上野 健一(うえの けんいち、1961年2月21日 - )は… 上野 健一(うえの けんいち、1961年2月21日 - )は、日本の実業家。不動産デベロッパー。REIWAグループ代表として、REIWAリゾート株式会社、ハートランド管理センター株式会社、株式会社千光住研、秀真建設株式会社の代表取締役を務める。1994年以降は上野玄津(うえの げんしん)の法名で僧侶としても活動。 1961年、沖縄県浦添市に生まれる。父が米軍で働いていたこともあり、子供の頃の友人はアメリカ人ばかりだったという。 1985年、理想都(リゾート)を作る「CCZ(Creative Capital Zone)プロジェクト」を考案。休眠分譲地の再開発・再整備事業を掲げ、小野平(兵庫県小野市)を「うぐいす台ニュータウン」と名付けて販売した。
石嶺 和彦(いしみね かずひこ、1961年1月10日 - )… 石嶺 和彦(いしみね かずひこ、1961年1月10日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手、指名打者。右投右打)、プロ野球コーチ、野球解説者。愛称は「サッサ」。 現役時代は特に1986年から1993年にかけて阪急ブレーブスの強打の指名打者として、ブーマー・ウェルズ、藤井康雄と共にブルーサンダー打線の中心選手として活躍した。 沖縄県那覇市出身。小学校5年の時に、神原カープという少年野球チームで本格的に野球を始めた。投球動作がコンパクトだったため捕手として起用されたが、投手に憧れていたという。小学校6年の時にチームは沖縄県大会で準優勝し、石嶺も捕手として注目されるようになった。 豊見城高校では栽弘義監督のもとで猛練習を積み、1977年には下地勝治をエースとして擁するチームで2年生ながら四番打者を務め、選抜大会に出場した。
琴椿 克之(ことつばき かつゆき、1960年12月6日 - … 琴椿 克之(ことつばき かつゆき、1960年12月6日 - )は、沖縄県那覇市出身、佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士。本名は渡嘉敷 克之(とかしき かつゆき)。最高位は西前頭3枚目(1992年7月場所)。趣味は音楽鑑賞。現役時代は稽古熱心で有名であった。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。現在は年寄・白玉。 沖縄が日本に返還されて日の浅い当時、「沖縄を大相撲畑にしたい。」と佐渡ヶ嶽(元横綱・琴櫻)に口説かれた渡嘉敷少年は1976年3月場所に初土俵を踏む運びとなった。1972年5月の沖縄返還以前に大相撲へ入門した力士は過去に4人しかおらず、関取に昇進したのは琉王優貴(元前頭筆頭)ただ1人であり、これは前例の少ない試みであった。
浜田 剛史(はまだ つよし、1960年11月29日 - )は… 浜田 剛史(はまだ つよし、1960年11月29日 - )は、日本の元プロボクサー。本名・旧リングネーム:浜田 剛(読み同じ)。沖縄県中頭郡中城村出身。元WBC世界スーパーライト級王者。沖縄県立沖縄水産高等学校卒業。帝拳ボクシングジム所属。現在はプロボクシング解説者、健康食品会社社長。帝拳プロモーション代表。入場曲は『ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO』。 浜田の育った家は総勢21人もの大所帯であった。浜田自身が7人兄弟の末っ子ということもあり、さすがに親の目が届きにくかったのか、幼いころは朝から晩まで自然の中で遊んで育った。 6歳上の実兄・雄二の影響で小学生の頃からプロボクサーを志す。
目取真 俊(めどるま しゅん、1960年10月6日 - )は… 目取真 俊(めどるま しゅん、1960年10月6日 - )は、日本の小説家、政治活動家。芥川賞受賞者。本名、島袋正。 沖縄県国頭郡今帰仁村出身。沖縄県立北山高等学校を経て琉球大学法文学部卒業。期間工、警備員、塾講師などを経て県立高校の国語教師を務めるが、2003年に退職。 在職中の1997年に『水滴』で第117回芥川賞を受賞。この時選考委員だった日野啓三は「また沖縄か、という人が少なくないだろう」、石原慎太郎は「またしても沖縄という感じだが」と発言したが、仲程昌徳は「沖縄文学の水準はそれほど高くなっていた」と語る。 沖縄の自然や風土、歴史に根ざした小説を発表している。『水滴』『魂込め』には、沖縄戦の記憶を背負って生きる庶民の姿が描かれている。
