田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4… 田端 正広(たばた まさひろ、1940年〈昭和15年〉1月4日 - 2025年〈令和7年〉1月5日)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)。 和歌山県和歌山市生まれ。大阪府立三国丘高等学校、同志社大学経済学部卒業後、公明新聞に入社。1986年の第14回参議院議員通常選挙では比例区から公明党名簿第14位に登載され立候補したが、この時には落選している。 1993年の第40回衆議院議員総選挙で公明党の公認候補として旧大阪1区(定数3)から立候補し、同区でトップ当選。小選挙区比例代表並立制が導入された1996年の第41回衆議院議員総選挙以降は大阪3区から新進党公認で立候補し、2期連続当選を果たした。その後は新進党の解党により新党平和を経て、再結成された公明党と所属政党を変えつつも、連続当選した。
大高 幸子(おおたか ゆきこ、1940年1月2日 - )は、… 大高 幸子(おおたか ゆきこ、1940年1月2日 - )は、日本の元競泳選手。和歌山県伊都郡九度山町出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。 和歌山県伊都郡九度山町立九度山中学校、和歌山県立伊都高等学校卒。 1956年の日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会で200m自由形で2位、400m自由形では日本新記録を樹立して優勝し、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは400m自由形と400mフリーリレーに出場し、ともに予選落ちだった。
岩倉 信弥(いわくら しんや、1939年11月25日 - )… 岩倉 信弥(いわくら しんや、1939年11月25日 - )は、多摩美術大学教授、立命館大学客員教授。経営学博士。 1939年、和歌山県和歌山市生まれ。多摩美術大学の美術学部に進み、図案科立体デザイン専攻する。1964年に卒業後、本田技研工業に入社。本田宗一郎に見出され、ホンダ車を多くデザインした。岩倉が担当した主な代表例として、初代シビック、アコード、オデッセイなどが挙げられる。 同社常務取締役(商品担当)を務めた後、1999年11月に退社。1999年6月から1.多摩美術大学美術学部の客員教授に就任した後、2001年4月から同大学の生産デザイン学科、プロダクトデザイン専攻の教授を務めている。 2004年3月に立命館大学より博士(経営学)を取得(論文タイトルは『ホンダにみるデザイン・マネジメントの進化』)。
小村 武(こむら たけし、1939年9月2日 - )は、日本… 小村 武(こむら たけし、1939年9月2日 - )は、日本の官僚。大蔵事務次官、日本政策投資銀行総裁などを歴任。血液型はB型。 和歌山県立星林高等学校を経て東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1963年、大蔵省入省。入省同期に日高壮平、中平幸典、西村吉正、米澤潤一(日本銀行理事、関税局長)、金野俊美(ヒメノ会長、印刷局長)山口厚生(農漁公庫理事、国税庁直税部長)、佐藤孝志(高岡市長)、谷口孝(ナショナル証券専務、内閣審議官)、金子義昭など。経済企画庁長官官房長を経て、斎藤次郎次官の下で大蔵省大臣官房長を務めたように大蔵省主流たる主計局の「斎藤組」の筆頭とされ、のち主計局長を経て、1997年(平成9年)7月、大蔵事務次官に就任。
後藤 忠弘(ごとう ただひろ、1939年7月15日 - )は… 後藤 忠弘(ごとう ただひろ、1939年7月15日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは外野手。
三木 孝志(みき たかし、1939年4月27日 - )は、日… 三木 孝志(みき たかし、1939年4月27日 - )は、日本の陸上競技(やり投)選手。 1950年代から1960年代にかけ、日本陸上競技選手権大会の男子やり投種目優勝7回、日本記録更新9回を数える。 和歌山県立那賀高等学校在学中の1956年10月、日本陸上競技選手権大会のやり投競技で優勝(60m07)。また同年の第11回国民体育大会(兵庫県)においても、やり投競技で優勝を果たした。 早稲田大学在学中の1958年7月6日、日本学生陸上競技対校選手権大会のやり投競技において、日本記録(69m50)で優勝。1958年には自らの日本記録を3度にわたり塗りかえており、10月12日の日本陸上競技選手権大会も日本記録(72m81)で優勝した。
