中野 健一(なかの けんいち、1934年3月21日 - )は… 中野 健一(なかの けんいち、1934年3月21日 - )は、毎日オリオンズ に在籍したプロ野球選手(内野手)。 法政一高では1951年春季東京大会で準決勝に進むが、沖山光利のいた明治高に敗退。同年夏の甲子園都予選では3回戦で成城高に惜敗。卒業後は法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、遊撃手として活躍。1955年秋季リーグでは打率.383で首位打者を獲得、ベストナインにも選出された。大学同期に長谷川繁雄がいる。 卒業後は 日本石油に入社。1956年の都市対抗では一番打者としてエース藤田元司を擁し決勝に進出。熊谷組を降しチームを優勝に導く。この時のチームメートに花井悠らがいる。
阿吾寿朗(あご じゅうろう、1934年3月11日 - 199… 阿吾寿朗(あご じゅうろう、1934年3月11日 - 1990年 没)は、漫才師、元吉本新喜劇の役者で一時は座長も務めた。本名:高橋享。 青森県十和田市生まれ、法政大学在学中に映画のエキストラを経験、役者になる為、大学を中退し晩年の榎本健一の元に弟子入り、あごぼん十の名で喜劇の舞台に立つ。喜劇役者のかたわらはせさん治と漫才を組む。1968年に角座に出演の為に来阪。1970年11月、吉本新喜劇に入団。翌年に阿吾十朗の名で準座長に昇進。1972年に座長に就任。1974年に座長の座を若い座員に譲る。1980年2月より今喜多代と組み漫才に復帰。その後コンビを病気の為に解消、引退した。後に通っていたスナックのママに看取られつつ死去。
清水 靖夫(しみず やすお、1934年(昭和9年)3月 - … 清水 靖夫(しみず やすお、1934年(昭和9年)3月 - )は、日本の地図学者。 東京生まれ。法政大学大学院修士課程修了。立教高等学校教諭、法政大学講師、国士舘大学非常勤講師を経て、日本地図センター研究顧問、日本国際地図学会評議員、地図情報センター理事。
杉森 みど里(すぎもり みどり 1934年2月21日-)は、… 杉森 みど里(すぎもり みどり 1934年2月21日-)は、日本の看護学者。群馬県立医療短期大学学長、群馬県立県民健康科学大学学長を歴任。群馬県立県民健康科学大学名誉教授。 兵庫県生まれ。1955年国立東京第一病院附属高等看護学院卒業。以後1967年まで国立東京第一病院勤務。その間、1959年から1960年外務省による医療使節団員としてラオスへ派遣。1961年から1963年国際看護婦協会(I.C.N.)交換看護婦として渡米。1966から1967年厚生省看護教員養成講習会専任者として出向。1967年順天堂高等看護学校本科教務主任。1973年法政大学法学部法律学科卒業。同年東海大学医療技術短期大学助教授。
二村 一夫(にむら かずお、1934年2月 - )は、日本の… 二村 一夫(にむら かずお、1934年2月 - )は、日本の歴史学者。専門は、労働史。法政大学名誉教授、法政大学大原社会問題研究所名誉研究員。 長野県松本市出身。長野県諏訪清陵高等学校、東京都立大泉高等学校を経て、1956年東京大学文学部国史学科卒業。1958年法政大学大学院社会科学研究科修士課程修了、同大学法学部助手。1960年東邦大学一般教養科専任講師。1963年同大学助教授。1966年法政大学大原社会問題研究所兼任研究員。1967年同研究所専任研究員。1973年法政大学教授。1976年ウォーリック大学社会史研究センター訪問研究員。1977年ハーバード大学、ミシガン大学、カリフォルニア大学バークレー校各日本研究所訪問研究員。
阿部 岩夫(あべ いわお、本名:阿部 岩男、1934年1月2… 阿部 岩夫(あべ いわお、本名:阿部 岩男、1934年1月20日 - 2009年6月12日)は日本の詩人。 山形県鶴岡市生まれ。法政大学文学部日本文学科卒業。若いころは政治運動に身を投じた。代表的な詩集として、獄舎につながれた肉体的・精神的苦痛から幻影をみる詩集『眼の伝説』、『不覇者』(1982年第15回小熊秀雄賞受賞作)、故郷庄内地方の即身仏信仰をテーマとした『月の山』、難病に陥った中で病者の意識を追う迫力に満ちた作品『ベーゲェット氏』などがある。『べーゲェット氏』は1989年高見順賞を受賞した。 新日本文学会の日本文学学校の講師も務め、教え子に伊藤比呂美がいる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
