佐野 誠三(さの せいぞう、1920年2月7日 - 1976… 佐野 誠三(さの せいぞう、1920年2月7日 - 1976年6月10日)は、大阪府出身のプロ野球選手。 住吉中学校から1938年に南海軍へ入団。 チームの一年後輩に、戦後、名将として名を馳せる鶴岡一人がいた。一軍での出場機会が少ないまま、召集され、シベリア抑留後、復員したものの、1947年に引退、以後、マネージャー、スコアラー、ビデオマンとして南海を裏から支え水島新司の漫画『あぶさん』でも「VTRの誠さん」として取り上げられたことがあり、その際、氏の回想に巨人との試合で鶴岡が沢村栄治からライト前ヒットを放つシーンが描かれているが、鶴岡が南海に入団する前年、沢村は最初に召集され、昭和15年、18年と復帰、終戦前年、戦死しているのに対し、鶴岡は入団翌年、召集されたまま、終戦まで、チームに戻ることなく、実際、職業野球で対戦することはなかった。
蜂屋 慶(はちや けい、1920年1月23日 - 1997年… 蜂屋 慶(はちや けい、1920年1月23日 - 1997年9月18日)は、日本の教育学者。京都大学名誉教授。 大阪市出身。1941年京都帝国大学文学部哲学科卒、同大学院(旧制)、1981年「生活指導における集団指導の理論的考察」で京都大学教育学博士。大阪市立大学講師、助教授、教授、1972年奈良女子大学教授、京都大学教育学部教授、83年定年退官、名誉教授、光華女子大学長。92年退任。1958年『子どもらが道徳を創る』(宇野登共著)で毎日出版文化賞受賞。
藤戸 逸郎(ふじと いつろう、1920年 - 没年不明)は、… 藤戸 逸郎(ふじと いつろう、1920年 - 没年不明)は、大阪府出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手、三塁手、遊撃手。
深尾 文彦(ふかお ふみひこ、1920年 - 没年不明)は、… 深尾 文彦(ふかお ふみひこ、1920年 - 没年不明)は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。 京阪商業学校(現:大阪府立芦間高等学校)時代には春1回(1938年)、夏2回(1938年,1939年)甲子園に出場した。京阪商業時代のチームメイトに宮口美吉や加地健三郎がいる。 1940年、南海軍に入団。しかしデビュー戦となった1940年4月6日の阪急軍戦で、劉瀬章、平野正太郎の後を受け3番手投手として登板するも、7回から9回までの3イニングで17失点を浴びた。個人の投手での1試合17失点は当時のプロ野球記録(現在のプロ野球記録は1950年に伊藤万喜三〈東急〉が記録した18失点)。投手としてはこの1試合で見切られ、野手や代打要員として出場するも全く活躍できず、1941年限りで現役引退。
奥田 精一郎(おくだ せいいちろう、1920年 - 2020… 奥田 精一郎(おくだ せいいちろう、1920年 - 2020年11月13日)は、競泳コーチ。オリンピック選手を多く輩出しているイトマンスイミングスクール名誉会長。 大阪府生まれ。旧制茨木中学(現大阪府立茨木高等学校)卒業。中学5年時には水球日本代表にも選出された。早稲田第二高等学院を経て、早稲田大学に入学、水泳部である「稲泳会」に入部。1942年9月末の繰上卒業で従軍。愛知県豊橋市の陸軍南方軍第2航空師団入隊。その後第7飛行師団司令部付きとなり、フィリピン、ビルマを転戦。鹿児島県知覧町(現南九州市)の知覧陸軍飛行場で終戦を迎え、戦後は家業の造り酒屋で働く。後に競泳コーチに転身。山田スイミングクラブを経て、イトマンスイミングスクール会長となった。
鞠谷 宏士(きくたに ひろし、1920年代 - 2010年1… 鞠谷 宏士(きくたに ひろし、1920年代 - 2010年10月29日)は、日本の運送施設工学者。大阪府大阪市出身。
豊嶌 雅男(とよしま まさお、1919年12月23日 - 1… 豊嶌 雅男(とよしま まさお、1919年12月23日 - 1945年3月10日)は、大阪府大阪市出身の元大相撲力士。本名は西村 雅男(にしむら まさお)。
