井川博年(いかわ ひろとし、1940年12月18日 - )は… 井川博年(いかわ ひろとし、1940年12月18日 - )は、日本の詩人。 福岡市生まれ。生家は船会社を営む。4歳より松江市に帰住。島根県立松江工業高等学校造船科卒。十代より俳句と詩を投稿。文通で丸山辰美、岡田隆彦を知る。1959年『現代詩手帖』で木原孝一の「現代日本新人詩選」に選ばれ、国井克彦、辻征夫を知り、『銛』結成に参加。1962年『見捨てたもの』刊行。高校卒業後は造船所勤務ののち多くの職を転々とする。20代後半には香港を放浪し、帰国後結婚、日中学院で中国語を学ぶ。30代より建築の設備設計に従事、後に会社自営。40代は個人誌『樽』を刊行。1989年頃より小沢信男の余白句会に加わる。2001年『そして、船は行く』で第2回山本健吉文学賞受賞。
細川 俊之(ほそかわ としゆき、1940年〈昭和15年〉12… 細川 俊之(ほそかわ としゆき、1940年〈昭和15年〉12月15日 - 2011年〈平成23年〉1月14日)は、日本の俳優。所属事務所は活動屋。 福岡県生まれ、山口県下関市育ち。山口県立豊浦高等学校卒業、学習院大学政経学部中退。 山口県豊浦郡西市小学校、山口県豊浦郡西市中学校を経て、1956年、山口県立西市高等学校に入学するが、翌1957年、山口県立豊浦高等学校へ転校。同校を卒業後、1959年、学習院大学政経学部へ入学。大学では演劇部に所属していた。 1961年、大学を中退し、一旦下関に戻った後、再び上京し同年俳優座の試験を受け合格し、俳優座養成所第13期生となる。1964年、同養成所卒業と同時に石立鉄男らと文学座研究生となり、初舞台は『無害な毒薬』。
柿原崇志(かきはら たかし、1940年11月30日 - 20… 柿原崇志(かきはら たかし、1940年11月30日 - 2021年11月17日)は、日本の能楽師。高安流大鼓方。恩賜賞・日本藝術院賞受賞者。重要無形文化財保持者(能囃子方大鼓・人間国宝)。 1940年11月30日、福岡県大牟田市に生まれた。高安流大鼓方・柿原繁蔵の長男で、1954年に父に入門した。その後、高校卒業後に上京して安福春雄に師事した。 1956年、『船弁慶』で初舞台を踏んだ。1962年に能楽協会会員となり、1982年には日本能楽会に入会した。 能楽協会理事・常務理事、日本能楽会理事・常務理事を歴任した。また、能楽養成会講師、東京藝術大学音楽学部非常勤講師、国立劇場伝統芸能伝承者養成「能楽(三役)」研修講師を務め、後進の指導にもあたった。
麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20… 麻生 太郎(あそう たろう、1940年〈昭和15年〉9月20日 - )は、日本の政治家、実業家、元射撃選手。自由民主党所属の衆議院議員(16期)、自由民主党副総裁(第17代・第19代)、志公会会長。中曽根康弘世界平和研究所会長。 内閣総理大臣(第92代)、副総理兼財務大臣(第17代・第18代・第19代・第20代)、内閣府特命担当大臣(金融)(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、デフレ脱却担当大臣(第2次安倍内閣 - 菅義偉内閣)、外務大臣(第132代・第133代)、総務大臣(第3代・第4代・第5代)、国民スポーツ担当大臣(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、情報通信技術(IT)担当大臣(第2次森改造内閣)、経済財政政策担当大臣(第2代)、経済企画庁長官(第53代)、文部政務次官(竹下改造内閣)、衆議院財政構造改革特別委員長、衆議院外務委員長、衆議院石炭対策特別委員長、自由民主党総裁(第23代)、自由民主党最高顧問、自由民主党幹事長(第44代・第46代)、自由民主党政務調査会長(第44代)、自由民主党経理局長を歴任した。
下川 江那(しもかわ えな、1940年9月18日 - )は、… 下川 江那(しもかわ えな、1940年9月18日 - )は、日本の女優、声優。福岡県柳川市出身。福岡県立伝習館高等学校卒業。劇団手織座を経て、プロダクション・タンク所属。下川 清子の名を使っていた時期もある。地方出身を活かして柳川弁や久留米弁の方言指導も行う。
