川本 幸生(かわもと ゆきお、1957年3月25日 - 20… 川本 幸生(かわもと ゆきお、1957年3月25日 - 2010年5月11日)は、日本の野球選手、アマチュア野球指導者。元広島県立広島商業高等学校総監督。
広島県:212人
川本 幸生(かわもと ゆきお、1957年3月25日 - 20… 川本 幸生(かわもと ゆきお、1957年3月25日 - 2010年5月11日)は、日本の野球選手、アマチュア野球指導者。元広島県立広島商業高等学校総監督。
望月 卓也(もちづき たくや、1956年5月8日 - )は、… 望月 卓也(もちづき たくや、1956年5月8日 - )は、広島県豊田郡東野町(現:同郡大崎上島町)出身の元プロ野球選手(投手)。 竹原高校では3年時の1974年、夏の広島県大会で、エースとしてチームを決勝まで導く活躍を見せた。川島日出雄(太平洋)のいた盈進高校との決勝戦では奮投したが、7回裏に勝ち越し点を許して1対3で惜敗し、高校3年間で甲子園に出場することはなかった。 1974年のドラフト会議で広島東洋カープから2位指名され、入団。同期には高橋慶彦がいた。大石清投手コーチのアドバイスで、当時の巨人のエース・小林繁のフォームを参考にして右足と左足が交差する瞬間に投球モーションを停止させることで相手打者のタイミングを外しにかかり、しなやかな上体と長いリーチをフルに生かした変則フォームへ改造すると、サイドスローからくり出す速球とカーブ、スライダー、シュート、シンカーを武器に、主にリリーフとして活躍した。
中川 惣一(なかがわ そういち、1956年4月7日 - )は… 中川 惣一(なかがわ そういち、1956年4月7日 - )は、広島県三原市出身の元プロ野球選手である。ポジションは捕手。 福山工業高校在学中の1974年11月、ドラフト会議で地元球団である広島東洋カープから4位指名を受け、卒業後に入団。 カープに8年間在籍したが、一軍公式戦の出場機会は得られず1982年オフに引退した。
金光 興二(かねみつ こうじ、1955年9月15日 - )は… 金光 興二(かねみつ こうじ、1955年9月15日 - )は、アマチュア野球選手(内野手)、指導者。元・法政大学野球部監督。法政大学理工学部機械工学科教授。広島県広島市西区観音出身。
達川 光男(たつかわ みつお、1955年7月13日 - )は… 達川 光男(たつかわ みつお、1955年7月13日 - )は、日本の元プロ野球選手(捕手)・監督、野球解説者。
佃 正樹(つくだ まさき、1955年4月26日 - 2007… 佃 正樹(つくだ まさき、1955年4月26日 - 2007年8月13日)は、広島県出身の野球選手(投手)。
木山 英求(きやま えいきゅう、1954年12月24日 - … 木山 英求(きやま えいきゅう、1954年12月24日 - )は、広島県安芸郡天応出身の元プロ野球選手(外野手)。
中村 信彦(なかむら のぶひこ、1954年12月16日 - … 中村 信彦(なかむら のぶひこ、1954年12月16日 - )は、広島県東広島市出身の学生野球指導者。保健体育科教諭。 学生時代は、広島県立尾道商業高等学校、日本体育大学でプレー。 大学卒業後の1978年に母校の尾道商業高校に指導者として着任し、監督在任中には1981年(2回戦)、1982年(ベスト8)、1986年(ベスト8)にそれぞれ選抜大会に出場。監督在任中には、後にプロ入りする山内泰幸らを育てる。 その後は東広島市の広島県立賀茂高等学校でも指導を行ない、海田智行を育てる。 2007年からは、創部間もなく部員も少なかった呉市の呉市立呉高等学校硬式野球部監督に就任。2017年には、創部10年の短期間で第89回選抜高等学校野球大会に出場。
二宮 至(にのみや いたる、1953年11月15日 - )は… 二宮 至(にのみや いたる、1953年11月15日 - )は、広島県東広島市出身の元プロ野球選手(外野手)。
永本 裕章(ながもと ひろあき、1952年11月5日 - )… 永本 裕章(ながもと ひろあき、1952年11月5日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(投手)。
日高 晶彦(ひだか まさひこ、1952年8月19日 - )は… 日高 晶彦(ひだか まさひこ、1952年8月19日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、内野手。
船田 政雄(ふなだ まさお、1952年5月31日 - )は、… 船田 政雄(ふなだ まさお、1952年5月31日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
