仰木 彬(おおぎ あきら、1935年4月29日 - 2005… 仰木 彬(おおぎ あきら、1935年4月29日 - 2005年12月15日)は、福岡県出身のプロ野球選手、プロ野球監督、野球解説者。血液型はA型。
福岡県:3,612人
仰木 彬(おおぎ あきら、1935年4月29日 - 2005… 仰木 彬(おおぎ あきら、1935年4月29日 - 2005年12月15日)は、福岡県出身のプロ野球選手、プロ野球監督、野球解説者。血液型はA型。
門田 照子(かどた てるこ、1935年4月9日 - 2022… 門田 照子(かどた てるこ、1935年4月9日 - 2022年1月1日)は、日本の詩人。福岡市出身。 福岡市出身。1954年福岡県立修猷館高等学校卒業、1997年、詩集『抱擁』で福岡県詩人賞、2004年『桜桃と夕日』で現代詩・平和賞、2015年『ロスタイム』で福岡市文学賞を受賞。2018年、福岡県詩人会 第三十三回先達詩人顕彰を受ける。 詩誌「東京四季」「花筏」同人。福岡県詩人会、日本詩人クラブ、日本現代詩人会、日本文藝家協会、福岡県文化連盟各会員、日本現代詩歌文学館評議員。 2022年1月1日、福岡市内の病院で死去。
古賀 学(こが まなぶ、1935年4月5日 - 2001年1… 古賀 学(こが まなぶ、1935年4月5日 - 2001年12月10日)は、日本の競泳選手。福岡県大川市出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。100m自由形の元日本記録保持者。 大川市立川口中学校、福岡県立伝習館高等学校、早稲田大学商学部卒業。 1954年7月7日、ホノルルで開催されたハワイ国際招待水上競技大会で20年ぶりに高橋成夫の持つ50m自由形の日本記録を更新した。 1956年日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会の100m・200m自由形で2冠を達成し、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは100m自由形で準決勝敗退、800mフリーリレーで4位になった。
岡部 文雄(おかべ ふみお、1935年(昭和10年)3月18… 岡部 文雄(おかべ ふみお、1935年(昭和10年)3月18日 - )は、海上自衛官。第19代海上幕僚長。 福岡県出身。筑紫中央高校を経て、1958年(昭和33年)3月、防衛大学校(第2期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は主として対潜哨戒機のパイロットとして航空隊等に勤務。その後、海上幕僚監部防衛部長、教育航空集団司令官、舞鶴地方総監、佐世保地方総監等の要職を歴任し、第19代海上幕僚長に就任。
瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2… 瓜生 良介(うりゅう りょうすけ、1935年3月3日 - 2012年9月5日)は、日本の演出家、鍼灸師。劇団「発見の会」主宰。「ウリウ治療室」を開設し「快医学」を提唱。発見の会は「最初のアングラ劇団」と言われる。青年劇場の瓜生正美は兄。 1935年(昭和10年)、福岡県若松市(現・北九州市)に生まれる。兄たちの影響で、小中学生のころより劇団や人形劇に携わる。15歳のとき父が死去。1951年、若松高校に入学、演劇部に入部。18歳のとき家が破産。 1954年、19歳で上京。黒雅舎で印刷工として働く。1956年、舞台芸術学院に入学。1958年、劇団「舞芸座」の演出部に所属(23歳)。演出家・土方与志に師事。
岡本 義則(おかもと よしのり、1935年2月22日 - )… 岡本 義則(おかもと よしのり、1935年2月22日 - )は、福岡県北九州市小倉北区出身の元ボートレーサー。 兄の保は元オートレーサー。 1959年11月に6期生として選手登録され、彦坂郁雄・浅見敏夫・高田登らと共にデビュー。巧みなハンドルと卓越した整備力で、常に高い勝率をマークし、特に2コースの捌きは絶品であった。整備の熱心さから「走る教科書」と呼ばれ、前検日にはスタート特訓が終わると、真っ先に整備室の一角にある長机に陣取ってバルブの羽根を徹底的にいじっていた。その他の整備は一切せず、バルブ調整ばかりやっていた。1970年には驚異の171勝を挙げ、この記録は現在も破られていない。1980年には8月5日から10月17日にかけて22連勝を達成するが、現在も歴代3位の記録として残っている。
