始め、1926年(大正15年)東洋大学専門学部倫理学東洋文学科に入学、1929年(昭和4年)に卒業した。在学中に乾直恵、白井一二らと『白山詩人』同人となり赤松月船、勝承夫、大村主計と詩を発表し、処女詩集『仙人と人間との間』を創刊し活躍した。 1932年(昭和7年)三省堂編集部に勤めながら文学活動を続け、1935年(昭和10年)には同人誌『星座』に参加、同誌に連載した『国木田独歩ノート』で全国同人誌クラブ賞受賞。
新道 繁(しんどう しげる、1907年3月25日 - 198… 新道 繁(しんどう しげる、1907年3月25日 - 1981年6月10日)は、洋画家。 福井県三国町(現・坂井市)出身。1924年東京府立工芸学校卒業。1934年光風会会員。1951年日展審査員。1955年女子美術大学講師、1958年文部大臣賞受賞、日展評議員、1961年日本芸術院賞受賞、1969年日展理事、1971年光風会常務理事、1975年日展常務理事、1977年日本芸術院会員、1979年勲三等瑞宝章受章。 1960年以降は「松」を繰り返し描いた。
永井 鱗太郎(ながい りんたろう、1907年(明治40年)2… 永井 鱗太郎(ながい りんたろう、1907年(明治40年)2月26日 - 1985年(昭和60年)11月5日)は、日本の児童劇作家。日本児童演劇協会常任理事を務めた。 福井県あわら市(旧金津町八日)出身。本名は善太郎。 1927年、福井師範学校を卒業。福井県あわら市伊井小学校で小学校教師を始めるが、1933年に上京。 東京で小学校教師として働くかたわら、1936年に正善達三らと児童劇団「子供町」を結成(1944年解散)。戦後文筆生活にはいる。児童劇脚本研究会「こまの会」を主宰。 1953年『お月さまをたべたやっこだこ』で小学館児童文化賞受賞。1980年、日本児童演劇協会功労賞受賞。1984年には芸術文化功労者として勲五等瑞宝章を受けた。
高見 順(たかみ じゅん、本名・高間芳雄、1907年1月30… 高見 順(たかみ じゅん、本名・高間芳雄、1907年1月30日 - 1965年8月17日)は、日本の小説家、詩人。
藤野 恒三郎(ふじの つねさぶろう、1907年1月28日 -… 藤野 恒三郎(ふじの つねさぶろう、1907年1月28日 - 1992年8月15日)は、日本の医学者、細菌学者、医学史研究者。大阪大学名誉教授。神戸学院大学名誉教授。 1950年に集団食中毒の原因として腸炎ビブリオを発見した。適塾を主とした近代医学史の研究でも知られる。魯迅の恩師として知られる藤野厳九郎の甥。祖父藤野升八郎から三代続けての医家。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
松原 祐善(まつばら ゆうぜん、1906年12月25日 - … 松原 祐善(まつばら ゆうぜん、1906年12月25日 - 1991年1月7日)は、日本の仏教学者、真宗学者。金子大栄、 曽我量深に師事。 大谷大学名誉教授、元学長。 1906年、福井県大野市生まれ。旧制福井県立大野中学校(現福井県立大野高等学校)卒。大谷大学卒。大谷大学教授、学長。1980年退任、名誉教授。真宗大谷派円徳寺元住職。
西山 真一(にしやま しんいち、1906年7月20日 - 1… 西山 真一(にしやま しんいち、1906年7月20日 - 1989年4月19日)は、洋画家、日本芸術院会員。 福井県鯖江市出身。福井師範学校(現・福井大学教育地域科学部)卒。鈴木千久馬、辻永に師事。1931年帝展初入選。人物画で出発し、戦後のパリ留学時代に風景画に転換。1980年日本芸術院賞受賞。1984年日本芸術院会員。光風会常任理事。『西山真一画集』(六芸書房、2000)がある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
