石井 永子(いしい ひさこ、1929年(昭和4年)6月15日… 石井 永子(いしい ひさこ、1929年(昭和4年)6月15日 - 2009年(平成21年)4月23日)は、日本のピアニスト。鳴門教育大学名誉教授。元徳島県教育委員会委員長。徳島西ロータリークラブ会長。 東京芸術大学音楽学部ピアノ専攻卒業。徳島県徳島市出身。妹は徳島文理大学教授である上田和子。 1953年(昭和28年)に東京芸術大学音楽学部ピアノ専攻を卒業。徳島県で初めて東京芸術大学を卒業した人物である。卒業後は徳島大学教育学部教授、鳴門教育大学教授を歴任。1995年(平成7年)に鳴門教育大学教授を定年退職し名誉教授となる。 1997年(平成9年)8月に徳島県教育委員会委員に就任。その後、2000年(平成12年)9月から2001年(平成13年)8月まで徳島県教育委員会委員長。
永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20… 永井 一正(ながい かずまさ、1929年〈昭和4年〉4月20日 - 2026年〈令和8年〉2月23日)は、日本のグラフィックデザイナー。大阪府大阪市出身。日本グラフィックデザイナー協会(JAGDA)二代目会長。息子はHAKUHODO DESIGN(博報堂デザイン)代表取締役社長の永井一史。 日本デザインセンター最高顧問、日本グラフィックデザイナー協会特別顧問、日本デザインコミッティ名誉会員。
永冨 和子 (ながとみ かずこ、1929年4月12日-201… 永冨 和子 (ながとみ かずこ、1929年4月12日-2010年8月17日) は、日本のピアニスト。夫は作曲家の永冨正之。 1929年4月12日、東京に生まれる(旧姓関原)。東京音楽学校(現・東京芸術大学)研究科に学び、福井直俊、安川加壽子、野辺地勝久に師事、1951年修了。同年デビューリサイタルを行う。1959年にスペイン政府給費留学生となり、同年から10年間フランスとスペインに留学する。パリではジャーヌ・ブランカール(英語版)、レーヌ・ジャノリ、アンリエット・ピュイグ=ロジェに師事、スペインではアリシア・デ・ラローチャらに師事した。 1964年、パリ国立音楽院に留学していた作曲家永冨正之と結婚する。
松下 修也(まつした しゅうや、1929年3月6日 - 20… 松下 修也(まつした しゅうや、1929年3月6日 - 2018年5月29日)は、日本のチェロ奏者。戦後日本チェロ界の草分け的存在とされる。 東京府出身、東京都国分寺市在住。1946年東京音楽学校(後の東京藝術大学音楽学部)を卒業(1945年中退とする資料もある)。先輩に芥川也寸志、同級生に黛敏郎がいた。チェロを平井保三、斎藤秀雄に師事。当時は戦中後の食糧難の最中で、西洋音楽は非国民と非難されるためにチェロを持って外出するときは風呂敷で包んで隠すなど苦労を重ねた。 1949年、第18回日本音楽コンクールで1位となる。1950年、東京交響楽団の定期演奏会でラロのチェロ協奏曲を弾いてプロデビュー(当時20歳)。
大賀 寛(おおが ひろし、1929年(昭和4年)3月3日 -… 大賀 寛(おおが ひろし、1929年(昭和4年)3月3日 - 2017年(平成29年)7月31日)は、日本の声楽家(バリトン)、音楽教育者。日本オペラ協会の創立者であり、長年総監督を務めた。妻は大賀美都子(旧姓:大谷)。 京都府京都市出身。1955年(昭和30年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。長門美保歌劇団公演ドヴォルザーク『ルサルカ』日本初演や、藤原歌劇団青年グループへの参加など、バリトン歌手として多くのオペラ公演に出演する傍ら、1958年(昭和33年)教育オペラ協会を設立。1960年(昭和35年)教育オペラ研究会が日本オペラ研究会に改称。1970年(昭和45年)日本オペラ研究会が日本オペラ協会に改称。
立川 清登(たちかわ すみと、1929年〈昭和4年〉2月15… 立川 清登(たちかわ すみと、1929年〈昭和4年〉2月15日 - 1985年〈昭和60年〉12月31日)は、日本のバリトン歌手。二期会所属。本名は立川 澄人(たつかわ すみと)。旧芸名は立川 澄人、所属レコード会社はビクター音楽産業(現在のビクターエンタテインメント〈二代目法人〉)。洗足学園大学客員教授も務めた。 大分県大分市出身。春日浦海岸近くのフグ料理の料亭である春日亭(現在は閉店)に生まれる。大分県立別府第二高等学校(現在の大分県立芸術緑丘高等学校)、東京芸術大学卒業。マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、中山悌一に師事し、1953年『椿姫』のジェルモンでデビュー。歌劇を始めミュージカル、テレビ番組への出演も多く、NHK紅白歌合戦にも1963年から1966年まで連続4回出場した。