安川 寿之輔(やすかわ じゅのすけ、1935年(昭和10年)… 安川 寿之輔(やすかわ じゅのすけ、1935年(昭和10年)2月21日 - )は、日本の市民運動家、社会思想史研究者。専門は近代日本社会(教育)思想史。名古屋大学名誉教授、不戦兵士・市民の会副代表理事、日本戦没学生記念会元事務局長、イラク派兵違憲訴訟の原告(東京地方裁判所)。韓日平和100年市民ネット共同代表。<声明>「韓国は「敵」なのか」賛同者。 2001年(平成13年)4月21日の朝日新聞に掲載された安川の論説「福沢諭吉 アジア蔑視広めた思想家」に、静岡県立大学国際関係学部の平山洋が反論「福沢諭吉 アジアを蔑視していたか」(5月12日付同紙)を掲載したことで、「安川・平山論争」が始まった。 同年5月21日に安川は慶應義塾大学で講演を行い、講演資料で「福沢論争 批判は事実に基づいて」という再反論を掲載した。
長谷川 弘志(はせがわ ひろし、1935年2月5日 - 20… 長谷川 弘志(はせがわ ひろし、1935年2月5日 - 2023年4月27日)は、日本のアナウンサー、実業家。元・九州朝日放送(KBC)アナウンサー、元・KBCメディア社長。 福岡県福岡市出身。早稲田大学文学部を卒業後の1957年、九州朝日放送にアナウンサーとして入社。情報番組からスポーツ中継まで幅広いジャンルの番組を担当した。 スポーツアナウンサーとしては、地元の平和台球場を本拠地に使用していた西鉄(→太平洋クラブ→クラウンライター)ライオンズ戦中継の実況で人気を博していた。クラウンの後継球団・西武ライオンズの誕生で本拠地が平和台球場から西武ライオンズ球場(埼玉県所沢市)へ移転した1979年に運動部の記者へ異動したが、1980年4月からKBCラジオで『長谷川ひろし おはよう7』(平日7:00 - 9:00の生ワイド番組)のパーソナリティを8年間務めた。
木村 栄文(きむら ひでふみ、1935年1月22日 - 20… 木村 栄文(きむら ひでふみ、1935年1月22日 - 2011年3月22日)は、日本のテレビ番組ディレクター、プロデューサー。愛称はエイブンさん。
小淵 泰輔(こぶち たいすけ、1935年1月9日 - 201… 小淵 泰輔(こぶち たいすけ、1935年1月9日 - 2011年4月1日)は、福岡県大牟田市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ。 三池工業高校を卒業後の1954年に東洋高圧大牟田へ入社。1955年の都市対抗では中心打者として準々決勝に進み、全鐘紡に惜敗したものの首位打者賞を獲得。1956年の大会では濃人渉監督率いる日鉄二瀬に補強され3番打者として活躍し、打撃賞を得る。この時のチームメイトには古葉毅・吉田勝豊・江藤慎一がいた。同年の第2回世界野球大会に社会人野球日本代表として出場。 1957年に西鉄ライオンズへ入団し、同年から一軍に定着。仰木彬の控えではあったが、主に二塁手として49試合に先発出場。
榊 晃弘(さかき てるひろ、1935年 - )は、日本の写真… 榊 晃弘(さかき てるひろ、1935年 - )は、日本の写真家。福岡県福岡市出身。
芝 竹夫 (しば たけお、1935年 - 2013年10月2… 芝 竹夫 (しば たけお、1935年 - 2013年10月2日)は、日本の教育者。福岡県田川郡内の小学校、中学校教諭。社会運動家。 愛知県名古屋市に生まれる。1943年に福井県小浜市に疎開。同時期に俳優の山城新伍、俳人の島田玲子も同市に疎開していた。1947年福岡県筑豊にて育つ。 1958年北九州市立大学外国語学部米英科卒業。のちに福岡県田川郡内の小学校、中学校教諭を務め、1995年定年退職。 2013年10月2日死去。
三上 茂(みかみ しげる、1935年 - 2022年12月2… 三上 茂(みかみ しげる、1935年 - 2022年12月23日)は、西洋中世哲学研究者。南山大学名誉教授。中世哲学。 福岡市出身。九州大学教育学部卒、同大学院、南山大学助教授、教授、2004年定年退職、名誉教授。
中村 明蔵(なかむら あきぞう、1935年 - 2025年1… 中村 明蔵(なかむら あきぞう、1935年 - 2025年12月23日)は、日本の日本史学者、鹿児島国際大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。1960年奈良学芸大学卒業、1962年立命館大学大学院日本史学専攻修士課程修了。1994年「隼人と律令国家」で立命館大文学博士。ラ・サール高等学校教諭、鹿児島女子短期大学教授、鹿児島経済大学教授、校名変更で鹿児島国際大学教授。2006年定年、名誉教授。2006年南日本文化賞受賞。 飛鳥・奈良時代における古代律令政府の九州地方南部に対する支配政策、とくに隼人政策についての精緻な研究で知られる。 2025年12月23日、老衰のため鹿児島市の施設で死去した。90歳没。
