頴川 史郎(えがわ しろう、1922年10月30日 - 20… 頴川 史郎(えがわ しろう、1922年10月30日 - 2007年3月4日)は、日本の経営者、銀行家。日本債券信用銀行頭取を務めた。長崎県出身。 1947年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1964年11月に日本不動産銀行(のちの日本債券信用銀行)に転じ、1970年11月に取締役に就任し、1972年4月に常務を経て、1975年12月に副頭取に就任し、1982年11月に頭取に昇格。1987年12月に会長に就任し、1992年6月には相談役に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲二等旭日重光章を受章。 2007年3月4日病気のために死去。84歳没。
中村 金夫(なかむら かねお、1922年10月26日 - 1… 中村 金夫(なかむら かねお、1922年10月26日 - 1999年2月21日 )は、日本の経営者。日本興業銀行頭取を務めた。 京都府京都市出身。1947年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に日本興業銀行に入行した。1966年にハーバード大学経営大学院でAMPを修了。1972年11月に取締役に就任し、常務を経て、1982年6月に副頭取に就任し、1984年6月には頭取に昇格した。1990年6月に会長に就任。1988年11月に藍綬褒章を受章。 1999年2月21日、心不全のために死去。76歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川合 勇(かわい いさむ、1922年(大正11年)10月10… 川合 勇(かわい いさむ、1922年(大正11年)10月10日 - 没年不明)は日本の実業家。富士重工業代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長に就任したが在職中、贈賄容疑で逮捕、起訴され辞任した。 静岡県出身。1945年東京帝国大学工学部卒業。1946年日産自動車入社。日産自動車追浜工場工務部長を経て、1984年取締役に昇格。1985年日産ディーゼル工業代表取締役社長。1990年富士重工業(現SUBARU)代表取締役社長。1996年富士重工業代表取締役会長。 1998年に救難飛行艇開発汚職事件が発覚し、中島洋次郎防衛政務次官に対する贈賄容疑で逮捕、起訴され富士重工業代表取締役会長を辞職した。2006年最高裁判所で上告が棄却され、懲役1年6月、執行猶予3年とした東京高等裁判所の2審判決が確定した。
吉田 哲也(よしだ てつや、1922年9月29日 - 199… 吉田 哲也(よしだ てつや、1922年9月29日 - 1991年3月7日 )は、日本の経営者。筑邦銀行頭取を務めた。 佐賀県出身。1949年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に日本勧業銀行に入行した。1972年11月に筑邦銀行常務を経て、1977年12月に副頭取に就任し、1981年6月には頭取に昇格した。1990年12月には会長に就任。 1991年3月7日、心不全のために死去。68歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
近藤 健男(こんどう たけお、1922年9月26日 - 19… 近藤 健男(こんどう たけお、1922年9月26日 - 1986年11月22日)は、日本の経営者。三菱商事社長を務めた。 愛知県出身。1944年に東京帝国大学工学部航空学科を卒業し、同年には川西航空機に入社し、戦時中には、海軍技術中尉を務めた。 終戦後には復社し、1949年に協和交易に入社し、1954年に合併により、三菱商事に転じ、1979年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務を経て、1986年6月から社長を務めた 1986年11月22日、肝不全のためにで死去。64歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中原 功(なかはら いさお、1922年9月5日 - 1996… 中原 功(なかはら いさお、1922年9月5日 - 1996年1月18日)は、日本の経営者。東急ストア社長を務めた。福岡県出身。 1944年に東京帝国大学文学部を経て、1946年に東京帝国大学大学院を修了し、1947年1月に毎日新聞社に入社。1957年3月に東急電鉄を経て、1966年3月に東急ストアに転じ、常務に就任し、1970年4月に専務、1978年5月に副社長を経て、1981年5月に社長に就任。1993年5月には会長に就任。 1984年5月から1986年5月までに日本チェーンストア協会会長を務め、東急百貨店取締役も務めた。 1986年5月に藍綬褒章を受章。 1996年1月18日心不全のために死去。