宍戸 睦郎(ししど むつお、1929年1月6日 - 2007… 宍戸 睦郎(ししど むつお、1929年1月6日 - 2007年2月3日)は、日本の作曲家、洗足学園大学名誉教授。姪に歌手の松尾和子がいる。 北海道旭川市出身。東京藝術大学で池内友次郎に師事。1954年からフランスのパリへ留学しパリ音楽院でジョリヴェやメシアンのクラスで勉強。1957年に卒業したが1961年まで現地に残る。1965年に「ピアノ協奏曲第1番」で芸術祭奨励賞を受賞した。フランスの書法を取っているが日本的な力強さもある作風で、代表作に1966年にのピアノのためのトッカータがある。 1956年、ピアニストの田中希代子と結婚(1959年に離婚)。 1981年から洗足学園大学音楽学部・同学園短期大学音楽科で教鞭をとり、1995年から1999年まで大学音楽学部長・短大音楽科長を務めた。
岸田 衿子(きしだ えりこ、1929年〈昭和4年〉1月5日 … 岸田 衿子(きしだ えりこ、1929年〈昭和4年〉1月5日 - 2011年〈平成23年〉4月7日)は、日本の詩人・童話作家、翻訳家。詩誌『櫂』同人。 詩集に『忘れた秋』『らいおん物語』『ソナチネの木』などがある。1966年、絵本『かばくん』でドイツ児童図書賞、1974年、絵本『かえってきたきつね』で産経児童出版文化賞大賞を受賞した。 劇作家岸田国士の長女として東京府(現・東京都杉並区)に生まれる。妹は女優の岸田今日子。従弟に俳優の岸田森がいる。 立教女学院小学校、立教女学院女学校、東京芸術大学油絵科卒業。画家を志すも肺病を患い詩人になる。 1954年10月4日、北軽井沢大学村にて交友のあった谷川俊太郎と結婚。
坪田 昭三(つぼた しょうぞう、1929年1月1日 - )は… 坪田 昭三(つぼた しょうぞう、1929年1月1日 - )は、日本のクラシック音楽のピアニスト。 1945年、静岡県立静岡中学校卒業。宅孝二、福井直俊に師事し、1949年、東京音楽学校卒業。1950年、第19回日本音楽コンクール第3位入賞。1951年、東京音楽学校研究科修了。同年、第1回リサイタル、その後、放送、オーケストラとの共演、巌本真理弦楽四重奏団との共演など、室内楽の分野でも活躍。1983年と1984年には霧島国際音楽祭に参加。ゲルハルト・ボッセ(Vn)、ミラン・シュカンパ(Va)、アントニン・コホート(Vc)、ミロシュ・サドロ(Vc)等と共演。これまでに、巌本真理、黒岩俊夫とのベートーヴェンのピアノ三重奏曲の連続演奏により、民放最優秀賞、「巌本真理を中心とする10人の演奏グループ」によるブラームス室内楽連続演奏会により、毎日芸術賞、明治百年記念芸術祭賞などを受賞。
白砂 昭一(しらすな しょういち、1929年 - )は、日本… 白砂 昭一(しらすな しょういち、1929年 - )は、日本の音楽学者。 1929年、山梨県北巨摩郡白州町生まれ。中学校教員(英語、数学)を務めたのちに東京芸術大学に入学。 卒業後は、東京芸術大学に新しく設立された音響研究室で教鞭をとり、坂本龍一らの指導に当たった。 のちに国立音楽大学、聖徳大学人文学部で講師を務めた。 この項目は、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル クラシック音楽/ウィキプロジェクト クラシック音楽)。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
野崎 喩(のざき さとる 1929年 - 2009年)は、日… 野崎 喩(のざき さとる 1929年 - 2009年)は、日本の工業デザイナー。佐賀県唐津市出身。 旧制唐津中学(現・佐賀県立唐津東中学校・高等学校)から東京芸術大学に進学、卒業後、トヨタ自動車に入社。入社後、社内の若手デザイナーとともにアメリカ合衆国のアートセンター・カレッジ・オブ・デザインに留学する。帰国後、工業デザイナーとしてトヨタの自動車デザインを手がけた。その後、社内での配置転換をきっかけに、船、家、鉄道など、さまざまな分野で工業デザイナーとしての功績を残したといわれている。 代表作は、トヨタ・2000GT。この他にも、トヨタ・コロナ、トヨタ・カリーナのデザインを手がける。 佐賀県唐津市中通りにある畔水記念館は、義姉が生家でもある自宅の一部を改装し、喩が子どもの頃に描いた絵のほか、机やベッド、オルガンなどを展示している。
