立野 政治(たちの まさはる、1955年10月5日 - )は… 立野 政治(たちの まさはる、1955年10月5日 - )は、香川県観音寺市出身の元プロ野球選手(投手)。1985年の登録名は立野 正士(たちの まさし)。 PL学園高では3年夏にチームは府大会準優勝も平山正人らに隠れていた。社会人野球の日本楽器に入社。1976年の日本選手権1回戦では日鉱佐賀関・藤沢公也と9回を投げ合って1失点で惜敗するとプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから4位指名されるも入団せずに残留。 1980年は都市対抗野球に補強選手として登板、秋の日本選手権でも決勝で救援登板し、オフにドラフト外でヤクルトスワローズに入団する。 1年目の1981年に6勝を記録する活躍を見せた。 2年目以降は成績が伸び悩み、5年目の1985年限りで現役を引退。
香川 正人(かがわ まさと、1954年3月27日 - 201… 香川 正人(かがわ まさと、1954年3月27日 - 2016年11月3日)は、香川県坂出市出身のプロ野球選手(投手)。 元プロ野球選手の香川正は実父。 坂出工業高校では2年生からエースとなる。1971年夏の甲子園香川県予選では、1回戦で三本松高を相手にノーヒットノーランを記録。しかし準決勝で坂出商に敗退した。高校卒業後は早稲田大学に進学するが、同期には阿部政文、谷井潤一(日産自動車)と好投手がおり、東京六大学野球リーグではあまり出番はなかった。 大学卒業後は三菱重工神戸に入社、1977年ドラフトで近鉄バファローズに5位指名される。これを保留したまま1978年の都市対抗にエースとして出場。1回戦で東芝の黒紙義弘と投げ合うが完封負け。
鳥坂 九十九(とりさか つくも、1953年4月6日 - )は… 鳥坂 九十九(とりさか つくも、1953年4月6日 - )は、香川県小豆郡内海町((現・小豆島町))出身の元プロ野球選手(投手)。
宮脇 敏(みやわき さとし、1952年6月13日 - 201… 宮脇 敏(みやわき さとし、1952年6月13日 - 2015年7月8日)は、香川県出身のプロ野球選手(投手)。オーバースローからのストレート、カーブ、スライダーを武器にしていた。
大北 敏博(おおきた としひろ、1952年2月18日 - )… 大北 敏博(おおきた としひろ、1952年2月18日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手(内野手)。
藤目 功治(ふじめ こうじ、1950年10月14日 - )は… 藤目 功治(ふじめ こうじ、1950年10月14日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 香川県立津田高等学校を卒業後、1968年のドラフトで南海ホークスから11位で指名され入団。 一年目からオープン戦に出場するが、一軍公式戦に出場することはなく、退団した。
村上 義則(むらかみ よしのり、1950年6月15日 - )… 村上 義則(むらかみ よしのり、1950年6月15日 - )は、香川県小豆郡小豆島町出身の元プロ野球選手(投手)。中日ドラゴンズに所属した。
小坂 敏彦(こさか としひこ、1947年9月17日 - )は… 小坂 敏彦(こさか としひこ、1947年9月17日 - )は、香川県出身のプロ野球選手(投手)。
石床 幹雄(いしどこ みきお、1947年9月10日 - 20… 石床 幹雄(いしどこ みきお、1947年9月10日 - 2004年11月23日)は香川県小豆郡福田村(現・小豆島町)出身のプロ野球選手(投手。右投右打)・料理人。
細川 昌俊(ほそかわ まさとし、1947年 - )は、香川県… 細川 昌俊(ほそかわ まさとし、1947年 - )は、香川県出身の実業家、元アマチュア野球選手。 香川県立志度商業高等学校ではエースとして活躍。1964年秋季四国大会県予選では準決勝に進むが、丸亀商に敗退。1965年ドラフト会議でサンケイスワローズに8位指名を受けるが拒否。 東洋大学に進学し外野手に転向。当時の東洋大は東都大学野球リーグ二部に低迷していたが。同期のエース会田照夫の好投もあり1966年秋季リーグで二部優勝。入替戦で芝工大を降し、5年ぶりに1967年春季リーグから一部昇格を果たす。しかし一部優勝には届かず、1968年春季リーグの3位が最高成績であった。1968年秋季リーグでは、専大の芝池博明から神宮球場バックスクリーン越えの本塁打を放ち注目を集める。