井手 成三(いで なるみ、1906年4月6日 - 1978年… 井手 成三(いで なるみ、1906年4月6日 - 1978年7月28日)は、日本の官僚。法制局当時には、現憲法の作成にも参画した数少ない人物として知られる。 先祖は、椙本正俊といわれ、祖母は梅田雲浜の従姉にあたる。父が京都へ移住したため、井手は京都で生まれたが、先祖代々の墓は小浜にあり、毎年墓参に訪れていた。第三高等学校を経て、東京大学入学と同時に郷土出身者の会である雲城会に入り、若狭人の自覚を持ち、若狭出身であることを生涯誇りとしていた。東大卒業後は内務省の官吏となり、兵庫県庁を振り出しに官界に身を置いたが、最高の事務次官にまで昇進したのは、若狭では井手一人である。官界を退いた後、政治家を志し、1952年(昭和27年)、1963年(昭和38年)の2回にわたって福井県から衆議院総選挙に立候補したが当選を果たせず、政治家として郷土のために活躍したいという夢を実現できなかった。
松木 治三郎(まつき じさぶろう、1906年2月21日 - … 松木 治三郎(まつき じさぶろう、1906年2月21日 - 1994年5月24日)は、日本の牧師、神学者。 福井県敦賀生まれ。1934年日本神学校を卒業後、日本基督教会木更津教会(1941年より、日本基督教団)、熊本坪井教会牧師を経て、1951年に関西学院大学文学部神学科教授、翌1952年から同大神学部教授として、聖書釈義、新約学を講義。1968年から神学部長を務めた。1974年に定年退職後は聖書解釈研究所を主宰した。 このほか、日本新約学会会長(1960年 - 1986年)、日本基督教団塚口教会主任牧師(1953年 - 1991年)を務めた。
中野 鈴子(なかの すずこ、1906年(明治39年)1月24… 中野 鈴子(なかの すずこ、1906年(明治39年)1月24日 - 1958年(昭和33年)1月5日)は、日本の詩人。 福井県坂井郡高椋村(現在の坂井市丸岡町)一本田に生まれた。作家、政治家の中野重治は次兄。坂井郡立女子実業学校(現福井県立三国高等学校)を卒業、郷里で2度望まない結婚をし、2度離婚を勝ち取った。 1929年4月、中野をたよって上京。1930年、検挙された小林多喜二の救援活動の中心を、原泉や村山籌子とともに担った。この活動を通して第一線のプロレタリア詩人として成長し、1931年日本プロレタリア作家同盟に加入した。1932年1月、宮本百合子編集長のもとで『働く婦人』編集部員となり、昭和東北大凶作取材記事を3回にわたり同誌に連載するなどの仕事をした。
阪本 越郎(さかもと えつろう、1906年(明治39年)1月… 阪本 越郎(さかもと えつろう、1906年(明治39年)1月21日 - 1969年(昭和44年)6月10日)は、日本の詩人・ドイツ文学者。
東郷 豊治(とうごう とよはる、1905年4月28日 - 1… 東郷 豊治(とうごう とよはる、1905年4月28日 - 1969年3月17日)は、日本の心理学者、良寛研究家。 福井県敦賀市生まれ。1930年京都帝国大学文学部心理学科卒。1945年新潟県高田師範学校教授、1955年大阪外国語大学教授。 伝記『良寛』で1957年度読売文学賞受賞。堀口大學、鈴木虎雄と協力し良寛全集編さん・研究を行った。
