大原 徹也(おおはら てつや、1957年7月24日 - )は… 大原 徹也(おおはら てつや、1957年7月24日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(内野手)。
熊本県:167人
大原 徹也(おおはら てつや、1957年7月24日 - )は… 大原 徹也(おおはら てつや、1957年7月24日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(内野手)。
中野 英明(なかの ひであき、1957年7月17日 - )は… 中野 英明(なかの ひであき、1957年7月17日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(投手)。
蓬莱 昭彦(ほうらい あきひこ、1957年4月24日 - )… 蓬莱 昭彦(ほうらい あきひこ、1957年4月24日 - )は、岡山県岡山市生まれ、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(外野手)。
今井 譲二(いまい じょうじ、1956年11月1日 - )は… 今井 譲二(いまい じょうじ、1956年11月1日 - )は、熊本県宇土郡三角町(現:宇城市)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。
渡辺 長助(わたなべ ちょうすけ、1956年10月11日 -… 渡辺 長助(わたなべ ちょうすけ、1956年10月11日 - 2011年6月28日)は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・スコアラー。
山内 孝徳(やまうち たかのり、1956年8月5日 - )は… 山内 孝徳(やまうち たかのり、1956年8月5日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。
原田 末記(はらだ すえき、1956年6月25日 - )は、… 原田 末記(はらだ すえき、1956年6月25日 - )は、熊本県山鹿市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
谷 宏明(たに ひろあき、1956年4月7日 - 2024年… 谷 宏明(たに ひろあき、1956年4月7日 - 2024年3月15日)は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(投手)。 熊本第一工業高等学校では、エースとして1974年夏の甲子園予選中九州大会決勝に進むが、佐伯鶴城高に敗退、甲子園出場を逸する。同年のドラフトで近鉄バファローズから5位指名を受けた。背番号は53。 1976年10月13日に後楽園球場で行われたロッテオリオンズ戦で7回裏に中継ぎ(敗戦処理)としてプロ初登板し、1回0/3を3失点で降板。チームも3-10で敗れた。 1980年6月30日に日本生命球場で行われたロッテ戦で9回2失点の完投で、プロ初勝利を挙げた。 1982年には速球とスライダーを武器に自身初となる二桁勝利の11勝を挙げる。
山下 浩二(やました こうじ、1955年12月20日 - 2… 山下 浩二(やました こうじ、1955年12月20日 - 2007年3月12日)は、熊本県出身のプロ野球選手(投手)。 熊本県立第二高等学校からドラフト2位で1974年に阪急ブレーブスへ入団。同年のドラフトで広島から5位指名を受けた野村豊とバッテリーを組んだ。入団を拒否した江川卓に次ぐ2位指名の投手であったために早くから期待されたが7年間で4試合しか一軍では投げられず、勝ち星も無いまま、1980年を最後に引退。アンダースローからシンカーを武器とする。 2007年3月12日、胃癌のため死去。享年51。
福嶋 正信(ふくしま まさのぶ、1955年11月24日 - … 福嶋 正信(ふくしま まさのぶ、1955年11月24日 - )は、熊本県出身の日本の高校野球指導者。通称″おやじ″ 八代東高校、日本体育大学を経て、1979年に都立足立工業高校に着任。 その後は、都立葛飾野高校、都立江戸川高校を経て、2005年からは都立小山台高校野球部監督に就任。2014年春には現在福岡ソフトバンクホークスに所属する伊藤優輔を擁し、21世紀枠で都立高校初めての選抜大会出場を果たした。その後も2018年、2019年夏には東東京大会で準優勝の成績を修めるなど都立の進学校でありながらも、都内有数の強豪校に成長させている。
恒村 勝美(つねむら かつみ、1955年1月3日 - )は、… 恒村 勝美(つねむら かつみ、1955年1月3日 - )は、熊本県出身の元プロ野球投手。左投左打。 熊本県立球磨工業高等学校では、荒けずりだが、一試合平均2ケタの三振を奪う速球投手。ストレートとシュートが武器。 1972年に読売ジャイアンツからドラフト6位指名され入団。 1975年に一軍公式戦に出場する事がないまま引退。
中島 弘美(なかじま ひろみ、1954年7月21日 - )は… 中島 弘美(なかじま ひろみ、1954年7月21日 - )は、日本熊本県出身の元プロ野球選手(ポジションは投手)。1977年から1978年までの登録名は、中島 啓助(〜けいすけ)。
