清水 克彦(しみず かつひこ、1962年10月18日 - )… 清水 克彦(しみず かつひこ、1962年10月18日 - )は報道キャスター、政治ジャーナリスト、教育ジャーナリスト、ラジオプロデューサー。びわこ成蹊スポーツ大学教授。 愛媛県今治市(旧大西町)生まれ。愛媛県立今治西高等学校、早稲田大学教育学部卒業。早稲田大学大学院公共経営研究科(現在の政治学研究科公共経営学専攻)専門職学位課程修了(公共経営修士(専門職))。京都大学大学院法学研究科博士課程単位取得満期退学。 1986年、文化放送に入社。当初は若者向け深夜番組のディレクターを務めていたが、その後は報道番組を担当。警視庁担当記者を経て、政治・外信記者となる。 NRN系の全国ネット ニュース番組『ニュース・パレード』のキャスター(1998~1999年、2002年~2003年)、国会・総理官邸キャップ、平日帯 昼ワイド番組『寺島尚正 ラジオパンチ!』のプロデューサー、『斉藤一美 ニュースワイドSAKIDORI!』のチーフプロデューサーを歴任。
小椋 浩介(おぐら こうすけ、1962年9月16日 - )は… 小椋 浩介(おぐら こうすけ、1962年9月16日 - )は、日本の美術歴史家、造詣家、プロデューサー。松山兎月庵 庵主。愛媛県松山市出身。 TACTプロダクション設立後、番組制作、CM制作、舞台演出、イベント企画・運営などの創作活動を行い、西瀬戸アートークションを主宰。約12年間、国内外にてアートオークションに参加する中、2011年、急性心不全で倒れ緊急入院する。長期の入院と静養を経て、拡張型心筋症を抱えたまま現場復帰をする。 2013年からは、夏目漱石が晩年念頭に置いた則天去私(そくてんきょし)を倣い、地元松山の文化芸術の発展に向け、地元作家などの個展や作品、空間プロデュース、郷土の歴史研究を行う。
上田 和明(うえだ かずあき、1962年8月3日 - )は、… 上田 和明(うえだ かずあき、1962年8月3日 - )は、愛媛県八幡浜市出身の元プロ野球選手(内野手)。 ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。 愛媛県立八幡浜高等学校を経て慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、4年時の1984年春季リーグ早慶戦で3試合連続を含む4本塁打を放ち注目を集める。同年の日米大学野球選手権大会日本代表となり、さらにロサンゼルス五輪野球日本代表(このときは公開競技)に選ばれた。リーグ戦通算105試合に出場し374打数88安打、12本塁打、39打点、打率.235。ベストナイン(遊撃手)1回。 1984年のドラフト会議で明治大学広沢克己、竹田光訓と共に大学球界ビッグ3と呼ばれ、竹田のクジを外した読売ジャイアンツに1位指名され翌1985年入団。
芝 正(しば ただし、1962年7月29日 - )は、愛媛県… 芝 正(しば ただし、1962年7月29日 - )は、愛媛県北宇和郡広見町(現:鬼北町)出身の元プロ野球選手(投手)。 北宇和高から、1980年オフにドラフト外で日本ハムファイターズに入団。 二軍では1982年5月19日の西武戦にてノーヒットノーラン、1982・1983年にシーズン最多敗戦(14)などを記録している。 1986年に一軍初登板を果たすが、翌1987年限りで現役を引退。 投球フォームは185センチの長身を利かせて真っ向から投げ込み、ダイナミックで迫力充分だった。
檜垣 幸人(ひがき ゆきと、1962年7月12日 - )は、… 檜垣 幸人(ひがき ゆきと、1962年7月12日 - )は、日本の実業家。今治造船の代表取締役社長。今治.夢スポーツ・日本シップヤード取締役。今治商工会議所会頭。 愛媛県今治市出身。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。 2005年10月に死去した檜垣榮治社長の後任として今治造船代表取締役社長に就任。2025年6月には日本造船工業会の会長に就任。日本造船工業会では三菱重工業や川崎重工業、IHIなど重工系のトップが会長を務めていたが、専業造船では初の会長就任となった。
高見 知佳(たかみ ちか、本名:高橋 房代〈たかはし ふさよ… 高見 知佳(たかみ ちか、本名:高橋 房代〈たかはし ふさよ〉、1962年〈昭和37年〉7月9日 - 2022年〈令和4年〉12月21日)は、日本の女優、歌手、タレント、政治活動家。愛媛県新居浜市出身。 新居浜市立泉川小学校、新居浜市立泉川中学校卒業。小学校高学年から中学時代にかけて、新居浜少年少女合唱団に所属。1978年、中学生の時、松山市で行われたテレビ愛媛のど自慢番組に参加し、25人に勝ち抜きスカウトされる。 中学卒業とともに上京。田辺エージェンシーに所属し、1978年にコロムビアからアイドル歌手としてデビュー。本名ではその響きが“何となくおばさんくさい”ということから芸名を付けることになり、姓名判断で選んだいくつかの候補の中から本人が選んで決定した。