竹中 淑子(たけなか よしこ、1940年9月18日 - )は… 竹中 淑子(たけなか よしこ、1940年9月18日 - )は、日本の数学者。慶應義塾大学名誉教授。
寺崎 一雄(てらさき かずお、1940年8月8日 - )は、… 寺崎 一雄(てらさき かずお、1940年8月8日 - )は、日本の実業家。テレビ西日本代表取締役会長。福岡県出身。 1959年に福岡県立明善高等学校を経て、早稲田大学法学部に進学。早稲田大学卒業後、1964年4月に西日本新聞社入社。1991年2月に同社社会部長、1993年7月に編集局次長、1995年6月に東京支社長(局長)に就任。1997年6月にテレビ西日本取締役。1999年6月に同社常務、2003年6月に専務に昇進。2005年6月に社長就任。2013年6月より同社会長。
古賀 誠(こが まこと、1940年〈昭和15年〉8月5日 -… 古賀 誠(こが まこと、1940年〈昭和15年〉8月5日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(10期)、運輸大臣(第72代)、新東京国際空港担当大臣、総合交通対策担当大臣、自由民主党国会対策委員長、同幹事長、同選挙対策委員長、宏池会会長、日本遺族会会長を歴任した。 福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)出身。2歳の時に第二次世界大戦に従軍中だった父がフィリピン・レイテ島で戦死。女手一つで苦労する母親の姿を見て、政治家を志す。自民党の鬼丸勝之参議院議員の秘書を経て、1980年に衆議院議員に旧福岡3区から初当選(当選同期に久間章生・森田一・川崎二郎・平沼赳夫・高村正彦・柿沢弘治など)。以来、小選挙区制での福岡7区を含めて連続10回当選。
延吉 正清(のぶよし まさきよ、1940年〈昭和15年〉6月… 延吉 正清(のぶよし まさきよ、1940年〈昭和15年〉6月11日 - )は、日本の医師。前小倉記念病院院長、京都大学医学部循環器内科臨床教授、日本心血管インターベンション学会名誉理事長。 福岡県北九州市小倉南区出身。福岡県立小倉高等学校卒業後、京都大学医学部卒業。1974年より社会保険小倉記念病院内科に勤務。 1981年に心臓のカテーテル治療(血管内治療)を日本で初めて行った医師として知られる。普通の医師ならカテーテルを心臓まで送るのに数分かかるが、延吉は同様の処置を10秒ほどで行うため、通常であれば1時間かかる治療を10分程度で済ませることができるという。 多い時は1日に20件以上、年間3,000件に上る心臓カテーテル治療を行い、これまでに5万人以上もの心臓疾患の患者を救ったことから「心臓カテーテルの神様」と呼ばれる。
四宮 鉄男(しのみや てつお、1940年5月30日 - 20… 四宮 鉄男(しのみや てつお、1940年5月30日 - 2025年3月9日[要出典])は、福岡県福岡市生まれ、ドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家。 早稲田大学第一文学部社会学科を卒業。講談社に勤務するが、友人の泉田昌慶が黒木和雄監督の助監督だったことから、岩波映画製作所の演出家たちを中心にした同人組織「青の会」に入会。 1965年に講談社を退社し、フリーの助監督として土本典昭に師事する。1969年に岩波映画で『カラーの眼』を初演出。 のち、「日本リクルートセンター」、小泉修吉の「グループ現代」などで、教育・環境・障害者などに関わる、多数の作品を演出。 また、1970年代初期には「ある日のヨーロッパ」(フジテレビ)などのテレビのミニ番組も制作。
池田 弘一(いけだ こういち、1940年4月21日 - )は… 池田 弘一(いけだ こういち、1940年4月21日 - )は、日本の実業家。アサヒビール代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本経団連評議員会副議長、経済同友会副代表幹事、全国法人会総連合会長などを歴任した。 福岡県筑紫野市出身。福岡県立福岡高等学校を経て、1963年九州大学経済学部卒業、朝日麦酒(現アサヒグループホールディングス)入社。飲料営業部営業課長を経て、1987年営業部副部長。1996年取締役。1997年常務取締役。1999年専務取締役。2000年専務執行役員。2001年専務取締役。2002年代表取締役社長兼COO。2006年代表取締役会長兼CEO。2008年九州大学経済学部同窓会会長。