釘谷 肇(くぎたに はじめ、1954年4月30日 - )は、… 釘谷 肇(くぎたに はじめ、1954年4月30日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 八代東高から1973年ドラフト2位でヤクルト入団。二軍暮らしが長かったが長打力には定評があり、キャンプでは「和製大砲」、「アリゾナの星」と期待された。1975年、1976年と2年連続でジュニアオールスターにも出場。1981年には一軍に定着、5月末から外野手として7試合連続で先発に起用され、24打数9安打と活躍するが直後に故障欠場。1983年も5月から27試合に先発出場、打率.304、5本塁打の成績を残すが、またも8月に故障し先発から外れる。その後もレギュラーには定着できなかった。1985年限りで現役引退。
新美 敏(にいみ さとし、1952年8月2日 - )は、熊本… 新美 敏(にいみ さとし、1952年8月2日 - )は、熊本県宇土市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 PL学園高校では3年次の1970年、エース投手・5番打者として夏の甲子園に出場。田代克業(中大-本田技研)との二本柱で勝ち進み、決勝に進出するが東海大相模に敗れ準優勝に終わる。同年秋の岩手国体では、決勝で大分商の小川清一に投げ勝ち優勝。PL学園では同期の新井宏昌、1学年下の行澤久隆がチームメイトであった。 高校卒業後、1971年に日本楽器へ入社。1972年の都市対抗では池谷公二郎との二本柱で勝ち進む。決勝では三菱自動車川崎の池田善吾と投げ合い完封勝ち、初優勝を飾る。この大会では3回戦で三菱名古屋から大会史上3人目の毎回奪三振を記録するなど大きな注目を浴び、橋戸賞を受賞。
柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 -… 柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家・YouTuber。 実家はイグサ農家で、母親は代用教員をしていたという家庭だった。4人きょうだいの第3子(姉、兄、妹がいる)。高校から本格的に野球を始め、八代東高校では3年次の1970年、春の選抜にエースとして出場。1回戦で日大三高の渡部良克(日大)と投げ合うも0-2で完封負けを喫した。同年の夏の甲子園県予選では、準々決勝で熊本一工に延長15回の末、敗退した。 同年のドラフトで南海ホークスから8位指名を受け、外野手として入団。当時は中央球界ではまだ無名の存在で、地元のファンがたまたま訪れていた南海のスカウトに紹介したことがそのままプロ入りに繋がったという。
金井 正幸(かない まさよし、1952年5月25日 - )は… 金井 正幸(かない まさよし、1952年5月25日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。
迫丸 金次郎(さこまる きんじろう、1951年7月27日 -… 迫丸 金次郎(さこまる きんじろう、1951年7月27日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。1978年より登録名を迫丸 公勝(さこまる こうしょう)としている。 熊本第一工業高等学校では1969年夏の甲子園県予選準決勝で熊本工に敗退、中九州大会には進めなかった。 卒業後は愛知学院大学へ進学し 同大学野球部所属。愛知大学リーグでは、1年春のリーグ戦で新人賞に選ばれた。同郷同期のエース小林秀一を擁し、1973年春季リーグで優勝を飾る。同年の全日本大学野球選手権大会でも3本塁打の活躍で初めて決勝に進出するが、中大の田村政雄に抑えられ敗退、準優勝にとどまる。同年の第2回日米大学野球選手権大会日本代表にも小林とともに選出された。
前田 亨(まえだ とおる、旧名:享。1950年12月16日 … 前田 亨(まえだ とおる、旧名:享。1950年12月16日 - )は、熊本県出身のプロ野球審判・元プロ野球選手。
福永 栄助(ふくなが えいすけ、1950年4月16日 - )… 福永 栄助(ふくなが えいすけ、1950年4月16日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手、外野手。フジテレビアナウンサーの福永一茂は息子。
内田 照文(うちだ てるふみ、1949年6月3日 - )は、… 内田 照文(うちだ てるふみ、1949年6月3日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。
松枝 三男(まつえだ みつお、1948年11月6日 - )は… 松枝 三男(まつえだ みつお、1948年11月6日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。 熊本第一工業高(現・開新高)では田尻茂敏の控えながら中九州大会でも登板したが敗れた、社会人野球のトヨタ自動車に3年間在籍し、1969年にドラフト外で大洋ホエールズへテスト入団。 ピッチングも速球でグイグイ押して行く荒っぽさでカーブやシンカーが武器。陸上選手のボブ・ヘイズを思わせる投法はダイナミックで柔軟な体と上背を利しての速球は威力十分と評されていた。 1972年に、一軍公式戦に出場がないまま引退。
長島 吉邦(ながしま よしくに、1948年10月21日 - … 長島 吉邦(ながしま よしくに、1948年10月21日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。