漆原 智良(うるしばら ともよし、1934年1月19日 - … 漆原 智良(うるしばら ともよし、1934年1月19日 - 2022年4月15日)は、日本の児童文学作家、教育評論家。 東京・浅草の煙草店に生まれた。縁故疎開で1945年から2年間、栃木県芳賀郡南高根沢村(現在の芳賀町)で過ごした。東京大空襲で家族を亡くす。 1948年(14歳)、栃木県宇都宮市の横松電機店に拾われる。作家・立松和平の実家であり、お守りをしたという(『つらかんべぇ』(今人舎)より)。法政大学文学部を卒業した。最初の赴任地・八丈小島をはじめとして、東京都の公立小・中学校で28年間勤務後、依願退職した。立教大学、実践女子短期大学、秋草学園短期大学で講師を務めた。 八丈小島赴任中の1962年11月に八丈小島のマレー糸状虫症撲滅のために東京大学伝染病研究所に協力した。
鬼頭 史郎(きとう しろう、1934年〈昭和9年〉1月6日 … 鬼頭 史郎(きとう しろう、1934年〈昭和9年〉1月6日 - )は、日本の元裁判官。「ニセ電話事件」を起こし、法曹資格を喪失した。 名古屋市南区(現在の港区)出身。愛知県立松蔭高等学校を経て法政大学法学部に進んだ。 大学在学中に厚生大臣草葉隆圓の私設秘書から厚生省職員を務めた。1958年(昭和33年)に卒業した後、1960年(昭和35年)に法政大学大学院修士課程を修了。一旦厚生省を退職し名古屋市役所に入庁するも、後に慶應義塾大学大学院博士課程に進学した。 1964年(昭和39年)に司法試験に合格。 1967年(昭和42年)に名古屋地方裁判所判事補に任官。名古屋地裁在任中に既婚にもかかわらず、離婚したと嘘をついて女性弁護士と3か月間同棲し、地裁が関係者に事情聴取した。
安藤 実(安藤 實、あんどう みのる、1934年 - )は、… 安藤 実(安藤 實、あんどう みのる、1934年 - )は、日本の経済学者、財政学者。静岡大学名誉教授、名古屋学院大学名誉教授。 1934年3月、北海道旭川市に生まれる。1958年、早稲田大学第一政治経済学部卒業。1963年、法政大学大学院経済学研究科博士課程修了。同年、東洋経済新報社嘱託。1966年より静岡大学人文学部講師、1976年より教授。1983年、ベルリン経済大学(ドイツ民主共和国)客員教員。1994年、静岡大学人文学部長。1997年、定年退官。同年4月、札幌学院大学経済学部教授。2000年、名古屋学院大学経済学部教授、2004年、同大学院経済経営研究科特任教授を経て2007年3月、退職。
門脇 尚平(かどわき しょうへい、1934年 - )は、日本… 門脇 尚平(かどわき しょうへい、1934年 - )は、日本の占い師。 1934年高知県生まれ。1959年法政大学経済学部商学科卒業。 防衛庁事務官在籍時に手相・人相に関する本を次々と出版し、後に占い師へ転向する。 この項目は、占いに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
木山 俊平(きやま しゅんぺい、1934年(昭和9年) - … 木山 俊平(きやま しゅんぺい、1934年(昭和9年) - )は日本の実業家。三菱鉛筆東京販売株式会社元社長、名誉会長。三菱鉛筆株式会社取締役、相談役。ユニ産業株式会社・ユニ物流株式会社顧問。 昭和9年中国青島生まれ。昭和34年法政大学法学部卒業。同年三菱鉛筆入社。営業部販売課を振り出しに、大阪支店次長、本社販売課長、鉛筆製造課長、山形工場長(昭和49年)などを経て、三菱鉛筆東京販売(株)社長(昭和50年)。平成11年同社名誉会長。他に三菱鉛筆株式会社取締役、相談役、ユニ産業株式会社・ユニ物流株式会社顧問、法政大学理事、狛江市外部評価委員会副委員長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
