吉ノ岩 義行(よしのいわ よしゆき、1938年10月29日 … 吉ノ岩 義行(よしのいわ よしゆき、1938年10月29日 -没年不明 )は、二所ノ関部屋に所属した元力士。本名は中村 義行(なかむら よしゆき)(旧姓吉村)。現在の長崎県大村市出身。168cm、79kg。最高位は東十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 長崎県立大村高等学校では野球部に所属し、ポジションは捕手を務めたが、毎年行われていた花相撲を観戦して力士を志し、元二所ノ関部屋の幕下小海山に紹介されて二所ノ関部屋に入門した。入門して約半年間は同郷で相撲解説者の玉の海が住む兵庫県尼崎市の家に住み込んで世話を受けた。1956年1月場所に初土俵。1962年5月場所に十両昇進。非常に軽量ながら7場所連続で十両を務めたが、幕下に陥落した1963年7月場所に24歳で廃業した。
雲仙山 尚敏(うんぜんやま なおとし、1938年7月3日 -… 雲仙山 尚敏(うんぜんやま なおとし、1938年7月3日 - 没年不明 )は、長崎県南高来郡加津佐町(現在の南島原市)出身で二所ノ関部屋所属の1960年代に活躍した元大相撲力士。本名は、岩永 尚敏(いわなが なおとし)。現役時代の体格は身長174cm、体重98kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は西十両7枚目。血液型はB型。 1955年1月場所に初土俵を踏む。初土俵から負け越すことなく1958年1月場所で幕下へ昇進、幕下でも2度負け越したのみで順調に番付を上げ、1960年5月場所に21歳で新十両に昇進。その場所は3勝12敗と大きく負け越し1場所で幕下へ陥落。1962年3月場所で再度十両へ復帰し、その場所で10勝5敗と二桁勝利を挙げると以降十両へ定着する。
武田 信照(たけだ のぶてる、1938年(昭和13年)7月 … 武田 信照(たけだ のぶてる、1938年(昭和13年)7月 - )は、日本の経済学者。専門は、経済学史。愛知大学第14代学長、南開大学名誉教授。経済学博士。 株式会社の学説上の発展についてを主な研究対象とする。1969年から2009年まで愛知大学に勤務。1986年に大阪市立大学より経済学博士号を授与。 愛知大学においては、大学院経済学研究科長、法経学部経済学科長、経済学部長、理事を歴任し1999年から2期8年にわたり理事長ならびに学長を務めた。 長崎県佐世保市出身。大阪市立大学では福井孝治、飯田繁の指導を受ける。1969年に専任講師として愛知大学法経学部に着任。のち助教授、教授となる。 1989年に所属する法経学部が法学部、経済学部、経営学部の3学部に分離。
松尾 新吾(まつお しんご、1938年5月19日 - )は、… 松尾 新吾(まつお しんご、1938年5月19日 - )は、日本の実業家。2007年6月から九州電力会長を務めた。九州経済連合会第7代会長、東京大学赤門学友会副会長、日本相撲連盟会長などを歴任し、現在は日本会議福岡会長を務める。 玄海原発、川内原発の再稼働については強硬に進めていて、やらせメール事件が発覚した当時の九電会長である。やらせメール事件の翌年になって九電会長を辞任し、相談役となったが、その際、原子力大国であるフランスからレジオン・ドヌール勲章が授与された。 長崎県 佐世保市の出身。熊本県立熊本高等学校を卒業。1963年に東京大学法学部を卒業。若い頃は、人付き合いが苦手だったそうで、新入社員時代は同僚たちに溶け込めるかすら不安に感じていた[信頼性要検証]。
今村 純二(いまむら じゅんじ、1938年4月15日 - 2… 今村 純二(いまむら じゅんじ、1938年4月15日 - 2021年8月12日)は、日本の実業家。元北海道日本ハムファイターズ会長・社長。球団の北海道移転と道民ファンの獲得に尽力した。 長崎県長崎市出身、3人兄弟の次男として生まれる。小学1年時に長崎市への原子爆弾投下により被爆、その後長崎県立長崎東高等学校を経て、同志社大学商学部を卒業後、大学のゼミ講師に「食の仕事はこれから伸びる、食肉関係は必ず伸びる」とアドバイスされたことをきっかけに食肉業者を志し、1961年に徳島ハム(現在の日本ハム)入社。同社では営業畑を歩み1967年に姫路営業所長、1971年神戸営業所長、1977年量販部長、1988年九州販売部長、営業本部参与を経て、1997年常勤監査役。