簑田 浩二(みのだ こうじ、1952年3月11日 - )は、… 簑田 浩二(みのだ こうじ、1952年3月11日 - )は、広島県廿日市市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。現在はプロゴルファー(ティーチングプロ)として活動している。 攻・走・守すべてに長けたオールラウンダーとして知られ、1983年にはトリプルスリーを達成している。 大竹高校では1969年夏の甲子園県予選準々決勝に進むが呉港高校に敗退、甲子園には届かなかった。高校卒業後の進路として、大東文化大学からも勧誘の話が来ていたが、「給料がもらえて、尚且つ野球も出来る」として社会人野球に進む方を選び、卒業後の1970年に三菱重工三原へ入社し、都市対抗野球大会には補強選手としての出場を含め4度出場した。
世良 賢治(せら けんじ、1952年1月26日 - )は、広… 世良 賢治(せら けんじ、1952年1月26日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。現役時代の登録名は世良賢次。 広島県の福山電波工業高から駒澤大学を中退後に社会人野球の常石鉄工では第44回都市対抗野球大会に補強選手で出場、1973年のドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。 1975年にイースタン本塁打王を獲得するも、一軍には大矢明彦、八重樫幸雄がおり壁が厚く、1979年に現役引退。 現在は、広島県福山市の福山大学山陽寮の寮長を務める。
松田 元(まつだ はじめ、1951年2月11日 - )は、プ… 松田 元(まつだ はじめ、1951年2月11日 - )は、プロ野球・広島東洋カープオーナー・代表取締役社長。広島県広島市、現在の中区出身。 曾祖父はマツダの実質的な創業者で2代目社長の松田重次郎、祖父はマツダ3代目社長の松田恒次、父はマツダ4代目社長の松田耕平。弟はアンフィニ広島・広島エフエム放送社長の松田弘、弘の子はオーナー代行の松田一宏。広島マツダ会長の松田哲也ははとこに当たる。 祖父から3代続けてカープオーナーである。 松田耕平の長男として広島で生まれる。広島大学附属高校卒業後、慶應義塾大学へ入学。1973年に大学卒業、その後アメリカ留学を経て1977年に東洋工業(現・マツダ)に入社した。
井上 幸信(いのうえ ゆきのぶ、1950年9月25日 - )… 井上 幸信(いのうえ ゆきのぶ、1950年9月25日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。
村田 兆治(むらた ちょうじ、1949年11月27日 - 2… 村田 兆治(むらた ちょうじ、1949年11月27日 - 2022年11月11日)は、日本のプロ野球選手(投手)、コーチ、解説者、評論家。広島県豊田郡本郷町(現:三原市)出身。旧名は村田 長次(読み同じ)である。 現役時代は東京オリオンズ→ロッテオリオンズで活躍した。そのダイナミックな投球フォームは、「マサカリ投法」と呼ばれていた。通算暴投の日本記録保持者(148回)。 長崎県対馬市の市民球団である『対馬まさかりドリームス』の監督を務めていた。 プロ野球選手を志したのは小学5年の時で、父に連れられて広島市民球場へナイターを観戦しに行ったことがきっかけだった。初めて生で見るプロの試合に鳥肌が立つほど興奮し、それ以来、プロ野球選手以外の将来は考えられなくなったという。
大田垣 耕造(おおたがき こうぞう、1949年11月8日 -… 大田垣 耕造(おおたがき こうぞう、1949年11月8日 - )は、アマチュア野球指導者。元東芝硬式野球部監督。シドニーオリンピック野球日本代表監督。広島県尾道市出身。
山本 和行(やまもと かずゆき、1949年6月30日 - )… 山本 和行(やまもと かずゆき、1949年6月30日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者、プロ野球コーチ。
浅野 啓司(あさの けいし、1949年2月22日 - )は、… 浅野 啓司(あさの けいし、1949年2月22日 - )は、広島県福山市草戸町出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 創部3年目の福山電波工業高校へ進学し、1965年には2年生エースとして夏の広島県大会で活躍。低めに球を集める抜群の制球力で、伊原春樹がいた北川工、山本和行・三村敏之がいた広島商を撃破。50イニングを投げ1失点の好調で決勝まで勝ち上がったが、広陵高の河本和昭に完封され敗退、甲子園出場を逸する。同期の岡田英樹(太平洋クラブ)とバッテリーを組み、高校の1学年下の後輩に村田兆治がいた。 1966年に別の選手を見に来ていたサンケイアトムズのスカウトの目に留まり、同年の第1次ドラフト9位で入団。
