夏目 忠雄(なつめ ただお、1908年(明治41年)9月8日… 夏目 忠雄(なつめ ただお、1908年(明治41年)9月8日 - 1997年(平成9年)9月30日)は、参議院議員(2期)。長野県長野市長(3期)。長野県議会議員。 長野市生まれ。松本高等学校文科甲類、1932年東京帝国大学法学部卒業。1955年長野県議会議員当選、2期目の途中で辞職し、1962年長野市長選挙に当選、1974年第10回参議院議員通常選挙長野県選挙区に自由民主党から出馬し、初当選。1979年第2次大平内閣科学技術政務次官、1980年第12回参議院議員通常選挙で再選した。 長野市長在任中は篠ノ井市等との2市6町村合併による「大長野市」の実現に尽力した。
青木 太郎(あおき たろう、1908年〈明治41年〉7月31… 青木 太郎(あおき たろう、1908年〈明治41年〉7月31日 - 1977年〈昭和52年〉)は、昭和期の歯科医師、政治家。中野市長。元中野市長の青木一は長男。 長野県下高井郡延徳村大字三ツ和(現・中野市三ツ和)で、元長野県議会議員の青木賢一郎と千代の長男として生まれた。青木家は代々松代藩の庄屋を勤役した旧家。 旧制長野中学(現・長野県長野高等学校)を経て、日本歯科医学専門学校(現・日本歯科大学)卒業後、東京帝国大学医学部修了(選科生)。帰郷し、中野で歯科医院を開業した。1937年(昭和12年)に応召し、1946年(昭和21年)陸軍大尉で復員した。 1947年(昭和22年)長野県議会議員に選出され2期在任。
田中 重弥(田中 重彌、たなか しげや、1908年(明治41… 田中 重弥(田中 重彌、たなか しげや、1908年(明治41年)3月30日 - 1993年(平成5年)2月25日)は、日本の出版実業家、俳人、衆議院議員(2世議員)。雅号は茂哉(しげや)。田中弥助の長男。 長野県長野市に生まれる。1926年(大正15年)旧制長野商業学校卒業。父業を継いで第一法規出版社長となる。1950年(昭和25年)、全法令を網羅した『現行法規総覧』全100巻を出版して行政関係者必備の書との声価を得て、1953年(昭和28年)から日本の古今の全裁判例を網羅した『判例体系』全300巻を刊行した。さらに一般書籍まで出版を広げ、美術書「光悦」、歴史書「日本政治裁判史録」は毎日出版文化賞特別賞受賞。
高砂 政郎(たかすな せいろう / まさろう、1907年(明… 高砂 政郎(たかすな せいろう / まさろう、1907年(明治40年)6月1日 - 1989年(平成元年)10月9日)は、昭和期の政治家。塩尻市長(第2代)。位階は正六位。勲五等双光旭日章。 長野県東筑摩郡塩尻町(現:塩尻市)生まれ。1925年(大正14年)3月、旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)卒業。1947年(昭和22年)塩尻町議会議員、1959年(昭和34年)4月、塩尻市議会議員に当選し1967年(昭和42年)4月まで連続2期在任。同年4月に前市長の小松多喜雄を2328票差の1万3170票で破り、塩尻市長に当選。全国初の日本共産党籍をもつ市長として注目された。前市長のワンマン体制への批判の他、高度経済成長下で、道路・交通問題、下水道や不足する住宅の整備、特別養護老人ホームの建設、公害対策など福祉や市民生活に直結した問題に取り組み支持を得た。
石井 泉(いしい いずみ、1907年〈明治40年〉3月31日… 石井 泉(いしい いずみ、1907年〈明治40年〉3月31日 - 1982年〈昭和57年〉2月4日)は、日本の農業経営者、政治家。長野県小県郡泉田村長、上田市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 長野県小県郡泉田村(現上田市)で、石井基、うた の長男として生まれた。泉田実業補習学校を卒業。農業を営む。 1944年(昭和19年)泉田村半過区長に就任。1951年(昭和26年)6月、泉田村助役となり、1955年(昭和30年)5月、同村長となり、翌年上田市に合併し、同市専門委員となる。1959年(昭和34年)5月、上田市議会議員に当選し、1963年(昭和38年)同議長を務めた。1969年(昭和44年)上田市監査委員に就任。
柳原 正之(やなぎはら まさゆき、1907年〈明治40年〉1… 柳原 正之(やなぎはら まさゆき、1907年〈明治40年〉1月2日 - 1989年〈平成元年〉10月28日)は、昭和期の農業技術者、政治家。長野県長野市長。位階は正五位。 長野県更級郡八幡村(現千曲市)で、柳原慶助、ゆみ の二男として生まれた。1924年(大正13年)3月、更級農業学校(現長野県更級農業高等学校)を卒業。 1928年(昭和3年)八幡村農会技手となり、1934年(昭和9年)長野県技手、1941年(昭和16年)農商務省技手、1944年(昭和19年)長野県農林技師、1951年(昭和26年)特産課長、1953年(昭和28年)農業改良課長、1955年(昭和30年)下伊那地方事務所長、1957年(昭和32年)地方課長、1959年(昭和34年)人事課長、1960年(昭和35年)人事委員会事務局長、1961年(昭和36年)企業局電気部長を歴任した。