井上 晃(いのうえ あきら、1938年3月20日 - 20… 井上 晃(いのうえ あきら、1938年3月20日 - 2023年10月31日)は、日本の原子力工学者。東京工業大学名誉教授。工学博士(東京工業大学、1966年)。原子力発電の安全性向上に尽力した。 1938年生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1961年に東京工業大学工学部金属工学科卒業、1966年に「垂直管内気液二相流の圧力損失に関する研究」で工学博士号を取得。同大学原子炉工学研究所助手、1972年同原子炉熱工学部門助教授を経て、1986年教授。後に福島第一原子力発電所所長を務める吉田昌郎の指導も担当した。同大学大学院総合理工学研究科教授を経て、1998年に名誉教授。 専門は原子炉熱流体工学、気液二相流の流動と熱伝達、高速炉の熱工学的安全性であり、特に沸騰伝熱および気液二相流の分野における研究で国際的な業績があったとされる。
佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ、1938年2月18日 … 佐田の山 晋松(さだのやま しんまつ、1938年2月18日 - 2017年4月27日)は、長崎県南松浦郡有川町(現・新上五島町)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第50代横綱。本名は市川(旧姓:佐々田)晋松(いちかわ しんまつ)。 南松浦郡有川町(現:長崎県南松浦郡新上五島町)で船大工を営む家に生まれる。子どもの頃から材木を運んだり、カンナをかけたりして体を作っていた。幼少期に大の相撲好きだった父親から、郷土の英雄とされている五ツ嶋奈良男の話を聞かされ、土地相撲に連れて行かれる内に相撲に憧れを抱き、角界入りを希望するが母親からは猛反対された。長崎県立上五島高等学校に進学後は相撲部に所属し、3年生で長崎県大会に参加を勧誘されて一度は辞退したものの、強引な説得に根負けして補欠選手として出場するが、いざ対戦してみるとほとんど負けなかったことから自信が付き、角界入りを強く望むようになった。
椋尾 篁(むくお たかむら、1938年1月1日 - 1992… 椋尾 篁(むくお たかむら、1938年1月1日 - 1992年6月9日)は、長崎県佐世保市出身のアニメーション美術監督。武蔵野美術学校洋画科卒。元ムクオスタジオ主宰。“光と影と質感の詩人”の異名を持つ。 生家は代々平戸藩お抱えの焼物店だったが、本人曰く、自身が生まれた1938年頃に閉店したとのこと。高校卒業後は大阪に出て凸版印刷に就職するが、だんだん仕事に違和感を感じてきたということで2年ほどで退職。思い返せば子供の頃から絵を描くことが好きだったことから、やはり将来は絵をやっていこうと思い立って武蔵野美術学校に進学。しかし美術学校を出てもすぐに仕事は見つからず、同じ武蔵野美術学校の1年先輩でもある半藤克美に相談したところ「自分の所で仕事しないか」と誘われて虫プロダクションで仕事を始める。
小野 信輔(おの しんすけ、1938年 - )は、日本の機械… 小野 信輔(おの しんすけ、1938年 - )は、日本の機械工学者、熱工学者。九州大学名誉教授、元北九州市立大学国際環境工学部教授。日本工学アカデミー正会員。工学博士(九州大学、1976年)。 1938年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1961年に九州大学工学部機械工学科卒業後、1966年同大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学。1976年に「予混合気における発火と火炎伝ぱに関する基礎的研究」で工学博士号を取得した。 1966年九州大学工学部講師、1967年助教授を経て、1978年教授。1979年からは同大学大学院総合理工学研究科教授を併任(1998年まで)。1999年に同大学大学院工学研究科教授となり、2001年退官、名誉教授。
古賀 允洋(こが よしひろ、1938年 - 2020年4月1… 古賀 允洋(こが よしひろ、1938年 - 2020年4月13日 )は、日本のドイツ語学者。熊本大学名誉教授。長崎県出身。 1938年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校、1964年東京大学文学部ドイツ文学科卒業、1966年同大学大学院人文科学研究科(現:東京大学大学院人文社会系研究科)独語独文学専門課程修士課程修了。同年4月熊本大学に着任、同大学文学部教授などを歴任し(その間ドイツ学術交流会の奨学金によりザールブリュッケン大学に留学)、2004年に退官、名誉教授。
