岩本 貴裕(いわもと たかひろ、1986年4月18日 - )… 岩本 貴裕(いわもと たかひろ、1986年4月18日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(内野手、外野手)。
広島県:212人
岩本 貴裕(いわもと たかひろ、1986年4月18日 - )… 岩本 貴裕(いわもと たかひろ、1986年4月18日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(内野手、外野手)。
西村 健太朗(にしむら けんたろう、1985年5月10日 -… 西村 健太朗(にしむら けんたろう、1985年5月10日 - )は、広島県安芸郡府中町出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、指導者。右投右打。現在は読売ジャイアンツで三軍投手コーチを務める。 現役時代は読売ジャイアンツに所属。2013年に最多セーブ投手を獲得した。 広島中央シニアで投手に転向し、広陵高校では1年秋からエースとなり、白濱裕太とのバッテリーで4季連続甲子園出場。2年春は2回戦で報徳学園に、同年夏は準々決勝で明徳義塾とそれぞれ優勝チームに敗れたが、2003年春は成瀬善久、涌井秀章擁する横浜高校を破り全国制覇した。同年夏は2回戦で岩国高校に敗れた。甲子園通算9勝。1学年後輩に上本博紀、2学年後輩に藤川俊介がいる。
隠善 智也(いんぜん ともや、1984年6月5日 - )は、… 隠善 智也(いんぜん ともや、1984年6月5日 - )は、広島県東広島市出身の元プロ野球選手(外野手)、指導者。2025年に読売ジャイアンツ女子チームのコーチを務め、2026年から監督に就任。 2007年に育成選手として巨人へ入団し、2008年から2015年の現役引退まで支配下登録選手として同球団でプレー。現役時代の愛称は「インリン」だった。 東広島市立志和堀小学校3年の時、小・中学校の先輩にあたる礒部公一の父が監督を務めるチームでソフトボールを始める。 東広島市立志和中学校では投手兼外野手で3番を打った。広島国際学院高等学校時代は3番一塁手・外野手で控え投手も務め、左投げながら3年の春季大会準決勝ではショートを守ったこともある。
新井 良太(あらい りょうた、1983年8月16日 - )は… 新井 良太(あらい りょうた、1983年8月16日 - )は、広島県広島市佐伯区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、右投右打)。現在は広島東洋カープの一軍打撃コーチを務めている。 広島や阪神タイガースでプレーした新井貴浩は実兄であり、阪神では一時兄弟揃って在籍していた。タレント専属契約はエイベックス・マネジメント・エージェンシー。 広島市立五月が丘小学校・五月が丘中学校出身。小学5年時からソフトボールを始め、中学2年時には軟式野球で中国大会3位に入った。 広陵高校では主に一塁手を務め、3年時に4番・主将で春の選抜大会に出場。当時2年の吉村裕基が4番を打っていた東福岡高校と初戦で当たり、自ら投手として3イニングを無失点に抑えたものの、試合は4-8で敗れた。
柳瀬 明宏(やなせ あきひろ、1983年7月8日 - )は、… 柳瀬 明宏(やなせ あきひろ、1983年7月8日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(投手)。妻はタレントの坂井汐梨。 兵庫県西宮市生まれ。小学1年生時にみどりクラブに入団して軟式野球を始める。3年生時に父親の転勤で神奈川県横浜市のすみれが丘小学校に転校し、山田バッファローズに入団するも5年生時に再び転勤により広島県廿日市市の四季が丘小学校に転校し、宮内少年野球クラブに入団した。いずれのチームでも投手と内野手を務めた。中学に上がる際に廿日市シニアが誕生し、3年生時にはキャプテンに指名された。廿日市市立四季が丘中学校時代は軟式野球の廿日市シニアに所属。 如水館高校では当初は投手兼三塁手だったが、2年生の新チームになってから監督の抜擢により捕手に転向。
片山 純一(かたやま じゅんいち、1982年9月29日 - … 片山 純一(かたやま じゅんいち、1982年9月29日 - )は、広島県三原市出身の元社会人野球選手 (投手)。 三原市立南小学校在学時には軟式の三原ジュニアに所属し、三原市立第三中学校在学時には軟式野球部でプレーした[要出典]。 広島市の広島県瀬戸内高等学校では、3年時に4番外野手兼投手として第82回全国高等学校野球選手権大会に出場した。 高校卒業後は東都大学野球連盟の亜細亜大学に進学。3年春には第52回全日本大学野球選手権で準優勝を果たし、大会後には第32回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出された。 大学卒業後の2005年に地元・広島のJR西日本に入社するが、6月に野球部が一時休部となった。