笹月 健彦(ささづき たけひこ、1940年4月21日 - )… 笹月 健彦(ささづき たけひこ、1940年4月21日 - )は日本の医学者。九州大学名誉教授、国立国際医療センター名誉総長。遺伝子学・免疫学専攻。
鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年〈昭和15年… 鳥越 俊太郎(とりごえ しゅんたろう、1940年〈昭和15年〉3月13日 - )は、日本のジャーナリスト。辺野古基金共同代表。 鳥越製粉の創業者・鳥越彦三郎の曾孫で、歌手の鳥越さやかは次女。 1940年、福岡県浮羽郡吉井町(現:うきは市)出身。父親は俊雄といい、その俊の一字をとって俊太郎という名前がついた。父親は大学を卒業して企業に入り、現場で様々ないじめにあい神経症を発症、俊太郎が生まれたときは九州大学の精神科の病棟に入院していた。 1946年、小学校へ入学し、戦後教育の第一期生となる。久留米大学附設高等学校を経て、1965年、京都大学文学部(国史学専攻)を学生運動にのめり込んだため、二年留年した後に卒業。
古川 晶章(ふるかわ まさあき、1940年3月3日 -201… 古川 晶章(ふるかわ まさあき、1940年3月3日 -2012年10月13日 )は、日本の実業家、豊田通商株式会社元代表取締役会長、社長、相談役。2011年、旭日重光章。 1940年3月3日、福岡県北九州市生まれ。1962年3月、立教大学経済学部卒業。 1962年4月、豊田通商株式会社入社。1987年6月、同社取締役就任、1993年6月、常務取締役、1997年6月専務取締役、1999年6月取締役副社長。 2001年6月、代表取締役社長就任、2005年6月、取締役会長、2010年6月相談役。 2010年4月、フィリピン共和国「THE ORDER of SIKATUNA国家勲章」受章。翌2011年6月、旭日重光章受章、フランス「レジオンドヌール勲章シュバリエ」受章。
淡河 弘(おごう ひろし、1940年2月19日 - )は、福… 淡河 弘(おごう ひろし、1940年2月19日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
井上 直幸(いのうえ なおゆき、1940年(昭和15年)1月… 井上 直幸(いのうえ なおゆき、1940年(昭和15年)1月11日 - 2003年(平成15年)4月22日)は、日本のピアニスト。 1940年(昭和15年)、 福岡県福岡市生まれ。大島正泰に師事し、1960年に桐朋学園大学短期大学部音楽学科を卒業。1964年、シュトゥットガルト音楽大学に入学し、A.エアフルト、H.ロイターに師事。1年後フライブルク音楽大学に移り、エディット・ピヒト=アクセンフェルトのもとで研鑽を積む。1969年(昭和44年)同大学を首席で卒業した。ケルンでデビュー・リサイタルを開いた後、ミュンヘン国際音楽コンクール入賞。 1970年、フライブルク音楽大学講師に就任。以降ヨーロッパ各地で多くの演奏会を行い、数々の放送にも出演した。
加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年〈昭和15年〉1月1… 加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年〈昭和15年〉1月1日 - 2026年〈令和8年〉1月22日)は、日本の将棋棋士。剱持松二九段門下(当初は南口繁一九段門下)。棋士番号は64。勲等は旭日小綬章。文化功労者。 62年後の2016年に藤井聡太が14歳2か月で更新するまで、14歳7か月で当時の史上最年少中学生棋士となったことから神武以来の天才(詳細は後述)と呼ばれ、また早指し棋戦の名手でもあったことから1分将棋の神様の異名を持つ。 実力制6人目の名人で、戦前生まれの名人経験者としては最後の存命者であった。2017年6月20日に現役引退。 福岡県嘉麻市出身、同市の名誉市民。仙台白百合女子大学客員教授(2017年6月23日 - 2026年1月22日)。
