植原 悦二郎(うえはら えつじろう、旧字体: 植原 悅二郞、… 植原 悦二郎(うえはら えつじろう、旧字体: 植原 悅二郞、1877年(明治10年)5月15日 - 1962年(昭和37年)12月2日)は、日本の政治家・政治学者。位階は正三位、勲等は勲一等。国務大臣・内務大臣。 長野県安曇郡、のちの南安曇郡明盛村(三郷村を経て現安曇野市)生まれ。3歳の時に生家が没落し、豊科高等小学校卒業後、製糸工場での女工の検番、横浜税関勤務を経て、1899年(明治32年)渡米。学校で給仕として働きながらハイスクールを出て、週刊紙『日米商報』を発行しながら、1907年(明治40年)ワシントン州立大学を卒業。ワシントン大学ではジョン・アレン・スミスの政治経済、ウイリアム・セーボリーの哲学などを学んだ。
堀江 久勝(ほりえ ひさかつ、1877年(明治10年)1月 … 堀江 久勝(ほりえ ひさかつ、1877年(明治10年)1月 - 没年不明)は、広島高等学校教授。族籍は長野県士族。 長野県士族・堀江久次の二男。松本市生まれ。1927年、家督を相続。1904年、東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。茨城県立太田中学校教諭、秋田鉱山専門学校教授同生徒監、山形高等学校教授等を歴任。 1922年、倫理及び教育研究のため独英に留学し、1924年、広島高等学校教授に任ぜられ1932年、退官する。趣味は文学、絵画、園芸。宗教は仏教。住所は広島市白島九軒町、東京市世田谷区玉川等々力町。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田中 穂積(たなか ほづみ、1876年(明治9年)2月17日… 田中 穂積(たなか ほづみ、1876年(明治9年)2月17日 - 1944年(昭和19年)8月22日)は、長野県出身の財政学者、法学博士、早稲田大学第4代総長。
加藤 清治(かとう せいじ、1875年11月17日 - 19… 加藤 清治(かとう せいじ、1875年11月17日 - 1957年5月28日)は、日本の歯学者。日本歯科医師会会長を務めた。 長野県上伊那郡宮田村出身。明治43年(1901年)日本歯科医学校卒業。大正4年(1915年)ノースウェスタン大学歯学部卒業。日本歯科医学専門学校口腔外科教授。同5年(1916年)同付属病院院長、同10年(1921年)宮内省侍医療御用掛、昭和11年(1936年)同専門学校長に就任した。同21年(1946年)日本歯科医師会会長、同22年(1947年)6月同専門学校の大学昇格に伴い学長事務取扱となったが、同年12月辞任した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高橋 偵造(たかはし ていぞう、1875年9月2日 - 19… 高橋 偵造(たかはし ていぞう、1875年9月2日 - 1952年9月26日)は、日本の農芸化学者。 長野県水内郡常盤村(現飯山市)生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、第一高等学校を経て、1900年東京帝国大学農学部農芸化学科を卒業。1907年農学博士となる。 大蔵省醸造試験所勤務を経て、1922年(大正11年)母校教授となり、農学部長をつとめ、発酵学、醸造学の講義を担当した。清酒や醤油、味噌などの自然純粋培養による菌学的研究を確立させた。日本農芸化学会会長、学士院会員を歴任。 1950年(昭和25年)、日本学士院(当時の第二部自然科学部門)会員になる。新会員一同は、昭和天皇から皇居に招かれたが高橋は欠席した。
樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - … 樋口 龍峡(ひぐち りゅうきょう、1875年5月14日 - 1929年6月6日)は、評論家、社会学者、政治家。 本名は樋口秀雄、別号は暁雪。1909年に文芸革新会を興し、自然主義批判の文芸評論家として活躍した一方で、1915年には衆議院議員に当選し、政治家としても活動した。
