高岡 修(たかおか おさむ、1948年9月17日 - )は、… 高岡 修(たかおか おさむ、1948年9月17日 - )は、日本の詩人、俳人。十代の頃より詩・俳句・小説を書き始める。昭和43年(1968年)現代俳句誌「形象」に参加、最年少同人となり、前原東作、前原誠、岩尾美義に師事。のち同誌の主幹に就任。詩集に『犀』『蟻』など20冊、句集に『剝製師』など9冊。南日本文学賞・土井晩翠賞・小熊秀雄賞・現代俳句評論賞・現代俳句協会賞などを受賞。文庫に『高岡修詩集』(思潮社版現代詩文庫)、『高岡修句集』(ふらんす堂版現代俳句文庫)。思潮社の現代詩文庫とふらんす堂の現代俳句文庫の両方にその名を冠する、唯一の存在である(2021年10月現在)。現代俳句誌「形象」主幹。出版社ジャプランを経営。
大森 隆雄(おおもり たかお、1948年(昭和23年)9月1… 大森 隆雄(おおもり たかお、1948年(昭和23年)9月13日 - 2009年(平成21年)8月15日)は、日本の政治家。愛媛県大洲市長、大洲市議会議員などを歴任した。 愛媛県大洲市生まれ。農業協同組合職員を経て、1978年(昭和53年)旧大洲市の市議会議員に当選して政界入り、以後連続7期務めた。 平成の大合併で新設合併により誕生した2005年(平成17年)の新・大洲市の市長選挙に出馬、旧大洲市長ら2人を破り、初当選。2009年(平成21年)には新人を退け、2期目の当選を果たしたものの、任期途中に60歳で病没した。 市長在任中は、懸案であった大洲市立図書館の整備、循環バスの運行開始のほか、農産物直売所の整備などに道筋をつけた。
玉井 日出夫(たまい ひでお、1948年9月5日 - )は、… 玉井 日出夫(たまい ひでお、1948年9月5日 - )は、日本の文部官僚。文部科学審議官(文教担当)、文化庁長官を歴任。愛媛県美術館名誉館長、玉川大学客員教授。 愛媛県松山市出身。広島国泰寺高等学校を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業の後、同第1類(私法コース)に学士入学。1974年(昭和49年)に旧文部省に入省(初等中等教育局中学校教育課)。総括審議官や大臣官房長を歴任したのち、2007年(平成19年)から文部科学審議官(文教担当)。2009年(平成21年)7月より19代目の文化庁長官に在任し、2010年に退官。2011年に学校法人北海学園特任教授。2012年から玉川大学芸術学部客員教授(文化政策などを担当)。
亀井 範雄(かめい のりお、1948年6月13日 - )は、… 亀井 範雄(かめい のりお、1948年6月13日 - )は、日本の実業家。帝人ファイバー代表取締役社長や、東邦テナックス代表取締役社長、帝人代表取締役副社長等を歴任した。 愛媛県松山市出身。愛光高等学校を経て、1972年神戸大学経営学部卒業。荒川祐吉ゼミ出身。特技は囲碁。同年帝人入社。三原事業所での研修ののち、工繊販売部産業資材第2課に配属され、以降主に営業を担当した。2001年帝人執行役員に就任し、Akra Teijin,S.A.de.C.V.副社長を兼務。 2005年帝人グループ常務執行役員産業繊維事業グループ長兼帝人テクノプロダクツ代表取締役社長。2007年帝人グループ専務執行役員。2009年から帝人専務執行役員ポリエステル繊維事業グループ長兼帝人ファイバー代表取締役社長。
古沢 憲司(古澤 憲司、ふるさわ けんじ、1948年3月31… 古沢 憲司(古澤 憲司、ふるさわ けんじ、1948年3月31日 - )は、愛媛県新居浜市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
石川勝行(いしかわ かつゆき、1948年3月23日 - )は… 石川勝行(いしかわ かつゆき、1948年3月23日 - )は、日本の政治家。愛媛県新居浜市長(2期)。
久米 雅雄(くめ まさお、1948年2月7日 - )は、日本… 久米 雅雄(くめ まさお、1948年2月7日 - )は、日本の考古学者・歴史研究者・印学家。学位は、博士(文学)(立命館大学)。アジア印章学、東洋文字学、貨幣学、キリシタン考古学等の分野で研究業績を重ねる。大阪府教育委員会文化財保護課主査を経て、大阪芸術大学客員教授となる。そのほか、錫安印章文化研究所所長、寧楽美術館評議員、西泠印社名誉社員、中国美術学院主管学術雑誌《中国篆刻》顧問なども併せつとめる。 愛媛県松山市生まれ(本籍:京都府)。1966年に愛媛県立松山東高等学校を卒業後、立命館大学文学部史学科(日本史学専攻)に進み、考古・古代史を北山茂夫らのもとで学ぶ。学園紛争のさなかの1970年に卒業。