横山 紘一(よこやま こういつ、1940年 - )は、日本の… 横山 紘一(よこやま こういつ、1940年 - )は、日本の仏教学者。唯識塾塾長。立教大学文学部名誉教授。鹿島神流師範。
高野 一彦(たかの かずひこ、1939年12月18日 - )… 高野 一彦(たかの かずひこ、1939年12月18日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 福岡県立京都高等学校卒業後、1958年に東映フライヤーズへ入団。 1959年に42試合に登板し4勝、1960年は32試合に登板し9勝を挙げている。 肩の故障により1963年に引退。
高島 忠平(たかしま ちゅうへい、1939年12月 - )は… 高島 忠平(たかしま ちゅうへい、1939年12月 - )は日本の考古学者。佐賀女子短期大学元学長。学校法人旭学園理事長。邪馬台国九州説を唱える人物の一人で「ミスター吉野ヶ里」と呼ばれる。福岡県飯塚市出身。
上杉 満生(うえすぎ みつお、1939年11月13日 - 2… 上杉 満生(うえすぎ みつお、1939年11月13日 - 2009年12月25日)は、日本の写真家。琵琶湖などの風景写真を得意とした。 第1回前田真三賞(旧風景写真新人杯)受賞者。日本風景写真協会(略称JNP)創立に参画。日本風景写真協会の創設に尽力し、同協会初代会長として卓越したリーダーシップを発揮して1400名を超える組織を育て、まとめて来られたことは多くの風景写真愛好家の知るところである。 前田真三賞: 風景写真では国内最高峰の写真コンテストで二年がかりで審査される。一年目の予選は10枚二年目の本選は30枚の組写真を提出する必要があり、全て一貫性のあるテーマによって組まれていなければならず大変高いレベルが要求される。
高木 誠(たかぎ まこと、1939年10月24日 - 201… 高木 誠(たかぎ まこと、1939年10月24日 - 2011年3月17日)は、日本の化学工学者。九州大学名誉教授。元公立大学法人福岡女子大学理事長兼学長。元日本分析化学会会長。 福岡県福岡市生まれ。1958年福岡県立修猷館高等学校を経て、1962年九州大学工学部合成化学科卒業。1967年九州大学講師。1968年九州大学大学院工学研究科修了、工学博士。同年九州大学助教授。1983年九州大学教授。1984年日本化学会無機分析部門賞受賞。1994年日本分析化学会賞受賞。2000年九州大学教育研究センター長、九州大学評議員。2001年日本分析化学会会長。2003年定年退職、九州大学名誉教授。2005年福岡女子大学学長。
小笠原 弘親(おがさわら ひろちか、1939年8月2日 - … 小笠原 弘親(おがさわら ひろちか、1939年8月2日 - 2000年8月14日)は、日本の政治学者。研究分野は政治思想史。 福岡県生まれ。福岡県立福岡高等学校を経て早稲田大学政経学部卒業、同大学院政治学研究科博士課程単位取得満期退学。甲南大学教授、1981年「初期ルソーの政治思想 体制批判者としてのルソー」で早大政治学博士。大阪市立大学教授に転じ、在職中の2000年8月14日に癌性腹膜炎のため死去。
麻生 渡(あそう わたる、1939年〈昭和14年〉5月15日… 麻生 渡(あそう わたる、1939年〈昭和14年〉5月15日 - 2025年〈令和7年〉3月15日)は、日本の官僚、政治家。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。 第13-16代福岡県知事、第10代全国知事会会長、自治体国際化協会会長、福岡空港ビルディング代表取締役社長、財団法人地域創造理事、特許庁長官などを歴任。同時代の政治家で、元内閣総理大臣の麻生太郎は同姓で同じく福岡県を地元とするが、両者の間に血縁関係はない。 福岡県戸畑市(現・北九州市戸畑区)出身。福岡県立戸畑高等学校を経て京都大学法学部卒業後、1963年当時の通商産業省に入省。入省同期に牧野力、高島章、秋山收など。 当初は前任者の奥田八二が社会党系だったのと異なり与野党相乗りとして立候補していたが、途中から民主党は対立候補を擁立するようになり、民主党支持である職員労働組合とも対立するようになった。