伊原 春樹(いはら はるき、1949年1月18日 - )は、… 伊原 春樹(いはら はるき、1949年1月18日 - )は、広島県甲奴郡上下町(現・府中市)生まれ出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 1971年から1973年の登録名は「伊原 春植」(いはら しゅんしょく)。 ニックネームは「ハル」。 6人兄弟の次男で女4人、男2人の4番目であった。 上下中学校卒業後、1964年に北川工業高校へ進学。古葉竹識の実弟である古葉福生監督の指導を受け、3年次の1966年夏の甲子園県予選では4番打者・三塁手として活躍。福山工との準決勝で本塁打を放ち決勝に進出するが、広島商の山本和行に完封を喫し、甲子園出場を逸する。 高校卒業後は1967年に芝浦工業大学へ進学し、東都大学野球リーグでは在学中2度の優勝を経験。
須山 成二(すやま せいじ、1949年1月15日 - )は、… 須山 成二(すやま せいじ、1949年1月15日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手、投手。 広陵高校では1965年の夏の甲子園に控え捕手として出場、2回戦で報徳学園に敗退。同年秋季中国大会に同期の清水由則(日本鋼管-日本鋼管福山)、田村忠義両投手とバッテリーを組み出場。準決勝で米子東高に敗れ春の選抜出場を逸する。翌1966年夏も県予選で敗退。中国地方でナンバーワンの捕手といわれ、その強肩には定評があった。3年生時には打率.280を記録。1年下のチームメートに河井昭司外野手がいる。 1966年第1次ドラフト会議で広島カープから1位指名を受け入団。1年目の1967年には1試合のみであったがマスクを被る。
三村 敏之(みむら としゆき、1948年9月19日 - 20… 三村 敏之(みむら としゆき、1948年9月19日 - 2009年11月3日)は、広島県出身のプロ野球選手(内野手)、野球指導者、野球解説者。
片岡 新之介(かたおか しんのすけ、1947年11月5日 -… 片岡 新之介(かたおか しんのすけ、1947年11月5日 - )は、広島県福山市生まれ、岡山県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
豊田 憲司(とよた けんじ、1947年8月1日 - )は、広… 豊田 憲司(とよた けんじ、1947年8月1日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
藤田 訓弘 (ふじた のぶひろ、1947年2月26日 - )… 藤田 訓弘 (ふじた のぶひろ、1947年2月26日 - )は広島県出身の元プロ野球選手。名前がくにひろと誤読されやすく、そのような表記の出版物もあるが、正しくはのぶひろ。
小川 邦和(おがわ くにかず、1947年2月1日 - )は、… 小川 邦和(おがわ くにかず、1947年2月1日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・評論家・解説者。
内田 俊雄(うちだ としお、1946年11月24日 - )は… 内田 俊雄(うちだ としお、1946年11月24日 - )は、アマチュア野球指導者。元亜細亜大学硬式野球部監督、現・拓殖大学野球部監督。広島県広島市出身。
山本 浩二(やまもと こうじ、1946年10月25日 - )… 山本 浩二(やまもと こうじ、1946年10月25日 - )は、広島県佐伯郡五日市町(現:広島市佐伯区)出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)、野球解説者・野球評論家。スカパーJSATグループ番組審議会委員。 本名および旧登録名(1974年まで、後述)は「山本 浩司(読み同じ)」。 2014年から2022年まで日本プロ野球名球会理事長を務めた。 「ミスター赤ヘル」(ミスターあかヘル)の愛称で知られ、現役時代は広島東洋カープのスター選手として活躍し、引退後は広島の監督を2度務め、日本代表の監督も務めた。 NPB史上、大卒で500本塁打を達成した唯一の人物で、セ・リーグ初の外野手部門でダイヤモンドグラブ賞(現:ゴールデングラブ賞)を受賞し、セ・リーグ最多記録となるダイヤモンドグラブ賞を10回受賞している。
桑原 秀範(くわばら ひでのり、1946年8月1日 - )は… 桑原 秀範(くわばら ひでのり、1946年8月1日 - )は、アマチュア野球選手、高校野球監督。元広島商業高校、堀越高校、穎明館高校野球部監督。広島県安佐郡川内村(現広島市安佐南区)出身。
