坪山 豊(つぼやま ゆたか、1930年〈昭和5年〉9月29日… 坪山 豊(つぼやま ゆたか、1930年〈昭和5年〉9月29日 - 2020年〈令和2年〉7月20日)は、日本の船大工、唄者。 奄美大島で唯一「板付け舟」を造る船大工で、奄美随一の唄者であった。一般的には船大工としてよりもシマ唄名人として知られ、「新民謡」の作曲も行った。 大島郡宇検村生勝の生まれ。1949年に海老原万吉の工房に入門して舟大工の技術を学ぶ。息子の良一も舟大工として知られる。 1972年に実況録音奄美民謡大会に出場。唄者としては42歳での遅いデビューだったが、1980年に第1回奄美民謡大賞にて大賞を受賞、日本全国並びにアメリカ合衆国とヨーロッパを廻って奄美のシマ唄の伝道に努めた。 2020年7月20日、老衰のため奄美市内の病院で死去。
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小里 貞利(おざと さだとし、1930年(昭和5年)8月17… 小里 貞利(おざと さだとし、1930年(昭和5年)8月17日 - 2016年(平成28年)12月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、自由民主党総務会長(第41代)、自由民主党国会対策委員長(第39代)、労働大臣(第55代)、北海道開発庁長官(第61代)・沖縄開発庁長官(第30代)、総務庁長官(第21代)、震災対策担当大臣(村山内閣)、宏池会会長、鹿児島県議会議員(6期)を歴任した。国政進出以来一貫して整備新幹線事業に携わり、「ミスター新幹線」の異名を取った。
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太刀風 義経(たちかぜ よしつね、1930年8月2日 - 没… 太刀風 義経(たちかぜ よしつね、1930年8月2日 - 没年不明)は、鹿児島県薩摩郡樋脇町(現役当時、現・同県薩摩川内市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は岩下 義経(いわした よしつね)。最高位は東前頭20枚目(1957年1月場所)。得意手は右四つ、寄り、下手投げなど。現役時代の体格は175cm、90kg。 18歳の時、上京して井筒部屋に入門し、1949年5月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の前頭・高錦らがいる。同年10月場所では、12勝3敗と大勝ちし、序ノ口優勝を果たした(当時は、幕下以下も初日から千秋楽まで取組があった)。初めて番付に付いた時より「太刀風」を名乗り、以後、廃業までこの四股名で通している。
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太田 敏行(おおた としゆき、1930年6月22日 - )は… 太田 敏行(おおた としゆき、1930年6月22日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(内野手)。 鹿島高校へ入学した当初は相撲部に所属しており、国体にも出場経験がある選手だった。そんな折に、同校野球部の創設を支援した元衆議院議員・愛野時一郎が「甲子園に出場し、暗い世相を吹き飛ばせ」と指示したことにより、同校在学生でスポーツが堪能な生徒を強制的に野球部に入部させるが、その中に太田がいた。この影響は大きく、同校は1948年夏の甲子園への出場を決めている。甲子園では2回戦で愛知・享栄商業に大敗を喫した。同級生には野田正樹(阪急)がいる。 その後社会人野球の杵島炭鉱を経て、1954年に中日ドラゴンズへ入団。
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瀬川 洋一郎(せがわ よういちろう、1930年〈昭和5年〉5… 瀬川 洋一郎(せがわ よういちろう、1930年〈昭和5年〉5月27日 - 2005年〈平成17年〉7月12日)は、鹿児島県を拠点に活動した日本のローカルタレント。MBCタレント第1号である。本名、村川 巖(むらかわ いわお)。鹿児島県鹿児島市出身。 1978年(昭和53年)、MBC南日本放送の放送功労賞を受賞。MBCからは他にも1961年(昭和36年)には編成局長賞を、1970年(昭和45年)には社長賞を受賞。1972年(昭和47年)には加根又から感謝状を贈られる。1995年(平成7年)、薩摩狂句の普及や鹿児島弁の伝承などに貢献したとして、瀬川洋一郎が代表のMBCタレントグループが鹿児島県芸術文化奨励賞を受賞した。
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金澤 昭夫(かなざわ あきお、1930年4月19日 - 20… 金澤 昭夫(かなざわ あきお、1930年4月19日 - 2009年2月14日)は、日本の水産学者。専門は水産化学、水族栄養化学。鹿児島大学名誉教授、日本水産学会名誉会員、学位農学博士。 鹿児島県鹿児島市出身。1951年(昭和26年)3月旧制鹿児島水産専門学校(鹿児島大学水産学部の前身)水産製造科卒業。1952年(昭和27年)6月新制鹿児島大学水産学部助手に着任。論文「海藻のビタミンB群に関する研究」により、1962年(昭和37年)3月31日九州大学から農学博士の学位を授与される。1964年(昭和39年)5月、「藻類の成長を促進し品質を向上せしめる方法、海苔の養殖剤の製造法」に対して昭和39年度全国発明表彰発明協会会長賞を授与される。