菊池 威雄(きくち よしお、1937年11月19日 - )… 菊池 威雄(きくち よしお、1937年11月19日 - )は、日本の国文学者。文学博士(2006年、早稲田大学にて取得)。岡崎女子短期大学元教授。 長崎県長崎市生まれ。1960年山口大学教育学部第一中等学科卒業。1962年早稲田大学大学院修士課程修了。2006年「天平の歌人大伴家持」で早稲田大学にて博士(文学)。高校教師をしながら『万葉集』を中心に古代日本文学について執筆する。岡崎女子短期大学元教授、神奈川県立衛生短期大学教授。 陶芸工房「飛天窯」主宰。短歌同人誌「伶」主宰。
江頭 邦雄(えがしら くにお、1937年10月1日 - 20… 江頭 邦雄(えがしら くにお、1937年10月1日 - 2008年4月7日)は、日本の実業家。味の素代表取締役社長・会長、経団連副会長、日本冷凍食品協会会長等を務めた。 長崎県佐世保市出身。長崎県立佐世保北高等学校卒業後、2年間の大学浪人生活を経て、一橋大学に入学。1962年同大学卒業。同年に味の素に入社。 1987年味の素取締役に就任、1997年に社長に就任、2005年に会長就任。味の素冷凍食品の分社化、油事業の分社化及びホーネンコーポレーションとの経営統合によるJ-オイルミルズ設立などを行う一方、ネスレやユニリーバなどと伍していくため世界中で積極的にM&Aを進めた。2003年欧州味の素食品設立。
野呂 邦暢(のろ くにのぶ、1937年9月20日 - 198… 野呂 邦暢(のろ くにのぶ、1937年9月20日 - 1980年5月7日)は、日本の小説家。芥川賞作家。長崎県長崎市出身。本名は納所邦暢(のうしょ くにのぶ)。自らの自衛隊体験や、戦後住んだ諫早市を舞台にした小説・随筆を数多く残した。 長崎市岩川町に土建業を営む両親のもとに、6人兄弟の次男として生まれる。1945年銭座国民学校2年の時に父が応召したため、母の実家で祖母と叔父の住む諫早市に疎開。長崎の原爆投下を目撃、この被害により長崎市に残した家財一切を失い、戦後も諫早に住む。1950年北諫早中学校に入学。1952年15歳の頃から太平洋戦争の戦記を蒐集し始める。1953年諫早高校に入学し、美術部に入部、文学や芸術一般に興味を持つ。
杉田 亮毅(すぎた りょうき、1937年7月19日 - )は… 杉田 亮毅(すぎた りょうき、1937年7月19日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。公益社団法人日本経済研究センター代表理事参与、株式会社日本経済新聞社参与。 株式会社日本経済新聞社代表取締役社長、株式会社日本経済新聞社代表取締役会長、日本記者クラブ理事長、公益社団法人日本経済研究センター会長などを歴任。2006年に株式会社日本経済新聞東京本社編集局にデジタル編集本部を設立し、2010年に発足した日経電子版のプロジェクトを開始させた立役者となった。
高井 研一郎(たかい けんいちろう、1937年7月18日 -… 高井 研一郎(たかい けんいちろう、1937年7月18日 - 2016年11月14日)は、日本の漫画家。 長崎県佐世保市出身。父が上海租界で書店を開いていたため、上海で育つ。 帰国後、『漫画少年』に投稿し、石森章太郎や赤塚不二夫と知り合う。松本晟(後の松本零士)と共に東日本漫画研究会の九州支部を結成。定時制高校卒業後は赤塚たちに誘われてトキワ荘に入居する約束をしていたが、上京してみると高井が入ろうとしていた部屋に水野英子が入居しており、トキワ荘には入れなかった。 手塚治虫のアシスタントを経て、1956年『少女』掲載の「リコちゃん」でデビュー。1960年代後半から1980年代前半まではフジオ・プロの客分扱いで赤塚不二夫の仕事を手伝いつつ、青年誌を中心にナンセンス漫画を描いていた。
稲尾 義文(いなお よしふみ、1937年4月8日 - )は、… 稲尾 義文(いなお よしふみ、1937年4月8日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(内野手)。 鎮西学院高から社会人野球の日炭高松を経て、1961年に広島カープへ入団。 1964年限りで、現役を引退。
田浦 直(たうら ただし、1937年〈昭和12年〉4月5日 … 田浦 直(たうら ただし、1937年〈昭和12年〉4月5日 - 2025年〈令和7年〉5月6日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(2期)。皮膚科医。医学博士(長崎大学)。 社会福祉法人橘会理事長、NPO法人長崎こども囲碁普及会理事長、長崎ペンクラブ会長、文芸誌「ら・めえる」発行人。 長崎県佐世保市出身。1962年(昭和37年)に長崎大学医学部を卒業し、長崎大学医学部助手、日本赤十字社長崎原爆病院皮膚科部長などを歴任した。 1969年(昭和44年)、長崎大学で医学博士を取得した。論文の題は「正常皮膚表面の水素イオン濃度に関する研究 」。 1975年(昭和50年)に田浦皮膚科診療所を開設。