小口 忠太(おぐち ちゅうた、1875年1月6日 - 194… 小口 忠太(おぐち ちゅうた、1875年1月6日 - 1945年7月23日)は、日本の医師、医学者。特に眼科学の分野で著名な人物である。 長野県小県郡上田町(現上田市)生まれ。 1889年(明治22年)長谷川泰の済生学舎(のちの日本医学校、日本医学専門学校を経て日本医科大学)に入門し、3年で医師免状を下付された。 さらに東京帝国大学の選科生として河本重次郎に学び、修了後は軍医として1894年(明治27年)には日清戦争、1905年(明治38年)には日露戦争に従軍。陸軍軍医学校教官、陸軍医務局御用掛となる。 その後は東京第一衛戍病院に勤務。その間、「小口病」として学会に認められた特異な眼病患の最初の研究が成された。
中山久四郎(なかやま きゅうしろう、1874年2月10日-1… 中山久四郎(なかやま きゅうしろう、1874年2月10日-1961年9月7日)は、東洋史学者。
青柳 栄司(あおやぎ えいじ、1873年3月12日 - 19… 青柳 栄司(あおやぎ えいじ、1873年3月12日 - 1944年8月22日)は、日本の電気工学者。送配電に関する研究に従事し、半真空電球やタングステンアーク灯などを発明。窒素バリウムの製法と適用法を確立した。また電気工学講習所などの設立に尽くした。信濃国安曇郡上堀金村(現:長野県安曇野市)生まれ。
筧 克彦(かけい かつひこ、1872年12月28日〈明治5年… 筧 克彦(かけい かつひこ、1872年12月28日〈明治5年11月28日〉 - 1961年〈昭和36年〉2月27日)は、日本の法学者、神道思想家。東京帝国大学法学部教授、國學院大學教授。従三位勲二等法学博士。長野県諏訪出身。 諏訪大社のある筑摩県諏訪郡上諏訪(現・長野県諏訪市)に旧諏訪藩士筧朴郎の長男として生まれる。東京府尋常中学校、第一高等学校を経て、帝国大学法科大学入学。1897年(明治30年)、帝国大学法科大学法律学科首席卒業、法科大学卒業生総代。同期生には美濃部達吉(政治学科)など。大学卒業後直ちに大学院に入り、翌1898年から6年間ドイツに留学して、オットー・フォン・ギールケ、アドルフ・フォン・ハルナック、ヴィルヘルム・ディルタイなどに師事した。
吉田 静致(よしだ せいち、明治5年7月25日(1872年8… 吉田 静致(よしだ せいち、明治5年7月25日(1872年8月28日) - 昭和20年(1945年)10月4日)は日本の倫理学者。
大島 金太郎(おおしま きんたろう、明治4年9月18日(18… 大島 金太郎(おおしま きんたろう、明治4年9月18日(1871年10月31日) - 昭和9年(1934年)1月27日)は、日本の農学者。 長野県諏訪郡宮川村(現在の茅野市)で、先代・大島金太郎の長男として生まれる。1893年(明治26年)、札幌農学校を卒業し、1895年(明治28年)に札幌農学校の助教授に就任した。 1898年(明治31年)より農芸化学研究のためアメリカ合衆国・ドイツに留学し、アメリカでは農務省技師嘱託となった。1903年(明治36年)に帰国して札幌農学校教授となり、翌年から北海道庁技師を兼ねた。1907年(明治40年)、論文提出により農学博士の学位を得た。同年、札幌農学校が東北帝国大学農科大学に改称し、東北帝国大学教授となる。
