田淵 貞四郎(たぶち さだしろう、1869年3月4日(明治2… 田淵 貞四郎(たぶち さだしろう、1869年3月4日(明治2年1月22日)- 1922年(大正11年)12月1日)は、明治から大正時代の政治家、実業家。衆議院議員(1期)。 のちの香川県三野郡桑山村(三豊郡桑山村、豊中村、豊中町を経て、現在の三豊市豊中地区)に生まれる。農業を営む傍ら、桑山村会議員、三豊郡会議員、同参事会員、同副議長、香川県会議員、同参事会員、県農会副会長を歴任する。実業家としては讃岐土管取締役、香川県蚕糸同業組合連合会長を務める。 1915年(大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙では香川県郡部から憲政会所属で出馬し当選。1期務めた。
加治 寿衛吉(壽衞吉、かじ すえきち、1868年10月8日(… 加治 寿衛吉(壽衞吉、かじ すえきち、1868年10月8日(明治元年8月23日)- 1926年(大正15年)2月25日)は、明治から大正期の実業家、政治家。衆議院議員。 讃岐国那珂郡丸亀城下(香川県那珂郡丸亀町、仲多度郡丸亀町を経て現丸亀市)で、丸亀藩士・加治重国の二男として生まれる。郷校で学び、1883年(明治16年)に上京して法律学を研究した。 自由民権運動に加わり、1890年(明治23年)愛国公党に入党。その後大同団結運動に参加し、国民自由党に入党してその勢力の拡張に尽力した。 1897年(明治30年)頃から実業界に入り、鹿島鉄道発起人、皇国生命保険会社顧問に就任。1906年(明治39年)東京通信社に入社し、その後社長を務めた。
堀家 虎造(ほりけ とらぞう、1864年12月18日(元治元… 堀家 虎造(ほりけ とらぞう、1864年12月18日(元治元年11月20日)- 1939年(昭和14年)5月13日)は、明治から昭和前期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、香川県那珂郡榎井村長。 讃岐国那珂郡与北村(香川県那珂郡与北村、仲多度郡与北村を経て現善通寺市与北町)で、農業、養蚕業を営む堀家に生まれた。漢学、英学、数学などを修めた。農業を営む。 1890年(明治23年)5月、榎井村長に就任し、1898年(明治31年)3月まで在任。1892年(明治25年)香川県会議員に選出され、1898年3月まで務め、その他、同常置委員、所得税調査委員も務めた。 1898年3月、第5回衆議院議員総選挙(香川県第4区)で当選し、以後、第8回総選挙まで再選され、衆議院議員に通算3期在任した。
鎌田 勝太郎(かまだ かつたろう、諱・正康。号・淡翁、186… 鎌田 勝太郎(かまだ かつたろう、諱・正康。号・淡翁、1864年2月29日〈元治元年1月22日〉 - 1942年〈昭和17年〉3月28日)は、戦前日本の実業家、政治家、社会事業家、資産家、醤油醸造家(堺屋)、香川県多額納税者、地主。貴族院多額納税者議員(4期)。衆議院議員(当選1回)。従五位勲三等。族籍は香川県平民。 坂出塩業の振興につとめ「讃岐坂出塩業の父」とも称される。貴族院政治史上最多の当選回数(4選)の保持者でもあり、貴族院の重鎮としても君臨した。 醤油醸造を業とする家に生まれた。鎌田正平の長男。2歳、あるいは3歳の時、父親が死亡し、祖父母と母親の手で育てられた。1876年8月、家督を相続した。
平野川 善右エ門(ひらのがわ ぜんえもん、1863年(文久3… 平野川 善右エ門(ひらのがわ ぜんえもん、1863年(文久3年) - 1912年(明治45年)4月19日)は讃岐国大内郡引田村(現・香川県東かがわ市引田)出身の大相撲力士。本名は今出善藏。大阪相撲で活躍し最高位は大関。 10代小野川に入門。1886年(明治19年)11月平野川 鹿藏(1894年(明治27年)4月まで番付では平の川または平ノ川と表記された)で四段目に初見。1890年(明治23年)8月には早くも入幕した。 167cm、103kg。突っ張りを得意とし、闘志に満ちた取り口は調子に乗ると実力以上の活躍を見せた。また立合いの汚い力士が多かった大阪相撲において立合いがきれいなことで知られた。1893年(明治26年)10月には8戦全勝を記録。
