坂口 赤道(さかぐち せきどう、本名:坂口 直樹(さかぐち … 坂口 赤道(さかぐち せきどう、本名:坂口 直樹(さかぐち なおき)、1977年5月21日 - )は、日本の書家、詩人。世界遺産広島県宮島観光大使(厳島)。シンガーソングライター、料理アドバイザーとしても活動する。 書家としての雅号は坂口赤道、本名は坂口直樹、詩人としてのニックネームはぐっち。その時々の活動スタイルに応じて、3つの名前を使い分けていた。 雅号の坂口赤道という名は、地球儀上の赤道のように、熱き情熱の書家として、世界中を駆け巡れ、との思いを込めて、複数の書道家の先達に名づけられる。ぐっちというニックネームはメモリアルポエムを書く際によく用いられていたが、現在は詩人名も坂口赤道で統一している。
桑原 真夫(くわばら まさお、1947年3月 - )は、日本… 桑原 真夫(くわばら まさお、1947年3月 - )は、日本の詩人、スペイン・ガリシア文学研究者、翻訳家。本名・中西 省三。 所属は日本イスパニア学会、スペイン史学会、日本観光研究学会、京都セルバンテス懇話会。 広島県福山市鞆の浦生まれ。広島大学附属福山高等学校、北海道大学経済学部卒。三井銀行に入行後、ブリュッセル、マドリッド、ロンドン等ヨーロッパに約14年駐在。のち赤福相談役。
上田 由美子(うえだ ゆみこ、1938年1月23日 - )は… 上田 由美子(うえだ ゆみこ、1938年1月23日 - )は、日本の詩人、エッセイスト、画家。 広島県広島市に生まれる。1945年、原爆投下の数日後に広島市内を横切り入市被曝。詩「一枚のハガキ」で第7回白鳥省吾賞の最優秀賞受賞。詩集『八月の夕凪』の著者。 2017年 戦争や災害による犠牲者を追悼する「レクイエム・プロジェクト」の混声合唱曲「生きとし、生けるものへ」の作詞を手がける。作曲は、上田益。同曲は、3月5日に広島県民文化センターで、また8月6日に長崎市民会館文化ホールで公演された。8月6日、上田由美子は詩朗読と講演を1000に近い参加者の前で行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
西岡光秋(にしおか こうしゅう、1934年1月3日‐2016… 西岡光秋(にしおか こうしゅう、1934年1月3日‐2016年8月26日)は、日本の詩人。本名・光明。 1934年(昭和9年)大阪府生まれ。広島県に移り、1953年(昭和28年)に広島県立吉田高等学校を卒業。同年、國學院大学文学部に入学し、1957年(昭和32年)に卒業。1966年(昭和41年)詩集『鵜匠』で第四回日本詩人クラブ賞受賞。 國學院大学講師などを務めた。詩集のほか、短歌、俳句もやり、実用書を多く書いた。1993 - 95年日本詩人クラブ会長。
友竹 正則(ともたけ まさのり、1931年〈昭和6年〉10月… 友竹 正則(ともたけ まさのり、1931年〈昭和6年〉10月9日 - 1993年〈平成5年〉3月23日)は、日本の声楽家・バリトン歌手・詩人。広島県福山市出身。 広島県福山南高等学校(現・広島県立福山葦陽高等学校)から国立音楽大学声楽科に進み、卒業後二期会に所属。1955年、「カルメン」のモラレス役でオペラデビュー。 1960年、キングレコード専属となる。その後、童謡・オペラ・ミュージカルなど幅広く活躍し多くの人に親しまれた。 1979年1月から1981年12月まで、料理番組『くいしん坊!万才』で3代目レポーターを務めた。しかし大の梅干し嫌いであったため、番組内で梅干しが出された際も断るわけにはいかず、結局苦渋の表情で食べるシーンが後年の「NG大賞」などでも放送された。
堀場 清子(ほりば きよこ、1930年10月19日 - 20… 堀場 清子(ほりば きよこ、1930年10月19日 - 2025年1月10日)は、日本の詩人、女性史研究家である。 広島県広島市生まれ。父は陸軍軍人の堀場一雄。東京で育つが、縁故疎開先の広島で原爆被害を目撃する。早稲田大学文学部国文科卒業。鹿野政直の妻で本姓は鹿野。共同通信社勤務を経て詩作・評論に専念する。詩誌『いしゅたる』主宰。1990年、『イナグヤ ナナバチ/沖縄女性史を探る』で第5回女性史青山なを賞、1993年『首里』で第11回現代詩人賞受賞。2010年、第14回女性文化賞受賞。ほか高群逸枝、原爆被害の研究をおこなう。 2025年1月10日、老衰のため千葉県の高齢者施設で死去。94歳没。