福塚 勝哉(ふくづか かつや 、1939年1月5日 - )は… 福塚 勝哉(ふくづか かつや 、1939年1月5日 - )は和歌山県出身の元プロ野球選手(捕手)。
船戸 順(、1938年〈昭和13年〉11月26日 - 202… 船戸 順(、1938年〈昭和13年〉11月26日 - 2021年〈令和3年〉5月26日)は、日本の俳優である。本名は岩井 常隆()。血液型はB型。株式会社フジプランニング所属。 最初の妻は女優の香取環。2人目の妻は女優で日本舞踊家の岩井友見(十一代目岩井半四郎)。岳父は歌舞伎俳優の十代目岩井半四郎、岳母は女優の月城彰子。仁科亜季子・仁科幸子は義妹。 和歌山県那賀郡岩出町(現・岩出市)字船戸出身。和歌山県立和歌山工業高等学校を卒業後、下津町役場の土木課に勤務していた。 1959年のミスター平凡コンテストへの入賞をきっかけとして東宝へ入社し、1960年の映画『地の涯に生きるもの』(監督:久松静児)でデビュー。
西 三雄(にし みつお、1938年9月19日 - 2017年… 西 三雄(にし みつお、1938年9月19日 - 2017年4月5日)は、和歌山県海南市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。 元プロ野球選手の西五十六は実兄、西俊児は甥。 実家はみかん園で、三人兄弟の末っ子として生まれる。大成高校卒業後の1957年に丸善石油へ入社し、業務課資材係で勤務する傍ら、兄の五十六と共に主戦投手として活躍。入社1年目から4年連続で都市対抗に出場し、1957年の大会は2回戦の日鉄二瀬戦で初勝利を挙げる。2年目の1958年には肋間神経痛で不調に終わったが、3年目の1959年には四国予選準決勝の東レ愛媛戦でノーヒットノーランを達成。本大会ではエースとして3勝を挙げ、富士製鐵釜石との決勝では相手を6回途中まで1点に抑え、勝ち越しの三塁打も放つなど、チームの初優勝に貢献したと共に橋戸賞を獲得。
田中 重弘(たなか しげひろ、1938年7月30日- )は… 田中 重弘(たなか しげひろ、1938年7月30日- )は、日本の文筆家、翻訳家。 和歌山県生まれ。和歌山県立和歌山工業高等学校染織科卒、上智大学文学部哲学科卒。 染色工場を経営したのち1968年からウィーン大学で哲学、文学を学ぶ。1979年からハンガリーのブダペスト在住。
浄弘 美津子(じょうぐ みつこ、1938年7月29日 - )… 浄弘 美津子(じょうぐ みつこ、1938年7月29日 - )は、日本の経営者。上新電機社長、会長を務めた。和歌山県出身。 1957年に和歌山県立桐蔭高等学校を卒業し、上新電機に入社。1985年11月に相談役に就任し、1986年5月に相談役を経て、1988年11月には会長に就任。1991年1月には社長も兼任し、1993年6月に相談役に就任。
高松 好子(たかまつ よしこ、1938年4月16日 - )は… 高松 好子(たかまつ よしこ、1938年4月16日 - )は、日本の元競泳選手。和歌山県出身。ローマオリンピック日本代表。100m平泳ぎ・200m平泳ぎ元日本記録保持者。 伊都高校時代の高校総体で100m平泳ぎで3連覇を達成した。高1・高3では200m平泳ぎで優勝。個人種目で高校総体3連覇したのは女子史上初。 日本選手権では1955年から1960年にかけて100m平泳ぎ・200m平泳ぎで2冠かつ6連覇を達成した。100m平泳ぎでの6連覇は7連覇の長崎宏子に次ぐ歴代2位、6回の優勝は8回の田中雅美・7回の長崎宏子の次ぐ歴代3位の記録。200m平泳ぎでの6連覇は8連覇の長崎宏子・7連覇の前畑秀子に次ぐ歴代3位、6度の優勝は8度の長崎宏子・田中雅美、7度の前畑秀子に次ぐ歴代4位の記録。
土井 豊(どい ゆたか、1937年11月1日 - )は和歌山… 土井 豊(どい ゆたか、1937年11月1日 - )は和歌山県那賀郡池田村(現:紀の川市)出身の元プロ野球選手。 1956年に那賀高校から大阪タイガースに入団。当時は貴重な左腕で1958年に20試合に登板し2勝を挙げた。しかし、その後は精彩を欠き1962年高井良一男と共に、飯尾為男・福塚勝哉との2対2の交換トレードで毎日大映オリオンズに移籍。移籍後の登板はほとんどなく、1963年に退団した。