斎藤 研一(さいとう けんいち、1861年7月27日(文久元… 斎藤 研一(さいとう けんいち、1861年7月27日(文久元年6月20日)- 没年不詳)は、日本の大阪府堺市長。香川県丸亀市長。 讃岐国多度郡善通寺村(現在の香川県善通寺市)出身。1881年(明治14年)、仲多度郡書記となる。1884年(明治17年)、大阪府に転任し、1900年(明治33年)に北河内郡長に就任した。 1910年(明治43年)、堺市長に就任し、税制の整理や教育機関の充実を行った。 1915年(大正4年)、丸亀市長に選出された。 1917年(大正6年)、堺市長に再選され、周辺町村の編入や堺市立商業学校の創設などの功績をあげた。
松井 三蔵(1861年(文久元年5月16日)6月23日 - … 松井 三蔵(1861年(文久元年5月16日)6月23日 - 1932年(昭和7年)6月8日)は、日本の柔術家である。無相流新柔術の十傑の一人。 1861年(文久元年)に讃岐国林田村字東梶に生まれる。 松井は15歳の頃から無相流新柔術を教える中条塾に通っていた。 当時の柔術は大変な腕力を必要としたため、若いころから砂糖じめをする砂糖車の車石を担い腕力をつけた。19歳の頃に東梶の堂というところに備え付けてあった二十八貫(約105kg)の丸石を差し切ったといわれる。 中条塾においては四天王の下の十傑に数えられていた。 讃岐柔道史によると1905年(明治38年)に大日本武徳会で乱捕の形が制定された際、松井三蔵の並々ならぬ努力によって無相流新柔術から「片羽絞」が採用されたとしている。
三善 清之(みよし きよゆき、安政6年12月15日(1860… 三善 清之(みよし きよゆき、安政6年12月15日(1860年1月8日) - 昭和17年(1942年)11月19日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会)、土木技術者、陸軍軍人(工兵中尉)。 香川県丸亀市出身。1878年(明治11年)、大阪府師範学校を卒業し、小学校訓導となった。その後、陸軍士官学校(旧5期)に入学し、1884年(明治17年)に卒業。工兵中尉として熊本鎮台工兵大隊副官を務めた。免官後、藤田伝三郎・大倉喜八郎が共同出資する日本土木会社(のち大倉組)社員となり、東京湾砲台建設、紀淡海峡砲台建設、東京湾の浚渫と月島埋め立てなどを手掛けた。1897年(明治30年)、内務省官吏となり、岡山県技師に任じられた。
大久保 彦三郎(おおくぼ ひこさぶろう、安政6年8月16日(… 大久保 彦三郎(おおくぼ ひこさぶろう、安政6年8月16日(1859年9月12日) - 明治40年(1907年)7月19日)は、日本の教育者。四国最古の私立学校「忠誠塾」「盡誠舎」(後の尽誠学園)の創始者。香川県議会副議長。 讃岐国三野郡財田上村戸川(現・香川県三豊市財田町財田上字戸川)、大久保森冶の五男。大久保諶之丞の弟で剛石または在我堂と号した。次男は尽誠学園学園長を務めた大久保直広。 1878年(明治11年)に京都に上り、三国大学(幽眠)・松岡正貫の塾で国学・漢学を学ぶ。翌年に東京に上って三島中洲が設立した二松学舎に学ぶが、病気により帰郷。回復後、戸川に私塾「忠誠塾」を設立。1888年(明治21年)に京都で私塾「盡誠舎」を開いた。
鳥取 柔三郎(とっとり じゅうさぶろう、1859年3月9日〈… 鳥取 柔三郎(とっとり じゅうさぶろう、1859年3月9日〈安政6年2月5日〉 - 没年不明)は、日本の実業家、篤農家。讃岐農工銀行監査役。讃岐土管取締役。族籍は香川県平民。 讃岐国三野郡笠岡村(現・香川県三豊市)出身。鳥取為三郎の二男。1875年、分家した。住所は香川県三豊郡笠田村。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
鎌田 大三郎(かまだ だいざぶろう、1859年2月5日〈安政… 鎌田 大三郎(かまだ だいざぶろう、1859年2月5日〈安政6年1月3日〉 - 没年不明)は、日本の醸造家、会社役員。族籍は香川県平民。 香川県平民・鎌田大三郎の長男。1875年、家督を相続する。清酒・生酢醸造業を営む。坂出銀行常務取締役、鎌田産業取締役などをつとめる。住所は香川県綾歌郡坂出町(現坂出市)。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