大洲 秋登(おおす あきと、1922年9月30日 - 200… 大洲 秋登(おおす あきと、1922年9月30日 - 2008年6月17日)は、日本の詩人。「VOUクラブ」所属、「びわの実学校」同人。赤い鳥文学賞受賞。 1922年(大正11年)、広島県安芸津町(東広島市)に生まれる。広島県立忠海中学校を経て、早稲田大学文学部独文科卒業。大学の先輩で児童文学者の前川康男と親交があった。郷里の広島で、洋品店や教材販売業を営みながら、詩作をつづける。1949年から北園克衛主宰の「VOUクラブ」に所属し、雑誌『VOU』などに前衛的な詩を寄稿。1959年、詩集『密着した時間』を出版。その後、坪田譲治創刊の童話雑誌『びわの実学校』を中心に「少年詩」を寄稿し、それらを集めて詩集を出版。
黒田 三郎(くろだ さぶろう、1919年(大正8年)2月26… 黒田 三郎(くろだ さぶろう、1919年(大正8年)2月26日 - 1980年(昭和55年)1月8日)は、日本の詩人。 東大経済学部卒。戦後の『智恵子抄』とも言える恋愛詩集『ひとりの女に』(1954年)と、妻の入院中、父娘2人の生活をうたった絶唱『小さなユリと』(1960年)で現代詩を誰にもわかる平明なものにした。ほかに『時代の囚人』(1965年)など。 広島県呉市出身。呉海兵団の副団長であった父・勇吉(海軍兵学校第21期)の退役に伴い、3歳からは、父の故郷・鹿児島で育つ。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制) 、第七高等学校造士館 (旧制) を経て東京大学経済学部卒業。戦時中、会社から派遣されたり現地召集で南洋の島々で過ごした。
佐藤 溪(さとう けい、1918年(大正7年)3月31日 -… 佐藤 溪(さとう けい、1918年(大正7年)3月31日 - 1960年(昭和35年)12月30日)は、日本の画家、詩人。本名は忠義。溪山人、忠石、教祖とも号する。 第二次世界大戦中は中国・東南アジアで従軍する。1945年に復員したのちは、後述の放浪中に作成された作品とは対照をなす、神秘的な油彩画を多く制作した。1955年から5年に渡り日本全国を旅し、昭和30年代の風景や人物を絵画に残した。水彩、フェルトペン、鉛筆等による多彩な画風が特徴である。1959年、旅先の沼津で脳卒中のため倒れ、翌1960年、両親の住む湯布院町で、「父母の後光見たり萩深し」という辞世の句を残し死去。 佐藤の作品の多くは、1991年7月に大分県大分郡湯布院町(現大分県由布市湯布院町)に開館した由布院美術館で展示されていたが、2012年3月に同館が閉館することに伴い、2013年1月からは大分県別府市にある国の登録有形文化財聴潮閣内に開設された佐藤溪美術館で展示されている。
木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年(大正3年)10月2… 木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年(大正3年)10月27日 - 1965年(昭和40年)8月4日)は、日本の詩人、俳人。本名・優二。 広島県福山市御幸町に生まれる。広島県立府中中学(現・広島県立府中高等学校)を卒業後、1933年にいったんは第一早稲田高等学院文科(仏文科)に入学するが、養父の結核発病に伴い家業を継ぐために転学した。1938年に名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学)を卒業し、広島県福山市の実家で薬局を営む。以後、終生郷里を離れなかった。この間堀口大学に傾倒し影響を受けており、13歳のときには堀口の詩誌「若草」で特選を取っている。1940年、第一詩集『田舎の食卓』を刊行、第6回文芸汎論賞を受賞。
栗原 貞子(くりはら さだこ、1913年3月4日 - 200… 栗原 貞子(くりはら さだこ、1913年3月4日 - 2005年3月6日)は、詩人。「生ましめんかな」や「ヒロシマというとき」で知られる。 広島県広島市生まれ。可部高等女学校(現広島県立可部高等学校)在学中の17歳から、短歌・詩を中心に創作活動を始めた。1930年、山本康夫が広島で創刊した歌誌『処女林』(1932年に『真樹』に改題)の同人となる。1945年8月6日(広島市への原子爆弾投下)に爆心地の4キロ北の自宅で被爆。戦後は夫の栗原唯一とともに執筆活動を行い、平和運動に参加し、反戦、反核、反原発、反差別、反天皇制を主張、特に昭和天皇の戦争責任を言及しており、『戦前・戦中派にとって天皇絶対主義の恐怖は母斑のように肉体にしみついている。