前田 一郎(まえだ いちろう、1937年9月26日 - )は… 前田 一郎(まえだ いちろう、1937年9月26日 - )は、政治評論家・元NHK解説委員。 和歌山県和歌山市出身。和歌山県立向陽高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。 1960年NHK入局。政治部次長、解説委員を経て、1996年退職に伴い部外解説委員に就任。その後部外解説委員を外れ、政治評論家となる。
藤本 勝巳(ふじもと かつみ、1937年8月8日 - )は、… 藤本 勝巳(ふじもと かつみ、1937年8月8日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。
宮本 恵美子(みやもと えみこ、現姓:寺山、1937年5月1… 宮本 恵美子(みやもと えみこ、現姓:寺山、1937年5月10日 - 2023年12月7日)は、日本の元女子バレーボール選手。1964年東京オリンピックバレーボール女子金メダリスト。東洋の魔女 (Oriental Witches) の主力メンバー。 和歌山県和歌山市出身。和歌山市立明和中学校時代に近畿大会で優勝。和歌山商業高校在学中にスカウトされて、実業団の日紡貝塚(当時)に入部。 入部当初は不器用なタイプで、アタックは強烈だがレシーブやトスがこなせず、「試合に出られなくても球拾いで頑張る」と自分に言い聞かせて、2年間控えにまわる。その姿を見続けてきた大松博文監督(当時)は「必ずモノになる」と確信したと述懐している。
島 正博(しま まさひろ、1937年3月10日 - )は、日… 島 正博(しま まさひろ、1937年3月10日 - )は、日本の実業家・発明家。島精機製作所代表取締役会長。血液型はA型。妻は和島興産社長の島和代。 和歌山県和歌山市出身。10代の頃から発明に熱中し、16歳の時には手袋編み機の特許を取得している。 県立和歌山工業高校卒業後、1962年に「手袋編機の自動化」という課題を掲げて島精機製作所を設立した。「研究開発」に力を注いでおり、1995年には画期的な無縫製ニット横編み機「ホールガーメント」を世に送り出した。 2014年7月11日、アメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィアに在るドレクセル大学より名誉経営学博士号が授与された。 2017年6月28日、会長に就任。
岡田 守雄(おかだ もりお、1937年1月12日 - )は、… 岡田 守雄(おかだ もりお、1937年1月12日 - )は、和歌山県新宮市[1]出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
薗田 坦(そのだ たん、1936年〈昭和11年〉10月18日… 薗田 坦(そのだ たん、1936年〈昭和11年〉10月18日 - 2016年〈平成28年〉4月22日)は、日本の宗教学者(宗教哲学)。位階は従四位。勲等は瑞宝重光章。学位は文学博士。京都大学名誉教授、仁愛大学名誉教授、日本学士院会員。 京都大学文学部助手、大阪市立大学文学部教授、京都大学文学部教授、京都大学大学院文学研究科教授、龍谷大学文学部教授、仁愛大学学長などを歴任した。 1936年10月18日、和歌山市生まれ。1959年京都大学文学部(宗教学専攻)卒。1964年同大学院博士課程単位取得満期退学。 大阪市立大学助教授、京都大学助教授、1989年 京大にて文学博士、京大文学部教授(西洋近世哲学史)、2000年定年退官、龍谷大学教授、仁愛大学学長。
楳図 かずお(うめず かずお、1936年〈昭和11年〉9月3… 楳図 かずお(うめず かずお、1936年〈昭和11年〉9月3日 あるいは9月25日 - 2024年〈令和6年〉10月28日)は、日本の漫画家・タレント・作詞家・作曲家。血液型O型。本名は楳図 一雄(読み同じ)。初期には山路 一雄やウメヅ カズヲの名義による作品もある。 和歌山県伊都郡高野町で生まれ、奈良県五條市に育つ。1955年に貸本漫画家としてデビュー、『週刊少年サンデー』などに作品を発表。代表作に『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など。作品は恐怖ものからSF、ギャグもの、時代劇まで、少年もの、少女もの、青年ものを問わず幅広いが、一般にはホラー漫画の第一人者として知られる。 1995年以降、腱鞘炎などといった理由で漫画は休筆し、1990年代後半からはタレント活動を精力的に行っていた。