當間 盛夫(とうま もりお、1960年 (昭和35年)9月7… 當間 盛夫(とうま もりお、1960年 (昭和35年)9月7日 ‐ )は、日本の政治家。沖縄県議会議員(6期)。那覇市議会議員(1期)、政党そうぞう代表、日本維新の会沖縄県総支部幹事長兼代表代行などを務めた。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立豊見城高等学校、阪南大学商学部卒業後、小禄農業協同組合(現:JAおきなわに統合)に就職。1990年1月、合資会社照屋総業などに勤務。 2001年7月8日、第16回那覇市議会議員選挙に当選。 2004年6月6日、第9回沖縄県議会議員選挙当選。以後、6期連続当選。県議会会派「維新の会」を結成。2005年12月、下地幹郎衆議院議員らと「政治団体そうぞう」を結成し政調会長に就任。
与座 朝勝(よざ ともかつ、1960年9月4日 - )は、沖… 与座 朝勝(よざ ともかつ、1960年9月4日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手。(投手、内野手)。
渡嘉敷 勝男(とかしき かつお、男性、1960年7月27日 … 渡嘉敷 勝男(とかしき かつお、男性、1960年7月27日 - )は、日本の俳優、テレビタレント、YouTuber、元プロボクサー、元WBA世界ライトフライ級王者。現役時代は協栄ボクシングジムに所属。沖縄県コザ市(現・沖縄市)出生、兵庫県宝塚市出身。 沖縄市生まれだが、親の仕事の関係で乳児時代に兵庫県宝塚市に住居を移転したため、同市で高校までを過ごした。浪速工業高等学校中退。 現役時代の代名詞は“ヤンバルクイナ”。タレント転向後は「トカちゃん」という愛称の方が知られている。 高校時代は喧嘩に明け暮れる不良少年であった。 1977年1月30日、テレビでWBA世界ライトフライ級タイトルマッチ具志堅用高対ハイメ・リオス(パナマ)を観たことがきっかけでボクシングを始めようと思い立つ。
真喜志 康永(まきし やすなが、1960年5月3日 - )は… 真喜志 康永(まきし やすなが、1960年5月3日 - )は、元プロ野球選手(内野手)・野球指導者(コーチ)である。選手としては近鉄バファローズに所属した。
きゃん ひとみ(本名:遠藤(旧姓:喜屋武)仁美、1960年3… きゃん ひとみ(本名:遠藤(旧姓:喜屋武)仁美、1960年3月23日 - )は、ラジオパーソナリティー・フリーアナウンサー・女優・民謡歌手。アニマ・エージェンシー所属。 沖縄県出身。立正大学文学部卒業後、1983年、アナウンサーとして琉球放送に入社。1989年よりフリーランス。身長157 cm、血液型O型。現在は主に千葉県のベイエフエムで活動しているほか、沖縄県を舞台としたドラマ・映画を中心に俳優業もこなしている。 2022年度上半期放送された、NHK総合テレビジョンの『連続テレビ小説・ちむどんどん』に出演するにあたり、役作りのため、あえて白髪染め・ヘアーカラーによる染髪をやめて、自然な白髪頭で出演した。
高良 茂(たから しげる、1960年〈昭和35年〉3月14日… 高良 茂(たから しげる、1960年〈昭和35年〉3月14日 - 2006年〈平成18年〉5月7日)は、沖縄県で活躍したラジオパーソナリティ、ローカルタレント。那覇市出身。 1981年にラジオ沖縄の日曜昼のワイド番組「気まぐれワイド」でデビュー、1982年から夜のヤングワイド番組「ぶっちぎりトゥナイト」で、今では若者ではよく使われているウチナーヤマトグチで人気を博した。その後はラジオ沖縄や沖縄テレビを中心にパーソナリティや司会を務めた。サザンオールスターズの大ファンでFM沖縄で「ディアサザンオールスターズ」のパーソナリティを務め、1時間サザンの曲を毎週かけていた。ライバル局である琉球放送の柳卓や箕田和男両ベテランアナウンサーらとも親交があり、1990年代終わりになって同局の番組にも出演するようになった。
桑江 知子(くわえ ともこ、1960年1月18日 - )は、… 桑江 知子(くわえ ともこ、1960年1月18日 - )は、日本の女性歌手・ラジオパーソナリティ。本名同じ。沖縄県中頭郡美里村(現・沖縄市泡瀬)生まれ、福岡県福岡市育ち。血液型はB型。 歌手デビュー時に所属していた渡辺プロダクションが、若者のニューミュージック指向を高めようと立ち上げた「NON STOPプロジェクト」の一員である(他のメンバーは、大塚博堂、太田裕美、山下久美子、アン・ルイス、ララ)。渡辺プロは桑江を売り出すため、当時全盛期だったニューミュージック風の曲作りなどのプロモーション戦略を展開した。 1979年1月25日、SMS Recordsから『私のハートはストップモーション』(作詞:竜真知子、作曲:都倉俊一)でデビュー。