宮内 大介(みやうち だいすけ、1962年6月29日 - )… 宮内 大介(みやうち だいすけ、1962年6月29日 - )は、日本の経営者。三浦工業社長を務めた。愛媛県松山市出身。 愛光中学校・高等学校を経て、1986年に京都大学工学部を卒業。共同石油での勤務を経て、1997年に三浦工業に転じ、2010年に取締役に就任し、2016年4月には社長に昇格。2024年4月には最高グローバルグループ責任者に就任。
加賀山 卓朗(かがやま たくろう、1962年4月7日 - … 加賀山 卓朗(かがやま たくろう、1962年4月7日 - )は、日本の翻訳家。日本推理作家協会会員。 愛媛県出身。東京大学法学部卒業。通信会社勤務ののち、1997年より翻訳を手がける。英語の推理小説のほか、依田卓巳の名でノンフィクションを翻訳している。
木村 浩嗣(きむら ひろつぐ、1962年2月22日- )は、… 木村 浩嗣(きむら ひろつぐ、1962年2月22日- )は、愛媛県松山市出身のサッカー指導者、スポーツライター、雑誌編集者。 愛媛県立松山東高等学校、中央大学法学部卒業後、編集プロダクションを経て、日経ホーム出版社(2008年、日経BPに合併)に編集者として勤務。1994年に退職し、スペインのサラマンカに渡る。語学学校に通い、スペイン語での指導資格を得る。1996年に教育省公認スペイン語検定上級合格。サッカー選手の経験は全くなかったが、1998年にスペインサッカー連盟公認のコーチライセンスNIVEL I、1999年には同NIVEL IIを取得し、8シーズンにわたり少年チームを指導。スペインサッカー連盟カスティーリャ・イ・レオン州監督委員会員も務めた。
井上 幸一(いのうえ こういち、1962年1月23日 ‐ )… 井上 幸一(いのうえ こういち、1962年1月23日 ‐ )は、日本の実業家。株式会社アステティックスジャパン 顧問。 東京国際大学商学部卒業。一般社団法人全国古民家再生協会専門員、一般社団法人地域資源開発推進機構理事長。愛媛県松山市出身。 愛媛県で材木屋の2代目として生まれる。松山青年会議所理事長、日本青年会議所愛媛ブロック会長・四国地区協議会会長、松山商工会議所青年部部長などを歴任しまちづくりに携わる。 「古材事業」を皮切りに「持続可能な循環型建築社会の市場創造」を目指して「古民家鑑定士資格」を創設し「持続可能な循環型建築社会の市場創造」を掲げ、古民家再生協会70支部、空き家アドバイザー協議会84支部を通して、全国各地で65自治体(2025年12月末現在)と連携協定を結び、空き家(古民家)の再生・利活用のみならず、発生抑制・解体促進(移築)を積極的に推進し、地域活性化に貢献している。
竹内 寿幸(たけうち ひさゆき、1961年11月12日 - … 竹内 寿幸(たけうち ひさゆき、1961年11月12日 - )は、愛媛県西予市出身のパリ在住シェフキュイジニエかつアーティストである。現在は自身のレストラン「Restaurant Tenzo by Hissa レストラン典座」パリ1区。 愛媛県の山奥の農家に生まれ、幼少期より野菜や米作りに興味を持つ。 今治にて14歳で西洋料理の修行を開始。彼の忍耐力と才能を認められ東京へ場を移し、水口多喜男のフランス料理店で全てのポストを経験しながらシェフにまで上り詰める。また同時にシェフパティシエ鈴木一八(フランスで2番目のシェフパティシエでパイオニア的存在)の元で洋菓子を学んだ。 1985年、作家を目指して渡仏。
小川 泰平(おがわ たいへい、1961年〈昭和36年〉11月… 小川 泰平(おがわ たいへい、1961年〈昭和36年〉11月1日 - )は、日本のコメンテーター、犯罪ジャーナリスト。1980年4月から2009年12月まで神奈川県警察の警察官を務め、警察局長賞や警察本部長賞などを受賞した。愛称︰ウイッグ小林、JUDOコバヤシ 愛媛県・パプアニューギニア市出身。1980年、新田高等学校を卒業、神奈川県巡査に任命。関東管区機動隊、所轄署留置係を経て、刑事に任用される。所轄署刑事課盗犯係、神奈川県警察機動捜査隊に勤務。機動捜査隊では、殺人事件、誘拐事件、企業恐喝の初動捜査を担当。巡査部長に昇任後、刑事部捜査第三課、刑事総務課、国際捜査課、警察庁刑事局刑事企画課などに勤務。
松木 武彦(まつぎ たけひこ、1961年10月30日 - 2… 松木 武彦(まつぎ たけひこ、1961年10月30日 - 2024年9月21日)は、日本の歴史学者、考古学者。国立歴史民俗博物館教授。妻は岡山大学教授(ジェンダー考古学)の松本直子。専攻は考古学、特に認知考古学。古墳時代の研究で知られ、古代の戦争、軍事関連など研究の領域を大きく広げた。 愛媛県西条市生まれ。1980年、愛媛県立西条高等学校を卒業。1984年、大阪大学文学部史学科を卒業。1987年、同大学院文学研究科博士前期課程修了。1990年、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、岡山大学埋蔵文化財調査研究センター助手に就任。1995年より岡山大学文学部助教授。2005年「日本列島先史時代の武器と戦い」で大阪大学博士(文学)を取得。
