笹本 真司(ささもと しんじ、1985年〈昭和60年〉7月2… 笹本 真司(ささもと しんじ、1985年〈昭和60年〉7月29日 - )は、日本の政治家。秋田県鹿角市長(1期)。元鹿角市議会議員(1期)。広島県出身。 広島県尾道市に生まれ、以後広島市で育つ。古田幼稚園、広島市立古田小学校、修道中学校・高等学校、東京工業大学(現・東京科学大学)工学部卒業、同大学院修士課程化学工学専攻修了。この間、フィンランド・ヘルシンキ工科大学へ約10か月の交換留学を行った。その後、東洋エンジニアリング株式会社に約7年にわたって勤務し、このうち6年間をベネズエラ、アメリカ合衆国、インドネシアで過ごした。休暇で日本に戻るたびに活気のなさを痛感し、地方で役に立とうと同社を退職した。
川谷 洋史(かわたに ひろし、1980年 - )は、日本の… 川谷 洋史(かわたに ひろし、1980年 - )は、日本の元市議会議員、実業家、一級建築士、WACA公認ウェブ解析士マスター、提案型ウェブアナリスト、株式会社コレット代表取締役。 低糖質なパンやスイーツの専門店「フスボン」、ウェブコンサルタント業、建設業と建築設計事務所業務を行う、株式会社コレットの代表を務める。SNS運用やECサイトの講師を務めることもある。 大阪府生まれ。東京工業大学・工学部・建築学科卒業。建築構造系の研究室に所属。学部論文は「ボルトで接合されたフェロセメント梁の曲げ実験」。 大学卒業後、家業を引き継ぐ。家業を従業員に譲渡後、2007年5月より富田林市議会議員を3期12年間務める。
三浦 信祐(みうら のぶひろ、1975年3月5日 - )は、… 三浦 信祐(みうら のぶひろ、1975年3月5日 - )は、日本の政治家、工学者。公明党所属の参議院議員(2期)、公明党選挙対策委員長、公明党安全保障部会長。 1975年、宮城県仙台市に生まれる。福島県立福島高等学校を卒業後、千葉工業大学工学部で材料工学を専攻する。 1997年に大学を卒業後、防衛庁に入庁し、防衛大学校機械システム工学科の助手に着任する。2003年、東京工業大学で博士(工学)号を習得。防衛大学校助教、防衛大学校講師を経て、2012年4月、防衛大学校准教授に就任する。 2016年7月、第24回参議院議員通常選挙に公明党公認で神奈川県選挙区より立候補し、第2位で初当選を果たす。公明党としては3年前の佐々木さやかに続く神奈川県選挙区での議席獲得となった。
宮川 伸(みやかわ しん、1970年6月29日 - )は、日… 宮川 伸(みやかわ しん、1970年6月29日 - )は、日本の政治家、生物学者。 衆議院議員(2期)、日本学術振興会特別研究員、レンセラー工科大学博士研究員、東京大学医科学研究所学術研究支援員、リボミック代表取締役社長を歴任。 岐阜県岐阜市に生まれる。千葉市立柏台小学校、船橋市立習志野台中学校、千葉県立千葉東高等学校卒業。1994年3月、東京工業大学無機材料工学科卒業。1997年日本学術振興会特別研究員。1999年、同大学大学院博士課程修了、博士(理学)。大学院時代は澤岡昭の下で生命の起原の研究に従事。核酸塩基をプラズマ発生装置を用いて作製することに成功する。同年、カリフォルニア大学サンディエゴ校に留学。
大野 敬太郎(おおの けいたろう、1968年〈昭和43年〉1… 大野 敬太郎(おおの けいたろう、1968年〈昭和43年〉11月1日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、自由民主党総務会副会長。 内閣府副大臣、防衛大臣政務官、自由民主党政務調査会副会長、同国会対策副委員長、同副幹事長などを歴任。 父は防衛庁長官、衆議院議員を務めた大野功統。母方の祖父は労働大臣、衆議院議員を務めた加藤常太郎。父方の祖父は香川県副知事を務めた大野乾。 香川県丸亀市出身(本籍地は観音寺市豊浜町)。坂出市立中央小学校、香川大学教育学部附属坂出中学校、香川県立丸亀高等学校を経て、1991年、東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部機械工学科卒業。1993年、同大学大学院理工学研究科機械工学専攻修了、富士通入社、宇宙開発推進室配属。