遠藤 啄郎(えんどう たくお、1928年12月4日 - 20… 遠藤 啄郎(えんどう たくお、1928年12月4日 - 2020年2月7日)は、日本の劇作家・演出家・舞台用の仮面作成者。横浜ボートシアター代表。本名は遠藤 琢郎。
上田 薫(うえだ かおる、UEDA, Kaoru、1928年… 上田 薫(うえだ かおる、UEDA, Kaoru、1928年〈昭和3年〉12月4日 - 2025年9月26日)は、洋画家。茨城大学名誉教授。 東京都渋谷区代々木出身。妻は上田葉子。日本のスーパーリアリズムの第一人者である。ただし、上田自身は自らの作風は抽象絵画であり、リアリズムとは大きく異なると語っている。代表作は、中学校や高等学校の美術の教科書にも掲載された割れた生玉子の殻から中身が落ちる瞬間を描いた作品である。ほかにもスプーンですくい取られたアイスクリーム、シャボン玉、ゼリー、水の流れといった作品も高く評価されている。 1928年(昭和3年)東京都出身。医学部受験に失敗した時期に富永惣一と出会い、東京藝術大学に進学する。
志水 晴児(しみず せいじ、1928年(昭和3年)10月7日… 志水 晴児(しみず せいじ、1928年(昭和3年)10月7日 - 2005年(平成17年)1月21日)は、日本の彫刻家。石造彫刻を中心に、建築や広場などで環境彫刻も手がけた。東京都出身。東京芸術大学卒。
奥村 昭雄(おくむら あきお、1928年10月2日 - 20… 奥村 昭雄(おくむら あきお、1928年10月2日 - 2012年12月27日)は、日本の建築家。屋根で集めた太陽熱を床下に送るOMソーラーの考案者。 東京府に生まれる。1952年東京美術学校(現・東京芸術大学)建築科を卒業。1956年吉村順三設計事務所入所。1964年、東京芸術大学美術学部建築学科助教授。1973年、同教授。東京芸術大学名誉教授。 2012年12月27日、虚血性心不全のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
園田 高弘(そのだ たかひろ、1928年9月17日 - 20… 園田 高弘(そのだ たかひろ、1928年9月17日 - 2004年10月7日)は、日本のクラシック音楽のピアニスト。 戦後の日本の音楽界を演奏者・教育者としてリードした。レパートリーと録音・演奏回数ともに余人の及ばない域に達しており、没年の翌年にも演奏会のスケジュールが入っていた。 1928年、東京府豊多摩郡中野町生まれ。園田の幼少期に急逝した父・清秀は、フランスでロベール・カサドシュに学んだピアニストであった。その方針により音楽の英才教育を受ける。1936年、父が他界。1939年からユダヤ系ロシア人ピアニストレオ・シロタの個人指導を受ける。本郷区千駄木尋常小学校を経て、軍事教練の無かった旧制豊山中学4年修了後、最年少で東京音楽学校に入学する。
土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年… 土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年11月14日)は、日本の作曲家、指揮者、ピアニスト、埼玉大学名誉教授。下總皖一、團伊玖磨に師事。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:クラシック音楽/PJ:クラシック音楽)。
五十嵐 喜芳(いがらし きよし、1928年9月8日 - 20… 五十嵐 喜芳(いがらし きよし、1928年9月8日 - 2011年9月23日)は、日本の声楽家(テノール歌手)。マネージメント協力はジャパン・アーツ。 日本オペラ振興会の常任理事、昭和音楽大学学長、宝塚音楽学校のカリキュラム編成アドバイザー(声楽)などを歴任し、日本におけるオペラ発展に尽力した。また、音楽活動のみならず、TBSのワイドショー『3時にあいましょう』の司会やドラマ『コメットさん』に出演し幅広く活躍した。
薮崎 昭(やぶざき あきら、1928年(昭和3年)8月19日… 薮崎 昭(やぶざき あきら、1928年(昭和3年)8月19日 - )は日本の油彩画家。本来の表記は藪崎。 1928年8月、福岡県久留米市で生まれる。本籍は静岡県焼津市。3歳の時、静岡市に移り、1941年、静岡市立城内尋常小学校卒業。1945年3月、静岡県立静岡中学校(61回)卒業。五年制の中学を戦争の激化で四年で繰り上げ卒業となり、1年上級の60回と同時に卒業した。終戦後間もなく父を亡くしたが、医者の兄が復員し生活できるようになると「公立なら美術学校に入ってもよい」と言われた。東京美術学校は当時、新制大学への移行の為募集せず、翌年受験規則書を取り寄せると、受験資格が学歴11年となっており、旧制中学繰り上げ卒業のため、受験に必要な学歴が一年足りず、新制となっていた母校に三年次編入した。