金森 茂一郎(かなもり しげいちろう、1922年(大正11年… 金森 茂一郎(かなもり しげいちろう、1922年(大正11年)8月24日 - 2004年(平成16年)10月19日)は日本の実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長(11代目)・会長のほか、大阪近鉄バファローズのオーナー、学校法人・帝塚山学園名誉理事長、日本民営鉄道協会会長も務めた。 祖父は近鉄の前身である大阪電気軌道・参宮急行電鉄元社長、実質的な創業者の一人でもある金森又一郎。父は近鉄の元会長である金森乾次で、又一郎の二男。また、実弟は大阪大学元総長の金森順次郎である。 大阪市で生まれる。1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、京阪神急行電鉄(現在の阪急阪神ホールディングスおよび阪急電鉄)に入社した。
野澤 清志(のざわ きよし、1922年8月14日 - 201… 野澤 清志(のざわ きよし、1922年8月14日 - 2010年12月28日)は、日本の実業家。日本原燃の初代社長を務めた。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1947年東京大学経済学科卒業、関東配電を経て1951年に東京電力入社。群馬支店次長、原子力部長代理、原子力建設部長代理、送変電建設本部副本部長、常務取締役などを歴任。1985年に電気事業連合会副会長。日本原燃産業社長などを経て1992年から日本原燃初代代表取締役社長を務め、相談役、顧問を経て2002年に退任。1997年に勲二等瑞宝章受章。1998年にフランスレジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章。
小林 庄一郎(こばやし しょういちろう、1922年7月14日… 小林 庄一郎(こばやし しょういちろう、1922年7月14日 - 2020年2月4日)は、日本の経営者である。 中華民国奉天省(現中華人民共和国遼寧省)大連市生まれ。生まれた頃は父方の阿部姓だったが、帝大入学以降に母方の養子となり小林姓になる。旅順高等学校 (旧制) から東京帝国大学(現東京大学)経済学部に進学。1943年、大学2年で学徒出陣。海軍少尉となり、駆逐艦桐に砲術士として乗艦。山口県沖に停泊中の艦上で玉音放送を聞いた。 日本の敗戦後復学し、1947年1月関西配電(現関西電力)に入社。1977年関西電力社長、1985年会長。1987年、芦原義重名誉会長を解任した(関電二・二六事件)。1997年相談役、2002年-2015年6月顧問。
越智 泰二郎(おち たいじろう、1922年7月9日 - 19… 越智 泰二郎(おち たいじろう、1922年7月9日 - 1984年8月25日)は、日本の経営者。島根県出身。 1944年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業し、後に日本勧業銀行に入行。1973年11月に取締役に就任し、1977年7月に北越製紙常務、1979年7月に専務を経て、1983年7月から1984年5月までに社長を務めた。 1984年8月25日甲状腺癌のために死去。62歳没。
遠山 一行(とおやま かずゆき、1922年(大正11年)7月… 遠山 一行(とおやま かずゆき、1922年(大正11年)7月4日 - 2014年(平成26年)12月10日)は、日本の音楽評論家・実業家。日興證券会長を務めた遠山元一の長男。 遠山元一の長男として東京市麻布区笄町(現在の港区西麻布)に生まれ育つ。クリスチャンの家庭であり、一行自身もプロテスタントの信仰で育った。 1929年(昭和4年)、成城学園小学校に入学。同級に加藤一郎がいた。1933年(昭和8年)、澤柳政太郎没後の学園経営をめぐるトラブル、いわゆる成城事件(成城騒動)により小学6年時に自主退学し、第2学期から麻布区立南山小学校に転校。1935年(昭和10年)、府立高等学校尋常科に入学。第1学年2学期からピアノを朴啓成(後の属啓成)に師事。
桶本 正夫(おけもと まさお、1922年6月2日 - 200… 桶本 正夫(おけもと まさお、1922年6月2日 - 2008年12月19日)は、日本の経営者。神奈川新聞社社長、会長を務めた。 福岡県出身。1949年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に朝日新聞社に入社した。1981年1月には神奈川新聞社社長に就任した。1992年6月に会長に就任し、1993年12月から相談役を務めた。 2008年12月19日、肺炎のために死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