大庭 宏(おおば ひろし、1937年3月31日 - )は、長… 大庭 宏(おおば ひろし、1937年3月31日 - )は、長崎県出身の元プロ野球選手(投手)。 佐世保北高校から1955年にトンボユニオンズへ入団。 1956年に球団が吸収合併したため1957年は大映ユニオンズ所属となり同年引退。カーブ、シュートを武器とした。 弟の清は、のち西鉄に入団している。
永次 廣(ながつぎ ひろし、1937年2月18日 - 201… 永次 廣(ながつぎ ひろし、1937年2月18日 - 2017年7月21日)は、日本の実業家。元安川電機会長、安川情報システム(現:YE DIGITAL)社長。長崎県長崎市出身。 1937年長崎県生まれ。1959年長崎大学経済学部卒業後、安川電機製作所(現:安川電機)に入社。取締役企画部長などを経て、1989年安川情報システム社長、1994年常務、1995年専務、1996年副社長。1999年3月期に経常赤字となるなど業績が悪化したことを受け、橋本伸一社長の下で中期経営計画を進め、産業用電気機器をはじめとした不採算部門からの撤退やロボット事業など得意とする事業分野の強化を行なった。2000年に会長就任。
山口 和彦 (やまぐち かずひこ、1937年2月5日 - )… 山口 和彦 (やまぐち かずひこ、1937年2月5日 - ) は、日本の映画監督・脚本家・テレビドラマの監督。長崎県長崎市出身。 長崎県立長崎西高等学校を経て、早稲田大学進学。卒業後、東映へ入社。東映東京撮影所に配属され、千葉真一主演映画の助監督やテレビドラマの助監督で経験を重ねる。1970年の『ずべ公番長シリーズ』で監督・脚本を始める。シリーズ物としては任侠映画で梶芽衣子の『銀蝶シリーズ』、アクション映画では志穂美悦子の『女必殺拳シリーズ』や千葉真一の『けんか空手シリーズ』などのカラテ映画を手掛け、東映ポルノも数本撮っている。東映製作のテレビドラマでは『アイフル大作戦』を皮切りに、1984年の『スクール☆ウォーズ』以降は大映テレビでも監督をしている。
間崎 ルリ子(まさき るりこ、1937年2月 - )は、日本… 間崎 ルリ子(まさき るりこ、1937年2月 - )は、日本の児童文学翻訳家、文芸評論家。本姓(夫姓)は"大月"であり、学会への参加や公的な図書館活動は大月 ルリ子(おおつき るりこ)として行っている。神戸市立図書館協議会委員(副会長)を務めた。 長崎県長崎市生まれ1937年2月。1959年慶應義塾大学図書館学科卒業。その後渡米し、ボストンのシモンズ・カレッジ(英語版)大学院で図書館学を学ぶ。図書館学修士課程修了後、ニューヨーク公共図書館児童室に勤務。1961年帰国後アメリカンスクールの図書館に勤務。1963年に翻訳した『もりのなか』がロングセラーとなる。1968年から2015年まで47年間にわたり、神戸市東灘区で毎週土曜午後1時から5時まで私設の児童図書館(子ども文庫)「鴨の子文庫」を主宰し開いていた。
木下 豊房(きのした とよふさ、1936年12月10日 - … 木下 豊房(きのした とよふさ、1936年12月10日 - 2025年2月26日)は、日本のロシア文学者、比較文学者。千葉大学名誉教授。ドストエーフスキイの会前代表。国際ドストエフスキー学会(IDS)元副会長。 長崎市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程(露文専攻)修了。千葉大学教養部教授、文学部教授を経て2002年定年退官、名誉教授。ドストエフスキー、および日本におけるドストエフスキー受容に関して研究。2000年8月、千葉大学国際ドストエフスキー研究集会「ドストエフスキーの眼で見た21世紀人類の将来」を主宰。 亀山郁夫の新訳『カラマーゾフの兄弟』について誤訳が多いことの指摘の他に、亀山著のドストエフスキー論に見られる作家像の恣意的な解釈、歪曲について批判している。
長岡 秀星(ながおか しゅうせい、1936年11月26日 -… 長岡 秀星(ながおか しゅうせい、1936年11月26日 - 2015年6月23日)は、日本のイラストレーター・画家。宇宙やSFをイメージした作風で国際的に活躍し、レコードジャケットのアートワークを多数手掛けたことで知られる。本名は長岡 秀三(ながおか しゅうぞう)。
