上本 孝一(うえもと こういち、1963年4月29日 - 2… 上本 孝一(うえもと こういち、1963年4月29日 - 2006年5月5日)は、京都府舞鶴市出身のプロ野球選手(捕手)、プロ野球審判員。審判員袖番号は3(1988年初採用から2006年死去まで。上本の死去後、審判員袖番号3は一時欠番となっていた)。 西舞鶴高校を経て、1981年のドラフト5位で広島東洋カープに入団。達川光男の存在で出場機会に恵まれず1984年に現役引退。 1985年からセ・リーグ審判員となる。同じセリーグ審判の橘高淳とは同期入局である。生涯通算試合出場数は1412試合、オールスターゲーム2回出場(1993年と2001年。2001年の第1戦で球審)。東京審判部の中堅であったが日本シリーズの出場はなかった。
山越 吉洋(やまごし よしひろ、1963年2月20日 - )… 山越 吉洋(やまごし よしひろ、1963年2月20日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(内野手)、野球指導者。
広瀬 新太郎(ひろせ しんたろう、1962年12月8日 - … 広瀬 新太郎(ひろせ しんたろう、1962年12月8日 - )は、京都府京丹後市出身の元プロ野球選手(投手)。 峰山高では、新浦寿夫や鈴木啓示のフォームを真似たというしなやかな投げ方で注目を浴びた。大きなテイクバックとリストの強さを生かしたフォームは評価が高く、最速144km/hのストレートと鋭いカーブ、スライダー、シュートが持ち味だった。 2年次の1979年に夏の府大会で決勝に進出するが宇治高に敗退。 1980年は春の府大会で準優勝、夏も準々決勝に進むが、京都商業高に惜敗し甲子園には出場できなかった。同年のプロ野球ドラフト会議で原辰徳のクジを外した横浜大洋ホエールズから1位指名を受け入団。エースナンバー18が与えられる。
中馬 賢治(ちゅうま けんじ、1962年10月30日 - )… 中馬 賢治(ちゅうま けんじ、1962年10月30日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(捕手)。 山城高定時制に1年在籍の後、京都共栄学園高へ転校。そのため3年時は公式戦には出場していないが、1981年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから5位指名され入団。強肩をセールスポイントとする。 近鉄在籍期間中に視力障害にかかる。回復するも近鉄では一軍出場のないまま、1985年オフに南海ホークスへ移籍。1986年に1試合一軍初出場を果たすが、同年限りで現役を引退。
清川 栄治(きよかわ えいじ、1961年9月21日 - )は… 清川 栄治(きよかわ えいじ、1961年9月21日 - )は、京都府京都市上京区出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
藤村 雅人(ふじむら まさと、1961年4月5日 - )は、… 藤村 雅人(ふじむら まさと、1961年4月5日 - )は、京都府京丹後市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 吉備高では、2年次に1978年春の選抜に出場。1回戦で岐阜高に敗退するが、この試合では1年上の岡本哲司投手をリリーフして甲子園初登板を果たす。同年夏の甲子園県予選ではエースとして活躍し決勝に進むが、箕島高の石井毅、嶋田宗彦の2年生バッテリーに完封を喫した。本格派でスライダー、カーブを武器とした。 1979年オフに、ドラフト外で西武ライオンズに入団。西武での一軍登板はなく、1983年オフに南海ホークスに移籍。1984年には3試合に登板するが、その後はあまり登板機会に恵まれず1987年10月に自由契約となり、現役引退。
北野 明仁(きたの あきひと、1961年3月7日 - )は、… 北野 明仁(きたの あきひと、1961年3月7日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(投手、内野手)。
豊原 豊(とよはら ゆたか、1961年2月28日 - )は、… 豊原 豊(とよはら ゆたか、1961年2月28日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(外野手)。