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山下 耕作(やました こうさく、1930年〈昭和5年〉1月1… 山下 耕作(やました こうさく、1930年〈昭和5年〉1月10日 - 1998年〈平成10年〉12月6日)は、日本の映画監督。時代劇・任侠映画を中心に、テレビ時代劇も演出してきた。愛称は同姓の軍人・山下奉文にちなんで「将軍」。両者に縁戚関係はない。長男は映画監督の山下耕一郎、次男はテレビドラマの監督でテレビ映画制作会社「京都組」代表取締役の山下智彦。 鹿児島県阿久根市出身。鹿児島県出水高等学校・京都大学法学部卒業。京都大学卒業後、東映の入社試験を受け成績トップ。しかし当時の東映に入社する社員は何らかの縁故がなければ入れず、しかも山下は全学連くずれであることから東映の重役連中は不採用にしようとした。
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小森園 綾子(こもりその あやこ、神保 綾子〈じんぼう あや… 小森園 綾子(こもりその あやこ、神保 綾子〈じんぼう あやこ〉、1930年 - 1994年1月)は、日本の洋画家。鹿児島県とパリで活動。 鹿児島県出身。鹿児島県立甲南高等学校で美術部に所属。同高校から東京都の女子美術大学に進学。東京では春田安喜子のアパートに住み込みで師事。また、海老原喜之助、吉井淳二の知遇も得て師事する。1954年に女子美術大学を卒業し、教師となる。 1953年と1954年に独立展入選。1954年の第9回南日本美術展で奨励賞受賞。1955年から1962年まで二科展入選。1958年の第13回南日本美術展で県知事賞(最高賞)受賞。1961年、二科会のパリ留学生に選ばれ、1962年にフランスへ渡る。
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有川 清次(ありかわ せいじ、1929年12月17日 - 2… 有川 清次(ありかわ せいじ、1929年12月17日 - 2016年5月13日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(1期)。 鹿児島県鹿屋市出身。鹿児島県立鹿屋高等学校卒業。鹿屋市議会議員、鹿児島県議会議員を経て、1990年の総選挙で鹿児島3区から初当選。定数2で二階堂進・山中貞則という自民党の大物二人を相手にしたが、山中を28票差で破っての当選であった。1993年の総選挙で落選。衆議院議員1期。 落選後の1994年、鹿屋市長浅井隼人の死去による鹿屋市長選挙に無所属で立候補したが、元助役の山下栄に敗れて落選した。
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上野 喜一郎(うえの きいちろう、1929年 <昭和4年> … 上野 喜一郎(うえの きいちろう、1929年 <昭和4年> 11月12日 - 2008年 <平成20年> 1月8日)は、日本の経営者。南国殖産社長を務めた。位階は従五位。 鹿児島県鹿児島市出身。1953年に慶應義塾大学経済学部を卒業。東京貿易での勤務を経て、1956年11月に南国殖産取締役に就任し、1971年6月に社長に就任。1993年には鹿児島讀賣テレビ社長に就任。 2002年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 2008年1月8日に腎不全のために死去。78歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 上野喜左衛門(南国殖産代表取締役社長や参議院議員などを歴任)は父。永山在紀(元南国殖産代表取締役社長)は従弟。
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好美 清光(よしみ せいこう、1929年 <昭和4年> 10… 好美 清光(よしみ せいこう、1929年 <昭和4年> 10月20日 - 2019年 <令和元年> 11月5日)は、日本の法学者。専門は民法・土地法で、特に日照権を研究。学位は、法学博士(一橋大学・1992年)。一橋大学名誉教授。瑞宝中綬章受章。 鹿児島県大島郡宇検村生まれ。1942年、大島郡名瀬町名瀬国民学校(現・奄美市立名瀬小学校)卒業。1948年、旧制大島中学校(現・鹿児島県立大島高等学校)卒業。1950年、鹿児島県立鶴丸高等学校卒業。1954年、一橋大学法学部卒業。商法の田中誠二ゼミ出身。一橋大学では、戦後、常盤敏太が教職追放され、吾妻光俊も労働法に関心を移すなどし、民法を専門とする教員が不在となり民法研究が低調となっていた。
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荒川 規矩男(あらかわ きくお、1929年7月15日 - 2… 荒川 規矩男(あらかわ きくお、1929年7月15日 - 2026年1月23日)は、日本の医学者、内科学者。ヒト・アンジオテンシンの単離および構造同定、キニン・テンシン系の発見、高血圧の運動療法の研究などの功績がある。医学博士、福岡大学名誉教授、国際高血圧学会第12代理事長(the 12th President of the International Society of Hypertension)、日本高血圧学会名誉会員、日本高血圧協会元理事長。 鹿児島県曽於市の旧末吉町出身。末吉小学校(国民学校)を経て、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校 (鹿児島県立甲南高等学校の前身)に入学。戦時のため海軍鹿屋航空隊などに勤労動員され、四年生のときに終戦。
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村山 英雄(むらやま ひでお、1929年6月30日 - )は… 村山 英雄(むらやま ひでお、1929年6月30日 - )は日本の教育学者。専門は教育制度論。甲南女子大学名誉教授である。教育学博士。 広島大学大学院教育学研究科教育行政学専攻博士課程単位取得満期退学(1964年3月)、教育学博士(1975年12月)。次の様な職歴を有する。 文部省の派遣留学生として、1875~1878年(明治8~11年)、アメリカ合衆国のニューヨーク州オスウィーゴー州立師範学校(現在のニューヨーク州立大学オスウィーゴー校(英語版))に留学した高嶺秀夫の学業成績簿が、1968年から69年かけて米国留学中の村山英雄により発見され、その学業成績が明らかにされた。著書「オスウィーゴー運動の研究」に記載されている。