小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 200… 小葉田 淳(こばた あつし、1905年4月24日 - 2001年8月8日)は、日本の歴史学者(専攻は貨幣史・鉱山史・貿易史)。京都帝国大学名誉教授。日本学士院賞受賞者、学士院会員、文化功労者。 1905年、福井県坂井郡丸岡町(現在の坂井市)生まれ。1922年に福井中学校(現:福井県立藤島高等学校)、1925年に第四高等学校を卒業した。その後は京都帝国大学文学部史学科に進んだ。卒業論文「貨幣流通の發展」をまとめ、1928年に卒業。 卒業後は、堺市史編纂部嘱託となった。1930年、台北帝国大学文政学部講師に着任。後に同大学助教授に昇進。1944年に応召し、陸軍中尉に至った。戦後も1946年まで国立台湾大学副教授として同地にとどまったが、同年中に帰国した。
村田 禎介(むらた ていすけ、1905年3月31日 – 19… 村田 禎介(むらた ていすけ、1905年3月31日 – 1969年12月22日)は、日本の実業家。村田機械創業者。旧姓:岩城。 明治38年(1905年)小浜市湯岡、岩城喜左衛門の3男として出生。大正8年 – 今富尋常高等小学校高等科卒業、嶋長商店入店。 大正9年 – 京都市 村田直商店入店。昭和8年 – 村田家入籍、同社専務。昭和10年 – 西陣ジャカード機製作所設立。 昭和14年 – 東亜機械製造株式会社設立。昭和20年 – 村田繊維機械株式会社、村田産業株式会社設立。 昭和37年 – 村田機械株式会社設立、京都商工会議所副会頭、会頭代行。 昭和42年 – 藍綬褒章受章、機械振興協会賞受賞。昭和44年(1969)- 12月22日死去、勲三等瑞宝章受章、京都南禅寺に葬る。
田村 平治(たむら へいじ、1905年3月3日 - 1996… 田村 平治(たむら へいじ、1905年3月3日 - 1996年2月18日)は、日本の料理人。日本料理研究会名誉師範。 福井県小浜市出身。生家は魚問屋で、14歳で京都の料亭に入門した。複数の店舗で経験を積んだのち、1932年に東京・築地の藍亭で料理長となる。1946年、築地に懐石料理店「つきぢ田村」を開店した。 料理番組や女子栄養大学の講師も務めた。 子は「つきぢ田村」二代目の田村暉昭、孫は同三代目の田村隆。
藤田 貞次 (ふじた ていじ、1905年2月17日 – 19… 藤田 貞次 (ふじた ていじ、1905年2月17日 – 1976年11月8日)は、日本のジャーナリスト。 東京書籍取締役、東京教育研究所理事。 明治38年(1905年)福井県遠敷郡雲浜村(現・小浜市)西山手で出生。小浜市立雲浜小学校、旧制小浜中学校、第四高等学校文科を経て、京都大学文学部哲学科、同大学院卒業。 昭和7年 – 朝日新聞社(大阪)入社、学芸部員、昭和22年から23年3月まで図書編集部次長。 昭和24年 – 東京書籍株式会社取締役、編集部長。 昭和28年 – 東京教育研究所理事、専務理事。昭和39年12月 – 東京書籍株式会社退任。
生田 乃木次(いくた のぎじ、1905年(明治38年)2月3… 生田 乃木次(いくた のぎじ、1905年(明治38年)2月3日 - 2002年(平成14年)2月22日)は、日本海軍士官・戦闘機操縦士。福井県出身。日本軍のパイロットとして初めて敵機を撃墜した人物である。 1905年(明治38年)2月3日福井県に生まれた。「日露戦争で活躍した乃木将軍に続け」という意味で乃木次と命名された。1924年海軍兵学校52期卒業、1929年19期飛行学生修了。 1931年空母「加賀」に戦闘機隊分隊長として乗組み。1932年1月第一次上海事変勃発に伴い「加賀」は上海沖に出動、飛行隊は公大基地に進出した。2月22日、生田は三式艦上戦闘機の小隊3機を率い、艦攻隊3機とともに出撃、蘇州上空において、アメリカ人義勇兵のロバート・ショートの操縦するボーイング218と交戦し、撃墜した。