藤末 健三(ふじすえ けんぞう、1964年2月18日 、ボク… 藤末 健三(ふじすえ けんぞう、1964年2月18日 、ボクシングリングネーム:アイアン・フジスエ)は、日本の政治家・研究者。自由民主党所属の元参議院議員(3期)。東京大学工学部助教授を経て、中国清華大学客員教授、カーネギーメロン大学サイラボ特任フェロー、早稲田大学未来イノベーション研究所客員上級研究員、早稲田大学研究院客員教授、東京理科大学大学院経営学研究科技術経営専攻上席特任教授。 民進党参議院政策審議会長、総務副大臣(野田第3次改造内閣)、参議院総務委員長を歴任。現在は、東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員教授を経て、慶應義塾大学経済学部及びグローバルリサーチインスチチュート特任教授。
齊藤 栄(さいとう さかえ、1963年〈昭和38年〉3月17… 齊藤 栄(さいとう さかえ、1963年〈昭和38年〉3月17日 - )は、日本の政治家。静岡県熱海市長(5期)。国土庁職員、岩國哲人衆議院議員、藤末健三参院議員秘書を経て2006年から現職。 東京都品川区戸越で生まれ育つ。父親はウナギ職人。大学3年の夏季実習で、旧社会主義体制のチェコスロバキアに行き、40人のヨーロッパの学生たちと寮生活を送った。 1985年(昭和60年)3月、東京工業大学工学部土木工学科卒業。1988年(昭和63年)3月、東京工業大学大学院修士課程土木工学専攻修了、同年4月に国土庁(現国土交通省)に入庁。1995年(平成7年)5月、米国デューク大学大学院経営学修士課程修了。 2001年(平成13年)1月学校法人滋慶学園に勤務する。
丹羽 厚詞(にわ こうじ、1961年(昭和36年)11月25… 丹羽 厚詞(にわ こうじ、1961年(昭和36年)11月25日 - )は、日本の政治家。元愛知県尾西市(現・一宮市)長(1期)。 東京工業大学工学部卒。尾西市議会議員、同副議長を経て、2003年、尾西市長選挙に立候補し、現職を破って当選した。選挙戦では一宮市との合併の是非の住民投票の実施を公約に掲げ、翌2004年、愛知県では初めてとなる住民投票が行われた。住民投票の結果賛成が反対を上回った。丹羽は合併協議会の副会長になった(会長は一宮市長)。2005年に尾西市は一宮市に編入した。翌年の一宮市長選挙に立候補したが、一宮市長の谷一夫に敗れた。
斉藤 鉄夫(さいとう てつお、1952年2月5日 - )は、… 斉藤 鉄夫(さいとう てつお、1952年2月5日 - )は、日本の政治家。公明党所属の衆議院議員(8期)、公明党幹事長代行。
足立 正則(あだち まさのり、1951年(昭和26年)4月1… 足立 正則(あだち まさのり、1951年(昭和26年)4月16日 - )は、日本の政治家。元長野県飯山市長(3期)。 1970年(昭和45年)3月、長野県長野高等学校卒業。1976年(昭和51年)3月、東京工業大学工学部卒業。1978年(昭和53年)4月、飯山市役所に採用される。 2007年(平成19年)3月19日、市役所を退職。3月20日、飯山市助役に就任。 2010年(平成22年)の飯山市長選挙で初当選し、3期務めた。 2010年(平成22年)9月5日執行。元総務省大臣官房審議官の江澤岸生を破り初当選した。9月15日に市長就任。※当日有権者数:19,928人 最終投票率:71.81%(前回比:pts) 2014年(平成26年)9月7日執行。
横尾 和伸(よこお かずのぶ、1949年〈昭和24年〉9月2… 横尾 和伸(よこお かずのぶ、1949年〈昭和24年〉9月22日 - 1998年〈平成10年〉4月1日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。 東京都台東区浅草出身。 東京工業大学工学部卒業後、厚生省に入省。課長補佐、政策課企画官などを経て、厚生省を退職して公明党福岡県副書記長に就任する。 1992年の第16回参議院議員通常選挙に福岡県選挙区から公明党公認で立候補し、当選する。その後、公明党の分党に伴い公明(参議院会派は平成会)に所属したのち、1997年9月に浜四津敏子、山下栄一とともに新進党に合流。同年12月の新進党解党後は、黎明クラブを経て再び公明に所属した。 1期限りでの引退を表明していたが、任期満了直前の1998年4月1日、呼吸不全のため、入院先の済生会福岡総合病院で死去した。