加藤 正治(かとう まさはる、1871年4月29日(明治4年… 加藤 正治(かとう まさはる、1871年4月29日(明治4年3月10日) - 1952年(昭和27年)3月16日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。東京大学名誉教授。第11代中央大学学長、初代総長。日本郵船副社長加藤正義の養子になった。旧姓平林。岡野敬次郎に師事。弟子に兼子一、菊井維大など。 趣味は俳句、俳画、茶道。俳号の犀水は、犀川に由来。松本市城山公園には頌徳碑があるほか、句碑が多数残る。母校旧制中学の同窓会長や長野県人連合会長も務めた。大正6年、澤柳政太郎を総裁、加藤を副総裁として財団法人「日本アルプス会」が結成された。なお、弟子には商法学者の森清(中央大学名誉教授)がいた 1917年(大正6年)の高等学校旧制松本高校誘致運動では、横田秀雄・田中穂積らと連署で「高等学校設立建白書」を政府に提出し、松本への高等学校誘致に努めた。
金子 筑水(かねこ ちくすい、明治3年1月10日〈1870年… 金子 筑水(かねこ ちくすい、明治3年1月10日〈1870年2月10日〉 - 1937年〈昭和12年〉6月1日)は、日本の哲学者・思想・文芸評論家。 本名は金子 馬治(うまじ)。 1870年、長野県小県郡赤坂村(現上田市)生まれ。旧制上田中学(現・長野県上田高等学校)を経て、1893年東京専門学校(現早稲田大学)卒業後、]母校講師となる。 『早稲田文学』1898年2月に評論「所謂社会小説」を発表した。1903年ドイツに留学し、ライプツィヒ大学、ベルリン大学、ハイデルベルク大学で学んだ。帰国後の1907年より早稲田大学教授となり、哲学、心理学、美学を講義した。同大学文学部長、早稲田大学坪内博士記念演劇博物館長、常務理事を務めた。
矢澤 米三郎(やざわ よねさぶろう、1868年(慶応4年/明… 矢澤 米三郎(やざわ よねさぶろう、1868年(慶応4年/明治元年)5月2日 - 1942年(昭和17年)3月31日)は日本の博物学者、教育者である。日本におけるライチョウ研究の先駆者として知られる。 信濃国諏訪郡上金子村(現・長野県諏訪市)の寺子屋師匠矢沢正雄の長男として生まれる。長野県尋常師範学校を経て、明治26年(1893年)東京高等師範学校博物科卒業。同31年(1898年)から2年間、高師研究科に学び、長野師範教諭となる。河野齢蔵と乗鞍、白馬、八ヶ岳等の高山学術研究に着手し、矢沢が昆虫、河野が植物の生態観察を行い、幾多の新種を発見している。羽田貞義らと明治35年(1902年)信濃博物学会を設立し、幹事長となる。
土橋 八千太(つちはし やちた、慶応2年10月28日(186… 土橋 八千太(つちはし やちた、慶応2年10月28日(1866年12月4日)- 昭和40年(1965年)3月11日)はカトリック司祭・天文学者・漢学者。上智大学第3代学長。洗礼名はパウロ。弟は日本で初めて電気炉製鋼を実用化した土橋長兵衛である。1964年勲三等瑞宝章受章。 慶応2年、信濃国諏訪郡下桑原村(甲州街道上諏訪宿)生まれ。明治14年(1881年)、前年に長野県上諏訪村小和田(現諏訪市)の小学校を卒業したばかりの八千太は、諏訪を訪れたパリ外国宣教会の宣教師・ジュル・ラングレーの説教に感激し、明治15年(1882年)カトリックの洗礼を受ける。 上京後の明治19年(1886年)に上海に渡って神学校のヨハネ学院で学び、明治21年(1888年)9月7日にイエズス会に入会する。
中村 弥六(なかむら やろく、安政元年12月8日〔1855年… 中村 弥六(なかむら やろく、安政元年12月8日〔1855年1月25日〕 - 昭和4年〔1929年〕7月7日)は日本の林学者・農商務官僚・政治家(代議士)。号は「背水」または「背山」で、通称「背水将軍」。 日本初の林学博士の一人で、原敬首相暗殺犯中岡艮一の大叔父(中岡の父・精の叔父)にあたる。歴史学者の中山久四郎元東京文理科大学教授は養子で、その長女二三子は、南洋拓殖社長を務めた下田文一の妻。 信濃国伊那郡高遠城下(現在の長野県伊那市)に儒学者・中村元起(黒水と号す)の二男として生まれる。中村家は代々高遠藩の藩儒の家柄。明治2年(1869年)上京し安井息軒に学んだのち、翌年貢進生として開成学校に入学する。