平田 光弘(ひらた みつひろ、1934年12月20日 - )… 平田 光弘(ひらた みつひろ、1934年12月20日 - )は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授。中国南開大学名誉教授。 福岡県福岡市生まれ。福岡県立福岡高等学校を経て、1958年横浜国立大学経済学部卒、1960年一橋大学大学院商学研究科修士課程修了、1962年明治学院大学経済学部助手、1963年一橋大学大学院商学研究科博士課程単位取得退学。藻利重隆の指導を受けた。 1963年明治学院大学経済学部専任講師、1966年助教授、1972年一橋大学商学部附属産業経営研究施設助教授となり、1977年教授、1985年同施設長、1997年一橋大学イノベーション研究センター教授、1998年定年退官、名誉教授となり、東洋大学経営学部教授。
ジプシー・ローズ(1934年12月18日(又は1935年12… ジプシー・ローズ(1934年12月18日(又は1935年12月18日) - 1967年4月20日)は、福岡県大牟田市出身のストリッパー。本名は志水敏子(トシ子)。身長162cm、体重58kg。 幼少時より日本舞踊、バレエを習い、女優を目指し、長谷川一夫主宰の「ロマンス座」と共に1949年に上京すると、進駐軍のキャンプ周りの踊り子を経て、15歳で浅草常盤座でローズ・マリーという芸名でデビューした。彼女の資質を見込んだ元俳優の演出家正邦乙彦の演出の下、作家の田中小実昌が「混血かと思っていた」という日本人離れしたエキゾチックな容姿と、厳しい訓練の上で習得した腰を激しく回転させるグラインドという大胆なダンステクニックで人気を博し、昭和20年代後半には「ストリップの女王」と呼ばれた。
荻 孝雄(おぎ たかお、1934年12月6日 - 2014年… 荻 孝雄(おぎ たかお、1934年12月6日 - 2014年12月)は、福岡県久留米市出身のプロ野球選手。
入江 伸明(いりえ のぶあき、1934年(昭和9年)12月3… 入江 伸明(いりえ のぶあき、1934年(昭和9年)12月3日 - 2008年(平成20年)2月18日)は、日本の実業家。 福岡県北九州市八幡東区出身。1953年(昭和28年)福岡県立小倉高等学校卒業。早稲田大学卒業後、三井信託銀行(現・三井住友信託銀行)入行。 1961年(昭和36年)1月帰郷後、家業である入江興産(現社名・アステック入江)入社・常務取締役就任、1975年(昭和50年)9月代表取締役社長に就任。2005年(平成17年)10月には代表取締役会長に就任した。また、2005年(平成17年)6月~2007年(平成19年)6月の間、高田工業所社外監査役を務めた。 1999年(平成11年)4月、西日本工業大学理事長就任、2006年(平成18年)4月1日より九州歯科大学経営協議会学外委員を務めた。
寺田 陽介(てらだ ようすけ、1934年11月19日 - )… 寺田 陽介(てらだ ようすけ、1934年11月19日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(一塁手)。右投右打。 博多工業から濃人渉が監督を務める日鉄二瀬に進む。1954年から2年連続で都市対抗野球大会に出場。1955年の大会では東洋高圧大牟田に補強され、日立製作所との1回戦で決勝本塁打を放つなど活躍。準々決勝で全鐘紡に敗退するが好打者として注目を集める。この時のチームメートに小淵泰輔がいた。 1956年に南海ホークスに入団。入団に当たっては地元の西鉄ライオンズとの間で激しい争奪戦があり、西鉄が投手の島原幸雄を獲得の見返りに日鉄に譲渡するという噂まで流れたほどであった[要出典]。当時、南海の監督であった鶴岡一人は、守備はよい一方で、「穴が多く、いい投手にかかると打てないという欠点」があり、期待ほどの実績はあげられなかったと評しているものの、南海が400フィート打線と称していた打線の担い手の一人と位置づけられていた。