大河 賢二郎(おおかわ けんじろう、1945年10月24日 … 大河 賢二郎(おおかわ けんじろう、1945年10月24日 ‐ )は、日本の高校野球・大学野球・社会人野球指導者、元社会人野球選手(内野手、外野手)。香川県高松市出身。 高松市立亀阜小学校から高松市立紫雲中学校に進学。紫雲中野球部では1番・三塁手だった。香川県立高松高等学校の定時制課程に進学。1年秋から野球部ではレギュラーで2年夏には北四国大会に1番・二塁手として出場。専修大学のセレクションに合格したが、家庭の事情で進学できず、当時阪神大学野球連盟所属の大阪商業大学に進学した。 1969年に卒業後は鐘淵化学硬式野球部で外野手として5年間プレーし、1974年からは4年間監督を務め、1975年の第2回社会人野球日本選手権大会では優勝を果たした。
島谷 金二(しまたに きんじ、1945年1月23日 - )は… 島谷 金二(しまたに きんじ、1945年1月23日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(内野手)。
田中 調(たなか みつぐ、1944年6月17日 - )は、東… 田中 調(たなか みつぐ、1944年6月17日 - )は、東映フライヤーズ、ヤクルトアトムズに所属した元プロ野球選手(投手)。香川県出身。
橋本 勝隆(はしもと かつたか、1944年5月5日 - )は… 橋本 勝隆(はしもと かつたか、1944年5月5日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(投手)。
山口 富士雄(やまぐち ふじお、1942年7月16日 - )… 山口 富士雄(やまぐち ふじお、1942年7月16日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
織田 光正(おだ みつまさ、1941年4月30日 - )は、… 織田 光正(おだ みつまさ、1941年4月30日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手、一塁手、外野手)。 香川県出身。香川県立観音寺第一高等学校卒業。 第41回全国高等学校野球選手権大会香川県予選に観音寺第一高校の主戦投手として出場する。1959年(昭和34年)7月21日、高松商業高校と2回戦で対戦。速球とカーブやドロップ、シンカーをおりまぜて力投、息詰まる[要出典]投手戦になったが、両校無得点で迎えた最終回の攻防で高松商業高校にタイムリーが出て0対1で敗退した。 1960年(昭和35年)観音寺第一高校から阪神タイガースに入団。投手として選手登録。一軍で投手として登板は無い一方で、足の速さを買われ代走や一塁手、外野手の守備固めとして一軍で通算28試合に出場、2盗塁を記録している。
岡村 浩二(おかむら こうじ、1940年11月10日 - )… 岡村 浩二(おかむら こうじ、1940年11月10日 - )は、香川県丸亀市出身の元プロ野球選手(捕手)。
安藤 元博(あんどう もとひろ、1939年〈昭和14年〉10… 安藤 元博(あんどう もとひろ、1939年〈昭和14年〉10月26日 - 1996年〈平成8年〉6月17日)は、香川県三豊郡詫間町(現:三豊市)出身のプロ野球選手(投手)。 東京六大学野球・早稲田大学野球部の歴史における名選手の1人である。 坂出商では、エースとして1956年秋季四国大会県予選準決勝に進むが、岡村浩二のいた高松商に敗退。翌1957年夏の北四国大会決勝で松山商を延長13回の末に降し、夏の甲子園に出場。準々決勝に進出するが戸畑高に敗退。地区予選から本大会の2回戦まで65イニングス連続無失点という記録を残している。同年秋の静岡国体では、決勝で広島商を1-0で降し初優勝、「四国に安藤あり」と注目されるようになる。
三宅 孝夫(みやけ たかお、1938年10月1日 - )は、… 三宅 孝夫(みやけ たかお、1938年10月1日 - )は、日本の実業家、元プロ野球選手(外野手)。 香川県出身。香川県立観音寺第一高等学校卒業。孫は、元タレントの三宅ひとみ(元アイドリング!!!)。 1956年(昭和31年)7月、第38回全国高等学校野球選手権大会香川県予選に観音寺第一高校の3番センターとして出場する。決勝戦まで勝ち進み、高松商業高校と対戦、0対2で敗れたが準優勝を果たした。香川県野球連盟から優秀選手として敢闘賞が贈られた。 同年8月2日、香川県予選の準優勝校として同選手権大会北四国大会に野球部創設以来初出場する。愛媛県予選の優勝校の西条高校と対戦、1対6で敗れ、甲子園出場は成らなかった。