足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13… 足立 正生(あだち まさお、1939年〈昭和14年〉5月13日 - )は、日本の映画監督・脚本家・俳優。パレスチナ解放人民戦線・日本赤軍の元メンバー。 福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)出身。日本大学芸術学部映画学科中退。若松プロダクション参加、若松孝二の盟友とされる。 1939年5月13日、福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)に生まれた。八幡市立中央中学校と福岡県立八幡高等学校を卒業。1959年、日本大学芸術学部映画学科に入学。新映画研究会を立ち上げた。同時期に、VAN映画科学研究所を設立。 1961年の監督映画『椀』が学生映画祭大賞を受賞し、1963年の自主製作映画『鎖陰』でも脚光を浴びた。
郷 通子(ごう みちこ、1939年4月15日 - )は、日本… 郷 通子(ごう みちこ、1939年4月15日 - )は、日本の生物学者 ・生物物理学者。元お茶の水女子大学学長。名古屋大学名誉教授。元日本生物物理学会会長。理学博士(名古屋大学・1967年)(学位論文「生体高分子の統計力学とそれのポリヌクレオチドの融解転移への応用」)。 タンパク質の分子進化を研究。エクソン・イントロン構造の研究(GO Plot)からタンパク質の立体構造の単位であるモジュールの概念を初めて提唱した。 夫は生物物理学者で京都大学名誉教授の郷信広。 福岡県生まれ。1958年東京都立両国高等学校卒業。1962年お茶の水女子大学理学部物理学科卒業、1967年名古屋大学大学院理学研究科博士課程物理学専攻修了。
高岡 英司(たかおか えいじ、1939年3月10日 - )は… 高岡 英司(たかおか えいじ、1939年3月10日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
城戸 則文(きど のりふみ、1939年3月5日 - )は、福… 城戸 則文(きど のりふみ、1939年3月5日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 画家でタレントの城戸真亜子は姪に当たる。 常磐高校から1957年に西鉄ライオンズへ入団。大型内野手として期待され、1958年にはウエスタン・リーグの本塁打王と打点王を獲得。入団して2年間はあまり一軍の試合に出られなかったが、3年目の1959年には中西太の故障もあって開幕から三塁手として起用される。同年の近鉄戦で黒田勉に死球を受け、深刻なダメージを受けた影響で、後に極端に死球の少ない選手として知られる。打撃フォームも極端なクローズドスタンスから身体を開きつつ打つ独特なもので、死球を避ける工夫でもあった。
田中 正大(たなか まさひろ、1939年2月8日 - 200… 田中 正大(たなか まさひろ、1939年2月8日 - 2009年4月16日)は、日本のホルン奏者。NHK交響楽団首席奏者、武蔵野音楽大学教授を務めた。日本におけるホルン界の草分けとして、ソロ奏者、また室内楽の先駆者として常に指導的な立場にあった。 福岡県嘉穂郡二瀬町片島(現:飯塚市)にて、旧制嘉穂中学校の数学教師であった田中親(ちかし)と妻ハルキの次男として生まれる。嘉穂高校の吹奏楽部でトランペットを吹いていたが、3年生の時に楽器庫にあったホルンを見付けて、武蔵野音楽大学にホルンで入学した。なお、嘉穂高校逍遥歌を作曲している。 武蔵野音大在学中、1960年秋に近衛秀麿率いるABC交響楽団のヨーロッパ演奏旅行に参加した。