奥本 保昭(おくもと やすあき、1960年 - )は、京都府… 奥本 保昭(おくもと やすあき、1960年 - )は、京都府出身の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは外野手。 小学生の時に野球を始める。桃山高等学校では、外野手としてプレーし、1978年の京都大会でサイクル安打を放ったが、甲子園への出場を果たすことができなかった。 その後は、大阪体育大学に進学し、南宇治中学校で体育教師として勤務。1986年から新規開校の京都成章高等学校の監督を2006年までに務め、1995年の夏の甲子園で初出場を果たし、1998年の夏の甲子園で準優勝を果たした。 2008年から2019年までに塔南高等学校の監督を務め、現在は花園大学のコーチを務めている。 2021年に育成功労賞を授賞した。
服部 浩一(はっとり こういち、1959年7月9日 - )は… 服部 浩一(はっとり こういち、1959年7月9日 - )は京都府京都市伏見区出身の元プロ野球選手。
堀井 恒雄(ほりい つねお、1958年11月15日 - )は… 堀井 恒雄(ほりい つねお、1958年11月15日 - )は、京都府城陽市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。1984年から1990年の登録名は「堀井 幹夫」(読み同じ)。 実家は1887年代々続く宇治茶の栽培農家で、幼少の頃から玉露や煎茶を当たり前のように飲み、ジュースは飲んだことが無かった。「体を動かすのが好きで」と小学校まで柔道、中学ではクラスメートに誘われて野球部に入部し、入部後間もなく肩の強さを買われ、投手に転向。ノーヒットノーランを達成するなど才能を開花させ、大谷高校卒業後の1977年に大阪商業大学へ進学。 関西六大学リーグでは1年次の同年からマウンドに上がったが、3年次の1979年にはベンチ入りメンバーからも外れてしまった。
勝村 法彦(かつむら のりひこ、1956年11月19日 - … 勝村 法彦(かつむら のりひこ、1956年11月19日 - )は、京都府宇治市出身の元アマチュア野球選手(外野手)、野球指導者。 平安高等学校を経て、京都産業大学に入学し、外野手としてプレーした。 大学卒業後に、社会人野球の丸勝のチームでプレーした。 1988年から丸勝の監督を務め、2000年から母校の京都産業大学のコーチに就任した。2001年9月から2021年秋まで監督を務め、9回のリーグ優勝と5回の全国大会の出場を果たした。教え子に平野佳寿、光原逸裕、岩橋慶侍、北山亘基らがいる。後任監督には教え子だった光原が就任した。
中井 康之(なかい やすゆき、1954年8月7日 - 201… 中井 康之(なかい やすゆき、1954年8月7日 - 2014年8月9日)は、京都府出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
中嶋 愛和(なかじま よしかず、1953年8月2日 - )は… 中嶋 愛和(なかじま よしかず、1953年8月2日 - )は、京都府出身の日本の元プロ野球選手である。現役引退後は大学野球の指導者として学生を指導している。
市場 博己(いちば ひろみ、1952年6月13日 - )は、… 市場 博己(いちば ひろみ、1952年6月13日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
川本 浩次(かわもと こうじ、1951年9月26日 - )は… 川本 浩次(かわもと こうじ、1951年9月26日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
石山 一秀(いしやま かずひで、1950年12月13日 - … 石山 一秀(いしやま かずひで、1950年12月13日 - )は、日本出身の元プロ野球選手(捕手)、プロ野球指導者・監督。出身地は京都府京都市下京区。日本野球機構(NPB)と韓国野球委員会(KBO)において活動。在日韓国人として生まれ(プロ入り後に日本国籍へ帰化)、韓国名およびKBOでの登録名は「宋 一秀」(ソン・イルス[4][5]、ハングル:송일수)。