大場 長平(おおば ちょうへい、1859年1月28日(安政5… 大場 長平(おおば ちょうへい、1859年1月28日(安政5年12月25日)- 1916年(大正5年)8月10日)は、明治から大正初期の実業家・政治家。衆議院議員、香川県会議長。 讃岐国山田郡、のちの香川県山田郡林村(木田郡林村を経て現高松市)で、大場吉次郎の二男として生まれる。漢学を修めた。1889年(明治22年)6月、家督を相続した。 1889年、讃岐鉄道取締役に就任。その他、讃岐農工銀行頭取、韓国実業監査役、東讃電気軌道(現高松琴平電気鉄道)社長などを務めた。 政界では、六条村戸長、林村会議員、木田郡四ケ池普通水利組合常設議員などを務めた。香川県会議員に選出され、1899年(明治32年)10月21日、同議長に就任し同月27日まで7日間在任した。
森 輝見(もり きけん、1859年(安政6年10月) - 1… 森 輝見(もり きけん、1859年(安政6年10月) - 1923年(大正12年)12月17日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。年に改名。 讃岐国三野郡比地大村(のち香川県三豊郡豊中村→豊中町、現・三豊市)生まれ。皇学、漢学と英語を学ぶ。香川県会議員、同常置委員、三野郡連合会議員となる。 1894年3月の第3回衆議院議員総選挙において香川5区から自由党公認で立候補して当選した。同年9月の第4回衆議院議員総選挙で再選。衆議院議員を2期務め、1898年3月の第5回衆議院議員総選挙は不出馬。1923年に死去した。
古川 阪次郎(ふるかわ さかじろう、安政5年11月4日(18… 古川 阪次郎(ふるかわ さかじろう、安政5年11月4日(1858年12月8日) - 昭和16年(1941年)3月2日)は、日本の鉄道官僚。学位は、工学博士。土木学会第9代会長。錦鶏間祗候。 讃岐国塩飽諸島広島 (香川県)(現丸亀市広島町)に山口吉十郎の二男として生まれ、叔父古川庄八(幕府オランダ留学生)の養子となった。1884年(明治17年)、工部大学校を卒業。鉄道局に入り、鉄道作業局八王子出張所所長を務め、笹子トンネルの設計に携わった。日露戦争中は嘱託技師として、東清鉄道南部線の技術運営を担当した。南満州鉄道発足後は鉄道作業局に戻り、鉄道院技師、中部鉄道管理局長、技監、技術部長を歴任した。1913年(大正2年)、鉄道院副総裁に抜擢され、運輸局長も兼ねた。
小西 甚之助(こにし じんのすけ、1855年10月27日(安… 小西 甚之助(こにし じんのすけ、1855年10月27日(安政2年9月17日)- 1928年(昭和3年)6月28日)は、明治期の政治家。衆議院議員、香川県会議長。旧姓・中原、佐々木。号・渓香。 讃岐国寒川郡志度村(香川県寒川郡志度町 、大川郡志度町を経て現さぬき市志度)で、仮大庄屋・中原七郎の息子として生れ、同村の伯父・佐々木数平の養嗣子となる。1867年(慶応3年)高松藩洋式練兵場で兵学を学び、小隊司令士、教官を務めた。18歳で寒川郡長尾名村(長尾村、長尾町を経て現:さぬき市長尾名)の庄屋・小西平蔵の養嗣子となる。 1876年(明治9年)8月、有志と翼賛社を設立し自由民権運動を推進。1880年(明治13年)8月、讃岐の総代として元老院に国会開設建白書を提出した。
植場 平(うえば はかる、安政2年3月2日(1855年4月1… 植場 平(うえば はかる、安政2年3月2日(1855年4月18日) – 昭和4年(1929年)8月17日)は、衆議院議員(立憲政友会→政友本党→立憲民政党)。 讃岐国香川郡、のちの香川県香川郡百相村(仏生山町を経て現高松市)出身。1882年(明治15年)、大阪府警部補に任じられた。1887年(明治20年)、島上・島下両郡連合会議員となり、淀川改良工事の請願に取り組んだ。1897年(明治30年)、自由党大阪支部幹事となり、大阪府会議員に当選した。その後、憲政党・立憲政友会の創設に参加し、幹事となった。 1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後、当選回数は8回を数えた。その間、高槻町長、大冠村長を務めた。
黒瀬 與重郎(くろせ よじゅうろう、旧姓・高田、1854年1… 黒瀬 與重郎(くろせ よじゅうろう、旧姓・高田、1854年10月24日〈安政元年9月3日〉 - 没年不明)は、香川県多額納税者、香川県の大地主・家主、資産家。族籍は香川県平民。 香川県仲多度郡生野村(後の麻野村、善通寺町、現・善通寺市)、平民・高田恵八郎の四男。黒瀬與吉郎の養子となり、家督を相続する。商業を営む。1926年、退隠する。 諱は憲直、柳渚と号して書を好み、終生これを楽しむ。貝原益軒に私淑し、常にその著書を愛読する。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有する。同地方屈指の大地主、資産家で、香川県下の多額納税者である。 與重郎の人柄は「社交界に出ることを好まず、政治を談ずることを欲せず、只詩文に親しんだ」という。