清水 夏樹(しみず なつき、1922年(大正11年)6月1日… 清水 夏樹(しみず なつき、1922年(大正11年)6月1日 - 2007年(平成19年))は、日本の実業家。入間川ゴム社長・会長。 1922年(大正11年)6月1日、東京都に生まれた。北木島石材社長の片岡孫四郎の四男である。入間川ゴムの創業者であり社長の清水逸平の養子となった。 1949年(昭和22年)に東京大学経済学部経済学科を卒業し、日興証券に入社して債券部に勤務した。1951年(昭和26年)7月、家業の入間川ゴム副社長に就任した。1953年(昭和28年)8月30日、長男の清水秀樹が生まれた。妻は逸平の長女である玲子。1961年(昭和36年)には海外のゴム事情の視察を行った。 1963年(昭和38年)11月、養父の逸平は入間川ゴム会長に就任し、夏樹が入間川ゴム社長に就任した。
住田 正二(すみた しょうじ、1922年(大正11年)5月2… 住田 正二(すみた しょうじ、1922年(大正11年)5月26日 - 2017年(平成29年)12月20日)は、日本の官僚、実業家、運輸事務次官やJR東日本社長を務めた。 東京都副知事などを務めた住田正一の次男として生まれる。兄は住田俊一。兵庫県神戸市生まれだが、父の正一が呉造船所社長だった事から、本籍は居住経験のない広島県呉市で広島県人会にも登録されていた。またワイズメン・グループの大来佐武郎のあとを継いで、1979年ワイズメンに選ばれる。国際情勢研究会会長、国際戦略研究所副会長、アジア調査会理事などを歴任。1983年勲二等旭日重光章。 小学校から旧制高校まで成蹊で過ごし、同級生には緒方四十郎や堀江鉄弥がいた。
磯邊 律男(いそべ りつお、1922年 <大正11年> 4月… 磯邊 律男(いそべ りつお、1922年 <大正11年> 4月3日 - 2012年 <平成24年> 2月12日)は、日本の大蔵官僚、実業家。国税庁長官を経て、博報堂代表取締役社長を歴任した。2001年春勲二等旭日重光章受章。位階は正四位。 大分県東国東郡武蔵町(現:国東市)生まれ。教員だった父の転勤で日本統治時代の朝鮮(現韓国)の光州の小学校と旧制中学校を卒業後、旧制五高に進み、東京帝国大学法学部政治学科を卒業した1948年に大蔵省に入省(理財局)。 国税庁査察課長時代には、吹原産業事件のほか、田中彰治衆議院議員が小佐野賢治を恐喝した虎ノ門事件の調査を担当。調査の最中には、順天堂大学医学部附属順天堂医院に入院しているはずの田中が、病院を抜け出して大蔵省5階の国税庁査察課に現れ、「課長の磯邊はいるか」と声を張り上げ、「俺のことをこそこそ調べているようだが、やれるもんならやってみろ」と啖呵を切って引き揚げた。
関口 武士(せきぐち たけし、1922年3月25日 - 19… 関口 武士(せきぐち たけし、1922年3月25日 - 1997年5月2日)は、日本の経営者。中央信託銀行社長を務めた。新潟県出身。 1947年に東京大学経済学部商業学科を卒業し、同年に東海銀行に入行。1962年6月に中央信託銀行に転じ、1971年5月に取締役に就任し、1973年11月に常務、1976年6月に専務を経て、1979年12月には社長に就任。1987年3月に会長に就任し、1993年6月に取締役相談役を経て、1995年6月には相談役に就任。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、19954月に勲三等旭日中綬章を受章。 1997年5月2日に脳出血のために死去。75歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
角替 武(つのがえ たけし、1922年(大正11年)2月9日… 角替 武(つのがえ たけし、1922年(大正11年)2月9日 - 2006年(平成18年)1月3日)は、日本の元陸軍軍人および実業家。陸士55期次席。日本航空常務取締役、日本アジア航空代表取締役社長および名誉顧問。 静岡県掛川市出身。1936年(昭和11年)4月、掛川中学校(現:静岡県立掛川西高等学校)より東京陸軍幼年学校に転学。1941年(昭和16年)に陸軍士官学校卒業後、満州・東安駐屯の歩兵第22連隊に配属される。大戦末期、内地の陸軍士官学校区隊長(58期・60期担当)に発令され、陸軍大尉で終戦を迎える。 戦後は公職追放を受ける。1952年9月、東京大学法学部卒。1953年に日本航空に入社、経理課長、ロンドン支店長、運送本部管理部長、経営管理室長を経て1979年6月より常務取締役。
山本 博(やまもと ひろし、1922年2月1日 - 2019… 山本 博(やまもと ひろし、1922年2月1日 - 2019年10月9日)は、日本の経営者。四国電力社長、会長を務めた。 徳島県出身。1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、1946年10月に四国配電(のちの四国電力)に入社。 1974年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1986年6月に副社長を経て、1988年6月には社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1999年6月から相談役を務めた。 四国経済連合会会長も務めた。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1997年4月にレジオン・ドヌール勲章シュバリエを受章し、1998年11月に勲一等瑞宝章を受章。 2019年10月9日老衰のために死去。