猪瀬 直樹(いのせ なおき、1946年〈昭和21年〉11月2… 猪瀬 直樹(いのせ なおき、1946年〈昭和21年〉11月20日 - )は、日本の作家、政治家。日本維新の会所属の参議院議員(1期)。日本維新の会国会議員団参議院幹事長。妻は女優、画家、映像作家の蜷川有紀。長野県出身。 『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。道路公団民営化推進委員会委員、地方分権改革推進委員会委員、日本文明研究所所長。東京都副知事、東京都知事(第18代、1期)、大阪府市特別顧問、東京工業大学世界文明センター特任教授、東京大学大学院人文社会系研究科客員教授、国際日本文化研究センター客員教授を歴任した。 長野県下水内郡飯山町(現在の飯山市)生まれ。2歳半から長野市に移る。
菅 直人(かん なおと、1946年〈昭和21年〉10月10日… 菅 直人(かん なおと、1946年〈昭和21年〉10月10日 - )は、日本の元政治家・弁理士(登録番号:07558)。勲等は桐花大綬章。 衆議院議員(14期)、厚生大臣(第79代)、副総理(鳩山由紀夫内閣)、財務大臣(第13代)、国家戦略担当大臣、内閣府特命担当大臣(科学技術政策、経済財政政策)、内閣総理大臣(第94代)、旧民主党代表、民主党代表(初代・3代・8代)、民主党政策調査会長、民主党幹事長、民主党代表代行、旧立憲民主党最高顧問、立憲民主党最高顧問を歴任した。中選挙区制時代の選挙区は、旧東京7区。小選挙区比例代表並立制導入後は東京18区及び比例東京ブロック。 1946年10月10日、岡山県出身の父・菅寿雄の勤務先である山口県宇部市に長男として生まれる。
栗原 勝(くりはら まさる、1924年10月3日 – 201… 栗原 勝(くりはら まさる、1924年10月3日 – 2013年10月9日)は、日本の政治家、浜松市長(5期)。
石井 忠重(いしい ただしげ、1920年〈大正9年〉5月25… 石井 忠重(いしい ただしげ、1920年〈大正9年〉5月25日 - 2007年〈平成19年〉8月10日)は、昭和時代の政治家。神奈川県厚木市長。厚木市名誉市民。 神奈川県愛甲郡南毛利村(現厚木市愛名)出身。神奈川県立厚木中学校(現神奈川県立厚木高等学校)を経て、1941年(昭和16年)東京高等工業学校機械科(現東京科学大学)を卒業し、逓信省航空試験所に入り、1942年(昭和17年)現役入隊。1945年(昭和20年)復員。1951年(昭和26年)南毛利農協専務理事、1954年(昭和29年)南毛利地区農業委員長を経て、1955年(昭和30年)厚木市議会議員に当選。1959年(昭和34年)2月、38歳の若さで厚木市長に就任した。
崔 貞基(チェ・ジョンギ、朝鮮語: 최정기、1913年4月2… 崔 貞基(チェ・ジョンギ、朝鮮語: 최정기、1913年4月20日 - 2000年2月1日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、実業家、大韓民国の教育者、政治家。第2代朝鮮大学校総長、第6代韓国国会議員。本貫は耽津崔氏(朝鮮語版)。 日本統治時代の全羅南道光州郡(現・光州広域市)出身。京都中学校、光州農業学校(現・光州自然科学高等学校(朝鮮語版))卒。1929年に農高読書会の幹部として光州学生運動に参加したため、治安維持法違反などにより検挙され、1930年に懲役3年を、1931年に懲役1年を処されたことがある。その後は東京工業大学化学工学科、朝鮮大学校大学院を卒業した。日本光科学工業株式会社専務取締役、高麗美油株式会社社長、第2代朝鮮大学校総長(1960年6月11日〜1961年8月27日)、光州学生独立運動同志会長を歴任した。