川本 大輔(かわもと だいすけ、1982年5月18日 - )… 川本 大輔(かわもと だいすけ、1982年5月18日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手。血液型はA型。 三原中央シニア時代は全日本にエースとして出場、広陵高等学校時代は3年春にセンバツ出場、夏に広島県大会ベスト8入りを果たす。2000年のドラフト5位で読売ジャイアンツに入団。 サイドスローから最速142km/hのストレートとカーブ・スライダー・チェンジアップなど多彩な変化球を繰り出す本格派だった。 だが、一軍登板がないまま2004年10月7日に戦力外通告を受けた。合同トライアウトを受けたがどの球団からも声がかからなかった。台湾移籍も視野に入れていたが断念し、そのまま現役を引退した。 元読売巨人軍投手の川本大輔さん 本当のスクスクのっぽくん
中東 直己(なかひがし なおき、1981年10月5日 - )… 中東 直己(なかひがし なおき、1981年10月5日 - )は、広島県呉市出身のプロ野球選手(外野手、捕手)。NPBでは、広島東洋カープに所属していた2008年6月23日から2009年シーズンまで、中東 直瑛(なかひがし なおてる)というの登録名を用いていた。
岡嵜 雄介(おかざき ゆうすけ、1981年7月19日 - )… 岡嵜 雄介(おかざき ゆうすけ、1981年7月19日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(外野手)、高校野球指導者、ホッケー指導者。武田高等学校情報科教諭。 小学校6年時より野球を始める。 高校は県内の強豪・広島県立広島商業高等学校に進学。在学中に甲子園大会に出場するが控え選手だったため自身の出場はない。 神戸学院大学人文学部に一般受験を経て入学。関西六大学野球連盟所属の野球部に所属した。 大学卒業後は地元の社会人チームのワイテックに入社。2年間所属し、ショーケーストライアウト受験のため渡米。フロンティアリーグのチームからオファーを受けるも、ビザの関係で断念し、帰国した。 2006年のシーズン途中に四国アイランドリーグの徳島インディゴソックスに入団。
永川 勝浩(ながかわ かつひろ、1980年12月14日 - … 永川 勝浩(ながかわ かつひろ、1980年12月14日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。 三次市立三次中学校時代はバスケットボール部に所属しており、後のチームメイトの梵英心は三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみだった。 3年間のブランクがあったが広島県新庄高校で再び野球を始める。高校の同級生にMEG、2年先輩にCHEMISTRYの堂珍嘉邦がいた。卒業後は亜細亜大学へ進み、上級生になるとエース・木佐貫洋に次ぐ投手として、同じく同期の小山良男とバッテリーを組んだ。4年の大学選手権は準々決勝で先発勝利、明治神宮大会は準決勝で完封し優勝に貢献した。東都大学リーグ通算成績は、15試合の登板で、5勝4敗、防御率2.03。
梵 英心(そよぎ えいしん、1980年10月11日 - )は… 梵 英心(そよぎ えいしん、1980年10月11日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 実家は浄土真宗本願寺派専法寺。永川勝浩とは三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみ。高校時代も1度だけ公式戦で対戦があり、この時は3打数3安打だった。しかし大学野球時代は永川から1本もヒットを打てなかった。三次高校時代は、2年夏のベスト16が最高、3年夏は2回戦敗退(広島工に惜敗)。東都大学野球の駒澤大学に進学し、2年秋からレギュラー。4年春に最下位となってチーム初の2部降格を経験。1部リーグ通算42試合に出場、141打数33安打、打率.234、2本塁打、11打点を記録。
江草 仁貴(えぐさ ひろたか、1980年9月3日 - )は、… 江草 仁貴(えぐさ ひろたか、1980年9月3日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。妻は元バレーボール日本代表の竹下佳江。マネジメント契約先はスポーツビズ。