森岡 茂夫(もりおか しげお、1922年1月7日 - 201… 森岡 茂夫(もりおか しげお、1922年1月7日 - 2018年6月4日)は、日本の経営者。山之内製薬社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1945年に東京帝国大学農学部農林学科を卒業し、1947年5月に山之内製薬に入社。1970年2月に取締役に就任し、1976年3月に常務、1979年8月に専務を経て、1980年3月に社長に就任。1992年6月に会長も兼任し、同年10月には会長に専任し、2000年6月までに務めた。 1999年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2018年6月4日、老衰のために死去。96歳没。
伊藤 正(いとう ただし、1922年1月6日 - 2004年… 伊藤 正(いとう ただし、1922年1月6日 - 2004年11月18日)は、日本の経営者。住友商事社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1949年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本建設産業(のちの住友商事)に入社した。1966年7月に鋼材貿易部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1983年6月に社長に昇格し、1990年6月に会長に就任した。1995年6月に相談役に就任し、1997年2月から名誉顧問を務めた。 1984年2月に藍綬褒章を受章した。 2004年11月18日、急性骨髄性白血病のために死去。82歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
藤森 正路(ふじもり まさみち、1921年12月22日 - … 藤森 正路(ふじもり まさみち、1921年12月22日 - 2018年9月6日)は、日本の経営者、工学博士。住友金属鉱山社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1944年に東京帝国大学工学部冶金学科を卒業。1977年6月に住友金属鉱山常務に就任し、1979年6月に専務、1981年6月に副社長を経て、1983年6月に社長に就任。1988年6月に会長に就任し、1992年6月には相談役に就任。 1982年4月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲一等瑞宝章を受章。 2018年9月6日肝細胞癌のために死去。96歳没。
近藤 鎮雄(こんどう しずお、1921年11月24日 - 2… 近藤 鎮雄(こんどう しずお、1921年11月24日 - 2015年7月24日)は、日本の経営者。大阪商船三井船舶(現在の商船三井)社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1943年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に大阪商船に入社。1972年5月に大阪商船三井船舶取締役に就任し、1976年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1980年6月に社長に就任。1984年6月に会長に就任し、1989年6月に相談役に就任。 1981年7月に運輸大臣表彰を受け、1982年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2015年7月24日急性肺炎のために死去。93歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
長野 和吉(ながの わきち、1921年11月21日 - 20… 長野 和吉(ながの わきち、1921年11月21日 - 2024年12月8日)は、日本の経営者。三菱ガス化学社長を務めた。大分県出身。 1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、1946年11月に三菱銀行に入行。1956年11月に日本瓦斯化学工業(のちの三菱ガス化学)に転じ、1964年5月に取締役に就任し、1968年11月に常務、1971年11月に専務、1979年6月に副社長を経て、1981年6月に社長に就任。1988年6月には会長に就任し、1995年6月には相談役に退いた。 1984年4月に藍綬褒章を受章し、1994年11月には勲二等瑞宝章を受章を受章。 2024年12月8日、死去。103歳没。
