鈴木 敬彦(すずき よしひこ、1934年6月7日 - 202… 鈴木 敬彦(すずき よしひこ、1934年6月7日 - 2022年7月26日)は、日本の実業家。遠州鉄道株式会社の第6代社長。 静岡県浜松市出身。遠州鉄道株式会社の第2代社長の鈴木俊雄氏の次男で、1958年に慶應義塾大学法学部を卒業後、遠州鉄道株式会社に入社。1994年から2005年まで11年間遠州鉄道第6代社長を務めた。社長在任中はバブル崩壊後の厳しい経営環境の中で「お客様第一主義」を掲げ、事業の多角化を推進しグループ経営の礎を築いた。また、1988年の遠鉄百貨店開業の担当役員として準備を主導し、1990年 - 1994年には遠鉄百貨店の社長も務めた。また、遠州鉄道の保険事業を全国有数のアメリカンファミリー販売代理店に育てあげたほか、遠州鉄道社長時代に路線バスの利用促進に向けて浜松市と「オムニバスタウン計画」を展開。
後藤 修(ごとう おさむ、1934年4月1日 - 2019年… 後藤 修(ごとう おさむ、1934年4月1日 - 2019年9月10日)は、静岡県出身のプロ野球選手(投手)・ゴルフコーチ。 現役時代は日本プロ野球史上最多の8球団を渡り歩いたジャーニーマンで、移動型民族になぞらえて「ジプシー後藤」「ジプシーの修」と呼ばれた。 磐田南高校時代は全く無名の存在であったが、アマチュア時代からトレーニング方法について手紙でやりとりをしていた新田恭一が松竹ロビンス監督に就任した関係で、1952年に松竹へ入団。 前述のとおり、松竹(1952年)を皮切りに、大洋松竹ロビンス(1953年 - 1954年)→東映フライヤーズ(1955年)→大映スターズ(1956年)→読売ジャイアンツ(1957年 - 1958年)→近鉄バファロー(1959年 - 1960年)→南海ホークス(1961年 - 1962年)→西鉄ライオンズ(1963年)と8球団に所属。
鈴木 克美(すずき かつみ、1934年3月23日 -2024… 鈴木 克美(すずき かつみ、1934年3月23日 -2024年12月28日 )は、日本の魚類学者・水族館学者、東海大学名誉教授。 静岡県浜松市生まれ。興誠高等学校を経て1956年東京水産大学増殖学科卒。1980年「日本産ハナダイ類の生態学的研究」で東京大学農学博士。江の島水族館飼育主任、金沢水族館副館長、1968年東海大学講師、助教授、1975年同海洋研究所助教授、1981年教授、海洋科学博物館副館長、館長、社会教育センター学芸室長。1999年定年退任、名誉教授。
青木 靖明(あおき やすあき、1934年1月26日 - )は… 青木 靖明(あおき やすあき、1934年1月26日 - )は、大原簿記学校の中興の祖であり、大原学園の創設者である。
千野 忠男(ちの ただお、1934年1月21日 - 2008… 千野 忠男(ちの ただお、1934年1月21日 - 2008年7月17日)は、静岡県藤枝市出身の大蔵(財務)官僚。血液型はO型。国際金融局長、財務官、アジア開発銀行総裁などを歴任。正四位瑞宝重光章。 ざっくばらんで竹を割ったような性格。主計局主計官補佐時代には農林係主査を5年間務め、省内きっての農政通とされていた。 事務次官候補として主計官補佐(主査)、主計局総務課企画官、主計官、大臣官房文書課長、近畿財務局長を経験していたが、大学時代にスタンフォード大学に長期間留学していたため、他の同期より年齢が上で、主計局長→事務次官の順番待ちの最中に定年の壁に引っかかるため、同期の篠沢を主計コースとし、千野は財務官となる国際金融コースへと変更となった。
山崎 充(やまざき みつる、1934年〈昭和9年〉1月 - … 山崎 充(やまざき みつる、1934年〈昭和9年〉1月 - 1993年〈平成5年〉9月)は、日本の経済学者(地域経済学)。 株式会社静岡銀行での勤務を経て、財団法人静岡経済研究所研究部部長、株式会社地域経済研究所代表、専修大学北海道短期大学経済科教授、東海大学沼津教養部教授、静岡県立大学経営情報学部教授などを歴任した。 静岡県出身の経済学者である。地場産業に関する研究で知られており、地場産業論の第一人者とされた。テレビやラジオなどマスメディアで広く活動したことでも知られている。静岡銀行に勤務し、静岡経済研究所で活動した。専修大学北海道短期大学、東海大学、静岡県立大学などで教鞭を執り、後進の育成に努めた。