佐山 和夫(さやま かずお、1936年8月18日 - )は、… 佐山 和夫(さやま かずお、1936年8月18日 - )は、和歌山県出身の作家、ノンフィクション作家。和歌山県田辺市在住。 和歌山県立田辺高等学校、慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。会社員、母校田辺高校の英語教師を経て、独立して「田辺イングリッシュアカデミー」を開く。その後作家に。 アメリカ野球学会(SABR)、スポーツ文学会(SLA)に所属。 第3回潮ノンフィクション賞、1984年度和歌山県文化奨励賞、2018年度和歌山県文化功労賞、第4回ミズノスポーツライター賞、ベーブ・ルース学会でジョセフ・アストマン賞、アメリカ野球学会のトウィード・ウエッブ賞、ロバート・ピーターソン賞などを受賞。 日本高等学校野球連盟並びに阪神甲子園球場歴史館では共に顧問を務める。
梅本 正之(うめもと まさゆき、1936年8月10日 - )… 梅本 正之(うめもと まさゆき、1936年8月10日 - )は、和歌山県有田郡津木村(現:広川町)出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ・スコアラー・寮長。
中平 穂積(なかだいら ほづみ、1936年8月3日 - 20… 中平 穂積(なかだいら ほづみ、1936年8月3日 - 2024年12月1日)は、日本のジャズ・フォトグラファー。国内外の著名なジャズミュージシャンと親交があり、アルバムのジャケット撮影や、経営するジャズ喫茶にて、ライブやレコーディングを多数おこなっている[要出典]。 和歌山県本宮町(現・田辺市)生まれ。和歌山県立新宮高等学校を経て、1960年日本大学芸術学部写真学科卒業。1961年2月、新宿に「DIG」を開店する。3月、「ジャズ・アーティスト写真展」を開催した。同月に結婚する。 1963年に「DIG」渋谷店をオープンする。1965年に、「ジャズ・カレンダー」の製作を開始した。 1966年、初渡米し、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビスを撮影。
井上 敦(いのうえ あつし、1936年(昭和11年)6月14… 井上 敦(いのうえ あつし、1936年(昭和11年)6月14日 ‐ 2011年(平成23年)3月20日)は、日本の政治家。日本共産党所属の衆議院議員。 和歌山県生まれ。三重県南牟婁郡鵜殿村出身。1955年(昭和30年)和歌山県立新宮高等学校を卒業。同県新宮市議会議員、紀南地区労働組合協議会書記次長、和歌山県振動病をなくす会顧問、日本共産党紀南地区委員長、同党和歌山県常任委員などを務めた。 1979年(昭和54年)の第35回衆議院議員総選挙で旧和歌山県第2区から出馬し初当選。当選1回。議員在職中の1980年(昭和55年)4月25日、衆議院建設委員会にて浜田幸一元代議士の土地転がし問題を暴露した。同年の第36回総選挙で落選。
松本 泰造(まつもと たいぞう、1936年〈昭和11年〉2月… 松本 泰造(まつもと たいぞう、1936年〈昭和11年〉2月1日 - )は、日本の政治家。元和歌山県有田市長(1期)。元和歌山県議会議員(2期)。旭日小綬章受章。 和歌山県出身。1959年(昭和34年)和歌山県立箕島高等学校卒。有田市議会議員、同第26代議長(1988年9月から1989年9月まで)を経て、1995年(平成7年)和歌山県議会議員に当選、2期務める。2000年(平成12年)有田市長選挙に立候補し無投票で当選する。同年9月17日に市長に就任した。2004年(平成16年)の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、前市長の玉置三夫に453票差で敗れた。同年9月16日に市長を退任した。2008年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
浦路 洋子(うらじ ようこ、1936年1月28日 - )は、… 浦路 洋子(うらじ ようこ、1936年1月28日 - )は、日本の女優。 以下に日本映画データベースに従い公開日、作品名、製作会社、役名を記載。作品数は本表における便宜上、暫定的なもの。