金川 直樹(かねかわ なおき、1980年6月3日 - )は、… 金川 直樹(かねかわ なおき、1980年6月3日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(外野手)。 広島西シニアでは投手として全国大会出場。山陽高時代は遊撃手として活躍。高校通算打率.590、通算29本塁打、通算68盗塁を記録。3年夏は県大会ベスト4。1998年ドラフト3位で横浜ベイスターズに入団。 しかし、プロ入り後は、二軍でも打率が1割未満の年があるなど貧打に苦しんだ。 1999年は内野手登録だったが、2000年から外野手登録に変更。それでも一軍出場を果たせぬまま2001年に現役を引退。 松坂世代の選手では阪神タイガースの寺田祐也とともに最も早く退団した選手だった。
稲田 直人(いなだ なおと、1979年11月6日 - )は、… 稲田 直人(いなだ なおと、1979年11月6日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。引退後は、野球解説者、スポーツキャスター、コーチ。 1979年に廿日市市で生まれる。中学までは投手をやっていた。後にプロでチームメイトになる3学年上の二岡智宏が骨折しても尚、監督に叱られながらブルペンで投げ続ける姿に衝撃を受け、広陵高校に入学を決意する。入学後は遊撃手に転向。2年次の夏からレギュラーとなり、秋季は中国地区大会にも進出したが、準々決勝で敗れた。3年夏の全国高等学校野球選手権広島大会では3回戦で瀬戸内高校に敗れている。卒業後は駒澤大学へ進学し、同野球部では1年次からレギュラーを務め、4年秋に大学日本一となった。
山本 隆之(やまもと たかゆき、1979年9月14日 - )… 山本 隆之(やまもと たかゆき、1979年9月14日 - )は、社会人野球の選手(投手、右投げ右打ち)である。パナソニック所属。176cm、78kg。背番号11。
佐藤 宏志(さとう ひろし、1977年8月11日 - )は、… 佐藤 宏志(さとう ひろし、1977年8月11日 - )は、元プロ野球選手(投手)。
福原 忍(ふくはら しのぶ、1976年12月28日 - )は… 福原 忍(ふくはら しのぶ、1976年12月28日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ、野球解説者、野球評論家。マネジメント契約は株式会社オフィスS.I.Cである。 現役時代から2024年のコーチ退任まで一貫して阪神タイガースに所属。現役最終年の2016年には投手キャプテンを務めた。 二岡智宏とは小学校から広陵高校まで同窓で、小学校では4度クラスメイトになった。野球を始めたのも二岡と兄の影響である。高校3年時は二岡との二枚看板で夏の広島大会では優勝候補筆頭に挙げられていたが、新井貴浩を擁する広島工業高校に敗れた。東都大学野球連盟所属の東洋大学に進学。1部リーグ通算14試合に登板、1勝4敗 防御率4.87で、4年時は春から2部リーグながら秋に6連勝をしてMVPで1部復帰の原動力となった。
篠原 貴行(しのはら たかゆき、1976年9月7日 - )は… 篠原 貴行(しのはら たかゆき、1976年9月7日 - )は、福岡県福岡市東区出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。2013年に横浜DeNAベイスターズで現役を引退し、2018年まで同球団で一軍投手コーチを務め、現在はスカウトを務めている。 広島県広島市生まれ、福岡県福岡市育ち。幼少期よりぜんそくに悩まされ、小学4年生時より体力をつけるためにと両親が勧めた野球を始める。沖学園高校での甲子園出場経験は無く、入社した三菱重工長崎では、2年目に静岡大会で敢闘賞、新人賞を受賞して、アトランタ五輪候補選手となった。3年目は第68回都市対抗野球大会で救援登板したが、それ以外に全国大会での主だった戦績はなかった。
二岡 智宏(におか ともひろ、1976年4月29日 - )は… 二岡 智宏(におか ともひろ、1976年4月29日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・野球指導者。現在はジェイプロジェクト硬式野球部監督。 広島県三次市出身。同じプロ野球選手の福原忍と小学校から高校(広陵高等学校)まで同窓であり、中学校までは二岡がエースだった。 1993年(広陵高校2年生時)の秋、翌1994年春の選抜高校野球大会の実質的な予選となる広島県秋季大会に選手として出場。10月2日に行われた同大会の準決勝を応援に向かった両親が交通事故に遭う。二岡は準決勝終了後に、母親は無事だったが父親が意識不明であることを知らされる。当日夜は病院で父に付き添い、10月3日の決勝へ臨むこととなった(この頃「自分の責任ではないか」とも思えていたという。