本間 爽悦(ほんま そうえつ、1919年12月23日 - 1… 本間 爽悦(ほんま そうえつ、1919年12月23日 - 1981年3月13日)は、将棋棋士。棋士番号30。大阪府枚方市出身。中井捨吉八段門下。本名は一雄。 1935年中井捨吉門下で奨励会入り。1942年四段。 1961年に第9期王座戦で優勝、1964年に第5期棋聖戦で大山康晴に挑戦するも3連敗で敗退。日本将棋連盟理事を長く務めた。 1973年八段。1981年、現役中に呼吸不全で死去。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
吉良 竜夫(きら たつお、1919年12月17日 - 201… 吉良 竜夫(きら たつお、1919年12月17日 - 2011年7月19日)は、日本の生態学者。本名は龍夫。理学博士。大阪市立大学名誉教授。元日本生態学会会長。初代日本熱帯生態学会会長。 大阪市生まれ。父は大阪府四條畷市の曹洞宗寺院龍尾寺の住職で貝類研究家の吉良哲明。父の薫陶を受けて、生態学者としての素養を身につけた。旧制大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)を、1940年に第三高等学校を卒業し、1942年京都帝国大学農学部農学科を卒業。京都帝国大学在学中には、今西錦司、森下正明、さらに1年後輩の梅棹忠夫とともに、大興安嶺山脈、ポナペ島の探検に参加した[要出典]。 1948年、新制の京都大学農学部農学科園芸学教室の助教授に着任。
土山 牧羔(つちやま ぼっこう、1919年8月12日 - 2… 土山 牧羔(つちやま ぼっこう、1919年8月12日 - 2013年1月28日)は、日本の教育者である。 1919年(大正8年)大阪府で出生。大阪府立住吉中学校卒業後、アメリカ合衆国へ渡りグリーンビル大学哲学教育学科、1945年(昭和20年)にプリンストン神学大学大学院進学、修士課程を修了。1946年(昭和21年)にシアトルパシフィック大学専任講師を勤めた後に帰国。1948年(昭和23年)に大阪キリスト教学院教授、1952年(昭和27年)大阪キリスト教短期大学学長、1965年(昭和40年)近畿大学講師、1966年(昭和41年)大阪薫英女子短期大学講師などを歴任。 1971年4月1日 社会福祉法人愛の園こひつじ保育園を大阪府堺市にて創立。
藤田 和夫(ふじた かずお、1919年7月24日 - 200… 藤田 和夫(ふじた かずお、1919年7月24日 - 2008年12月1日)は、日本の地球科学者。専門は構造地質学。地形学。 大阪市生まれ。幼少期を兵庫県芦屋市で過ごす。京都帝国大学理学部地質・鉱物学科卒業。1961年「西南日本中央帶(瀬戸内)の中新世以降における構造発達」で京都大学理学博士。京都帝大助手をへて、1950年大阪市立大学理学部助教授、60年教授、83年定年退官、名誉教授。帝塚山大学教養部教授。 主として近畿地方の活断層と地形の成因論を研究した。近畿地方に活断層が多く見られる理由を、琵琶湖の東と西とで地質構造が大きく変わる点に求め、当該地域を特別な地質構造帯として「近畿トライアングル」と名付けた。
上野 衣子(うえの きぬこ、旧姓:中村、1919年7月23日… 上野 衣子(うえの きぬこ、旧姓:中村、1919年7月23日 - 2013年12月5日)は、日本のフィギュアスケート選手、フィギュアスケートコーチ兼国際スケート連盟公式審判員、日本スケート連盟審判部長。大阪市出身。神戸女学院大学卒。長女は同じくフィギュアスケート選手でのちに審判員となった平松純子(旧姓:上野)である。 稲田悦子、山下艶子と同じく永井康三に師事した。1934-1935年シーズンに行なわれた第6回全日本ジュニア選手権で優勝。1936-1937年シーズンの第8回全日本選手権と1937-1938年シーズンの第9回全日本選手権でともに稲田悦子、月岡芳子に次ぐ3位、1938-1939年シーズンの第10回全日本選手権で2位となった。