古川 勝(ふるかわ まさる、1936年(昭和11年)1月6日… 古川 勝(ふるかわ まさる、1936年(昭和11年)1月6日 - 1993年(平成5年)11月21日)は、和歌山県橋本町(現・橋本市)出身の水泳(競泳)選手。1956年メルボルンオリンピック200メートル平泳ぎ金メダリスト。独自の潜水泳法を編み出し、同時期に就役したアメリカ海軍の潜水艦になぞらえ「人間ノーチラス」の異名をとった。 1936年ベルリンオリンピック金メダリストの前畑秀子とは同じ町内の出身であった。古川は幼い頃から紀ノ川で水に親しみ、中学3年で全国大会3位、さらに和歌山県立橋本高等学校在学の頃から頭角を現わす。前畑の薦めにより、平泳ぎに専念するようになった。1952年ヘルシンキオリンピックには派遣されなかったが、同じ年に行われた全日本選手権でヘルシンキオリンピック第2位を上回る記録を出した。
門 三佐博(かど みさひろ、1936年 - 2025年8月1… 門 三佐博(かど みさひろ、1936年 - 2025年8月19日)は、日本の政治家。位階は正五位。旭日中綬章受章。 自由民主党所属。和歌山県議会議員 (10期)、同議長、同副議長を歴任。元衆議院議員・門博文の父。 和歌山県伊都郡かつらぎ町出身。和歌山県立笠田高校卒業。1975年 和歌山県議会議員選挙で初当選。1986年7月から翌年4月まで県議会副議長。 1989年7月 西本長浩の後任として県議会議長に就任。1990年7月 岸本光造を後任として議長を退任。2003年和歌山県議会議員選挙では伊都郡選挙区 (定数3) でトップ当選。 2007年和歌山県議会議員選挙では同選挙区 (定数2) で無投票当選。
青木 政代(あおき まさよ、1935年(昭和10年)12月9… 青木 政代(あおき まさよ、1935年(昭和10年)12月9日 - )は、日本の元競泳選手。現姓は東。 和歌山県伊都郡高野口町(現橋本市)出身。九度山町立九度山小学校卒業。 和歌山県立伊都高等学校在学中、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子200m平泳ぎに出場したが予選落ちに終わった。 1954年アジア競技大会では女子200m平泳ぎに出場し優勝した。 高校卒業後は、帝塚山学院短期大学を経て三冷社に入社。1958年アジア競技大会では主将として出場し、女子100m平泳ぎで準優勝した。
酒井 政利(さかい まさとし、1935年〈昭和10年〉11月… 酒井 政利(さかい まさとし、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 2021年〈令和3年〉7月16日)は、日本の音楽プロデューサー・メディアプロデューサー。酒井プロデュースオフィス代表取締役社長。日本ストリートダンス協会非常勤理事。国立国会図書館典拠データ検索・提供サービスによれば、1938年生まれと書かれた。 和歌山県有田市生まれ。父は建築設計事務所を営み、母は専業主婦。8人兄弟の末っ子であった。母は幼い政利を連れて酒井家に後妻として嫁いだ。 和歌山県立箕島高等学校、立教大学文学部卒業。大学卒業後、映画製作を志し松竹に入社するもまもなく退社し、その後日本コロムビア、CBS・ソニーレコードの音楽プロデューサーとして数多くのミュージシャンを発掘、育成する。
西 五十六(にし いそろく、1935年10月16日 - )は… 西 五十六(にし いそろく、1935年10月16日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(投手)。 弟の西三雄も元プロ野球投手であった。 和歌山県の大成高から、大阪タイガースに入団。 タイガースを退団した後は、社会人野球の丸善石油に入団。1958年の都市対抗野球では、1回戦の大昭和製紙戦で安藤治久と延長15回を投げ合った。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