礒部 公一(いそべ こういち、1974年3月12日 - )は… 礒部 公一(いそべ こういち、1974年3月12日 - )は、広島県東広島市出身の元プロ野球選手(外野手・捕手、右投左打)・コーチ、野球解説者、YouTuber。 NPBにおける現役選手時代は1997年 - 2004年にパシフィック・リーグの大阪近鉄バファローズ(1998年までの球団名は「近鉄バファローズ」)で、2005年 - 2009年に東北楽天ゴールデンイーグルスでそれぞれプレーした。2004年のプロ野球再編問題では、近鉄球団最後の選手会長として労使交渉に奔走。楽天に移籍した2005年には初代選手会長に就任。「ミスターイーグルス」と呼ばれた。 実家は鮮魚店。小学4年生の時にボーイズリーグに入って本格的に野球を始める。
倉本 慎也(くらもと しんや、1973年9月10日 - )は… 倉本 慎也(くらもと しんや、1973年9月10日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(捕手)。 宮島工業高校では投手として活動。卒業後、広島経済大学では3年から捕手に転向し平松一宏とバッテリーを組み、4年時の大学選手権に出場、秋季は広島六大学野球でベストナインを獲得し明治神宮野球大会へも出場。同年のドラフトで近鉄バファローズに4位指名され、入団。 一軍出場のないまま、2000年限りで現役引退。 その後、翌2001年から球団合併する2004年まで近鉄のブルペン捕手兼用具係を務めた。 2005年からは新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスに移り、用具係・マネージャーなどを歴任。2009年限りで退団した。
舩木 聖士(ふなき さとし、1973年8月26日 - )は、… 舩木 聖士(ふなき さとし、1973年8月26日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手(投手)。
山内 泰幸(やまうち やすゆき、1973年3月16日 - )… 山内 泰幸(やまうち やすゆき、1973年3月16日 - )は、広島県東広島市寺家出身の元プロ野球選手(投手)・野球解説者。
川口 正(かわぐち ただし、1971年1月1日 - )は、広… 川口 正(かわぐち ただし、1971年1月1日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(内野手)、元競輪選手。 山口県桜ケ丘高から、入団テストに合格し1988年オフにドラフト外で横浜大洋ホエールズに入団。一軍公式戦への出場が無いまま、1993年限りで現役を引退。 その後、日本競輪学校第76期生として競輪選手に転身(日本競輪選手会山口支部所属)。同期に市田佳寿浩、石丸寛之らがいる。1995年8月5日、松阪競輪場でデビューし5着。初勝利は1996年3月30日の一宮競輪場。2014年7月4日に競輪選手登録削除。通算成績1430戦94勝、優勝なし。 その後は、社会人野球のMSH医療専門学校のコーチを務めていた。
谷繁 元信(たにしげ もとのぶ、1970年12月21日 - … 谷繁 元信(たにしげ もとのぶ、1970年12月21日 - )は、元プロ野球選手(捕手)、元監督、野球解説者。2014年シーズンより中日ドラゴンズ選手兼任監督、2016年シーズンは専任監督を務めた。
小早川 幸二(こばやかわ こうじ、1970年12月1日 - … 小早川 幸二(こばやかわ こうじ、1970年12月1日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(投手)。株式会社K-アシスト代表取締役社長。 西条農業高では、3年次に春の選抜に一塁手で出場、夏は県大会準々決勝で先発したが全国制覇することになる広島商業高に敗れた。 1988年オフにドラフト外で福岡ダイエーホークスに入団。 しかし、一軍出場がないまま1990年オフに広橋公寿との交換トレードで中日ドラゴンズに移籍。 移籍した中日でも一軍出場がないまま、1992年オフに松井隆昌との交換トレードで広島東洋カープに移籍。同姓の小早川毅彦がいたため、スコアボード等の表記は「小早川幸」となった。広島では、清川栄治の放出と石貫宏臣の故障により手薄となっていた左のリリーフとして活躍し、1996年には46試合に登板した。