和田 穣太郎(わだ じょうたろう、1921年11月7日- 2… 和田 穣太郎(わだ じょうたろう、1921年11月7日- 2006年11月29日 )は、日本の経営者。三菱倉庫社長、会長を務めた。 東京都出身。1947年に東京大学法学部を卒業し、同年に三菱倉庫に入社した。1973年5月に取締役に就任し、1975年6月に常務、1979年6月に専務を経て、1981年6月に社長に就任。1987年6月には相談役に就任。 1994年6月に日本郵船監査役に就任。 1986年4月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2006年11月29日、腹部大動脈瘤破裂のために死去。85歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
翁 久次郎(おきな きゅうじろう、1921年(大正10年)1… 翁 久次郎(おきな きゅうじろう、1921年(大正10年)10月8日 - 1996年(平成8年)9月2日)は、日本の厚生官僚・実業家。内閣官房副長官。位階は正三位。 富山県出身。富山高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業。第11海軍航空廠に配属。同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年1月、工場が愛媛県八幡浜の繊維工場に疎開。同年5月、大阪監督官事務所に転属し終戦を迎えた。同年9月に主計中尉に進む。同年10月、予備役に編入され解員(復員)。 1946年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1947年4月、高等試験行政科試験に合格。
高橋 博(たかはし ひろし、1921年 〈大正10年〉 9月… 高橋 博(たかはし ひろし、1921年 〈大正10年〉 9月4日 - 2018年 〈平成30年〉 5月24日)は、日本の経営者。呉羽化学工業 (現在のクレハ) 社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1947年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に呉羽化学工業(現在のクレハ)に入社した。1968年5月に取締役に就任し、1970年5月に常務、1972年11月に専務を経て、1973年11月に社長に就任。1988年6月に会長を経て、1994年6月には最高顧問に就任。 1981年11月に藍綬褒章を受章し、1991年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2018年5月24日老衰のために死去。96歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
土田 晃透(つちだ てるみち、1921年(大正10年)8月2… 土田 晃透(つちだ てるみち、1921年(大正10年)8月22日 - 2008年(平成20年)10月20日)は、日本の経営者。元明治生命保険社長・会長。元生命保険協会会長。大分県出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 200… 青山 行雄(あおやま ゆきお、1921年8月1日 - 2002年6月12日)は、日本の実業家。讀賣テレビ放送(よみうりテレビ、読売テレビ)社長・名誉会長、日本民間放送連盟副会長、関西経済連合会理事、関西経営者協会理事、近畿警察官友の会会長、日本室内楽振興財団理事長。広島県府中市出身。
八馬 啓(はちうま ひろし、1921年〈大正10年〉7月28… 八馬 啓(はちうま ひろし、1921年〈大正10年〉7月28日 - )は、日本の実業家。多聞酒造相談役。 兵庫県西宮市久保町、三代八馬兼介の長男。1944年、東京帝国大学文学部東洋史学科卒業。海兵に入団する。1945年、復員後に八馬汽船取締役。 1947年、オーエス映画監査役、1949年、新朝日自動車副社長となり、1951年、八馬汽船専務に就任。宝梅園農場社長、多聞酒造社長、相談役を務めた。 八馬理、八馬望、八馬立の兄である。 趣味は碁、写真。宗教は真宗。住所は兵庫県西宮市、宝塚市小林字梅圃。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
山崎喜陽(やまざき きよう、1921年7月25日 - 200… 山崎喜陽(やまざき きよう、1921年7月25日 - 2003年11月11日)は、機芸出版社元社長・代表取締役。長崎県佐世保市出身。 戦前、『子供の科学』主催のスピード競争・牽引力競争で優勝。やがて『模型鉄道』、『科学と模型』に投稿を続ける。 1945年(昭和20年)、東京帝国大学理学部を卒業後、地理学教室に嘱託として残るが鉄道関係の小冊子を数冊発刊した。 1946年(昭和21年)、機芸社(のちの機芸出版社)を設立し、雑誌『鉄道模型趣味』(TMS)を創刊。病気のため事実上離れる最晩年まで長年主筆を務めた。 鉄道模型においては、軌間16.5mmのHOゲージ(縮尺1/87)およびOOゲージ(縮尺1/76)との対比から、日本型車輌を縮尺1/80とし、これらを総称して「16番ゲージ」と呼称することを定めた。