湯浅 憲明(ゆあさ のりあき、1933年〈昭和8年〉9月28… 湯浅 憲明(ゆあさ のりあき、1933年〈昭和8年〉9月28日 - 2004年〈平成16年〉6月14日)は、映画監督やテレビ番組の監督やディレクター。 特撮映画『ガメラシリーズ』のうち昭和期の作品をすべて手がけており、「ガメラの父」としても知られる。 東京都世田谷区赤堤に生まれる。実母は憲明を出産した当時は未成年であったため、息子を養子に出すことを望まなかった父・星ひかるによって私生児扱いにされており、就職のために戸籍謄本を取得した際に初めてそのことを知ったという。 恰幅がよく丸顔でもあり、『大怪獣ガメラ』の撮影時に島耕二からは「ガメラはぬいぐるみじゃなくて、湯浅監督がそのまま演じればいいんだよ」と冷やかされ、回顧録でもガメラに演技をつける湯浅は「まるで兄弟のようだ」と表現されている。
辻田 実(つじた みのる、1933年〈昭和8年〉9月27日 … 辻田 実(つじた みのる、1933年〈昭和8年〉9月27日 - 2018年〈平成30年〉11月16日)は、日本の政治家。千葉県館山市長(2期)。 法政大学経済学部卒業。館山市議会議員となり、1979年の総選挙から4回連続で千葉3区から日本社会党公認で立候補したが落選続きだった。1990年の館山市長選挙に無所属で立候補したが落選。1998年に現職の庄司厚を破って初当選。2002年に再び立候補した庄司を破って再選。2006年の市長選挙で落選した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
原田 榮進(はらだ えいしん、1933年9月8日 - )は、… 原田 榮進(はらだ えいしん、1933年9月8日 - )は、日本の造園家。特定非営利活動法人日本ガルテン協会会長。社団法人日本経営士会正会員、社団法人日本建築学会正会員。 福岡県福岡市生まれ。 宗左近にフランス文学、松下圭一に政治学を学ぶ。法政大学卒業。 人間行動研究会(HB研)代表として企業で働く人々の心と行動を研究。 25年に亘り丸の内「日本工業倶楽部」において、月例会を主宰、月刊誌「HB研レポート」を発行。 1970~95年、中国各地、東南アジア、中央アジア、アメリカの他、東欧、北欧をはじめヨーロッパなど世界各地を調査研究。とくにシルクロード、中国へは十数回調査敢行。 日本庭園学会正会員。
蘭定 美男(らんじょう よしお、1933年5月16日 - )… 蘭定 美男(らんじょう よしお、1933年5月16日 - )は、兵庫県西宮市出身の元プロ野球選手(捕手)。 兵庫県西宮市大屋町(阪急西宮北口駅付近)で育つ。兵庫県立西宮高等学校、法政大学(中退)を経て、1955年途中に大阪タイガースに入団。しかし、1956年,1957年にそれぞれ1試合ずつ出場したに留まり、1957年シーズン終了後引退した。
上条 末夫(かみじょう すえお、1933年4月30日 - )… 上条 末夫(かみじょう すえお、1933年4月30日 - )は、日本の政治学者。駒澤大学、尚美学園大学名誉教授。政策研究フォーラム副理事長その後、顧問 山梨県出身。1958年法政大学法学部政治学科卒業、東京政治研究所(のち現代史研究所)所員、1972年駒澤大学専任講師、1974年助教授、1981年教授。2000年定年退任、尚美学園大学総合政策学部教授。2006年退職。駒澤大学ハイキングクラブ(KHC)顧問
中野 収(なかの おさむ、1933年4月26日 - 2006… 中野 収(なかの おさむ、1933年4月26日 - 2006年1月14日)は、日本の社会学者、法政大学名誉教授。
尹 学準(ユン ハクジュン、1933年3月6日 - 2003… 尹 学準(ユン ハクジュン、1933年3月6日 - 2003年1月12日)は、韓国の文学研究者、翻訳家。元法政大学国際文化学部教授、専門は朝鮮文学・日朝比較文化論。 1933年3月6日、朝鮮慶尚北道に生まれる。1953年4月28日、日本への密航を試みるが、巡視艇により発見され唐津の警備救難署に留置される。しかし、警備救難署の留置所から脱走し、岡山、京都などを転々とする。その後、1955年に明治大学第二部法学部に入学するが、プロレタリア文学を研究したいと思い、法政大学第二部文学部の3年次に編入学する。大学では小田切秀雄に師事し、1958年に法政大学を卒業する。卒業後、雑誌『鶏林』の編集に携わり、朝鮮商工新聞社に入社する。