五十嵐 豊(いがらし ゆたか、1928年5月20日 - 19… 五十嵐 豊(いがらし ゆたか、1928年5月20日 - 1982年3月4日)は、日本の芸術家、郷土民芸作家、スキー選手。 スキーの国体選手・監督(栃木県)でもある。 作品は、那須町の自然や動物、子供を題材にした作品が多く特に駒やりんどうが描かれていることが多い。木工品や益子焼、黒羽藍染、烏山和紙、木彫、布絵など作品は多岐にわたるが、栃木県の伝統工芸を使用しているのが特徴である。 栃木県那須郡那須村(現・那須町)出身。 那須温泉郷の1つ八幡温泉五十嵐旅館の次男坊として誕生。 旧制宇都宮中学を卒業後、1947年(昭和22)東京美術学校(東京美術学校最後の卒業生)に入学。在学中は高田正二郎などに師事し、1952年(昭和27)に卒業した。
黒沢 吉蔵(くろさわ きちぞう、1928年4月11日 - 2… 黒沢 吉蔵(くろさわ きちぞう、1928年4月11日 - 2009年2月22日)は、日本画家。 1928年に福島県郡山市で生まれる。東京芸術大学の日本画科を卒業し、1955年、1965年、1966年の3回にわたり新制作協会の日本画部新作家賞を受賞している。 2009年2月22日に心筋梗塞のため死去した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
木村 賢太郎(きむら けんたろう、1928年4月10日 - … 木村 賢太郎(きむら けんたろう、1928年4月10日 - )は、日本の彫刻家。石彫による作品を多く手がけている。東京都出身。1952年、東京美術学校卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
千葉 馨(ちば かおる、1928年3月6日 - 2008年6… 千葉 馨(ちば かおる、1928年3月6日 - 2008年6月21日)は、日本のホルン奏者。NHK交響楽団の首席ホルン奏者を長く務め、「バーチ」の愛称でも知られた。妻はピアニストの本荘玲子。 大分県別府市出身。7歳からヴァイオリンを学び、中学校(旧制)在学中にラッパ鼓隊の一員となってホルンを学んだ。東京音楽学校に進み、在学中に日本交響楽団(現:NHK交響楽団)の研究員となり、1949年に卒業すると同時に同楽団の正団員となった。 1956年から1958年まで渡欧、デトモルト音楽大学のグスタフ・ノイデッカーおよびフィルハーモニア管弦楽団のデニス・ブレインに師事した。 日本のホルン奏者の草分け的な存在で、NHK交響楽団の首席奏者として長く活躍した。
有馬 万里代(ありま まりよ、1928年2月22日-、本名・… 有馬 万里代(ありま まりよ、1928年2月22日-、本名・有馬マリ子)は、日本の音楽家、声楽家(アルト歌手)。鹿児島大学名誉教授。鹿児島オペラ協会会長を長年務める。 鹿児島市出身。幼少期から歌が好きで、ラジオにしがみついて三浦環が歌うプッチーニの蝶々夫人を聴いていた。1940年に鹿児島県立第二高等女学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)へ入学。高等女学校3年生の時に田中義人(鹿児島師範学校教員)に弟子入りして、夜道を母に守られながらレッスンに通う。東京音楽学校(後の東京藝術大学)に合格し、師範科で四家文子に師事して1948年に卒業。同年鹿児島師範学校で教職に就く(同校は翌年の学制改革で新制鹿児島大学に包括される)。
今里 隆(いまざと たかし、Takashi Imazato、… 今里 隆(いまざと たかし、Takashi Imazato、1928年2月21日 - )は建築家。杉山隆事務所代表。東京生まれ。吉田五十八(日本芸術院会員、東京藝術大学名誉教授)に師事した。東京美術学校在学当初から吉田五十八研究室で設計活動に従事。近代数寄屋建築を確立した建築家吉田五十八から基礎を学び、現代に活かした日本建築を追求し作品造りをする。 1945年に東京美術学校(現東京藝術大学美術学部)建築科入学、海軍電測学校へ動員後、1949年に東京美術学校を卒業。1949年から1964年まで、吉田五十八研究室に勤務。1964年に杉山隆建築設計事務所創設 現在に至る。1970年、今里広記の養子となる。