前津 盛和(まえつ もりかず、1960年1月6日 - )は、… 前津 盛和(まえつ もりかず、1960年1月6日 - )は、日本の内閣府官僚。ノンキャリアとして初めて内閣府沖縄総合事務局次長を務めた。 沖縄県石垣市生まれ。琉球大学在学中の1981年に国家公務員採用中級(行政 沖縄)試験合格。1982年琉球大学法文学部卒業、沖縄開発庁沖縄総合事務局入局。 1984年総務局会計課に異動。1992年沖縄総合事務局総務部公正取引室審査専門官。2000年総務局企画課企画第三係長。2001年内閣府政策統括官(沖縄担当)付参事官(中長期担当)付主査(中長期計画第1担当)。2005年内閣府沖縄総合事務局総務部調査企画課調査官。 2012年内閣府沖縄総合事務局総務部監査官。2013年内閣府沖縄総合事務局総務部主任調査。
前泊 博盛(まえどまり ひろもり、1960年 - )は、日本… 前泊 博盛(まえどまり ひろもり、1960年 - )は、日本のジャーナリスト、政治学者、経済学者。沖縄国際大学大学院教授。 沖縄県宮古島市生まれ。駒澤大学法学部政治学科卒業、明治大学大学院政治経済学研究科博士前期課程(経済学修士)修了。1984年琉球新報社入社。文化部、社会部、東京報道部、政経部などを経て、1998年編集委員。沖国大非常勤講師(1998年 - 2001年兼任)。2001〜2002年、九州大大学院助教授(国際政治学・日米安保論)。その後、編集委員・論説委員、編集局次長、経営企画局次長、論説副委員長、紙面審査委員長、2010年6月に論説委員長。2011年3月琉球新報社を退社し、同年4月から沖縄国際大学大学院教授。
宮城 能彦(みやぎ よしひこ、1960年 - )は、日本の社… 宮城 能彦(みやぎ よしひこ、1960年 - )は、日本の社会学者。沖縄大学人文学部こども文化学科教授。専攻は地域社会学。 沖縄県那覇市出身。最終学歴は兵庫教育大学大学院教育学研究科修了。学位は修士(教育学、兵庫教育大学)。小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル・沖縄論』でエフエム那覇の喜友名智子とともに沖縄の案内役として登場。世界平和統一家庭連合 (統一教会)の機関紙、「世界日報」月刊誌版 Viewpoint『ビューポイント』にも多くの記事を寄稿している。 『名護市史 教育』 本編6 2003年 那覇市教育委員会編 『那覇市教育史・通史編』 2002年
友利 正(ともり ただし、1959年12月28日 - )は、… 友利 正(ともり ただし、1959年12月28日 - )は、日本の元プロボクサー。沖縄県那覇市出身。元WBC世界ライトフライ級王者。トレーナーはデビュー当初は三迫将弘、世界戦の直前からエディ・タウンゼント。 私立沖縄高校(現、沖縄尚学高校)3年時に1977年度全日本高校モスキート級チャンピオンとなった。 1978年5月25日、18歳で三迫ジムからプロデビュー。デビューから7連勝(1KO)を飾ると、翌1979年の全日本ライトフライ級新人王を獲得した。 いつしか「具志堅二世」と呼ばれるようになり当然、世界への道も順調に歩むものだと思われた。しかし、世界戦へ挑んだ時の友利は勝ったり負けたりを繰り返す中堅ボクサーになっていたのである(精神面を鍛え直すため、会長三迫仁志が知り合いの僧侶のいる寺院に預けたこともあった)。
宮城 康博(みやぎ やすひろ、1959年12月18日 - )… 宮城 康博(みやぎ やすひろ、1959年12月18日 - )は、日本の沖縄県の政治家、作家、劇作家。前南城市議会議員(1期)、前名護市議会議員(3期)、ジュゴン保護キャンペーンセンター共同代表。市民グループ「オキュパイ普天間」代表。 名護市における米軍のヘリポート基地建設の是非を問う市民投票を担った、市民団体「ヘリポート基地建設の是非を問う名護市民投票推進協議会」の代表を務めた。 1959年、沖縄県名護市に生まれる。 1980年代、「東京演劇アンサンブル」にて活動 1992年、沖縄に帰郷し、企画・編集プロダクションを営む 1997年、同年に結成された市民団体「ヘリポートいらない名護市民の会」に所属し、名護市においてヘリ基地反対運動を行う。
伊礼 智(いれい さとし、1959年12月11日 - )は、… 伊礼 智(いれい さとし、1959年12月11日 - )は、日本の建築家(一級建築士)。(有)伊礼智設計室代表。「住宅デザイン学校」学長。 沖縄県嘉手納町生まれ。心地よさと意匠性を兼ね備えた住宅設計で知られる。建築家の育成にも力をいれ、地域の家づくりを「設計力」でリードする設計士や工務店の育成を行っている。 1982年、琉球大学理工学部建設工学科卒業後、東京芸術大学大学院美術研究科に進学し建築(奥村昭雄研究室)を専攻し修了。丸谷博男+エーアンドエーを経て、1996年伊礼智設計室開設。2012年から住宅デザイン学校のメイン講師をつとめる。2005年から日本大学生産工学部建築工学科居住空間デザインコース非常勤講師。