青木 勇(あおき いさむ、1934年(昭和9年)11月16日… 青木 勇(あおき いさむ、1934年(昭和9年)11月16日 - )は、日本の政治家。元東京都葛飾区長。旭日小綬章受章。 福岡市出身。1961年(昭和36年)中央大学法学部を卒業し、葛飾区役所に奉職。葛飾区第三出張所長、企画室副主幹、厚生部国民年金課長、教育委員会事務局学務課長、選挙管理委員会事務局長、企画部企画課長、企画部予算課長、企画部主幹、企画部長、総務部長を経て、1991年(平成3年)厚生部長および助役に就任。1993年(平成5年)葛飾区長に当選した。 2014年 春の叙勲で旭日小綬章を受章
古賀 磯次(こが いそじ,1934年11月6日 - 2009… 古賀 磯次(こが いそじ,1934年11月6日 - 2009年5月22日)は、20世紀から21世紀の初頭期にかけて活動した日本のヤクザ。福岡県久留米市を本拠地とする指定暴力団道仁会の初代会長。 10人兄弟の五男として福岡県小郡市の地主農家に出生。市内味坂小学校から宝城中学校を卒業後、時の名門高校久留米商業に進学。在学中には柔道部に所属し、1952年(昭和27年)にはインターハイで団体優勝。同年に両親と死別している。高校卒業と当時に学校推薦によりほぼ無試験かつ無条件で久留米信用金庫の本店預金課に就職するも、それからおおよそ2年間ほどで依願退職し、小郡で飲食店を経営していた世利喜三郎という名の博徒の部屋住みとしてヤクザの経歴を始動した。
末吉 興一(すえよし こういち、1934年(昭和9年)9月2… 末吉 興一(すえよし こういち、1934年(昭和9年)9月20日 - 2025年(令和7年)12月14日)は、日本の元政治家・官僚。国土庁土地局長を経て、北九州市長を1987年から2007年まで5期20年の長期にわたり務める。同市長を引退後は、外務省参与、内閣官房参与、財務省参与を歴任した。 2009年6月から2018年6月まで、アジア成長研究所(本部:北九州市小倉北区)理事長を務める。後に同研究所名誉理事長。 1934年(昭和9年)、兵庫県西宮市生まれ。本籍は小倉市(現:北九州市)。小学校時代の1945年(昭和20年)8月に第二次世界大戦の終結を経験したとき「世の中に絶対というものはない」と感じたという。
大家 重夫(おおいえ しげお、1934年9月19日 - 20… 大家 重夫(おおいえ しげお、1934年9月19日 - 2025年1月21日)は、日本の文部官僚・法学者。久留米大学名誉教授。 北九州市小倉北区出身。1953年福岡県立小倉高等学校卒業。1958年京都大学法学部卒業。 1960年11月16日文部省管理局振興課へ入り、1963年体育局学校給食課。1965年から2年間、総理府審議室・内閣審議室に出向し、「建国記念の日」制定、明治100年記念事業等に従事した。ユネスコ国内委員会教育課、名古屋大学庶務課長を経て、1970年文化庁著作権課長補佐。1974年文化庁庶務課課長補佐、1977年文化庁著作権課著作権調査官。1979年から3年間、内閣官房インドシナ難民対策連絡調整会議事務局員を命ぜられ、難民への日本語教育を担当した。
三隅 佳子(みすみ よしこ、1934年〈昭和9年〉9月7日 … 三隅 佳子(みすみ よしこ、1934年〈昭和9年〉9月7日 - 2018年〈平成30年〉9月7日)は、日本の地方公務員、教育者である。専門は家政学、ジェンダー問題。 福岡県北九州市出身。福岡県立小倉高校、共立女子大学を卒業後、5年間小学校の教員を務めた。退職後は子育てに専念する中でPTAや母の会の活動を始め、1978年(昭和53年)、北九州市社会教育指導員となる。 その後短大講師を経て1982年(昭和57年)、北九州市役所で初めて民間出身の女性管理職となり、翌1983年(昭和58年)には初代の婦人対策室室長に就任。1990年(平成2年)には市民局女性行政推進部長、併せて財団法人アジア女性交流・研究フォーラムの専務理事にも就任した。
吉田 安伸(よしだ やすのぶ、1934年9月6日 - 201… 吉田 安伸(よしだ やすのぶ、1934年9月6日 - 2018年4月22日)は、日本の経営者。ティー・エックス・エヌ九州(現在のTVQ九州放送)社長、会長を務めた。 福岡県福岡市生まれ、鹿児島県出水市出身。1957年に横浜国立大学経済学部を卒業し、日本経済新聞社に入社。日経では日経流通新聞編集長、東京編集局次長、日経マグロウヒル取締役を歴任した。1990年からティー・エックス・エヌ九州常務に就任し、専務を経て、1995年から1999年までに社長を務め、1999年から2001年までに会長を務めた。 2018年4月22日、小腸せん孔のために死去。83歳没。