田中 信昭(たなか のぶあき、1928年1月1日 - 202… 田中 信昭(たなか のぶあき、1928年1月1日 - 2024年9月12日)は、日本の合唱指揮者。東京混声合唱団の創立者。新潟県出身。東京藝術大学講師、桐朋学園大学客員教授、国立音楽大学招聘教授を歴任。 作曲家と協力して日本の合唱音楽の創造に尽くし、400曲以上に渡る合唱曲の初演の指揮を行った。 旧制大阪高校中退。合唱部の後輩に作曲家の多田武彦がいる。1951年、中学校教員を退職し、NHK大阪放送合唱団へ入団。指揮者であった森本芳雄の死去により急遽指揮者を務めたことが指揮者デビューとなる。1952年、東京藝術大学音楽学部声楽科に進学。声楽をネトケ=レーヴェ、指揮法をクルト・ヴェスの各氏に師事する。
小橋 稔(こばし みのる、1928年(97 - 98歳) -… 小橋 稔(こばし みのる、1928年(97 - 98歳) - )は日本の作曲家。 東京芸術大学卒業で声楽家として活動するが、後に石桁真礼生に師事。1960年代頃から作曲を始め前半は管弦楽で、後半は声楽作品で数々の賞を受ける。その後日本的な舞台作品、1970年代は打楽器の作曲の時代に入る。国際現代音楽協会 (ISCM) などでも入選し海外でも演奏されている。代表作は1975年作の打楽器グループのための「阿呟」(あうん)がある。 日本音楽コンクール作曲部門第1部(管弦楽曲)にて、第33回(1964年)3位、第34回(1965年)入選。 国際現代音楽協会1979年アテネにおいて「鬼女」で〈世界音楽の日々〉日本作品入選、1978年ストックホルム / ヘルシンキにて「阿呟」(あうん)入選。
江藤 俊哉(えとう としや、1927年〈昭和2年〉11月9日… 江藤 俊哉(えとう としや、1927年〈昭和2年〉11月9日 - 2008年〈平成20年〉1月22日)は、東京都豊島区生まれのヴァイオリニストである。従四位旭日中綬章。国内外で活発な演奏活動を行ったほか、指導者としても多大な功績を残した。妻は、同じくヴァイオリニストの江藤アンジェラ。 1927年、父俊明、母たかの第2子(長男)として生まれた。父の俊明はNHK教養課職員。「俊哉」の名前は、父が「あやかるように」と、アウアー門下のトーシャ・ザイデルの名にちなんで付けた。1932年、4歳の時に父に連れられ鈴木鎮一を訪れ、鈴木に師事する。これを契機にスズキ・メソードが誕生したと言われ、江藤俊哉は「才能教育第1号」と呼ばれる。
十代 大樋 長左衛門(おおひ ちょうざえもん、1927年〈昭… 十代 大樋 長左衛門(おおひ ちょうざえもん、1927年〈昭和2年〉10月28日 - 2023年〈令和5年〉10月17日)は、日本の陶芸家で、大樋焼の本家十代当主。日展・日本現代工芸美術展・その他の個展などで大樋焼にとらわれない自由なかたちでの発表を行う際には大樋 年朗(おおひ としろう)を名乗る。2016年(平成28年)には「長左衛門」の名跡を長男・大樋年雄に譲って、以後は大樋 陶冶斎(おおひ とうやさい)を名乗る。本名は奈良 年郞(なら としろう)。文化勲章受章者。金沢市出身。
有賀 和子(ありが かずこ 、1927年9月10日 - 20… 有賀 和子(ありが かずこ 、1927年9月10日 - 2020年5月24日)は、日本のピアニストおよびピアノ教育者。桐朋学園大学名誉教授。日本ショパン協会理事、および、財団法人日本ピアノ教育連盟相談役をつとめる。 1927年9月10日生まれ。井口基成、安川加壽子、ベヴァリッジ・ウェブスター(英語版)に師事する。1943年、17歳のとき、第12回毎日新聞社音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)のピアノ部門で第1位入賞を果たす。1948年、東京音楽学校を卒業する。 ピアニストとして活躍する。ソリストとして、また、NHK交響楽団や東京交響楽団と共演する。 ピアノ教育者としての活躍が、より有名である。
桑原 巨守(くわはら ひろもり、1927年〈昭和2年〉7月1… 桑原 巨守(くわはら ひろもり、1927年〈昭和2年〉7月15日 - 1993年〈平成5年〉8月26日)は、日本の彫刻家。女子美術大学名誉教授。旧名・昭夫(あきお)。 具象彫刻の第一人者と評され、群馬県渋川市に桑原巨守彫刻美術館がある。 群馬県沼田市出身。弟は小説家の桑原幹夫。1944年に旧制沼田中学校(現・群馬県立沼田高等学校)第4学年を修了し、1949年東京美術学校彫刻科卒業。在学中、関野聖雲に師事したため、桑原は高村光雲の孫弟子にあたる。 1949年東京都大田区立大森第十中学校教諭となる。1956年より女子美術大学選任講師。1961年「昭夫」から「巨守」に改名。 1963年、女子美術大学助教授に就任、同年二紀展に初入選、同人に推薦される。
