名取 里美(なとり さとみ、1961年7月31日 - )は俳… 名取 里美(なとり さとみ、1961年7月31日 - )は俳人。三重県伊勢市生まれ。 神奈川県立湘南高等学校を経て東京女子大学社会学科経済学国際関係論コースを卒業後、野村総合研究所勤務。 19歳より山口青邨、黒田杏子に師事。1989年第一回ラ・メール俳句賞受賞。1997年藍生賞受賞。2002年第二句集『あかり』により第四回駿河梅花文学賞受賞。 山口青邨主宰の俳誌「夏草」、黒田杏子主宰の「藍生」を経て、2023年「あかり」創刊主宰。日本文藝家協会会員、俳人協会評議員、鎌倉ペンクラブ幹事、国際俳句協会会員。『かまくら春秋』の「かまくら春秋 あかり俳壇」選者。 しばらくは秋蝶仰ぐ爆心地 『あかり』 この句が『精選言語文化』『新編言語文化』(東京書籍)の高等学校国語教科書、「NHK高校講座 言語文化」のテキストに掲載される。
谷口 桂子(たにぐち けいこ、1961年2月23日 - )は… 谷口 桂子(たにぐち けいこ、1961年2月23日 - )は日本の俳人、作家。三重県四日市市出身。茶道の表千家不審庵講師も務める(雅名・宗桂)。 三重県立四日市高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部イタリア語学科卒業。大学在学中に新聞社でアルバイトを始め、カタールの首都ドーハで初めて開かれた日本週間に茶道の講師として招かれる。 帰国後、フリーランスで雑誌等のインタビューを始め、元首相、ノーベル賞受賞者から山谷の日雇い労働者まで幅広くインタビューを手掛ける。週刊朝日連載「夫婦の階段」「夫婦の情景」では著名夫婦350組をインタビュー。著名人インタビューは1000人を超える。 20代で俳人・鈴木真砂女に出会ったのがきっかけで俳句を始め、加藤楸邨主宰の「寒雷」へ。
大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )… 大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )は、日本の歌人、文芸評論家。現代歌人協会会員、現代歌人集会理事、日本文藝家協会会員、中部日本歌人会副委員長、一般社団法人未来短歌会理事長・歌誌「未来」編集発行人・選者、同人誌「レ・パピエ・シアン・Ⅱ」代表、元皇學館大学講師。元津西高等学校教員。宮中歌会始選者。現津東高等学校教員。 三重県松阪市稲木町に生まれ、松阪市に在住。三重県立松阪高等学校卒業後、1979年4月、龍谷大学文学部哲学科に入学。大学院時代に、NHKの短歌番組をきっかけに作歌を始める。1985年3月、龍谷大学大学院文学研究科(哲学)を修了。翌1986年、未来短歌会に入会し、岡井隆に師事した。
倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 –… 倉阪 鬼一郎(くらさか きいちろう、1960年1月28日 –)は、日本の小説家・評論家・俳人・翻訳家。 環境経済学者の倉阪秀史は実弟。名字を「倉坂」と誤記されることが多い。 三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。三重県立上野高等学校、早稲田大学第一文学部文芸科卒業。早稲田大学大学院日本文学専攻中退。 早稲田大学時代は「幻想文学会」に所属し、東雅夫、浅羽通明らと知り合う。東がのちに創刊した雑誌『幻想文学』には、レビュー等を大量に寄稿する。また、「幻想文学会」の分科会として「幻想短歌会」を主宰した。 大学事務員として就職したもののフリーライターを志望して退職する。しかし生計が成り立たず印刷会社に入社、文字校正係として11年間勤務の後、退職。