近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日 - 20… 近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日 - 2019年3月27日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 妻は元女優の北沢典子。一男二女の子がおり、次女は女優の近藤典子。プロレスラーの中西学は次女の元夫で、長女が結婚した際にはタモリ夫妻が媒酌人を務めた。 近藤の登録上の誕生日は1938年4月1日であるが、実際は4月10日が誕生日である。9日の違いがあるのは父親が「1年得するから」という理由で誕生日を繰り上げて役所に届け出たためである。 近所の遊び友達に4学年上の中西太がおり、1953年に中西と同じ高松一高へ進学。3年次の1955年には春季四国大会に進むが、準決勝となった1回戦で鳴門高に敗れる。
関森 正治(せきもり まさはる、1936年9月4日 - )は… 関森 正治(せきもり まさはる、1936年9月4日 - )は香川県出身の元プロ野球選手。昭和30年代の近鉄球団の主力選手であった。
田中 尊(たなか たかし、1936年4月11日 - 2005… 田中 尊(たなか たかし、1936年4月11日 - 2005年5月12日)は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
佐川 守一(さがわ もりかず、1935年11月11日- )は… 佐川 守一(さがわ もりかず、1935年11月11日- )は、香川県出身の元プロ野球選手(投手)。 香川県立観音寺第一高等学校卒業。 1954年(昭和29年)観音寺第一高校を卒業後、倉敷レイヨン(現・クラレ)へ入社。同社の硬式野球部(1973年に廃部)に入部し、活躍する。 1955年(昭和30年)倉敷レイヨンを退社し、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)へ入団。同年3月31日、近鉄パールス戦(平和台球場)で、プロ初勝利を記録する。同年4月17日、大映スターズ戦(茨城県営球場)で、2勝目を挙げる。 1958年(昭和33年)広島カープ(現・広島東洋カープ)へ移籍。しかしここでは、1試合のみの登板に終わる。
大矢根 博臣(おおやね ひろおみ、1935年〈昭和10年〉7… 大矢根 博臣(おおやね ひろおみ、1935年〈昭和10年〉7月1日 - )は、香川県三豊郡仁尾町(現:三豊市仁尾町)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 現役時代はNPB(セントラル・リーグ)の中日ドラゴンズで先発投手として活躍し、在籍7年間(1954年 - 1960年)で84勝52敗を記録した。特に1956年には中日のエースとして20勝を挙げ、1958年には自己最多の24勝を挙げた。 中日時代の通算防御率は1.99、通算勝率は0.618。2020年シーズン終了時点で、前者は中日の球団記録であり、後者も杉下茂・服部受弘・吉見一起に次ぐ球団史上4位(いずれも通算投球回1000イニング以上の投手に限る)である。
西村 貞朗(にしむら さだあき、1934年11月25日 - … 西村 貞朗(にしむら さだあき、1934年11月25日 - 2015年8月3日)は、香川県仲多度郡琴平町出身のプロ野球選手(投手)、野球解説者、実業家。 史上5人目の完全試合達成者。 琴平高校ではエースとして活躍。1951年、2年生の時に秋季四国大会県予選決勝に進み、高松一高の荒井健と投げ合うが完封を喫する。翌1952年夏は県予選決勝で高松一高を降し優勝、北四国大会に進出するが八幡浜高に敗退。春夏とも甲子園出場はならなかった。 1953年に西鉄ライオンズに入団。同期入団に豊田泰光、高倉照幸、河村久文がいる。また、同郷の中西太がいたためチームにすぐ溶け込むことができた。 本格派右腕として期待され、開幕直後から先発として起用されるが、結果を残せず同年は2勝に終わる。
北村 親夫(きたむら ちかお、1934年8月24日 - )は… 北村 親夫(きたむら ちかお、1934年8月24日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手。 丸亀第一高校から1953年に阪急ブレーブスへ入団。1955年に引退。
大塚 安則(おおつか やすのり、1934年5月8日 - 19… 大塚 安則(おおつか やすのり、1934年5月8日 - 1991年6月3日)は、香川県三豊郡詫間町出身のプロ野球選手(投手)。 高瀬高校から1953年に西鉄ライオンズへ入団。 1955年に大映スターズへ移籍。同年開催されたイースタン・リーグのオールスターゲームにも出場した。1956年に引退。