田尻 茂敏(たじり しげとし、1948年5月30日 - )は… 田尻 茂敏(たじり しげとし、1948年5月30日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 熊本第一工業高校でエースとして活躍。1965年秋季九州大会県予選決勝に進むが、熊本二高に敗退。翌1966年夏の甲子園県予選を勝ち抜き、中九州大会に進む。準決勝では別府鶴見丘高の大場隆広に投げ勝つが、決勝で岩崎忠義のいた津久見高に敗れ甲子園出場を逸する。高校同期に松枝三男がいた。 1966年第1次ドラフト会議でサンケイアトムズから6位指名を受け入団。1968年には中継ぎとして3試合に登板。オーバースローからドロップ、今で言うカーブ、シュートを武器にしていた。 1970年オフに読売ジャイアンツへ移籍し、1975年限りで引退した。
柳田 真宏(やなぎだ まさひろ、本名:柳田 俊郎(やなぎだ … 柳田 真宏(やなぎだ まさひろ、本名:柳田 俊郎(やなぎだ としろう)、1948年5月21日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(外野手)、俳優・歌手。
豊永 隆盛(とよなが りゅうせい、1947年8月1日 - )… 豊永 隆盛(とよなが りゅうせい、1947年8月1日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。
池田 純一(いけだ じゅんいち、1946年5月15日 - 2… 池田 純一(いけだ じゅんいち、1946年5月15日 - 2005年5月17日)は、熊本県荒尾市出身のプロ野球選手(外野手)。1971年から1976年までは、池田 祥浩(いけだ よしひろ)という登録名を用いていた。 中学3年次の1961年までは右打者であったが、右肩を脱臼したことをきっかけに左打者へ転向した。 卒業後は1962年に八代東高校へ進学し、投手兼右翼手の4番打者として活躍。2年次の1963年の秋季九州大会では、同級生の沢村周二とのダブルエースで準々決勝にまで進んだが、打線が中津東の秋元肇に抑えられた末に敗退。3年次の1964年には夏の甲子園中九州大会決勝で佐伯鶴城の山中正竹に投げ勝ち、本大会では開幕試合で掛川西と対戦。
田端 謙二郎(たばた けんじろう、1946年5月8日 - )… 田端 謙二郎(たばた けんじろう、1946年5月8日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)。
脇坂 隆志(わきさか たかし、1945年6月30日 - )は… 脇坂 隆志(わきさか たかし、1945年6月30日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。
中村 光良(なかむら みつや、1944年7月31日 - )は… 中村 光良(なかむら みつや、1944年7月31日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(投手)・プロ野球指導者。
与田 順欣(よだ よりのぶ、1943年10月3日 - )は、… 与田 順欣(よだ よりのぶ、1943年10月3日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
松岡 功祐(まつおか こうすけ、1943年2月9日 - )は… 松岡 功祐(まつおか こうすけ、1943年2月9日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
佐藤 元彦(さとう もとひこ、1943年1月1日 - )は、… 佐藤 元彦(さとう もとひこ、1943年1月1日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(投手)。 熊本高校では、1960年の夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、熊本商に敗退。高校時代はオーバースローだったが、慶應義塾大学への進学と同時にサイドスローに転向。しかし入学当時の慶大は、最上級生に早慶六連戦で名を馳せた角谷隆、清沢忠彦ら、3年生に1962年秋季リーグベストナインの藤悟郎がいる投手王国であった。同期でも渡辺泰輔が台頭し、佐藤にはなかなか東京六大学野球リーグでの登板機会がなかった。しかし大学最後のシーズンである1964年秋季リーグでは、渡辺の調子が上がらない中で、慶大を3季ぶりの優勝に導く活躍を見せる。
山本 公士(やまもと こうし、1942年8月6日 - )は、… 山本 公士(やまもと こうし、1942年8月6日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(外野手)。
江藤 省三(えとう しょうぞう、1942年4月29日 - )… 江藤 省三(えとう しょうぞう、1942年4月29日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。 元プロ野球選手・監督の江藤慎一は実兄。 慶應義塾大学では、2009年から2013年まで監督、2014年6月まで助監督を務めた。 父・哲美は戦前、 八幡製鐵で投手として活躍し、その後も省三が進学した西部中学校で監督を務めるなど、野球一色の人生であった。無類の野球好きで、現役引退後も野球三昧の日々であった父を見て、省三は子供心にその印象が強かったのか、大きくなったら野球をすると自然に思っていた。男ばかりの4人兄弟で長兄の愼一が既に野球をやっていて、体も大きく、とても上手かったことも大きく影響したが、幼少期に父から直接、球の投げ方ひとつさえ、野球の指導を受けたことは一度もなかった。
末次 利光(すえつぐ としみつ、1942年3月2日 - )は… 末次 利光(すえつぐ としみつ、1942年3月2日 - )は、熊本県人吉市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。旧名は民夫(たみお、1974年に改名)。