芥川澄夫(あくたがわ すみお、1948年1月30日 - )は… 芥川澄夫(あくたがわ すみお、1948年1月30日 - )は、愛媛県西条市出身の日本の歌手であり音楽プロデューサー。 愛媛県立西条高等学校卒業後、歌手を志し作曲家の安部芳明に弟子入りする。その師匠から渡辺プロダクションに紹介され、渡辺プロ入り。当時渡辺プロが経営していたライブハウス(銀座ケネディハウスの前身)にて辺見マリ、平山美紀、じゅん&ネネら歌手志望の若者たちと共にステージに立ち修業していった。 1968年末、渡辺プロの意向でスクールメイツにいた山室英美子とデュオを組むことを言い渡された。それがトワ・エ・モワとなり、ボーカルおよびギターを務める。力強さと気品のあるハスキーな歌声で、多くのヒット曲を世に送り出した。
甲岡 秀文(こうおか ひでふみ、1948年1月23日 - )… 甲岡 秀文(こうおか ひでふみ、1948年1月23日 - )は、日本の政治家。元・愛媛県北宇和郡鬼北町長(2期)。 愛媛県鬼北町出身。1963年3月広見町立泉中学校卒業、1966年3月愛媛県立北宇和高等学校普通科卒業、1970年3月愛知学院大学卒業。1970年4月森田特殊機工株式会社入社。1976年8月、愛媛県北宇和郡広見町役場に入庁。1989年6月自治大学卒業(自治研修)。1993年4月住民福祉課長兼社会福祉協議会事務局長、1996年7月企画調整課長、1998年10月総務課長および北宇和郡日吉村との合併幹事会委員、広見町選挙管理委員会書記長。2005年1月、鬼北町総務課長・選挙管理委員会書記長。
本田 元広(ほんだ もとひろ、1948年1月9日 - )は、… 本田 元広(ほんだ もとひろ、1948年1月9日 - )は、日本の実業家。愛媛銀行代表取締役頭取を経て、同行代表取締役会長。元愛媛経済同友会代表幹事。 愛媛県伊予市出身。松山商科大学(現松山大学)経済学部卒業。1970年愛媛相互銀行入行。1992年愛媛銀行尾道支店長。1995年愛媛銀行高松支店長。2003年愛媛銀行公務ふるさと部長。2004年愛媛銀行人事教育部長。2006年愛媛銀行取締役人事教育部長。同年愛媛銀行常務取締役。2011年愛媛銀行専務代表取締役。2012年愛媛銀行代表取締役頭取。2014年愛媛経済同友会代表幹事。2018年愛媛銀行代表取締役会長。愛媛電算取締役、愛媛エフ・エー・ゼット取締役、松山観光港ターミナル監査役、松山市文化・スポーツ振興財団理事長、三浦教育振興財団評議員、弓削商船高等専門学校技術振興会副会長、四国経済連合会常任理事、愛媛県国際交流協会理事長、愛媛県信用保証協会理事なども歴任した。
智内兄助(ちない きょうすけ、1948年 - )は、日本の洋… 智内兄助(ちない きょうすけ、1948年 - )は、日本の洋画家。 愛媛県今治市(旧越智郡波方町)出身。愛媛県立今治西高等学校、東京芸術大学大学院油画科修了。6人兄弟の末子。 1980年代初めから、和紙にアクリル絵具という独特な画法を確立し、日本画と洋画との境界を越えた革新的な表現方法に到達。日本の伝統美である衣装文様や花鳥風月を、「もののあはれ」を基調としたその作風は独特の技法とあいまって智内独自の幻想世界を創り上げている。古典の伝統から逸脱することなく、日本の美意識を斬新な手法で捉える「絵師」として、安井賞をはじめ数々の賞を受賞し、現代画壇を代表する洋画家として揺るぎない地位を築きあげている。
渡辺 順次(渡邉 順次、わたなべ じゅんじ、1948年 - … 渡辺 順次(渡邉 順次、わたなべ じゅんじ、1948年 - )は、日本の化学者。東京工業大学名誉教授。高分子化学を専門とする。 高分子液晶の権威であり、後述のバナナ型液晶の発見者である。このバナナ液晶の拡がりは大きく、現在では欧米でも盛んになっている。また、バナナ液晶に関する国際会議 (International Symposium on Banana Liquid Crystals) も行われているほどである。 もともとは高分子構造化学が専門であり、天然高分子の構造や主鎖型ポリエステル液晶の一連の研究を行っている。さらに実用化されたものもある。また生命の作り出す構造色に関する研究でも知られている。