石黒 修(いしぐろ おさむ、1936年8月12日 - 201… 石黒 修(いしぐろ おさむ、1936年8月12日 - 2016年11月9日)は、日本の男子プロテニス選手。日本プロテニス界のパイオニアとして活躍した名選手である。次男は俳優の石黒賢。父はタービン設計者の石黒九一、祖父は土木技術者の石黒五十二、曽祖父は加賀藩の国学者の石黒千尋。 長崎県長崎市出身。8歳の時に長崎市で原子爆弾に被爆。午前11時2分には民家に入っていたためかろうじて助かった。戦後は父・九一の仕事の都合で神戸市で育つ。 中学1年生の時にテニスを始める。甲南中学校・高等学校(2年先輩に松岡功)、慶應義塾大学法学部政治学科、三菱電機へ進み、全日本ジュニア、インターハイ、インカレを制する。 1961年にはデビスカップの代表に選ばれ、東洋ゾーン準決勝で奇跡の逆転勝利を演出した。
三末 篤實(みすえ あつみ、Joseph Atsumi Mi… 三末 篤實(みすえ あつみ、Joseph Atsumi Misue, 1936年4月24日-2016年6月28日)は、日本のカトリック教会聖職者でカトリック広島司教区第2代司教。洗礼名は「ヨゼフ」。 長崎県平戸市で祖母を隠れキリシタンに持つ6人兄弟の3男として生まれた。当時は生後間もなく亡くなることもあったため、生後2時間に宝亀カトリック教会で受洗している。1952年3月に平戸市宝亀中学校卒業後、長崎公教神学校に入った。1955年3月に長崎南山高等学校を卒業し、1962年3月に福岡サン・スルピス大神学院卒業。同年3月19日に大浦天主堂で長崎教区山口愛次郎大司教から司祭に叙階された。 叙階後は、飽の浦、大浦、浦上教会の助任司祭を経て1969年に神ノ島教会で主任司祭。
西岡 武夫(にしおか たけお、1936年〈昭和11年〉2月1… 西岡 武夫(にしおか たけお、1936年〈昭和11年〉2月12日 - 2011年〈平成23年〉11月5日)は、日本の政治家。従二位桐花大綬章。 衆議院議員(11期)、参議院議員(2期)、文部政務次官(第3次佐藤内閣)、新自由クラブ幹事長、文部大臣(第111・112代)、自由民主党総務会長、新進党幹事長、参議院議長(第28代)などを歴任。 1963年(昭和38年)11月、衆議院議員を5期務めた父・竹次郎と、吉田茂が率いる自由党初の女性参議院議員として婦人参政権運動に尽力した母・ハルの地盤を引継いだ世襲候補として第30回衆議院議員総選挙に無所属で立候補。4位当選を果たし、自民党の追加公認を受ける。前職の国会議員である母とともに初登院した。
脇山 順子(わきやま じゅんこ、1936年 - )は、日本の… 脇山 順子(わきやま じゅんこ、1936年 - )は、日本の料理研究家。元長崎女子短期大学教授。長崎の味研究グループ代表を務め、長崎の食文化について研究している。 1936年、長崎県長崎市生まれ。長崎市立桜馬場中学校、長崎県立長崎東高等学校を経て、長崎大学学芸学部(現・教育学部)を卒業。 長崎女子商業高等学校の家庭科教員、長崎総合科学大学附属高等学校の非常勤講師を経て、1983年から2002年まで長崎女子短期大学で調理学・食育学を教えた。その後も県立長崎シーボルト大学やこころ医療福祉専門学校などで非常勤講師を務めた。 長崎の食文化についての研究に努め、ながさきの「食」推進委員会食育部会会長や長崎市地産地消アドバイザーを歴任。
茜 まさお(あかね まさお、1935年11月21日 - 20… 茜 まさお(あかね まさお、1935年11月21日 - 2022年9月5日)本名:山口良一は、日本の作詞家・作曲家。元歌手。全日本音楽著作家協会・常任理事(詩)2003年。日本作詩家協会 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
大和屋 隆喜(やまとや たかき、1935年(昭和10年)11… 大和屋 隆喜(やまとや たかき、1935年(昭和10年)11月 - )は、日本の実業家。元新日鉄化学社長、新日本製鉄常務取締役。長崎県出身。 1935年(昭和10年)長崎県生まれ。1959年(昭和34年)一橋大学経済学部卒業後、八幡製鉄に入社。以後営業畑を歩み、八幡製鉄所生産業務部長・本社自動車鋼板販売部長などを経て、1989年(平成元年)6月、八幡製鉄所副所長。当時の好況に浮かれる所内の引き締めを図った。1991年(平成3年)堺製鉄所所長、1993年(平成5年)新日本製鉄常務取締役、1995年(平成7年)新日鉄化学副社長を経て、1997年(平成9年)同社社長に就任。新日鉄化学は当時、1994年(平成6年)の為替差損問題で経営危機に陥っており、副社長時代から一貫して経営再建に取り組んだ。
松尾展成(まつお のぶしげ、1935年8月24日- )は、日… 松尾展成(まつお のぶしげ、1935年8月24日- )は、日本の経済史学者、岡山大学名誉教授。 長崎県島原市出身。1964年東京大学大学院経済史博士課程満期退学、岡山大学法文学部助手、講師、助教授、経済学部教授。94年「ザクセン農民解放史研究序論」で東大経済学博士。2001年定年退官、名誉教授。ザクセン王国の経済史が専門。