座光寺 久男(ざこうじ ひさお、1907年〈明治40年〉1月… 座光寺 久男(ざこうじ ひさお、1907年〈明治40年〉1月1日 - 1978年〈昭和53年〉11月28日)は、昭和期の地方公務員、政治家。長野県駒ヶ根市長。 長野県下伊那郡上飯田村(現・飯田市)で、座光寺和作、ゆきの二男として生まれた。上飯田高等小学校卒業後、飯田の松濤義塾に学ぶ。1924年(大正13年)4月、上飯田町役場に入り、1933年(昭和8年)長野県庁に転じ長野県書記となり、学務部社会課勤務、飯田職業紹介所勤務、長野県職業課勤務、知事官房秘書課勤務、下伊那地方事務所兵事厚生課長、同総務課長を歴任した。1947年(昭和22年)6月、飯田市助役に就任し、1956年(昭和31年)6月、駒ヶ根市助役に転じた。
原 賢一(はら けんいち、1906年(明治39年)11月4日… 原 賢一(はら けんいち、1906年(明治39年)11月4日 - 1974年(昭和49年))は、昭和期の政治家。長野県上伊那郡西箕輪村長、伊那市長。 長野県上伊那郡西箕輪村(現伊那市)生まれ。旧制伊那中学(長野県伊那北高等学校)を経て、1934年(昭和9年)東北帝国大学を卒業。東筑摩郡入山部実業公民学校教諭に就任。その後、渡満し炭鉱会社に勤めた。 1945年(昭和20年)西箕輪村嘱託となり、戦後の農地問題に取り組む。1951年(昭和26年)西箕輪村長に就任。1955年(昭和30年)合併後の伊那市議会議員となり初代議長を務めた。 1958年(昭和33年)4月、伊那市長選挙に当選し、1966年(昭和41年)4月まで2期務めた。
池上 隆祐(いけがみ たかすけ、1906年(明治39年)1月… 池上 隆祐(いけがみ たかすけ、1906年(明治39年)1月15日 - 1986年(昭和61年)4月3日)は、日本の民俗学者、政治家。衆議院議員、信濃木崎夏期大学理事長。 1906年、長野県東筑摩郡松本町(現松本市)で、商家・池上良三の五男として生まれた。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)、旧制松本高等学校理科乙類を経て、東京帝国大学で学んだ。学生時代は柳田国男に師事し、赤羽一雄ら信州白樺派の教員とも交流を持った。 卒業後は農林省研究所に勤務。義兄の有賀喜左衛門とともに民俗学雑誌『郷土』の編集と発行にあたり、菅江真澄遊覧紀の刊行にあたっては信濃の部を担当した。長野県をたびたび訪れた折口信夫らとも交誼を深めた。
小林 運美(こばやし かずみ、1905年(明治38年)8月1… 小林 運美(こばやし かずみ、1905年(明治38年)8月18日 - 1978年(昭和53年)10月2日)は、日本の実業家、政治家。男性。 長野県小県郡上田町(現上田市)生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、上田蚕糸専門学校製糸科卒業。山十製糸に入社し、中央蚕糸会、全国産業組合製糸組合連合会、全国共営蚕糸組合などの蚕糸団体の役職を歴任し、昭和4年(1929年)ニューヨークで開かれた第2回国際生糸技術会議に出席した。また日本紡毛会長、東邦製糸取締役、帝国製糸専務などを歴任した。 同22年(1947年)第23回衆議院議員総選挙に長野県第2区から出馬し、初当選した。改進党中央常任委員や、国会対策委員を務めた。
吉川 久衛(きっかわ きゅうえ、1905年4月10日 - 1… 吉川 久衛(きっかわ きゅうえ、1905年4月10日 - 1978年6月20日)は農業協同組合運動の推進者、衆議院議員。 長野県上伊那郡飯島村生まれ。赤穂村立公民実業学校(長野県赤穂高等学校)を経て、1932年に明治大学法学部英法学科卒業。同年農林省(現・農林水産省)に入省し大臣官房吏員、興農合作社中央会科長、中央農業会課長、戦時農業団秘書役などを歴任した。戦時中は満洲に5年間派遣された。 1947年の第23回衆議院議員総選挙を皮切りに長野県第3区から出馬し、断続的に計8回当選した。 衆議院では農林政務次官(第2次鳩山一郎内閣)、農林水産・決算・地方行政の各常任委員長などを歴任し、農業基本法・農業管理法の制定、農協共済制度・農林年金制度の確立などに功績があった。
松橋 久左衛門(まつはし きゅうざえもん、1905年(明治3… 松橋 久左衛門(まつはし きゅうざえもん、1905年(明治38年)1月2日 - 1970年(昭和45年)11月30日)は、日本の政治家。長野県長野市長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 長野市生まれ。家業は鋼材商「鍋久」で、代々「松橋久左衛門」を襲名する。旧制長野中学(長野県長野高等学校)、旧制松本高等学校文科を経て、1929年東京帝国大学経済学部卒業。家業の鋼材商「鍋久」を承継し、長野市連合青年会長、長野市会議員を経て、昭和14年(1939年)長野県会議員となる。 同21年(1946年)長野市長臨時代理者となり、翌年に施行された初の公選による長野市長選挙で当選。また戦後の特例で長野県議会議員を兼務し、議長として「分県論」を収束させた。