井上 操(いのうえ みさお、弘化4年9月20日(1847年1… 井上 操(いのうえ みさお、弘化4年9月20日(1847年10月28日) - 明治38年(1905年)2月23日)は、日本の法律家。 信濃国松代城下(現・長野県長野市)に松代藩士・井上五郎左衛門の子として生まれる。藩の兵制士官学校で武田斐三郎について学び、司法省法学校に入学。在学中に山縣有朋の知遇を得る。1876年卒業。1882年から明治法律学校で治罪法(刑事訴訟法)の講義を担当。1886年、東京帝国大学教授に任じられるが、判事に転じて大阪控訴院評定官となり、その後、大井憲太郎らによる大阪事件の裁判のため、大阪重罪裁判所裁判長となった。関西法律学校が開校すると刑法などの講義を担当する。1890年大阪控訴院部長に進むが、1895年病気のため帰郷。
田中 義廉(たなか よしかど、天保12年2月11日(1841… 田中 義廉(たなか よしかど、天保12年2月11日(1841年4月2日) - 明治12年(1879年)10月3日)は日本の洋学者、教科書編纂者。号は天口酔史。博物学者の田中芳男は実兄。 信濃国伊那郡飯田城下(現在の長野県飯田市)に医師・田中隆三(如水)の六男として生まれた。幼名は大輔。兄の芳男とともに名古屋の伊藤圭介の門下となり、蘭学や医学を学ぶ。安政6年(1859年)江戸に出て、林洞海に蘭学や本草学を学ぶ。また海軍兵学と蒸気機関の研究に専念し、英語やフランス語を修めた。慶応3年(1867年)に幕府に出仕し、幕府海軍士官となる。同4年(1868年)の上野戦争では彰義隊に属した。明治2年(1869年)には新政府の海軍御用掛となって海軍操練所の設立に協力し、兵学大助教に進むが、学制発布を受けて、同5年(1872年)には文部省に転属し、小学校教科書の編纂に着手し、「小学読本」を発行。
田中 芳男(たなか よしお、天保9年8月9日(1838年9月… 田中 芳男(たなか よしお、天保9年8月9日(1838年9月27日) - 大正5年(1916年)6月22日)は、幕末から明治期の博物学者、動物学者、植物学者、農学者、園芸学者、物産学者。錦鶏間祗候、男爵。 「日本の博物館の父」として知られる。博物学や分類学における翻訳語の成立に関わった。市川清流によって考案された「博物館」という和製漢語を、町田久成とともに普及させた。東京国立博物館や上野動物園の設立に携わった。パリ万博やウィーン万博での日本の出展に貢献した。殖産興業や啓蒙活動に努めた。元老院議官、貴族院議員、大日本山林会会長、日本園芸会副会長を歴任した。 1838年(天保9年)8月9日、信濃国伊那郡飯田城下の中荒町(現在の長野県飯田市中央通り)に旗本千村氏の典医を務める医師田中隆三(号:如水)の三男として生まれた。
高橋 白山(たかはし はくざん、天保7年12月(1837年)… 高橋 白山(たかはし はくざん、天保7年12月(1837年) - 明治37年(1904年)3月10日)は幕末の漢学者。明治時代の教育者。諱は利貞。字は子和。通称は敬十郎。信州教育の開拓者と呼ばれる。 信濃国伊那郡高遠城下に高遠藩儒の高橋利常(確斎)の長男として生まれる。藩校進徳館で中村元起に学び、16歳で助教、文久3年(1863年)には師範代となり藩主の侍講も兼帯した。好学にして博識、在任の13年間で進徳館の蔵書3万冊をほとんど読みつくしたという。文政年間に江戸に出て藤森天山に入門、鷲津毅堂、大沼枕山らと交流した。 明治維新の際には白山の思想は危険視され、長尾無墨と共に藩を追放される。その後、幕府領の手良村野口(現伊那市)で開塾し、医者も兼ねた。
角田 忠行(つのだ ただゆき、天保5年11月6日(1834年… 角田 忠行(つのだ ただゆき、天保5年11月6日(1834年12月6日) - 大正7年(1918年)12月15日)は、日本の国学者・神官。通称は由三郎。 信濃国佐久郡長土呂村(現長野県佐久市)の近津神社の神主角田忠守と母小林氏の二男として生まれる。父は岩村田藩主の侍講、藩校達道館教授を務め、終身禄を受け藩士身分となった。弟(父忠守の四男)に同じく神官となった角田信道がいる。 安政2年(1855年)脱藩して江戸に出奔し、藤田東湖に入門。その後は国学者平田銕胤の門人となって塾の運営に関わった。文久3年(1863年)上洛して等持院にある足利三代木像梟首事件に首謀者の一人として関与し、幕吏に追われて伊那谷の松尾多勢子邸に潜伏。