宮井 茂九郎(みやい もくろう、1853年10月9日(嘉永6… 宮井 茂九郎(みやい もくろう、1853年10月9日(嘉永6年9月7日)- 1906年(明治39年)11月17日)は、明治期の地主、農業経営家、実業家、政治家。衆議院議員、初代香川県鵜足郡坂本村長。 讃岐国鵜足郡川原村(香川県鵜足郡坂本村、綾歌郡坂本村、飯山町を経て現:丸亀市飯山町川原)で生まれる。漢学、数学を修めた。明治2年5月(1869年6-7月)鵜足郡川原真時両村庄屋役に、明治4年10月(1871年11-12月)鵜足郡大庄屋役に任じられた。 実業界では、寒川郡志度村製糖会社取締役、高松砂糖会社取締役、宇足津塩田会社取締役、讃岐紡績会社取締役、讃岐鉄道会社監査役、香川県農工銀行取締役などを務めた。
鳥取 治郎八(とっとり じろはち、1853年5月15日〈嘉永… 鳥取 治郎八(とっとり じろはち、1853年5月15日〈嘉永6年4月8日〉 - 1936年〈昭和11年〉3月22日)は、日本の実業家、資産家、篤農家、大地主、香川県多額納税者。合資会社信正社有限責任社員。讃岐農工銀行監査役。族籍は香川県平民。憲仁親王妃久子は曽孫。承子女王、千家典子、守谷絢子は玄孫。 讃岐国三野郡笠岡村(現・香川県三豊市)出身。鳥取為三郎の長男。1886年、家督を相続した。農業を営んだ。貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。金持ちであるが驕らず勤倹力行を旨とし家業の発展を図った。公共慈善の事に接すると私財を投じて惜しむ所はなかった。住所は香川県三豊郡笠田村。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
都崎 秀太郎(つざき ひでたろう、1852年6月25日(嘉永… 都崎 秀太郎(つざき ひでたろう、1852年6月25日(嘉永5年5月8日)- 1926年(大正15年)11月4日)は、明治から大正期の実業家・政治家。衆議院議員、香川県会議長。号・梧庵。 讃岐国阿野郡福江村(香川県阿野郡金山村、綾歌郡金山村、坂出町を経て現坂出市福江町)で、糖業、富農・都崎光蔵の三男として生まれる。高松藩校・講道館で学んだ。1885年(明治18年)11月、家督相続した。 小学校訓導、福江村戸長などを務めた。1882年(明治15年)愛媛県会議員に選出され、同常置委員、同勧業諮問会員に在任。1888年(明治21年)香川県が再置され、その後、香川県会議員に選出され、同常置委員、所得調査委員、地方衛生会員、香川県育英会評議員なども務めた。
椎名 秀胤(しいな ひでたね、1851年10月13日(嘉永4… 椎名 秀胤(しいな ひでたね、1851年10月13日(嘉永4年9月19日) - 1912年(明治44年)4月4日)は、日本の文筆家・漢文学者・実業家。筆名・雅号は南浦。海運業などで活躍した明治の実業家の一人。『南浦遺集』という書名はこの雅号に由来する。 子孫には、実業家で元日本鉱業株式会社の役員・椎名芳胤、音楽家・文筆家の菊村紀彦、元奥州大学(現・富士大学)教授で近代日本の図書館学等に貢献した椎名六郎らがいる。日本鉱業は新日鉱ホールディングスへと受け継がれ、日立製作所や日産自動車を生んだ第二次世界大戦前の新興財閥、日産コンツェルンの源流となった企業の一つであった。 讃岐高松(現在の香川県高松市)にある石清尾八幡宮の宮司・岡田秀高の次男として生まれる。
小田 知周(おだ ともちか、1851年9月6日(嘉永4年8月… 小田 知周(おだ ともちか、1851年9月6日(嘉永4年8月11日)- 1919年(大正8年)7月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・十河。 讃岐国香川郡宮脇村(香川県香川郡宮脇村を経て現高松市)で十河憲武の子として生まれ、9歳で伯父・小田辰右衛門の養嗣子となる。高松藩校弘道館で学ぶ。 高松市会議員、同参事会員、愛媛県会議員、香川県会議員、高松商業会議所会頭、高松市長を歴任する。また、高松商業銀行取締役、高松電気軌道、香川新報各(株)社長となる。 1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙において高松市選挙区から無所属で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1915年(大正4年)第12回総選挙には立候補しなかった。