島袋 美幸(しまぶくろ みゆき、1959年11月17日 - … 島袋 美幸(しまぶくろ みゆき、1959年11月17日 - )は、沖縄県出身の日本の女子プロゴルファー。 沖縄県立南部商業高等学校卒業。20歳からゴルフを始める。1984年、プロテスト合格。 1988年、賞金ランクで初めて50位以内の44位 。1989年は32位。1990年は22位。 1991年、「中京テレビ・ブリヂストンレディスオープン」では通算4アンダーで並んだ葉蔚芳とのプレーオフを制してツアー初優勝。賞金ランク13位。 1992年、優勝なく賞金ランク23位。 1993年、「リゾートトラスト・クリナップレディス」では通算1オーバー、2位・森口祐子に1打差で初日から首位を守った完全優勝。 1994年から1997年はシード権獲得を継続するも優勝なし。
玉城 デニー(たまき デニー、1959年〈昭和34年〉10月… 玉城 デニー(たまき デニー、1959年〈昭和34年〉10月13日 - )は、日本の政治家、タレント。沖縄県知事(公選第8代)。無所属。戸籍名は玉城 康裕(たまき やすひろ)。 衆議院議員(4期)、自由党幹事長兼国会対策委員長、沖縄市議会議員(1期)などを歴任した。なお、知事業務上、法的効果を伴う行政文書には本名を使用している。 米国統治下の沖縄、中頭郡与那城村(現・沖縄県うるま市)出身。沖縄の米軍基地に駐留していた米兵の父と伊江島出身の母の間に生まれたアメラジアンである。父の母国である米国に渡航することを前提に母親から「デニス(Dennis)」と名付けられるが、結局、母は先に帰国した夫を追うことはなかった。
沖 直未(おき なおみ、1959年4月30日 - )は、日本… 沖 直未(おき なおみ、1959年4月30日 - )は、日本の女優。旧芸名は沖 直美(おき なおみ)。沖縄県中頭郡嘉手納町出身。身長160cm、体重45kg(1985年)、血液型O型。本名は比嘉 直美(ひが なおみ)。 1981年、『愛をひとつまみ』で主演デビュー。 1985年、濡れ場の多い『ひとひらの雪』で主演の秋吉久美子とともに大胆な演技で注目を浴びた。 その後、2時間ドラマに多数出演して活躍した。 故郷の沖縄で居酒屋を営みながら地元で撮影される作品には出演している。 趣味は水泳、ダイビング・ガラス工芸・絵画鑑賞・料理。 姓名の読みが同じで、現在はディスクジョッキーやイケメン評論家として活躍する沖直実とは自宅が隣人同士であったため、直未への郵便・配送物の誤配達を沖から渡されたことが縁となり、直未の付き人を沖が一時期務めていた。
大島 孝雄(おおしま たかお、1959年 - )は、日本の小… 大島 孝雄(おおしま たかお、1959年 - )は、日本の小説家、大学講師。沖縄県石垣市出身、東京都在住。東京芸術大学美術学部を卒業。 2008年、『ガジュマルの家』で第19回朝日新人文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
ジョン・カビラ(1958年11月1日 - )は、沖縄県那覇市… ジョン・カビラ(1958年11月1日 - )は、沖縄県那覇市出身 のフリーキャスター、タレント、司会者、ラジオパーソナリティ、ナレーター。ソニー・ミュージックアーティスツ所属。本名は川平 慈温(かびら じおん)。 日本人で琉球放送アナウンサーの父親・川平朝清とアメリカ人の母親・ワンダリー(Wandalee、旧姓Weaver、1929年3月10日 - 2018年1月11日、アメリカ合衆国カンザス州ハーベイ郡出身、アメリカンスクール・イン・ジャパン(ASIJ)の教師を務めていた)との間に生まれる 。3人兄弟の長男であり、元日本マクドナルドマーケティング本部長の川平謙慈は長弟、俳優・タレントの川平慈英は次弟。
玉城 満(たまき みつる、 (1958-10-25) 195… 玉城 満(たまき みつる、 (1958-10-25) 1958年10月25日(67歳)- )は、沖縄県のタレント・政治家である。劇団「笑築過激団」の座長。りんけんバンドの元メンバー。母方の祖父はコザ市長を務めた大山朝常。 1958年10月25日、コザ市(現在の沖縄市)に生まれる。1969年に熊本マリスト学園中学校・高等学校に入学。1977年、昭和薬科大学附属高等学校・中学校を卒業し、岡山理科大学に入学。 東京に出て、アングラ劇団「発見の会」で役者修行。劇団「潮」で沖縄芝居を再発見したのを機に沖縄に戻り、照屋林助に従事する。 1981年から、りんけんバンドに所属し、メインボーカルを務めた。1983年、自らの劇団「笑築過激団」を旗揚げする。