山下 俊彦(やました としひこ、1919年7月18日 ‐ 2… 山下 俊彦(やました としひこ、1919年7月18日 ‐ 2012年2月28日)は、日本の実業家。松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)の3代目社長。大阪府出身。大阪市立泉尾工業学校卒業。実業学校卒の叩き上げで、創業者松下幸之助による異例の大抜擢を受けて取締役26名中序列25番目から社長に就任した[4][5]。この抜擢人事は、体操選手の山下治広が披露した跳馬の技にちなんで「山下跳び」と呼ばれた[6]。
中道 健太郎(なかみち けんたろう、1919年6月19日 -… 中道 健太郎(なかみち けんたろう、1919年6月19日 - 2013年4月17日)は、日本の経営者。カルピス食品工業(現在のアサヒ飲料)社長を務めた。 大阪府箕面市出身。1940年に大阪商科大学高商部を卒業。ピルマン製造で取締役を務め、1945年にカルピス食品工業に転じ、取締役、常務、専務を経て、1975年2月に社長に就任。1981年3月に相談役に就任。 2013年4月17日老衰のために死去。93歳没。
梅本 純正(うめもと よしまさ、1919年〈大正8年〉5月2… 梅本 純正(うめもと よしまさ、1919年〈大正8年〉5月27日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の厚生官僚・実業家。 社会保険庁長官、厚生事務次官、環境事務次官、内閣官房副長官、武田薬品工業社長などを務めた。 大阪府大阪市出身。浪速高等学校を卒業。1942年7月、高等試験行政科試験に合格。同年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。厚生省に入省し、生活局属となる。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。第九五八海軍航空隊に配属されラバウルに赴任。1944年5月、主計大尉に進み終戦を迎えた。 以後、児童局企画課長、内閣官房総務課長(首席参事官)、援護局長、大臣官房長、保険局長、社会保険庁長官、厚生事務次官などを歴任。
国久 松一(くにひさ しょういち、1919年5月15日 - … 国久 松一(くにひさ しょういち、1919年5月15日 - 戦死)は、大阪府出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手、外野手。
堀 新助(ほり しんすけ、1919年3月31日 - 2013… 堀 新助(ほり しんすけ、1919年3月31日 - 2013年9月28日)は、日本の外交官。イタリア大使などを務め、また、プロ野球のパシフィック・リーグ(パシフィック野球連盟。以下、パ・リーグ)会長も務めた。長男は経営コンサルタントで(株)ドリームインキュベータ会長の堀紘一。
原田 憲(はらだ けん、1919年(大正8年)2月12日 -… 原田 憲(はらだ けん、1919年(大正8年)2月12日 - 1997年(平成9年)1月29日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(14期)、運輸大臣、郵政大臣、経済企画庁長官を歴任した。長男は衆議院議員の原田憲治。 大阪府出身。父親は大阪府議会議長を務めた。大阪府立第十三中学校(現・大阪府立豊中高等学校)、関西大学予科を経て、1942年(昭和17年)明治大学専門部政治科を中退。池田産報協力工業労務課長、農工社勤労人事課長、原田印刷工業社長、阪神毎朝新聞社長などを務めた。 1946年(昭和21年)27歳で大阪2区(当時)より第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補したが落選。翌1947年(昭和22年)旧大阪3区より第23回衆議院議員総選挙に日本自由党から立候補し初当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘・増田甲子七・中山マサ・松野頼三・倉石忠雄・石田博英・園田直・櫻内義雄・根本龍太郎・佐々木秀世・中村寅太など)。