遠山 正和(とうやま まさかず、1851年4月16日(嘉永4… 遠山 正和(とうやま まさかず、1851年4月16日(嘉永4年3月15日)- 1907年(明治40年)11月8日)は、明治期の弁護士、実業家、政治家。衆議院議員、香川県会議長、丸亀市会議長。 讃岐国那珂郡、のちの香川県丸亀市で、里正の家に生まれる。経史を修めた。 1873年(明治6年)香川県六大区一小区副小区長兼学務取締に就任。自由民権運動に加わった。1879年(明治12年)愛媛県会議員に選出された。1882年(明治15年)代言人(弁護士)となる。同年、自由党大会で警官と衝突して投獄された。1888年(明治21年)香川県が再置され、その後、香川県会議員に選出され、同常置委員も務めた。1894年(明治27年)4月、香川県会議長に就任し1895年(明治28年)10月まで在任した。
伊藤 一郎(いとう いちろう、嘉永3年4月(1850年) -… 伊藤 一郎(いとう いちろう、嘉永3年4月(1850年) - 大正4年(1915年)4月24日)は、日本の政治家、教育者、哲学者である。讃岐国三豊郡財田村(現・香川県三豊市)出身。衆議院議員。 多度津藩の藩校・日新書院助教、同自明館支配などを務める。その後、大区会議員、同議長、愛媛県会議員、四国新道開鑿県相談役などを歴任。1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙に香川県第5区から立候補し当選し、衆議院議員を1期務めた。哲学に精通し、著書も多い。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
豊田 元良(とよだ もとよし、1850年(嘉永3年) - 1… 豊田 元良(とよだ もとよし、1850年(嘉永3年) - 1915年(大正4年)5月17日)は、日本の政治家。香川県丸亀市初代市長。香川県会議員。旧姓は高畑。名は元良。号は柳南又萍舟。 讃岐・丸亀の高畑家に生まれ、後琴平の豊田家を嗣ぐ。尾池松湾に学んで詩書を得意とした。大いに吏才があり、始め戸長、県会議員となり、次いで仲多度郡長、三豊郡長を歴任し、最後に市制実施第1期の丸亀市長となったが、まもなく辞めて公共事業に尽力した。 世間の人たちは豊田のことを否定的に「大言壮語の卸問屋」、「絶大突飛の空想家」とみなしていた。細心綿密の人ではなかった。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
大久保 諶之丞(おおくぼ じんのじょう、1849年10月2日… 大久保 諶之丞(おおくぼ じんのじょう、1849年10月2日(嘉永2年8月16日) - 1891年(明治24年)12月14日)は、明治期日本の政治家。明治初期に四国新道(現在の国道32号、国道33号等の前身)・香川用水・瀬戸大橋を提唱したことで知られる。 尽誠学園の創始者大久保彦三郎は実弟。 1849年10月2日(嘉永2年8月16日)、讃岐国三野郡財田上村戸川(現在の香川県三豊市財田町財田上字戸川)の大地主であった大久保森冶の三男として生まれる。1872年(明治5年)5月財田村吏員、その後郡吏員等を経て、1888年(明治21年)に愛媛県会議員、翌年、香川県が愛媛県から分離したことに伴い香川県会議員となる。
香川 善治郎(かがわ ぜんじろう、1848年6月14日(嘉永… 香川 善治郎(かがわ ぜんじろう、1848年6月14日(嘉永元年5月14日)- 1921年(大正10年)3月7日)は、日本の剣道家。流派は一刀正伝無刀流。称号は大日本武徳会剣道範士。一刀正伝無刀流山岡鉄舟の高弟。 讃岐国豊田郡古川村(現香川県観音寺市)の中農の二男として生まれる。幼少時に母が他界し、父も病弱であったため祖父母に養育される。祖父磯五郎は武術を好み、自宅に道場を備えていた。 15歳で丸亀藩剣術師範の直清流矢野市之進に入門。3年後の1865年(慶応元年)江戸に出て、田宮流島村勇雄の道場に1年間留学。1866年(慶応2年)に帰郷し矢野から直清流目録を授けられる。その年祖父磯五郎が死去。 1870年(明治3年)、赤心報国党に参加し挙兵を企て捕縛される。