芝 城太郎(しば じょうたろう、1948年 - )は、日本の… 芝 城太郎(しば じょうたろう、1948年 - )は、日本の漫画家兼俳優。愛媛県松山市出身。 松山南高等学校を卒業後、1967年(昭和42年)に創作民話『ゆきわらし』でデビューを果たす。以後も友人の漫画家久松文雄の補佐をしつつ、日本・世界の歴史漫画を中心として描く。 1972年(昭和47年)には鎌倉時代の日蓮の周辺を舞台とした『四条金吾』と貧しい農村の赤子の間引きとそれを諭す住職をテーマとした『熱原の凱歌』(いずれも潮出版社)の単行本を発表。引き続き、『巨人 戸田城聖』(講談社)を発表した。 また、1982年(昭和57年)から1983年(昭和58年)にかけて、代表作である『学習漫画日本の歴史』の2巻、4巻、7巻、9巻、12巻(笠原一男監修、全18巻、集英社)と1984年(昭和59年)の『学習漫画 日本の歴史の人物事典』(笠原一男・柳川創造監修)の聖徳太子などを発表した。
河野 良雄(こうの よしお、1947年11月19日 - )は… 河野 良雄(こうの よしお、1947年11月19日 - )は、日本の経営者。農林中央金庫理事長を務めた。愛媛県松山市出身。 1972年に京都大学農学部を卒業し、同年に農林中央金庫に入社した。2004年に専務理事に就任し、2007年の副理事を経て、2009年4月に理事長に就任。それまでの理事長職は農林水産省官僚や政治家が就任していたが、初めての生え抜きからのトップ人事となった。2018年4月まで務め、在任中は2008年のリーマン・ショックで生じた巨額損失を補てんするための資本増強と、2011年の東日本大震災からの復興支援などに尽力した。
金子 準一(かねこ じゅんいち、1947年11月5日 - )… 金子 準一(かねこ じゅんいち、1947年11月5日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。 元阪神タイガースの金子哲夫の実弟。 今治南高では、エースとして甲子園に2回出場。2年生時の1964年には夏の甲子園北四国大会決勝で高松高を降し、夏の選手権に出場。1回戦で熊谷商工に延長12回敗退。同年秋季四国大会でも準決勝に進み、高知商の江本孟紀と投げ合い敗退。3位決定戦でも徳島商に敗れるが、高知商に野球部内不祥事があり、翌1965年春の選抜への出場を辞退。繰り上がりで春の選抜に出場する。しかし1回戦で大谷高に惜敗。 1965年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから9位指名を受けるも、近鉄が交渉権を放棄。
末永 正昭(すえなが まさあき、1947年9月7日 - )は… 末永 正昭(すえなが まさあき、1947年9月7日 - )は愛媛県出身の元プロ野球選手。
山本 公一(やまもと こういち、1947年〈昭和22年〉9月… 山本 公一(やまもと こういち、1947年〈昭和22年〉9月4日 - 2023年〈令和5年〉10月31日)は、日本の政治家、実業家。位階は正三位、勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(9期)、環境大臣(第23代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)、総務副大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、衆議院内閣委員長・沖縄及び北方問題に関する特別委員長・国家基本政策委員長・政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員長、盛運汽船代表取締役社長等を歴任した。 父は宇和島市長、衆議院議員、盛運汽船社長を務めた山本友一。 愛媛県宇和島市生まれ。愛媛県立宇和島南高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。大学卒業後、1970年に関西汽船株式会社に入社。
宮川 俊二(みやがわ しゅんじ、1947年8月26日 - )… 宮川 俊二(みやがわ しゅんじ、1947年8月26日 - )は、日本のアナウンサー、ニュースキャスター、タレント。 元NHKアナウンサーで、元フジテレビ専属キャスター。 愛媛県宇和島市出身。血液型A型。既婚。 愛媛県立宇和島東高等学校、早稲田大学第一文学部社会学専攻卒業。 NHK山形放送局時代に、上司の許可をもらった上でBARを経営していたが、その後、山形での副業が元で次の赴任先では仕事を干された。1993年、チーフアナウンサーを最後にNHKを依願退職し、ベトナムで日本語講師として活動した。 1994年に帰国して、フジテレビと専属キャスター契約を結び、アナウンス業を再開。新設番組「ニュースJAPAN」のキャスターを皮切りに、「FNNスーパーニュース」のメインキャスター等を務めた。