古賀 英彦(こが ひでひこ、1939年9月3日 - )は、熊… 古賀 英彦(こが ひでひこ、1939年9月3日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・コーチ・監督。
前田 益穂(まえだ ますほ、1939年5月24日 - )は、… 前田 益穂(まえだ ますほ、1939年5月24日 - )は、熊本県飽託郡託麻村(現:熊本市東区)出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
江藤 愼一(えとう しんいち、1937年10月6日 - 20… 江藤 愼一(えとう しんいち、1937年10月6日 - 2008年2月28日)は、熊本県山鹿市出身(福岡県北九州市生まれ)の元プロ野球選手(捕手、内野手、外野手)・監督、解説者。「愼」の字を新字体にした江藤 慎一の表記で広く知られる。
江藤 慎一(えとう しんいち、1937年10月6日 - 20… 江藤 慎一(えとう しんいち、1937年10月6日 - 2008年2月28日)は、熊本県山鹿市出身(福岡県北九州市生まれ)のプロ野球選手(捕手、内野手、外野手)・監督、解説者。 前妻は元宝塚歌劇団44期生の瀬戸みちる。次女のはやせ翔馬は74期生。プロ野球選手、コーチ、慶大の監督を務めた江藤省三は実弟。 北九州で生まれたが、太平洋戦争による集団疎開で各地を転々とし、幼少時より新聞配達やアイスキャンディー売りなどで家計を助けていた。八幡製鐵で外野手を務めていた父から野球を教わり、捕手となる。小学4年次の1947年に母の郷里である山鹿へ引っ越す。中学進学後の1950年から本格的に野球を始め、4番・捕手として県大会に出場するなど活躍した。
山村 幹弘(やまむら みきひろ、1936年5月23日 - )… 山村 幹弘(やまむら みきひろ、1936年5月23日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
中村 和臣(なかむら かずおみ、1935年9月16日 - )… 中村 和臣(なかむら かずおみ、1935年9月16日 - )は熊本県菊池郡津田村(現:菊陽町)出身の元プロ野球選手。
島田 雄二(しまだ ゆうじ、1935年1月1日 - )は、熊… 島田 雄二(しまだ ゆうじ、1935年1月1日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。
高倉 照幸(たかくら てるゆき、1934年12月8日 - )… 高倉 照幸(たかくら てるゆき、1934年12月8日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(外野手)。
坂上 惇(さかがみ あつし、1934年10月22日 - 20… 坂上 惇(さかがみ あつし、1934年10月22日 - 2019年6月29日)は、熊本県玉名郡玉名町出身のプロ野球選手(投手)。 玉名高校から1952年に西鉄ライオンズへ入団。 1954年シーズンにはローテーションに入り、7勝を挙げた。 1955年シーズン途中に大映スターズへ移籍。1957年に引退。 引退後、「坂上式バッティングマシン」を発案。知人で発明家だった河辺忠夫に相談して開発したもので、当時、自動式の打撃練習マシンは国内外にはなく、試作機を試した中西太や、長嶋茂雄も驚いたという。 そして旧交があった中澤会長のお墨付きをもらい、西鉄ライオンズや巨人軍など8球団が次々に導入。販売を手がける坂上は一躍、時の人となった。
坂本 盛明(さかもと もりあき、1934年5月5日 - 19… 坂本 盛明(さかもと もりあき、1934年5月5日 - 1987年11月3日)は、熊本県出身のプロ野球選手。
古田 昌幸(ふるた まさゆき、1933年9月30日 - 19… 古田 昌幸(ふるた まさゆき、1933年9月30日 - 1999年7月30日)は、熊本県熊本市出身の野球選手(内野手)・監督。
岡本 健一郎(おかもと けんいちろう、1933年2月16日 … 岡本 健一郎(おかもと けんいちろう、1933年2月16日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手)・解説者。 済々黌高では1950年、エース岡本和弘(明大-日立製作所)を擁し、夏の甲子園に一塁手として出場。準決勝に進むが大久保英男のいた鳴門高に敗退。高校同期に大学、プロ野球でもチームメートとなる遊撃手の片山嘉視がいた。卒業後は専修大に進学。東都大学野球リーグでは在学中に4回優勝。1954年の全日本大学野球選手権大会では準決勝に進出するが、秋山登らのいた明大に敗れる。1953年秋季リーグから2季連続でリーグ打撃成績2位を記録し、東都のスラッガーとして注目された。片山以外の大学同期に渡辺清がいる。
片山 嘉視(かたやま よしみ、1932年4月22日 - )は… 片山 嘉視(かたやま よしみ、1932年4月22日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。 済々黌高校から専修大学を経て1955年に阪急ブレーブスへ入団。1956年に引退。
小田 喜美雄(おだ きみお、1932年1月13日 - 201… 小田 喜美雄(おだ きみお、1932年1月13日 - 2012年6月)は、熊本県出身のプロ野球選手(外野手)。
八浪 知行(やつなみ ちこう、1930年7月28日 - )は… 八浪 知行(やつなみ ちこう、1930年7月28日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手、高校野球指導者、政治家。ポジションは外野手。