伊藤 寿男(いとう としお、1934年 - )は日本の企業経… 伊藤 寿男(いとう としお、1934年 - )は日本の企業経営者、編集者。元『週刊現代』編集長。元『フライデー』創刊編集長。月刊テーミス編集主幹。 1934年(昭和9年)、静岡県榛原郡相良町(現・牧之原市)に誕生し、1958年(昭和33年)、早稲田大学卒業後、講談社に入社する。『月刊現代』編集長、『週刊現代』編集長を経て学芸図書第二出版部長、再び『週刊現代』編集長を務めた後、取締役第一編集局長に就任し、1984年に『フライデー』創刊編集長を兼務する。また、この間には日本雑誌協会の編集委員会副委員長はじめ、取材委員長、雑誌記者会幹事長を歴任する。 1988年(昭和63年)に同社を退社し、株式会社テーミスを創業、代表取締役社長兼編集主幹となる。
伊藤 芳明(いとう よしあき、1933年12月30日 - )… 伊藤 芳明(いとう よしあき、1933年12月30日 - )は、静岡県浜名郡北浜村貴布祢(現:浜松市浜名区)出身の元プロ野球選手(投手、左投左打)・コーチ。 中学時代に野球を始めるが、肩が強く左投げだったため投手となる。興誠商業高校では2年生からエースとなり、3年次の1951年の夏の甲子園の静岡県予選の前には新聞に「ダークホース」と書かれたが、1回戦で静岡市立高校に0-1で敗れた。 1952年に中央大学へ進学すると、1年の春季から東都大学リーグで登板。2年次の1953年春季のリーグでは5勝を挙げて中央大学の全勝優勝に貢献する。同年の大学選手権でも勝ち上がるが、決勝で立大に敗れ準優勝となった。しかし、同年の夏場に背中の筋肉を痛める。
半澤 孝麿(はんざわ たかまろ、1933年12月15日 - … 半澤 孝麿(はんざわ たかまろ、1933年12月15日 - )は、日本の政治学者。旧・東京都立大学名誉教授。 静岡県沼津市生まれ。東京大学法学部卒業。東京大学法学部助手。堀豊彦に師事。東京都立大学教授(1975-1997)、和洋女子大学教授(1997-2004)を歴任。 エドマンド・バークからサミュエル・テイラー・コールリッジにいたるイギリス政治思想の研究者として知られる。半澤の学風は、南原繁以来の東京大学の堅実なアカデミズムに立つが、同時にテキストを、余分な思い入れなしにその生まれたコンテキストのなかで読み直そうとするJ・G・A・ポーコック、クェンティン・スキナー、ジョン・ダンらの方法論をも取り入れたものである。
江﨑 善三郎(えざき ぜんざぶろう、1933年〈昭和8年〉1… 江﨑 善三郎(えざき ぜんざぶろう、1933年〈昭和8年〉11月23日 - 2016年〈平成28年〉3月13日)は、日本の実業家。江﨑新聞店会長。静活社長。毎日新聞東京懇話会最高顧問。江崎とも表記される。旧姓田中。位階は従六位。 静岡市出身。1952年(昭和27年)、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1956年(昭和31年)、慶應義塾大学文学部英文学科卒業。明治42年創業の江﨑新聞店3代目社長。1980年(昭和55年)、静活入社。静活、静岡オリコミ各社長、毎日新聞の主要販売所長で作る毎日新聞東京懇話会会長を務めた。1996年(平成8年) - 2012年(平成24年)、静岡県文化協会会長。2007年(平成19年)、静岡県と浙江省の友好提携二十五周年を記念して交流する派遣団団長。
田辺昭三(たなべ しょうぞう、1933年(昭和8年)8月8日… 田辺昭三(たなべ しょうぞう、1933年(昭和8年)8月8日 - 2006年(平成18年)2月20日)は、日本の考古学者。須恵器の研究や、日本における水中考古学の研究に先鞭をつけたことで知られる[要出典]。奈良大学助教授となり、後に同教授に昇格。京都市埋蔵文化財研究所調査部長、京都芸術短期大学教授・京都造形芸術大学教授、神戸山手大学教授。 1933年、静岡県小笠郡菊川町(現菊川市)で生まれた。中学生だった1948年、登呂遺跡の発掘調査に参加。同年、菊川市の白岩遺跡の発掘調査も手伝った。この際東洋大学教授の和島誠一に出会い、強い影響を受けた。これらの経験を通して、早くから考古学に傾倒していった。1952年、静岡県立掛川西高等学校を卒業。