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入部 久男(いるべ ひさお、1929年6月25日 - )は、… 入部 久男(いるべ ひさお、1929年6月25日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手。 鹿児島県立加治木高等学校から鹿児島市電を経て、1956年に大洋ホエールズへ入団。しかし公式戦出場は2試合に終わるなど結果を残せず、1957年に引退。その後は鹿児島市電の監督を務めた。
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日高 旺(ひだか うまし、1929年(昭和4年)5月9日 -… 日高 旺(ひだか うまし、1929年(昭和4年)5月9日 - 2022年(令和4年)6月17日)は、日本のジャーナリスト、新聞経営者。南日本新聞社社長、鹿児島テレビ放送(KTS)社長を歴任したほか、民俗ジャーナリストとしても知られた。 父は種子島にある鹿児島県西之表町出身の小学校教師で、彼の赴任先である屋久島の上屋久村にて生誕。2歳の頃より母方の祖父である三浦安能西之表町長(元上屋久村長)のもとに預けられて幼少期を過ごす。小学校より鹿児島市に移り、鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)卒業。文化学院中退の後、鹿児島県立大学短期大学部国文科を1952年に卒業。 アルバイトをしていた南日本新聞社へ1951年に入社し、新聞記者となる。
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鶴ヶ嶺 昭男(つるがみね あきお、1929年4月26日 - … 鶴ヶ嶺 昭男(つるがみね あきお、1929年4月26日 - 2006年5月29日)は、鹿児島県姶良市(旧:姶良郡加治木町)出身で井筒部屋(ただし初土俵は時津風部屋名義)に所属した大相撲力士。本名は福薗 昭男(ふくぞの あきお)。最高位は西関脇(1956年5月場所・1962年9月場所)。得意技はもろ差し、右四つ、寄り、上手出し投げ。現役時代の体格は177cm、114kg。 旧制加治木中学校3年時の1944年8月、予科練に入り、鹿児島航空隊、次に小富士海軍航空隊31分隊に入隊する。戦時中は海軍年少兵として海軍相撲で鳴らし、やがて大相撲への興味を抱く。戦後、加治木中を卒業し、当地の農業会(農民組合)に勤務する。
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阿蘇 瑞枝(あそ みずえ、1929年4月24日 - 2016… 阿蘇 瑞枝(あそ みずえ、1929年4月24日 - 2016年5月21日)は、日本の国文学者、万葉学者。 鹿児島県出身。日本統治時代の朝鮮の全州で生まれ、終戦後に鹿児島県に引き揚げ。鹿児島県立串木野高等学校を経て、鹿児島大学文理学部文学科卒業。国語教師を経て東京大学大学院に入学し、同博士課程修了。1972年「柿本人麻呂の研究」で文学博士の学位を取得。山梨英和短期大学教授、共立女子大学文芸学部教授を経て、1991年日本女子大学文学部教授、1998年昭和女子大学特任教授。
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下野 敏見(しもの としみ、1929年(昭和4年)4月4日 … 下野 敏見(しもの としみ、1929年(昭和4年)4月4日 - 2022年3月10日)は、日本の民俗学者、文学博士。鹿児島大学教授、鹿児島純心女子大学教授を歴任。南日本地方の民俗研究の第一人者であり、日本民俗学会の権威ともいわれる。 鹿児島県川辺郡知覧町(現在の南九州市)出身。鹿児島県立川辺高等学校、鹿児島大学文理学部社会学科卒業。大学卒業後は県内各地の高等学校の教諭を経て、鹿児島大学法文学部教授、鹿児島純心女子大学教授を務める。高校教員時代から夏休みのたびに屋久島を訪ね、古老の話者を探して昔話を聞き続けた。その後もフィールドワークを信条に県内外を歩き続け、民俗学の研究に情熱を注いでおり、南九州から沖縄県に至る地域で、長年にわたって民俗調査を行なっている。
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有馬 正高(ありま まさたか、1929年3月2日 - 202… 有馬 正高(ありま まさたか、1929年3月2日 - 2022年12月12日)は、日本の医師、医学者。小児科学と神経科学が専門で、小児神経学、障害児医学(障害者医学)のパイオニア。国立精神・神経医療研究センター病院(旧:国立精神・神経センター武蔵病院)名誉院長、東京都立東部療育センター名誉院長、日本重症心身障害学会名誉理事長、日本発達障害学会第4代会長。学位は、医学博士。 1971年に乳幼児に発症する常染色体劣性遺伝性疾患「有馬症候群」を報告したことで知られる。 1929年に鹿児島県鹿児島市で生まれる。父方の故郷は同県日置郡伊集院町(現:日置市)。幼少期より鹿児島、伊集院、佐世保、呉、杉並、木更津、逗子と、転居・転校を繰り返し、1942年に旧制神奈川県立湘南中学校(現:神奈川県立湘南高等学校)へ入学。