羽生 三七(はにゅう さんしち、1904年〈明治37年〉1月… 羽生 三七(はにゅう さんしち、1904年〈明治37年〉1月13日 - 1985年〈昭和60年〉12月30日)は、大正、昭和期の日本の政治家、社会運動家。日本社会党参議院議員。「参議院の良心」と呼ばれた論客であった。 明治37年(1904年)1月13日長野県下伊那郡鼎村(現・飯田市)に米屋の長男として生まれる。飯田の松濤義塾に学び、家業のかたわら青年運動に参加する。山川均と出会い社会主義運動に加わるようになる。大正11年(1922年)秋、「下伊那文化会」を発展させ、自由青年連盟(Liberal Younger's League)を結成し、機関誌『第一線』を発行する。大正13年(1924年)治安警察法違反で検挙、起訴され、禁固4か月の判決を受ける。
村瀬 清(むらせ きよし、1904年 - 1966年4月27… 村瀬 清(むらせ きよし、1904年 - 1966年4月27日)は日本の政治家。初代東京都千代田区長。
筒井 直久(つつい なおひさ、1903年(明治36年)11月… 筒井 直久(つつい なおひさ、1903年(明治36年)11月12日 - 2002年(平成14年)11月10日)は、日本の公吏、政治家、実業家。松本市長。 長野県東筑摩郡神林村(現松本市)で、筒井浜十郎、きん の五男として生まれた。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校文科甲類を経て、1930年(昭和5年)京都帝国大学法学部卒業。 1932年(昭和7年)東京府公吏となり、東京市社会局、麻布区総務課長などを務めた後、1945年(昭和20年)退職し帰郷。1946年(昭和21年)8月から1947年(昭和22年)3月まで松本市助役・市長代理に就任した。 同年4月に施行された、初の公選による松本市長選挙に当選。
花村 政温(はなむら まさはる、1903年(明治36年)7月… 花村 政温(はなむら まさはる、1903年(明治36年)7月22日 - 1978年(昭和53年)8月20日)は、日本の農業技術者、政治家。長野県東筑摩郡宗賀村長(3期)、長野県塩尻市議会議員、長野県塩尻市長(第3代、2期)を歴任した。位階は正六位。勲四等瑞宝章。 長野県東筑摩郡宗賀村本山(現・塩尻市)生まれ。1920年(大正9年)3月、東筑摩郡立農学校を卒業。小学校代用教員、村立宗賀実業補習学校助教諭を務めた後、1932年(昭和7年)に穀物検査員として長野県庁に勤務し、同県農産物検査技術補、農産物検査監督員、食糧検査所支所長などを務め、後に食糧事務所長となる。1945年(昭和20年)の終戦後は、GHQ軍政部と折衝して、長野県内の窮迫した食糧事情の好転に一役買った。
春日 佳一(かすが かいち、1903年(明治36年)6月24… 春日 佳一(かすが かいち、1903年(明治36年)6月24日 - 1981年(昭和56年)11月13日)は、昭和期戦後の政治家。長野県飯山市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 長野県下水内郡外様村(現飯山市)で、春日寿平、とも の四男として生まれた。1921年(大正10年)3月、旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。同年、外様村小学校教諭を勤め、1931年(昭和6年)に退職。 1947年(昭和22年)4月、外様村長に就任し1期在任。1954年(昭和29年)12月には合併後の飯山市議会議員となり、1956年(昭和31年)に議長となる。1961年(昭和36)飯山市教育委員に就任し翌年まで在任した。
羽田 武嗣郎(はた ぶしろう、1903年〈明治36年〉4月2… 羽田 武嗣郎(はた ぶしろう、1903年〈明治36年〉4月28日 - 1979年〈昭和54年〉8月8日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(7期)。第80代内閣総理大臣を務めた羽田孜の父。 長野県小県郡和田村(現・長和町)に羽田貞義の三男として生まれる。福島中学(現・福島県立福島高等学校)、旧制新潟高等学校を経て、1929年に東北帝国大学法文学部卒業。東京朝日新聞社に入社し、政治部に勤務。 政治部記者から鉄道大臣秘書官となり、1937年に立憲政友会公認で第20回衆議院議員総選挙に立候補し当選。「羽田書店」を創立する。社員には後に独立してみすず書房を創業する小尾俊人らがいた。 1939年の政友会分裂に際しては中島知久平が総裁を務める政友会革新同盟(革新派、中島派)に所属。
若林 忠一(わかばやし ちゅういち、1903年(明治36年)… 若林 忠一(わかばやし ちゅういち、1903年(明治36年)4月1日 - 1977年(昭和52年)5月28日)は、日本の農民運動家、政治家。長野県更埴市長。 長野県埴科郡屋代町(現千曲市)生まれ。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)を中退し、独学で法政大学経済学部に進学し、在学中から社会主義運動に参加し、1924年(大正13年)中途退学して帰郷。 更級・埴科地方の自作・小作農民層の青年らを集めて「北信社会思想研究会」を立ち上げ、これに教員らが参加して、1925年(大正14年)政治研究会長野県評議会を組織し、幹事長となる。1926年(大正15年)労働農民党(労農党)に入党。1927年(昭和2年)屋代町に長野県小作組合連合会(日本農民組合長野県連合会)を組織し、その中心人物として県下の農民運動を主導した。