赤尾 稔(あかお みのる、1904年9月13日 - 1988… 赤尾 稔(あかお みのる、1904年9月13日 - 1988年5月2日)は、日本の経営者。東京出版販売(現在のトーハン)社長、会長を務めた。福井県福井市出身。 1931年に東京帝国大学経済学部を卒業。東京堂、日本出版配給で取締役を務め、東京出版販売で常務、専務を務めた。1964年5月に副社長に就任し、1969年には社長に昇格。1977年に会長に就任し、1981年6月には顧問に就任。 1976年11月に勲四等瑞宝章を受章。 1988年5月2日肺炎のために死去。83歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小堀 憲(こぼり あきら 1904年9月10日 - 1992… 小堀 憲(こぼり あきら 1904年9月10日 - 1992年12月8日)は、日本の数学者、科学史家、教育者。専門分野は複素解析学。 1904年(明治37年)、福井県三方町に生まれる。1929年(昭和4年)に京都帝国大学理学部数学科を卒業後、同大理学部副手講師、新潟高等学校 (旧制)教授、第三高等学校 (旧制)教授を務めた後、1945年(昭和20年)京都大学助教授、1949年(昭和24年)同大教授に就任。 1956年(昭和31年)イタリアのフィレンツェで開催された第8回国際科学史会議に日本代表として出席。1967年(昭和42年)京都府立大学学長、1971年(昭和46年)京都産業大学教授、後に同大副総長。
西野 嘉一郎(にしの かいちろう、1904年8月21日 - … 西野 嘉一郎(にしの かいちろう、1904年8月21日 - 2003年1月14日)は、日本の実業家、経営学者。学位は、商学博士(早稲田大学・論文博士・1957年)(学位論文「経営分析 その理論と方法に関する研究」)。国鉄監査委員、健保組合連会長、東洋英和女学院理事長を歴任。藍綬褒章、勲三等旭日中綬章、勲二等瑞宝章受章。 福井県敦賀市出身。1926年小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒。三機工業、東京建鉄を経て、1934年芝浦製作所に入社。芝浦マツダ工業経理部長、芝浦製作所経理部長を経て、1945年取締役。のち常務、専務、副社長を歴任。1957年「経営分析 その理論と方法に関する研究」で商学博士(早稲田大学)の学位を取得。
石川 光陽(いしかわ こうよう、本名:石川 武雄。1904年… 石川 光陽(いしかわ こうよう、本名:石川 武雄。1904年(明治37年)7月5日 - 1989年(平成元年)12月26日)は、日本の警察官・写真家。福井県福井市出身。 警視総監直々の命令を受けて東京大空襲の惨状などを撮影したことで知られる。 1904年(明治37年)7月5日、福井県で石川竹次郎、とく夫妻の息子として生まれる。幼少期は、国鉄職員であった父親の仕事の関係上、福井、沼津、松本と転居している。 1919年(大正8年)、松本駅長を最後に退職した父親が写真館を開きたいといったため、東京薬学校(現・東京薬科大学)を中退し東京九段下の蜂谷写真館において修行を積む。2年間の修行後、松本で父親とともに写真館を開く。
平澤 貞二郎(ひらさわ ていじろう、1904年1月5日 - … 平澤 貞二郎(ひらさわ ていじろう、1904年1月5日 - 1991年8月20日)は、日本の実業家・詩人である。 平澤貞二郎は福井県坂井市三国町の仏壇屋に生まれ、15歳の時に上京した。1921年に東京府立商業学校(現・東京都立第一商業高等学校)を卒業したのち、大沢商会や報知新聞社などに勤務した。その傍らで詩の創作活動に励み、1925年に萩原朔太郎や室生犀星らが出していた雑誌『感情』の流れを汲んだ『帆船』に参加したり、1927年に詩誌『金蝙蝠』を創刊したり、1928年に詩集『街の小民』を出版したり、1930年にはプロレタリア詩誌合同のプロレタリア詩人会の委員長に就任して機関誌『プロレタリア詩』を13号まで刊行したりするなど、1920年から1930年代頃にはプロレタリア詩人として活動している。