宇佐美 敏晴(うさみ としはる、1947年8月5日 - )は… 宇佐美 敏晴(うさみ としはる、1947年8月5日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
吉田和生(よしだ かずお、1947年7月28日 - )は、愛… 吉田和生(よしだ かずお、1947年7月28日 - )は、愛媛県西予市野村町出身の文楽の人形遣い。本名は荻野 恒利。重要無形文化財保持者(人間国宝)であり、文化功労者、恩賜賞・日本芸術院賞受賞者でもある。 愛媛県西予市野村町に生まれる。1967年(昭和42年)7月、文楽協会人形部研究生となり、同年に吉田文雀に入門して吉田和生を名のった。翌1968年(昭和43年)4月、大阪毎日ホールで初舞台を踏んだ。 長年にわたり文楽の舞台で主要な役を勤め、2017年(平成29年)10月、重要無形文化財「人形浄瑠璃文楽人形」の保持者(各個認定)に認定された。 2024年(令和6年)には文化功労者として顕彰され、文楽の人形遣いとしては5人目の顕彰となった。
上甲 正典(じょうこう まさのり、1947年6月24日 - … 上甲 正典(じょうこう まさのり、1947年6月24日 - 2014年9月2日)は、元高校野球の指導者で、愛媛県立宇和島東高等学校野球部監督を経て、済美高等学校(愛媛県松山市)野球部元監督。
笠 陽一郎(りゅう よういちろう、1947年5月4日 - )… 笠 陽一郎(りゅう よういちろう、1947年5月4日 - )は、日本の精神科医。愛光学園卒(8期)→神戸大学医学部卒業。 8年間の医局および精神科病院勤務(松山精神病院、堀江病院など)を経て1980年5月より、味酒心療内科(精神科内科有床診療所)開業。診療所近隣の精神障害者患者会運動「「精神病」者グループごかい(松山精神障害者互助会)」やその交流団体に医師として深くかかわる。 2003年、精神科医としての過ちの検証を目的としたウェブサイト「毒舌セカンドオピニオン」を開設。その後、2005年、患者・家族との協働によるウェブサイト「精神科セカンドオピニオン掲示板」で、患者への情報提供ボランティアを開始。
木藤 たかお(きとう たかお、本名:木藤 隆雄、1947年〈… 木藤 たかお(きとう たかお、本名:木藤 隆雄、1947年〈昭和22年〉5月1日 - )は、愛媛県を拠点に活動する日本のフリーアナウンサー。 愛媛県松山市三津出身。 愛媛大学教育学部附属小学校、愛光学園、慶應義塾大学卒業。 1971年、ニッポン放送にアナウンサーとして入社。オールナイトニッポンのパーソナリティを勤めた後退社、フリーとなる。フジテレビのクイズ・ドレミファドン!で「ハイカラマン」として出演した。FM歌謡アベニューほかJFN系列の番組にも出演したりなどの経験もある。 1994年10月から静岡第一テレビで静岡○ごとワイドのメインキャスターを務めるが、1999年に母親の介護のため一時帰郷し、愛媛朝日テレビの「ガブリっ!とテレビ」のキャスターを務める。
永易 克典(ながやす かつのり、1947年(昭和22年)4月… 永易 克典(ながやす かつのり、1947年(昭和22年)4月6日 - 2021年(令和3年)5月3日)は、日本の銀行家。従三位。三菱東京UFJ銀行頭取、全国銀行協会会長などを歴任した。 愛媛県新居浜市出身。1966年3月愛媛県立新居浜西高等学校卒業。高校の同級生に大和ハウス工業株式会社元代表取締役副会長・社長の村上健治がいて、同郷の財界人としても親交があった。 東京大学法学部を卒業した後、1970年5月に当時の三菱銀行に入行。 主に企画部門、法人営業部門などの畑を歩んで、銀行家としての腕前を磨いた。 2008年のリーマン・ショックに端を発する金融危機を、三菱東京UFJ銀行の頭取を務める中で迎えることとなる。
森本 和子(もりもと かずこ、1947年3月2日 - )は、… 森本 和子(もりもと かずこ、1947年3月2日 - )は、日本の歌手。愛媛県宇和島市出身。 作曲家・遠藤実に師事し、日本マーキュリーレコードから「三吉馬子唄」でデビュー。そのあとポップスに路線変更し、1965年に日本コロムビアから「素敵な彼氏」を発表。1970年に日本ビクターから発売したみなみらんぼう作詞作曲の「酔いどれ女の流れ歌」で名前が知られるようになった。 知人の紹介で大学を出たばかりのみなみと出会い、自分の曲がびっしり書いてあるノートを見せてもらった中で、森本が気に入った『酔いどれ女の流れ歌』を歌いたいと懇願し、レコード化が実現した。この曲が売れたことにより、森本の生活は一変したという。