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フランキー堺(、1929年〈昭和4年〉2月13日 - 199… フランキー堺(、1929年〈昭和4年〉2月13日 - 1996年〈平成8年〉6月10日)は、日本のコメディアン、俳優、ジャズドラマー、司会者。 鹿児島県鹿児島市出身。本名は堺 正俊()。慶應義塾大学法学部卒業。 鹿児島市車町(現在の上本町の一部)出身。父親は鹿児島の士族の家系の出身。明治・大正時代に活躍し、映画『ノンキナトウサン』の主役としても知られる曾我廼家五九郎とは親戚に当たる。 小学校在学中はボーイソプラノの歌い手として注目され、合唱団としてNHK鹿児島放送局のラジオ番組に出演した。 一家で東京市大森区池上へ引越し、池上第二小学校、私立麻布中学校を経て、慶應義塾大学法学部卒業。中学時代の同級生には小沢昭一、加藤武が、他の同級生にはなだいなだ、内藤法美、仲谷昇、大西信行らがいた。
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山下 欣一(やました きんいち、1929年(昭和4年)2月5… 山下 欣一(やました きんいち、1929年(昭和4年)2月5日 - 2021年(令和3年))は、日本の民俗学者、文化人類学者。奄美の民俗学、ユタ研究の第一人者であった。文学博士、鹿児島国際大学名誉教授。 鹿児島県奄美大島の名瀬町(現・奄美市)に生まれる。名瀬国民学校から旧制鹿児島県立大島中学校に進学。県の土木技師であった父の本土転任にともない、旧制鹿児島県立加治木中学校に転校。旧制加治木中を四年修了して鹿児島農林専門学校獣医畜産科に入学、卒業。一度、新制中学校の英語教師となった後、早稲田大学法学部に編入学するが、母の病気等の事情により中退して鹿児島へ戻り、県立高等学校(英語教師)や県教育庁にて勤務。
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赤﨑 勇(あかさき いさむ、1929年〈昭和4年〉1月30日… 赤﨑 勇(あかさき いさむ、1929年〈昭和4年〉1月30日 - 2021年〈令和3年〉4月1日)は、日本の半導体工学者。位階は従三位。 学位は工学博士(名古屋大学・1964年)。名城大学大学院理工学研究科・特別栄誉終身教授、名城大学先端科学技術研究所所長、名古屋大学特別教授・名誉教授、名古屋大学赤﨑記念研究センターフェロー。京都大学名誉博士。日本学術会議栄誉会員、日本学士院会員。恩賜賞、文化勲章、文化功労者受章。『 高輝度青色発光ダイオードの発明 』で2014年度ノーベル物理学賞を受賞。 京都大学理学部卒業後、株式会社松下電器東京研究所基礎第4研究室長、松下技研株式会社半導体部長、名古屋大学工学部教授などを歴任した。
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前川 忠男(まえがわ ただお、1929年1月28日 - )は… 前川 忠男(まえがわ ただお、1929年1月28日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(内野手)。 鹿児島商業から西日本鉄道、八幡製鐵所を経て1954年に南海ホークスへ入団。南海では控えだったが翌年に移籍したトンボユニオンズではショートのレギュラーを獲得し2番打者として定着した。しかし、1956年にチームが解散し、翌年は東映フライヤーズでプレー。8番ショートでレギュラーとして活躍。1958年オフに引退した。
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村田 洋次郎(むらた ようじろう、1929年-)は、日本の物… 村田 洋次郎(むらた ようじろう、1929年-)は、日本の物理学者。理学博士。東京大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市南林寺町生まれ。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を赤崎勇とともに四年修了して第七高等学校造士館 (旧制)理科に入学し、1949年に卒業。旧制七高では天文班班長も務めた。大阪大学理学部に進学し、物理学科卒業。大阪大学大学院を経て、1955年に大阪市立大学助手となり、2年後、東京大学原子核研究所の電子シンクロトロンに計画段階から参加。1964年9月、論文「Investigation of cascade showers in lead with X-ray films(X線フィルムを用いた鉛中のカスケードシャワーの研究)」で大阪市立大学より理学博士号授与。
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伊集院 大八(いじゅういん だいはち、1928年11月20日… 伊集院 大八(いじゅういん だいはち、1928年11月20日 - 没年不明 )は、井筒部屋に所属した元力士。本名は東 幹男(ひがし みきお)。現在の鹿児島県日置市出身。177cm、98kg。最高位は西十両7枚目。得意技は右四つ、寄り。 1949年5月場所初土俵、1955年3月場所十両昇進し連続28場所務める。1960年9月場所限りで廃業した。 部屋の同僚である鶴ヶ嶺昭男と親交のあった中西太がトレーニングの一環として出稽古に来た際、中西と二人で写真を撮ったこともある。
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田良島 昭(たらしま あきら、1928年11月10日 - 故… 田良島 昭(たらしま あきら、1928年11月10日 - 故人)は日本の建築学者、建築家。専門は設計計画、建築計画。鹿児島大学助教授、第一工業大学教授を歴任。 鹿児島県南さつま市の旧日置郡金峰町出身。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校(現鹿児島県立鶴丸高等学校、旧一中49回生)を経て、鹿児島県立工業専門学校(鹿児島大学工学部の前身)建築科を1949年卒業(第2回卒業生)。鹿児島工専助教授の東洋一(後に東京都立大学教授)の推薦により、1951年~1955年に東京大学工学部建築学科丹下健三研究室で、研究生として建築計画・都市計画を専攻。丹下のもとで、成城の丹下邸や旧東京都庁の設計に携わる。1955年芦原義信研究所勤務。