鎌田迪貞(かまた みちさだ、1934年8月21日 - )は、… 鎌田迪貞(かまた みちさだ、1934年8月21日 - )は、日本の実業家であり、九州電力第6代会長である。九州・山口経済連合会会長など様々な役職を務める九州経済界の大物の一人である。趣味は読書とゴルフ、座右の銘は弱者にも配慮した「暖かい志」。2018年春の叙勲で旭日大綬章を受章。 鎌田迪貞と松尾新吾の間には、眞部利應社長の就任ややらせメール事件後の対応で、確執があったと言われる(下記参照)。 福岡県北九州市出身。1941年(昭和16年)に国民学校に入学。5年生の時に終戦を迎える。志望校であった福岡県立小倉高等学校は学区外であったが、学区内の禅宗の寺の小僧になり進学した。国語と数学が得意であった。
佐伯 尚孝(さえき なおたか、1934年8月18日 - 20… 佐伯 尚孝(さえき なおたか、1934年8月18日 - 2023年5月10日)は日本の実業家。第9代三和銀行頭取。 鹿児島県出身。1955年福岡県立福岡高等学校卒業、1959年東京大学経済学部卒業、三和銀行入行。1994年から第9代三和銀行頭取を務めたが、渡辺滉会長と派閥抗争を繰り広げ、1999年に渡辺会長と「相打ち」のかたちで頭取を辞任し、相談役に退いた。後任の代表権のない会長には内藤碩昭が、頭取には室町鐘緒が就いた。のち三菱UFJ銀行名誉顧問、三菱UFJ信託地域文化財団評議員、岩谷直治記念財団理事長、HOYA社外取締役。 2023年5月10日、横浜市の自宅で死去。88歳没。
米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月… 米倉 斉加年(よねくら まさかね、1934年〈昭和9年〉7月10日 - 2014年〈平成26年〉8月26日)は、日本の俳優・演出家・絵本作家・絵師。 福岡県福岡市(現在の同市中央区)出身。福岡市立警固中学校、福岡県立福岡中央高等学校卒業。高校ではバスケットボール部で主将を務めバスケットボールで西南学院大学への推薦を受けるも、当時はバスケットボールで生きる道はなく、役者として生きる道を選択する。戸籍上は正扶三(まさふみ)であったが、小学生の頃から「斉加年」と名乗り続け、改名し戸籍上も「斉加年」(1983年)となる。 推薦を断り一浪し、西南学院大学文学部英文科入学。演劇部で演劇に没頭する。1954年には、中退し単身東京へ。
後藤 暢(ごとう とおる、1934年〈昭和9年〉6月26日 … 後藤 暢(ごとう とおる、1934年〈昭和9年〉6月26日 - )は、福岡県出身の元競泳選手。 高校3年生のときに1952年ヘルシンキオリンピックに出場し、男子800m自由形リレーで銀メダルを獲得した。のちに西日本新聞社に入社してスポーツ記者として活動、運動部長を務める。 福岡県朝倉郡朝倉村恵蘇宿(現在の朝倉市山田)に生まれる。 父の後藤均は村長も務めるとともに地域の水泳の発展に貢献した人物で、本人含め2男4女(暢は次男)が水泳の達者という水泳一家であった(とくに長男の龍美、次女の美智子は全国大会で成績を残し、オリンピック選手候補として名が挙がるレベルであったという)。1940年には均が中心となり、有志の協力・村民の理解のもとで、朝倉村立朝倉小学校に福岡県の小学校では最初に25mプールが設けられた。
平松 慎吾(ひらまつ しんご、1934年6月15日 - 20… 平松 慎吾(ひらまつ しんご、1934年6月15日 - 2022年1月23日)は、日本の男性俳優。本名は石井 政治 福岡県出身。福岡県立嘉穂高等学校卒業。 劇団同人会、劇団葦、劇団東芸を経て、劇団NLTに所属。 2022年1月23日、誤嚥性肺炎で死去。87歳没。 妻は声優の信澤三惠子。
福地 茂雄(ふくち しげお、1934年6月11日 - 202… 福地 茂雄(ふくち しげお、1934年6月11日 - 2024年1月29日)は、日本の経営者。位階は正四位、旭日重光章受章。 アサヒビール(旧朝日麦酒)社長・会長・相談役、第19代日本放送協会(NHK)会長を歴任したほか、日本相撲協会横綱審議委員会委員も務めた。2011年、財団法人新国立劇場運営財団理事長に就任。2014年2月、一般財団法人防災検定協会顧問に就任。 福岡県戸畑市(現北九州市戸畑区)出身。福岡県立小倉高等学校商業科(その後同科は福岡県立小倉商業高等学校となる)を経て長崎大学経済学部卒業後、1957年4月、朝日麦酒に入社。以後、長く営業畑を歩んだ。 京都支店長、本社営業部長を経て、住友銀行(現三井住友銀行)出身の樋口廣太郎に抜擢され1988年3月に取締役就任、大阪支店長を兼務した。