赤羽 恒雄(あかは つねお、Tsuneo Akahane, … 赤羽 恒雄(あかは つねお、Tsuneo Akahane, 生年不明 - 2021年11月)は、日系アメリカ人の国際政治学者。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1974年オレゴン州立大学政治学部卒業。1975年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。1981年南カリフォルニア大学にて国際関係学Ph.D.取得。カンザス州立大学政治学助教授、オハイオ州ボーリング・グリーン州立大学政治学準教授を経て、カリフォルニア州モントレー国際大学国際政策学大学院教授・東アジア研究センター所長、国際連合大学客員教授、早稲田大学アジア太平洋研究センター客員教授を務めた。
刈間 理介(かりま りすけ)は東京大学環境安全研究センター准… 刈間 理介(かりま りすけ)は東京大学環境安全研究センター准教授。医学博士。
笠井 裕之(かさい ひろゆき)は、日本のフランス文学者、慶應… 笠井 裕之(かさい ひろゆき)は、日本のフランス文学者、慶應義塾大学法学部教授。 文学青年で、長野県屋代高等学校時代は文学部への入学を希望していたが、親戚から「文学をやって何になるんだ」と言われ、「つぶしのきく」法学部に入学。しかし政治の勉強には身が入らず、憂鬱な毎日を送っていた。そこで、履修していた一般教養科目のフランス文学の担当だった朝吹三吉に相談したところ、文学部への学士入学を勧められた。そして法学部卒業後、学士入学を果たし、フランス文学者の道を歩むこととなった。 ちなみに朝吹三吉の息子の朝吹亮二もフランス文学者であり、同じく慶應義塾大学法学部でフランス語を教えている。 専門分野はジャン・コクトーであり、いくつかの論文や共著の書籍を残している。
伊藤 順蔵(いとう じゅんぞう)は長野県出身の日本のバスケッ… 伊藤 順蔵(いとう じゅんぞう)は長野県出身の日本のバスケットボールのコーチ、早稲田大学教授。 諏訪清陵高校卒、早稲田大学政治経済学部卒、1957年(昭和32年)、早稲田大学大学院商学研究科修了。商学修士。 早稲田大学政治経済学部時代にバスケットボール選手として活躍。その後、早稲田大学バスケットボール部のコーチ・監督,早稲田実業高監督・総監督を歴任し,各種大会に好成績をあげる。早稲田大学教授。日本体育協会1級トレーナー。日本バスケットボール協会技術普及委員。ミニバスケットボール教室指導員。全国教育系大学・学生バスケットボール講習会講師を歴任。 伊藤順蔵(他)1977『バスケットボール_基礎と実践』成美堂出版
臼田 孝(うすだ たかし - )は、日本の機械工学者である。… 臼田 孝(うすだ たかし - )は、日本の機械工学者である。工学博士。産業技術総合研究所計量標準総合センターのセンター長。国際度量衡委員会の委員であり、キログラムの定義改正に参画した。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1987年3月、東京工業大学大学院総合理工学研究科修士課程修了。新日本製鐵(現・日本製鉄)勤務を経て、1990年4月、通商産業省工業技術院計量研究所(現在の産業技術総合研究所)に入所。1998年から1999年までドイツ物理工学研究所(英語版)で招聘研究員を務め、2000年から2001年までフランス国立科学研究センターで招聘研究員を務めた。現在は振動計測や物理センサの校正技術等に従事している。