北川 石松(きたかわ いしまつ、1919年1月28日 - 2… 北川 石松(きたかわ いしまつ、1919年1月28日 - 2013年5月19日)は、日本の政治家。環境庁長官(第24代)、衆議院議員(6期)、大阪府議会議員(5期)、寝屋川市議会議員(1期)等を歴任した。位階は従三位。 長男北川法夫は元・寝屋川市長。次男北川知克は元衆議院議員。 大阪府寝屋川市生まれ。関西大学第二商業学校、大阪工業専修学校応用化学科を卒業。関西大学法学部中退。 1951年、寝屋川市議会議員選挙に出馬し、初当選した。1955年には大阪府議会議員選挙に鞍替えし、当選。以後5期連続で当選し、1970年には大阪府議会議長に就任する。 1972年、第33回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧大阪府第3区から出馬するが、落選。
平野 正太郎(ひらの しょうたろう、1919年 - 没年不明… 平野 正太郎(ひらの しょうたろう、1919年 - 没年不明)は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手、内野手、外野手)。
宮口 美吉(みやぐち よしきち、1919年 - 戦死)は、大… 宮口 美吉(みやぐち よしきち、1919年 - 戦死)は、大阪府出身のプロ野球選手(投手、内野手、外野手)。 京阪商業学校(現:大阪府立芦間高等学校)時代には春1回(1938年),夏1回(1938年)甲子園に出場した。京阪商業時代のチームメイトに深尾文彦や加地健三郎がいる。 1938年秋、南海軍に入団。南海の初代エースとして活躍し、負けが先行しながらも6勝(当時の南海ではチーム一の勝ち頭だった)を挙げた。同シーズンには防御率2.25で防御率トップ10の5位に入っている。1939年5月6日の阪急軍戦では平野正太郎投手とのリレーで無安打に抑えるも、2点を取られるという珍記録を持っている(日本プロ野球公式戦唯一の被安打0敗戦)。
芦原 千津子(あしはら ちづこ、1918年11月14日 - … 芦原 千津子(あしはら ちづこ、1918年11月14日 - 2009年1月5日)は、松竹楽劇部(改名を経て、OSK日本歌劇団)娘役スター。 1918年(大正7年)生まれ。大阪府大阪市の住吉大社の近くで生まれ育つ。 1931年(昭和6年)、松竹楽劇部に入団。秋月恵美子によれば、芦原は「天才肌」であり、(稽古熱心だった秋月に比し)短時間で振付をマスターした。またダンスに専念する姿勢でファンに「愛想をしない人」であった。 1935年(昭和10年)、大阪劇場『アベック・トア』で秋月とのコンビで起用されるようになる。その後1937年(昭和12年)以降は、秋月が男役メインとなり、二人は男役・娘役ペアでコンビを組むようになった。
向井正也(むかい まさや、1918年9月15日 - 2014… 向井正也(むかい まさや、1918年9月15日 - 2014年5月13日)は、大阪府交野市生まれの西洋建築史家、神戸大学名誉教授。位階は従四位。
河崎 晃夫(かわさき てるお、1918年6月11日 - 20… 河崎 晃夫(かわさき てるお、1918年6月11日 - 2000年7月7日)は、日本の経営者。三菱レイヨン社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1943年に慶應義塾大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本化成工業に入社。1971年11月に三菱レイヨン取締役に就任し、1975年5月に常務、1979年6月に専務を経て、1982年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に就任。1988年6月に会長に就任し、1993年6月から相談役を務めた。 1992年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2000年7月7日肝不全のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