小林 宏(こばやし ひろし、1970年11月30日 - )は… 小林 宏(こばやし ひろし、1970年11月30日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ、野球解説者。現在はオリックス・バファローズ二軍育成チーフコーチを務める。 佐伯郡廿日市町(現:廿日市市)立宮内小学校4年の時、少年野球「廿日市ジュニア」で野球を始めた。廿日市町立七尾中学校、崇徳高校、広島経済大学を経て、1992年のNPBドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブから1位指名を受けて入団。 少年野球時代は捕手、高校時代は軟式野球部に所属し大学でも3年生までは遊撃手だった。3年秋の明治神宮大会では初戦で慶応義塾大学を相手に2番手として登板後は一塁手に入ったが若松幸司にノーヒットノーランを喫して敗れた。
天野 武文(あまの たけふみ、1970年9月30日 - )は… 天野 武文(あまの たけふみ、1970年9月30日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
高津 臣吾(たかつ しんご、1968年11月25日 - )は… 高津 臣吾(たかつ しんご、1968年11月25日 - )は、元プロ野球選手(投手)・監督・野球解説者・評論家。広島県広島市南区出身。現在は東京ヤクルトスワローズ二軍監督を務める。
西村 龍次(にしむら たつじ、1968年7月18日 - )は… 西村 龍次(にしむら たつじ、1968年7月18日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(投手)。
山本 圭壱(やまもと けいいち、本名:山本 圭一、1968年… 山本 圭壱(やまもと けいいち、本名:山本 圭一、1968年2月23日 - )は、日本のお笑いタレント・俳優・野球選手。お笑いコンビ極楽とんぼの主にボケの担当。2006年に吉本興業を解雇され、2015年に復帰してからはフリーとして活動していたが、2016年11月20日付で再び吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)に復帰。相方は加藤浩次。
岡田 展和(おかだ ひろかず、1968年1月21日 - )は… 岡田 展和(おかだ ひろかず、1968年1月21日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手(投手)。 近大福山高では1年生の時、1983年秋季県大会決勝で先発を任され、本原正治、定詰雅彦のバッテリーを擁する広陵高を降す。中国大会では準決勝で宇部商を完封。決勝は出場なく多々良学園に敗れるが、翌1984年春の選抜への出場を決めた。選抜では1回戦で岩倉高の山口重幸と投げ合うが敗退。岩倉高は同大会で初出場初優勝を成し遂げた。その後はいずれも県予選敗退や不祥事で、甲子園には届かなかった。 1985年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから5位指名を受け入団。1986年からリリーフで一軍初登板を果たす。
田口 竜二(たぐち りゅうじ、1967年1月8日 - )は、… 田口 竜二(たぐち りゅうじ、1967年1月8日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。
定詰 雅彦(じょうづめ まさひこ、1966年9月24日 - … 定詰 雅彦(じょうづめ まさひこ、1966年9月24日 - )は、広島県山県郡安芸太田町出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。 中学時代に野球を始める。広陵高では、1984年の第56回選抜高等学校野球大会に出場するが、1回戦で大島公一のいた法政二高に敗退。春以降は外野手で出場し、同年夏の広島大会では準々決勝で尾道商業高に敗退した。高校時代の同期には三塁手の石橋文雄、1学年下に本原正治、2学年下に金本知憲がいた。 高校卒業後は、社会人野球の日立造船有明に入部するも2年目に廃部となり、新日本製鐵広畑へ転籍。広畑では正捕手に應武篤良がいたため外野手として出場することもあった。1989年限りで應武が引退した後は正捕手に定着し、1990年の都市対抗野球では本塁打を放つなど活躍、しかし決勝ではヤマハに11-12の接戦で敗れ、準優勝にとどまる。