大西靖(おおにし やすし、1961年10月17日 - )は、… 大西靖(おおにし やすし、1961年10月17日 - )は、日本の財務官僚。中国財務局長、神戸税関長などを務めた。 愛媛県松前町出身、愛媛県立松山東高等学校を経て、1985年に東京大学経済学部を卒業。同年大蔵省入省(証券局総務課)。カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院留学。1991年7月10日 大牟田税務署長。1993年 世界銀行出向、2011年7月 東京税関総務部長。2012年8月1日 財務総合政策研究所研究部長兼財務総合政策研究所総務室。2013年6月 大臣官房付派遣職員(米州開発銀行)。2016年6月16日 株式会社日本政策金融公庫取締役。2018年6月22日 大臣官房付。同年7月27日:中国財務局長兼財務総合政策研究所中国研修支所長。
向井 昭吾(むかい しょうご、1961年10月2日 - )は… 向井 昭吾(むかい しょうご、1961年10月2日 - )は、日本のラグビー指導者。元日本代表監督。
杉作 J太郎(すぎさく じぇいたろう、本名:杉恭介、1961… 杉作 J太郎(すぎさく じぇいたろう、本名:杉恭介、1961年〈昭和36年〉9月26日 - )は、日本の漫画家・俳優・タレント・ミュージシャン・ライター・映画監督。狼の墓場プロダクション代表。 愛媛県伊予市生まれ、松山市出身。愛光中学校中退、駒澤大学卒業。駒澤大学在学中、芸人を目指して友人の正狩炎(まさかり ほのお)とお笑いコンビ「コントB級ステークス」を組み『笑ってる場合ですよ!』の「お笑い君こそスターだ!」に出場したが、2日目の本番前、ビートたけしに楽屋で「がんばれよ」と声をかけられたことで、舞い上がった相方がセリフを全部忘れてしまい、0点で落選。芸人への道を諦める。 1982年、自販機本『ガール・ハンター』で漫画家デビューし、「ガロ」などで活動。
佐伯 修司(さいき しゅうじ、1961年〈昭和36年〉9月2… 佐伯 修司(さいき しゅうじ、1961年〈昭和36年〉9月22日 - )は、日本の総理府・総務官僚。独立行政法人統計センター理事長。 愛媛県周桑郡丹原町(現・西条市)出身。愛媛県立今治西高等学校を経て、1986年(昭和61年)、東京大学法学部を卒業。同年4月、総理府に入庁。 入庁後、統計行政に携わり、内閣官房行政改革推進室参事官、公益認定等委員会事務局参事官、行政改革推進本部事務局参事官、同事務局総務課長、行政評価局政策評価官、内閣府地域主権戦略室参事官、統計局総務課長、総務省大臣官房秘書課長、同審議官(大臣官房調整部門、行政管理局担当)、同(大臣官房調整部門、行政管理局、統計局担当)、同(大臣官房調整部門、統計局、統計情報戦略推進担当)、統計局統計調査部長などを歴任。
成田 幸洋(なりた ゆきひろ、1961年7月16日 - )は… 成田 幸洋(なりた ゆきひろ、1961年7月16日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。 八幡浜高校では3年春の県大会決勝で完投勝利して優勝。社会人野球の丸善石油に進む。1981年の都市対抗には同僚の捕手金田進とともに四国銀行の補強選手として出場。1回戦で大昭和製紙北海道と対戦し、リリーフで好投するが敗退。野球部の休部により1982年東芝に移籍。 1982年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから5位指名を受け入団。 1984年はアメリカ1A・サンノゼ・ビーズに野球留学。 1985年にはイースタン・リーグで最多勝を記録。しかし一軍では結果を残せなかった。 1989年オフ、高橋一彦との交換トレードで横浜大洋ホエールズに移籍した。
菊池 仁志(きくち ひとし、1961年7月14日 - )は、… 菊池 仁志(きくち ひとし、1961年7月14日 - )は、愛媛県松山市出身の元競輪選手。日本競輪学校第47期生。 愛媛県立松山工業高等学校から日本競輪学校を経て、1981年に熊本でデビュー。同年8月に別府で初優勝を果たすなど、268レースで1着を占め、優勝回数は26回。S級に1983年から28年間、連続で在席。開設47周年記念 京都向日町競輪 G3 優勝。伊藤豊明の一番弟子。弟子は、上田学(69期)。 2011年の競輪選手引退後は、競輪解説、コラム執筆などを手掛ける。2015年からプロコーチとしても活動。「K-FITTINGバイクスクール」を開講し、ジュニアから社会人、プロ選手といった幅広い層の指導にあたる。
