岸本 周平(きしもと しゅうへい、1956年〈昭和31年〉7… 岸本 周平(きしもと しゅうへい、1956年〈昭和31年〉7月12日 - 2025年〈令和7年〉4月15日)は、日本の政治家、大蔵・財務官僚。位階は従四位。 和歌山県知事(公選第22代)、内閣府大臣政務官兼経済産業大臣政務官(野田第3次改造内閣)、衆議院議員(5期)、国民民主党選挙対策委員長、国民民主党幹事長代行、旧国民民主党選挙対策委員長を歴任。妻はNHK記者の飯田香織。 和歌山県和歌山市生まれ。和歌山県立桐蔭高等学校、東京大学法学部(江頭憲治郎ゼミ)卒業。大学卒業後、大蔵省に入省(大臣官房調査企画課)。入省同期には後藤茂之(衆議院議員、経済再生担当大臣兼内閣府特命担当大臣)、寺田稔(衆議院議員、元総務大臣)、稲垣光隆(国税庁長官)、枝廣直幹(福山市長)、高橋洋一(嘉悦大学教授)、佐藤慎一(財務事務次官、主税局長、大臣官房長、大臣官房総括審議官)、林信光(元国税庁長官)、山崎達雄(元財務官)、森信親(金融庁長官)、西村善嗣(東京国税局長、国税庁次長)ら23人らがいる。
本田 悦朗(ほんだ えつろう、1955年(昭和30年)1月 … 本田 悦朗(ほんだ えつろう、1955年(昭和30年)1月 - )は、日本の大蔵官僚、経済学者(国際金融・金融政策)。TMI総合法律事務所顧問。 財務総合政策研究所研究部部長、四国財務局局長、外務省大臣官房審議官(欧州局担当)、財務省大臣官房政策評価審議官、静岡県立大学国際関係学部教授、内閣官房参与、スイス駐箚特命全権大使兼リヒテンシュタイン駐箚特命全権大使兼欧州金融経済担当特命大使などを歴任した。 1955年、和歌山県にて生まれた。和歌山県和歌山市、岩出市、有田郡、日高郡などで育った。和歌山県立橋本高等学校を卒業後、上京して東京大学に入学する。1978年、同大学法学部第1類(私法コース)を卒業し、法学士を取得した。
真砂 靖(まなご やすし、1954年(昭和29年)5月11日… 真砂 靖(まなご やすし、1954年(昭和29年)5月11日 - )は、日本の財務官僚・弁護士。元財務事務次官。 株式会社読売新聞西部本社監査役、日本テレビホールディングス株式会社・日本テレビ放送網株式会社社外取締役、三井不動産株式会社監査役、一般社団法人日本外交協会理事を歴任。和歌山県田辺市出身。2025年、瑞宝重光章受章。 真砂曰く入省した動機は「官庁回りをしていた際に『大蔵省の(大臣官房)秘書課に凄く可愛い娘がいるぞ』と聞き、発足冷やかしに行った。帰ろうと思ったら、当時の細川興一(大臣官房)秘書課長補佐から説明を受けた。大学の『優』の成績ぐ4つしかなく、『もっと取れ』とハッパをかけられた。
南方 敏尚(みなかた としひさ、1953年11月29日 - … 南方 敏尚(みなかた としひさ、1953年11月29日 - )は、日本の郵政官僚、実業家。かんぽ生命保険取締役兼代表執行役副社長を務めた。 和歌山県立桐蔭高等学校、京都大学法学部卒業。1977年4月に郵政省に入省した(人事局要員訓練課)。同期入省に桜井俊(元総務事務次官)、髙橋亨(日本郵便会長)、山川鉃郎(元総務審議官)、中田睦(KDDI常務)などがいる。 郵政省では、放送行政や人事など、行政・事業双方の経験を積み、放送行政局放送政策課長や郵政事業庁人事課長、関東郵政局次長などを歴任した。平成16年(2004年)4月に日本郵政公社執行役員経営企画部門経営企画部長に、平成18年(2006年)4月に同社常務執行役員経営企画部、平成22年(2010年)6月に株式会社かんぽ生命保険専務執行役に、平成24年(2012年)7月に同社執行役副社長に、平成25年(2013年)6月に同社取締役兼代表執行役副社長(現任)に就任した。