長谷川 晃一(はせがわ こういち、1903年(明治36年)4… 長谷川 晃一(はせがわ こういち、1903年(明治36年)4月1日 - 1967年(昭和42年)4月25日)は、早稲田大学政治経済学部教授、同学部教養諸学研究会評議員、早稲田大学世界連邦研究会会長、世界連邦建設同盟常任理事・国際部長。 1903年4月1日、長野県上田市に生まれる。 1920年5月、渡米しカリフォルニア州の商業高校に入学し、1923年6月に卒業する。同年9月、オハイオ州のマイアミ大学に入学する。1927年6月に卒業し、政治経済学でB.A.の学位を受ける。同年9月、シンシナティ大学大学院都市行政学科に入学する。1928年6月、修了しM.A.(修士)の学位を受ける。同年9月、コロンビア大学大学院の市政学科に入学する。
三ッ井 卯三男(みつい うさお、1903年(明治36年)3月… 三ッ井 卯三男(みつい うさお、1903年(明治36年)3月8日 - 1977年(昭和52年)8月14日)は、日本の政治家。第16代鹿児島市長。位階は正四位。 長野県飯山市出身。東京高等商業学校(現・一橋大学)選科修了、九州帝国大学法文学部卒業。卒業後は長野、山形、福岡の各県の中学教師となる。1938年福岡県庁に入り、社会教育、振興、厚生の各課長を経て、1943年海軍司政官になる。帰国後の1947年福岡県秘書課長から鹿児島県庁に転じ、教育、総務の各部長、副知事を歴任する。 1959年の鹿児島市長選に保守系から立候補したが、元串木野市長で革新系の平瀬實武に敗れて落選した。4年後の1963年の市長選に現職の平瀬に挑戦する形で再び立候補し、前回と同じ保革対決となり、選挙の結果、現職の平瀬を破り当選した。
篠井 恵四郎(しのい えしろう、1902年(明治35年)2月… 篠井 恵四郎(しのい えしろう、1902年(明治35年)2月21日 - 1965年(昭和40年))は、日本の政治家。長野県飯山市長。 長野県下水内郡飯山町(現飯山市)生まれ。1919年(大正8年)3月、旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。飯山町議会議員、同町消防団長、同町助役を経て、1953年(昭和28年)9月、飯山町長に当選し、昭和の大合併では1町6村の新設合併を実現した。 1954年(昭和29年)飯山市制施行に伴い初代市長となり、1958年(昭和33年)9月まで1期務めた。在任中は市庁舎の竣工や照岡ダムの建設、市内有線放送の整備などに力を入れた。
小川 一雄(おがわ かずお、1901年(明治34年)9月2日… 小川 一雄(おがわ かずお、1901年(明治34年)9月2日 - 1971年(昭和46年))は、昭和時代の政治家。長野県諏訪郡ちの町長、茅野市長。 長野県諏訪郡永明村(現・茅野市)に生まれる。1919年(大正8年)湖畔学堂を卒業、富士見銀行に入社する。ついで、永明村収入役を経て、1949年(昭和24年)ちの町助役、同町長を歴任し、1955年(昭和30年)に茅野町が成立すると同町長に就任した。この間、諏訪郡町村会長、諏訪耕地協会長を兼任し、1958年(昭和33年)茅野市が発足すると、同市長となり1967年(昭和42年)4月まで3期務めた。 市長在任中には、道路整備、学校施設の整備、市民会館(現在の茅野市民館の前身)着工などの施策を進め、茅野市森林組合長、長野県国民健康保険連合会副理事長、諏訪林業振興会長、諏訪郡市水道研究会会長、茅野市観光連盟会長、茅野市農業共済組合長、諏訪土木振興会長、八ヶ岳中信高原国定公園協議会長などの要職を兼任。
倉島 至(くらしま いたる、1901年(明治34年)6月19… 倉島 至(くらしま いたる、1901年(明治34年)6月19日 - 1993年(平成5年)3月4日)は、日本の政治家。長野県長野市長(2期)。 長男はジャーナリストの倉嶋康、弟は気象学者の倉嶋厚。 長野市生まれ。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)、旧制松本高校文科甲類を経て、1925年東京帝国大学法学部法律学科卒業。1925年朝鮮総督府に奉職。終戦時は慶尚北道内務部長、1946年引揚げ。1947年法政大学工業専門学校の教授から長野市助役となる。1951年長野県地方労働委員会事務局長。 1954年の長野市長選挙に立候補して初当選し、2期務めた。 在任中は飯綱高原の観光開発に乗り出し、スキー場やキャンプ場などを開設。
唐木田 稲治郎(からきだ いねじろう、1901年(明治34年… 唐木田 稲治郎(からきだ いねじろう、1901年(明治34年)2月26日 - 1980年(昭和55年)9月24日)は、日本の政治家、実業家。長野県埴生町長や更埴市長、長野県議会議員を務めた。 長野県埴科郡屋代町(現・千曲市)に唐木田藤左衛門、きい夫妻の4番目の末子として生まれる。家業が傾き、母と二人で親戚の家に間借りをしていたが、1907年(明治40年)、6才の時に母が病気で急逝。その後、親戚に預けられたり、養子に出されるなどを繰り返し、小学校を5度も変わる生活に追込まれた。上の兄姉たちは叔父の鈴木小右衛門(長野市長)の世話となり上級学校に進んでいたが、稲治郎は尋常小学校を卒業後、丁稚奉公に出る。