川村 秀(かわむら すぐる、1933年6月4日 - )は、日… 川村 秀(かわむら すぐる、1933年6月4日 - )は、日本の歴史学者、翻訳家、通訳。 1933年(昭和8年)6月4日、静岡県沼津市生まれ。東京都立北園高等学校(旧・東京府立第九中学校)を経て、早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。ロシア史家。翻訳家。川上貿易、蝶理等のモスクワ駐在員を経て、1990年(平成2年)、積水樹脂とアース・コーポレーションを設立、代表取締役副社長としてモスクワ常駐。その間、ロシア科学アカデミー東洋学研究所と日露文化センターを設立。1994年(平成6年)に退職後は、大学への留学生の交換や研究論文の発表など日露間の学術・文化交流に従事。また、晩年の杉原千畝を直接知る数少ない歴史の証人として、その事績を若い世代に伝えている。
安倍 寧(あべ やすし、1933年5月21日 - )は、日本… 安倍 寧(あべ やすし、1933年5月21日 - )は、日本の音楽評論家。 静岡県生まれ。東京都立日比谷高等学校、慶應義塾大学文学部仏文学科卒業。大学在学中の1955年、フリーライターとしてショー・ビジネス、芸能界に関わり、美空ひばり、越路吹雪、フランク・シナトラ、エルヴィス・プレスリー、ビートルズなどについて評論を書く。 1965年以降、ニューヨークのブロードウェイ、ロンドンのウエスト・エンドで多くのミュージカルを観る。日本レコード大賞実行委員、審査委員を務めた。浅利慶太は大学時代からの友人(1951年に慶應義塾大学で二人は出会った)であり、劇団四季取締役も務めた。その他、エイベックス・ホールディングス株式会社顧問など。
田中 良昭 (たなか りょうしょう、1933年3月3日 - … 田中 良昭 (たなか りょうしょう、1933年3月3日 - 2016年1月12日)は、日本の曹洞宗の僧侶(静岡県菊川市正林寺住職)、仏教学者(中国禅宗史・敦煌文献、文学博士)、曹洞宗総合研究センター所長、駒澤大学総長・名誉教授。妻は賀来(田中)良江でタンダバハダンスカンパニィを主催し児童舞踊に大きく貢献した。
宮内 婦貴子(みやうち ふきこ、1933年2月27日 - 2… 宮内 婦貴子(みやうち ふきこ、1933年2月27日 - 2010年2月16日、本名:杉本婦貴子)は、日本の脚本家。 1933年(昭和8年)2月27日、静岡県三島市に生まれる。元々は小説家になりたかったという。神奈川県立横浜立野高等学校(入学時は神奈川県立横浜第二高等女学校)を卒業後は人形劇団に入る。たまたまCM会社に勤務する友人を訪ねると、ちょうどレジスターのCMの台本を書いている時で「あなたもやってみない?」と誘いがあったという。そこでCMライターになろうと思ったが、どうせなら脚本家を目指せばという話になり、紹介された東宝のプロデューサーから勧められてシナリオ研究所に入所、その後東宝シナリオ研究生を経て日活と契約。
小林 功典(こばやし よしのり、1933年2月20日 - )… 小林 功典(こばやし よしのり、1933年2月20日 - )は、日本の厚生官僚。第23代社会保険庁長官。薬害エイズ事件時の厚生省薬務局長。 静岡県静岡市出身。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1956年、東京大学法学部卒業。同年、厚生省入省。1972年、医務局指導課長、1973年、内閣審議官、1976年、社会保険庁年金保険部計画課長、1977年、保健局企画課長、1979年7月、大臣官房会計課長、1981年8月、社会保険庁年金保険部長、1982年11月、大臣官房総務審議官、1984年8月、薬務局長、1986年6月、社会局長、1989年、社会保険庁長官、1990年6月、退任。同年同月、財団法人厚生年金事業団副理事長。
生田 浩二(いくた こうじ、1933年〈昭和8年〉2月3日 … 生田 浩二(いくた こうじ、1933年〈昭和8年〉2月3日 - 1966年〈昭和41年〉3月23日)は、日本の社会主義運動家。共産主義者同盟(共産同・ブント)創立者。 静岡県静岡市出身。静岡城内高校2年の時、共産党に入党。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。同年東京大学入学。教養学部細胞のリーダーとして活動。共産党が武装闘争路線を転換した1955年(昭和30年)の六全協の後、大学に戻り、授業料値上げ反対闘争を指導。1956年(昭和31年)、経済学部に進み、自治会中央委員会議長として砂川基地反対闘争などを指導。1958年(昭和33年)、東大細胞機関誌「マルクス・レーニン主義」を創刊、党中央と理論的に対立し、島成郎らとブントを組織、1959年(昭和34年)8月事務局長。