佐々木 英治(ささき ひではる、1951年 - )は、日本の… 佐々木 英治(ささき ひではる、1951年 - )は、日本の元総務官僚。 和歌山県和歌山市出身。1975年、郵政省入省。近畿郵政局人事部長、総務省郵政事業庁郵務部長、郵政公社近畿支社長、日本郵政株式会社専務執行役、執行役副社長、NTT東日本監査役を歴任。
辻原 俊博(つじはら としひろ、1950年(昭和25年) -… 辻原 俊博(つじはら としひろ、1950年(昭和25年) - )は、日本の建設・国土交通官僚、外交官。2012年(平成24年)9月11日からクウェート駐箚特命全権大使。
谷口 博昭(たにぐち ひろあき、1948年 <昭和23年> … 谷口 博昭(たにぐち ひろあき、1948年 <昭和23年> 8月1日 - )は、日本の元建設・国土交通官僚、和歌山県出身。元国土交通事務次官。第109代土木学会会長、建設業技術者センター理事長(非常勤)。 和歌山県和歌山市出身。和歌山県立桐蔭高等学校を経て、東京大学工学部土木工学科卒業。建設省入省後は、技官として道路行政に従事。道路局高速道路課長、企画課長、近畿地方整備局長、道路局長等を経て、2006年(平成18年)に技監に、2009年(平成21年)7月24日に、国土交通事務次官に就任した(技官で3人目、道路畑では佐藤信秋以来2人目)。この間にも、土木学会副会長(総務)を2007年(平成19年)度から2008年(平成20年)度にかけて務めた。
阪田 雅裕(さかた まさひろ、1943年〈昭和18年〉9月2… 阪田 雅裕(さかた まさひろ、1943年〈昭和18年〉9月20日 - )は、日本の大蔵官僚、弁護士。勲等は瑞宝大綬章。アンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問、第一東京弁護士会所属。 大蔵省大臣官房審議官、内閣法制局総務主幹、内閣法制局第三部部長、内閣法制局第一部部長、内閣法制次長、内閣法制局長官などを歴任した。 和歌山県出身の大蔵官僚である。大蔵省においては、大臣官房参事官を経て審議官を務めた。のちに内閣法制局に出向し、総務主幹を経て、第三部や第一部の部長を務めるなど、要職を歴任した。2002年には内閣法制次長に就任した。2004年には秋山收の後任として内閣法制局長官に就任し、第2次小泉内閣から第3次小泉改造内閣にかけて同職を務めた。
小村 武(こむら たけし、1939年9月2日 - )は、日本… 小村 武(こむら たけし、1939年9月2日 - )は、日本の官僚。大蔵事務次官、日本政策投資銀行総裁などを歴任。血液型はB型。 和歌山県立星林高等学校を経て東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。1963年、大蔵省入省。入省同期に日高壮平、中平幸典、西村吉正、米澤潤一(日本銀行理事、関税局長)、金野俊美(ヒメノ会長、印刷局長)山口厚生(農漁公庫理事、国税庁直税部長)、佐藤孝志(高岡市長)、谷口孝(ナショナル証券専務、内閣審議官)、金子義昭など。経済企画庁長官官房長を経て、斎藤次郎次官の下で大蔵省大臣官房長を務めたように大蔵省主流たる主計局の「斎藤組」の筆頭とされ、のち主計局長を経て、1997年(平成9年)7月、大蔵事務次官に就任。
日吉 章(ひよし あきら、1933年(昭和8年) - )は、… 日吉 章(ひよし あきら、1933年(昭和8年) - )は、日本の大蔵・防衛官僚。元防衛事務次官。和歌山県出身。 和歌山県立田辺高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。東大卒業後、大蔵省入省(為替局総務課)。東海財務局長、大蔵省大臣官房審議官(理財局担当)等を経て防衛庁に転じ、経理局長、防衛局長、長官官房長を経て、1991年(平成3年)防衛事務次官に就任。事務次官在職中の1993年(平成5年)に自宅で時限式爆発物が爆発する事件があった。 退官後は全国防衛協会連合会理事長等を務める。2005年(平成17年)には瑞宝重光章を受章した。