高橋 一三(たかはし かずみ、1946年6月9日 - 201… 高橋 一三(たかはし かずみ、1946年6月9日 - 2015年7月14日)は、広島県府中市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 府中西小学校→第二中学校を経て、1962年に北川工業高校へ進学。2年次の1963年の秋季中国大会県予選ではエースとして決勝に進み、尾道商の小川邦和と投げ合い完封負けを喫するが、中国大会への出場権を獲得。しかし準々決勝で佐々木誠吾を擁する浜田高に敗れ、3年次の1964年春の選抜への出場を逃す。同年夏の大会も県予選で敗退し、甲子園には届かなかった。 1964年11月4日に読売ジャイアンツへ入団。この入団は当時の中国地区担当スカウトの木戸美摸の尽力によるものである。
後原 富(せどはら ひさし、1945年11月9日 - 202… 後原 富(せどはら ひさし、1945年11月9日 - 2023年3月14日)は、広島県出身のプロ野球選手(外野手)、高校野球指導者。 広島県安芸郡海田町生まれ。海田高校時代に広島カープの入団テストを受け、参加した69人中唯一合格したが入団せずに駒澤大学へ進学した。東都大学リーグでは、入学直後の1964年春季リーグで優勝を経験するが、その後は優勝に届かなかった。俊足強肩の外野手として活躍し、リーグ通算66試合に出場、182打数43安打、打率.236、2本塁打、9打点。大学同期に当銀秀崇、佐野勝稔がいた。 1967年のドラフト会議で東映フライヤーズに7位指名され入団、1年目から一軍で起用される。1969年10月には一番打者、中堅手として、11試合連続の先発出場を果たし、同年は打率.370の好成績を残す。
大下 剛史(おおした つよし、1944年11月29日 - )… 大下 剛史(おおした つよし、1944年11月29日 - )は、広島県安芸郡海田町出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球指導者、野球解説者。
大倉 英貴(おおくら ひでたか、1944年7月1日 - )は… 大倉 英貴(おおくら ひでたか、1944年7月1日 - )は日本の元プロ野球選手(内野手)。
上垣内 誠(かみごうち まこと、1944年6月30日 - )… 上垣内 誠(かみごうち まこと、1944年6月30日 - )は、広島市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手)。
国貞 泰汎(くにさだ やすひろ、1944年1月1日 - )は… 国貞 泰汎(くにさだ やすひろ、1944年1月1日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(内野手)。愛称は「ゴリ」。
松村 正晴(まつむら まさはる、1941年10月1日- )は… 松村 正晴(まつむら まさはる、1941年10月1日- )は、広島県出身の元プロ野球選手(二塁手・三塁手/右投げ右打ち)である。
森川 卓郎(もりかわ たくろう、1941年8月28日- )は… 森川 卓郎(もりかわ たくろう、1941年8月28日- )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。
西野 忠臣(にしの ただおみ、1941年3月10日 - )は… 西野 忠臣(にしの ただおみ、1941年3月10日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(内野手)、元競輪選手。 広島県立忠海高等学校ではエース。卒業後は1959年に巨人に入団し内野手に転向する。1961年に土屋正孝が国鉄にトレードされたため、藤本伸・塩原明らと二塁手の定位置を争い15試合に先発出場。しかし、打撃面で伸び悩み、肘の故障もあって1963年限りで引退した。通算46打数7安打、打率.152 。 引退後、当時巨人のスカウトだった沢田幸夫が競輪ファンだった縁で、競輪選手養成のために、養成塾を開いていた小林三郎(期前)に弟子入りし、競輪に転身。日本競輪学校第20期生となる。なお、スピードスケートから転身した伊藤繁(日本競輪学校第21期生)も、小林養成塾の門下生で、一緒に競輪選手を目指して練習に励んだ間柄だった。
三原 新二郎(みはら しんじろう、1940年7月20日 - … 三原 新二郎(みはら しんじろう、1940年7月20日 - )は、広島県広島市己斐(現西区己斐)出身の高校野球指導者である。広島県山陽高校野球部元監督。
張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、… 張本 勲(はりもと いさお、1940年6月19日 - )は、広島県広島市出身の元プロ野球選手(外野手)、野球解説者・野球評論家、日本プロ野球名球会会員、韓国野球委員会(KBO)コミッショナー特別補佐官。在日韓国人二世であり、本名は張 勲(読みがな:チャン・フン、ハングル:장훈)。