森西 栄一(もりにし えいいち、1933年(昭和8年)1月1… 森西 栄一(もりにし えいいち、1933年(昭和8年)1月10日 - 1970年(昭和45年)2月13日)は、1964年東京オリンピック開催時の「東京オリンピック組織委員会」の職員。 そして1964年東京オリンピック開催準備の一貫として企画組織された「聖火リレーコース踏査隊」の一員であった。 1933年(昭和8年)1月10日、徳島県木屋平林(現:美馬市)に生まれた。 木屋平村立三ツ木小学校、三ツ木中学校、徳島県立城東高等学校と在学進学し卒業後上京し、タクシー会社「帝産オート」永田町営業所でタクシー運転手として働きながら、法政大学二部(夜間学部)法学部に通っていた。 ある日、森西が運転するタクシーに、1964年東京オリンピック開催準備に関わっていた亀倉雄策と丹下健三が乗り合わせた。
佐藤 廣士(さとう ひろし、1933年(昭和8年) - )は… 佐藤 廣士(さとう ひろし、1933年(昭和8年) - )は、山形県鶴岡市出身の、切り絵作家。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
山崎 光雄(やまざき みつお、1933年 - ) は、日本の… 山崎 光雄(やまざき みつお、1933年 - ) は、日本の実業家。西武百貨店社長、パルコ会長、福武書店会長を歴任した。 新潟県生まれ。新聞記者など物書きで身を立てたいと向学に燃えるも、家庭の事情もあり1954年4月法政大学二部文学部入学、同年5月西武百貨店に入社。入社当時の百貨店におけるモラル・ハザードは凄まじく、いずれ辞める会社だと自身に言い聞かせ日々の職務に取り組んだ。そのような中、堤清二が店長として入社し、改革を進め社内は一変した。堤は、山崎の直言にも一顧だにすることなく耳を傾け激励した。やがて山崎は物書きになる夢はあきらめ、百貨店に身を奉ずると決め、転部し1958年同大経済学部を卒業した。
長谷川 繁雄(はせがわ しげお、1932年10月2日 -19… 長谷川 繁雄(はせがわ しげお、1932年10月2日 -1966年6月24日)は、1950年代半ばから1960年代前半にかけて活躍したプロ野球選手(一塁手、外野手)である。広島県竹原市出身。 竹原高校を卒業後、法政大学に進学。東京六大学野球リーグでは中心打者として活躍したが、優勝には届かず、1954年秋季リーグの2位が最高成績であった。大学同期に中野健一、1年下に斎田忠利・古川啓三がいる。 1956年に南海ホークスへ入団。同年は開幕直後から一塁手、五番打者に抜擢され、寺田陽介とレギュラーを争う。四番打者としても11試合に出場した。1957年のシーズン後半から中堅手に回る。1958年には122試合に出場し規定打席にも到達、打率.276(リーグ9位)、16本塁打の好成績を残した。
福嶋 健助(ふくしま けんすけ、1932年(昭和7年)9月2… 福嶋 健助(ふくしま けんすけ、1932年(昭和7年)9月22日 - 2007年(平成19年)9月8日)は、日本の政治家。第4代埼玉県深谷市長。 埼玉県大里郡藤沢村に生まれる。法政大学卒。1960年(昭和35年)深谷市職員に採用され、秘書室長、収入役、助役を歴任。 1991年(平成3年)2月に第4代深谷市長に当選し、1999年(平成11年)2月まで2期8年務める。 2004年(平成16年)旭日小綬章を受章。2007年(平成19年)9月8日、呼吸不全のため死去、74歳。死没日をもって正六位に叙される。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