丸山 久雄(まるやま ひさお、1900年(明治33年)10月… 丸山 久雄(まるやま ひさお、1900年(明治33年)10月12日 - 1985年(昭和60年))は、大正後期から昭和期の教育者、政治家。長野県中野市長。位階は従五位。 長野県下高井郡倭村(現中野市)で、教育者・丸山久保吉の長男として生まれた。長野師範学校卒業後、1921年(大正10年)7月、公立小学校訓導に就任。1922年(大正11年)兵役につく。除隊後、下高井郡高丘小学校長、平穏小学校長、中野小学校長を歴任し、長野県視学などを経て、1947年(昭和22年)下高井郡教育会長を務めた。長野県教職員組合執行委員長を経て1955年(昭和30年)長野県教育委員会教学指導課長に就任した。 1962年(昭和37年)8月、中野市長選挙に当選し、1970年(昭和45年)8月まで2期務めた。
清水 重美(しみず しげみ、1900年(明治33年)8月20… 清水 重美(しみず しげみ、1900年(明治33年)8月20日 - 1999年〈平成11年〉1月6日)は、昭和期の地方公務員、政治家。長野県飯田市長。男性。位階は従六位。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)で、清水宗一、あき の長男として生まれた。1916年(大正5年)3月、長野県組合立竜東農学校卒業。1919年(大正8年)公立実業学校教師となる。1939年(昭和14年)長野県技師に転じ、県立農業講習副所長を務め、1952年(昭和27年)長野県経済部農業改良課長、1954年(昭和29年)南佐久地方事務所長を歴任。1955年(昭和30年)飯田市助役に就任し、13年間在任した。 松井卓治市長の後継者として1968年(昭和43年)10月、飯田市長選挙に当選し、1972年(昭和47年)10月まで1期務めた。
倉石 忠雄(くらいし ただお、1900年(明治33年)7月2… 倉石 忠雄(くらいし ただお、1900年(明治33年)7月2日 - 1986年(昭和61年)11月8日)は、日本の政治家。労働大臣、農林大臣、法務大臣。位階は正三位。 長野県更級郡稲荷山町(現・千曲市)に、製糸用繭問屋を経営していた倉石万平の子として生まれる。少年時代の友人に漫画家の近藤日出造がいる。長野中学(現・長野県長野高等学校)を経て、1925年に法政大学法科 を卒業。法大在学中は法政大学弁論部で活動。森恪の知遇を得て、立憲政友会の院外団にも参加する。この活動で同じく院外団メンバーだった大野伴睦と知り合った。 大学卒業後は婦人雑誌を発行していた「婦女界社」に入社する。同社社長の都河竜に目をかけられ二女徳子と結婚、媒酌人は森格が務め、音羽の鳩山一郎邸に一時身を寄せた。
林 浩正(はやし ひろまさ、1900年(明治33年)2月1日… 林 浩正(はやし ひろまさ、1900年(明治33年)2月1日 - 1979年(昭和54年))は、日本の実業家、政治家。長野県岡谷市長。 長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)で、丸千鉄工所経営・林乙次郎、たけ の長男として生まれた。平野農蚕学校(現長野県岡谷工業高等学校)を卒業。家業の鉄工場を承継し、戦時中の軍事産業の拡大に伴い社業も盛んとなった。戦後の再建整備計画に基づき、1950年(昭和25年)岡谷造機を設立して社長に就任し、船舶やガス用のバルブやコックの製作に当たった。また、岡谷市消防団長、同消防長を務め、1951年(昭和26年)4月、長野県議会議員に選出され3期在任。1960年(昭和35年)長野県人事委員会委員長に就任し1962年(昭和37年)まで務めた。
小林 武治(こばやし たけじ、1899年(明治32年)8月2… 小林 武治(こばやし たけじ、1899年(明治32年)8月28日 - 1988年(昭和63年)10月12日)は、昭和期の政治家。静岡県知事・厚生大臣・郵政大臣・法務大臣。参議院議員3期。 長野県北佐久郡南大井村平原(現小諸市)に、農家の二男として生まれる。旧制野沢中学校、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部英法科に入学。五高時代は池田勇人・佐藤栄作と同級生であった。また東大時代は濱口雄幸の息子・濱口巌根(元・日本長期信用銀行頭取)と机を並べた。 1923年高等試験行政科に合格する。逓信次官を務めたことのある濱口雄幸の勧めもあり、翌1924年に東大卒業後、逓信省に入省する。以後秘書課長、逓信省総務局、熊本逓信局、逓信院次長と順調に昇進を重ねた。
野溝 勝(のみぞ まさる、1898年(明治31年)11月15… 野溝 勝(のみぞ まさる、1898年(明治31年)11月15日 - 1978年(昭和53年)8月22日)は、日本の政治家、農民運動家。衆議院議員、参議院議員、左派社会党書記長、芦田内閣の地方財政委員会委員長。正三位勲一等瑞宝章。 長野県上伊那郡赤穂村(現在の駒ヶ根市)に馬車屋の子として生まれる。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、1917年(大正6年)青森農業学校畜産獣医科を卒業する。同年法政大学に入学するが、すぐに中退し、獣医師となり、長野県警察部で防疫官、衛生助手として勤務する。しかし思想的に問題があるとみなされて、長野県下伊那郡富草警察署(現・阿南警察署)に配置換えとなる。しかし、ここでも署長と衝突し、1922年(大正11年)に退職した。