金子 忠昭(かねこ ただあき)は、日本の工学者。 長野県諏訪… 金子 忠昭(かねこ ただあき)は、日本の工学者。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1986年国際基督教大学卒業。1991年大阪大学大学院学位取得。新技術事業団(現・新技術開発事業団)・日英国際共同研究研究員としてインペリアル・カレッジ・ロンドンに在籍。マックス・プランク物理学研究所研究員を経て、1997年関西学院大学理工学部物理学科助教授。2003年同大学同学部教授。2015年同大学同学部先進エネルギーナノ工学科教授。2021年同大学工学部教授。
小池 和幸(こいけ かずゆき)は、日本の物理学者。北海道大学… 小池 和幸(こいけ かずゆき)は、日本の物理学者。北海道大学名誉教授。専門は物性物理学。工学博士(東京大学、1986年)。1984年に世界初の高分解能スピン偏極走査電子顕微鏡(スピンSEM)を開発した。また、磁性材料の基礎及び応用研究も行っており、多重還流磁区構造の発見、強磁性/反強磁性結合機構および磁性ナノ粒子アレイの磁気構造の解明等の業績がある。
小松 和蔵(こまつ わぞう)は、日本の化学者。 長野県岡谷市… 小松 和蔵(こまつ わぞう)は、日本の化学者。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京工業大学(現・東京科学大学)卒業。同大学教授。定年退官後、東京農工大学教授、神奈川工科大学教授。
五味 武臣(ごみ たけおみ)は、日本の地理学者。 長野県諏訪… 五味 武臣(ごみ たけおみ)は、日本の地理学者。 長野県諏訪郡富士見町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1969年東京教育大学(現・筑波大学)理学部卒業。1974年同大学大学院理学研究科地理学専攻修了。金沢大学助手、同大学講師、同大学教育学部助教授を経て、同大学教育学部教授。石川県埋蔵文化財調査センター長 、歴史地理学会会長、石川地理学会会長、日本地理学会会長を務め、金沢大学定年退官後、同大学名誉教授。
杉本 麻樹(すぎもと まき)は、日本の情報工学者。慶應義塾大… 杉本 麻樹(すぎもと まき)は、日本の情報工学者。慶應義塾大学理工学部情報工学科教授。博士(工学)。 長野県飯田市出身。1996年長野県飯田高等学校卒業。2000年千葉工業大学工学部電子工学科卒業(指導教員:小林幸雄 教授)。2002年千葉工業大学大学院工学研究科情報工学専攻修士課程修了(指導教員:三井田惇郎 教授)、東京大学大学院情報学環研究補佐員(情報理工学系研究科舘暲・前田太郎・川上直樹研究室)、NTTコミュニケーション科学基礎研究所人間情報研究部客員研究員。2004年日本学術振興会特別研究員(DC1)。2005年マサチューセッツ工科大学コンピュータ科学・人工知能研究所客員研究員。2006年電気通信大学大学院電気通信学研究科機械制御工学専攻博士課程修了(指導教員:稲見昌彦 教授,松野文俊 教授)。
金井 浩(かない ひろし)は、日本の電気工学者。東北大学大学… 金井 浩(かない ひろし)は、日本の電気工学者。東北大学大学院工学研究科電子工学専攻および医工学研究科医工学専攻教授。専門は超音波計測。
塚本 徹雄(つかもと てつお)は、日本のウイルス学者、免疫学… 塚本 徹雄(つかもと てつお)は、日本のウイルス学者、免疫学者。専門は微生物学・免疫学で、特にヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染症の病態解析、レトロウイルス感染モデルを用いた白血病発症機構の研究で知られる。現在新潟医療福祉大学医療情報管理学科教授。 認知症当事者の家族としての経験を持ち、医療・福祉人材の育成にも関心を寄せている。 主な研究テーマは以下の通り。