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泉 大八(いずみ だいはち、1928年8月25日 - )は、… 泉 大八(いずみ だいはち、1928年8月25日 - )は、日本の小説家。本名は百武 平八郎(ひゃくたけ へいはちろう)。鹿児島県出身。 職業軍人の家庭に生まれ、自身も陸軍予科士官学校へ進学したが終戦後は電電公社(NTTの前身)で組合活動をしながらプロレタリア文学を執筆し、芥川賞候補となる。 1960年代後半に電電公社を退社して専業作家となってからは官能小説に転じ、宇能鴻一郎や川上宗薫と並ぶ「ポルノご三家」と評されていた。 1928年(昭和3年)8月25日、鹿児島県出水郡出水町(現在の出水市)に生まれる。祖父は肥前国佐賀藩の出で、出水へ移り鍛冶屋を営んでいた。元海軍大将・侍従長の百武三郎は祖父の親類に当たる。
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諏訪 兼位(すわ かねのり、1928年5月15日 - 202… 諏訪 兼位(すわ かねのり、1928年5月15日 - 2020年3月15日)は、日本の地球科学者。専門は岩石学・地質学。学位は、理学博士(名古屋大学・論文博士・1962年)(学位論文「領家変成帯の岩石学的及び地質学的研究」)。名古屋大学名誉教授、日本福祉大学名誉教授。日本アフリカ学会元会長。 鹿児島県鹿児島市生まれ。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)、第七高等学校造士館 (旧制)を経て、1951年東京大学理学部地質学科卒業。 1962年、学位論文「領家変成帯の岩石学的及び地質学的研究」で、名古屋大学より理学博士の学位を取得。 その後、名古屋大学理学部地球科学教室教授、名古屋大学理学部学部長、日本福祉大学情報社会科学部学部長、日本福祉大学学長を歴任。
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大河内 昭爾(おおこうち しょうじ、1928年3月7日 - … 大河内 昭爾(おおこうち しょうじ、1928年3月7日 - 2013年8月15日)は、日本の文芸評論家、武蔵野大学名誉教授。専攻は日本近代文学の研究、特に日本近代文学への仏教の影響(他力思想の影響について)及び近代日本文学と風土との関わりについての研究。 鹿児島県鹿児島市生まれ(本籍宮崎県都城市)。 丹羽文雄主宰の同人誌『文学者』に所属して評論を書いた。同じ雑誌の吉村昭とは親友関係。 1981年から2008年12月号まで雑誌『文學界』の同人誌評を担当し、現代文学に取り組む全国の多くの文学愛好者への指導的役割、作品誕生への励ましを続け、新たな書き手として村田喜代子ら多くの作家の誕生を手助けした。 雑誌『食食食』(みき書房)、『食の文学館』(紀伊国屋書店)など文学と食を結ぶ季刊誌を主宰して、風土と食の文学の研究を20年以上継続。
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有馬 万里代(ありま まりよ、1928年2月22日-、本名・… 有馬 万里代(ありま まりよ、1928年2月22日-、本名・有馬マリ子)は、日本の音楽家、声楽家(アルト歌手)。鹿児島大学名誉教授。鹿児島オペラ協会会長を長年務める。 鹿児島市出身。幼少期から歌が好きで、ラジオにしがみついて三浦環が歌うプッチーニの蝶々夫人を聴いていた。1940年に鹿児島県立第二高等女学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)へ入学。高等女学校3年生の時に田中義人(鹿児島師範学校教員)に弟子入りして、夜道を母に守られながらレッスンに通う。東京音楽学校(後の東京藝術大学)に合格し、師範科で四家文子に師事して1948年に卒業。同年鹿児島師範学校で教職に就く(同校は翌年の学制改革で新制鹿児島大学に包括される)。
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海江田 順三郎(かいえだ じゅんさぶろう、1928年 - 2… 海江田 順三郎(かいえだ じゅんさぶろう、1928年 - 2025年5月5日)は、日本の実業家。高島屋開発社長、相談役、鹿児島市教育委員長、鹿児島県日中友好協会会長、名誉会長等を歴任。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制の鹿児島商業学校(現鹿児島商業高等学校)から転校して、鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)に入り1947年卒業。旧制中学生時代の1945年1月から勤労動員され、第4学年に進級した4月には長崎県佐世保市の海軍工廠へ動員される。1945年6月に陸軍航空士官学校入校の二次試験を受け(敗戦により学校解散のため入校せず)、熊本市(熊本陸軍幼年学校)が試験会場だったため、佐世保市にすぐ戻らず鹿児島市潮見町(汐見町)朝日通りの実家に帰省したところ、6月17日夜の鹿児島大空襲に遭遇する。
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川北 徹(かわきた とおる、1927年10月13日 - 20… 川北 徹(かわきた とおる、1927年10月13日 - 2009年6月29日)は、日本の経営者。三井金属鉱業社長、相談役などを歴任。 島根県出身または鹿児島県いちき串木野市旧串木野市地域出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1948年に熊本工業専門学校冶金学科(現熊本大学工学部)を卒業し、同年に三井鉱山に入社した。神岡鉱山(岐阜県)や竹原製錬所(広島県)で製錬技術者として業務に従事。竹原製錬所の労組委員長も務めた。三井鉱山から1950年に神岡鉱業が分離し1952年に三井鉱山から三井金属鉱業に社名変更した後は、三井金属鉱業勤務。1981年に取締役に就任し、1984年6月に常務、1987年6月に専務、1989年6月に副社長を経て、1990年6月には社長に就任した。