畑 俊二(はた しゅんじ、1939年7月6日 - 2020年… 畑 俊二(はた しゅんじ、1939年7月6日 - 2020年[要出典])は、日本の学生野球指導者。元四国学院大学硬式野球部監督、元国士舘大学硬式野球部監督。広島県呉市出身。 広島県出身。呉阿賀高校を卒業後、立教大学に進学。長嶋茂雄が卒業した後の三塁手として活躍し、社会人野球の電電東京に入社。チームの主力選手として都市対抗野球大会にも出場し、チームをベスト4に導いた。 現役を引退後、東都大学野球の国士舘大学の監督に就任、チームを1部リーグ昇格に導いた。その後、高校野球、社会人野球で監督を務め、中央大学、全日本大学野球選手権大会優勝時の近畿大学、選抜高等学校野球大会優勝時の観音寺中央高の臨時コーチを経て、2005年1月に四国学院大学の監督に就任。
山本 兵吾(やまもと ひょうご、1938年8月31日 - 1… 山本 兵吾(やまもと ひょうご、1938年8月31日 - 1999年9月16日)は、広島県出身のプロ野球選手(投手)。 福山誠之館高校、備後通運から専修大学へ進学。東都大学リーグでは在学中4回優勝。同期のエース坂井勝二の陰に隠れがちだったが、坂井は3年で中退しプロ入り。その後はエースの座を引き継ぎ、4年生時は1960年春季リーグで8勝2敗を記録。チームは2位に終わるが最優秀投手、ベストナインに選出される。同年秋季リーグでは8勝3敗を挙げて優勝に貢献、最高殊勲選手とベストナインを受賞。リーグ通算36試合登板し18勝6敗、防御率1.59、141奪三振。坂井以外の大学同期に小池兼司、1年下に堀込基明がいる。
山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2… 山本 一義(やまもと かずよし、1938年7月22日 - 2016年9月17日)は、広島県広島市出身のプロ野球選手(外野手)・監督、野球評論家。
麻生 実男(あそう じつお、1937年12月17日 - 19… 麻生 実男(あそう じつお、1937年12月17日 - 1991年11月22日)は、広島県福山市出身のプロ野球選手(内野手)。右投げ右打ち。1960年大洋V1戦士の一人で、勝負どころで快打を連発し大洋初優勝に貢献した。
石川 恵也(いしかわ けいや、1937年12月8日 - )は… 石川 恵也(いしかわ けいや、1937年12月8日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。
山本 文男(やまもと ふみお、1937年9月20日 - )は… 山本 文男(やまもと ふみお、1937年9月20日 - )は、広島県広島市観音(現西区観音)出身のプロ野球選手、プロ野球審判員で、元セントラル・リーグ審判部長。審判員袖番号は28(1988年初採用から1996年引退まで、2001年以降牧田匡平がつけている。)。
川原 政数(かわはら まさかず、1937年1月5日 - )は… 川原 政数(かわはら まさかず、1937年1月5日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。
根来 広光(ねごろ ひろみつ、1936年9月24日 - 20… 根来 広光(ねごろ ひろみつ、1936年9月24日 - 2009年11月27日)は、広島県府中市出身のプロ野球選手(捕手、投手)・コーチ・監督。 1945年8月6日の原爆投下直前まで広島市に住んでいたが、現在の府中市に疎開して難を逃れた。 中学時代は大分県別府市で育ち、河村英文は根来の姉と高校が同級である。 府中高校時代はエースで、県内では有名な投手であった。当時の広島はレベルが高く、広瀬叔功・木下強三ら県内の同期は7人がプロ入りした。 卒業後の1955年に東京鉄道管理局へ入部すると、1956年には熊谷組の補強選手として都市対抗に出場。決勝に進出し日本石油の藤田元司と投げ合うが惜敗、準優勝にとどまった。
広瀬 叔功(ひろせ よしのり、1936年〈昭和11年〉8月2… 広瀬 叔功(ひろせ よしのり、1936年〈昭和11年〉8月27日 - 2025年〈令和7年〉11月2日)は、日本のプロ野球選手(外野手、内野手)・監督、野球解説者。 南海ホークスがパ・リーグの盟主として君臨した1950年代後半-1960年代に「鷹の爪」とも呼ばれたリードオフマン。愛称は「チョロ」。 通算盗塁数・通算盗塁成功率では歴代2位、シーズン626打数は歴代1位の記録を保持している。パ・リーグ初の外野手部門のダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を受賞している。 1961年から1965年にかけて5年連続で盗塁王になったほか、1964年には同時に首位打者のタイトルも獲得している。 広島県佐伯郡大野村(現・廿日市市)で、大工の父・千代治と母・マツ子の間に、7人兄弟の6番目に生まれた。