伊藤 裕作(いとう ゆうさく、1950年2月25日 ‐ )は… 伊藤 裕作(いとう ゆうさく、1950年2月25日 ‐ )は、日本の作家、風俗ライター、歌人。 三重県津市芸濃町生まれ。三重県立津高等学校卒業後、寺山修司に憧れて早稲田大学教育学部社会科に入学し、7年かけて卒業。在学中は早稲田大学短歌会に所属し短歌を作る。卒業後は明石賢生の自販機本出版社「エルシー企画」に出入りするようになり、風俗を主たるフィールドにした文筆業に就く。のち法政大学大学院に社会人入学し、戦後の娼婦小説について『娼婦学ノート』としてまとめ、その後『戦後の娼婦小説の系譜と寺山修司の娼婦観』という修士論文を書いて、国際日本学インスティテュートの修士課程を修了。この論文を含めた『私は寺山修司・考 桃色篇』を上梓する。
李 正子(イ・チョンジャ、朝鮮語: 이정자、1947年3月3… 李 正子(イ・チョンジャ、朝鮮語: 이정자、1947年3月3日 - )は、在日コリアン二世の女性歌人である。未来短歌会所属。在日韓国人の歌人として、作品が日本の教科書に採用された最初の人物である。 三重県上野市(現 伊賀市)生まれ。戦前に父が慶尚南道晋州市から日本に渡り、日本で韓国人の母と知り合い結婚、伊賀市に定住し正子を生んだ。中学生の時に万葉集に触れ、短歌に魅力を感じる。1965年三重県立上野高等学校卒業後、民族資本の銀行に1年間勤務し、結婚して2人の男児をもうけたのち離婚。20歳のとき、香山正子名義で朝日新聞の短歌のページに近藤芳美を選者に指名し初投稿。これがトップで掲載される。投稿を幾度か繰り返した後、「未来」入会。
山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 20… 山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 2006年3月9日)は、日本の歌人。 前川佐美雄に師事。深い古典教養と幻想性を混交させた作風から「現代の巫女」とも評された。女流における前衛歌人の代表的存在である。 愛知県名古屋市西区出身。父・渡辺鑑三は尾張藩医の末裔で、その従兄は俳人の沼波瓊音。母タマエ(旧姓馬島)の本家も代々の尾張藩医で、後水尾天皇を快癒させたことで知られる高名な眼科医の家系。母方の祖父は明治の蘭方医。母は尾上柴舟に師事して国文学を学んでいた。二兄一姉をもつ次女(次兄は智恵子生誕以前に死亡)。6歳の秋に父が脳出血で倒れて半身不随となり、療養のために愛知県知多郡新舞子の別宅に移住。
平田 佐貞(ひらた すけさだ、1909年(明治42年)5月 … 平田 佐貞(ひらた すけさだ、1909年(明治42年)5月 - 1938年(昭和13年)10月)は、日本の俳人・彫刻家・陸軍軍人。 平田紡績の創業家に生まれる。2代目平田佐次郎の第12子・七男であり、長兄に平田佐十郎、次兄に平田佐武、三兄に平田佐矩、四兄に平田佐雄、五兄に宗村佐信(宗村の養子)、六兄に平田佐義。長姉にあさお子、次姉にあさへ子、三姉にますへ子、四姉に富枝子。甥に宗村完治、宗村南男と宗村明夫がいる。三重郡富洲原町出身(現在の三重県四日市市富洲原地区富田一色町)出身。
長谷川 素逝(はせがわ そせい、1907年(明治40年)2月… 長谷川 素逝(はせがわ そせい、1907年(明治40年)2月2日 - 1946年(昭和21年)10月10日)は、日本の俳人。本名・直次郎。 父が大阪砲兵工廠の技師であったため大阪府で生まれたが本籍は三重県津市。1915年父の退職により津に戻り、津中学校、京都市の第三高等学校を経て京都帝国大学に入学。 俳句を田中王城、鈴鹿野風呂に師事し、1929年野風呂主宰の「京鹿子」同人。また高濱虚子にも師事し、1930年「ホトトギス」初入選。 後に平畑静塔らとともに「京大俳句」創刊に参加するも、1933年に志を異にして決別。同年、「阿漕」を創刊・主宰。1937年、砲兵少尉として応召。同年、病により内地送還。1939年、戦争を詠んだ句を集めた句集『砲車』を刊行。