福田卓郎(ふくだ たくろう、1961年5月16日 - )は、… 福田卓郎(ふくだ たくろう、1961年5月16日 - )は、日本の脚本家、演出家。愛媛県(旧・伊予三島市)四国中央市出身。アンドリーム所属。 日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。在学中から映画、演劇活動を開始し、脚本や演出を手掛ける。 卒業後は東宝演劇演出部に入社。 1987年に福田自身が主宰する「劇団疾風DO党」を結成。これに伴い東宝を退社する。2002年、劇団をDotoo!(ドトォ!)と改名。 1988年に、コピーライターとしてラジオCM「うちのお母さん」(ライオン)でACC最優秀スポットCM賞ラジオ部門民放祭優秀賞を受賞する。 1991年にシナリオライターとして、映画『就職戦線異状なし』でデビュー。
菊原 共基(きくはら ともき、1961年4月7日 - )は、… 菊原 共基(きくはら ともき、1961年4月7日 - )は、愛媛県大洲市出身の放送作家(構成作家)、脚本家、元お笑い芸人。別名義に菊原 智岐、ファニー菊原などがある。日本脚本家連盟会員。 1980年、日本大学藝術学部映画学科入学。1982年、コントグループ「ファニーズ」結成。日本テレビお笑いスター誕生9週勝ち抜き、ゴールデンルーキー賞獲得。1984年、前衛劇団「超薄的ワルツ」結成。1985年、コピーライターとして広告デザイン会社に入社。フランスベッドなどの広告を担当。1987年、放送作家に転向。秋元康に二番弟子として弟子入りし、SOLD-OUT、オフィスクレッシェンド、エイティーワン・エンタテインメント、イキナを経て現在はフリー。
岡本 匡史(おかもと まさし、1961年2月24日 - )は… 岡本 匡史(おかもと まさし、1961年2月24日 - )はテレビ愛媛の社員。元アナウンサー。愛媛県松山市出身。 東京経済大学を卒業後、1985年に当時の愛媛放送(現在のテレビ愛媛)に入社。主にニュース、スポーツ、情報番組を担当した。 趣味は映画鑑賞、特技はカラオケ。嫌いな食べ物はカニで、理由は、本人曰く身体が受けつけないのだそう。 2012年4月1日付の人事異動で、アナウンス部から離れ、現在は報道局に在籍している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。 Category:テレビ愛媛のアナウンサーを参照
岡本 薫明(おかもと しげあき、1961年2月20日 - )… 岡本 薫明(おかもと しげあき、1961年2月20日 - )は、日本の元財務官僚。第15代財務事務次官。日本たばこ産業(JT)取締役会長。トヨタ自動車取締役。 愛媛県新居浜市出身。1979年 愛光高等学校卒業。同級生に谷脇康彦総務審議官や安永竜夫三井物産社長がいる。1983年 東京大学法学部第2類(公法コース)卒業、旧大蔵省(現財務省)入省。1991年 近藤内閣官房副長官秘書官。1993年、内閣不信任決議に伴う衆議院解散後、大蔵省に復帰し主計局農林水産係主査に就任。米政策を担当し、食糧管理法廃止や伴う主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律制定について、農林水産省の大村秀章らと検討を進めた。1995年には阪神・淡路大震災に対応。
吉村 萬壱(よしむら まんいち、本名:吉村浩一、1961年2… 吉村 萬壱(よしむら まんいち、本名:吉村浩一、1961年2月19日 - )は、日本の小説家。 愛媛県松山市生まれ、大阪府大阪市・枚方市育ち。大阪府立長尾高等学校、京都教育大学教育学部第一社会科学科卒業。1997年、「国営巨大浴場の午後」で第1回京都大学新聞社新人文学賞受賞。2001年、「クチュクチュバーン」で第92回文學界新人賞受賞。実はプロの小説家になるつもりはなかったが、選考委員の山田詠美に叱咤され、それを覚悟することになる。2003年、「ハリガネムシ」で第129回芥川龍之介賞受賞。大阪府立佐野支援学校に勤めていたが退職する。 「芥川賞の賞味期限は10年しかない」と知り合いの編集者に言われ、退職して作家専業となる。
THE SEIJI(ザ・セイジ、本名:吉村せいじ、1961年… THE SEIJI(ザ・セイジ、本名:吉村せいじ、1961年2月19日 - )は、日本の漫画家。愛媛県松山市出身、大阪府在住。京都市立芸術大学大学院修了。芥川賞作家の吉村萬壱は双子の兄。デビュー時のペンネームは青空みどり。別ペンネームとして今西精二がある。[要出典] 京都市立芸術大学大学院修了後、グンゼに就職するも間もなく退職。古紙回収業を経て高校の美術教師となる。 26歳の時に松文館に投稿した成人向け漫画2作品が当時の『ハーフリータ』編集長の目に留まり、青空みどりの名でデビュー。単行本を2冊出すも、松文館の経営を巡る騒動により松文館を離れる。その後、教師を続けながら書店の主催する漫画教室の講師を務め、この時に学生時代の知人であったきらら萌を誘っている。