石井 定彦(いしい さだひこ、1848年(嘉永元年3月) -… 石井 定彦(いしい さだひこ、1848年(嘉永元年3月) - 1934年(昭和9年)2月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 讃岐国三野郡(のち香川県三豊郡本山村→豊中村→豊中町、現・三豊市)生まれ。漢学を学ぶ。小学校教員、愛媛県会議員、大区会議員、同議長、戸長、村農会長、香川県教育会商議員、同副議長となる。 1890年の第1回衆議院議員総選挙において香川5区から立憲改進党所属で立候補するが落選した。1892年の第2回衆議院議員総選挙では議員集会所から立候補して当選した。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では立憲改進党から立候補して落選した。同年9月の第4回衆議院議員総選挙でも落選した(立憲改進党)。
井上 甚太郎(いのうえ じんたろう、1845年4月26日(弘… 井上 甚太郎(いのうえ じんたろう、1845年4月26日(弘化2年3月20日)- 1905年(明治38年)8月22日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 讃岐国鵜足郡上法軍寺村(香川県鵜足郡法勲寺村、綾歌郡法勲寺村、飯山町を経て現丸亀市飯山町上法軍寺)で生まれる。阿野郡西庄村(坂出町を経て現坂出市西庄町)で成長した。漢学を修めた。その後、高松城下に移り、幕末には高松藩御用掛として砂糖生産販売に従事した。 明治維新後、自由民権運動に加わる。純民社、高松立志社を創立。1875年(明治8年)以降、塩業界の結束と改善に尽力した。農商工高等会議議員、十州塩業組合東讃支部長、高松商法会議所副会長などを歴任した。
先代塩田 忠左衛門(しおた ちゅうざえもん、旧字体: 鹽田 … 先代塩田 忠左衛門(しおた ちゅうざえもん、旧字体: 鹽田 忠左衞門、1843年2月27日〈天保14年1月29日〉 - 1925年〈大正14年〉9月23日)は、日本の政治家、実業家、資産家、大地主、香川県多額納税者。衆議院議員(香川県第五区選出、当選1回)。西讃銀行取締役。族籍は香川県平民。 讃岐国三野郡仁尾村(現・香川県三豊市)に生まれた。忠左衛門の長男。早くから家庭の薫陶を受け、また金光寺信元に就いて漢籍を修めた。商業を営んだ。 1874年、三野郡仁尾村学務委員となり、それ以来仁尾村会議員、三野豊田郡地位等級会議員、香川県会議員、仁尾村勧業世話係、仁尾村第六聯合会長、仁尾村家の浦聯合会議員、仁尾尋常小学校建築委員長、仁尾村長等の各公職に就任。
淀川 音吉(よどがわ おときち、1842年9月13日(天保1… 淀川 音吉(よどがわ おときち、1842年9月13日(天保13年8月9日) - 1915年(大正4年)2月17日)は、明治時代の大相撲力士。本名:松崎音吉。年寄白玉。讃岐国丸亀(現・香川県丸亀市)出身。 数え21 - 22歳ごろに江戸へ出て雷の弟子となったと伝えられ、数え27歳の1868年5月に讃岐川で序ノ口1871年11月に幕下に昇進と比較的早い出世であったがその後幕下に低迷した。1877年頃和田ノ森との対戦で、40回以上の仕切りとなり審判が預かりとしようとしたが、仕切りの形が和田ノ森のほうが良かったということで和田ノ森の勝ちとなったことがある。1878年5月に幕下二段目12枚目の最高位に昇進。
投石 菊治郎(なげいし きくじろう、1837年〈天保8年〉 … 投石 菊治郎(なげいし きくじろう、1837年〈天保8年〉 - 1887年〈明治20年〉6月22日)は、讃岐国豊田郡(現在の香川県観音寺市)出身で雷部屋、音羽山部屋、井筒部屋に所属した力士。本名は長田 菊治郎。6代井筒。最高位は西前頭4枚目。身長体重は不明。 1860年3月に雷部屋から初土俵を踏んだ。のちに雷部屋と縁が深い音羽山部屋に転籍し、十両昇進は初土俵から11年が経った1871年3月のことである。十両で4年が経過した1875年4月、東十両筆頭の地位で6勝3敗の成績を上げて同成績の藤田川利助と優勝を分け合い(ただし番付上位の投石が優勝扱い)、1876年1月に新入幕を果たした。1878年に師匠の8代音羽山が亡くなり、1879年1月以降は年寄・井筒として二枚鑑札となった。