三栖 右嗣(みす ゆうじ、1927年4月25日 - 2010… 三栖 右嗣(みす ゆうじ、1927年4月25日 - 2010年4月18日)は、神奈川県出身の洋画家である。本名は三栖 英二。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
稲田 尚之(いなだ ひさゆき、1927年3月6日 - 200… 稲田 尚之(いなだ ひさゆき、1927年3月6日 - 2003年3月13日)は、日本の建築家、京都市立芸術大学名誉教授。 東京美術学校油絵科卒。京都市立芸術大学美術学部環境デザイン学科教授、同名誉教授(1993)、大阪芸術大学環境計画学科教授(1993-2003)。宝塚武庫川ロータリークラブ会長(1988-89)。戦後の個人住宅、公共施設、ゴルフ場などの独創的な設計で活躍し、その作品の多くが雑誌「新建築」に採り上げられる。 版画家稲田年行の弟。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
伊藤 京子(いとう きょうこ、本名:長谷川 京(はせがわ き… 伊藤 京子(いとう きょうこ、本名:長谷川 京(はせがわ きょう)、1927年(昭和2年)2月22日 - 2021年 (令和3年) 7月25日 )は、日本の声楽家(オペラ・ソプラノ歌手)、音楽教育者。国立音楽大学名誉教授、静岡文化芸術大学客員教授。 静岡県掛川市出身。1943年(昭和18年)4月、東京音楽学校甲種師範科に入学。1947年(昭和22年)に同校を卒業した、研究科を修了。城多又兵衛、酒井弘、浅野千鶴子、田中伸枝、原信子、フェルディナント・グロスマン、マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ等に師事。 1949年(昭和24年)第18回日本音楽コンクール声楽部門で第1位を獲得。1950年(昭和25年)東宝交響樂團ベートーヴェン『フィデリオ』(指揮:近衛秀麿)でオペラデビュー。
瀧田 項一(たきた こういち、1927年2月22日 - 20… 瀧田 項一(たきた こういち、1927年2月22日 - 2022年1月23日 )は日本を代表する陶芸家である。(本名:幸一) 栃木県烏山町(現・那須烏山市)出身。東京美術学校で富本憲吉に学び、益子の濱田庄司に師事。
勅使河原 宏 (てしがはら ひろし、1927年1月28日 -… 勅使河原 宏 (てしがはら ひろし、1927年1月28日 - 2001年4月14日) は、日本の芸術家。草月流三代目家元。映画、いけばな、陶芸、舞台美術、オペラなど様々な分野で活躍した。前妻は片岡鉄兵の娘・藍子、後妻は女優の小林トシ子。 ATG初の日本映画の監督であり、安部公房原作の作品群におけるドキュメンタリータッチを基本にしたシュルレアリスティックな映像美は世界的に高い評価を受けた。 いけばな草月流の創始者勅使河原蒼風の長男として東京で生まれる。同地の私立暁星中学校を経て、1944年、東京美術学校(現:東京芸術大学)の日本画学科に入学し1947年に洋画科に移る。在学中からパブロ・ピカソや岡本太郎などの前衛芸術に傾倒し、安部公房や関根弘らによる前衛芸術のサークル「世紀の会」に参加。
川村 深雪(かわむら みゆき、1927年 - )はピアニスト… 川村 深雪(かわむら みゆき、1927年 - )はピアニスト、ハンドベル指揮者。東京芸術大学卒業、元創価大学教授。 川村はピアニストとして、日本の西洋音楽の初期の受容において、とりわけフランス近・現代の作品や、シェーンベルク等の現代音楽作品の演奏と紹介に貢献した人物である。また歌曲や合唱曲の伴奏者としても知られた。東京芸術大学に学び、この頃、山田耕筰より直接に指導も受けている。 1940年代から1950年代、福澤アクリヴィの来日の際に主たるピアノ伴奏者をつとめた。この時、福澤と川村は、1950年代の日本においてはほとんど知られていなかったフォーレ、ドビュッシー、フランクの歌曲などを演奏している。
鹿目尚志(かのめ たかし、1927年 - 2017年9月2日… 鹿目尚志(かのめ たかし、1927年 - 2017年9月2日)は、日本のアーティスト、デザイナー。北海道生まれ。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