山本 巖(やまもと いわお、1947年2月27日 - )は、… 山本 巖(やまもと いわお、1947年2月27日 - )は、日本の元ラグビー選手及び同指導者。
空山 基(そらやま はじめ、1947年〈昭和22年〉2月22… 空山 基(そらやま はじめ、1947年〈昭和22年〉2月22日 - )は、日本のイラストレーター。愛媛県今治市出身。 愛媛県立今治北高等学校を経て、1965年(昭和40年)、四国学院大学文学部英文科に入学する。大学時代は英文学とギリシア文学について学ぶ。1967年(昭和42年)には、美術を学ぶために中央美術学園に入学。1969年(昭和44年)に学校を卒業し、旭通信社に就職。1971年(昭和46年)にフリーランスのイラストレーターとして独立した。以後、エロティックかつメタリックな質感およびメカニカルな造形で女性を描いた「セクシーロボット」シリーズで知られる。また、ソニーが開発したエンタテインメントロボットである「AIBO」のデザインも手がけた。
矢代 まさこ (やしろ まさこ、1947年(昭和22年)1月… 矢代 まさこ (やしろ まさこ、1947年(昭和22年)1月13日 - )は、日本の漫画家。愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身。1976年から1978年にかけて一時期睦月とみのペンネームで執筆していた。夫は漫画家の山本まさはる。 子供の頃に手塚治虫、水野英子、ちばてつや、新城さちこらの漫画に影響を受け漫画家を志す。 1962年(昭和37年)、金園社の貸本『すみれ』に掲載された『ちいさな秘密』でデビューし、翌年大阪に転居。その後、おもに若木書房の貸本を中心に作品を発表。1964年(昭和39年)、新城さちこの弟の山本まさはると結婚。1964年から1966年に発表した「ようこシリーズ」(全28巻)で作家としての地位を確立する。
堀内統義(ほりうち つねよし、1947年1月10日- )は、… 堀内統義(ほりうち つねよし、1947年1月10日- )は、日本の詩人。 松山市生まれ。早稲田大学教育学部卒。東京都、千葉県、愛媛県で高校教師を務め、2007年愛媛県立松山南高等学校を最後に定年退職。芝不器男の俳句や文章をめぐる「不器男旬報」を随時刊行している。
阪本壽明(さかもと としあき、1947年1月1日 - )は、… 阪本壽明(さかもと としあき、1947年1月1日 - )は、日本の政治家。元愛媛県北宇和郡松野町長。旭日双光章受章。 北宇和郡松野町生まれ。愛媛県立北宇和高等学校卒業。元松野町助役として柳野大和町長の下、町政の一翼を担った。平成の市町村合併の枠組みに関して、北宇和郡広見町・日吉村との合併協議会を離脱後、枠組みのあり方が最大の争点となった2004年の町長選挙に宇和島市中心の「大きな合併」を唱えたが、鬼北地域での「小さな合併」を唱えた岡武男に58票の小差で敗れた。 岡町長の任期満了に伴う2008年の町長選挙に再び出馬、元町幹部をはじめとした役場OB等の支援を受け、現職の岡を破り、初当選した。この選挙では、既に、鬼北町(広見町・日吉村の合併により成立)との「編入合併」の協議が合併の時期を詰めるまで進んでいたこともあり、阪本・岡両候補共に鬼北町との円滑な合併実現を公約とした。
高山 良二(たかやま りょうじ、1947年〈昭和22年〉 -… 高山 良二(たかやま りょうじ、1947年〈昭和22年〉 - )は、日本の地雷処理専門家、NPO法人 国際地雷処理・地域復興支援の会(IMCCD)理事長、元陸上自衛官。カンボジア・バタンバン在住。 愛媛県北宇和郡三間町(現・宇和島市)生まれ。36年間の陸上自衛隊勤務時代には、主に施設科部隊に在籍する。1992年から93年にかけてPKO活動で初めてカンボジアに派遣された自衛官の1人となる。 2002年退官後は再びカンボジアへ渡り、世界初となる住民参加による地雷処理活動を開始、「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」に参加し、理事を務めた。 2011年2月にはカンボジア王国中央政府機関 CMAC(カンボジア地雷対策センター)より地雷処理技術顧問に任命。
芥川 仁(あくたがわ じん、1947年- )は日本の写真家。… 芥川 仁(あくたがわ じん、1947年- )は日本の写真家。1992年に写真集「輝く闇」で宮日出版文化賞を受賞。日本写真家ユニオン設立発起人。日本写真家協会会員。 1947年、愛媛県今治市に生まれる。1966年、宮崎県立宮崎南高等学校卒業。1970年、法政大学第二社会学部卒業して以降、フリーランス写真家として活動。伊豆大島に5年間、水俣市で2年間を過ごす。1980年から宮崎市在住。1992年に写真集「輝く闇」で宮日出版文化賞を受賞。2001年、日本写真家ユニオンの設立発起人となり、同ユニオンの立ち上げに関わる。2012年、株式会社芥川仁を設立した。