山田 稔(やまだ みのる、1921年7月23日 - 1995… 山田 稔(やまだ みのる、1921年7月23日 - 1995年5月1日)は、日本の実業家。ダイキン工業元社長・会長。ダイキン工業創業者の山田晁の長男。 福岡県出身。芦屋市立精道小学校、神戸第一中学校、第六高等学校、東京帝国大学工学部卒業。1946年に大阪金属工業(現・ダイキン工業)入社。1972年に3代目社長へ就任し、22年間務めた後、1994年より会長を務めた。その他には関西経済連合会副会長、関西経済同友会代表幹事、 太平洋人材交流センター初代理事長も務めた実績がある。 元サントリー会長の佐治敬三、森下仁丹2代目社長の森下泰とは長年の友人だった。
佐野 肇(さの はじめ、1921年7月13日 - 2003年… 佐野 肇(さの はじめ、1921年7月13日 - 2003年6月24日)は、日本の経営者、薬学博士。中外製薬社長を務めた。宮城県仙台市出身。 1944年に東京帝国大学第一工学部火薬学科を卒業し、同年に日本火工に入社し、陸軍兵器学校、陸軍技術中尉を経て、1947年10月に中外製薬に入社。 1964年5月に取締役に就任し、1974年11月に常務、1985年3月に専務を経て、1987年3月から1992年10月までに社長を務めた。 2003年6月24日肺炎のために死去。81歳没。
山中 鉄夫(やまなか てつお、1921年5月24日 - 没… 山中 鉄夫(やまなか てつお、1921年5月24日 - 没年不明)は、日本の経営者、銀行家。協和銀行頭取を務めた。 長崎県出身。1943年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1975年4月から1979年4月までに理事を務め、同年6月に副頭取に就任し、1980年9月には協和銀行頭取に昇格。1986年9月に会長に就任し、1991年4月に協和埼玉銀行(のちのあさひ銀行)を経て、1998年4月から名誉顧問を務めた。 1987年11月に藍綬褒章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
久米 豊(くめ ゆたか、1921年(大正10年)5月20日 … 久米 豊(くめ ゆたか、1921年(大正10年)5月20日 - 2014年(平成26年)9月10日)は、日本の実業家、元日産自動車社長、元日本自動車工業会会長。東京都出身。位階は従三位。
藤崎 章(ふじさき あきら、1921年5月1日 - 2007… 藤崎 章(ふじさき あきら、1921年5月1日 - 2007年9月13日)は、日本の経営者。住友金属鉱山社長、会長、相談役、経済同友会幹事等を歴任。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。 旧制の東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)を経て、1939年3月第一高等学校卒業。第一高等学校では水泳部主将。1941年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1942年に住友金属鉱山に入社。1967年5月に取締役に就任し、1970年2月に常務を経て、1973年5月に社長に就任。1983年6月に会長に就任。1988年相談役に就く。 1979年4月に藍綬褒章を受章し、1987年11月に勲一等瑞宝章を受章した。 2007年9月13日老衰のために死去。
磯野 国徳(いその くにのり、1921年3月24日 - 19… 磯野 国徳(いその くにのり、1921年3月24日 - 1992年5月12日)は、日本の経営者。兵庫県出身。 1943年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、1948年2月に同和火災海上保険に入社。 1973年6月に取締役に就任し、1977年6月に常務を経て、1978年7月には社長に就任し、1979年3月までに務めた。 1992年5月12日肺炎のために死去。71歳没。
小松 康(こまつ こう、1921年3月14日 - 1999年… 小松 康(こまつ こう、1921年3月14日 - 1999年3月19日)は、日本の実業家。住友銀行元頭取。兵庫県神戸市出身。 1946年に東京帝国大学経済学部を卒業し、同年に住友銀行に入行。1971年11月に取締役に就任し、1973年4月には常務に就任。常務時代に経営破綻に陥っていた総合商社安宅産業の社長として、出向し、同社の清算と伊藤忠商事との合併を取り仕切った。 1977年10月に住友銀行に復帰し、専務に就任し、1981年6月に副頭取を経て、1983年11月から1987年10月までに頭取を務めた。1986年に平和相互銀行を吸収合併し、アメリカのゴールドマン・サックスへの出資などで積極的な経営姿勢に評価され、1986年に英国金融雑誌の「バンカー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた。