増田 甲子七(ますだ かねしち、1898年(明治31年)10… 増田 甲子七(ますだ かねしち、1898年(明治31年)10月4日 - 1985年(昭和60年)12月21日)は、昭和戦後期の政治家。吉田茂の側近として、運輸大臣、労働大臣、内閣官房長官、自由党幹事長などを歴任。
降旗 徳弥(ふるはた とくや、1898年9月18日 - 19… 降旗 徳弥(ふるはた とくや、1898年9月18日 - 1995年9月5日)は、日本の政治家、実業家。信濃日報社長、信越放送取締役、長野放送社長、衆議院議員、第2次吉田内閣の逓信大臣、松本市長などを歴任した。映画監督の降旗康男は三男。
西村 彰一(にしむら しょういち、1898年(明治31年)5… 西村 彰一(にしむら しょういち、1898年(明治31年)5月8日)- 1958年(昭和33年)11月24日)は、日本の農林官僚、教育者、政治家。富山県知事、大東文化大学教授、衆議院議員。旧姓・永井。 長野県上水内郡古牧村平林(現長野市)出身。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)、松本高等学校理科を経て1923年、東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業し、翌1924年、同大法学部政治学科を卒業。農林省に入り農林属となる。 以後、農林事務官、農林書記官、大阪営林局長、農林省山林局長などを歴任。1944年2月、富山県知事に就任し、同年7月まで在任。農商省農政局長に移り、さらに馬政局長官、農林省開拓局長を務めた。
松沢 兼人(松澤、まつざわ けんじん / かねんど / かね… 松沢 兼人(松澤、まつざわ けんじん / かねんど / かねと、1898年(明治31年)1月10日 - 1984年(昭和59年)5月23日)は、日本の社会運動家、教育者、政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(3期)。 新潟県北蒲原郡水原町(現阿賀野市)で、裁判官の息子として生まれる。父の転勤に伴い各地の小学校へ転校した。1915年、長野県立上田中学校を卒業し、第七高等学校造士館に入学。同年12月、メソヂスト鹿児島教会(現:日本基督教団鹿児島加治屋町教会)で洗礼を受けた。1918年、東京帝国大学法科大学政治学科に入学し、新人会の結成に加わった。1921年、同大法学部を卒業した。 卒業後、大阪市社会部に勤務し、その後、大阪労働学校主事兼講師に就任。
小松 直治(こまつ なおじ、1897年〈明治30年〉8月29… 小松 直治(こまつ なおじ、1897年〈明治30年〉8月29日 - 1985年〈昭和60年〉)は、日本の政治家。長野県諏訪市長。 長野県諏訪郡上諏訪町(現諏訪市)で、小松直助、ゑひ の長男として生まれた。旧制諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1919年(大正8年)東京高等商業学校専攻科を卒業した。 1928年(昭和3年)上諏訪町会議員(3期)に選出され、1929年(昭和4年)同町名誉職助役(3期)に就任。1939年(昭和14年)長野県会議員(4期)となり、1947年(昭和22年)から昭和24年(1949年)までと、1951年(昭和26年)から同28年(1953年)まで副議長を務めた。 1955年(昭和30年)に諏訪市長選挙に当選し、1963年(昭和38年)4月まで2期務めた。
唐木田 藤五郎(からきだ とうごろう、1897年〈明治30年… 唐木田 藤五郎(からきだ とうごろう、1897年〈明治30年〉7月14日 - 1968年〈昭和43年〉3月3日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 長野県更級郡屋代町(現千曲市)生まれ、小県蚕業学校(長野県上田東高等学校)を経て、大正8年(1919年)上田蚕糸専門学校製糸科(現信州大学繊維学部)卒業。横浜の合名会社「茂木」に入社するが、経営難から退社し、翌年東華洋行を創業し、横浜港での国際貿易に当たったが、同12年(1923年)の関東大震災の打撃を受ける。同15年(1926年)日本蚕糸機械商会、昭和5年(1930年)日本ダイガスト、昭和8年(1933年)国光社出版部を創業するなど、京浜地方で多くの企業に関与した。
堀込 義雄(ほりごめ よしお、1897年(明治30年)7月1… 堀込 義雄(ほりごめ よしお、1897年(明治30年)7月10日 - 1981年(昭和56年))は、日本の政治家。長野県小県郡神川村長、上田市長。 長野県小県郡神川村蒼久保(現上田市)で生まれた。1916年(大正5年)3月、旧制上田中学校(現長野県上田高等学校)を卒業。1940年(昭和15年)南佐久郡大日向青年学校長、1944年(昭和19年)同郡北牧穂青年学校長、1945年(昭和20年)北佐久郡軽井沢青年学校長に就任。 1947年(昭和22年)4月、神川村長に当選し2期在任。菅平硫黄採掘反対運動の中心人物として、神川水系1市10ヶ村鉱毒対策委員長に推薦され、要求貫徹に全力を尽くした。1955年(昭和30年)4月、長野県議会議員に選出され1期在任。