山内 康伸(やまうち やすのぶ、1947年 - )は、日本の… 山内 康伸(やまうち やすのぶ、1947年 - )は、日本の弁理士・法学者。専門は知的財産法。
矢野 穂積(やの ほづみ、1947年 - )は、日本の政治家… 矢野 穂積(やの ほづみ、1947年 - )は、日本の政治家。男性。東村山市議会議員(5期(事実上6期。1期目当選無効。後述))。市議会所属会派は「草の根市民クラブ」。地方紙・地元FM局・認可保育園・認証保育所などの運営にも携わる。
楠葉 宏三(くすば こうぞう、1947年 - 2018年3月… 楠葉 宏三(くすば こうぞう、1947年 - 2018年3月20日)は、日本の男性アニメーション作家、監督。愛媛県宇和島市出身。 1971年、東京ムービーに入社。日本アニメーションに移籍後、1981年に『フーセンのドラ太郎』で監督デビュー。『世界名作劇場』シリーズの中期から後期の作品を担当し、シリーズ最多7本の監督を務める。2004年よりフリーランス。 2005年4月からリニューアルした『ドラえもん (2005年のテレビアニメ)』の総監督に就任し、2012年まで務めた。以降はテレビシリーズの各話絵コンテ・演出を多数手がけている。『映画ドラえもん のび太の恐竜2006』では総監督として外部打ち合わせや制作現場の環境整備などに務め(実制作のほとんどは監督の渡辺歩に任せっきりだったという)、原作漫画を上手く脚本に置き換える作業などを行った。
大松 繁(おおまつ しげる、1946年12月16日 - )は… 大松 繁(おおまつ しげる、1946年12月16日 - )は、愛媛県出身の日本の電子情報工学・システム工学者。大阪府立大学名誉教授。元大阪工業大学および徳島大学教授。工学博士(大阪府立大学)。日本学術振興会科学研究費委員会元専門委員。文部科学省科学研究費専門委員会元委員。システム制御情報学会2007会長。計測自動制御学会フェロー・元理事。電気学会フェロー・電子・情報・システム部門2007副部門長。スペインのITイノベーション研究機関AIR Instituteテクニカルアドバイザー。元Springer Lecture Notes on Distributed Computation and Artificial Intelligence Editor。
十亀 賢二(そがめ けんじ、1946年11月26日 - )は… 十亀 賢二(そがめ けんじ、1946年11月26日 - )は愛媛県出身の元プロゴルファー。 新居浜商業高校卒業。 1972年の中四国オープンでは細石憲二の2位、1973年の同大会では金海繁・細石・岡部洋三・上野忠美を抑えて増田光彦の2位に入った。1974年の同大会では開催された松永カントリークラブのコースレコード64を樹立し、1966年の中四国選手権で内田繁が記録した67を8年ぶりに塗り替えた。 1973年のブリヂストントーナメントでは初日に68をマークし、前田新作・島田幸作・安田春雄と並んでの9位タイでスタートした。 1975年の中四国オープンでは冨田三十士・増田を抑えると同時に岡部と並んで上野の2位タイに入り、1978年の関西プロでは初日に陳健振(中華民国)・上田鉄弘・窪田茂・上野・藤井義将・柴田猛と並んでの4位タイでスタートした。
河野 義光(こうの よしみつ、1946年10月17日 - )… 河野 義光(こうの よしみつ、1946年10月17日 - )は、愛媛県出身の日本の柔道家。階級は軽中量級(70kg級)。 今治南高校2年の時にインターハイ軽量級で優勝すると、3年の時には中量級で優勝を飾った。1965年に日本大学へ進むと、1966年の全日本学生柔道優勝大会では2位となった。1967年に東京で開催されたユニバーシアードには団体戦に出場してチームの優勝に貢献した。1968年のソ連及びハンガリー遠征の際には活躍して、ハンガリー大会での個人戦中量級で優勝を果たした。全日本学生柔道選手権大会軽中量級では中央大学の津沢寿志に優勢負けして2位だった。1969年の世界選手権には軽中量級に出場して決勝まで進むが、金沢工業大学教員の湊谷弘に掬投で敗れて2位にとどまった。