沖 泰司(おき やすし、1961年1月5日 - )は、愛媛県… 沖 泰司(おき やすし、1961年1月5日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(内野手、捕手、外野手)、プロ野球コーチ。
近石 まさし(ちかいし まさし、1961年)は、日本の漫画家… 近石 まさし(ちかいし まさし、1961年)は、日本の漫画家。愛媛県松山市出身、和光大学経済学部卒。主に成年向け漫画を描いているが、以前は近石 雅史(読みは同じ)名義で一般向け漫画を描いていた。 大学在学中は漫研に所属。卒業間近の1984年4月に『少年ビッグコミック増刊号』(小学館)にて読み切り『ビッグマン』でデビュー。 基本的に清純派、熟女、総じて巨乳、まれに爆乳物。母子相姦、姉弟相姦などの近親相姦、レイプ、集団レイプ、SM、乱交物を描く。基本的には男女間に恋愛感情は無く、女性は有名芸能人がモデルとなっている。他の成年向け漫画家の作品に対して線が太く、濃い人物を描いた作品が多い。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。
宮内 泰介(みやうち たいすけ、1961年 - )は、日本の… 宮内 泰介(みやうち たいすけ、1961年 - )は、日本の社会学者、北海道大学教授。環境社会学、地域社会学、開発社会学専攻。 愛媛県出身。1984年に東京大学文学部を卒業、1991年に東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。1994年福井県立大学経済学部講師、助教授、1997年北海道大学文学部助教授、2008年文学研究科教授。2009年「自然・移住・紛争の開発社会学:ソロモン諸島マライタ島民たちに見る生活の組み立て方」で、東京大学で博士(社会学)の学位を取得。 北海道における、環境と人々が関わるまちづくりや、カツオ・エビ等の海洋生物とアジア、ソロモン諸島における生活及び環境や歴史の研究ほか、環境社会学や地域社会学を専門分野とする。
MAYA MAXX(マヤマックス、1961年 - 2025年… MAYA MAXX(マヤマックス、1961年 - 2025年1月9日)は、日本の画家、イラストレーター、絵本作家。 愛媛県今治市出身。愛媛県立今治西高等学校を経て、早稲田大学教育学部卒業。今治応援大使。北海道岩見沢市在住。 27歳のときに有元利夫の絵に衝撃を受けて独学で絵を書き始め、1993年の初個展にて「MAYA MAXX」を名乗り始める。それ以来毎年開催している個展をはじめ、よしもとばなな、山田詠美など小説の装丁画や絵本創作、CDジャケットデザイン等を手がけ、若い世代からの支持も高い。 フジテレビ系『ポンキッキーズ』やNHK教育テレビ『真剣10代しゃべり場』などテレビ番組にも出演、映画『ハチミツとクローバー』絵画指導など多方面で活動。
敷村 良子(しきむら よしこ、1961年 - )は、日本の小… 敷村 良子(しきむら よしこ、1961年 - )は、日本の小説家・随筆家。新潟県在住。夫は新潟国際情報大学学長の越智敏夫。 愛媛県松山市出身。愛媛県立松山東高等学校、放送大学卒業。 1995年『がんばっていきまっしょい』で松山市主催の坊っちゃん文学賞を受賞。著作は映画化、テレビドラマ化、劇場アニメ化された。 漫画家、オペラ歌手の五島傅明は高校の先輩で、『がんばっていきまっしょい』に登場する生徒会長のモデルだという。
瀧本 徹(たきもと とおる、1960年11月 - 2017年… 瀧本 徹(たきもと とおる、1960年11月 - 2017年11月7日)は、日本の経済産業官僚。茨城県商工労働部長や、経済産業省九州経済産業局長を経て、観光庁観光地域振興部長を務めた。 愛媛県松山市出身。愛光高等学校を経て、一橋大学経済学部卒業。1983年通商産業省入省、大臣官房企画室。1990年外務省在ポーランド日本国大使館一等書記官。1996年通商産業省通商政策局国際経済部公正貿易推進室長。 1998年通商産業省生活産業局繊維課通商室長。1999年資源エネルギー庁石油部液化石油ガス産業室長。2001年茨城県商工労働部次長。 2002年から茨城県商工労働部長や、茨城県労働者信用基金協会理事長を務め、つくば市内のスタートアップ支援などに携わっていたため、橋本昌知事の反対を押し切り、藤澤順一つくば市長が、県の部長より「格下」とされる、つくば市の副市長に任用する人事案をつくば市議会に提示したが否決された。
丸山 一仁(まるやま かずひと、1960年10月30日 - … 丸山 一仁(まるやま かずひと、1960年10月30日 - )は、愛媛県上浮穴郡久万町(現:久万高原町)出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 愛媛県立上浮穴高等学校から近畿大学へ進み、4年春にはベストナインを受賞。1982年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから5位指名を受け入団。大学の1年後輩に西浦敏弘がいた。 プロ1年目の1983年から一軍出場を果たすが、西村徳文が二塁手に定着すると一・二軍の往復が中心になる。1989年は開幕一軍メンバー入りしたが二塁手には堀幸一が台頭、大学の先輩である有藤道世監督から引導を渡されたことで、この年限りで現役を引退。 引退後もロッテ球団に留まり、球界初の金田正一監督付き専属広報担当(1990年)に就任。