宇波 彰(うなみ あきら、1933年1月24日 - 2021… 宇波 彰(うなみ あきら、1933年1月24日 - 2021年1月6日)は、日本の哲学者、文芸・芸術評論家。明治学院大学名誉教授。 1933年、静岡県浜松市生まれ。静岡県立浜松北高等学校を卒業し、東京大学文学部仏文科を卒業した。同大学院哲学科修士課程修了。埼玉県立川越高校、同所沢高校などの教諭をしながら、雑誌などに評論を発表するほか、フランス現代思想の翻訳を数多く上梓した。1990年、明治学院大学文学部教授となる。2001年に定年退職した。その後は札幌大学教授として教鞭をとり、2005年に退職。
大村 和市郎(おおむら わいちろう、旧姓: 横田、1933年… 大村 和市郎(おおむら わいちろう、旧姓: 横田、1933年1月1日 - 2003年以前)は、静岡県出身のサッカー選手。 静岡県立静岡城内高等学校(現:静岡県立静岡高等学校)時代の1950年に全国高等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)静岡県予選で藤枝東高校を決勝で下し優勝。中部ブロック予選で山梨県の韮崎高校を下し代表権を獲得し、選手権ではベスト8進出に貢献した。 立教大学を経て、田辺製薬へ加入。1950年代に全日本実業団サッカー選手権大会で強さを誇った同クラブの中心選手として活躍した。 日本代表としては、1956年6月3日のメルボルンオリンピック予選、対韓国戦で代表デビュー。
大村 喬一(おおむら きょういち、1933年 - )は、日本… 大村 喬一(おおむら きょういち、1933年 - )は、日本の外交官。在ユネスコ日本代表大使や、駐モロッコ特命全権大使、奈良大学総合研究所長などを務めた。 静岡県立清水東高等学校を経て、1957年一橋大学法学部卒業、外務省入省。1972年外務省中近東アフリカ局アフリカ課長。1974年在イラン日本国大使館一等書記官。1976年経済協力開発機構日本政府代表部参事官。1977年大蔵省国際金融局投資第三課長。 1979年外務大臣官房領事移住部外務参事官。1980年外務大臣官房外務参事官兼大臣官房領事移住部。1981年在モントリオール日本国総領事館総領事。1982年在フランス日本国大使館公使。 1983年在フランス日本国大使館公使ユネスコにおける日本政府代表大使。
吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年 - )は、日本の・弁護… 吉田 豊(よしだ ゆたか、1933年 - )は、日本の・弁護士。民法学者。東京学芸大学及び中央大学名誉教授。東京都出身。川村泰啓門下。
森田 実(もりた みのる、1932年〈昭和7年〉10月23日… 森田 実(もりた みのる、1932年〈昭和7年〉10月23日 - 2023年〈令和5年〉2月7日)は、日本の政治評論家。株式会社森田総合研究所代表取締役。 妻の甥に医師で民主党に在籍していた、元衆議院議員の石森久嗣がいる。 静岡県伊東市出身。伊東西小、伊東北中、相洋高校を経て東京大学工学部鉱山学科卒業。在学中に日本共産党に入党し、香山健一、島成郎、生田浩二、青木昌彦らとともに全日本学生自治会総連合の指導部を形成した。破壊活動防止法反対闘争(1952年)、原水爆禁止運動(1955年)、砂川闘争(1957年)、安保闘争(1958年〜1960年)などに携わる。その後、日本共産党幹部と殴り合いを演じて共産党を除名されると、1958年、多くの学生党員らと共に共産主義者同盟(ブント)を結成し、主に労対関係の任に当たっていた。
中山 儀助(なかやま ぎすけ、1932年10月22日 - )… 中山 儀助(なかやま ぎすけ、1932年10月22日 - )は、日本の元政治家、農家。 静岡県藤枝市岡部町でみかんと茶の生産を手がける農業を営む。元岡部町議会議員。第3子(長男)の中山雅史は、元プロサッカー選手、元ヤマハ発動機社員。 農家の長男として生まれ、家業を継いだ。岡部町議会議員を3期12年務めた(勇退後も岡部町の様々な役職を務める)。 1993年、長男・雅史がFIFAワールドカップアジア最終予選(ドーハの悲劇)で有名になると、父親の儀助も静岡弁丸出しで(いまだに)息子・雅史を「小僧」と呼ぶなどの飾らない言葉づかいや話し振り、人柄の良さが世間の注目を浴び、「ゴン父」の愛称で知られるようになった。
中村 宏(なかむら ひろし、1932年9月20日 - )は、… 中村 宏(なかむら ひろし、1932年9月20日 - )は、日本の画家。日本大学藝術学部美術学科卒業。東京造形大学客員教授。児童文学の挿絵を担当する際は「中村ヒロシ」の表記も使用する。静岡県浜松市出身。