吉川 悦次(よしかわ えつじ、1918年(大正7年)6月5日… 吉川 悦次(よしかわ えつじ、1918年(大正7年)6月5日 - 1993年7月21日)は、日本の政治家。大阪府大阪狭山市長(8期)。 大阪府南河内郡狭山村(のち狭山町、現・大阪狭山市)出身。1935年(昭和10年)狭山高等小学校卒業。1951年(昭和26年)狭山村役場に入り、土木建設、厚生衛生、水道の各課長などを経て、1962年(昭和37年)9月、狭山町長に当選する。 町長在任中に役場新庁舎、町立公民館・図書館・総合体育館などが完成し、町の人口は増えて、6期目の1985年(昭和60年)には5万人を突破した。7期目の1987年(昭和62年)に狭山町は市制施行し、「大阪狭山市」となり、初代市長に就任した。
本堂 保次(ほんどう やすじ、1918年3月18日 - 19… 本堂 保次(ほんどう やすじ、1918年3月18日 - 1997年6月8日)は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。本名は安次。1952年から1957年は本堂 保弥(やすや)、1958年以降は本名(コーチ時代の1969年のみ本堂 安治)を登録名としていた。
本堂 保次(ほんどう やすじ、1918年3月18日 - 19… 本堂 保次(ほんどう やすじ、1918年3月18日 - 1997年6月8日)は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督。 本名・本堂 安次(読みは同じ)。1952年から1962年は本堂 保弥(ほんどう やすや)、1963年の監督就任以降は本名(1969年のみ本堂 安治〈読みは本名と同じ〉)を登録名としていた。 幼少のときに兄の影響で野球を始める。「授業料だけでなく生活費の面倒も見てやる」という勧誘もあり、進学した日新商業学校では一塁手として活躍。春夏通じて5度の出場を果たしたが、いずれも初戦敗退に終わる。日新商の1年先輩だった山口政信の誘いで、高校卒業後の1937年に大阪タイガースに入団。
佐竹 五三九(さたけ ごさく、1918年2月14日 - 19… 佐竹 五三九(さたけ ごさく、1918年2月14日 - 1977年10月12日)は、昭和時代の労働運動家。全国金属労働組合(全金)委員長、日本労働組合総評議会(総評)副議長。 大阪府三島郡富田村(現高槻市)生まれ。1933年高等小学校卒業。洋服屋の店員を経て、1934年大阪毛織に入社。同年11月の日本労働組合全国評議会(全評)結成に参加。1935年全評関西繊維労働組合淀川分会長。同年12月に検挙・拘留されて退職。1936年大阪市の日の出鉄工所に入社。働きながら野田職工学校(二部)を卒業。同時に全評金属関西地方協議会青年部長として活動。1937年12月人民戦線事件で再検挙。1939年高野実、柳本美雄と連絡をとり上京。
岡本 一雄(おかもと かずお、1918年 - 没年不明)は、… 岡本 一雄(おかもと かずお、1918年 - 没年不明)は、大阪府出身のプロ野球選手。右投右打で、ポジションは捕手、一塁手。
小松 暢(こまつ のぶ、1918年 - 1993年11月22… 小松 暢(こまつ のぶ、1918年 - 1993年11月22日)は20世紀の日本の女性。漫画家・やなせたかしの妻で、結婚前は編集者を務めた。「小松」は1度目の結婚以降、やなせとの再婚までの間に名乗った姓で出生時の姓は「池田」。 大阪府大阪市に生まれる。父は現在の高知県安芸市出身で、鈴木商店に勤務していた。幼い頃は釧路市を経て高知市で暮らしており、高知県女子師範学校附属小学校(現:高知大学教育学部附属小学校)、高知県立第二高等女学校(現:高知県立高知丸の内高等学校)に通っていた。大阪で旧制阿部野高等女学校(現:大阪府立阿倍野高等学校)を卒業した。女学校時代は「韋駄天おのぶ」の異名を持つ短距離ランナーとして知られたという。
山岡 康人(やまおか やすひと、1917年12月21日 - … 山岡 康人(やまおか やすひと、1917年12月21日 - 1963年10月24日)は、日本の経営者。ヤンマーディーゼル社長を務めた。創業者山岡孫吉の長男。 大阪府大阪市出身。1942年に早稲田大学政治経済学部を卒業。1943年9月に25歳で取締役に就任し、1945年3月に山岡内燃機副社長、1961年7月にヤンマー農機社長を歴任し、山岡孫吉をサポートし、会社を牽引していた。組織体制の強化を図り、新規事業への進出と海外事業の再編などにも取り組み、中でも小型貨物自動車の開発に意欲を見せ、臨時車輌部を新設し、1958年5月には「ヤンマーポニー」の愛称で知られる小型ディーゼルエンジンを搭載した農用作業車を世に送り出した。