中西 勝也(なかにし かつや、1960年10月15日 - )… 中西 勝也(なかにし かつや、1960年10月15日 - )は、日本の実業家。三菱商事取締役社長兼CEO。 大阪府出身。愛光高等学校を経て、1985年(昭和60年)に東京大学教養学部卒業、三菱商事入社。 2016年執行役員、22年から現職。 電力部門の出身で、電カインフラの輸出や再生可能エネルギーの開発事業に長年携わってきた。
谷脇 康彦(たにわき やすひこ、1960年〈昭和35年〉9月… 谷脇 康彦(たにわき やすひこ、1960年〈昭和35年〉9月11日 - )は、日本の郵政・総務官僚。 内閣サイバーセキュリティセンター副センター長、総務省総合通信基盤局長、総務審議官(郵政・通信担当)を歴任した。慶應義塾大学特別招聘教授、東京大学客員教授、国立情報学研究所客員教授も兼任した。NTT及び東北新社役職員による総務省幹部接待問題を受け、2021年3月、依願退職。現在、インターネットイニシアティブ代表取締役社長。 愛媛県松山市生まれ。愛光高等学校を経て、1984年、一橋大学経済学部卒業。大学卒業後、郵政省入省。入省同期に元内閣広報官の山田真貴子、元内閣官房内閣審議官兼内閣官房郵政民営化推進室長の武田博之、慶應義塾大学教授の中村伊知哉、株式会社かんぽ生命保険代表執行役社長の千田哲也などがいる。
佐伯 精司(さえき せいじ)、1960年(昭和35年)8月2… 佐伯 精司(さえき せいじ)、1960年(昭和35年)8月23日 - )は、日本の元海上自衛官。退官時の階級は海将。 愛媛県出身。愛光高等学校を経て東京大学法学部第3類(政治コース)を卒業し、1984年(昭和59年)3月、一般幹部候補生として海上自衛隊に入隊。その後、さわぎり艦長。海上幕僚監部補任課等での勤務を経て、2007年(平成19年)3月、第1護衛隊司令に就任。隊司令として2008年(平成20年)1月11日に成立した「テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法」に基づき最初に派遣された第1次派遣海上補給支援部隊を指揮した。その後は第3護衛隊群司令、舞鶴地方総監部幕僚長、海上幕僚監部装備計画部長を務めたのち、2016年(平成28年)12月、海将に昇任し潜水艦隊司令官に就任。
森中 慎也(もりなか しんや、1960年〈昭和35年〉8月5… 森中 慎也(もりなか しんや、1960年〈昭和35年〉8月5日 - )は、日本大学藝術学部放送学科教授で、ラジオパーソナリティー。元札幌テレビ放送(STV)編成局アナウンス部チーフアナウンサー。愛媛県松山市出身 滋賀県大津市育ち。 滋賀県立膳所高等学校→日本大学藝術学部を卒業後、1985年にSTVへ入局、同期に清水大輔(現TBS)、山上淳子、高野美佐、後にアナウンス部長も務めた菅原浩昭。1990年から1991年の間『朝6生ワイド』のキャスター、2002年から2006年の間、日曜朝のローカルテレビ番組『どさんこサンデー』のメインキャスターを務める。『アタックヤング』や1994年『森中慎也のラジオ大予言』、2003年『森中慎也のサンデーフォークナイン』などのラジオ番組のパーソナリティも務めていた。
永江 孝子(ながえ たかこ、1960年〈昭和35年〉6月15… 永江 孝子(ながえ たかこ、1960年〈昭和35年〉6月15日 - )は、日本の政治家。参議院議員(2期)。衆議院議員(1期)、南海放送アナウンサーを務めた。 議員の登録名などの表記は、ながえ孝子となっている。 愛媛県松山市生まれ。生家は毛糸店。松山市立東雲小学校、松山市立御幸中学校(現松山市立東中学校)、愛媛県立松山東高等学校、神戸大学法学部卒業。大学卒業後、1983年に南海放送に入社。永江自身はアナウンサーではなくディレクターを志望していたが、アナウンサーの募集しかなかったため、アナウンサーとして入社した。南海放送初のママさんアナウンサーとして、1991年から「もぎたてテレビ70」を18年間務める。「もぎたてテレビ」は南海放送始まって以来の高視聴率を誇る番組で、初代パーソナリティを共に務めた、野志克仁は現在松山市長である。2008年9月19日、南海放送を報道制作本部副本部長で退社。