石橋 文雄(いしばし ふみお、1966年8月3日 - )は、… 石橋 文雄(いしばし ふみお、1966年8月3日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 広陵高では、三塁手、四番打者として1984年春の選抜に出場するが、1回戦で大島公一のいた法政二高に敗退。高校同期に捕手の定詰雅彦、この大会には出場できなかったが1年下に本原正治、2年下に金本知憲がいた。同年夏の甲子園県予選では準々決勝で尾道商に敗退。 1984年、プロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから3位指名を受け入団。二軍暮らしが長く1990年に外野手転向。同年に初安打、1991年には初先発出場を果たす。1993年にもシーズン最終2試合に右翼手として先発するが、その後は出場機会に恵まれず、1994年限りで現役引退。
前田 耕司(まえだ こうじ、1964年10月27日 - )は… 前田 耕司(まえだ こうじ、1964年10月27日 - )は、阪神タイガース、西武ライオンズ、広島東洋カープ、オリックス・ブルーウェーブに所属した元プロ野球選手(投手)である。広島県佐伯郡五日市町(現:広島市佐伯区)出身。
畝 龍実(うね たつみ、1964年6月21日 - )は、広島… 畝 龍実(うね たつみ、1964年6月21日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。1992年の登録名は畝 辰実(読み同じ)。
吉岡 知毅(よしおか ともき、1963年7月5日 - )は、… 吉岡 知毅(よしおか ともき、1963年7月5日 - )は、広島県尾道市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 近大福山高では2年秋に県大会ベスト4、3年夏は準優勝。1981年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから6位指名を受け入団。入団時に「夢は大きく、背番号くらい勝ちたい」と抱負を語った。 プロ2年目の1984年にイースタン・リーグで12勝を挙げ最多勝を獲得し、翌1985年に一軍初登板を果たす。プロ8年目の1989年に30試合に登板し一軍初勝利を挙げたが、翌1990年にヒジを手術し、以降は一軍登板することなく1991年限りで現役を引退。 現役引退後は、打撃投手に転身した。
原 伸次(はら しんじ、1962年11月3日 - )は、広島… 原 伸次(はら しんじ、1962年11月3日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手。野球解説者。 引退後は鉄板焼き屋・Haraya(はらや、広島市中区十日市)を経営している。 1980年、広陵高等学校の4番・捕手として、渡辺一博とバッテリーを組み、春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では準決勝に進むが、高知商のエース中西清起に抑えられ敗退。夏の選手権では準々決勝で藤本博史のいた天理高に敗れる。同期には、主将を務めた中井哲之がいる。 1980年のドラフト4位で地元広島東洋カープに捕手として入団、高卒で4位指名ながら捕手のエースナンバー27が与えられるも、正捕手には達川光男、サブには山中潔が控えており、内野手に転向。
藤井 康雄(ふじい やすお、1962年7月7日 - )は、広… 藤井 康雄(ふじい やすお、1962年7月7日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)プロ野球コーチ。2003年からオリックス・バファローズにおいて打撃コーチ等を歴任し、現在は福岡ソフトバンクホークスの二軍打撃コーチを務める。
中井 哲之(なかい てつゆき、1962年7月6日 - )は広… 中井 哲之(なかい てつゆき、1962年7月6日 - )は広島県廿日市市出身の元アマチュア野球選手、元高校野球指導者。広陵高等学校参与、社会科教諭。 学校法人広陵学園理事や広陵高校副校長、同校硬式野球部監督を歴任した。 広陵高校3年の1980年、第52回選抜高等学校野球大会に1番遊撃手として、第62回全国高等学校野球選手権大会は1番三塁手として出場。この年広陵は、ロッキングモーションのアンダースローで話題を呼んだ渡辺一博と原伸次(元広島)のバッテリーで優勝候補の一角に挙げられたが、春は準決勝で中西清起らの高知商業に、夏は準々決勝で藤本博史らのいた天理高校に敗れた。中井も園川一美(九州学院)ら全試合で好投手とあたったため、6試合でヒット5本と振るわなかったが、ノーサインで盗塁を許された俊足で効果的な盗塁を何度か決めた。