鈴木 和男(すずき かずお、1932年9月6日- )は、日本… 鈴木 和男(すずき かずお、1932年9月6日- )は、日本の牧師。 静岡県沼津市生まれ。静岡県立沼津東高等学校卒業。東京神学大学大学院修了。1968-70年、ドイツ・ヴッパータール神学大学において、ゲオルク・アイヒホルツ教授に学ぶ。日本基督教団田浦教会、長野県町教会、鎌倉教会、青森教会を経て、2002年より引退牧師。
岩井 活水(いわい かつみ、1932年8月17日 - 没年不… 岩井 活水(いわい かつみ、1932年8月17日 - 没年不明)は、静岡県出身のプロ野球選手。
荻村 伊智朗(おぎむら いちろう、1932年6月25日 - … 荻村 伊智朗(おぎむら いちろう、1932年6月25日 - 1994年12月4日)は、日本の卓球の元世界チャンピオン、指導者。第3代国際卓球連盟会長、日本卓球協会副会長(1987年 - 1994年)を歴任した。 現役時代は日本代表として世界卓球選手権で男子歴代5位となる計12個の金メダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を代表する選手として活躍した。引退後は卓球の普及に尽力し、また1971年には「ピンポン外交」の立役者の一人として米中関係の改善に努めた。1987年からは第3代国際卓球連盟会長、日本卓球協会副会長を務め、1991年の世界選手権千葉大会では、南北朝鮮の合同チーム結成に尽力した。1994年12月4日に死去。
丸尾 敏夫(まるお としお、1932年(昭和7年)6月17日… 丸尾 敏夫(まるお としお、1932年(昭和7年)6月17日 - 2019年7月11日)は、日本の医学者。専門は眼科学。帝京大学名誉教授。静岡市出身。 1932年、静岡市に生まれる。1952年、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1958年、東京大学医学部卒業。1965年、東京大学医学部講師。1971年、帝京大学医学部教授。2000年、帝京大学医学部長。2003年、帝京大学名誉教授。2004年、帝京大学医療技術学部長。2009年、帝京大学医療技術学部客員教授。 東京大学医学部眼科学教室在籍中、外眼筋の生理研究において、萩原朗が日本で初めて筋電図を導入、久保木鉄夫により研究が開始され、丸尾敏夫、石川哲らによって大成された。
佐藤 大八郎(さとう だいはちろう、 1932年(昭和7年)… 佐藤 大八郎(さとう だいはちろう、 1932年(昭和7年)6月1日 - 2008年(平成20年)5月28日)は、日本の数論学者。学位はDoctor of Philosophy(カリフォルニア大学ロサンゼルス校・1963年)。東京福祉大学教授。完全k乗二項係数図形における「Sato-Strausの定理」を発見した。 静岡県富士宮市出身。東京教育大学を卒業後に渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校でMsc(Master of Science)とPh.D.(Doctor of Philosophy)の学位を取得した。その後、カナダのサスカチュワン大学、レジャイナ大学で教鞭を執り1997年に退職。2000年から2006年まで東京福祉大学教授を務めた。
池谷 淳(いけたに きよし、1932年〈昭和7年〉4月29日… 池谷 淳(いけたに きよし、1932年〈昭和7年〉4月29日 - 2021年〈令和3年〉6月4日)は、日本の政治家。実業家。元静岡県下田市長。 下田市出身。1951年(昭和26年)静岡県立下田北高等学校(現・静岡県立下田高等学校)卒業。1955年(昭和30年)中央大学法学部卒業。 1958年(昭和33年)味の素に入社。1961年(昭和36年)スーパー下田専務、1962年(昭和37年)三和観光常務、1965年(昭和40年)カネヤス商事代表取締役を歴任。1971年(昭和46年)4月より1984年(昭和59年)6月まで下田市議会議員を延べ4期13年つとめたのち、下田市長選挙に立候補し当選。1984年(昭和59年)7月より2000年(平成12年)7月まで、歴代の下田市長としてはもっとも長い4期16年をつとめた。