富田 一雄(とみた かずお、1939年1月1日 - )は、日… 富田 一雄(とみた かずお、1939年1月1日 - )は、日本の元競泳選手。福岡県久留米市出身、福岡県立三潴高等学校・日本大学卒業。1960年ローマオリンピック競泳男子4×100mメドレーリレー銅メダリスト。 高校在学中の1956年メルボルンオリンピック競泳代表に選ばれ、競泳男子100m背泳ぎ準決勝で敗退。また、三潴高校水泳部の全国大会優勝にも貢献。1960年ローマオリンピックでは競泳男子100m背泳ぎで準決勝敗退したものの男子4×100mメドレーリレーでは銅メダル獲得に貢献した。
大藪 龍介(おおやぶ りゅうすけ、1938年11月 - )は… 大藪 龍介(おおやぶ りゅうすけ、1938年11月 - )は、日本の政治学者、運動家。元福岡教育大学教授。 1938年(昭和13年)11月23日、福岡県三潴郡大木町生まれ。1954年、福岡県立伝習館高校入学、翌年久留米大学附設高校に転校し、1957年同校卒業[要出典]。 1957年4月九州大学法学部入学、教養部学生自治会を通じてマルクス主義に接する。同年12月〜1958年5月まで教養部自治会委員長を務め、1958年9月〜1959年3月まで九州大学学友会委員長を務めた[要出典]。1959年6月〜1960年9月、九学連(九州地方学生自治会連合)委員長として、安保改定反対闘争を闘い、三池闘争、福教祖勤評反対闘争支援に取り組む[要出典]。
柿原彬人(かきはら よしひと、1938年10月14日 - 2… 柿原彬人(かきはら よしひと、1938年10月14日 - 2006年7月18日)は日本の実業家。福岡県出身。出生名は柿原孝(読み方不明)であり、1993年に改名した。 コーエーテクモホールディングスの前身の1社・テクモの創業者。日本アミューズメントマシン工業協会の会長も務めた。
春田 整秀(はるた よしひで、1938年(昭和13年)10月… 春田 整秀(はるた よしひで、1938年(昭和13年)10月5日 - )は、日本の政治家。元福岡県前原市(現・糸島市)長(2期)。 福岡県糸島郡前原町(のち前原市、現・糸島市)出身。1957年、福岡県立糸島高等学校卒。保育所を運営し、所長となる。前原市議会議員を経て、1995年、前原市長に当選。2期務める。2003年、落選。現在、社会福祉法人春陽会の理事長を務める。
前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、… 前田 哲男(まえだ てつお、1938年9月28日 - )は、日本のジャーナリスト・軍事評論家。元東京国際大学国際関係学部教授、元沖縄大学客員教授。専門は軍事・安全保障論。 福岡県福岡市生まれ。県立福岡高校卒業後、長崎放送に入社、放送記者となる。1971年に退社後、ジャーナリストとしての活動を始める。 日本社会党(現社会民主党)の安全保障問題に関するブレーンであり、日本とアメリカの軍事戦略に、その立場から平和主義を唱えて反対している。 2015年12月9日には憲政記念会館において、辻元清美議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく資金集めのパーティに参加している。
内藤 武宣(ないとう たけのぶ、1938年7月17日 - )… 内藤 武宣(ないとう たけのぶ、1938年7月17日 - )は、日本の政治家秘書、新聞記者。福岡県出身。
開田 幸一(ひらきだ こういち、1938年5月7日 - 19… 開田 幸一(ひらきだ こういち、1938年5月7日 - 1993年9月23日)は、日本の元競泳選手。1960年ローマオリンピック競泳男子400mメドレーリレー銅メダリスト。現在の福岡県柳川市出身。福岡県立伝習館高等学校卒業。中央大学卒業。
大蛇川 覚(おろちがわ さとる、1938年4月10日 - 1… 大蛇川 覚(おろちがわ さとる、1938年4月10日 - 1985年12月2日)は、福岡県柳川市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は岡 覚(おか さとる)。183cm、124kg。最高位は西十両4枚目。得意技は左四つ、寄り。 1955年5月場所に初土俵。右肘関節を手術したり膝の怪我もあって三段目で苦戦するなど、出世は早いほうではなかったが、本来の右四つ相撲から左四つで右上手を浅く取って前に出る取り口にモデルチェンジしてからは、幕下へ定着していき、1963年3月場所に十両昇進。十両を25場所務めるも入幕はならず、1967年9月場所に廃業した。