田村 秀治(たむら ひでじ、1904年 – 1988年10月… 田村 秀治(たむら ひでじ、1904年 – 1988年10月2日)は、日本の外交官。アラブに長く勤務し、日本とアラブ諸国の友好関係樹立に貢献したとされる。 福井県大飯郡高浜村(現・高浜町)和田で生まれる。 旧制小浜中学校を経て、1927年3月に、大阪外国語学校(後の大阪外国語大学、現・大阪大学外国語学部)を卒業した。外務省留学生試験に合格し、エジプトへ派遣され、エジプト大学(現・カイロ大学)でアラビア語を学んだ。そのまま現地にとどまり、1930年4月よりアレキサンドリア総領事館に勤務した。ギリシャ人の女性と結婚。エジプトで田村は、日本とは大きく異なる気候・風土の中で土地を愛し、現地人になり切って友好関係の樹立を図った。
石田 和外(いしだ かずと、1903年5月20日 - 197… 石田 和外(いしだ かずと、1903年5月20日 - 1979年5月9日)は、日本の裁判官(第5代最高裁判所長官)、剣道家(第2代全日本剣道連盟会長、一刀正伝無刀流第5代宗家)、「英霊にこたえる会」初代会長、「元号法制化実現国民会議」初代議長。位階勲等は従二位勲一等旭日大綬章。 福井県福井市生まれ。父は福井県庁職員。祖父の石田磊は福井商工会議所初代会頭、第九十二国立銀行頭取、福井市議会議長であった。 福井中学校在学中、父が46歳で他界し、一家で上京。錦城中学校を卒業し、1920年(大正9年)、旧制第一高等学校に進学。 東京帝国大学法学部を卒業する。 卒業後は司法省に入省。最高裁判所長官を務め、1973年5月定年退官。
大道 安次郎(だいどう やすじろう、1903年5月1日 - … 大道 安次郎(だいどう やすじろう、1903年5月1日 - 1987年1月11日)は、日本の経済学者、社会学者。専攻はマルクス主義及びアダム・スミス研究。関西学院大学教授。初代社会学部長、図書館長。 福井県敦賀市出身。旧制敦賀商業学校(現福井県立敦賀高等学校)首席を経て、1927年関西学院高等商業学部(現関西学院大学)卒。同時に九州帝国大学へ進学し、1930年高等商業学部講師に就任。以後、助教授、教授となり、19944年、旧制大学法文学部教授に移籍。新制大学後、文学部教授となり、1960年の社会学部設立に際して中心的役割を果たし、初代社会学部長に就任。1972年定年退職。だが、おもにマルクス主義とアダム・スミスを研究した。
小出 保太郎(こいで やすたろう、1903年〈明治36年〉3… 小出 保太郎(こいで やすたろう、1903年〈明治36年〉3月13日 - 2016年〈平成28年〉1月19日)は、名古屋市守山区に在住していた長寿の男性である。2015年7月5日から死去するまでの間、ギネス世界記録に認定されていた世界最高齢の男性であった。 福井県敦賀市出身。若いころは洋服仕立屋として働き、105歳まで畑仕事を続けていた。106歳のとき名古屋市に引っ越した。110歳を超えても眼鏡を使用せずに新聞を読み、入れ歯なしでの食事が可能であった。晩年は守山区内のデイサービス施設に通っていた。自身の長寿の秘訣として「無理しないで、喜びながら暮らす」ことを挙げている。 2014年1月2日、老人学研究団体ジェロントロジー・リサーチ・グループ(GRG)の検証済みスーパーセンテナリアンリストに登録される。