東泉 東二(とうせん とうじ、1932年4月22日)は、静岡… 東泉 東二(とうせん とうじ、1932年4月22日)は、静岡県出身のプロ野球選手(投手)。 静岡県立韮山高等学校在学中には、1950年の第22回選抜高等学校野球大会に出場。速球、ドロップを武器に、エースとして全4試合に投げ抜き、同校の初出場初優勝に大きく貢献した。この大会での活躍が目に留まり、翌1951年に東急フライヤーズに入団。しかしプロの壁は厚く、8試合登板・未勝利に終わり、1953年に退団。プロ退団後は日本石油でプレーした。 非常に練習熱心な選手で、シャドーピッチングで自宅の部屋をボロボロにしたというエピソードが残っている。
丸尾 直美(まるお なおみ、男性、1932年4月21日 - … 丸尾 直美(まるお なおみ、男性、1932年4月21日 - 2020年11月21日)は、日本の経済学者。尚美学園大学名誉教授。専攻は福祉国家論、経済政策。特に、スウェーデンの福祉や経済政策について研究した。 静岡県小笠郡浜岡町出身。1955年慶應義塾大学経済学部卒業。1962年同大学院経済学研究科博士課程満期退学。1974年慶大経済学博士(論文タイトルは『福祉経済政策の原理:経済成長と福祉の関係についての研究試論』)。 1963年中央大学経済学部専任講師、1972年教授。1989年慶應義塾大学総合政策学部教授。1998年日本大学総合科学研究所教授。2002年尚美学園大学教授、2006年名誉教授。
大畑 庄作(おおはた しょうさく、1932年4月9日 - )… 大畑 庄作(おおはた しょうさく、1932年4月9日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。
小沢 冬雄(おざわ ふゆお、1932年3月14日 - 199… 小沢 冬雄(おざわ ふゆお、1932年3月14日 - 1995年3月19日)は、日本の小説家、比較文学者。 静岡県掛川市生まれ。本名・小沢虎義。東京大学文学部仏文科卒。中学校、高校の教師を経て、常葉学園大学教授。1974年「鬼のいる杜で」で第11回文藝賞受賞。1975年「営巣記」で第73回芥川賞候補、同年つづけて「黒い風を見た…」で第74回同候補。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
長沢 二郎(ながさわ じろう, 1932年(昭和7年)2月2… 長沢 二郎(ながさわ じろう, 1932年(昭和7年)2月2日 - 2010年(平成22年)3月23日)は、日本の競泳選手。 静岡県沼津市出身。静岡県立沼津東高等学校から早稲田大学高等学院に編入し、早稲田大学政治経済学部卒業。早大では水泳部に所属した。 早大在学中の1952年ヘルシンキオリンピックに出場し、200メートル平泳ぎで6位。1954年5月にバタフライが平泳ぎから分離する形で考案され、同年6月に長沢が「ドルフィンキック」を発明、当時の200メートルバタフライの世界新記録を更新した。同年には第4回日本スポーツ賞を受賞。引退後の1964年には、第18回夏季オリンピック東京大会において競泳日本代表のコーチを務めた。
山口 博(やまぐち ひろし、1932年 - )は、日本の日本… 山口 博(やまぐち ひろし、1932年 - )は、日本の日本近代文学研究者。元・鎌倉女子大学教授。 静岡市生まれ。國學院大學文学部卒業。高校教諭となり、神奈川県立平塚江南高等学校校長、鎌倉女子大学講師、助教授、教授。
丹治 昭義(たんじ てるよし、1932年 - )は、日本の仏… 丹治 昭義(たんじ てるよし、1932年 - )は、日本の仏教学者、関西大学名誉教授。
岩堀 行宏(いわほり ゆきひろ、1932年(昭和7年) - … 岩堀 行宏(いわほり ゆきひろ、1932年(昭和7年) - 2000年(平成12年)9月2日)は、日本の英学史・辞書史研究者であるとともに実業家。後楽園スタヂアム常務取締役、東京ドーム常務理事を務めた。元西日本後楽園会長。 1932年(昭和7年)、静岡市出身。1951年(昭和26年)、静岡県立静岡城内高等学校卒業。明治学院大学経済学部卒業。学生時代より『和英語林集成』をきっかけに辞書に魅かれ、幕末・明治の英語辞書、草創期の辞書を収集。ジョアン・ロドリゲスの「日本大文典」に始まり、ヘボンの「和英語林集成」に至る、揺籃期の英和・和英辞典の歩みを実物に即して解明した『英和・和英辞典の誕生 : 日欧言語文化交流史』を著した。
水野 義明(みずの よしあき、1932年 - 2012年6月… 水野 義明(みずの よしあき、1932年 - 2012年6月17日)は、日本の英語学者、文学者、エスペランティスト。明治大学教授。日本エスペラント学会の理事、参与を経て、同会の後身の日本エスペラント協会顧問。関東エスペラント連盟会長等歴任。エスペラントを用いた世界各地の旅行経験を著書にまとめた。