生方 たつゑ(うぶかた たつえ、1905年〈明治38年〉2月… 生方 たつゑ(うぶかた たつえ、1905年〈明治38年〉2月23日 - 2000年〈平成12年〉1月18日)は、日本の歌人。沼田市名誉市民。日本歌人クラブ初代会長、日本ペンクラブ会員、日本文芸家協会会員、現代歌人協会理事。戦後の女流歌人の第一人者と称される。旧姓・間宮。 三重県宇治山田町宮後(現・伊勢市)生まれ。父・間宮斎一、母・きよの四女。出生時は7ヶ月の未熟児だった。宇治山田高等女学校(現・三重県立宇治山田高等学校)を経て、1926年(大正15年)に日本女子大学家政科卒業。帝国大学哲学科聴講生となる。同年10月、横山有策の媒酌により生方誠と結婚。群馬県沼田市で薬局「かどふぢ(角藤)」を経営する生方家に入る。
柴生田 稔(しぼうた みのる、1904年6月26日 - 19… 柴生田 稔(しぼうた みのる、1904年6月26日 - 1991年8月20日)は、日本の歌人、国文学者。
鬼頭 白雨(きとう はくう、1901年(明治34年)11月1… 鬼頭 白雨(きとう はくう、1901年(明治34年)11月16日 - 1977年(昭和52年)10月4日) は、三重県津市出身の歌人。 その後に白駒の歌誌「ROVE」と合同し、「日輪」と改題して発刊したが当局の圧力を受け創刊即終巻となった。(伊勢平野 三重歌壇回顧録より) 「歌人稲森宗太郎」年譜によると、当時の一中(現 津高等学校)には伊賀出身の稲森宗太郎と同時代に鬼頭白雨も在学しており、中谷太郎、岩津資雄、城多又兵衛、後藤義之進らがおり、一級下には寺崎浩、中谷悌吉。また二級上には文学を志す中谷孝雄がいた。在学中には岩津資雄らと合同歌集「青白き薔薇」を発刊とあり、鬼頭白雨とも親交が深かったことが想像できる。
稲森 宗太郎(いなもり そうたろう、1901年〈明治34年〉… 稲森 宗太郎(いなもり そうたろう、1901年〈明治34年〉7月12日 - 1930年〈昭和5年〉4月15日)は、三重県名張市出身の歌人。 1901年(明治34年)に、三重県名張市本町の煙草元売捌商・稲森惣兵衛の長男として生れた。三重県立第一中学校(現・三重県立津高等学校)を卒業し、1921年(大正10年)、20歳の時、第一早稲田高等学院政治経済学科入学。学院時代から歌人・窪田空穂教授に師事。和歌を作り始めた。早稲田同人誌『自画像』に和歌や小説を発表し、島村民蔵主催の演劇研究会に参加するなど活躍し、その機関誌に戯曲も寄稿していた。 早稲田大学国文学科に進んだ宗太郎は、三重県立第一中学校時代の2年先輩の中谷孝雄と、中谷の友人・梶井基次郎からの誘いで、彼らと一緒に同人誌『青空』の創刊メンバーとなった。
横光 利一(よこみつ りいち、1898年〈明治31年〉3月1… 横光 利一(よこみつ りいち、1898年〈明治31年〉3月17日 - 1947年〈昭和22年〉12月30日)は、日本の小説家・俳人・評論家。本名は漢字表記同じで「よこみつ としかず」。 菊池寛に師事し、川端康成と共に新感覚派として大正から昭和にかけて活躍した。『日輪』と『蠅』で鮮烈なデビューを果たし、『機械』は日本のモダニズム文学の頂点とも絶賛され、また形式主義(英語版)文学論争を展開し『純粋小説論』を発表するなど評論活動も行い、長編『旅愁』では西洋と東洋の文明の対立について書くなど多彩な表現を行った。1935年(昭和10年)前後には「文学の神様」と呼ばれ、志賀直哉以来の「小説の神様」とも称された。
嶋田 的浦(しまだ てきほ、1893年1月22日 - 195… 嶋田 的浦(しまだ てきほ、1893年1月22日 - 1950年4月11日)は日本の俳人。本名は襄。三重県志摩郡的矢村大字的矢(現在の志摩市磯部町的矢)出身。的浦の号は、故郷・的矢が小さな港(浦)を成していることにちなんでいる。嶋田青峰の弟であり、句作の才能は兄の青峰を上回っていたと評されている。 地元の三重県立宇治山田中学校(現在の三重県立宇治山田高等学校)を卒業し上京、東京外国語学校(現在の東京外国語大学)に進学、卒業。 俳人としての活動は、兄の青峰よりも熱心で、1915年(大正4年)の俳句雑誌『ホトトギス』3月号に4句が入選して以降、毎月2、3句が掲載され、同年の10月号と11月号に5句が載った。