29代 式守 伊之助(にじゅうきゅうだい しきもり いのすけ… 29代 式守 伊之助(にじゅうきゅうだい しきもり いのすけ、1935年8月28日 - 2004年2月2日)は、大相撲の立行司の一人。式守伊之助としての在位期間は1995年1月~2000年7月。春日野部屋所属。和歌山県和歌山市出身。本名:池田貢(いけだ みつぐ)。 1946年(昭和21年)11月場所初土俵。師匠は13代木村庄太郎で、26代伊之助、27代伊之助は同部屋の兄弟子である。初土俵時の行司名は木村貢。1961年1月場所十両格に昇格。1963年3月場所に3代木村善之輔を襲名。以後三役格まで善之輔で通す。1977年1月場所幕内格に昇格。1991年1月場所に三役格に昇格。木村善之輔の名跡で三役格まで昇格したのは1941年1月場所に昇格した初代善之輔(師匠である13代庄太郎の前名)以来50年ぶりだった。
小嶋 淳司(こじま あつし、1935年7月16日 - )は、… 小嶋 淳司(こじま あつし、1935年7月16日 - )は、がんこフードサービス(現・GANKO)の創業者。同社会長、日本フードサービス協会会長や、関西経済同友会代表幹事、なにわ淀川花火大会会長等も務めた。和歌山県西牟婁郡上富田町生まれ。和歌山県立田辺高校・同志社大学経済学部卒業。 高校時代より家業の雑貨屋『こじま』(紀勢本線朝来駅前)をきりもりする。同志社大学経済学部を卒業後、寿司屋で修行した後、1963年に大阪・十三で4坪半の「がんこ寿司」を開店。1969年(昭和44年)に法人設立 社長に就任、以後は同社を外食産業チェーンに育て上げる。2005年(平成17年)会長に就任。2021年(令和3年)賞味期限改竄問題を受け会長を辞任。
野田 幸男(のだ ゆきお、1935年2月2日 - 1997年… 野田 幸男(のだ ゆきお、1935年2月2日 - 1997年8月27日)は、日本の映画監督・演出家・脚本家。和歌山県御坊市出身。 代表作には『不良番長シリーズ』、『やくざ刑事シリーズ』、『0課の女 赤い手錠』、『激殺! 邪道拳』、『ゴルゴ13 九竜の首』など。 京都大学在学中に戸浦六宏の主催する劇団「風波」に参加。1958年(昭和33年)に大学卒業後、東映東京撮影所に助監督として入社し、石井輝男・佐伯清らに師事する。 1968年(昭和43年)3月、日本プロレスの記録映画である『プロレスWリーグ 血ぬられた王者』で監督デビュー。同年には梅宮辰夫主演の『不良番長』で映画の演出デビューも果たした。同作は大ヒットとなり、1972年(昭和47年)の『不良番長 骨までしゃぶれ』までシリーズ全16作が製作され、野田は11作を監督した。
河野 旭輝(こうの あきてる、1935年1月1日 - 201… 河野 旭輝(こうの あきてる、1935年1月1日 - 2014年1月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督。 1956年に年間85盗塁を記録し、当時の日本記録を樹立。同年の最多盗塁死29はその後破られていない。セ・パ両リーグで盗塁王を獲得した唯一の人物である。 大阪府で生まれるも、戦争中に疎開で和歌山県へ引っ越した。 和歌山工業から野球部ができたばかりの松下電器に入社。主に一塁手、遊撃手としてプレーし更に投手としてマウンドに立つこともあった。1953年の都市対抗にチームとしての初出場を果たす。 1954年に阪急ブレーブスへ入団し、1年目の同年は開幕から二塁手に抜擢され定位置を獲得。
新宮 正春(しんぐう まさはる、本名: 瀬古正春(せこ まさ… 新宮 正春(しんぐう まさはる、本名: 瀬古正春(せこ まさはる)、1935年1月1日 - 2004年8月28日)は、日本の小説家、著述家。和歌山県新宮市出身。筆名は自身の出身地に由来する。 神奈川大学経済学部を中退した後、内外タイムスをへて報知新聞社に入社、運動部記者として勤務。V9時代の読売ジャイアンツを取材する。そのため、初期作品にはジャイアンツを題材としたスポーツ小説やノンフィクションが多い。梅本さちおの漫画『影武者ジャイアンツ』の原作も担当している。記者時代の縁から、長嶋茂雄との親交も深く、長嶋と亜希子夫人との間を取り持ったことでも知られる。 1970年には、短編「安南の六連銭」で第15回小説現代新人賞を受賞し、時代小説作家としてデビューした。
川崎 孝(かわさき たかし、1935年 - )は、和歌山県和… 川崎 孝(かわさき たかし、1935年 - )は、和歌山県和歌山市出身の元アマチュア野球選手・指導者である。ポジションは外野手。 県立和歌山商業高校では主将を務めた。卒業後には関西学院大学に入学し、そこでも主将を務め、関西大学の村山実や立教大学の長嶋茂雄と対戦したことがあった。 大学卒業後は1958年に三菱重工業に入社する。1969年から三菱重工神戸の監督を務め、翌年の都市対抗野球では、チームを準優勝に導いた。 一旦、社業に戻った後に、1982年から1984年までに再び監督を務めた。 その後は、日本野球連盟の常任理事、センバツ高校野球の選考委員、兵庫県野球連盟会長等を歴任した。 またその一方で、日本放送協会で高校野球解説者を務めた。