長谷 長次(はせ ちょうじ、1903年(明治36年)8月23… 長谷 長次(はせ ちょうじ、1903年(明治36年)8月23日 - 1977年(昭和52年)12月5日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。弁護士。 石川県出身。1926年東京高等工業学校電気化学科卒。司法官試補となり、検察官となる。 1937年の第20回衆議院議員総選挙で石川1区から立候補して当選する。1942年の総選挙(いわゆる翼賛選挙)では非推薦で立候補して落選した。戦後第1回の1946年の第22回衆議院議員総選挙で石川県(全県1区)から立候補したが、次点で落選。翌1947年の第1回北海道知事選挙(1947年北海道庁長官選挙)で無所属で立候補したが落選した。1949年の総選挙と1950年の参院選に北海道から立候補したが、いずれも落選。
橋本 彦七(はしもと ひこしち、1897年(明治30年)8月… 橋本 彦七(はしもと ひこしち、1897年(明治30年)8月11日 - 1972年(昭和47年)9月12日)は、日本の政治家、技術者。熊本県水俣市長(4期)。日本窒素肥料株式会社(現・チッソ)水俣工場勤務時代、水銀触媒を用いたアセトアルデヒドと酢酸の合成法を発明。1938年(昭和6年)から1946年(昭和21年)まで水俣工場長を務めた。 現在の北海道札幌市に南部家の四男として生まれる。旧制札幌第一中学校卒業後、1916年(大正5年)、東京市日本橋在住の橋本家の養子となる。1919年(大正8年)、東京高等工業学校電気化学科(現・東京工業大学)卒業。同年、日本窒素肥料(現・チッソ)に入社。 1931年(昭和6年)、橋本らは、カーバイトからアセチレンを作り,これを水銀触媒を使ってアセトアルデヒドに変える一連の合成方法を発明し、特許原簿に登録した。
鹿島 透(かしま とおる、1896年(明治29年)12月2日… 鹿島 透(かしま とおる、1896年(明治29年)12月2日 ‐ 1980年(昭和55年)1月24日) は、大正末から昭和期の教育者、政治家。衆議院議員。 宮崎県児湯郡上穂北村穂北(西都町を経て現西都市穂北)で、鹿島栄三郎の三男として生まれた。1923年(大正12年)東京高等工業学校(現東京工業大学)附設工業教員養成所を卒業した。 宮崎県、大阪市の小学校訓導、宮崎県立宮崎工業学校(現宮崎県立宮崎工業高等学校)長兼教諭、青年学校視学委員、宮崎県教育会長、同県建設業協会長、国土計画審議会委員、上代日向研究所委員、日本教育会宮崎県副支部長、宮崎県教育委員長などを務めた。 1946(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙に宮崎県全県区から無所属で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
小林 英三(こばやし えいぞう、1892年11月9日 – 1… 小林 英三(こばやし えいぞう、1892年11月9日 – 1972年11月7日)は、日本の政治家、実業家。厚生大臣(第27代)。参議院議員(3期)。 広島県尾道市久保町生まれ。1917年に東京高等工業学校(現東京工業大学)を卒業後、埼玉県川口町(現川口市)に移り住む。1920年に(株)国際重工業を創立し社長となる。発明家としても知られ、農家で使う「籾殻かまど」や「俵締機」などの新製品を開発し業績を伸ばした。取得した特許や実用新案は200以上にのぼるという。その他、川口コークス(株)、(株)寿屋を設立し会長となる。 社業のかたわら、川口鋳物工業協同組合理事長、川口工業健康保険組合理事長を務め、地元経済界の重鎮として活動するとともに、日本鋳物工業会会長、埼玉県経営者協会会長等も歴任した。