柄崎 英樹(つかざき ひでき、1938年3月17日 - )は… 柄崎 英樹(つかざき ひでき、1938年3月17日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 福岡県立戸畑高等学校から日本大学へ進学。大学時代は主将として活躍した。1961年に大洋ホエールズへ入団したものの、1年限りで引退。
樋口 修吉(ひぐち しゅうきち、1938年3月2日 - 20… 樋口 修吉(ひぐち しゅうきち、1938年3月2日 - 2001年10月4日)は、日本の小説家。本名、黄田 康嗣(おうだ やすつぐ)。福岡県福岡市生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科及び法学部法律学科卒。 大学卒業後、三井物産に入社。無機化学品の輸出を担当。11年勤務した後退職。ヨーロッパ、南米などを放浪後、作家活動に入る。商社マン時代、銀座界隈でギャンブルに明け暮れた経験から、銀座を舞台とした作品が多い。またギャンブル小説の名手としても知られ、「真正都会無頼派」(安部譲二)と称される。 1981年、『ジェームス山の李蘭』で第36回小説現代新人賞を受賞。同作は第90回直木賞候補にも選ばれ、野沢尚脚本で映画化もされた。
鈴木 英夫(すずき ひでお、1938年2月24日 - 201… 鈴木 英夫(すずき ひでお、1938年2月24日 - 2015年3月9日)は、日本の官僚、経営者。福岡県福岡市出身。 1961年に早稲田大学理工学部を卒業し、同年に通商産業省に入省。立地公害局石炭課長、資源エネルギー庁石炭部産業課長、石炭部長、通商産業省官房審議官、技術総括審議官などを歴任し、1991年6月に立地公害局長に就任し、1992年6月をもって、退任。 石油公団理事を経て、1995年に三菱マテリアル常務に就任し、2000年には副社長に昇格した。2002年6月27日付で同社顧問と三菱原子燃料取締役社長に就任。 2008年に瑞宝中綬章を受章した。 2015年3月9日がんのために死去。77歳没。
高島 正義(たかしま まさよし、1938年2月7日 - 没年… 高島 正義(たかしま まさよし、1938年2月7日 - 没年不明)は、福岡県出身のプロ野球選手(内野手)。 西南学院高校では、1956年に春季九州大会県予選南部準決勝に進むが修猷館高に敗退。卒業後は門司鉄道管理局に進み、都市対抗などで活躍。この時のチームメートに宮川孝雄がいた。 1960年に東映フライヤーズへ入団。1年目から西園寺昭夫の控え三塁手として起用され、6月からは西園寺の故障もあって26試合に先発出場。その後は一時低迷するが、1963年には準レギュラーとして復帰。1964年は二塁手も兼ね自己最多の124試合に出場、うち32試合に先発する。翌1965年は主に守備固めとして出場、1966年限りで引退。
松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto… 松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto、男性、1938年〈昭和13年〉1月25日 - 2023年〈令和5年〉2月13日)は、日本の漫画家。代表作に『男おいどん』『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』など。 福岡県久留米市出身。血液型B型。本名は松本 晟(まつもと あきら)。宝塚大学特任教授、京都産業大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授を歴任。正六位、旭日小綬章、紫綬褒章、フランス芸術文化勲章シュバリエ受章。称号は練馬区名誉区民。 妻は同じく漫画家の牧美也子。弟は早稲田大学大学院名誉教授で元三菱重工業長崎研究所主管の松本將。 一般的にSF漫画作家として知られるが、少女漫画、戦争、動物など様々なジャンルの漫画を描いている。