石田 泰三(いしだ やすぞう、1934年6月11日 - )は… 石田 泰三(いしだ やすぞう、1934年6月11日 - )は、福岡県豊前市出身の元プロ野球選手(内野手)。
楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990… 楢橋 進(ならはし すすむ、1934年6月3日 - 1990年1月11日)は、昭和期の政治家。元運輸大臣、元衆議院議員の楢橋渡は実父。 福岡県久留米市に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業後、三井物産勤務を経て、父・楢橋渡秘書。1973年に父・渡が死去し、父と荒木万寿夫の死去に伴う空席を埋める衆議院議員補欠選挙(福岡3区)に自民党公認で立候補。当選を果たし以降衆議院議員を4期務め、中曽根派に属した。この間、第2次大平内閣で運輸政務次官・第1次中曽根内閣で農林水産政務次官に就任している。 1983年総選挙では保守乱立の煽りから次々点で落選。返り咲きを目指した1986年総選挙では党の公認を得られず、日本共産党の公認候補の得票をも下回った法定得票数にも満たない惨敗に終わった。
米倉 健司(よねくら けんじ、1934年5月25日 - 20… 米倉 健司(よねくら けんじ、1934年5月25日 - 2023年4月20日)は、日本の元プロボクサー。元日本フライ級王者。元OBF(現OPBF)東洋太平洋バンタム級王者。ヨネクラボクシングジム会長。日本プロボクシング協会常任相談役。日本ボクシングコミッション役員実行委員。本名は米倉 健治、プロボクサー時代のリングネームは米倉 健志(いずれも読みは同じ)。福岡県直方市出身。 福岡県立福岡高等学校在学中にアマチュアボクシングを始めインターハイ出場、明治大学経営学部在学中、全日本アマチュアボクシング選手権大会フライ級制覇、メルボルンオリンピックに日本代表選手として出場。3回戦まで進んだ。 卒業後の1957年、米国シアトルで行われた世界ゴールデングローブに日本代表として出場。
菊池 昌弘(きくち まさひろ、1934年3月21日 - 20… 菊池 昌弘(きくち まさひろ、1934年3月21日 - 2012年4月28日)は、日本の病理学者。「菊池病」発見者。
丸元 淑生(まるもと よしお、1934年2月5日 - 200… 丸元 淑生(まるもと よしお、1934年2月5日 - 2008年3月6日)は、作家、料理研究家。 大分県生まれ。旧制の福岡中学校から、新制の福岡県立福岡高等学校に進み、卒業。東京大学文学部仏文科卒。大学在学中に出版書肆パトリアを創設し、演劇書や島尾敏雄『地の果て』を出すが、1年で倒産、1957年株式会社パトリア書店を創設、刊行した土門拳の写真集『筑豊のこどもたち』が話題になるも、会社は倒産。 1958年『女性自身』創刊以来フリーライターとして執筆、村上進の筆名で『週刊新潮』に「黒い報告書」も書いた。1965年、『週刊女性』に社外から編集長に抜擢され、松村栄の筆名で読者の悩みに応える「わが愛の悩み」を書いたりして低迷していた部数を盛り返す。
小川 健太郎(おがわ けんたろう、1934年1月12日 - … 小川 健太郎(おがわ けんたろう、1934年1月12日 - 1995年10月8日)は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代は1964年から1970年まで中日ドラゴンズに所属し、1967年には29勝を挙げて最多勝利のタイトルを獲得、沢村賞を受賞するなど、アンダースローの好投手として活躍した。また1967年から1970年まで4年連続で開幕投手を務めたが、これは1996年時点で球団最長となる連続開幕投手記録だった。王貞治(読売ジャイアンツ)に対して腕を背中から繰り出す「背面投げ」を行った投手としても知られる。しかし1970年、球界を震撼させた八百長事件である「黒い霧事件」への関与が疑われ、オートレース八百長に関与したとして逮捕される。
林 えいだい(はやし えいだい、本名・林 栄代〔しげのり〕、… 林 えいだい(はやし えいだい、本名・林 栄代〔しげのり〕、1933年12月4日 - 2017年9月1日)は、日本の記録作家。アリラン文庫主宰。強制動員真相究明ネットワーク呼びかけ人。 福岡県田川郡採銅所村(現・香春町)生まれ。神主だった実父は、脱走してきた朝鮮人炭鉱労働者を匿い、特高警察に検挙され、拷問の後間もなく死去した。林は2017年の新聞記事で「私を奮い立たせるものは何か。元をたどればそこに行き着く」と述べている。早稲田大学文学部在学中に荒畑寒村の「谷中村滅亡史」を読み社会主義運動に傾倒する。大学を中退し故郷に帰る。北九州市教育委員会などに勤めた後にフリーライターとなった。独立したのは37歳の時である。