薗村 泰彦(そのむら やすひこ、1921年11月30日 - … 薗村 泰彦(そのむら やすひこ、1921年11月30日 - 1994年5月22日)は、日本の運輸官僚。海上保安庁長官、帝都高速度交通営団総裁を務めた。和歌山県和歌山市出身。 1944年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に運輸省に入省した。官房長、海運局長を経て、1975年から1978年までに海上保安庁長官を務めた。帝都高速度交通営団を経て、1983年から1986年までに総裁を務めた。 1994年には勲二等旭日重光章を受章した。 1994年5月22日心不全のために死去。72歳没。
森本 修(もりもと おさむ、1919年1月1日- 1998年… 森本 修(もりもと おさむ、1919年1月1日- 1998年9月28日 )は、日本の農林官僚。農林中央金庫理事長を務めた。 和歌山県海南市出身。1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1942年に農林省に入省した。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、同年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。第103軍需部に配属。1943年11月、海軍主計大尉に昇進し、海軍省軍務局第4課員として終戦を迎えた。 戦後、農林省に復帰。1965年6月に農林経済局長に就任し、1966年9月に農政局長、1968年6月に水産庁長官、1969年11月に食糧庁長官、1970年8月に農林事務次官、1973年7月に農業信用保険協会理事長を経て、1977年5月には農林中央金庫理事長に就任。
大堀 弘(おおほり ひろむ、1913年5月3日 - 1985… 大堀 弘(おおほり ひろむ、1913年5月3日 - 1985年5月12日)は、日本の商工官僚。電源開発総裁、共同石油社長。大堀孝の長男。 和歌山市出身。高輪尋常小学校、旧制武蔵高校を経て、1936年に東京帝国大学法学部卒業、同年、商工省入省。貿易局属。同期に小室恒夫(通商局長、新日鉄化学社長)、村田恒、皆川良三(札幌通産局長)、永野量、佐藤清一(共に東京通産局長)など。 戦後の1948年兵器処理委員会に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。のち商工省から新制通産省と改称の後もしばらくは、吉田茂や白洲次郎、初代通産省官房長の永山時雄らの「外交派」・「通商派」らが実権を握っていたが、その後の朝鮮特需によりジョゼフ・ドッジらの自由経済から方向転換、主流の「産業派」もしくは「統制派」の復権後は、永山が東京通産局に、大堀も中小企業庁長官ののち経済企画庁に出された。
正示 啓次郎(しょうじ けいじろう、1911年5月16日 -… 正示 啓次郎(しょうじ けいじろう、1911年5月16日 - 1994年4月17日)は、日本の大蔵官僚、政治家。衆議院議員、経済企画庁長官。
阪田 泰二(さかた たいじ、1910年1月27日 - 196… 阪田 泰二(さかた たいじ、1910年1月27日 - 1968年10月7日)は、日本の大蔵官僚。