秋富 公正(あきとみ きみまさ、1921年〈大正10年〉2月… 秋富 公正(あきとみ きみまさ、1921年〈大正10年〉2月27日 - 2016年〈平成28年〉4月21日)は、日本の官僚、経営者。 山口県出身。秋田三一の次男として生まれ、秋富久太郎の養子となる。妻は阿南惟幾の長女・喜美子。 1944年に東京帝国大学経済学部を卒業。学徒出陣で大竹海兵団に入団し、短期現役海軍主計科士官(11期)を志願。同年2月、見習尉官となり海軍経理学校に入学。同年9月に卒業し、同年12月に海軍主計少尉に任官。第11海軍航空廠に配属され、1945年9月、主計中尉に進み終戦を迎えた。 1946年に運輸省に入省。1974年11月に総務府人事局長、1978年4月に総務府副長官を経て、1979年11月に日本鉄道建設公団副総裁に就任し、1983年5月には新東京国際空港公団総裁に就任し、1988年12月までに務めた。
川橋 猛(かわはし たけし、1921年(大正10年)2月21… 川橋 猛(かわはし たけし、1921年(大正10年)2月21日 - 2013年(平成25年)2月21日)は日本の実業家、元NEC副社長、元東洋通信機(現・宮崎エプソン)社長、元日本ロケット協会会長。長崎県出身。
佐原 亨(さはら とおる、1921年2月18日 - 1984… 佐原 亨(さはら とおる、1921年2月18日 - 1984年8月3日)は、日本の運輸官僚、経営者。愛知県出身。 1943年に東京帝国大学法学部を卒業し、高文行政科にも合格し、同年に逓信省に入省した。後に運輸省に転じ、1970年6月に船員局長、1972年に海運局長を経て、1973年8月から1974年6月までに海上保安庁長官を務めた。1974年6月に日本長期信用銀行顧問を経て、1976年6月にジャパンライン専務に就任し、1981年6月から1983年6月までに副社長を務めた。 1984年8月3日上咽頭腫瘍のために死去。63歳没。
石井 多加三(いしい たかぞう、1921年(大正10年)2月… 石井 多加三(いしい たかぞう、1921年(大正10年)2月14日 - 2014年(平成26年)6月15日)は、日本の実業家、元国際電信電話(現・KDDI)社長、元郵政事務次官。岡山県岡山市出身。長男の石井健一郎は名古屋大学名誉教授、次男の石井洋二郎は東京大学名誉教授で元東京大学大学院総合文化研究科長・教養学部長。 旧制岡山県第一岡山中学校、旧制第六高等学校文科甲類卒業。
草野 操(くさの みさお、1921年1月28日 - 1987… 草野 操(くさの みさお、1921年1月28日 - 1987年11月15日)は、日本の経営者。神奈川県出身。 1942年に東京帝国大学経済学部を卒業し、1950年に日産化学工業に入社。1972年6月に取締役に就任し、1974年12月に常務、1979年7月に専務を経て、1980年6月には社長に就任。1986年7月には会長に就任。 1987年11月15日急性心筋梗塞のために死去。66歳没。
左近 友三郎(さこん ともさぶろう、1921年1月26日 -… 左近 友三郎(さこん ともさぶろう、1921年1月26日 - 2002年8月16日)は、日本の官僚、経営者。中小企業庁長官、共同石油社長、会長を務めた。京都府京都市出身。 1944年に東京帝国大学法学部を卒業し、学徒動員で満洲に出征。終戦後は3年間のシベリア抑留を経て、帰国。1949年に商工省に入省し、1978年6月に中小企業庁長官に就任。1980年6月に東京銀行顧問に就任。1982年6月に共同石油専務に就任し、1983年6月に副社長を経て、1985年11月に社長に就任した。1990年6月には会長に就任した。1992年12月に日本鉱業と合併し、日鉱共石副会長に就任し、1996年6月には相談役に退いた。
佐々木 敏(ささき さとし、1921年 <大正10年> 1月… 佐々木 敏(ささき さとし、1921年 <大正10年> 1月26日 - 2003年 <平成15年> 3月9日)は、日本の官僚、経営者。商工組合中央金庫理事長を務めた。位階は正四位。 愛知県出身。1944年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、高文行政科にも合格し、同年9月に軍需省に入省。1971年8月に通商産業省繊維雑貨局長に就任し、1972年6月を以って、退官。1978年7月に日本商工会議所、東京商工会議所各専務理事を経て、1983年11月から1987年11月までに商工組合中央金庫理事長を務めた。 1992年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2003年3月9日肺炎のために死去。82歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