今堀 宏三(いまほり こうぞう、1917年(大正6年)11月… 今堀 宏三(いまほり こうぞう、1917年(大正6年)11月20日 - 2001年(平成13年)2月20日)は、日本の生物学者。大阪府大阪市出身。広島文理科大学卒業。父は教育者・心理学者の今堀友市、兄は東洋史学者・今堀誠二、弟は生化学者・今堀和友。
石谷 清幹(いしがい せいかん、1917年9月7日 - 20… 石谷 清幹(いしがい せいかん、1917年9月7日 - 2011年5月26日)は、日本の機械工学者。蒸気工学専攻。 大阪市出身。1940年東京帝国大学工学部機械工学科卒。1952年「ボイラ燃焼室熱計算法の研究」で東京大学から工学博士。川崎重工技師、1947年大阪帝国大学工学部機械科講師、1948年助教授、大阪大学工学部助教授、1962年教授。1981年定年退官、名誉教授、大阪産業大学客員教授。1991年勲三等旭日中綬章受勲。ボイラー、船舶などの安全工学を研究した。
安藤 仁子(あんどう まさこ、1917年〈大正6年〉8月16… 安藤 仁子(あんどう まさこ、1917年〈大正6年〉8月16日 - 2010年〈平成22年〉3月17日)は、日本の実業家にして日清食品創業者である安藤百福の3人目の妻。百福と結婚後、夫の投獄、事業の失敗、財産喪失など、度重なる不運を乗り越えて、世紀の発明と呼ばれるインスタントラーメン「チキンラーメン」が完成するまで夫を支え、その生涯を共に生き続けた。2018年(平成30年)のNHK連続テレビ小説『まんぷく』の主人公の1人、立花福子のモデル。 1917年に、大阪市北区富田町で、3人姉妹の三女として誕生した。実家の安藤家は、福島県の二本松神社の神主を務める名門であり、父の安藤重信は大阪で事業に乗り出す資産家であった。
平垣 美代司(ひらがき みよじ、1917年7月14日 - 1… 平垣 美代司(ひらがき みよじ、1917年7月14日 - 1984年6月26日)は、昭和時代の労働運動家。日本教職員組合(日教組)書記長。 大阪府池田市生まれ。1937年大阪府池田師範学校卒業。大阪市成小路小学校の教壇に立ったが、学問に興味を抱き関西大学に進学。1940年関西大学専門部法科卒業。学生時代、賀川豊彦等の指導により洗礼を受けた。戦後、大阪教職員組合(大阪教組)、日本教職員組合(日教組)、総評大阪地方評議会(大阪総評)の結成に参加。1947年大阪教組組織部長。1949年日本社会党に入党。日教組近畿地区協議会書記長を経て、1951年日教組組織部長、1953~1958年日教組書記長。 1951年に国労の岩井章、全逓の宝樹文彦らと「三角同盟」を結成。
南村 侑広(みなみむら ゆうこう、1917年4月17日 - … 南村 侑広(みなみむら ゆうこう、1917年4月17日 - 1990年4月17日)は、日本のプロ野球選手(外野手)、野球指導者、野球解説者。旧名は不可止(ふかし)。大阪府出身。
柴田 敏夫(しばた としお、1917年3月27日 - 198… 柴田 敏夫(しばた としお、1917年3月27日 - 1984年6月29日)は、日本のジャーナリスト、経営者。九州朝日放送社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1941年に京都帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。1977年6月に九州朝日放送専務に就任し、1981年6月には社長に就任。 1984年6月29日に心不全のために死去。67歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