比嘉 奈津美(ひが なつみ、1958年10月3日 - )は、… 比嘉 奈津美(ひが なつみ、1958年10月3日 - )は、日本の政治家、歯科医師。 衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)、環境大臣政務官、参議院厚生労働委員長を歴任。 米国統治下の沖縄のコザ市(現在の沖縄県沖縄市)に生まれる。コザ教育区立諸見小学校、コザ中学校を経て、1974年に浦添市に新設された昭和薬科大学附属高校に進学した。小学6年生時にはコザ暴動を目の当たりにした。その後福岡歯科大学へと進学し、1986年に卒業。 卒業後は沖縄県の久米島へと渡って歯科医師となり、後に沖縄市内に「なつみ歯科医院」を開院した。また2006年からカンボジアでの歯科医療ボランティアに携わるようになった。2009年4月には沖縄県歯科医師会の副会長に就任した。
前田 達也(まえだ たつや、1958年8月22日 - )は日… 前田 達也(まえだ たつや、1958年8月22日 - )は日本の歌手、作曲家、ギタリスト。沖縄県那覇市出身。血液型はAB型。
上原 知子(うえはら ともこ、 (1958-06-29) 1… 上原 知子(うえはら ともこ、 (1958-06-29) 1958年6月29日(68歳)- )は、沖縄県糸満市出身の歌手。沖縄音楽を基盤とした音楽グループ「りんけんバンド」のボーカルとして知られる。 上原知子は、沖縄民謡を基盤とした歌唱を行う歌手で1988年より、りんけんバンドに参加した。同バンドでは女性ボーカルとして、国内外の公演や録音活動に携わっている。海外の沖縄系団体が発行する公演資料においても、女性リードボーカルとして紹介されている。 沖縄県糸満市に生まれ、幼少期より沖縄民謡に親しんだ。6歳頃から舞台での歌唱経験を持ち、地元の民謡グループなどで活動したとされる。 1988年、照屋林賢を中心とする音楽グループ「りんけんバンド」に参加した。
赤嶺 賢勇(あかみね けんゆう、1958年5月20日 - )… 赤嶺 賢勇(あかみね けんゆう、1958年5月20日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(投手)。 沖縄・豊見城高時代には、栽弘義監督の指導を受けて1年秋に県大会優勝、九州大会は準決勝で門司工に延長11回完投するもサヨナラ負け。1975年の選抜大会に出場し、初戦でその夏に甲子園優勝をとげた習志野高校を完封、準々決勝では、結果的に準優勝だった東海大相模高校に対して9回裏2死無走者(2死目は原辰徳から見逃し三振を奪った)までリードを保ち、そのあと津末英明からの被安打をきっかけに敗北したが、この大会の活躍で全国的に注目を浴びる投手となった。夏は県大会ベスト4、秋も県大会連覇すると九州大会では柳川商の久保康生に投げ勝つなど準優勝。
堀川 まゆみ(ほりかわ まゆみ、1958年5月2日 - )は… 堀川 まゆみ(ほりかわ まゆみ、1958年5月2日 - )は沖縄県宜野湾市出身の作曲家、ラジオパーソナリティ及び元モデル、元女優、元歌手。スペイン系フィリピン人の父と日本人の母との間に生まれた。身長163cm(1978年12月)。シンガーソングライターREMEDIOSこと麗美は実妹にあたる。 父親もギタリストで、まゆみも5歳からピアノを習った。地元沖縄の米軍向けバーで、父と一緒にディキシーランド・ジャズピアノを弾いているところをスカウトされ芸能界入り。ピアニスト志望で上京したが、1978年に4代目クラリオンガールに選出。同年資生堂のモデルに抜擢され人気を集め、自身の本意とは裏腹にモデルとして売れる結果となった。
糸数 勝彦(いとかず かつひこ、1958年3月22日 - )… 糸数 勝彦(いとかず かつひこ、1958年3月22日 - )は、沖縄県国頭郡恩納村出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 石川高校ではエースとして、1年秋は県大会決勝で興南高の前泊哲明と投げ合うが敗れ、2年夏は南九州大会決勝まで進むが敗れた。秋は県大会決勝で下地勝治(広島)を擁する豊見城高に敗れる。1975年夏の甲子園に出場。1回戦で新潟商を降すが、2回戦で浜松商の高林基久に9回裏、大会初の逆転サヨナラ本塁打を喫し敗退。 1975年のドラフト2位で太平洋クラブライオンズに入団。オープン戦は出場したが、5年間で一度も一軍で登板することができず、1980年限りで引退した。速球、カーブを武器とした。
ジョニー宜野湾(ジョニーぎのわん、 (1958-02-11)… ジョニー宜野湾(ジョニーぎのわん、 (1958-02-11) 1958年2月11日(68歳)- )は、沖縄県宜野湾市出身の歌手・シンガーソングライター。 沖縄県を拠点に、アコースティック編成を中心とした音楽活動を行っている。元ハートビーツのギタリスト。2010年前後から、ステージではウクレレを用いた演奏を行う機会が増えた。 CDやアルバムは自主制作で発表しており、沖縄の音楽シーンにおいて地元に根ざした活動を行う歌手の一人として紹介されている。 ヒット曲として「うりひゃあでぇじなとん」「一本道」「具志堅用高の唄」などがある。「一本道」は、プロボクサー平仲信敏が最後の試合で入場テーマとして使用し、阪神タイガースの投手・福原忍が2008年から登場曲として採用していた。