目良 浩一(めら こういち、1933年10月13日 - 20… 目良 浩一(めら こういち、1933年10月13日 - 2019年12月17日)は、日本出身の都市研究者。社会工学者。都市経済工学者。交通工学者。南カリフォルニア大学名誉教授。ウィラメット大学経営大学院客員教授など。歴史の真実を求める世界連合会創設者・初代代表。福岡県出身。 朝鮮京城府生まれ。福岡県立伝習館高等学校から、東京大学に進学。1957年、東京大学工学部建築学科卒業時は総代。卒業設計を手伝いにきていた女性と結婚。大学卒業後は同大学大学院建築学専攻修士課程に進学し、丹下健三に師事。建築家志望であったが、1959年、同大学院修士課程修了後、博士課程進学の直後、フルブライト留学生として都市計画・都市経済学分野を修めるべく渡米し、プリンストン大学建築学部大学院都市計画学専攻修士課程に進学。
森口 親司(もりぐち ちかし、1933年10月1日 - )は… 森口 親司(もりぐち ちかし、1933年10月1日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授、大阪大学名誉教授。専門は数量経済政策、世界経済論。Ph.D(ミシガン大学)(1963年)。福岡県出身。Fellow of the Econometric Society。
伊藤 善佐(いとう よしすけ、1933年〔昭和8年〕9月26… 伊藤 善佐(いとう よしすけ、1933年〔昭和8年〕9月26日 - )は、日本の政治家。福岡県太宰府市長(2期)、太宰府市議会議長などを歴任した。 福岡県筑紫郡水城村(太宰府町を経て、現太宰府市水城)出身。福岡県立福岡農業高等学校併設中学校卒業。 1975年(昭和50年)太宰府町議会議員に当選。1982年(昭和57年)市制施行により太宰府市議会議員となり、1983年(昭和58年)再選。この間同議長を務める。 1987年(昭和62年)太宰府市長に当選。2期務め、1995年(平成7年)引退した。 2023年(令和5年)春の叙勲で旭日小綬章を受章した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
原田 榮進(はらだ えいしん、1933年9月8日 - )は、… 原田 榮進(はらだ えいしん、1933年9月8日 - )は、日本の造園家。特定非営利活動法人日本ガルテン協会会長。社団法人日本経営士会正会員、社団法人日本建築学会正会員。 福岡県福岡市生まれ。 宗左近にフランス文学、松下圭一に政治学を学ぶ。法政大学卒業。 人間行動研究会(HB研)代表として企業で働く人々の心と行動を研究。 25年に亘り丸の内「日本工業倶楽部」において、月例会を主宰、月刊誌「HB研レポート」を発行。 1970~95年、中国各地、東南アジア、中央アジア、アメリカの他、東欧、北欧をはじめヨーロッパなど世界各地を調査研究。とくにシルクロード、中国へは十数回調査敢行。 日本庭園学会正会員。
森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - 20… 森下 整鎮(もりした のぶやす、1933年9月4日 - 2018年10月26日)は、福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 1952年から1958年及び1986年の登録名は森下 正夫(もりした まさお)。本名は森下 正弘(もりした まさひろ)。 八幡高校時代は高校屈指の強打者として注目され、2年次の1950年に遊撃手として春の選抜へチーム初出場。1回戦で萩北高のエース椙本勝を打ち崩し初勝利を飾る。続く準々決勝では、この大会に優勝した韮山高の東泉東二投手から5点を奪うが、9回裏逆転サヨナラ負けを喫する。この試合では9回まで5-2と勝っていたが、遊撃を守っていた森下が9回裏満塁のピンチでバックホームを大悪投し、サヨナラ負けを喫した。
大貝 日出夫(おおがい ひでお、1933年8月31日 - )… 大貝 日出夫(おおがい ひでお、1933年8月31日 - )は、日本の実業家。 大貝二美男の長男として福岡県に生まれる。1952年福岡県立修猷館高等学校を経て、1958年東京大学法学部公法学科を卒業。 1958年4月昭和電工(現・レゾナック・ホールディングス)に入社。同社において、1980年1月炭素営業部長、1985年3月参与炭素事業部長、1989年3月取締役大阪支店長、1993年3月常務取締役を務めた後、1997年3月昭光通商代表取締役社長に就任。1999年3月同相談役となる。