東 陽一(ひがし よういち、1934年11月14日 - 20… 東 陽一(ひがし よういち、1934年11月14日 - 2026年1月21日)は、日本の映画監督、脚本家。和歌山県紀美野町出身。早稲田大学第一文学部英文学科卒。 早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社し、助監督として多く黒木和雄作品についたが、1962年、助監督のまま退社してフリーランスとなり、短編映画『A FACE』(1963年)で監督デビューした。長編第一作はさまざまな論議を呼んだドキュメンタリー作品『沖縄列島』(1969年)。つづく初の劇映画『やさしいにっぽん人』(1971年)で日本映画監督協会新人賞を受賞、劇映画三作目の『サード』(1978年)では第52回キネマ旬報ベストワン、第21回ブルーリボン賞作品賞、芸術選奨文部大臣新人賞などを受賞し、映画監督としての地歩を固めた。
亀井 敬之(かめい よしゆき、1934年11月9日 - )は… 亀井 敬之(かめい よしゆき、1934年11月9日 - )は、日本の経営者、銀行家。泉州銀行頭取を務めた。 和歌山県和歌山市出身。1957年に東京大学法学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。1982年6月に関東信越国税局長、1985年6月に大臣官房審議官、1986年6月に造幣局長、1987年7月に住宅金融公庫理事を経て、1989年6月には泉州銀行専務に就任。1992年5月に副頭取を経て、1993年3月には頭取に就任。1999年6月に会長を経て、2000年6月には相談役に就任。 2007年4月に瑞宝中綬章を受章。
佐武 弘章(さたけ ひろあき、1934年8月6日 - )は、… 佐武 弘章(さたけ ひろあき、1934年8月6日 - )は、日本の経済学者、大阪府立大学名誉教授。 和歌山市出身。1965年大阪市立大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、87年「「資本の生産過程論」の成立: 「資本論」第1部の成立過程の研究」で経済学博士。大阪社会事業短期大学講師、助教授、大阪府立大学社会福祉学部教授。99年定年退官、名誉教授、福井県立大学教授を務めた。
東 実(あずま みのる、1934年7月17日 - )は、和歌… 東 実(あずま みのる、1934年7月17日 - )は、和歌山県海南市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。
田村 美佐子(たむら みさこ、1934年(昭和9年)4月8日… 田村 美佐子(たむら みさこ、1934年(昭和9年)4月8日 - )は、日本の元競泳選手。現姓は斉藤。 和歌山県伊都郡妙寺町(現かつらぎ町)出身。 和歌山県立伊都高等学校在学中、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子400m自由形に出場したが予選落ちに終わった。女子4×100m自由形リレーでは6位に入賞した。1954年アジア競技大会では女子400m自由形に出場し優勝した。 のちに、天理短期大学保健体育科に進学。 現役引退後は、トータル・オリンピック・レディース会の会計監査を務めた。
まつい のりこ(松井紀子、1934年3月17日 - 2017… まつい のりこ(松井紀子、1934年3月17日 - 2017年2月12日)は、日本の絵本作家、紙芝居作家。 絵本の代表作は『じゃあじゃあびりびり』、『かずのほん』、『とけいのほん』など。紙芝居では『おおきくおおきくおおきくなあれ』などを発表し、紙芝居の普及に努めた。 1934年3月17日、和歌山県和歌山市生まれ。和歌山大学学芸学部を卒業後、東京で小学校教員(図工)となる。 子育ての中で絵本に関心を持ち、28歳で絵を学ぶべく武蔵野美術大学に入学、卒業。 自分の子供に手作りの絵本を作ったことが、のちに絵本作家に進む出発点となる。絵本作家となる。1976年、『ころころぽーん』でボローニャ世界児童図書展エルバ賞を受賞。