西原 洋知(にしはら ひろとも、生年不明)は、日本の材料工学… 西原 洋知(にしはら ひろとも、生年不明)は、日本の材料工学者。東北大学材料科学高等研究所、東北大学多元物質科学研究所教授。専門は炭素材料学。長野県松本市出身。株式会社3DC 代表取締役CTOwww.3dc.co.jp
野明 敏治(のあけ としはる)は、日本の教育学者。 長野県諏… 野明 敏治(のあけ としはる)は、日本の教育学者。 長野県諏訪郡原村出身。諏訪郡立実科中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、第一高等学校卒業。糺の森の家と呼ばれた京都帝国大学官舎の狩野亨吉の家に書生として住み込んでいた。菅虎雄も一緒に住んでいた。糺の森の家には、夏目漱石も滞在したことがある。狩野を敬慕し、京都帝国大学に進学し卒業。1912年『國民教育原論 人道的帝國主義の教育』を執筆、上梓。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
井出 博生(いで ひろお)は、日本の医学者、社会政策学者。千… 井出 博生(いで ひろお)は、日本の医学者、社会政策学者。千葉大学医学部附属病院地域医療連携部准教授。東京大学未来ビジョン研究センター特任准教授。専門は医療政策、病院管理。 長野県長野市出身。慶應義塾大学環境情報学部卒業。同大学院政策メディア研究科修了。2011年12月東京大学より博士(医学)を取得。2014年より現職。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
平林 正司(ひらばやし まさじ)は、日本のヨーロッパ歴史学者… 平林 正司(ひらばやし まさじ)は、日本のヨーロッパ歴史学者。専門は、19世紀バレエ史、近代ヨーロッパ芸術史。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、 慶應義塾大学法学部卒業。 慶應義塾大学大学院法学研究科修了。同大学講師、同大学助教授を経て、同大学法学部教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
嶺 鶯(みね うぐいす、本名:嶺 輝子)は、日本の歌手、経営… 嶺 鶯(みね うぐいす、本名:嶺 輝子)は、日本の歌手、経営学者、会計学者。学位は博士(経営学)。嶺音楽事務所主宰。キングレコードに所属する演歌歌手。長野県飯山市出身。 駒澤大学卒業、神戸大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。 四国の私立大学、長崎大学経済学部助教授、私立大学などを経て、東京都立大学経済学部教授に就任。2006年度まで首都大学東京、2011年度まで宮崎産業経営大学教授を歴任。 自称「八王子の美空ひばり」。「八王子ルンバ」「ああ大学生」「アメリカンタンゴ」「チャールストン」(すべてc/w)、「新宿チャチャチャ」などの曲をリリースしている。 1996年、「恋の万華鏡」でデビュー。これまでアルバム4作、シングル21作品を発表している。
吉沢 英樹(よしざわ ひでき)は、日本の物理学者。 長野県岡… 吉沢 英樹(よしざわ ひでき)は、日本の物理学者。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1976年東京大学工学部物理工学科卒業。1981年同大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。1981年ブルックヘブン国立研究所物理部研究員。1984年東京大学物性研究所中性子回折物性部門助教授。1993年同大学物性研究所附属中性子散乱研究施設助教授。2001年同大学同研究施設教授。2003年同大学物性研究所附属中性子科学研究施設教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