友寄 正人(ともよせ まさと、1958年1月26日 - )は… 友寄 正人(ともよせ まさと、1958年1月26日 - )は、元セントラル・リーグのプロ野球審判員。沖縄県出身であり、同県出身のセ・リーグ審判員第1号である。(同県出身者では、パ・リーグの砂川恵玄審判が第1号である。)現役を引退した2013年シーズンまでの審判員袖番号は22。 小禄高校、沖縄国際大学を経てビル・キナモン審判学校卒業。 自身には野球のプレイ経験は中学の1年足らずだが、小5の頃から審判に興味を持っており、小禄高校時代に沖縄県野球連盟に審判志願した。大学2年生の時には既に、高校野球沖縄県大会の審判員を任されるほどであった。大学時代に神原中で2年間監督を務めていた。本人曰く、少年時代は指揮者になりたかったという。
又吉清義(またよし せいぎ、1957年11月20日 - )は… 又吉清義(またよし せいぎ、1957年11月20日 - )は日本の政治家。宜野湾市議(4期)を経て、沖縄県議(3期目)を務める。 1957年11月20日、宜野湾市我如古に生まれる。1976年、沖縄県立普天間高等学校卒業。1981年、琉球大学短期大学部機械工学科卒業。1990年、我如古自治会会長に就任する。1994年、宜野湾市議会議員選挙に立候補して、初当選を果たす。2002年、市議選に3選を目指して立候補したが、定数30に対し33位で落選した。2006年、市議選に無所属で立候補し、28人中4位で3選を果たし、返り咲きを果たした。2010年9月12日、市議選で28人中7位で4選を果たした。2012年3月17日、沖縄県議会議員選挙に宜野湾市選挙区から立候補する意向を表明した。
前泊 哲明(まえどまり てつあき、1957年10月17日 -… 前泊 哲明(まえどまり てつあき、1957年10月17日 - )は、沖縄県西表島出身の元プロ野球選手(投手)。
謝花 喜一郎(じゃはな きいちろう、1957年〈昭和32年〉… 謝花 喜一郎(じゃはな きいちろう、1957年〈昭和32年〉- )は、日本の地方公務員。沖縄県信用保証協会会長。沖縄県職員として、沖縄県企画部長、県知事公室長を歴任し、2018年4月から沖縄県副知事を務めた。同年8月には翁長雄志県知事の体調悪化に伴い、一時的に県知事職務代理者を務めた。 1957年生まれ、今帰仁村出身。琉球大学卒業。 2012年より沖縄県企画部長。企画部長時代は沖縄21世紀ビジョン基本計画の策定や沖縄振興一括交付金の創設など沖縄振興施策に携わり、国との交渉を担当した。2016年より事務方トップの県知事公室長に就任し、同年6月には今後、沖縄県にて在日アメリカ軍絡みの事件や事故が発生した際には沖縄県からは抗議に出向かない方針を国に伝え、政府やアメリカ側が沖縄県に説明に来るよう要求した。
下地 暁(しもじ さとる、1957年 - )は、沖縄県宮古島… 下地 暁(しもじ さとる、1957年 - )は、沖縄県宮古島市城辺出身のシンガーソングライター。 1992年、宮古島市の沖縄県立宮古高等学校卒業後に東京にて音楽活動をしていたが、島の言葉「宮古方言」を歌で次世代に繋げることができないかと考え故郷宮古島に活動拠点を移した。以来2013年現在、宮古島の音楽を宮古島から世界へ向けての発信活動21年目となる。「宮古方言」はユネスコにより消滅危機にあると認定されている言語の一つである。 創作活動では、アルバム「オトーリ」を初めとし、2010年8月に携帯着うたサイトの「沖縄ちゅらサウンズ」で10週連続1位を記録した「宮古まもる君のうた」、Goh Hotoda(ゴウ・ホトダ)プロデュースによる最新アルバム「Myahk」まで70以上の作品を発表している。
友鵬 勝尊(ゆうほう まさたか、1956年12月5日 - 2… 友鵬 勝尊(ゆうほう まさたか、1956年12月5日 - 2017年9月8日)は、沖縄県宮古島市(旧・平良市)出身で大鵬部屋に所属した大相撲力士。引退後は大鵬部屋を経て大嶽部屋に所属し、日本相撲協会の世話人を務めていた。本名は長崎 勝。最高位は西幕下筆頭(1987年1月場所)。得意技は押し。 沖縄県立宮古高等学校で柔道を始め、沖縄県の新人戦で3位に入った。準決勝で対戦した相手の父親が大鵬部屋大阪後援会と知り合いだった縁で、1975年2月に大鵬が自ら宮古島までスカウトに来た。上京して一旗揚げたい気持ちが強まり、大鵬部屋に入門、高校は中退した。 1975年5月場所に「宮古島」の四股名で初土俵を踏む。