真野 さよ(まの さよ、1913年 - )は、日本の小説家、… 真野 さよ(まの さよ、1913年 - )は、日本の小説家、詩人。 高知県出身。1955年、広島県立高等女学校(現広島県立広島皆実高等学校)卒業、1958年、日本女子大学国文学部中退。 戦後、河井醉茗の塔影社に入り創作活動を開始し、1977年、詩集『葡萄祭』出版。小説『蜂』にて婦人公論新人小説賞受賞。 読売新聞「人生案内」の回答者として活躍するほか、各地で「伊勢物語」「枕草子」などの古典文学や女性問題などの講義を重ねた。
武内 俊子(たけうち としこ、1905年9月10日 - 19… 武内 俊子(たけうち としこ、1905年9月10日 - 1945年4月7日)は、童謡詩人、童謡作詞家、童話作家。僧侶であり世界探険家の渡辺哲信は叔父にあたる。広島県福山市の勝願寺住職足利瑞義の姪。 1905年(明治38年)広島県三原市西町の浄念寺に生まれる。 1912年4月広島市に転居、学齢期の6歳から土手町(現在の南区比治山町)で育った。広島県立第一高等女学校(現在の広島皆実高校)を経て、広島女子専門学校(現在の県立広島大学)に進学したが中途で退学。 その後、結婚して東京の世田谷に居住。1929年(昭和4年)頃から、童謡や童話の創作を始める。女性の社会進出が困難を伴った昭和初期にあって、4人の子供の育児と両立させ創作に励んだ詩人だった。
大木 惇夫(おおき あつお、1895年〈明治28年〉4月18… 大木 惇夫(おおき あつお、1895年〈明治28年〉4月18日 - 1977年〈昭和52年〉7月19日)は日本の詩人・翻訳者・作詞家。本名は軍一(ぐんいち)。1932年までは篤夫(あつお)と名乗っていた。太平洋戦争(大東亜戦争)中の戦争詩で有名だが、児童文学作品他、「国境の町」などの歌謡曲、「大地讃頌」をはじめとした合唱曲、軍歌(戦時歌謡)、社歌、校歌、自治体歌の作詞も多い。1967年紫綬褒章、1972年勲四等旭日小綬章。 広島県広島市天満町(現在の西区天満町)出身。生家は裕福な呉服商であったが、彼が物心付く頃には没落しており、貧しい暮らしの中で育った。少年時代に『アラビアン・ナイト』や巖谷小波の『世界お伽噺』を読み、文学者を志す。
小山内 薫(おさない かおる、1881年〈明治14年〉7月2… 小山内 薫(おさない かおる、1881年〈明治14年〉7月26日 - 1928年〈昭和3年〉12月25日)は、明治末から大正・昭和初期に活躍した日本の劇作家、小説家、演出家、批評家、詩人。 日本の演劇界の革新にその半生を捧げた"新劇の父" 。 1909年に「自由劇場」を、1924年に土方与志らと「築地小劇場」を設立し、新劇運動に尽力した。戯曲に『第一の世界』(1920年)、『息子』(1922年)などがある。また、1919年に松竹本社理事兼松竹蒲田撮影所撮影総監督となり、1920年松竹キネマ俳優学校校長、松竹キネマ研究所設立を通して、トーキー(発声映画)が登場する日本映画黎明期に深く関わった。 1881年(明治14年)7月26日、広島陸軍衛戍病院長・小山内建の二男として後の広島市細工町(現在の大手町一・二丁目付近)に生まれた。
頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1… 頼 山陽(らい さんよう、安永9年12月27日(1781年1月21日) - 天保3年9月23日(1832年10月16日))は、大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は襄(のぼる)、字は子成。山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。贈正四位。
頼 春水(らい しゅんすい、延享3年6月30日(1746年8… 頼 春水(らい しゅんすい、延享3年6月30日(1746年8月16日) – 文化13年2月19日(1816年3月17日)は、江戸時代中期・後期の儒学者、詩人。頼山陽の父。