徐 廷学(日本語読み: じょ ていがく、朝鮮語読み: ソ・ジ… 徐 廷学(日本語読み: じょ ていがく、朝鮮語読み: ソ・ジョンハク、서정학、1917年3月26日 - 2005年7月2日)は、大韓民国の警察公務員、ソウル市警察局長、第11代内務部治安局長、第6代江原道知事、大韓剣道会会長などを歴任した。 日本統治時代の京畿道の漣川郡に生まれる。日本名では大島陽輝(おおしまはるき)と名乗った。北陽商業学校(現・関西大学北陽高等学校)を経て、関西大学専門部第二部法律学科(現・関西大学法学部)に入学。大学では剣道部に所属して大阪代表選手として活躍すると共に、関西大学剣道部の部長に就任した。当時、朝鮮半島出身者が内地の大学で剣道部部長に就任するのは初めてであった。1940年(昭和15年)に卒業後、大阪府庁に入庁。
峠 三吉(とうげ さんきち、1917年(大正6年)2月19日… 峠 三吉(とうげ さんきち、1917年(大正6年)2月19日 - 1953年(昭和28年)3月10日)は、日本の詩人。本名は、三吉(みつよし)。1951年(昭和26年)に自費出版した『原爆詩集』で知られる。 父・嘉一はタイル製造などを手がける実業家で、三吉は父の勤務地大阪府豊能郡(現・豊中市)に生まれ、生後まもなく家族とともに父の故郷広島市に転居した。幼い頃から気管支の病気に苦しめられしばしば喀血、広島商業学校(現在の広島県立広島商業高校)在学時から詩作にいそしんだが、卒業後は長期の療養生活を余儀なくされ、この病気は三吉を生涯苦しめることとなった。 さらに1945年(昭和20年)8月6日、爆心地より3kmの広島市翠町(現在の南区翠)で被爆。
橋本 正己(はしもと まさみ、1917年2月14日 - 20… 橋本 正己(はしもと まさみ、1917年2月14日 - 2003年1月26日)は、日本の公衆衛生学者。国立公衆衛生院名誉教授。1989年勲三等旭日中綬章受章。 大阪府豊中市生まれ。1940年大阪帝国大学医学部卒。短期現役士官海軍軍医、1948年「昭和二十一年春季阪神地方流行時に於ける発疹チフス患者百七十名の疫学的並に臨床的観察」で大阪帝国大学より医学博士の学位を取得。豊中保健所勤務、厚生省公衆衛生局、国立公衆衛生院部長、名誉教授。1982年埼玉県立衛生短期大学学長。1989年勲三等旭日中綬章受勲。
早川 良雄(はやかわ よしお、1917年2月13日 - 20… 早川 良雄(はやかわ よしお、1917年2月13日 - 2009年3月28日)は、昭和期の日本を代表するグラフィックデザイナー。それぞれに違う色彩と描かれ方の違うパーツからなる『女の顔』シリーズ(1985年 - )や、独特の形態、配置から構成されるポスター作品などが特徴とされる。 1917年大阪府に生まれる。大阪市立工芸学校(現・大阪市立工芸高校)図案科(現在はビジュアルデザイン科・プロダクトデザイン科・インテリアデザイン科に分科)卒(1936年卒)。敗戦後、百貨店の三越などの広告部のデザイナーを経てグラフィックデザイナーとして独立、以後海外の国際的なデザインプロジェクトなどに精力的に関わる。 デザイナーとして、今日では伝説的ともいえる斬新なポスター・広告を多数製作、戦後日本のモダニズムを表現し、一躍注目を集めた。
津島 道子(つしま みちこ、1917年〈大正6年〉1月11日… 津島 道子(つしま みちこ、1917年〈大正6年〉1月11日 - 生死不明)は、日本の女優、声優である。本名は河原 道子(旧姓:津島)。旧芸名は草加 マキ(くさか まき)。 1917年(大正6年)1月11日、岡山県岡山市に生まれる。 大阪府立市岡高等女学校(現在の大阪府立港高等学校)を卒業後、女優を志し、1935年(昭和10年)9月に組織された大阪協同劇団の研究生となる。芸名を「草加 マキ」と名乗り、翌1936年(昭和11年)6月に北陽演舞場で初舞台を踏む。同劇団には、他に海老江寛、瀬良明、谷晃、木下ゆず子らが所属していた。1940年(昭和15年)、大阪協同劇団は強制的に解散を余儀なくされ、津島は1942年(昭和17年)にNHK大阪放送劇団に加入する。
居村 栄(いむら さかえ、1917年-2006年1月12日)… 居村 栄(いむら さかえ、1917年-2006年1月12日)は、日本の教育学者。 大阪府出身。大阪府立堺中学校、大阪高等学校、東京帝国大学文学部社会学科卒業。文部省に入り、山梨県教育委員会社会教育主事、1952年岡山大学教育学部助教授、教授、83年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授。