小田 富士雄(おだ ふじお、1933年8月13日 - )は、… 小田 富士雄(おだ ふじお、1933年8月13日 - )は、日本の考古学者。学位は、文学博士(九州大学・論文博士・1980年)(学位論文「九州考古学研究 歴史時代篇」)。福岡大学名誉教授。 福岡県北九州市生まれ。福岡県立小倉高等学校卒、1957年九州大学文学部史学科卒業。1960年同大学院博士課程中退、九州大学文学部助手、1971年別府大学文学部助教授。1980年「九州考古学研究 歴史時代篇」で九州大学より文学博士の学位を取得。1983年北九州市立考古博物館館長。1988年福岡大学人文学部教授。1995-1999年下関市立考古博物館館長を兼ねる。2004年福岡大学定年退職、名誉教授。1977年西日本文化賞団体賞、1992年『日韓交渉の考古学』で雄山閣考古学賞受賞。
廣松 渉(ひろまつ わたる、男性、1933年8月11日 - … 廣松 渉(ひろまつ わたる、男性、1933年8月11日 - 1994年5月22日)は、日本の哲学者、東京大学名誉教授。
別府 隆文(べっぷ たかふみ、1933年6月30日 - 20… 別府 隆文(べっぷ たかふみ、1933年6月30日 - 2021年2月27日)は、日本の実業家。 福岡県久留米市出身。1958年に早稲田大学教育学部を卒業し、同年にテレビ西日本に入社。 1985年7月に制作局長に就任し、取締役、常務、専務、副社長を経て、1999年6月から2005年6月までに社長を務め、2005年6月から2009年までに会長を務めた。 西日本新聞社監査役、取締役、フジテレビジョン取締役、フジ・メディア・ホールディングス取締役も務め、2000年から2006年までに日本民間放送連盟理事を務めた。 2008年4月に旭日中綬章を受章した。 2021年2月27日肺炎のために死去。87歳没。
伴 有雄(ばん ありお、1933年6月15日 - 1985年… 伴 有雄(ばん ありお、1933年6月15日 - 1985年7月20日 )は、日本の指揮者。 福岡県筑後市出身。慶應義塾高等学校から慶應義塾大学文学部に進学。大学では音楽学を専攻し、合唱団の指揮も手掛ける。その後、デトモルトの北西ドイツ音楽院を経てウィーン国立音楽大学指揮科でハンス・スワロフスキーに師事して卒業。帰国後、日本フィルハーモニー交響楽団などを指揮、在京オーケストラへの客演を中心にドイツ・オーストリア音楽の分野を中心に活動。 1980年に、ニューフィルハーモニーオーケストラ(現:千葉交響楽団)を立ち上げた。 その後は各地のオーケストラの指揮をし、晩年に習志野フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者として活動中、演奏会当日に脳内出血で死去。
重富 吉之助(しげとみ きちのすけ、1933年4月20日 -… 重富 吉之助(しげとみ きちのすけ、1933年4月20日 - )は、日本の政治家。元・自由民主党参議院議員(竹下派、1期)。 福岡県出身。1952年福岡県立八女高等学校、1956年九州大学経済学部卒業。1960年防衛施設庁に入る。1981年臨時行政改革推進審議会事務局総務課長。1984年参事官に就任した。1986年中部管区行政監察局長。1987年審議官。1988年行政情報システム参事官を経て、1989年官房審議官。1990年12月に退官。1991年の福岡県知事選に出馬したが落選。同年9月の参院補選に自民党公認で立候補して当選。1992年に落選。1995年の福岡県知事選に再び立候補したが落選。同年の参議院選挙で無所属から立候補したが落選した。
古賀秀男(こが ひでお、1933年2月22日- 2022年4… 古賀秀男(こが ひでお、1933年2月22日- 2022年4月22日)は、日本の西洋史学者。専門はイギリス史。山口大学名誉教授。 朝鮮京城生まれ。福岡県立三潴高等学校卒、1951年佐賀大学入学、1953年九州大学編入学、1955年同文学部史学科卒、1960年同大学院西洋史博士課程満期退学。1976年関西学院大学・文学博士。 1960-1965年明治学園高等学校教諭、1965年九州大学助手、1968年山口大学教養部助教授、1975年教授。1996年定年退官、名誉教授、1997年京都女子大学教授。2006年定年退職。