大石 繁(おおいし しげる、1931年(昭和6年)12月22… 大石 繁(おおいし しげる、1931年(昭和6年)12月22日 - 2013年(平成25年)7月31日)は、日本の実業家。元静岡ガス会長。 1955年(昭和30年)、一橋大学経済学部卒業。同年4月、静岡ガス入社。1976年(昭和51年)、取締役、1978年(昭和53年)、常務を経て、1983年(昭和58年)、専務。1986年(昭和61年)、代表専務。1989年(平成元年)3月、同代表取締役社長。1999年(平成11年)、静岡朝日テレビ取締役を兼務。2001年(平成13年)3月、静岡ガス代表取締役会長、2006年(平成18年)3月、同最高顧問。 1999年(平成11年)6月、静岡商工会議所副会頭、2000年(平成12年)5月、静岡県障害者雇用促進協会会長、2001年(平成13年)5月、静岡県経営者協会会長、2003年(平成15年)5月、静岡交響楽協会理事長。
いかりや 長介(いかりや ちょうすけ、1931年〈昭和6年〉… いかりや 長介(いかりや ちょうすけ、1931年〈昭和6年〉11月1日 - 2004年〈平成16年〉3月20日)は、日本の男性コメディアン、ミュージシャン(ベーシスト)、俳優、司会者。「ザ・ドリフターズ」の3代目リーダー。東京市本所区中之郷横川町(現在の東京都墨田区東駒形)出身。本名は碇矢 長一(いかりや ちょういち)。後年は俳優としても活動した。 愛称は「長さん」。ドリフ時代初期は芸名を「いかり矢 長介」としていた。ドリフ映画で使われる呼び名は「ゴリラ」「下唇」。身長175.2cm。 東京府東京市本所区中之郷横川町(現・東京都墨田区東駒形)生まれ。渡辺プロダクションを経てイザワオフィスに所属し、没後もイザワオフィス所属扱いとなっている。
山田 重雄(やまだ しげお、1931年10月26日 - 19… 山田 重雄(やまだ しげお、1931年10月26日 - 1998年2月5日)は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身のバレーボール指導者。バレーボール日本女子代表監督を務めた。旧姓は中村。 静岡県立藤枝東高等学校、東京教育大学卒業。大学在学中、八王子市で「山田の森」と言われる広大な土地を所有するも子供がいなかった山田義治・三枝子夫妻の養子となる。 大学卒業後に教員として赴任した東京都立三鷹高等学校の女子バレーボール部監督として生沼スミエ等を指導し、1963年の全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会で優勝。1964年、東京五輪の女子バレーボールで日本が優勝し、バレーボール人気が高まる中、1965年に日立武蔵の監督に転身。
室伏 稔(むろふし みのる、1931年9月22日 - 201… 室伏 稔(むろふし みのる、1931年9月22日 - 2016年1月27日)は、日本の実業家。位階は従三位。伊藤忠商事社長や、日本政策投資銀行社長、日本貿易会会長を務めた。 静岡県駿東郡小山町出身。静岡県立沼津東高等学校では柔道部で黒帯を取得。1956年東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1990年から伊藤忠商事社長を務め、タイムワーナーやファミリーマートへの出資などを行った。1994年初代日本トルクメニスタン経済委員会会長。2004年4月旭日大綬章受章。2007年から日本政策投資銀行総裁として民営化にあたり、2008年に民営化された日本政策投資銀行の初代社長に就任した。2016年1月27日死去。
海野 恒男(うんの つねお、1931年6月28日 - 200… 海野 恒男(うんの つねお、1931年6月28日 - 2000年10月30日)は、日本の経済官僚、エコノミスト。経済企画庁で物価局長、国民生活局長、総合計画局長、経済企画審議官等を歴任した。 静岡県静岡市出身。静岡市立高等学校を経て、1957年一橋大学経済学部経済学科卒業後、経済企画庁入庁。計画局計画第一課に配属され、大来佐武郎(計画局長)、大田亮一(計画第一課長)の部下として働く。後に当時の課員であった宮崎勇(経済企画庁長官)、新藤稔(国際証券顧問)らとともに「大田会」と称して、毎年忘年会を開くようになる。 1962年から64年までスタンフォード大学留学。1970年から1971年まで第3次佐藤内閣の佐藤一郎経済企画庁長官事務秘書官を務めた。