高橋 衛(たかはし まもる、1903年〈明治36年〉2月26… 高橋 衛(たかはし まもる、1903年〈明治36年〉2月26日 - 1986年〈昭和61年〉4月26日)は、日本の台湾総督府官僚、大蔵官僚、政治家。参議院議員(3期)、経済企画庁長官(第14-15代)。 福井県武生市(現越前市)出身。高橋茂平の長男として生まれる。武生中学、第四高等学校を経て、1927年3月、東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。1926年11月、高等試験行政科試験に合格。1927年4月、台湾総督府属となり財務局に配属。新竹州内務部教育課長、総督官房審議室、兼台湾総督府秘書官などを歴任。1937年3月から1939年2月まで欧米各国に出張した。 1939年7月、台湾総督府財務局主計課長に就任。
加賀山 之雄(かがやま ゆきお、1902年(明治35年)12… 加賀山 之雄(かがやま ゆきお、1902年(明治35年)12月30日 - 1970年(昭和45年)8月7日)は、昭和期の鉄道官僚、政治家。位階は正三位。 第2代日本国有鉄道総裁(在任1949年-1951年)、参議院議員。 福井県大野郡大野町(現在の大野市)生まれ。大野中学、一高を経て、1927年(昭和2年)東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業し、鉄道省に入省した。 1932年(昭和7年)10月17日に十河信二の娘と結婚。 その後、運輸省鉄道総局長官などを経て1949年(昭和24年)6月1日の国鉄発足時、副総裁に就任する。当初は総裁の予定だったが、GHQが「戦中にベルリンの滞在が長かった」として難色を示し、アメリカ視察の経験があり、GHQが米国通と評価していた下山定則が初代総裁となった。
吉田 正俊(よしだ まさとし、1902年4月30日 - 19… 吉田 正俊(よしだ まさとし、1902年4月30日 - 1993年6月23日)は、明治期から昭和期にかけての歌人、実業家。 福井県福井市出身。旧制福井中学校(現福井県立藤島高等学校)、東京帝国大学法学部卒業。石川島造船所自動車部門に入社し、のちにいすゞ自動車専務取締役や相談役を務めた。1974年、勲三等瑞宝章受章。東京都杉並区天沼に居を構えた。 歌人としては1925年「アララギ」に入会、土屋文明に師事し、のち選者、発行人。歌誌「柊」選者。高度経済成長期を背景に写実主義を貫いた。1965年『くさぐさの歌』で第11回日本歌人クラブ推薦歌集(現・日本歌人クラブ賞)、1976年『流るる雲』で第27回読売文学賞、1988年『朝の霧』で第23回迢空賞受賞。
福田 一(ふくだ はじめ、1902年〈明治35年〉4月1日 … 福田 一(ふくだ はじめ、1902年〈明治35年〉4月1日 - 1997年〈平成9年〉9月2日)は、日本の政治家、位階は従二位。 自由民主党所属の衆議院議員(14期)、衆議院議長(第62代)。自民党では大野派→福田グループに属した後に、無派閥となる。 福井県出身。東京府立三中(現在の東京都立両国高等学校)、旧制一高を経て、1927年東京帝国大学法学部仏法科卒業。同盟通信記者を経て衆議院議員に。通産大臣、自治大臣、法務大臣などを歴任した。通産大臣時代には小説「官僚たちの夏」に描かれた今井善衛と佐橋滋との間の事務次官人事抗争に介入し、存在感を見せ付けたこともある。 自治大臣在任中、1975年1月21日、参議院決算委員会で「私は市川(房枝)さんほど国民を尊敬していない」と述べたため、野党の反発を招き、発言の取り消しを要求された。
小森 善一(こもり よしかず、1902年3月30日 - 19… 小森 善一(こもり よしかず、1902年3月30日 - 1990年9月15日)は、日本の実業家。小森コーポレーション社長を務めた。福井県福井市出身。 1918年に福井高等工業学校機械科を卒業。上京を経て、1923年に小森印刷機械製作所(のちの小森コーポレーション)に入社した。1946年に株式会社への変更と同時に専務に就任し、1952年3月に社長に昇格し、1979年から相談役を務めた。 1965年に黄綬褒章を受章し、1972年に勲三等瑞宝章を受章した。 1990年9月15日心不全のために死去。88歳没。