芝田 稔(しばた みのる、1916年〈大正5年〉12月12日… 芝田 稔(しばた みのる、1916年〈大正5年〉12月12日 - 2007年〈平成19年〉2月10日)は、日本の中国語学者。関西大学名誉教授。 大阪府南河内郡長野町(現・河内長野市)出身。北京大学文学院国文学系卒業。関西大学文学部助教授、教授。1989年定年、名誉教授。 子供は二男二女、長男は芝田啓治(元教員、元河内長野市長)。
小野 順造(おの じゅんぞう、1916年9月26日 - 19… 小野 順造(おの じゅんぞう、1916年9月26日 - 1989年6月28日)は、日本の経営者。大阪府大阪市出身。 1941年に大阪商科大学を卒業し、同年に小野市兵衛商店(現在の小野薬品工業)に入社。 取締役、常務、専務を経て、1968年6月に副社長に就任し、1977年2月には社長に昇格。1986年2月から会長を務めた。 1989年6月28日肺炎のために死去。72歳没。
北川 謙次(きたがわ けんじ、1916年(大正5年)9月16… 北川 謙次(きたがわ けんじ、1916年(大正5年)9月16日 - 1989年(平成元年)12月23日)は、日本の政治家。東大阪市長(第3代、2期)。息子は元国土交通副大臣を務めた自由民主党元参議院議員の北川イッセイ(北川一成)。日本社会党の大阪府議だった北川信次は従兄。勲等は勲三等瑞宝章。 大阪府出身。1934年(昭和9年)旧制大阪府立八尾中学校(現大阪府立八尾高等学校)を卒業した。 日本社会党公認で布施市(現・東大阪市)議会議員に当選の後に社会党を離党して市会議長などを経て、1967年(昭和42年)4月の統一地方選挙で自民党から立候補し大阪府議会議員(旧布施市選挙区、定数4)に伏見格之助(日本社会党)を抑え得票数4位で当選(伏見は次点に終わる)。
山本 博(やまもと ひろし、1916年9月9日 - 1993… 山本 博(やまもと ひろし、1916年9月9日 - 1993年)は、日本の柔道家(講道館9段)。 大阪府布施市域(現・東大阪市)出身で、生家7人姉弟のうち唯一の男児であった。逆七福神と言われ過保護の中で育ち、幼少時代からの病弱・泣き虫を見かねた父の取り計らいにより中学は大阪市内ではなく、勉学よりもスポーツを志して府下の旧制四條畷中学校(現・府立四條畷高校)に入学。50番目中32番目という小柄な体格であった山本が、いじめに遭わないようにと自らの意志で柔道部に入部したのが柔道との出会いであった。中学校の柔道教員は山本が生涯の師と仰ぐ事となる浜野正平(のち大阪府警師範)で、山本は浜野の元で“道場の虫”とあだ名されるほど稽古に打ち込んだ。
高島 一岐代(たかしま かずきよ、1916年5月18日 - … 高島 一岐代(たかしま かずきよ、1916年5月18日 - 1986年7月29日)は、将棋棋士。大阪府八尾市出身。藤内金吾八段門下。棋士番号19。将棋棋士八段の高島弘光は甥。元指導棋士五段の高島一由岐は長男。 (2021年4月1日現在)
山口 政信(やまぐち まさのぶ、1916年5月5日 - 19… 山口 政信(やまぐち まさのぶ、1916年5月5日 - 1976年3月22日)は、大阪府出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
池田 一郎(いけだ いちろう、1916年4月19日 - 20… 池田 一郎(いけだ いちろう、1916年4月19日 - 2000年4月22日 )は、日本の経営者。大和銀行頭取を務めた。 大阪府大阪市出身。1941年に大阪商科大学を卒業し、同年に大和銀行に入行。1968年11月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1975年5月に副頭取に就任し、1977年4月に頭取に就任。1984年6月に取締役相談役に就任し、1986年6月に相談役を経て、1998年4月から顧問を務めた。 大阪銀行協会会長、朝日放送監査役、西日本旅客鉄道非常勤取締役を歴任。 1981年11月に藍綬褒章を受章し、1986年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2000年4月22日肺炎により、大阪市の病院で死去。