粟國 彰(あぐに あきら、1956年3月29日 - )は、日… 粟國 彰(あぐに あきら、1956年3月29日 - )は、日本の政治家。那覇市議会議員(3期)。 沖縄県宮古郡伊良部町伊良部島長浜(現宮古島市)出身。宮古島市立伊良部小学校、宮古島市立伊良部中学校を経て、高校は沖縄本島の沖縄高等学校へ進学。高校時代はボクシング部に所属した。沖縄大学卒業後は沖縄県土木建築部非常勤職員として下地島空港で働いたのち、1985年より建築会社に16年間勤務。 2001年、那覇市議会議員選挙に初めて出馬するも落選。4回連続の落選の中、知人から東京慈恵会医科大学の医師を紹介され、共同で那覇市に病院を設立。2004年に医療法人博鳳会、2009年に統合医療クリニック勤務。 2013年に那覇市議会議員に初当選を果たした。
桑江 朝千夫 (くわえ さちお、1956年〈昭和31年〉1月… 桑江 朝千夫 (くわえ さちお、1956年〈昭和31年〉1月11日 - 2024年〈令和6年〉12月9日)は、日本の政治家。沖縄市長(2期)。沖縄県議会議員、沖縄市議会議員。父親は元沖縄市長の桑江朝幸。また、県内8市の保守系市長で構成された市長連合「チーム沖縄」のメンバーであった。 沖縄中頭郡コザ地区(現・沖縄県沖縄市住吉)出身。コザ市教育区立コザ小学校(現・沖縄市立コザ小学校)、那覇教育区立那覇中学校(現・那覇市立那覇中学校)、沖縄県立那覇高等学校、日本大学法学部卒業。 1986年(昭和61年)、衆議院議員の小渡三郎の公設秘書となる。1988年(昭和63年)、衆議院議員の渡辺美智雄の私設秘書となる。
新垣 安弘(あらかき やすひろ、1955年〈昭和30年〉12… 新垣 安弘(あらかき やすひろ、1955年〈昭和30年〉12月30日 - )は、日本の政治家。沖縄県八重瀬町長(3期)。元沖縄県議会議員(2期)、元八重瀬町議会議員(2期、当選回数は1回)、元東風平町議会議員(1期)。 琉球政府島尻郡東風平村(現・沖縄県八重瀬町字志多伯)生まれ。沖縄県立糸満高等学校卒業。 1982年10月14日、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の6000双国際合同祝福結婚式がソウルの蚕室体育館で開催され、5837組の新郎新婦が祝福された。新垣もこの合同結婚式に参加した。 2002年9月、東風平町議会議員に初当選。2006年1月1日、東風平町と具志頭村が合併し八重瀬町が誕生。
大嶺 満(おおみね みつる、1955年〈昭和30年〉8月31… 大嶺 満(おおみね みつる、1955年〈昭和30年〉8月31日 - )は、日本の実業家。沖縄電力会長、九州経済連合会副会長。沖縄県那覇市出身。 沖縄県那覇市出身。沖縄県立那覇高等学校を経て、1980年(昭和55年)青山学院大学経営学部卒、沖縄電力入社。経理部長や企画本部長などを歴任し、2009年(平成21年)に常務、2011年(平成23年)6月に副社長に昇格。2013年(平成25年)4月に社長就任。同社としては當眞嗣吉、石嶺伝一郎に続く3人目の生え抜き社長となる。2019年4月会長就任。 2019年九州経済連合会副会長。他に沖縄経済同友会代表幹事、沖縄県生産性本部会長、南西地域産業活性化センター会長、沖縄経済同友会特別幹事、内閣府沖縄振興審議会委員等を歴任。
伊良皆 光夫(いらみな みつお、1955年〈昭和30年〉5月… 伊良皆 光夫(いらみな みつお、1955年〈昭和30年〉5月25日 - )は、日本の政治家。沖縄県多良間村長(第29 - 32代)。 米国施政下にあった沖縄の宮古郡多良間村塩川出身。沖縄県立宮古高等学校を経て、琉球大学短期大学部法経学科を卒業。1979年(昭和54年)12月、宮古郡農業協同組合に入組。同組合金融課長、沖縄県農業協同組合多良間支店金融共済課長などを歴任。 2005年(平成17年)7月、多良間村助役に就任。 2007年(平成19年)4月、多良間村副村長に就任。2012年(平成24年)10月まで務めた。 2013年(平成25年)5月11日、多良間村長選挙への出馬を表明。同年6月16日に投開票され、3選を目指した現職の下地昌明を破り初当選。
嵩元 盛兼(たけもと せいけん、 (1955-04-25) … 嵩元 盛兼(たけもと せいけん、 (1955-04-25) 1955年4月25日(71歳) - )は、日本の実業家、教育行政関係者。元沖縄セルラー電話常務取締役、元浦添市教育長。 沖縄県沖縄市出身。沖縄県立コザ高等学校を経て、国費沖縄学生制度により金沢大学へ進学した。 1981年、琉球石油株式会社(現・りゅうせき)に入社した。その後、参議院議員・稲嶺一郎の秘書を務めた。 1991年、沖縄セルラー電話営業部長に就任し、1994年に同社取締役営業部長に就任した。以後、取締役管理部長、取締役法人営業部長、取締役役員室長などを歴任した。2007年に常務取締役内部統制・リスク管理部門担当兼役員室長、2009年に常務取締役リスク管理部門担当兼渉外・広報部長となり、2010年6月に常勤監査役に就任した。