藤原 満(ふじわら みつる、1946年9月18日 - )は、… 藤原 満(ふじわら みつる、1946年9月18日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者。
前園 実知雄(まえぞの みちお、1946年8月12日 - )… 前園 実知雄(まえぞの みちお、1946年8月12日 - )は、日本の考古学者、奈良芸術短期大学教授。公益財団法人愛媛県埋蔵文化財センター理事長、橿原考古学研究所特別指導研究員、真言宗豊山派法蓮寺住職。 愛媛県生まれ。愛媛県立松山東高等学校、同志社大学文学部卒業。1969年奈良県立橿原考古学研究所勤務。太安萬侶墓、藤ノ木古墳、法隆寺、唐招提寺など多くの発掘調査をおこなう。1981~1983年の二年間、中国へ留学。98年同研究所資料室長を経て、奈良芸術短期大学教授、橿原考古学研究所指導研究員。
山下 和彦(やました かずひこ、1946年2月24日 - )… 山下 和彦(やました かずひこ、1946年2月24日 - )は、日本の政治家。元愛媛県西宇和郡伊方町長(3期)。 1964年に愛媛県立川之石高等学校卒業後、伊方町役場に入庁。産業建設課長、農林水産課長、水道課長、総務課長、農業委員会事務局長などを歴任した。 2006年、畑中芳久が収賄容疑で逮捕され辞職したことに伴って行われた伊方町長選挙に立候補。元愛媛県議会議員の高門清彦を破り初当選を果たし、2期伊方町長に就任した。2010年の伊方町長選挙では無投票当選を果たした。 2016年4月13日に検査入院した際に軽い脳梗塞が見つかったためリハビリ治療を受けていたが、言語障害が残るなど退院の見通しが立たないことから、同年9月29日に辞職願を提出した。
藤岡 弘、(ふじおか ひろし、1946年〈昭和21年〉2月1… 藤岡 弘、(ふじおか ひろし、1946年〈昭和21年〉2月19日 - )は、日本の俳優、タレント、武道家、声優、歌手、探検家、実業家。本名は藤岡 邦弘(ふじおか くにひろ)。旧芸名は藤岡 弘(読み同じ)。 1971年から1973年にかけて放送された特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の本郷猛役で主演を務め、一躍人気俳優となる。また、日本人として初めて全米映画俳優組合(SAG、現在のSAG-AFTRA)のメンバーとなったことでも知られる。2002年(平成14年)に川口浩の後任として「藤岡弘、探検シリーズ」が開始されて以降、“藤岡隊長”が愛称になっている。 愛媛県上浮穴郡久万町(現・久万高原町)出身。松山聖陵高等学校卒業。
繁桝 算男(しげます かずお、1946年2月6日 - )は、… 繁桝 算男(しげます かずお、1946年2月6日 - )は、日本の心理学者・統計学者。専門は計量心理学、ベイズ統計学、パーソナリティ理論。東京大学名誉教授、帝京大学教授。 愛媛県生まれ。愛媛県立八幡浜高等学校、東京大学教育学部教育心理学科卒業。1970年に東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。1974年アイオワ大学大学院修了 (Ph.D.)。 帰国後は1977年より東北大学助教授、1990年より東京工業大学教授を経て、1996年より東京大学総合文化研究科教授。2009年に定年退任、名誉教授、帝京大学教授となる。 2009年-2011年の間、日本心理学会理事長を務めた。 子に認知心理学者で高知工科大学教授の繁桝博昭や社会心理学者で青山学院大学教授の繁桝江里がいる。
宮内 昭(みやうち あきら、1945年11月10日 - )は… 宮内 昭(みやうち あきら、1945年11月10日 - )は、日本の外科医。医療法人神甲会隈病院名誉院長。医学博士。専門は、内分泌外科、甲状腺外科(甲状腺腫瘍、甲状腺がん、バセドウ病、副甲状腺機能亢進症)、甲状腺疾患全般。 愛媛県出身。「子どもによい教育を受けさせたい」という両親の希望もあり愛光中学校・高等学校に進学、大阪大学医学部に入学した。治療の結果が分かりやすい手術は白黒はっきりしたことを好む性格の自分に向いていると思い、専門分野として外科を選択。甲状腺外科・内分泌外科の専門である髙井新一郎(後日、大阪大学腫瘍外科教授となる)の下で学びたいという思いから、消化器や乳腺・内分泌を扱う大阪大学第二外科に所属することを決めた。