片岡 光宏(かたおか みつひろ、1962年3月22日 - )… 片岡 光宏(かたおか みつひろ、1962年3月22日 - )は、広島県府中市出身の元プロ野球選手(内野手、投手)。 広島県・府中市立第二中学校卒業後、野々村直通監督の熱心な勧誘があり、広島商や崇徳高校といった広島県内の強豪チームの誘いを辞退し、「僕の力で甲子園に行ってみせる」と、地元・府中市立府中東高等学校に入学。 府中東高校は、前身の私立北川工業時代には高橋一三や伊原春樹らを輩出した広島県東部の強豪だったが、片岡の頃は低迷し、片岡入部時の部員は2人で休部同然。片岡入部で甲子園が現実味を帯びて来たため、ベンチ入りピタリの部員15人に増えたが、そのうち野球未経験者が6人いた。野々村は「片岡を勧誘してとれたことが僕の野球の出発点」と話している。
永田 利則(ながた としのり、1961年10月9日 - )は… 永田 利則(ながた としのり、1961年10月9日 - )は、広島県広島市東区尾長出身の元プロ野球選手(内野手)。父は1954年 - 1956年に広島東洋カープに在籍した永田徹登。
田辺 繁文(たなべ しげふみ、1959年8月30日 - )は… 田辺 繁文(たなべ しげふみ、1959年8月30日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。
中塚 昌尚(なかつか まさなお、1959年6月9日 - 没年… 中塚 昌尚(なかつか まさなお、1959年6月9日 - 没年月日不明)は、広島県竹原市出身の元プロ野球選手(外野手)。 1977年のドラフトで南海ホークスに3位入団。一軍出場のないまま、1980年に引退。 詳細は不明だが、既に亡くなっている。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
浜本 龍治(はまもと りゅうじ、1959年5月6日 - )は… 浜本 龍治(はまもと りゅうじ、1959年5月6日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ。
高元 勝彦(たかもと かつひこ、1958年5月4日 - )は… 高元 勝彦(たかもと かつひこ、1958年5月4日 - )は、広島県大竹市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 廿日市高校から1976年プロ野球ドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名され入団。1軍での登板は1年目の1試合だけとなり1980年に現役引退。 現役引退後は、妻の地元である山口県岩国市に移住し、公務員に転身した。
渡田 均(わたりだ ひとし、1958年5月1日 - 2020… 渡田 均(わたりだ ひとし、1958年5月1日 - 2020年7月6日)は広島県出身のプロ野球審判員。現役引退時の審判員袖番号は31(1988年の袖番号初採用時から)。 関西大倉高等学校、大阪体育大学時代はラグビー選手という異色の経歴であり、大学時代はフランカーとして活躍するも、腰痛のため選手を断念。その後1982年にセントラル・リーグ審判員として採用された。1985年に一軍初出場を果たし、1997年より審判部主任。2009年には副部長に昇格した(役職名変更により2011年からクルーチーフとなる)。2014年からはクルーチーフの役を解かれ一般審判員となる。 2009年には第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の審判員として、友寄正人、中村稔、良川昌美らと共に派遣され、2次ラウンド2組の一塁・三塁塁審として4試合に出場した。
谷 真一(たに しんいち、1958年3月15日 - )は、広… 谷 真一(たに しんいち、1958年3月15日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
小林 誠二(こばやし せいじ、1958年1月22日 - )は… 小林 誠二(こばやし せいじ、1958年1月22日 - )は、広島県比婆郡高野町(現:庄原市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。解説者時代から中日二軍投手コーチ時代の2010年までは小林 聖始(読みは同じ)と改名していた。