古謝 景春(こじゃ けいしゅん、1955年3月24日 - )… 古謝 景春(こじゃ けいしゅん、1955年3月24日 - )は、日本の政治家。元沖縄県南城市長(4期)。元知念村長(1期)。 本籍は南城市知念字安座真。知念村立知念小学校、知念村立知念中学校、沖縄県立沖縄水産高等学校卒業。1979年(昭和54年)4月、知念村役場に採用される。1989年(平成元年)3月、沖縄大学法経学部法学科卒業。1992年(平成4年)、自治大学校卒業。 1998年(平成10年)12月22日、知念村助役に就任。2002年(平成14年)5月31日、助役を退任。同年9月21日、知念村長に就任。 2006年(平成18年)1月1日、知念村は佐敷町、玉城村、大里村と合併して消滅。南城市が誕生。
我部 政明 (がべ まさあき、1955年2月8日 - )は、… 我部 政明 (がべ まさあき、1955年2月8日 - )は、日本の政治学者、琉球大学教授。専門は国際政治学、日本外交史、日米関係論。
仲間 一(なかま はじめ、1955年1月15日 - )は、日… 仲間 一(なかま はじめ、1955年1月15日 - )は、日本の政治家。元沖縄県金武町長(3期)。 沖縄県金武町並里区生まれ。沖縄県立宜野座高等学校卒業、沖縄国際大学中退。 並里区事務所職員を経て並里区長を4期務めた後、2007年6月から2013年6月まで金武町教育長を2期務める。金武町がネイチャーみらい館を整備した際は、同施設を運営する指定管理者のNPO法人雄飛ツーリズムネットワークの理事長にも就任した。 2014年、儀武剛金武町長の引退に伴い、儀武の後継指名を受け無所属で金武町長選挙に出馬し、初当選した。同年4月17日、正式に金武町長に就任。 2018年、無投票により再選。 2022年4月3日の町長選で前町観光協会会長の山川宗仁を破り3選。
山川 典二(やまかわ のりじ、1954年12月23日 - )… 山川 典二(やまかわ のりじ、1954年12月23日 - )は、日本の政治家、音楽評論家。沖縄県議会議員を務める。元NHKアナウンサー。 沖縄県島尻郡伊是名村生まれ。沖縄県立那覇高等学校、青山学院大学卒業後、沖縄国際大学大学院に入学し、修士課程を修了した。1979年、NHKに入局した。報道・文化番組を中心に出演し、様々な文化新規事業に従事した。その後コンチネンタル航空に転職し、観光関連事業に従事した。 1997年、那覇市議会議員選挙に初当選し、通算5期にわたり務めた。2016年、沖縄県議会議員選挙に初当選を果した。 音楽評論家として、ラジオ沖縄で毎週日曜日18時から18時30分に生放送されている『山川典二のJAZZ LIFE』を担当している。
多喜ひろみ(たき ひろみ、1954年11月23日 - )は、… 多喜ひろみ(たき ひろみ、1954年11月23日 - )は、エフエム沖縄のアナウンサーである。本名は多喜博美。沖縄県那覇市生まれ。
友利 勝良(ともり かつよし、1954年10月25日 - )… 友利 勝良(ともり かつよし、1954年10月25日 - )は、沖縄県平良市(現・宮古島市)出身のプロゴルファー。サニクリーン所属。 日本人プロゴルファーとして、初めてヨーロッパ・ゴルフツアーに4年間フル参戦した選手である。 日本ゴルフツアー通算7勝。 宮古水産高校卒業後、オイルショックのため就職することが出来ないまま、故郷の宮古島から本島に渡る。親戚の手伝いなどアルバイトで暮らしていたが、20歳の時にゴルフ練習場でボール拾いのアルバイトを始める。 毎日17時から22時までで、初めの3ヶ月は仕事を覚えるのが大変でアルバイトだけしていたが、慣れてくると深夜から朝まで飲んでは昼に眠り、夕方、仕事に行くようになる。
新垣 清(あらかき きよし、1954年10月17日 - )は… 新垣 清(あらかき きよし、1954年10月17日 - )は、沖縄県那覇市出身の空手家、作家。 現米国硬式空手道連盟会長、沖縄空手道無想会最高師範。 1967年、13歳で長嶺将真十段の松林流に入門。その傍ら、多くの沖縄空手界の重鎮や長老の下へと通い、古伝の沖縄空手、古武道を修得する。1973年、沖縄県立那覇高等学校を卒業。1977年、初渡米。 1978年、自身の空手流派にフルコンタクト制も導入。その後、タイのバンコクにてムエタイの殿堂ルンピニー・スタジアムに出場。 1981年に再渡米し、ユタ州ソルトレイクシティーにおいて無想会を創始した。 山根流棒術で知られる大城利弘は、兄弟子に当たる。