高木 正夫(たかぎ まさお、1890年〈明治23年〉1月10… 高木 正夫(たかぎ まさお、1890年〈明治23年〉1月10日 - 1973年〈昭和48年〉1月26日)は、大正から昭和期の鉄道官僚、政治家。参議院議員。 和歌山県和歌山市出身。広島高等師範学校を経て、1922年(大正11年)京都帝国大学経済学部を卒業。同年鉄道省に入省し大臣官房書記に任じられ、1923年(大正12年)12月、高等試験行政科試験に合格した。 以後、大阪鉄道局大阪運輸事務所長、門司鉄道局運輸部長、鉄道省陸運監理官、東京鉄道局事業部長などを歴任。その間、学習院助教授を務めた。1938年(昭和13年)4月に退官して日本通運理事に就任し、大阪支店長、常務取締役などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙に全国区から無所属で出馬して当選し、緑風会に所属して参議院議員に1期在任した。
鈴木 康四郎(すずき こうしろう、1886年(明治19年)2… 鈴木 康四郎(すずき こうしろう、1886年(明治19年)2月15日 - 1960年(昭和35年)3月14日)は、日本の官僚、政治家。第8代和歌山市長。 1886年(明治19年)2月15日、岡崎定治郎の次男として和歌山県西牟婁郡宇津木村(のち白浜町宇津木)で生まれ、後に西牟婁郡万呂村大字下万呂(現:田辺市下万呂)の鈴木まさゑと結婚して改姓。和歌山県立田辺中学校卒業後、1911年(明治44年)4月に西牟婁郡書記となり、1918年(大正7年)には和歌山県属に昇進したが、在任中の手腕が認められて内務属となり中央官界で活躍。 1926年(大正15年)10月、京都市の課長に就任し、累進して中京区長となって5年間務めた後、1938年(昭和13年)に和歌山市助役に迎えられた。
下村 宏(しもむら ひろし、1875年〈明治8年〉5月11日… 下村 宏(しもむら ひろし、1875年〈明治8年〉5月11日 - 1957年〈昭和32年〉12月9日)は、明治・大正・昭和の法学博士、逓信官僚・台湾総督府官僚、実業家、朝日新聞社副社長、貴族院議員。拓殖大学第6代学長、NHK会長。歌人で号は海南(かいなん)。下村房次郎の子。 玉音放送の際の内閣情報局総裁であり、ポツダム宣言受諾の実現に尽力した。「人種改良を国策に」と優生思想を強く推したことでも知られている。 和歌山県出身。父・房次郎(1856年5月7日 - 1913年2月21日)は「和歌山日日新聞」を創刊した後に逓信省に入り、退官後は実業家として活動する傍ら東京商業学校の創設に関わった。 和歌山中学、第一高等学校から東京帝国大学を卒業し、1898年(明治31年)に逓信省へ入省。
湯川 寛吉(ゆかわ かんきち、慶応4年5月24日(1868年… 湯川 寛吉(ゆかわ かんきち、慶応4年5月24日(1868年7月13日) - 昭和6年(1931年)8月23日)は、第5代住友総理事である。 慶応4年(1868年)5月24日、紀伊国東牟婁郡新宮町841番地(現和歌山県新宮市千穂1丁目)で紀伊新宮藩の藩医湯川寛斎と八重の長男として生まれた。新宮小学校を卒業後、和歌山中学校へ入学したが中退し、東京ドイツ協会学校に在籍した。明治15年(1882年)東京大学予備門に入学して医科大学へ進む予定であったが、独法科が設置された法科大学に転学し、明治23年(1890年)東京帝国大学法科大学独法科を卒業した。 同年逓信省に入り、明治27年(1894年)日清戦争の野戦高等郵便局長として戦地で活躍、明治28年(1895年)東京郵便電信学校の校長となる。
中松 盛雄(なかまつ もりお、1865年11月20日〈慶応元… 中松 盛雄(なかまつ もりお、1865年11月20日〈慶応元年10月3日〉 - 1952年〈昭和27年〉7月21日)は、日本の官僚、弁護士、弁理士。第9代特許局長。日本基督教会理事長。化学工業協会会長。族籍は和歌山県士族。 中松克正の二男。1891年(明治24年)帝国大学法科大学英法科(現東京大学法学部)を卒業。農商務省に入る。1907年(明治40年)12月25日から1913年(大正2年)6月13日まで第9代特許局長を務めた。退官後、1914年(大正3年)に弁護士・弁理士登録し、同年7月1日に現在の中村合同特許法律事務所の前身にあたる中松特許法律事務所を開設した。日本共立火災保険取締役を兼ねる。