河村 幹夫(かわむら みきお、1935年8月3日 - 201… 河村 幹夫(かわむら みきお、1935年8月3日 - 2019年11月27日)は、日本の実業家、経営学者、博士(経営学)、シャーロキアン。アーサー・コナン・ドイル研究の第一人者。日本推理作家協会名誉会員。長崎市生まれの愛知県育ち。
美輪 明宏(みわ あきひろ、1935年〈昭和10年〉5月15… 美輪 明宏(みわ あきひろ、1935年〈昭和10年〉5月15日 - )は、日本の歌手。俳優・演出家・タレント・声優・コメンテーター・ナレーターとしても活動している。 長崎県長崎市出身。本名及び1971年までの芸名は丸山 明宏(まるやま あきひろ)で、幼名は臣吾(しんご)。愛称はマルさん。 海星中学校を経て国立音楽大学附属高校を中退した。兄と姉と弟のいる五人兄弟の次男。自らの個人事務所である「株式会社オフィスミワ」所属。身長161cm。 1935年(昭和10年)5月15日(水曜日)、長崎県長崎市で、寺田作一・ヌメの間に、5人兄弟の次男として誕生する。出生名は寺田臣吾だった。母の実家の跡継ぎとして養子に出され、「丸山臣吾」へと改姓する。
下田 直春(しもだ なおはる、1935年4月25日 - 19… 下田 直春(しもだ なおはる、1935年4月25日 - 1994年11月30日)は、日本の社会学者。 長崎県島原市生まれ。早稲田大学第一文学部社会学科卒、同大学院社会科学研究科博士課程満期退学。1982年「社会学的思考の基礎 社会学基礎理論の批判的展望」で早大文学博士。立教大学社会学部助教授、教授。
中尾 郁子(なかお いくこ、1935年4月24日 - )は、… 中尾 郁子(なかお いくこ、1935年4月24日 - )は、日本の政治家。元長崎県五島市長(2期)、元福江市議会議員(4期)。長崎県初の女性首長である。 父親は長崎県知事を務めた久保勘一。 長崎県南松浦郡三井楽町(現・五島市)出身。長崎県立長崎東高等学校卒業。長崎県庁に入庁。 1990年(平成2年)9月、福江市(現・五島市)議会選挙に出馬し、初当選。以後、同市議を4期つとめる。 2004年(平成16年)8月1日、福江市、南松浦郡富江町、南松浦郡玉之浦町、南松浦郡三井楽町、南松浦郡岐宿町、南松浦郡奈留町の合併(新設合併)により五島市が発足する。それに伴って同年9月5日に執行された五島市長選挙に無所属で出馬。
平山 祐次(ひらやま ゆうじ、1935年3月16日 - )は… 平山 祐次(ひらやま ゆうじ、1935年3月16日 - )は、日本の経済学者。信州大学名誉教授、元長崎県立大学学長。専門は近代経済学、産業構造論。 長崎県福江市(現・五島市)生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1960年東京大学経済学部卒業後、経済企画庁入庁。同庁経済研究所主任研究官を経て、1978年に信州大学助教授となり、1982年教授。同大学附属図書館長などを務め、2000年に退官、名誉教授。2002年に長崎県立大学学長となり、2005年まで務めた。2008年に長崎県立大学名誉教授。アルカスSASEBOの館長も務めた。
井村 健輔(いむら けんすけ、1935年3月2日 - )は、… 井村 健輔(いむら けんすけ、1935年3月2日 - )は、日本の実業家。元不二越会長・社長。長崎県出身。 1935年(昭和10年)生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1957年に長崎大学経済学部を卒業し、同年不二越入社。取締役、常務取締役、代表取締役専務などを経て、1998年2月社長に就任した。事業部門の再編や同業他社との業務提携を進めたほか、不二越の創業70年を記念してコーポレートマークの改定を行なった。また、第二次世界大戦中に強制労働を強いられたとして元女子勤労挺身隊員の3名が雇用企業である不二越に損害賠償と謝罪を求めていた「不二越訴訟」について、第一審・第二審ともに不二越側の全面勝訴であったにもかかわらず、2000年7月に最高裁での和解に踏み切った。
金子 源吉(かねこ げんきち、1935年2月23日 - )は… 金子 源吉(かねこ げんきち、1935年2月23日 - )は、日本の実業家。テレビ長崎会長、元社長。父は農林水産大臣を務めた金子岩三、弟は長崎県知事を務め現参議院議員の金子原二郎。 1935年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1959年に慶応義塾大学法学部卒業後、金子商店に入社。1970年専務、1975年金子漁業(金子商店から社名変更)副社長を経て、1984年社長に就任。父は金子漁業グループ創業者で元農林水産大臣の金子岩三であり、実弟の金子原二郎が政界を、自身が財界を引き継ぐという分業体制を成立させた。1986年には父・岩三が設立に携わったテレビ長崎社長に就任。以後26年にわたって務め2012年同社会長となり、2020年4月一身上の都合で退任した。