和田 敏信(わだ としのぶ、1921年(大正11年)1月21… 和田 敏信(わだ としのぶ、1921年(大正11年)1月21日 - 2006年(平成18年)11月14日)は、石油資源開発社長、通商産業事務次官。位階は従三位。 山口県出身の鎌倉育ち。父は海軍中将・和田専三。水戸高等学校文科甲類を経て、1944年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、同年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、同年12月、海軍主計少尉に任官。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 1947年に商工省入省し総務局に配属。入省同期に、増田実(通産審議官)、森口八郎(通産審議官)、林信太郎、山口衛一(防衛庁装備局長、日本航空機開発協会特別顧問)など。
坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15… 坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15日 - 1987年(昭和62年)1月26日)は、日本の実業家。旭硝子(現AGC)社長や、同社会長を務めた。 広島県福山市出身。旧制広島高校を経て1943年東京帝国大学法学部政治学科卒業、旭硝子入社。1975年取締役総務部長に昇格。1981年から社長を務めた。社長在任中に「21世紀に繁栄する企業作り」を標榜し、新製品、新規事業への投資を中心とする拡大路線を指揮。エレクトロニクス、エンジニアリングセラミックス、バイオテクノロジー分野などに積極展開した。健康悪化により1987年1月には会長に退いたが、まもなく肺炎のため死去した。享年66。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
遠藤 正介(えんどう しょうすけ、1921年〈大正10年〉1… 遠藤 正介(えんどう しょうすけ、1921年〈大正10年〉1月12日 - 1977年〈昭和52年〉5月4日)は、日本の官僚、実業家。妻は、遠藤マツ子。遠藤周作は、実弟。ペンネームは吹田紀夫。 鳥取県生まれ。1926年、父常久の転勤(第三国立銀行から安田銀行)で、一家で満洲関東州大連に移る。1935年6月23日、カトリック夙川教会聖テレジア大聖堂で主任司祭永田辰之助神父より兄弟で受洗。1933年、旧制灘中学校に入学。四修で第一高等学校に合格。1942年に東京帝国大学法学部を卒業し逓信省へ入省、1971年に電電公社理事、1973年に総務理事に就任。1977年2月に田村電機製作所社長に内定。趣味は、ゴルフ、観劇。
久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - 2… 久万 俊二郎(くま しゅんじろう、1921年1月6日 - 2011年9月9日)は、日本の実業家。 阪神電気鉄道代表取締役社長・会長・取締役相談役、阪神タイガースオーナーを歴任した。 戸籍上の表記は久萬俊二郎。 兵庫県神戸市生まれ、高知県高知市出身。神戸一中、旧制高知高等学校を経て、戦時中の学徒出陣により東京帝国大学法学部を仮卒業後、戦争も熾烈になってきた1945年3月、一個中隊を率いて玉砕寸前まで戦った元海軍将校。 1946年に阪神電鉄入社。1978年取締役就任、1982年社長昇格。1992年から会長。1984年から阪神タイガースのオーナーを、明治大学・一場靖弘の、いわゆる「裏金問題」で辞任するまで20年間にわたり務めた。
樋口 善典(ひぐち よしのり、1920年10月4日 - 20… 樋口 善典(ひぐち よしのり、1920年10月4日 - 2006年11月23日)は、日本の経営者。共同印刷社長、会長を務めた。 福岡県出身。1938年に東京帝国大学経済学部商業学科を卒業し、同年に第一銀行に入行。1969年1月に取締役に就任し、第一勧業銀行でも務め、1971年10月常務就任、1973年4月に清和興業社長を経て、1975年8月に共同印刷副社長に就任し、1977年8月には社長に昇格。1988年6月に会長に就任し、1992年6月には相談役に就任。 1986年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2006年11月23日肺炎のために死去。86歳没。
藤井 桑正(ふじい そうしょう、1920年9月9日 - 20… 藤井 桑正(ふじい そうしょう、1920年9月9日 - 2000年8月5日)は朝日放送(ABC)元会長・社長。 大阪府泉南市出身。大阪府立岸和田高等学校、東京帝国大学経済学部卒業後、朝日新聞社へ入社。その後、朝日放送へ中途入社。営業局長、編成局長、総務局長、1974年常務、1979年専務、1983年副社長を経て、1990年6月社長に就任。1995年6月会長へ就任。1999年に相談役へ退く。その他には日本民間放送連盟副会長も務めた。2000年8月5日、胃ガンのため79歳で死去。 社長時代の1992年頃、やしきたかじんが警備員の態度の悪さに腹を立て、ラジオ番組内で「(朝日は)アホから偉くなる放送局」と発言し、当時の副社長が激怒した事件があり、副社長は口論の末、たかじんに一生立ち入り禁止処分を下した。