宮本 好宣(みやもと よしのぶ、1950年7月26日 - )… 宮本 好宣(みやもと よしのぶ、1950年7月26日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)、スカウト、プロ野球コーチ。右投右打。 京都府京都市下京区生まれ、大阪府大阪市育ち。 布施工業高から同志社大学へ進学。関西六大学野球リーグでは1971年春季リーグで優勝を経験。1972年春季リーグで初登板、同年秋季リーグでは関大に次ぐ2位と健闘。リーグ通算21試合登板し3勝6敗の成績を残した。 大学卒業後は、社会人野球のエアロマスターに入団。1973年の産業対抗でチームは優勝するが、エース細淵守男の控えにとどまり出番はなかった。1974年5月にエアロマスターの母体である日本熱学工業が倒産し野球部も解散となったため、西濃運輸に移籍。
池田 信夫(いけだ のぶお、1950年5月25日 - 201… 池田 信夫(いけだ のぶお、1950年5月25日 - 2012年11月24日)は、京都府出身の野球選手(投手)、指導者。 繋駕速歩の騎手である池田三郎を父に持つ。 平安高校では甲子園に4回出場した。1966年、1年の時に、3年生エース門野利治の控えとして夏の選手権に出場。準々決勝に進むが報徳学園に敗退。この大会では2試合にリリーフとして登板。2年からエースとなり、1967年の春の選抜に出場。2回戦で新居浜商に敗れる。同年夏は京滋大会決勝で守山高に敗退、甲子園出場を逸する。1年上のチームメートに四番打者の江島巧中堅手がいた。 翌1968年春の選抜では準々決勝に進出するが、この大会に優勝した大宮工の吉沢敏雄に抑えられ敗退、同年夏の選手権にも出場するが、1回戦でまたも大宮工に9回逆転負けした。
岩佐 基治(いわさ もとはる、1949年9月8日 - )は、… 岩佐 基治(いわさ もとはる、1949年9月8日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(投手)。 伏見工業高から、1973年の入団テストに合格しドラフト外で阪神タイガースに入団。 上手投げから思いっきり投げ込む未完の大器と期待された。しかし、球は速いがコントロールが悪く、一軍公式戦の出場がないまま、1977年限りで現役を引退した。
門野 利治(かどの としじ、1948年11月9日 - )は、… 門野 利治(かどの としじ、1948年11月9日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
中村 順二(なかむら じゅんじ、1948年6月2日 - )は… 中村 順二(なかむら じゅんじ、1948年6月2日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
足立 兼敏(あだち かねとし、1947年8月26日 - 20… 足立 兼敏(あだち かねとし、1947年8月26日 - 2022年4月24日)は、元アマチュア野球選手、監督である。 大谷高等学校では、1965年の第37回選抜高等学校野球大会に出場した経験がある。高校卒業後に龍谷大学に進学。 コーチを経て1979年秋から2001年までに龍谷大学の監督を務め、1998年には大学選手権で河端龍を擁して30年ぶりのベスト4に進出したほか、山本樹、木元邦之らをプロへ送り出した。2013年10月から大谷高等学校の監督を務めている。
梅田 邦三(うめだ くにぞう、1947年2月1日 - )は、… 梅田 邦三(うめだ くにぞう、1947年2月1日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(内野手)。
衣笠 祥雄(きぬがさ さちお、1947年1月18日 - )は… 衣笠 祥雄(きぬがさ さちお、1947年1月18日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)。現在は野球解説者・野球評論家・タレント。所属事務所はキャスト・プラス。広島東洋カープオーナー付スタッフ。京都府京都市東山区馬町出身。旧名は衣笠 幸雄。愛称は「鉄人」。国民栄誉賞受賞者。息子は俳優の衣笠友章。
植木 一智(うえき かずとも、1946年7月15日 - )は… 植木 一智(うえき かずとも、1946年7月15日 - )は、京都府京田辺市出身の元プロ野球選手(投手)。
梅村 好彦(うめむら よしひこ、1946年5月11日 - )… 梅村 好彦(うめむら よしひこ、1946年5月11日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