和田 勇(わだ いさむ、1934年2月6日 - )は、毎日オ… 和田 勇(わだ いさむ、1934年2月6日 - )は、毎日オリオンズに在籍したプロ野球選手(投手)。 1952年7月16日に西鉄対毎日戦で発生した暴動事件(平和台事件)で、事件が起きた時に毎日側の投手として登板していた。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
穴吹 義雄(あなぶき よしお、1933年5月6日 - )は、… 穴吹 義雄(あなぶき よしお、1933年5月6日 - )は、香川県香川郡香川町(現・高松市香川町)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)・監督。現在は少年硬式野球チーム「大阪南海ボーイズ」の会長をつとめる。
香川 秀光(かがわ ひでみつ、1930年6月24日 - )は… 香川 秀光(かがわ ひでみつ、1930年6月24日 - )は、香川県丸亀市出身の元プロ野球選手(投手)。 丸亀第一高校から四国鉄道管理局を経て1950年に近鉄パールスへ入団。1954年に引退。
明石 晃一(あかし こういち、1927年3月18日 - )は… 明石 晃一(あかし こういち、1927年3月18日 - )は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(内野手、投手)。1947年から1950年までの登録名は明石 武(あかし たけし)。
川畑 博(かわばた ひろし、1924年11月23日 - 没年… 川畑 博(かわばた ひろし、1924年11月23日 - 没年不明)は、香川県出身のプロ野球選手(投手、捕手)。 志度商業学校から1942年に巨人軍(現・読売ジャイアンツ)へ入団する。入団年の1942年シーズンには、登板・先発登板・完投など巨人軍における球団最年少記録を数多く記録した。もともと捕手だったが、戦時中で人不足のため投手も兼任していた。巨人軍では1944年のシーズンに4番打者としての先発出場もあった。 1945年に軍に徴兵され、レイテ島戦線で戦った後、1946年に復員し、四国鉄道局、丸亀南海興業でプレーした後に1949年に大映スターズから球界へ復帰したが、戦争で肩を痛めたこともあり思うような成績を残せずに同年限りで現役を引退した。
稲垣 定雄(いながき さだお、1923年4月18日 - )は… 稲垣 定雄(いながき さだお、1923年4月18日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手。
藤井 道夫(ふじい みちお、1922年7月24日 - 200… 藤井 道夫(ふじい みちお、1922年7月24日 - 2007年12月23日)は、香川県出身のプロ野球選手(外野手)。
小野寺 洋(おのでら ひろし、1921年 - 戦死)は香川県… 小野寺 洋(おのでら ひろし、1921年 - 戦死)は香川県出身のプロ野球選手(投手)。 志度商(現・香川県立志度高等学校)を経て、1940年にイーグルスに入団。後に南海でプレーした三村正は1年先輩に当たる。翌1941年まで在籍したが、出場したのは1940年6月18日の巨人戦(後楽園球場。中河美芳、長谷川重一の後を継いで3番手で登板。2/3回を投げて1安打5四球2三振、失点3、自責点3で降板)と同年8月7日の阪急戦(満州リーグ戦開催中で、新京の児玉公園球場で行われた。玉腰忠義の後を継いで2番手で7回から登板。2回を投げて3安打2四球、失点1、自責点1の成績だった)の2試合のみだった。 1941年シーズン終了後に退団し、その後は北京の華北綿産でプレーしていたが、のち応召され、戦死した(没年月日、死没場所は不明)。
三村 正(みむら ただし、1920年6月30日 - 没年不明… 三村 正(みむら ただし、1920年6月30日 - 没年不明)は香川県出身のプロ野球選手(捕手)。 志度商(現・香川県立志度高等学校)卒業。後にイーグルスでプレーした小野寺洋は1年後輩に当たる。1939年より全京城でプレー。当時の全京城は強豪として知られ、三村の在籍時に2回(1940年、1942年)優勝。三村も正捕手として大きく貢献した。都市対抗野球でバッテリーを組んだ投手に、野村清がいる。 終戦後の1948年、南海に入団。しかし28歳での高齢の入団だったことや、正捕手・筒井敬三が活躍したこともあり、僅か10試合の出場(スタメンに名を連ねた事は一度もなかった)にとどまり、同年末に1年間のプロ野球生活をもって、引退した。