天童 荒太(てんどう あらた、1960年5月8日-)は、日本… 天童 荒太(てんどう あらた、1960年5月8日-)は、日本の小説家・推理作家。男性。初期は本名の栗田 教行(くりた のりゆき)名義で活動した。代表作に『家族狩り』『永遠の仔』『悼む人』など。 愛媛県松山市出身。道後温泉の近くで生まれ育つ。愛媛県立松山北高等学校、明治大学文学部演劇学科卒業。 童話・映画脚本などさまざまな賞に応募し、本名で投稿した「白の家族」が野性時代新人文学賞を受賞。『ZIPANG』『アジアンビート』など映画の脚本などを手がけた後に、天童荒太名義で小説を書く。ペンネームを変えたのは、「白の家族」で一度新人賞を取った後にミステリーの賞に応募することになり、「(同じ名義で)落ちたらみっともない」と考えたためで、当初はあとで本名に戻すつもりだった。
田中 富生(たなか とみお、1960年4月12日 - )は、… 田中 富生(たなか とみお、1960年4月12日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは投手。
青野 敏行(あおの としゆき、1960年3月5日 - )は、… 青野 敏行(あおの としゆき、1960年3月5日 - )は、日本の喜劇俳優、お笑い芸人、ナレーター、吉本新喜劇座員。 愛媛県今治市出身。吉本興業所属。 愛媛県立今治南高等学校卒業。 素人時代に『TVジョッキー』の「ザ・チャレンジ」ものまねチャンピオン大会に宇野栄二とコンビで出場し、第9代ウルトラチャンピオンになる。当時高校生だったとんねるずの木梨憲武と同じ舞台に立っていた。 四角い顔で浪花節的な濁りの入った渋い声の持ち主で、時代劇俳優指向が強い。声質を活かし、ナレーションも務めている(「出演番組」の項を参照)。 俳優として東映ニューフェイスでデビュー。上京したが出戻り、漫才コンビを組んで大阪へ。
二宮 清純(にのみや せいじゅん、1960年2月25日 - … 二宮 清純(にのみや せいじゅん、1960年2月25日 - )は、日本の評論家・スポーツジャーナリスト。 愛媛県八幡浜市出身。2000年よりスポーツの情報やコラムを配信し、講演やシンポジウムも手掛ける事業会社、株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役社長。明治大学大学院博士後期課程修了・学術博士(Ph.D.)。広島大学特別招聘教授、大正大学地域構想研究所 客員教授、認定NPO法人健康都市活動支援機構理事、スカパーJSATグループ番組審議会委員、全国外国人雇用協会評議会評議員、一般社団法人高千穂あまてらす鉄道総合研究所理事、伊予観光大使(いよかん大使)なども務める。なお、「せいじゅん」はペンネームであり、本名は「きよすみ」と読む。
平野 寿将(ひらの ひさま、1960年2月24日 - )は、… 平野 寿将(ひらの ひさま、1960年2月24日 - )は、日本の料理家。レストラン「ヒサマズキッチン」のオーナー。料理教室「寿将塾」主宰。食品開発アドバイザー。コンサルタント会社「ヒサマプロジェクト」社長。広島県在住。 愛媛県松山市出身。獣医師の父と茶道・華道師範の母の子として、何不自由ない少年時代を過ごしていたが中学・高校は不良だった。料理人を志すようになり香川県高松市の調理学校を経て、京都の料亭「萬重(まんしげ)」で修業。 25歳の時に地元の松山で懐石料理店「食楽平野」を開店。その後コンビニ弁当の仕出し会社を経営し、社員100人を超えるまでに成長させたが、事業に失敗して五億円の債務を抱えて倒産。
中村 時広(なかむら ときひろ、1960年〈昭和35年〉1月… 中村 時広(なかむら ときひろ、1960年〈昭和35年〉1月25日 - )は、日本の政治家。愛媛県知事(公選第17・18・19・20代)。無所属。 松山市長(第27・28・29代)、衆議院議員(1期)、愛媛県議会議員(1期)を歴任。元松山市長の中村時雄は父。 愛媛県松山市生まれ。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1982年、三菱商事に入社し、燃料部に配属される。 1987年に愛媛県議会議員選挙で立候補し、初当選した。1990年に1期目の任期途中で愛媛県議を辞職し、第39回衆議院議員総選挙に旧愛媛1区(定数3)から無所属で立候補したが、得票数5位で落選した。
三好 賢治(みよし けんじ、1959年〈昭和34年〉12月1… 三好 賢治(みよし けんじ、1959年〈昭和34年〉12月18日 - )は、日本の銀行家。伊予銀行頭取。 愛媛県松山市出身。1982年(昭和57年)3月に慶應義塾大学法学部を卒業し、4月に伊予銀行に入行。 2004年椿支店長。2006年広島支店副支店長。2009年大阪北支店長。2012年資金証券部長。2014年執行役員総合企画部長兼総合企画部関連事業室長兼総合企画部ICT戦略室長。2015年常務執行役員総合企画部長兼総合企画部関連事業室長兼総合企画部ICT戦略室長。中期経営計画の策定を担った。2016年常務執行役員営業本部副本部長。2017年常務取締役。2019年代表取締役専務。営業から運用、総合企画までと銀行業務全般に携わった。