岡部 正彦(おかべ まさひこ、1938年1月9日 - )は、… 岡部 正彦(おかべ まさひこ、1938年1月9日 - )は、日本の実業家。学校法人日通学園理事長。大分県出身。前日本通運会長・社長で現在は相談役。
藤原 和人(ふじわら かずひと 1938年(昭和13年)1月… 藤原 和人(ふじわら かずひと 1938年(昭和13年)1月8日 - 2009年(平成21年)10月12日 )は、日本の大蔵官僚、銀行家。十八銀行頭取、国土事務次官(旧・国土庁)。
福井 仁士(ふくい まさし、1938年1月 - 2007年1… 福井 仁士(ふくい まさし、1938年1月 - 2007年12月7日)は、日本の脳神経外科学者。九州大学名誉教授。
髙城 壽雄(たかぎ としお、1938年 - )は、日本の発明… 髙城 壽雄(たかぎ としお、1938年 - )は、日本の発明家、実業家。タカギ創業者で、同社代表取締役社長を経て、代表取締役会長。経営法博士。 福岡県小倉市(現北九州市小倉北区)出身。3歳のときマレー作戦で父を亡くし、愛媛県新居浜市の母方の伯父の養子となる。福岡県立門司東高等学校在学中から、発明で多数の受賞をしたが、部の備品を破壊するなどの校内暴力で2度の無期限謹慎処分を受けたのち退学。 1956年に小倉豊国高等学校卒業後、上京してトラック運転手として働きながら東京都大井職業訓練所ラジオ・テレビ科で学んだのち、無線工業(現ディーアンドエムホールディングス)に入社。その後、小倉に戻り22歳で家電製品修理業を起業。
箱島 信一(はこしま しんいち、1937年12月9日 - )… 箱島 信一(はこしま しんいち、1937年12月9日 - )は、日本のジャーナリスト。朝日新聞社元社長。公益財団法人日本対がん協会顧問、一般社団法人日本外交協会理事。福岡県福岡市東区出身。
松行 康夫(まつゆき やすお、1937年10月1日 - )は… 松行 康夫(まつゆき やすお、1937年10月1日 - )は、日本の経営学者。学術博士(慶應義塾大学・論文博士・1985年)。東洋大学名誉教授。 福岡県北九州市出身。1962年電気通信大学通信経営学科卒、1967年国際基督教大学大学院修士課程修了、1985年「地域計量経済モデルによる地方自治経営制御政策に関する研究 近郊都市としての三鷹市の事例研究」で学術博士(慶應義塾大学)の学位を取得。1967年国際基督教大学助手、1969年東京農工大学講師、1970年助教授、1990年教授、1991年東洋大学経営学部教授。2008年定年、名誉教授。
泉 信也(いずみ しんや、1937年(昭和12年)8月1日 … 泉 信也(いずみ しんや、1937年(昭和12年)8月1日 ‐ )は、日本の運輸官僚、政治家。勲章は旭日大綬章。 参議院議員(3期)、国家公安委員会委員長(第75・76代)、内閣府特命担当大臣(防災担当、食品安全担当)などを歴任した。息子は財務官僚の泉恒有。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。福岡県立明善高等学校、九州大学工学部土木工学科卒業。 運輸省に入省、本省港湾局開発課長、同建設課長、第四港湾建設局長などを歴任した。また、和歌山県庁に一時出向しており、土木部港湾課にて課長を務めた。1991年4月、大臣官房審議官を最後に退官。 なお、この間には、中国、フィリピン、ペルー、メキシコなどの発展途上国を訪問しており、技術協力等の活動を展開した。
長倉 翠子(ながくら すいこ、本名「和子(かずこ)」、別名「… 長倉 翠子(ながくら すいこ、本名「和子(かずこ)」、別名「長倉翠」、1937年(昭和12年)7月6日 - 2016年(平成28年)9月18日)は、日本の栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 轆轤に頼らない独特な手びねりの作陶手法で、母性愛を感じた益子の陶土に包まれながら女性の柔らかさや妖艶さを表現し、神秘的な施釉で織り成し「陶」を表現していった、益子焼の陶芸家の中でも稀有な感性を持った女流陶芸家であった。 1937年(昭和12年)7月6日、福岡県行橋市に生まれる。実の母親は、九州では有名であった全盲の女義太夫(瞽女)。そして父親はその弟子となっていた、当時60代の参謀本部技官であったという。