楠 安夫(くすのき やすお、1920年6月21日 - 200… 楠 安夫(くすのき やすお、1920年6月21日 - 2000年10月9日)は、香川県出身のプロ野球選手(投手、捕手)・コーチ。
樋笠 一夫(ひがさ かずお、1920年3月20日 - 200… 樋笠 一夫(ひがさ かずお、1920年3月20日 - 2007年6月17日)は、香川県坂出市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。
沖 克已(おき かつみ、1918年8月9日 - 1993年6… 沖 克已(おき かつみ、1918年8月9日 - 1993年6月15日)は、香川県坂出市出身のプロ野球選手(捕手)・プロ野球審判員。 香川県立坂出商業学校を卒業後、社会人の朝鮮竜山鉄道局でプレー。1937年に阪急軍に入団するが、その年限りで退団した。 太平洋戦争ではレイテ島の戦いに参加。捕虜収容所で、アメリカ軍の通訳にバッキー・ハリスがいるのに気づいて声をかけると、捕虜の雰囲気が一挙に好転、ハリスも再会を大変喜んだという逸話がある。 阪急軍退団後はプロ野球界との関わりを絶っていたが、1955年にパシフィック・リーグの東京審判部に入部し、プロ野球審判として再出発。以降、1988年に引退するまで一筋の道を往く。
桑島 甫(くわじま はじめ、1918年5月9日 - 1944… 桑島 甫(くわじま はじめ、1918年5月9日 - 1944年)は、香川県出身のプロ野球選手(三塁手)。
筒井 修(つつい おさむ、1917年10月12日 - 199… 筒井 修(つつい おさむ、1917年10月12日 - 1990年11月3日)は、香川県善通寺市生まれのプロ野球選手・プロ野球審判員。
加藤 正二(かとう しょうじ、1914年3月3日 - 195… 加藤 正二(かとう しょうじ、1914年3月3日 - 1958年8月17日)は、香川県出身のプロ野球選手、大学野球指導者。
西村 正夫(にしむら まさお、1912年9月1日 - 200… 西村 正夫(にしむら まさお、1912年9月1日 - 2002年11月28日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手・監督。ポジションは外野手。
三原 脩(みはら おさむ、1911年11月21日 - 198… 三原 脩(みはら おさむ、1911年11月21日 - 1984年2月6日)は、香川県仲多度郡神野村(現:同県同郡まんのう町)出身のプロ野球選手(内野手。右投右打)・監督・球団経営者。
梶原 英夫(かじわら ひでお 1911年 - 1943年夏)… 梶原 英夫(かじわら ひでお 1911年 - 1943年夏)は、日本のアマチュア野球選手。右投。香川県出身。身長180cm。東京帝国大学野球部に所属し、昭和初期の東京六大学野球で活躍した。
水原 茂(みずはら しげる、1909年〈明治42年〉1月19… 水原 茂(みずはら しげる、1909年〈明治42年〉1月19日 - 1982年〈昭和57年〉3月26日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手(内野手)・監督、解説者・評論家。 1955年から1959年の登録名は「水原 円裕(みずはら のぶしげ)」。 現役時代は東京巨人軍(1947年より読売ジャイアンツ、以下巨人)で活躍し、引退後は巨人、東映フライヤーズ、中日ドラゴンズの監督を歴任した。巨人監督時代の在任11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に輝き、セ・パ両リーグでチームを日本一に導いた(セ - 巨人、パ - 東映)。 幼少時に両親が離婚、父親が入り婿になり再婚した先の「水原」姓になったという。野球を始めたのも、実家の環境からの気晴らしであったという。
堀 定一(ほり さだいち、1909年(明治42年) - 19… 堀 定一(ほり さだいち、1909年(明治42年) - 1936年(昭和11年)2月21日)は、日本の元アマチュア野球選手。香川県出身。
水原 義明(みずはら よしあき 1908年 - 1945年1… 水原 義明(みずはら よしあき 1908年 - 1945年10月31日)は、日本の元アマチュア野球選手。香川県出身。
宮武 三郎(みやたけ さぶろう、1907年7月23日 - 1… 宮武 三郎(みやたけ さぶろう、1907年7月23日 - 1956年12月11日)は、日本のプロ野球選手。