徳永 陽一郎(とくなが よういちろう、1935年〈昭和10年… 徳永 陽一郎(とくなが よういちろう、1935年〈昭和10年〉1月14日 - )は、長崎県出身の特定失踪者。特定失踪者問題調査会では「拉致濃厚」(1000番台リスト)としている。1953年(昭和28年)10月、長崎県長崎市の自宅を出たのち失踪した。失踪当時は18歳であった。 1935年〈昭和10年〉1月14日生まれ。長崎市で染料店の店員として働いていた。職種は配達員であった。1953年(昭和28年)10月7日、長崎市の自宅を出たのち失踪。失踪当時18歳。別の新しい勤務先の話があり、履歴書を書いている途中で突如いなくなった。その履歴書に貼るための写真を店に受け取りに行こうとしていたが、その前に失踪した。
佐々治 寛之(ささじ ひろゆき、1935年 - 2006年8… 佐々治 寛之(ささじ ひろゆき、1935年 - 2006年8月1日)は、日本の動物学者。 長崎県出身。旧姓・神谷。長崎県立長崎東高等学校、九州大学農学部卒、同大学院、1967年農学博士(九州大学)。福井大学教育学部助教授、教授。99年定年退官、名誉教授。 佐々治寛之は、甲虫類、とくにテントウムシを中心とする標本の収集・整理にも尽力し、その結果得られた標本群は佐々治寛之コレクションとして九州大学総合研究博物館のデータベースとして公開されている。現在公開されているデータには学名・採集年月日・採集地・採集者などが収録され、2020年12月末時点での標本データは4,456件である。
太田 一也(おおた かずや、1934年12月14日 - )は… 太田 一也(おおた かずや、1934年12月14日 - )は日本の火山学者、地質学者。九州大学名誉教授。長崎県南高来郡国見町出身。九州大学理学部教授(1988-1994年)。九州大学理学部卒、九州大学大学院中退。専門分野は火山学、温泉学。2015年現在、島原市弁天町在住。
前畑 安宏(まえはた やすひろ、1934年8月1日 - )は… 前畑 安宏(まえはた やすひろ、1934年8月1日 - )は、日本の文部官僚。元文部省体育局長、高等教育局長、生涯教育局長。放送大学学園法の法案作成に携わった。長崎県出身。 1934年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1960年九州大学法学部を卒業後、文部省に入省。入省同期に坂元弘直(元文部事務次官)、内田弘保(元文化庁長官)らがいる。大学局高等教育計画課企画官時代の1978年には放送大学学園法の法案作成チームリーダーを務めた。その後文化庁文化部長などを経て、文部省官房審議官、体育局長、高等教育局長、生涯教育局長を歴任し、1993年に退官。退職後は放送大学学園監事、日本一輪車協会会長などを務めた。
古賀 力(こが つとむ、1934年3月29日 - 2018年… 古賀 力(こが つとむ、1934年3月29日 - 2018年5月26日)は、長崎県佐世保市出身のシャンソン歌手、作詞家、訳詞家。 青山学院大学卒業。独学でシャンソンを学ぶ。1958年、シャンソン喫茶「ジロー」でデビュー。銀巴里、日劇ミュージックホールに出演し人気シャンソン歌手となる。1968年、自身の店として赤坂に「ブン」をオープン、シャルル・アズナヴールやジルベール・ベコー、レオ・フェレ、ジュリエット・グレコなど錚々たる世界的スターが出演する人気店となる。2011年閉店。 シャンソン歌手としての活動と並行して訳詞家としても活躍、とくにジャン・フェラ(英語版)の「ふるさとの山」は日本人に分かりやすい表現で訳した名曲として多くの歌手にカバーされた。
山下 弘文(やました ひろふみ、1934年2月19日 - 2… 山下 弘文(やました ひろふみ、1934年2月19日 - 2000年7月21日)は日本の自然保護活動家。長崎県出身。高知大学文理学部卒業。 長崎県長崎市出身。佐賀県水産試験場有明海分場(現・佐賀県有明水産振興センター)、長崎水族館勤務をへて、1973年長崎県諫早地区労事務局長。1989年エコロジカルプランニング研究所代表。1997年諫早干潟緊急救済本部代表。1991年日本湿地ネットワーク (JAWAN)代表。1998年ゴールドマン環境賞を受賞。 諫早湾干拓事業に反対するなど、干潟の保護活動に努めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