寶川 石五郎(たからがわ いしごろう、1816年〈文化13年… 寶川 石五郎(たからがわ いしごろう、1816年〈文化13年〉 - 1858年8月26日〈安政5年7月18日〉)は、雷部屋に所属した力士。大坂相撲時代には朝日山部屋、東京へ移行してからは粂川部屋にも所属していた。本名は佐伯 石五郎。 身長,体重とも不明だが、体格は大きく3尺(約90cm)の入り口では常に体を斜めにして入ったと伝わる。出身地は現在の香川県観音寺市(旧・讃岐国豊田郡。 最高位は西前頭筆頭。丸亀藩の抱え。 最初は4代朝日山(真鸖政吉)の弟子として大坂相撲で取り、その後東上して1840年10月初土俵(序二段附出し)。1848年1月新十両(東二段目10枚目となり十両相当となった)。1849年3月場所では7勝1敗1分の好成績を挙げ、優勝相当成績を挙げた。
黒岩 壽太郎(くろいわ じゅたろう、1814年(文化11年)… 黒岩 壽太郎(くろいわ じゅたろう、1814年(文化11年) - 1857年6月13日(安政4年5月22日))は、讃岐国香川郡(現・香川県高松市錦町)出身の大相撲力士。本名は不明。幕末屈指の強豪でありながら不幸にも三役に登れぬまま現役で亡くなった。最高位西前頭筆頭。 始め大坂相撲の5代押尾川に入門。のち江戸に下り7代雷の弟子となり1845年(弘化2年)10月二段目に付け出される。好成績を残しながら番付はあまり上がらなかったが1849年(嘉永2年)11月相撲会所の英断により二段目11枚目から一躍入幕を果たした。 入幕後も期待に応え大関小柳常吉に3勝1敗4分、のちの大関猪王山森右エ門に4勝2敗3分1預、のちの横綱雲龍久吉に1勝1敗5分と強豪相手に一歩も譲らぬ活躍を見せた。
嚴嶋 関右エ門(いつくしま せきえもん、1810年 - 18… 嚴嶋 関右エ門(いつくしま せきえもん、1810年 - 1854年5月9日(旧暦4月13日))は、香川県丸亀市出身の元大相撲力士。本名は不明。 1810年に香川県丸亀市で生まれる。1834年11月場所において雷部屋から丸亀藩の抱え力士として初土俵を踏む。1844年10月場所で新十両昇進を果たした。現役中の1854年2月場所で二枚鑑札によって2代・稲川を襲名したが、2月場所終了から間もない同年4月13日(旧暦)に入水自殺を遂げた。45歳没。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
久米 通賢(くめ みちかた、もしくは つうけん、1780年(… 久米 通賢(くめ みちかた、もしくは つうけん、1780年(安永9年) - 1841年6月25日(天保12年5月7日))は、江戸時代の日本の発明家、暦学者、測量家、洋学者などである。通称は栄左衛門。 伊能忠敬よりも早く、日本初の実測地図を作った人物である。地元香川県では偉人として顕彰されており、「讃岐のエジソン」「塩田の父」などと称される。 1780年(安永9年)、讃岐国大内郡馬宿(現在の香川県東かがわ市)の農家に生まれる。幼少のころから利発で学問好きな子だったため、引田港から大坂に向かう船の舵取りも務めていた父の嘉兵衛は、大坂に行くたび通賢のために書物を買ってきていた。また、手先が器用で熊や獅子を粘土で作るのが得意だったため「獅子熊」と呼ばれていた。
嚴嶋 関右エ門(いつくしま せきえもん、1756年(宝暦6年… 嚴嶋 関右エ門(いつくしま せきえもん、1756年(宝暦6年) - 1794年(寛政6年)6月16日(旧暦5月19日))は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)出身の元大相撲力士。本名は三崎と伝わっているが、詳細は不明である。 1756年(宝暦6年)に讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)の筆ノ山(現在の善通寺市内)の麓にある牛飼いの家に生まれる。幼少期より並外れた怪力で、通行人を待ち受けては相撲を取ったり、俵を担いできた人を抱いて弘田川を渡ったりしたと伝えられている。当初は朝日山部屋(大坂相撲)に入門し、丸亀藩の抱え力士として1779年10月場所で初土俵を踏んだ。1781年3月場所で東二段目(現在の十両)10枚目へ昇進するが、その後は不振により勝ち越しが一度も無かった。
羽立 光来(はりゅう みつき、10月14日生)は、宝塚歌劇団… 羽立 光来(はりゅう みつき、10月14日生)は、宝塚歌劇団花組の男役。公称身長178cm。香川県出身。愛称は「びっく」「みつき」。血液型O型。