金田 義倫(かねだ よしのり、1945年5月6日 - 202… 金田 義倫(かねだ よしのり、1945年5月6日 - 2020年3月22日)は、京都府中郡峰山町(現:京丹後市)出身の日本のプロ野球選手(投手)、スコアラー。プロの現役時代はほぼ打撃投手として活動した。 父は峰山町で建設会社を営んでいた。 京都府立峰山高等学校時代はエースとして活躍し、1962年夏の全国高校野球京都府大会の準優勝に貢献した。高校のコースは機械科だった。 1964年に阪急ブレーブスに入団。3年生夏の府大会の2回戦の際に、監督の西本幸雄が視察に来ており、これが入団の決め手になった。高校の10年先輩だった野村克也のいる南海ホークスへの入団が周囲では取り沙汰されて新聞にも出たため、怒った父が「契約金はいくらでも結構」という条件で阪急の球団事務所に電話で申し入れたという。
山本 忠男(やまもと ただお、1944年6月28日 - )は… 山本 忠男(やまもと ただお、1944年6月28日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。在日コリアンであり、本名は李 忠男(イ・チュンナム、ハングル:이충남)。現在は母校・龍谷大学硬式野球部のコーチ。
阪本 敏三(さかもと としぞう、1943年7月13日 - )… 阪本 敏三(さかもと としぞう、1943年7月13日 - )は、京都府京都市伏見区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者。
林 健造(はやし けんぞう、1943年5月21日 - )は、… 林 健造(はやし けんぞう、1943年5月21日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手、外野手。
井上 修(いのうえ おさむ、1942年4月24日 - )は、… 井上 修(いのうえ おさむ、1942年4月24日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。 峰山高校から1962年に南海ホークスへ入団。1966年に引退。
大崎 隆雄(おおさき たかお、1942年4月24日 - )は… 大崎 隆雄(おおさき たかお、1942年4月24日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手。
滝川 博己(たきがわ ひろみ、1942年1月1日 - )は和… 滝川 博己(たきがわ ひろみ、1942年1月1日 - )は和歌山県出身の元プロ野球選手。
金 星根(キム・ソングン、韓国語:김성근、1941年10月3… 金 星根(キム・ソングン、韓国語:김성근、1941年10月30日 - )は、日本の京都府京都市右京区出身の野球選手(投手)・コーチ・監督。 韓国で実業団野球の投手として活躍後、KBO7球団で監督を務め、2014年までの監督通算1234勝は韓国プロ野球史上、金応龍の1567勝(24年、1290敗68分)に次ぐ歴代2位の記録である。通称は、野球の神様という意味を持つ「野神」。 日本名は金林 星根(かねばやし せいこん)。 在日韓国人2世として京都で生まれる。本籍地は慶尚南道晋陽郡で、桂高校3年次の1959年に第4回在日僑胞学生野球団の一員として初訪韓し、卒業後の1960年に韓国へ渡り、在日成人球団訪問試合をしてから東亜大学校にスカウトされたが、中退して実業団野球に専念。
野口 元三(のぐち もとぞう、1941年10月6日 - )は… 野口 元三(のぐち もとぞう、1941年10月6日 - )は京都府出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、外野手)。
西村 省一郎(にしむら しょういちろう 1941年4月12日… 西村 省一郎(にしむら しょういちろう 1941年4月12日 - 1988年6月17日)は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。1961年から1972年までの登録名は西村 省三(にしむら しょうぞう)。
中島 博征(なかじま ひろゆき、1939年12月4日 - )… 中島 博征(なかじま ひろゆき、1939年12月4日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手、外野手。