小岩井 浄(こいわい きよし、1897年〈明治30年〉6月9… 小岩井 浄(こいわい きよし、1897年〈明治30年〉6月9日 ‐ 1959年〈昭和34年〉2月19日)は、日本の社会運動家、教育者、弁護士、政治家。愛知大学第3代学長。 長野県東筑摩郡島立村(現在の松本市)に小岩井宗十の長男として生まれる。父・宗十は松本での分県移庁運動で検挙(のちに無罪)された経験のある社会運動家で、1902年に妻子を残して単身渡米し、カリフォルニアで農園経営者として成功したとも、消息を絶ったとも伝えられる。 1911年、旧制長野県立松本中学校(現在の長野県松本深志高等学校)に入学。1915年、同校を本荘太一郎校長との衝突を理由に中退。その後旧制諏訪中学校(現在の長野県諏訪清陵高等学校)に入学する[要出典]。
熊谷 友一郎(くまがい ともいちろう、1897年(明治30年… 熊谷 友一郎(くまがい ともいちろう、1897年(明治30年)1月7日 - 1966年(昭和41年))は、大正から昭和時代の政治家。長野県伊那市長。 長野県上伊那郡伊那町(現・伊那市)に生まれる。松本中学校(現長野県松本深志高等学校)を卒業後、西春近小学校教員を2年間務め、渡米し1916年(大正5年)コロンビア大学を卒業した。 帰国後は火災保険代理店を営み、荒井区長、伊那町消防組頭、同町農地委員、同町会議員を経て、1949年(昭和24年)伊那町長に就任。上伊那郡町村会長、長野県町村長会副会長を兼任した。1954年(昭和29年)の町村合併の折には、伊那市実現に向け尽力し、市制施行と共に同年4月30日に初代伊那市長に就任し、1958年(昭和33年)4月まで1期務めた。
林 将英(はやし まさひで、1897年(明治30年) - 1… 林 将英(はやし まさひで、1897年(明治30年) - 1961年(昭和36年))は、日本の政治家。長野県岡谷市長。 長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)生まれ。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業[要出典]。1915年(大正4年)から家業の製糸業に従事。1917年(大正6年)一年志願兵として歩兵第50連隊に入隊し、1930年(昭和5年)陸軍中尉に進んだ。経営困難に陥った山一林組製糸の経営再建に乗り出し軌道に乗せた。このほか、共栄製糸など諏訪地方の複数の中小製糸会社の社長を歴任。 1927年(昭和2年)3月、平野村助役となり1933年(昭和8年)3月まで在任。同年4月、平野村会議員となり1936年(昭和11年)3月まで務めた。
吉田 正(よしだ ただし、1896年10月20日 - 196… 吉田 正(よしだ ただし、1896年10月20日 - 1969年8月19日)は、日本の政治家。実業家。
塩原 時三郎(しおばら ときさぶろう、1896年(明治29年… 塩原 時三郎(しおばら ときさぶろう、1896年(明治29年)2月18日 - 1964年(昭和39年)10月27日)は、日本の逓信官僚、政治家。衆議院議員、通信院総裁・逓信院総裁、官選清水市長。 長野県更級郡八幡村(現・千曲市)出身。和田開蔵の長男として生まれ、山林技師・塩原谷五郎の養子となる。旧制長野中学、第八高等学校を経て、1920年(大正9年)7月、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。在学中の1919年(大正8年)4月、国家主義的学生団体興国同志会(国本社の前身)の結成に参画した。 大学卒業後、官界に入り逓信局書記兼逓信属・東京逓信局兼電気局勤務となる。1921年(大正10年)11月、高等試験行政科試験に合格。
清水 逸平(しみず いっぺい / いつへい、1895年(明治… 清水 逸平(しみず いっぺい / いつへい、1895年(明治28年)11月5日 - 1983年(昭和58年)2月16日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、狭山市名誉市民。入間川ゴム創業者。 1895年(明治28年)、長野県小県郡上田町(現:上田市)で生まれた。日本大学専門部法律科で学んだ。 東北銀行倉庫部支配人、大和ゴム製作所第二工場長、日本工業工場長、入間川ゴム取締役社長、新潟ゴム取締役社長、同会長、扶桑商事取締役会長、日本東部ゴム工業組合理事、日本ゴム工業組合連合会医療用品部長、東京鑑識化学研究所顧問、全国商工会連合会副会長などを務めた。 1949年(昭和24年)1月、第24回衆議院議員総選挙で埼玉県第二区に民主自由党所属で出馬して当選。