図子 靖代(ずし やすよ、8月28日 - )は、西日本放送の… 図子 靖代(ずし やすよ、8月28日 - )は、西日本放送の契約アナウンサー。 香川県三豊郡詫間町(後の三豊市)出身。香川県歯科技術専門学校卒業。RNCアナウンスカレッジの2期生。 Category:西日本放送のアナウンサーを参照 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。
宮宇地 美穂(みやうち みほ、6月22日 - )は、香川県と… 宮宇地 美穂(みやうち みほ、6月22日 - )は、香川県と岡山県を拠点に活動している日本のフリーアナウンサー。西日本放送のアナウンサーでもある。 香川県高松市出身。香川県立高松北高等学校、東海大学文学部広報学科卒業。RNCアナウンスカレッジの1期生。
戸倉 ハル は、日本の教育者。お茶の水女子大学名誉教授。香川… 戸倉 ハル は、日本の教育者。お茶の水女子大学名誉教授。香川県仲多度郡南村(現・丸亀市)出身。専門分野は女子体育と幼児教育で、「学校ダンスの第一人者」と呼ばれた。レコードなどに残したオリジナルのダンス用の楽曲はおよそ800曲に及び、教え子によって広められた戸倉のダンスは日本各地の学校で伝統として継承されている。
横山 英幸 は、日本の政治家。大阪維新の会代表代行。 日本維… 横山 英幸 は、日本の政治家。大阪維新の会代表代行。 日本維新の会副代表。
岡崎 裕美(おかざき ひろみ)は、日本の童謡歌手。 他、NH… 岡崎 裕美(おかざき ひろみ)は、日本の童謡歌手。 他、NHK教育テレビ「なかよしリズム」内で放送された歌,童謡唱歌CD,子供向けCD等、多数。
岡田 尊司 は、日本の医学者(精神科医)、作家。博士(医学)… 岡田 尊司 は、日本の医学者(精神科医)、作家。博士(医学)。岡田クリニック院長。
中村 桃佳 は、香川県出身の競艇選手。
円珍(えんちん)は、平安時代の天台宗の仏教僧。天台寺門宗(寺… 円珍(えんちん)は、平安時代の天台宗の仏教僧。天台寺門宗(寺門派)の宗(派)祖。諡号は智証大師(智證大師、ちしょうだいし)。宝号は「南無大師智慧金剛(なむだいしちえこんごう)」。 唐で学んだ入唐八家(最澄、空海、常暁、円行、円仁、恵運、円珍、宗叡)の一人。 弘仁5年(814年)、讃岐国金倉郷(現香川県善通寺市)に誕生。多度郡弘田郷の豪族佐伯氏の一門のひとり。俗姓は和気。字は遠塵。空海(弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたる。生誕地は善通寺から4kmほどのところ。幼少から経典になじみ、15歳(数え年、以下同)で比叡山に登り、延暦寺の義真に師事、12年間の籠山行に入る。天長10年(833年)、年分度者となった。
井川 秀栄 は、日本の声優、俳優。香川県高松市出身。プロダク… 井川 秀栄 は、日本の声優、俳優。香川県高松市出身。プロダクション・タンク所属。
サイトウヨシヒロ/Yoshihiro Saitoは、日本のソ… サイトウヨシヒロ/Yoshihiro Saitoは、日本のソングライター、編曲家。香川県高松市出身。株式会社ファイブエイス所属。 株式会社ファイブエイス所属の音楽クリエイター。 『アイドルマスター』 (ウィキペディア日本語版に記事が存在する楽曲についても記載) この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
笠置 シヅ子 は、日本の歌手、女優。本名は亀井 静子。戦前か… 笠置 シヅ子 は、日本の歌手、女優。本名は亀井 静子。戦前から戦後にかけて活躍し、特に戦後は「ブギの女王」として一世を風靡した。
山田 舞(やまだ まい、7月3日 - )は、元宮崎放送 (M… 山田 舞(やまだ まい、7月3日 - )は、元宮崎放送 (MRT) のアナウンサー。 香川県高松市出身。香川県立高松西高等学校、順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツマネージメント学科卒業。大学在学時には東京アナウンスセミナーとテレビ朝日アスクにも通っていた。 大学を卒業後、2002年4月に宮崎放送に入社。 その後、結婚を理由に2007年3月31日付で宮崎放送を退社した[要出典]。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。