辰市 祐英(たついち すけひで、1938年10月6日 - )… 辰市 祐英(たついち すけひで、1938年10月6日 - )は京都府京都市左京区出身の元プロ野球選手。選手時代の登録名は、辰市 邦輔(-くにすけ)。 立命館高等学校では2年生の時、エース富永格郎らとともに、四番打者、二塁手として1955年の夏の甲子園に出場。準決勝に進むが坂出商に1-2で敗退した。8月には富永らとともに全日本高校選抜チームとして初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準決勝に進むが、四日市高の高橋正勝(巨人)に抑えられ敗退。翌1956年夏は府予選準々決勝で花園高に惜敗。 1957年に大阪タイガースに入団。1958年のシーズン中盤には浅越桂一に代り二塁手の定位置を獲得、一番打者として先発した7月20日の対国鉄スワローズダブルヘッダー2戦目(甲子園)では1試合4安打3盗塁を決めるなど、主に一番打者として35試合に先発出場を果たす。
東田 巍(ひがしだ たかし、1938年6月12日 - )は、… 東田 巍(ひがしだ たかし、1938年6月12日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(捕手)。
富永 格郎(とみなが ただお、1937年5月4日 - 201… 富永 格郎(とみなが ただお、1937年5月4日 - 2014年7月18日[要出典])は、京都府京都市中京区西ノ京小堀町出身のプロ野球選手である。ポジションは投手。 立命館高校では1955年に、チームの主戦投手として、二塁手の辰市祐英らとともに夏の甲子園に出場。立命館高はこの大会で、中京商や桐生高などと共に優勝候補のひとつと目されていた。準々決勝では津久見高の田中喜八郎と投げ合い完封勝利。準決勝に進むが坂出商の岡崎秀智投手(中大-電電関東)に抑えられ、1-2で惜敗した。8月には辰市らとともに全日本高校選抜チームの一員として初のハワイ遠征を果たす。同年の神奈川国体は準々決勝で新宮高の前岡勤也に投げ勝ち2-0で完封、準決勝に進むが四日市高の高橋正勝に抑えられ敗退。
大工 勝(だいく まさる、1936年6月13日 - )は、京… 大工 勝(だいく まさる、1936年6月13日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(投手)。 京都府立桃山高等学校卒業後、1955年に毎日オリオンズに入団。 大友工(巨人)ばりのシュートとスライダーを投げ、スタミナもあったので、新人にして開幕一軍入りを果たした。同年4月23日の大映スターズ戦(駒澤野球場)でデビューを果たした。しかし、6試合に登板したが勝利を挙げることができず、1957年に退団した。 プロ野球退団後は、社会人野球に転じ、富士製鐵広畑に入団。都市対抗野球大会に4回出場(うち1963年の大会では松下電器の補強選手として出場)した。1961年の都市対抗では準々決勝でエース田中勉を擁する東洋高圧大牟田を再試合の末に降す。
西垣 一(にしがき まこと、1935年9月25日 - 200… 西垣 一(にしがき まこと、1935年9月25日 - 2009年5月23日)は、京都府宇治市出身のプロ野球選手(投手)・監督。 城南高校では、1953年夏の甲子園府予選準決勝に進むが西舞鶴高に惜敗、京滋大会には進めなかった。卒業後の1954年に大阪タイガースへ入団する。3年目の1956年には、読売ジャイアンツを相手に6月19日に初登板、初先発を果たす。4回1/3を無失点と好投するが、白星はつかなかった。その後は登板機会がなく、1957年限りで退団。 退団後は1958年に日本新薬へ入社し、野球部では長谷部栄一選手兼任監督の下、投手ではなく外野手としてプレー。1973年から1981年には監督を務め、1974年・1979年・1980年と3度の都市対抗出場に導き、吹石徳一を送り出した。
野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 20… 野村 克也(のむら かつや、1935年6月29日 ‐ 2020年2月11日)は、京都府竹野郡網野町(現:京丹後市)出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、野球解説者・野球評論家。プロ野球史において唯一、選手と監督の両方で通算3000試合を達成。捕手でありながら当時歴代最多のシーズン52本塁打、戦後初の三冠王などの記録を打ち立て、歴代最多のベストナイン19回選出。監督としても数多の人材と名言を遺し、評論家時代を通じて野球の理論・技術の発展と普及に尽力した。京丹後市名誉市民。後妻にタレントの野村沙知代。 NPB戦後初(史上2人目)の三冠王を達成(世界のプロ野球史上初の捕手による三冠王)。実働26年で本塁打王9回、打点王7回、最優秀選手5回は歴代2位かつパ・リーグ最多記録(歴代1位はいずれも王貞治)。