宮坂 尚幸(みやさか なおゆき)は、日本の医学者、医師。専門… 宮坂 尚幸(みやさか なおゆき)は、日本の医学者、医師。専門は、周産期地域医療学。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1989年東京医科歯科大学(現・東京科学大学)医学部卒業。1995年同大学産婦人科医員。1999年同大学大学院医学研究科博士課程修了。2005年同大学大学院医歯学総合研究科寄附講座茨城県小児・周産期地域医療学講座教授。2015年同大学大学院医歯学総合研究科寄附講座茨城県小児・周産期地域医療学講座特任教授。2016年同大学大学院医歯学総合研究科医歯学系専攻器官システム制御学講座生殖機能協関学教授。2017年東京母性衛生学会理事長。2024年東京科学大学大学院医歯学総合研究科医歯学系専攻器官システム制御学講座生殖機能協関学教授。
濱 健夫(はま たけお)は、日本の環境学者。 長野県茅野市出… 濱 健夫(はま たけお)は、日本の環境学者。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1976年東京教育大学理学部卒業。1978年名古屋大学大学院理学研究科修士課程修了。1980年同大学同大学院博士課程修了。同大学助手を経て、1998年筑波大学助教授。2007年同大学大学院教授。筑波大学生命環境学群生物学類長。退官後、同大学名誉教授。獨協大学特任教授。父は教育者の濱栄助。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
和氣 純子(わけ じゅんこ) は、日本の社会福祉学者。東京都… 和氣 純子(わけ じゅんこ) は、日本の社会福祉学者。東京都立大学大学院人文科学研究科教授、日本社会福祉学会会長、日本学術会議会員。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京女子大学卒業後、アメリカ留学を経て、1996年東洋大学大学院社会学研究科社会福祉学専攻博士後期課程修了、博士(社会福祉学)。窪田暁子ゼミ出身。2007年度厚生統計協会川井記念賞受賞。 東京都老人総合研究所助手、東京都立大学人文学部講師、同助教授、首都大学東京都市教養学部・人文社会系助教授、同准教授を経て、2012年同教授。 2014年日本学術会議連携会員。2017年東京都社会福祉審議会委員。2018年文部科学省教科用図書検定調査審議会臨時委員。
水品 善之(みずしな よしゆき)は、日本の食品科学者、神戸学… 水品 善之(みずしな よしゆき)は、日本の食品科学者、神戸学院大学栄養学部栄養学科准教授を経て信州大学農学部教授(博士(理学))。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1994年東京理科大学理工学部応用生物科学科卒業、1998年東京理科大学大学院理工学研究科、1998年東京理科大学助手、2001年神戸学院大学栄養学部栄養学科助手から講師を経て、2007年助教授、2015年信州大学農学部教授にて現職。
山崎 健二(やまざき けんじ)は、日本の医学者、医師。専門は… 山崎 健二(やまざき けんじ)は、日本の医学者、医師。専門は心臓血管外科。次世代型人工心臓の研究開発者。 長野県諏訪市出身。1979年長野県諏訪清陵高等学校卒業。1985年北海道大学医学部卒業。東京女子医科大学日本心臓血圧研究所入局。1986年榊原記念病院心臓血管外科出向。福山循環器病院出向。1992年聖路加国際病院心臓血管外科出向。1993年ピッツバーグ大学医学部外科研究員。1997年同大学准教授。2007年東京女子医科大学心臓血管外科准教授。2008年同大学大学院医学研究科心臓血管外科循環制御学分野教授。早稲田大学生命医療工学研究所客員教授を兼任。2009年東京女子医科大学心臓血管外科主任教授。