東 千代之介(あずま ちよのすけ、1926年8月19日 - … 東 千代之介(あずま ちよのすけ、1926年8月19日 - 2000年11月9日)は、日本の俳優・日本舞踊若菜流の家元。 本名、若和田 孝之(わかわだ たかゆき)。東京府出身。 長唄の六代目杵屋弥三郎の子。七代目坂東三津五郎に師事して日本舞踊を学ぶ。暁星学園を経て、1949年(昭和24年)東京音楽学校(現・東京藝術大学)邦楽科卒業。1954年(昭和29年)東映に入社し、『雪之丞変化』でデビュー。端整な容貌と日本舞踊で鍛えたしなやかな身のこなしで人気を集め、中村錦之助、大川橋蔵らと共に東映時代劇の黄金期を支えた。1960年代半ば、時代劇の衰退に伴い当時の東映京都撮影所長・岡田茂が時代劇を切り捨て、任侠路線に急転換したため、これに反撥して、中村錦之助(萬屋錦之介)、里見浩太朗らと1965年に東映の俳優組合(東映俳優クラブ組合)を結成し副代表になった。
平松 保城(ひらまつ やすき、1926年4月30日 - ) … 平松 保城(ひらまつ やすき、1926年4月30日 - ) は、大阪府池田市出身の工芸家。東京藝術大学名誉教授。日本ジュウリーデザイナー協会顧問、日本クラフトデザイン協会会員。作品は東京国立近代美術館、皇居、東京藝術大学資料館、フォルツハイム市立美術館、ロイヤル・カレッジ・オブ・アート、エジンバラ美術館、ヴィクトリア&アルバート博物館等に収蔵。 (51~54年、56年)
佐々木 行綱(ささき ゆきつな、1926年(大正15年)3月… 佐々木 行綱(ささき ゆきつな、1926年(大正15年)3月14日 - 2017年(平成29年)9月6日)は、日本の声楽家(バス)、オペラ歌手、音楽教育者、音楽評論家。音楽教育者、作曲家の佐々木すぐるの三男。 東京出身。幼少時はボーイソプラノの童謡歌手であり、代表曲は『四っつの兄ちゃん』『犬と小僧さん』『兵隊あそび』などがある。1944年(昭和19年)東京音楽学校声楽科に入学。木下保、中山悌一に師事。1948年(昭和23年)卒業。同年同校研究科に進み、柴田睦陸に師事。1950年(昭和25年)修了。畑中良輔を代表に結成された第二次東京交声楽団に参加し、その先頭に立って歌唱技能を磨く。1951年(昭和26年)芸大歌劇研究部 ベルリオーズ『ファウストの劫罰』(日本初演)ブランデルでデビュー。
吾妻 兼治郎(あづま けんじろう、1926年3月12日 - … 吾妻 兼治郎(あづま けんじろう、1926年3月12日 - 2016年10月14日もしくは10月15日)は、イタリア在住の日本人の彫刻家。ミラノに在住し、抽象作家として国際的にも高い評価を受ける。作品に『MU(無)』『YU(有)』『慈悲心の美徳』など。彫刻表面に腐食で出来たようなくぼみをあしらう作品に特徴がある。山形市生まれ。 鋳物屋の7人兄弟の二男。夜間中学中退後に予科練志願入隊、神風特攻隊になるが、終戦になり山形に復員、中学復学卒業後、東京芸術大学入学、東京芸大卒。芸大副手を休職し、1956年に山形で初の個展を開催し、イタリアに留学、ブレラ美術学校でマリノ・マリーニに師事(その後休職期間経過後もイタリアに残るために芸大退職)。
島岡 譲(しまおか ゆずる、1926年〈大正15年〉1月13… 島岡 譲(しまおか ゆずる、1926年〈大正15年〉1月13日 - 2021年〈令和3年〉9月30日)は、日本の作曲家、音楽学者、音楽理論家。国立音楽大学名誉教授、元東京藝術大学教授。娘は法学者の島岡まな。 1926年、群馬県前橋市に生まれる。桃井小学校に入り群馬師範学校の岩上行忍からオルガンと和声学を習う。1935年に上京し忍岡小学校へ編入。1936年から平井康三郎にピアノと作曲を師事する。1938年田端に転居し聖学院中学に入学。1942年に東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)に入学し、橋本國彦、下総皖一に師事した。1945年、東京音楽学校本科作曲部卒業。池内友次郎に師事し、1947年に同学研究科を修了。
岡田 春生(おかだ はるお、1926年 - 2002年)は、… 岡田 春生(おかだ はるお、1926年 - 2002年)は、東京都出身の日本画家。浦和画家。 埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)本太に居住し、東京芸術大学を卒業。加藤栄三に師事し、日展入選20回。微妙な諧調の色彩と堅確な構図により現代的な視点で花鳥や風景を描いた。日展会友、埼玉県展審査員・運営委員。
斎藤 達雄(さいとう たつお、1926年 - 2000年)は… 斎藤 達雄(さいとう たつお、1926年 - 2000年)は、日本のバリトン歌手。息子はピアニストの斎藤雅広。 子供の頃から童謡歌手として活動し、「かわいい魚屋さん」などの曲を世に送り出している。中山悌一門下となり、東京音楽学校(現:東京藝術大学)卒業後、藤原義江の下で藤原歌劇団の幹部として活躍し、同歌劇団のアメリカ巡業等にも参加している。『リゴレット』を得意としたが、立川澄人や友竹正則とともに「ブッファ三羽烏」と呼ばれたこともあり、脇役での演技力もあった。 ワーグナーの『ニュルンベルクのマイスタージンガー』日本初演でベックメッサーを演じ、来日していたフンパーディンクを驚嘆させた話は有名である。