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赤崎 義則(あかさき よしのり、あかざき よしのり、1927… 赤崎 義則(あかさき よしのり、あかざき よしのり、1927年(昭和2年)9月11日 - 2019年(平成31年)4月12日)は、日本の政治家。鹿児島市長(第19代、5期)。鹿児島市助役(第24代)。位階は従四位。 鹿児島県日置郡東市来村(後に東市来町、日置市)出身。東市来町の小学校から、旧制鹿児島県立伊集院中学校(現鹿児島県立伊集院高等学校)を経て、陸軍予科士官学校在籍中に敗戦により学校解散となり復員。1948年3月鹿児島農林専門学校農学科(現鹿児島大学農学部)卒業。1949年2月鹿児島市役所に入職。市役所では農林部経営課長(1965年11月)、農林部指導課長、財政部管財課長(1969年9月)、総務局行政部職員課長(1973年7月)、総務局行政部長(1975年7月)、総務局長(1977年7月)を経て、1984年3月助役に就任した。
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林 宗明(はやし むねあき、1927年7月26日-2009年… 林 宗明(はやし むねあき、1927年7月26日-2009年4月29日)は、日本の工学者。京都大学名誉教授。専門は電力工学。正四位瑞宝中綬章。 宮崎県出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)を経て、1948年に第七高等学校造士館 (旧制)理科を卒業し、京都大学工学部電気工学科に入学。1952年3月に同学科を卒業して住友電気工業株式会社に勤務した後、1955年に京都大学に転職して工学部電気工学科発送配電研究室(大久保達郎教授)の助手となる。その後、講師を経て、1959年4月1日に助教授に就任。大久保教授が1963年11月9日に退官したため発送配電研究室を引き継ぎ、1967年5月1日に教授に昇任。
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指宿清秀(いぶすき きよひで、1927年2月18日 - )は… 指宿清秀(いぶすき きよひで、1927年2月18日 - )は、日本の国会職員。第9代参議院事務総長、元財団法人奄美奨学会理事長。柔道家の徳三宝は伯父にあたり位牌を継ぐ親戚関係にある。
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安田 宝英(やすだ たかひで、1927年1月20日 - 20… 安田 宝英(やすだ たかひで、1927年1月20日 - 2021年4月)は日本の民謡歌手(奄美シマ唄唄者)、民謡指導者。ひぎゃ唄と呼ばれる奄美大島南部瀬戸内町の歌い方で、小学生から大人までを対象とした三味線、民謡教室を運営し、多くの唄者を育てた。鹿児島県徳之島の伊仙町出身、喜界島(喜界町)在住。 生まれ育った徳之島の伊仙町目手久(めてぐ)は「花ジマ」とも呼ばれるシマ唄文化の盛んな地域で、シマ唄好きな両親に育てられた。このため、徳之島のシマ唄は熟知していたが、1959年名瀬市(現奄美市)に渡り、農業機械の販売会社に就職すると、奄美大島のシマ唄にも親しんだ。特に1964年頃から瀬戸内町の武下和平がテレビ、ラジオ等で注目されると、ひぎゃ唄を習い覚えた。
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赤崎 正則(あかざき まさのり、1927年-)は、日本の工学… 赤崎 正則(あかざき まさのり、1927年-)は、日本の工学者。工学博士。専門はプラズマ工学。九州大学名誉教授。九州大学総合理工学研究科長や福岡工業大学学長を歴任。高電圧工学や放電現象から雷やプラズマの研究に長年取り組んだ。 鹿児島県知覧町(現・南九州市)生まれで鹿児島市育ち。半導体分野の工学者・赤﨑勇は実弟。 鹿児島市立大龍小学校から鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)へ進む。大龍小出身の鹿児島二中生徒有志の団体「敬天会」で活動。戦時下の第七高等学校造士館 (旧制)に入学したが、学徒勤労動員により朝霞市の陸軍士官学校で終戦を迎え、旧制七高が空襲で全焼したため第五高等学校 (旧制)に転校。旧制五高を出て、1952年に九州大学工学部電気工学科を卒業。
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中村了昭(なかむら りょうしょう、1927年 - )は、日本… 中村了昭(なかむら りょうしょう、1927年 - )は、日本のインド哲学・古典インド文学者、鹿児島国際大学名誉教授。専攻はインド古代・中古の文化・哲学史。『ラーマーヤナ』原典完訳刊行を行った。 鹿児島県生まれ。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1944年海軍兵学校第76期入校(1945年学校解散により修了)。1949年旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)文科卒業。1953年旧制東北大学文学部卒業。卒業論文は「数論偈諸註の比較対照の研究」。東北大学大学院文学研究科博士課程印度哲学専攻満期。金倉円照が恩師。後に、1977年「サーンクヤ哲学の研究」で文学博士(立正大学)。