北野 タダオ(きたの タダオ、本名:北野董郎(きたの ただお… 北野 タダオ(きたの タダオ、本名:北野董郎(きたの ただお)、1934年3月3日 - 2018年10月3日)は、日本のジャズピアニスト。和歌山市出身。 中学校の頃から独学でピアノを学び、17歳のころ、ドラムの猪俣猛と、サックスの津田清とともに、ジーン・クルーパースタイルでトリオを編成、アメリカ軍のキャンプでジャズの演奏会を行った。高卒後、関西学院大学に進学。 大卒後も、関西を本拠地としてジャズピアニストとして活動し、1958年、大阪・キタのナイトクラブ・アローの専属ジャズバンド「北野タダオとアロージャズオーケストラ」を結成。リーダー兼ピアニストとして活動し、その卓越された演奏は関西屈指のビッグバンドとして知られ、ジャズの演奏の編曲は延べにして3000曲を超える。
雜賀 慶二(さいか けいじ、1934年 - )は、日本の実業… 雜賀 慶二(さいか けいじ、1934年 - )は、日本の実業家。東洋ライス代表取締役。創業者。東京農業大学客員教授。一般社団法人和歌山県発明協会副会長。和歌山市少年少女発明クラブ副会長。一般財団法人雑賀技術研究所名誉会長。全国無洗米協会顧問。 和歌山県和歌山市に生まれる。1949年、和歌山市立城東中学校を卒業。祖父が1916年(大正5年)に設立した雜賀商会を手伝う。1961年に石抜機を発明(無石米)。11月1日、株式会社東洋精米機製作所を設立。1963年4月8日、財団法人雑賀技術研究所を設立し会長に就任。1985年、東洋精米機製作所社長に就任。1990年、味度計を開発。1991年、無洗米を発明。
大原 博志(おおはら ひろし、1933年10月19日 - )… 大原 博志(おおはら ひろし、1933年10月19日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。 伊都高校から1952年に大阪タイガースへ入団。
玉本 敏雄(たまもと としお、ぎょくもと としお、1933年… 玉本 敏雄(たまもと としお、ぎょくもと としお、1933年9月 - )は、日本の実業家、艶福家。タイやカンボジアで多くの女性を囲い込んでいたことで知られる。 和歌山県かつらぎ町出身。1956年に大阪経済大学を卒業後、和歌山相互銀行に就職。1964年に砂利会社に転職して一時は社長を務めるものの砂利不足で会社が解散、別の砂利会社に転職したものの退職している。 1968年頃からタイに渡るようになる。1973年段階では、永住ビザの申請を試みていた。1972年、チエンマイ県で多数の少女を囲い込んでいることが日本の週刊誌で報道され内外で批難にさらされる。当時のタイでは学生らによる反日運動が激化していたことも問題を複雑化させた。
西山 和良(にしやま かずよし、1933年8月22日 - )… 西山 和良(にしやま かずよし、1933年8月22日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。
田宮 武(たみや たけし、1933年4月18日 - 2001… 田宮 武(たみや たけし、1933年4月18日 - 2001年5月5日)は、日本の社会学者。 和歌山県橋本市出身。1959年、関西大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。関西大学社会学部助教授、教授。差別問題、マスコミ論などを論じた。在任中に死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
日吉 章(ひよし あきら、1933年(昭和8年) - )は、… 日吉 章(ひよし あきら、1933年(昭和8年) - )は、日本の大蔵・防衛官僚。元防衛事務次官。和歌山県出身。 和歌山県立田辺高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。東大卒業後、大蔵省入省(為替局総務課)。東海財務局長、大蔵省大臣官房審議官(理財局担当)等を経て防衛庁に転じ、経理局長、防衛局長、長官官房長を経て、1991年(平成3年)防衛事務次官に就任。事務次官在職中の1993年(平成5年)に自宅で時限式爆発物が爆発する事件があった。 退官後は全国防衛協会連合会理事長等を務める。2005年(平成17年)には瑞宝重光章を受章した。