児玉 仲児(こだま ちゅうじ、嘉永2年11月14日(1849… 児玉 仲児(こだま ちゅうじ、嘉永2年11月14日(1849年12月28日) - 明治42年(1909年)1月24日)は、和歌山県の民権家、官吏、衆議院議員(3期)、大日本水産会名誉会員。 紀伊国那賀郡中山村(粉河村、粉河町を経て現紀の川市)生まれ。同窓に濱口梧陵、陸奥宗光など。 はじめ、森田節斎について漢学を学び、京阪の鴻儒について文学を修める。明治6年(1873年)に慶應義塾に入学し、卒業後に大蔵省記録局(13等)に出仕。のちに辞して自由民権運動に参加。明治9年(1876年)の地租改正について、和歌山県令・神山郡廉に提出した建白書を発端にして、「粉河騒動」の端緒となる。 明治10年(1877年)陸奥宗光の協力により、粉河に風猛学校を設立し、翌年に自由民権の結社・実学社、木国同友会を率いる。
津田 出(つだ いずる、天保3年2月1日(1832年3月3日… 津田 出(つだ いずる、天保3年2月1日(1832年3月3日) - 明治38年(1905年)6月2日)は、幕末期から明治前期にかけて活躍した武士・官僚、陸軍軍人。官位は錦鶏間祗候陸軍少将従二位勲一等。通称は又太郎。号は芝山。 弟は初代和歌山県知事の正臣。 紀州藩士(300石)の津田信徳(三郎右衛門)の長男として現在の和歌山県和歌山市に生まれる。津田家は河内国交野郡津田城主楠木正儀の後裔であり、戦国期に紀州に移り、藩祖入国以前からの住人として、代々紀州藩に仕えていた。山林を多数所有する豪家でもあった。 蘭学・徂徠学を学び、藩の小姓業奥右筆組頭を勤めたが、幕末の藩内抗争に関係して幽閉される。 明治維新後に藩主徳川茂承より小姓頭・井田民男を介して和歌山藩大参事へと大抜擢される。
嶋田俊之(しまだ としゆき)は日本の財務官僚。カジノ管理委員… 嶋田俊之(しまだ としゆき)は日本の財務官僚。カジノ管理委員会事務局長。 和歌山県立海南高等学校、京都大学法学部卒業。1991年 大蔵省入省(主計局総務課)。1993年 米国留学(コロンビア大学)。大臣官房文書課長補佐、主計局総務課長補佐(歳入・国債係主査)、主計局主計官補佐(経済産業係主査)、主計局主計官補佐(内閣第一係主査)などを務め、その後は金融庁監督局、同庁総務企画局で勤務。2013年6月28日 大臣官房秘書課財務官室長。2016年6月22日 主計局主計官(内閣、復興、外務、経済協力担当)。2018年6月4日 理財局国有財産企画課長。 2019年7月5日 理財局総務課長。2020年7月20日 大臣官房参事官(大臣官房担当)兼大臣官房審議官(大臣官房担当)兼大臣官房信用機構課長事務取扱兼大臣官房信用機構課機構業務室長事務取扱。
滝本 純生(たきもと すみお)は、日本の自治・総務官僚。元自… 滝本 純生(たきもと すみお)は、日本の自治・総務官僚。元自治大学校校長。 1956年、和歌山県和歌山市生まれ。灘中学校・高等学校を経て、東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後、自治省行政局(現・総務省自治行政局)に入省。1985年、鳥取県総務部財政課長。1987年、消防庁救急救助課長補佐。2000年、福岡県総務部長。2004年7月21日、総務省自治行政局選挙部選挙課長。2006年7月21日、総務省自治税務局企画課長。2012年11月9日、自治大学校長。同年12月26日、規制改革推進室長。2014年7月22日、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)兼内閣官房行政改革推進本部事務局長。 2015年より日立製作所社長付へ再就職した。