岩田 久利(いわた ひさとし、1925年12月18日 - 1… 岩田 久利(いわた ひさとし、1925年12月18日 - 1994年1月8日)は、日本のガラス工芸家。ガラス工芸家二代目岩田藤七の長男。母・くにの父は、彫刻家の竹内久一。妻は、ガラス工芸家の岩田糸子。長女は、イワタルリ。次女は、岩田マリ。 ガラス工芸家岩田藤七の長男として東京府に生まれる。東京美術学校工芸部図案科に学び、在学中の同24年第5回日展に「硝子ぶどうの鉢」で初入選し以後も日展に出品を続ける。同26年東京美術学校を卒業。制作のかたわら、東京工業大学でガラスの組成を研究する。同30年第11回日展に「藻」を出品して特選、同31年第12回同展には「萌生」を出品して二年連続特選となった。同30年より光風会にも出品。
村方 千之(むらかた ちゆき、1925年10月29日 - 2… 村方 千之(むらかた ちゆき、1925年10月29日 - 2014年12月14日)は、日本の指揮者。福岡県生まれ。日本指揮者協会の会員で、2014年の死没まで日本最年長の指揮者であった。村方指揮法教室を主催して後進指揮者育成に力を注いだ。ブラジルよりリオ・ブランコ勲章を受章している。また、第1回ヴィラ=ロボス国際指揮者コンクール特別賞を受賞している。日本ヴィラ=ロボス協会会長、日本演奏連盟会員。東京都中学校吹奏楽連盟初代理事長。 村方の音楽との出会いは、12歳で自由学園に入った時から始まる。 村方は最初、自由学園でフルートを学び、次にヴァイオリンを学んだ。3年後には、オーケストラの重要なメンバーの一人になっていた。
伊藤 栄一(いとう えいいち、1925年(大正14年)10月… 伊藤 栄一(いとう えいいち、1925年(大正14年)10月1日 - 2020年(令和2年)2月24日)は、日本の指揮者。音楽教育者。ピアニスト。東京学芸大学名誉教授、創価大学名誉教授、東京芸術大学講師。一部に名前の表記を榮一としているものがある。 東京市出身。1950年(昭和25年)東京音楽学校(東京芸術大学音楽学部の前身)本科器楽科卒。 指揮法を渡辺暁雄、金子登、クルト・ヴェス、ピアノを水谷達夫、作曲を高田三郎に師事。 1951年(昭和26年)、金子登主催の東京オペラ協会によるプッチーニ『トゥランドット』、続くヨハン・シュトラウス2世『こうもり』(共に本邦初演)の公演の際に副指揮を担当。1952年(昭和27年)二期会設立と共に二期会合唱団初代常任指揮者としてモーツァルト『フィガロの結婚』、『魔笛』、ビゼー『カルメン』、ヴェルディ『椿姫』等数多くの演奏会やオペラを指揮。
藤沢 嵐子(ふじさわ らんこ、本名:早川 嵐子〈はやかわ ら… 藤沢 嵐子(ふじさわ らんこ、本名:早川 嵐子〈はやかわ らんこ〉、1925年7月21日 - 2013年8月22日)は、1950年代に日本で活動したタンゴ歌手である。 東京生まれ。東京市立忍岡高等女学校(現:東京都立忍岡高等学校)卒業。1943年4月に東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)予科に入学。平原寿恵子に師事した。翌年本科声楽部に進むが、満州の紡績工場に単身赴任していた父の招きで、音楽学校を休学(のちに中退)して一家で満州に渡る。大連近郊の瓦房店市に住み、父が勤める工場で働く女工に歌を教える日々を送る。 日本の敗戦後しばらくしてから、治安の悪化や父の失業などの理由から瓦房店市から大連に移り、家計を支えるためにダンスホールで歌い始める。
川﨑 鈴彦(かわさき すずひこ、1925年7月13日 - )… 川﨑 鈴彦(かわさき すずひこ、1925年7月13日 - )は、日本画家。 東京都新宿区出身。父は川﨑小虎。父方の曽祖父は川崎千虎という日本画家の一家に生まれ、弟の川崎春彦も日本画家となった。親戚に元京成電鉄社長の川﨑千春。 父と義兄の東山魁夷に師事。東京美術学校(現東京藝術大学)卒。日展を中心に日本画院展、日本美術協会展などで活躍。 東京美術学校在学中に太平洋戦争が激化し、1945年1月に応召を受け出征(学徒出陣)。香川県三豊郡豊浜町の船舶兵特別幹部候補生隊へ所属中に同年8月の終戦を迎え、父の川﨑小虎や弟の川﨑春彦らが疎開していた山梨県中巨摩郡落合村(現・南アルプス市)へ復員。義兄の東山魁夷も合流し、自然の写生を励んだ。