大塚 末子(おおつか すえこ、1902年3月9日 - 199… 大塚 末子(おおつか すえこ、1902年3月9日 - 1998年11月25日)は、日本のファッションデザイナー。 福井県敦賀市出身。実業学校中退後、呉服屋のお針子となり、上京して1932年結婚。夫の勧めで文化服装学院に入学して洋裁を学び、1935年に卒業。 『暮しの手帖』第5号(1949年)に、考案した「もんぺスーツ」が掲載される。1948年に夫と死別し、『装苑』の編集者を務めていたとき、仕事で出会ったイサム・ノグチに、着用していたもんぺスーツの素晴らしさを指摘されて退社、ファッションデザイナーとなる。 1952年から銀座の「たくみ工芸店」に勤務するかたわら、本来は洋裁のものである型紙や洋服地を和服に導入して、機能的な和装デザインを次々と考案した。
増永 霊鳳(ますなが れいほう、1902年(明治35年)3月… 増永 霊鳳(ますなが れいほう、1902年(明治35年)3月5日 - 1981年(昭和56年)12月29日)は、日本の仏教学者、曹洞宗の僧侶。駒澤大学名誉教授。仏教学専攻。 福井県福井市出身。駒澤大学仏教学部卒。同研究科卒。文学博士。駒澤大学仏教学部教授、駒澤大学短期大学部長を歴任。
皆吉 爽雨(みなよし そうう、1902年2月7日 - 198… 皆吉 爽雨(みなよし そうう、1902年2月7日 - 1983年6月29日)は、福井県出身の俳人。本名・大太郎。福井市上宝永町に生まれ、丸岡町、三国町に育つ。福井中学校(現福井県立藤島高等学校)卒業。1919年、住友電気工業に入社。「ホトトギス」に投句し高浜虚子に師事する。1922年、「山茶花」創刊に参加。1936年、「山茶花」選者。1945年に上京、1946年に「雪解」を創刊・主宰。1967年、句集『三露』などの功績より第1回蛇笏賞受賞。1979年、勲四等旭日小綬章受章。俳人協会副会長を務めた。墓所は東京都調布市の深大寺。 孫の皆吉司は俳人、画家。
中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月2… 中野 重治(なかの しげはる、1902年(明治35年)1月25日 - 1979年(昭和54年)8月24日)は、日本の小説家・詩人・評論家・政治家。代表作に小説『歌のわかれ』『むらぎも』『梨の花』『甲乙丙丁』、評論『斎藤茂吉ノオト』、詩集『中野重治詩集』など。詩人の中野鈴子は実妹、女優の原泉は妻。 福井県坂井市出身。東京帝国大学文学部独文科卒。四高時代に窪川鶴次郎らを知り、短歌や詩や小説を発表するようになる。東大入学後、窪川、堀辰雄らと『驢馬』を創刊、一方でマルクス主義やプロレタリア文学運動に参加し、「ナップ」や「コップ」を結成。この間に多くの作品を発表した。1931年に日本共産党に入ったが、検挙され1934年に転向する。
稲垣 達郎(いながき たつろう、1901年10月21日 - … 稲垣 達郎(いながき たつろう、1901年10月21日 - 1986年8月13日)は、日本近代文学の研究者である。
青柳菁々(あおやぎ せいせい 1901年〈明治34年〉7月1… 青柳菁々(あおやぎ せいせい 1901年〈明治34年〉7月16日 - 1957年〈昭和32年〉1月1日)は、福井県福井市出身の俳人。 講談社の月刊『現代』の編集記者を経て、新潮社に入社。『小説新潮』を創刊させる。1947年に独立し、近代出版社を創業。文芸書を中心とした書籍のほか月刊雑誌『文学の世界』を創刊、谷崎潤一郎、三島由紀夫らの作品を掲載した。 また俳人としては臼田亜浪の俳句結社「石楠」に参加、最高幹部となった。息子は、文化放送、フジテレビの元アナウンサーでジャーナリストの青柳森。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