岡嶋 博治(おかじま ひろじ、1935年5月5日 - )は、… 岡嶋 博治(おかじま ひろじ、1935年5月5日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 父親を早くに亡くし、母子家庭で育った。中学時代は投手で両打ちだった。 伏見高校では左腕エースの太田武を擁し、遊撃手として1953年春の選抜に出場。準決勝まで進んだが、片岡宏雄らがいた浪商に敗れた。同大会では選手宣誓を務めた。同年夏は京都府大会決勝で西舞鶴高に完封負け。 卒業後は立命館大学へ進学し1年春からレギュラーを掴み打率.342、3本塁打を記録するも1954年7月に僅か4か月で大学を中退して中日ドラゴンズに入団し、入団の翌日から一軍ベンチ入りする。同年は21試合のみ出場も終盤の巨人戦でサヨナラ打を放つなどリーグ優勝に貢献。
西田 稔(にしだ みのる、1935年1月24日 - 1994… 西田 稔(にしだ みのる、1935年1月24日 - 1994年6月12日)は、京都府出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 立命館高校では平井嘉明と同期。エースとして1951年秋季近畿大会府予選準決勝に進むが、城南高に敗退。翌1952年夏の甲子園府予選は決勝で山城高に完封負け、甲子園には届かなかった。卒業後は立命館大学へ進学。関西六大学野球リーグでは1954年春季リーグで優勝を経験。当時の投の二本柱である西尾慈高、紀藤広光がプロ入りしたため、同年秋季リーグからエースとして活躍。しかし大学をで中退し、1956年に阪急ブレーブスへ入団。リーグ通算成績は29試合登板、11勝16敗であった。 1958年には26試合に登板し6勝をあげる。
国松 彰(くにまつ あきら、1934年9月14日 - )は、… 国松 彰(くにまつ あきら、1934年9月14日 - )は、元プロ野球選手(外野手)。現在は亀屋万年堂の代表取締役会長。
平井 嘉明(ひらい よしあき、1934年5月6日 - )は、… 平井 嘉明(ひらい よしあき、1934年5月6日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手(主に遊撃手)。 立命館高校では西田稔と同期。1951年秋季近畿大会府予選準決勝に進むが、城南高に敗退。翌1952年夏の甲子園府予選は決勝で山城高に完封負け、甲子園には届かなかった。1953年に卒業後関西大学へ進学し野球部所属。 関西六大学野球リーグでは在学中2回優勝。4回生となった1956年、同期のエース法元英明と1年下の中西勝己投手が中退しプロ入り後、2年生エース村山実が好投し全日本大学野球選手権大会に出場、決勝で島津四郎や人見武雄らのいた日大を降し選手権初優勝を飾る。東京六大学以外の大学としては初の優勝であった。
小辻 英雄(こつじ ひでお、1933年8月22日 - )は、… 小辻 英雄(こつじ ひでお、1933年8月22日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。 洛北高校から大日本印刷を経て1953年に南海ホークスへ入団。 1956年は正捕手の松井淳に衰えが見え、2番手だった筒井敬三も移籍したこともあり野村克也と正捕手を争ったが春キャンプで結果を残せず4試合の出場に留まった。同年に退団し、翌年から社会人野球のリッカーミシンでプレー。後に同社の京都支社長に就任した。
吉田 義男(よしだ よしお、1933年7月26日 - 202… 吉田 義男(よしだ よしお、1933年7月26日 - 2025年2月3日)は、京都府京都市中京区出身のプロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者、野球評論家、タレント、甲子園歴史館の運営会議顧問であった。 現役時代は「今牛若丸」と称され、華麗かつ堅実な守備で知られた守備の達人であった。引退後は3度にわたって阪神タイガースの監督を務めた。阪神を初めて日本一に導き、また阪神の監督を3度経験した唯一の人物である。 ニックネームは「よっさん」。1989年から1996年まで野球フランス代表監督を務め、「ムッシュ」とも呼ばれる。甥の谷真一も近鉄バファローズの元プロ野球選手。 1946年、旧制中等学校の京都市立第二商業学校に入学。