高柳 暁(たかやなぎ さとる、1931年5月9日 - 199… 高柳 暁(たかやなぎ さとる、1931年5月9日 - 1998年4月11日)は、日本の経営学者。筑波大学名誉教授。 静岡県浜松市生まれ。工学者・高柳健次郎の次男。妹に小児心理学者の吉村たづ子。岳父は経済史学者の大塚久雄。1963年東京大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学、中央大学経済学部専任講師、1965年助教授、1971年教授、1979年筑波大学社会工学系教授。1995年定年退官、名誉教授、中央大学総合政策学部教授。
寺尾 榮夫(てらお ひでお、1931年4月7日 - 没年不詳… 寺尾 榮夫(てらお ひでお、1931年4月7日 - 没年不詳)は、日本の医学者。専門は脳神経外科学。東邦大学医学部に脳神経外科教室を創設、初代教授を務めた。静岡市出身。「寺尾栄夫」表記も多用される。 1931年、男ばかりの3人兄弟の次男として静岡市に誕生。静岡市城内東小学校卒業。1948年、静岡県立静岡中学校4年終了で、静岡高等学校 (旧制)に入学したが、学制変更により1年で廃止。新制静岡大学文理学部プレメディカルコースに入学。2年後に東京大学医学部入学。1955年、東京大学医学部卒業。医師免許を取得、東京大学医学部附属病院第一外科・脳神経外科に入局と同時に大学院生となった。大学院在籍の間に教授の指示で、船医を経験した。
若杉 和夫(わかすぎ かずお、1931年(昭和6年)3月22… 若杉 和夫(わかすぎ かずお、1931年(昭和6年)3月22日 - 2016年(平成28年)7月25日)は、日本の通産官僚。通商産業審議官。 旧通商産業省の同期入省者は、小長啓一、豊島格、宮本二郎(科学技術庁官房長)、工藤敦夫(内閣法制局長官)、神谷和男(中小企業庁長官)、小林進(東洋学園大学教授)、寺田恵一(日本機械工業連合会副会長)、三島和夫(IEA緊急時システム局長(1978年3月~))など。
大岡 信(おおおか まこと、1931年2月16日 - 201… 大岡 信(おおおか まこと、1931年2月16日 - 2017年4月5日)は、日本の詩人・評論家。東京芸術大学名誉教授。日本ペンクラブ元会長。一ツ橋綜合財団理事。日本人初のストルガ詩の夕べ金冠賞受賞者。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 1931年生まれ。中学3年生の夏に終戦を迎え、「二十歳で死ななくてもいいのか」と思い、創作活動へ。旧制第一高等学校を経て、東京大学では同人誌「現代文学」を創刊。詩のほかに詩人論、翻訳も発表。 1953年に「現代詩試論」を発表。読売新聞で記者として働く傍ら、批評家として評価される。谷川俊太郎をはじめとした詩人や批評家との交流があり、それに触発された。 1960年頃からラジオ放送の場で、詩人、作家との共同制作=「うたげ」を盛んに行い、言葉と映像、美術、音楽など様々なものを生み出した。
朝倉 勇(あさくら いさむ、1931年2月6日 - 202… 朝倉 勇(あさくら いさむ、1931年2月6日 - 2023年6月17日 )は、日本のコピーライター、詩人、童話作家。東京都出身。 小学生の頃は夏休みごとに静岡市で過ごし、中学1年の3学期に静岡県立静岡中学校へ疎開転校した。中学3年の1947年(昭和22年)7月7日、結核で神奈川県秦野の療養所に入り、1955年(昭和30年)8月末まで8年2ヶ月の間、ベッドの上で暮らし24歳で退院した。静岡中学は3年1学期で中退したが、同級生たちのカンパによって抗生物質の入手が可能となり再起に繋がった。 1960年(昭和35年)1月、米国海軍戸塚無線送信所技術者から、ライトパブリシテイに転職、15年勤務の後、フリーランスを経て、1974年(昭和49年)12月、株式会社パブロを設立。
望月 重(もちづき しげる、1931年2月5日 - 2015… 望月 重(もちづき しげる、1931年2月5日 - 2015年4月22日)は、建築工学者。 静岡県三島市出身。1954年早稲田大学理工学部建築学科卒。1964年同大学院博士課程中退、67年「鉄筋コンクリート壁体の耐震設計に関する研究」で工学博士。一級建築士。1962年武蔵工業大学助教授、71年教授、2001年定年退任、名誉教授。2007年日本建築学会教育賞(教育業績)受賞。専門は建築構造学。