永瀬 寅吉(ながせ とらきち、1890年(明治23年)11月… 永瀬 寅吉(ながせ とらきち、1890年(明治23年)11月5日 - 1965年(昭和40年)7月17日)は、日本の実業家・政治家。貴族院多額納税者議員、埼玉県川口市長(第3代)。 埼玉県北足立郡川口町(現:川口市)で、川口町長・鋳物業、永瀬庄吉の長男として生まれる。1909年、埼玉県立浦和中学校卒業後に東京高等工業学校を修了した。 1912年以降、永瀬鉄工所管理者、川口商工会議所会頭、川口鋳物工業組合理事などを務めた。 1933年、川口市の市制施行に伴い市会議員に就任し、初代議長を務めた。1935年7月1日、第3代川口市長に就任し、1938年4月1日まで在任。その他、埼玉県産業報国会副会長、大政翼賛会埼玉県支部参与などを務めた。
伊奈 長三郎(いな ちょうざぶろう、1890年(明治23年)… 伊奈 長三郎(いな ちょうざぶろう、1890年(明治23年)3月20日 - 1980年(昭和55年)10月10日)は、日本の実業家、政治家。伊奈製陶(INAXを経て、現在のLIXIL)創業者で、同社代表取締役社長を務めた。政治家としては初代常滑市長(1期)、常滑町長(1期)などを歴任した。 愛知県知多郡常滑村(常滑町を経て、現在の常滑市)で第5代目窯元の伊奈初之丞の長男して生まれる。旧名は、伊奈長太郎。東京中学校(現在の東京高等学校)を経て、1912年に東京高等工業学校(東京工業大学を経て、現在の東京科学大学)窯業科を卒業した。1918年、帝国ホテル煉瓦製作所技術顧問に就任した。1924年に伊奈製陶を設立し、同社常務取締役に就任した。
大野 一造(おおの いちぞう, 1885年4月5日 – 19… 大野 一造(おおの いちぞう, 1885年4月5日 – 1967年3月6日)は、愛知県碧海郡刈谷町(現・刈谷市)出身の技術者・実業家・政治家。刈谷町会議員、愛知県会議員、刈谷町長、衆議院議員を務めた。刈谷市名誉市民。かんばん方式などの「トヨタ生産方式」を築いた大野耐一は息子。 1885年(明治18年)4月5日、愛知県碧海郡刈谷町緒川町(現・刈谷市八幡町6丁目78番地)にて旧刈谷藩士の大野介蔵の長男として生まれた。介蔵は刈谷城本丸隅の十朋亭を隠居家としており、1936年(昭和11年)には十朋亭を刈谷町に売却している。 刈谷町立亀城小学校を中途退学。兵庫県立神戸中学校(のちの兵庫県立神戸高等学校)を経て、東京高等工業学校(のちの東京科学大学)窯業科を卒業。
江部 順治(えべ じゅんじ、1883年(明治16年)1月3日… 江部 順治(えべ じゅんじ、1883年(明治16年)1月3日 - 1976年(昭和51年)2月16日)は、大正から昭和期の政治家。衆議院議員、栃木県下都賀郡小山町長。旧姓・高堂。 秋田県南秋田郡、のちの秋田市で高堂兵右衛門の五男として生まれ、江部惣四郎の養子となる。1906年(明治39年)東京高等工業学校(現東京工業大学)応用化学科を卒業した。 一時大蔵省に入省したが退職し、下野酒造(のち一徳酒造)専務、栃木県酒類販売社長、下野醤油社長、同県商工経済会小山出張所長、小山商工会長、那須商業銀行監査役などを務めた。 政界では、小山町会議員、所得税調査委員、栃木県都賀地方事務所参与などを務め、1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)まで小山町長に在任した。
貝塚 栄之助(かいづか えいのすけ、1882年〈明治15年〉… 貝塚 栄之助(かいづか えいのすけ、1882年〈明治15年〉8月10日 - 1947年〈昭和22年〉)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。三重県桑名市長。 貝塚卯兵衛の三男として三重県桑名に生まれる。父卯兵衛は米穀商および株式取引を生業とし桑名紡績を立ち上げた人物。1910年(明治43年)東京高等工業学校を卒業後、名古屋電灯に入社し技師として勤務する。1915年(大正4年)家督を相続し、松阪工業学校教諭に転じた。1918年(大正7年)高岳製作所社長を経て、1926年(大正15年)桑名瓦斯社長となった。1930年(昭和5年)桑名町助役に挙げられ、1934年(昭和9年)桑名町長を経て、1937年(昭和12年)6月22日、市制施行と同時に桑名市長に就任した。