小野 祐之(おの すけゆき、1895年(明治28年)6月5日… 小野 祐之(おの すけゆき、1895年(明治28年)6月5日 - 1944年(昭和19年)7月18日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・小沢。長男は元塩尻市長の小野光洪。 長野県上伊那郡小野村(現辰野町小野)で、小沢五郎三郎の三男として生まれ、東筑摩郡筑摩地村(現塩尻市北小野)の小野郡吾の養子となる。旧制長野県立松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を経て、1920年、早稲田大学専門部政治経済科を卒業。陸軍に志願して入隊し2年後に歩兵少尉で除隊し、1928年、予備役歩兵中尉に昇進。帝国在郷軍人会本会審議員、同第十四師管連合支部審議員、同東筑摩郡連合分会長、同東筑摩郡将校分団長、同長野支部参事など、在郷軍人会の役職を務めた。
小山 亮(こやま まこと、1895年2月4日 - 1973年… 小山 亮(こやま まこと、1895年2月4日 - 1973年2月9日)は、日本の政治家(衆議院議員)。 自由民権運動家で衆議院議員を務めた長野県小諸出身の小山久之助の次男として、東京市麹町に生まれる。6歳の時に父が亡くなり、父の郷里である小諸に移る。1912年3月、小諸町立小諸商工学校(現・長野県小諸商業高等学校)を卒業後上京し、父と知遇のあった大隈重信から援助を得て三重県立鳥羽商船学校(現・鳥羽商船高等専門学校)に入学したが1年で退学、新潟県立新潟商業学校(現・新潟県立新潟商業高等学校)の商船科に移ったがここもその年に退学し、1914年3月に愛媛県立弓削商船学校(現・弓削商船高等専門学校)に移り、1919年に卒業した。
上條 貢(かみじょう みつぎ、1894年11月10日 - 1… 上條 貢(かみじょう みつぎ、1894年11月10日 - 1977年2月6日)は日本の政治家、弁護士。浅草区議(1期)、東京市議(2期)、東京都議(5期)、第13代都議会議長、第6−8代台東区長を歴任した。 長野県生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、日本大学法律学科卒業。東京市で弁護士を開業。 1934年から浅草区会議員を1期4年務めた。1937年3月16日から1943年6月30日まで東京市会議員を2期務めた。1943年9月13日の第1回東京都議会議員選挙で当時の浅草区選挙区から立候補して、初当選する。都議会では、消防委員会委員長(1948年から1949年)、オリンピック大会招致実行委員会委員長(1953年から1954年)を歴任した。
上条 愛一(上條、かみじょう あいいち、1894年(明治27… 上条 愛一(上條、かみじょう あいいち、1894年(明治27年)10月2日 - 1969年(昭和44年)2月18日)は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 長野県東筑摩郡今井村(現:松本市)で生まれた。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)卒業後、代用教員を経て、1920年、早稲田大学政治経済科を卒業。同年、読売新聞社に記者として入社した。 1920年、大日本労働総同盟友愛会東京連合会書記に就任。1925年、第7回国際労働総会に日本労働代表随員として渡欧した。その後、日本労農党、日本労働組合同盟の結成に参画し、1936年、日本労働組合会議書記長に就任した。 戦後、日本社会党に入党し、日本労働組合総同盟(総同盟)全繊同盟総主事、総同盟副会長、中央労働委員会労働者側委員、全繊同盟政治顧問などを歴任した。
池田 宇右衛門(いけだ うえもん、1894年〈明治27年〉5… 池田 宇右衛門(いけだ うえもん、1894年〈明治27年〉5月3日 - 1960年〈昭和35年〉1月5日)は、日本の政治家。参議院議員。 長野県上水内郡三輪村(現長野市)生まれ。同郡上松農業会評議員を経て、長野市農会総代、副会長から会長となった。1928年(昭和3年)長野市会議員、1939年(昭和14年)長野県会議員となる。農村青年教育に力を入れ、中年青年代表者の指導員設置を提唱し、女子専門学校や市道展望道路の開通に尽力した。その他、養蚕組合長、長野県農会常任理事、全国都市農会常任理事、同副会長、長野市、長野県各参事会員、都市計画地方委員、長野県蚕糸会、同園芸協会各副会長、長野県花卉組合連合会、長野市農業協同養蚕組合連合会各会長などを歴任した。
北原 名田造(きたはら なだぞう、1894年(明治27年)4… 北原 名田造(きたはら なだぞう、1894年(明治27年)4月1日 - 1990年(平成2年)10月29日)は、大正から昭和期の政治家、篤農家。長野県駒ヶ根市長。号は竹雲山人。 長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市)で、北原久次郎、やす の三男として生まれた。旧制飯田中学(現長野県飯田高等学校)を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学農科大学の農地実地見習を修了、同附属果樹園主任となり、1920年(大正9年)桔梗ヶ原に北原農場を開設し、果樹野菜栽培や畜産の先駆となる。 1947年(昭和22年)長野県議会議員となり、同副議長も務めた。1951年(昭和26年)欧米各国を視察し、1952年(昭和27年)長野県人事委員会委員長、長野県総合開発審議会会長などを歴任。