安久 榮太郎(あんきゅう えいたろう、1901年(明治34年… 安久 榮太郎(あんきゅう えいたろう、1901年(明治34年)6月5日 - 1945年(昭和20年)4月13日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争で潜水艦輸送を23回成功させた伊38潜水艦長である。最終階級は海軍少将。 安久は福井県出身の海兵50期生である。海軍兵学校時代の校長は鈴木貫太郎、千坂智次郎で、安久は272名中95番で卒業した。練習艦隊は谷口尚真司令官に率いられ、片桐英吉、岸本鹿子治、田中頼三らの幹部に指導を受けた。術科学校で初級士官教育を受け、中尉進級後に呂59(駒沢克己艦長)に乗組んだのが潜水艦歴のはじまりである。水雷学校高等科、潜水学校乙種を履修し、安久は潜水艦専攻士官となる。 潜水学校乙種は潜水艦水雷長を養成する課程である。
古河 三樹(ふるかわ みき、男性、1901年1月16日 - … 古河 三樹(ふるかわ みき、男性、1901年1月16日 - 1995年5月18日)は、日本の編集者、歴史家。 京都府生まれ。本名・三樹松。古河力作の弟。工業学校応用化学科卒。大正末期、アナルコ・サンジカリストとして活動し、その後平凡社に勤務。退職後、四谷で古河書店を開く。また、古河三樹の筆名で、見世物の研究書を刊行した。
植木 庚子郎(うえき こうしろう、1900年〈明治33年〉1… 植木 庚子郎(うえき こうしろう、1900年〈明治33年〉1月28日 – 1980年〈昭和55年〉3月11日)は、昭和期の政治家、大蔵官僚。位階は正三位、勲等は勲一等。法務大臣(第15、28代)、大蔵大臣(第76代)、衆議院議員(9期)。 福井県丹生郡天津村清水山(後の清水町清水山、現在の福井市清水山町)に、清水伊右衛門の長男として生まれる。後に植木信一の養子となる。福井県立福井中学校(現・福井県立藤島高等学校)を首席で卒業後、第一高等学校を経て、1925年東京帝国大学法学部法律学科を卒業、大蔵省に入省する。税務監督局兼主税局属。 主計局調査課長、主計局予算課長、主計局長、専売局長官を歴任するが、1946年公職追放により退職する。
堀田 清治(ほった せいじ、1899年(明治32年)12月6… 堀田 清治(ほった せいじ、1899年(明治32年)12月6日 - 1984年(昭和59年)2月17日)は、日本の洋画家。福井県福井市出身。福井県立福井中学(現・福井県立藤島高等学校)卒業。日本の洋画壇を代表するフォーブ(野獣派)の巨匠。日展文部大臣賞ほか受賞歴多数。日洋展委員・動く美術館運営委員もつとめ、積極的な美術活動を展開し多くの俊秀を育てた。芸術院会員に推挙されながらも終始一貫して断り続ける信念の人でもあった。 福井市の紡績原料問屋の長男として生まれる。福井中学入学後油絵を描き始め、1920年(大正9年)に上京、太平洋美術研究所に入所し高間惣七に師事する。同研究所や高間らが結成した新光洋画会で最高賞を受賞後、帰郷した際に同郷の土岡秀太郎らとともに北荘画会を創立、福井の文化的地盤の形成に尽力する。
松村 知勝(まつむら ともかつ、1899年(明治32年)10… 松村 知勝(まつむら ともかつ、1899年(明治32年)10月13日 - 1979年(昭和54年)5月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。