諸 青来(しょ せいらい、1881年〈光緒7年〉 - 没年不… 諸 青来(しょ せいらい、1881年〈光緒7年〉 - 没年不明)は、清末民初の政治家・官僚。名は翔だが、号の青来で知られる。祖籍は浙江省紹興市。中国国家社会党の有力幹部で、後に南京国民政府(汪兆銘政権)の要人となった。 清末に日本に留学し、商工や経済を学んだ。帰国後は、清朝の農商部・財政部に任官する。後に、上海で神州大学を創設し、総務長となる。また、雑誌『銀行周報』編輯となり、上海大夏大学・持志大学・光華大学・中国公学で教授をつとめた。1934年(民国23年)、中国国家社会党に加入する。1937年(民国26年)の日中戦争(抗日戦争)勃発後は、上海の雑誌『新学識』において、国共合作反対の主張を展開した。
苫米地 義三(とまべち ぎぞう、1880年〈明治13年〉12… 苫米地 義三(とまべち ぎぞう、1880年〈明治13年〉12月25日 - 1959年〈昭和34年〉6月29日)は、日本の実業家、政治家。位階は正三位。運輸大臣(第8代)、内閣官房長官(第3代)、衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)、サンフランシスコ講和会議全権委員。 1880年(明治13年)12月25日、青森県上北郡相坂村(藤坂村を経て現在の十和田市)に生まれる。父の金次郎は村の評議員で、明治22年の市町村制施行時は、藤坂村の第1期村会議員にも選ばれた地域の有力者だった。一方で北海道開拓に並々ならぬ関心を抱いており、翌1890年(明治23年)には全財産を担保にして土地を買い、後志国磯谷郡南尻別村大谷地(現在の北海道蘭越町大谷地)に移り住んだ。
登坂 又蔵(のぼりさか またぞう、1875年(明治8年)1月… 登坂 又蔵(のぼりさか またぞう、1875年(明治8年)1月2日 - 1944年(昭和19年)3月4日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。山形県米沢市長。 現在の山形県米沢市に生まれる。1897年(明治30年)京都市染織学校訓導を拝命し、1899年(明治32年)退職したのち、1905年(明治38年)東京高等工業学校染織科選科を卒業する。米沢義社取締役、奥羽電気常務取締役を経て、1915年(大正4年)9月、山形県会議員に当選し以来6期務めた。その間、米沢市会議員、同副議長、同議長を歴任。ついで1929年(昭和4年)3月、米沢市長に就任したのち、1933年(昭和8年)11月、山形県会議員に再選した。
堀江 正三郎(ほりえ しょうざぶろう、1869年2月12日(… 堀江 正三郎(ほりえ しょうざぶろう、1869年2月12日(明治2年1月2日) - 1934年(昭和9年)10月9日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 東京都出身。1889年、東京高等工業学校卒。京橋区議、東京府議、同市部会議員、同議長となる。千代田護謨、東京製靴、東京商船各(株)専務取締役、原安商会、秋葉商店、茨城鉄道、大谷石材鉄道、栗山電燈、稲敷電気各(株)取締役社長などを務める。 1932年の第18回衆議院議員総選挙において茨城3区(当時)から立憲政友会公認で立候補して当選した。在職中の1934年10月に死去した。
羽室 庸之助(はむろ ようのすけ、1868年10月26日(明… 羽室 庸之助(はむろ ようのすけ、1868年10月26日(明治元年9月11日) - 1944年(昭和19年)12月30日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 兵庫県出身。1890年、東京工業学校(現・東京工業大学)機械科卒。私立中学鳳鳴義塾教師となる。その後、農商務省製鉄所技手となり、ドイツに留学、住友製鋼所副支配人、羽室鋳鋼所所長、日本水道衛生、大阪機械工作所(株)監査役を歴任する。御影師範学校附属小学校保護者会役員であったことから、近隣の新中学として1923年から灘校設立運動を支援。 1924年の第15回衆議院議員総選挙において大阪3区から立候補したが落選。1926年の補欠選挙の再選挙に実業同志会公認で立候補して当選した。