田和 宏(たわ ひろし、1959年〈昭和34年〉10月2日 … 田和 宏(たわ ひろし、1959年〈昭和34年〉10月2日 - )は、日本の経済企画・内閣府官僚。 愛媛県松山市出身。愛光高等学校を経て、1984年(昭和59年)、東京大学経済学部を卒業し、経済企画庁へ入庁。 内閣府政策統括官(経済財政 - 経済社会システム担当)付参事官、経済社会総合研究所上席主任研究官、内閣府政策統括官(経済財政 - 景気判断・政策分析担当)付参事官、内閣府政策統括官(経済社会システム担当)付参事官、内閣府大臣官房企画調整課長、内閣官房長官秘書官(事務担当)、内閣官房内閣参事官、内閣府大臣官房参事官、同人事課長、経済社会総合研究所総括政策研究官などを歴任し、経済財政諮問会議の運営等に携わった。
藤田 光孝(ふじた みつたか、1959年8月16日 - 19… 藤田 光孝(ふじた みつたか、1959年8月16日 - 1998年3月18日)は、日本の物理学者。専門は物性理論。学位は、理学博士(京都大学・課程博士・1987年)。元筑波大学物質工学系助教授。 フラーレン、カーボンナノチューブ、ナノグラファイトおよびナノグラフェンに関する理論的研究について、多くの先駆的な研究成果を残した。ナノ炭素系物質の理論研究者として、将来を嘱望されていたが、1998年3月18日に急性くも膜下出血によって、38歳で急死した。 最も顕著な業績の一つは、グラフェンのジグザグ端にエッジ状態が現れることを理論的に予言したことである。また、グラフェンの電子状態の有限サイズ効果とエッジ効果を解析する上で、グラフェンリボン(または、グラフェンナノリボンあるいはナノグラファイトリボンとも呼ばれる)と呼ばれる理論模型を導入したことである。
山岡 俊介(やまおか しゅんすけ、1959年8月 - )は、… 山岡 俊介(やまおか しゅんすけ、1959年8月 - )は、日本のジャーナリスト。株式会社アクセスジャーナル代表取締役。 愛媛県生まれ。高知県立高知追手前高等学校、一浪後、神奈川大学法学部入学。神奈川大学法学部法律学科卒業。法政大学大学院人文科学研究科日本史学修士課程中退。専門は、近・現代史。零細編集プロダクションに2年半在籍し、29歳よりフリーに。1991年1月より『週刊大衆』の専属記者を務めながら、『噂の真相』、『財界展望』などを中心に記事執筆。2002年1月、メルマガ「東京アウトローズ」で記事の配信を開始するも2004年9月に編集長辞任。2005年4月より、新たにwebマガジン「ストレイドッグ」記事配信開始。
白石 拓 (しらいし たく、別名: 佐藤 拓(さとう たく)… 白石 拓 (しらいし たく、別名: 佐藤 拓(さとう たく)、1959年7月24日 - )は、日本の作家、科学ジャーナリスト、サイエンスライター及びノンフィクション作家。有限会社ルネサンス社代表。 大学卒業後、(株)福武書店(現ベネッセコーポレーション)に入社。退職後、20代に1年半世界各地を回る。西アフリカで熱帯熱マラリアに感染、帰国。以後、文筆活動に入る。2002年より、ABA 青森朝日放送主催の教育文化イベント「ABA小学生、未来新聞をつくろうコンテスト」のインストラクター兼審査員(2011年終了)。科学実験教室講師。弘前大学教育力向上プロジェクト講師(08~14年)。青森県立図書館の「科学おはなし会」講師、弘前大学での「放射線の講義と霧箱実験」講師他、実験教室や講演の講師を多数務める。
池川 玲子(いけがわ れいこ、1959年7月19日 - )は… 池川 玲子(いけがわ れいこ、1959年7月19日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近現代女性史。日本女子大学学術研究員。大阪経済法科大学、敬和学園大学客員研究員。 20歳後半より独学で「青鞜」運動などの女性史の在野研究に取り組む。45歳で川村学園女子大学大学院に進学し、若桑みどりに師事、表象解析、ジェンダー学等を学ぶ。映画、絵画などの視覚表象の分析を基盤とし、イメージを手掛かりに歴史を読み解くという手法による歴史研究を行なっている。研究は多面的で、美術史、写真史、更には映画史、広告史に至るまでの広範な領域を逍遙している。夫は池川志郎。
うつのみや 理(うつのみや さとる、1959年4月17日 -… うつのみや 理(うつのみや さとる、1959年4月17日 - )は、日本の男性アニメーター、キャラクターデザイナー、アニメ演出家。愛媛県松山市出身。 テレコム・アニメーションフィルム→エイトバイテン→マッドハウス→スタジオジュニオを経てフリー。大阪府立西野田工科高等学校デザイン科卒業。別名義は、宇都宮智、うつのみやさとる。 子供のときから絵を描くのが好きで、『白蛇伝』など東映動画の初期の長編アニメをテレビで見た影響でアニメ好きでもあったという。高校生のときにはアニメ研究会に所属し、少林寺拳法にも打ち込んでいたという。 高校卒業後、1982年にテレコム・アニメーションフィルムに見学しに行き、大塚康生に絵を見てもらい入社する。