平湯 文夫(ひらゆ ふみお、1934年 - )は、日本の図書… 平湯 文夫(ひらゆ ふみお、1934年 - )は、日本の図書館学者・教育者。学校図書館と公共図書館の活性化に尽力し、「平湯モデル」と呼ばれる図書館家具・環境設計手法を確立した。現在は長崎純心大学名誉教授。 略歴は以下のとおりである。 1934年に長崎県南高来郡加津佐町(現南島原市)に生まれ、1949年の中三に上京。神田の古本屋をまわり、兄の知り合いだった映画監督、山本薩夫に蔵書を読ませてもらったことが図書館づくりの原点となる。 1950年、都立西高に入学。1950年7月南高来郡に帰り、長崎県立口加高等学校に編入。1956年、東京学芸大学卒業 1958年、長崎の国語科高校教諭となり、初任地は対馬。
河津 憲一(かわづ けんいち、1933年12月4日 - )は… 河津 憲一(かわづ けんいち、1933年12月4日 - )は長崎県長崎市出身の元プロ野球選手。1958年から1961年までは、河津 宏紀(-ひろき)。
浜口 義曠(はまぐち よしひろ、1933年9月2日 - 20… 浜口 義曠(はまぐち よしひろ、1933年9月2日 - 2021年8月31日)は、日本の農林水産官僚。元大臣官房長、食糧庁長官、農林水産事務次官。コメ行政に携わり、ウルグアイ・ラウンドにおける交渉にはコメ開放に反対する立場で取り組んだ。退官後は日本中央競馬会理事長などを務めた。長崎県出身。東京大学法学部卒業。 1933年、長崎県長崎市生まれ。終戦まで中華人民共和国の上海市で育つ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1958年に東京大学法学部を卒業後、農林省(現:農林水産省)入省。入省同期には浜口の後任として事務次官を務めることとなる京谷昭夫がいる。 経済局金融課長、大臣官房総務課長、大臣官房秘書課長、農蚕園芸局長、大臣官房長などを経て、1989年食糧庁長官に就任し、コメ行政に中心人物として携わった。
山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )… 山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )は、日本の裁判官、弁護士。元東京高等裁判所判事、東京地方裁判所部総括判事。日本で初めてプライバシー権を認めた「宴のあと」事件第一審判決などに関わった。また、司法研修所教官として司法修習生や裁判官の教育に取り組んだ。退官後、目黒公証役場公証人、第二東京弁護士会所属の弁護士となったほか、大東文化大学法科大学院教授を務めた。
村木 文郎(むらき ふみろう、1933年5月27日 - 20… 村木 文郎(むらき ふみろう、1933年5月27日 - 2019年11月14日)は、日本の実業家。野母商船グループ会長。旅客船業界に係る各種団体の会長・委員等を務め、海運事業振興に努めた。 1933年長崎県生まれ。祖父は野母商船創業者の村木清三郎、父は日本旅客船協会の設立に関わり、同協会会長を務めた村木信一郎。長崎県立長崎東高等学校を経て、1956年一橋大学商学部卒業後、野母商船に入社。1964年専務を経て、1991年社長。2006年から2011年まで日本旅客船協会会長を務め、高速道路無料化に反対するなど業界の意見を発信した。また、離島を多く抱える長崎県における海上交通の振興にも努め、島民らを対象として運賃を割引する制度を打ち出すなどした。
田近 洵一(たぢか じゅんいち、1933年3月1日 - )は… 田近 洵一(たぢか じゅんいち、1933年3月1日 - )は、日本の国語教育学者。東京学芸大学名誉教授。 長崎県島原市生まれ。長崎県立島原高等学校卒業後、1955年、横浜国立大学学芸学部乙類国語科卒業。川崎市や都立校の教員として勤務しながら、1959年、東京教育大学教育学部研究生となる。1969年、横浜国立大学教育学部講師、1971年助教授。1974年、東京学芸大学教育学部助教授、1977年教授。1996年、同大学を定年退職、名誉教授。1998年、早稲田大学特任教授。2002年同大学を退職。 1975年、全国大学国語教育学会賞石井賞を受賞した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高瀬 暢彦(たかせ のぶひこ、1933年2月22日 - )は… 高瀬 暢彦(たかせ のぶひこ、1933年2月22日 - )は、日本の法学者。日本大学名誉教授。専門は法哲学、基礎法学、日本近代法史。明治期の政治家である金子堅太郎研究の第一人者とされる。 日本大学大学院法学研究科私法学専攻修了。日本大学法学部教授を務め、筑波大学第三学群講師、埼玉大学経済学部講師を兼任した。