杉森 万之輔(萬之輔、すぎもり まんのすけ、1884年(明治… 杉森 万之輔(萬之輔、すぎもり まんのすけ、1884年(明治17年)11月21日 - 1974年 <昭和49年> 5月5日)は、昭和時代前期の政治家、俳人。三重県上野市長。雅号は干柿。位階は正六位。 三重県出身。上野中学(現三重県立上野高等学校)を卒業する。 上野町助役となり、全国に先駆け上下水道の完成、町営塵芥焼却炉、町立保育園の建設、公共的企業の創設や育成、伊賀文化産業城の建設などに尽力した。 1939年(昭和14年)11月、同町長となった。1941年(昭和16年)9月に町長を退任した。同年11月29日、周辺自治体との合併で発足した上野市の初代市長となった。 町長時代には市制施行の実現、市長に就任後は市民福祉の向上、地域産業の育成、工場誘致や市域拡張の諸政策を遂行した。
嶋田 青峰(しまだ せいほう、1882年3月8日 - 194… 嶋田 青峰(しまだ せいほう、1882年3月8日 - 1944年5月31日)は、日本の俳人・翻訳家・新聞記者・教員。本名は嶋田 賢平。姓の「しまだ」は「嶋田」と書くのが正式であるが、一般に「島田」の表記も用いられる。俳号の青峰は、故郷の山・青峰山(あおのみねさん、標高336m)に由来する。 三重県答志郡的矢村(現在の志摩市磯部町的矢)出身。大正時代末期に俳句雑誌『ホトトギス』において、池内たけし・篠原温亭・鈴木花蓑らと並び、活躍したが、晩年は新興俳句弾圧事件の犠牲となり、俳句史上に悲しい印象を残している。 1882年3月8日に、的矢村にて父・峰吉と母・りうの3男として生まれる。地元の的矢尋常小学校を卒業後、学を成そうと上京、旧制日本中学校(現在の日本学園中学校・高等学校)を出て1899年(明治32年)に東京専門学校予科に入学、卒業後は早稲田大学哲学科に進むが、後に英文科に転じる。
伊藤 平治郎(いとう へいじろう、1880年(明治13年)5… 伊藤 平治郎(いとう へいじろう、1880年(明治13年)5月18日 - 1941年(昭和16年)1月)は、三重県三重郡富洲原町(現在の四日市市富洲原地区)富田一色出身の政治家・実業家・歌人。
佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年… 佐佐木 信綱(ささき のぶつな、1872年7月8日(明治5年6月3日) - 1963年(昭和38年)12月2日)は、日本の歌人・国文学者。正三位。勲六等。文学博士。日本学士院会員。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 一時は桂園派に連なる歌を詠んだが、和歌改良の風潮に接して革新の気風を抱き、1897年(明治30年)頃から独自の歌境をうち立て、有望な新星として注目された。「ひろく、ふかく、おのがじし」をモットーとし[要出典]、新詩社系、根岸短歌系双方との交流を深めた。 国文学者としての実績も豊富で、特に『万葉集』の研究で有名。 三重県鈴鹿郡石薬師村(現在の鈴鹿市石薬師町)で、国学者で歌人の佐々木弘綱の長男として生まれる。
篠田 時化雄(しのだ しげお、1857年1月9日〈安政3年1… 篠田 時化雄(しのだ しげお、1857年1月9日〈安政3年12月14日〉 - 1936年〈昭和11年〉4月27日)は、江戸時代後期から昭和初期にかけての国学者、神職、歌人であり、精華学園(後の京都精華学園中学校・高等学校)の設立者である。号は小笠乃屋・龍孫。
高畠 式部(たかばたけ しきぶ、天明5年(1785年) - … 高畠 式部(たかばたけ しきぶ、天明5年(1785年) - 明治14年(1881年)5月28日)は、日本の幕末期から明治初期にかけての歌人。本名は刀美。式部は雅号である。 伊勢国松坂の商家に生まれる。 香川景樹から桂園流の歌を学び、景樹の歿後は千種有功に師事。和歌以外に書画、彫刻、琵琶、笙、茶道等も学んだ。 歌集に、『麦の舎集』、『式部蓮月二女和歌集』などがある。 墓は、京都市東山区円山町626の時宗寺院、黄台山長楽寺にある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。