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飯田 テル子(いいだ てるこ、1926年12月5日 - 19… 飯田 テル子(いいだ てるこ、1926年12月5日 - 1991年8月12日)は、日本の女優。鹿児島県鹿児島市出身。1950年、綜芸プロダクション所属。1956年、東京映画入社。1960年、東京俳優生活協同組合所属。本名同じ。旧芸名は飯田 てる子。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
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八波 むと志(はっぱ むとし、1926年〈大正15年〉12月… 八波 むと志(はっぱ むとし、1926年〈大正15年〉12月1日 - 1964年〈昭和39年〉1月9日)は、日本のコメディアン、俳優。本名、坪田 稔(つぼた みのる)旧姓、富沢(とみさわ)。 1926年(大正15年)12月1日、鹿児島県大島郡徳之島町に生まれる。父は道楽好きで母が四人も変っており、幼少期を極貧で過ごす。 東京工専卒業後1943年(昭和18年)に志願兵で兵隊入り、1946年(昭和21年)に森川信の一座に入り、浅草常盤座で八波むと志の名で初舞台。浅草フランス座1代目座長。1956年(昭和31年)に南利明、由利徹と脱線トリオを結成し浅草を中心にテレビ・ラジオ、はたまた役者として活躍する。
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山中 寅文(やまなか とらふみ、1926年12月 - 200… 山中 寅文(やまなか とらふみ、1926年12月 - 2003年1月6日)は、日本の林業技術者、東京大学農学部技官。森林文化協会技術顧問。橋本龍太郎ともに、名誉森林インストラクターの称号を持つ。鹿児島県大口市生まれ。 鹿児島県大口市(伊佐市)生まれ。1944年、鹿児島県立伊佐農林高校林学科卒業。 東京大学千葉演習林で1年間の研修を経て、東京大学農学部林学科森林植物学教室文部技官に就任。 小石川植物園に長く勤め、近所に住む幸田文と親しかった。縄文杉を見せるため、彼女を背負っていったこともあるという。1976年には彼女らとともに静岡県の大谷崩れを訪れ、そのときの体験が幸田文の「崩れ」に結実した。 1987年、東京大学を定年退職。
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新盛 辰雄(しんもり たつお、1926年〈大正15年〉11月… 新盛 辰雄(しんもり たつお、1926年〈大正15年〉11月15日 - 2025年〈令和7年〉7月24日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(5期)。 鹿児島県鹿児島市出身。1943年(昭和18年)、鹿児島実業学校(現在の鹿児島実業高等学校)土木科卒。翌年、鹿児島鉄道に入社。1948年(昭和23年)社会党に入党し、国労鹿児島地本書記長、同執行委員長を経て、鹿児島県総評議長を3期務める。1976年の総選挙で鹿児島1区から立候補して初当選。通算5期務めた。1993年の総選挙で落選し、政界から引退した。 1997年(平成9年)4月の春の叙勲で勲二等瑞宝章を受章する。 2025年(令和7年)7月24日14時27分、老衰のため、鹿児島市内の病院で死去した。
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川口 幹夫(かわぐち みきお、1926年〈大正15年〉9月2… 川口 幹夫(かわぐち みきお、1926年〈大正15年〉9月25日 - 2014年〈平成26年〉11月5日)は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター。日本放送協会(NHK)の第16代会長。 東京で出生、鹿児島県川辺郡川辺町(現・南九州市)育ち(関東在住の南薩出身者で構成される興南会会長も歴任)。 生後間もなく父が死去したため、1929年に母と別れて鹿児島県川辺郡川辺町に移住し祖母らに育てられる。 旧制県立四中(現・県立川辺高校)、旧制七高を経て、東京大学文学部卒業後、1950年NHKに入局。俳優天本英世は旧制七高・東大の同窓生。 初任地は福岡放送局。その後、演芸畑を歩む。入局直後の1951年に放送された『第1回NHK紅白歌合戦』をラジオで聞いた川口は、『NHK紅白歌合戦』が将来大きくなることを予想したという(この時、紅白が長寿番組化することを予想していたスタッフはいなかった)。
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肥後 亨(ひご とおる、1926年〈大正15年〉3月25日 … 肥後 亨(ひご とおる、1926年〈大正15年〉3月25日 - 1964年〈昭和39年〉3月8日)は、日本の政治活動家。広義の行動右翼に該当するが任侠系人士ではない。東京商科大学(現・一橋大学)中退。 1950年代から1960年代にかけて、各地の選挙に出馬して奇怪なパフォーマンスを繰り広げた右翼活動家である。個人的な信念によって選挙に出馬しているように見えたが、実際は政界の大物から資金の提供を受け、革新陣営に対する選挙妨害を目的とした政治ゴロであった。保守・革新の対立する時代(55年体制)において、「権力の選挙」「金力の選挙」の象徴的人物。 最終的に、1963年4月のニセ証紙事件に関連して発覚した「はがき横流し事件」で1963年5月に逮捕された。