松浦 四郎若(まつうら しろわか、1945年(昭和20年)1… 松浦 四郎若(まつうら しろわか、1945年(昭和20年)10月5日 - )は、愛媛県出身の浪曲師。本名は寺坂東。 1945年(昭和20年)10月5日、愛媛県伊方町に生まれる。 1970年(昭和45年)12月24日に25歳で関西の実力派、松浦四郎に入門。松平国十郎とは芸の上で、伯父甥の関係。明治期の三巨頭、新談読みの京山若丸は三代上の大師匠にあたる。 1971年(昭和46年)1月4日に泉佐野市民会館にて演目『秋田蕗』で初舞台を踏む。 1975年(昭和50年)8月23日、テレビ初出演の『NHK新人浪曲コンクール』で最優秀新人賞を受賞。関西を中心に、浪曲の伝統を伝える正統派として活躍している。 2009年(平成21年)度の公演(一心寺門前浪曲寄席における演技)で文化庁芸術祭大衆芸能部門優秀賞を受賞した。
若宮 正則(わかみや まさのり、1945年9月5日 - 19… 若宮 正則(わかみや まさのり、1945年9月5日 - 1990年11月14日)は日本のアナキスト。元共産主義者同盟赤軍派の活動家。愛媛県宇和島市出身。 宇和島水産高校を卒業後上京して就職。その後、赤軍派に入り、中央軍の小隊長となる。 1969年に大菩薩峠事件で逮捕される。保釈後には釜ヶ崎へ向かい、1972年の「暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議」(釜共 /釜共闘)結成に参加。またラーメン屋を開業。 1972年9月4日に水崎町派出所爆弾事件を起こす。1972年12月26日に逮捕される。獄中で獄中者組合を結成。 1979年4月、増淵利行ら18人が土田・日石・ピース缶爆弾事件で起訴されて公判中に、1969年10月24日の警視庁機動隊庁舎爆破未遂事件の実行犯は自分であると証言した。
日野 てる子(ひの てるこ、結婚後の本名:一ノ瀬 輝子 - … 日野 てる子(ひの てるこ、結婚後の本名:一ノ瀬 輝子 - いちのせ てるこ、1945年7月13日 - 2008年9月9日)は、日本の女性歌手。所属事務所はハブ・マーシー。 愛媛県松山市出身。松山東雲高等学校卒業。 1962年、全日本ハワイアンコンテスト優勝をきっかけに翌1963年に上京。バッキー白片らに師事する。 1964年、ハワイアン歌手として日本グラモフォンよりデビュー。 1965年に発表した「夏の日の想い出」がヒット。本分のハワイアンとは趣を異にする曲ではあったが、100万枚を超えるミリオンセラーとなったことから自身の代表曲となり、同年のNHK紅白歌合戦にも初出場を果たした。ちなみにこの曲は当初「ワン・レイニーナイト・イン・トーキョー」のシングルB面曲だったもので、ヒットにより後にA面としてジャケットを差し替え発売されている。
大木 凡人(おおき ぼんど、本名:後藤 清登(ごとう きよと… 大木 凡人(おおき ぼんど、本名:後藤 清登(ごとう きよと)、1945年7月8日 - )は、日本の司会者・タレント・レポーター。愛称は凡ちゃん。凡人はジェームズ・ボンドから拝借した。 愛媛県八幡浜市出身。身長180cm。アミー・パーク所属。日本司会芸能協会名誉会長(7代目)。坂本龍馬龍悠会会長。 司会者になる前は、ヤマハ心斎橋店の販売予約課でピアノとエレクトーンの販売営業マンをしていた。その後キャバレーのバイトをしていた時、ショーの司会者が倒れて代役を務めると、才能が開花。上京し、昼は東宝の芸能学校と東映の演技研修所で芝居や歌やダンスを学ぶ傍ら、夜は銀座や赤坂のクラブで司会をこなす。店の客だったTBSのスタッフから声をかけられ、ラジオやテレビのレギュラーに抜擢される。
二宮 忠士(にのみや ただし、1945年6月5日 - )は、… 二宮 忠士(にのみや ただし、1945年6月5日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 八幡浜高校では、1963年の春季四国地区高等学校野球大会に初優勝するものの、甲子園には届かなかった。卒業後は東芝へ入社。1966年の都市対抗野球では中心打者として、チームの準々決勝進出に貢献する。 1967年ドラフト2位で東映フライヤーズに入団。100メートル11秒台の俊足、鉄砲肩、ノンプロ通算20本塁打という実績を認められてのプロ入りだった。1968年にはジュニアオールスターに選出され、翌年は16試合に出場するが、打撃面で伸び悩む。病気を患い4年目の1971年限りで引退。 引退後の1979年7月には山田潔団長の下、大友工・大橋勲と共に「日本プロ野球コーチ団」団員として中国で野球指導を行う。
村上 公康(むらかみ きみやす、1945年2月24日 - )… 村上 公康(むらかみ きみやす、1945年2月24日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(捕手)。