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土屋 佳照(つちや よしてる、1926年2月25日 - 20… 土屋 佳照(つちや よしてる、1926年2月25日 - 2004年11月2日)は、日本の官僚、政治家。自治事務次官、鹿児島県知事を歴任。 鹿児島県肝属郡串良町(現・鹿屋市串良町)出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)、第七高等学校造士館(現・鹿児島大学)を経て、1949年3月 東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年4月 総理庁に入庁。1952年 大分県民生労働部社会課長、1956年 経済企画庁調整局財政金融課専門調査員。1958年より地方自治庁へ転じる。自治省行政局選挙部長、国土庁地方振興局長、自治省税務局長、同省財政局長などを経て、1982年7月 自治事務次官に就任。自治官僚には珍しく行財政両面を経験した。
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橋村 三郎(はしむら さぶろう、1926年1月30日 - 2… 橋村 三郎(はしむら さぶろう、1926年1月30日 - 2013年6月7日)は、日本の医学者、生理学者。専門は神経生理学、電気生理学。鹿児島大学名誉教授、医学博士。 鹿児島県鹿児島市の谷山地区出身。4人兄弟の次男。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1944年に旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)理科を卒業。1948年九州大学医学部を卒業。1953年から2年間、アメリカのロチェスター大学に留学。帰国後、九州大学医学部助教授(生理学教室第一講座所属)。論文「日本産トノサマガエルならびにヒキガエルの血液におけるK及びCaの含有量の季節的変動について」により、1956年8月九州大学から医学博士の学位を授与される。
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濱田博之(はまだひろゆき、1925年10月29日 - )は、… 濱田博之(はまだひろゆき、1925年10月29日 - )は、空手武道家。 日本古伝神道流空手道の創始者。フェルトン・メッシーナ(Felton_Messina)の師匠。鹿児島県薩摩川内市生まれ。 1939年15歳のときに沖縄泊風の空手を稽古し始めた。1943年3月、彼は第二次世界大戦で2年間の授業がなく高校を卒業した。その年、首里手や手手など他沖縄のスタイルを学び始めた。 1943年4月から1944年3月までの間に、彼は完全に空手の訓練と完成に専念した。 1944年4月には海兵隊に召集。1945年に戦争が終わるまでに、彼は倉敷の軍部隊にいた。日本の敗北のニュースが彼に届いたとき、彼は切腹をすべきかどうか考えて10日間を費やした。
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植之原 道行(うえのはら みちゆき、1925年9月5日 - … 植之原 道行(うえのはら みちゆき、1925年9月5日 - 2007年12月19日)は、日本の電子工学者(電気工学者)、技術経営者。Doctor of Philosophy、工学博士。日本電気(NEC)の中央研究所所長、各取締役、副社長・最高技術経営者、特別顧問、顧問を歴任し、半導体デバイス分野などで多くの実績をあげた。多摩大学名誉教授、IEEEフェロー。 鹿児島県生まれ。同県日置郡串木野村(後の日置郡串木野町、串木野市、いちき串木野市)出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1943年広島陸軍幼年学校卒業、1945年陸軍航空士官学校(59期)卒業。1949年日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)電気工学科卒業し、同学科の助手となる。
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高山 冨士雄(たかやま ふじお、1925年8月10日 - 2… 高山 冨士雄(たかやま ふじお、1925年8月10日 - 2014年7月7日)は、日本の経営者。安田信託銀行社長を務めた。 鹿児島県日置郡伊集院町(現日置市)出身。伊集院小学校、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1945年旧制第七高等学校造士館文科卒業。1949年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に中央信託銀行(のちの安田信託銀行)に入行。1972年5月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1980年6月に専務、1984年6月に副社長を経て、1986年6月には社長に就任。1992年4月に会長に就任し、1996年4月には相談役に就任。社長在任中、信託協会会長も務めた。
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川野 洋(かわの ひろし、1925年4月14日 − 2012… 川野 洋(かわの ひろし、1925年4月14日 − 2012年12月18日)は、日本の哲学者、美学者。文学博士(大阪大学、1986年)。東京都立科学技術大学名誉教授、東北芸術工科大学名誉教授。 旧満州国撫順市生まれ。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)および第七高等学校造士館 (旧制)卒業。1951年東京大学文学部哲学科卒業、 1955年東京大学助手、1961年東京都立航空工業短期大学講師(1965年助教授)、1971年東京都立工科短期大学教授、1986年東京都立科学技術大学(現・東京都立大学)教授、1990年長野大学教授、1994年東北芸術工科大学教授。 1990年東京都立科学技術大学名誉教授、1996年東北芸術工科大学名誉教授。
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