石黒 昇(いしぐろ のぼる、1932年8月2日 - 2021… 石黒 昇(いしぐろ のぼる、1932年8月2日 - 2021年2月11日)は、日本の競歩の選手である。 元々は長距離走の選手であったが、法政大学在学時に結核を患い、断念。数年後に退院し、健康維持のために独学で競歩を始める。 32歳で、1964年東京オリンピックの男子20キロメートル競歩に出場。1時間39分40秒0で23位だった。旧郵政省東京貯金局(現ゆうちょ銀行貯金事務センター)に勤務していたが、競歩自体が当時社会的に認知されていなかったので、大会出場中の欠勤を理由に解雇されていた。その後、埼玉県庁に勤務する傍ら、日本陸上競技連盟で審判や強化の委員などを務めた。また、「日本競歩を強くする会」の副会長になり、年2回の合宿開催や強化費集めに奔走した。
角瀬保雄(かくらい やすお、1932年7月30日 - 202… 角瀬保雄(かくらい やすお、1932年7月30日 - 2021年8月2日)は、日本の会計学者。法政大学名誉教授。 東京生まれ。1956年早稲田大学第一商学部卒、明治大学大学院修了。96年「現代会計基準論」で京都大学より経済学博士の学位を取得。法政大学経営学部助教授、教授。2003年定年、名誉教授、2003-10年共同総合研究所いのちとくらし研究所理事長。
保科 昭彦(ほしな てるひこ、1932年7月24日 - 20… 保科 昭彦(ほしな てるひこ、1932年7月24日 - 2020年11月15日)は、日本の実業家。読売新聞社西部本社代表、読売巨人軍代表取締役社長。 1956年に法政大学経済学部を卒業後、同年読売新聞社に入社。地方部や静岡支局などを経て、婦人部長や解説部長を歴任。中小企業経営や生活経営といった専門分野を中心に活躍した。1988年には総務局長兼人事部長、1991年からは取締役、さらに1992年6月に読売巨人軍代表へ就任した。翌年の1993年からは球団代表兼編成本部長となり、1996年1月に退任。その後は読売新聞社西部本社代表へ就任した。2020年11月15日、脳梗塞のため死去。享年88歳。 1993年に導入されたばかりのフリーエージェント制度(FA制)で、落合博満(中日)の獲得に尽力。
境 節(さかい せつ、1932年5月2日 - 2022年1月… 境 節(さかい せつ、1932年5月2日 - 2022年1月13日)は、日本の女性詩人。 岡山県生まれ。本名・松本道子。法政大学通信教育部卒。「黄薔薇」編集同人、「どぅるかまら」同人。2004年詩集『道』で中四国詩人賞、2006年『薔薇のはなびら』で富田砕花賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
泉 昭二(いずみ しょうじ、1932年4月25日 - 202… 泉 昭二(いずみ しょうじ、1932年4月25日 - 2023年10月29日)は、日本の漫画家。男性。東京府東京市荒川区(現:東京都荒川区)生まれ。法政大学卒業、東京デザインカレッジ漫画科修了。 中学生のとき、大人の雑誌に投稿した作品が掲載され、出版社に原稿料を受け取りに行って驚かれた。この頃に漫画家を志望するが、8人きょうだいの末っ子という経済的な理由もあり家族には切り出せずにいた。33歳のとき、サラリーマン生活をやめ、東京デザインカレッジに一期生として学ぶ。その後、朝日新聞のPR版に挿絵を描いていたところ、子供向けの新聞漫画の執筆に誘われたのが転機となった。当初は1ヵ月程度の連載のつもりだったという。
岩部 金吾(いわべ きんご、1932年(昭和7年)2月26日… 岩部 金吾(いわべ きんご、1932年(昭和7年)2月26日 - 2021年(令和3年)3月7日)は日本の実業家。元文化シヤッター代表取締役社長。 1932年(昭和7年)2月26日、広島県に生まれる。旧制崇徳中学(現崇徳高等学校)を経て、1956年(昭和31年)に法政大学経済学部を卒業し、ハリウッド化粧品に入社する。1959年(昭和34年)に文化シヤッター入社し、1964年(昭和39年)同社取締役社長室長、1969年(昭和44年)に同社常務取締役、1972年(昭和47年)に同社専務取締役を経て、1989年(平成元年)に同社代表取締役社長に就任する。1995年(平成7年)に同社取締役相談役を経て、1997年(平成9年)に同社代表取締役会長就任。
久留間 健(くるま けん、1932年2月19日 - 2012… 久留間 健(くるま けん、1932年2月19日 - 2012年4月2日)は、日本の経済学者。立教大学名誉教授。マルクス経済学における金融論、貨幣論専攻。 1932年、兵庫県生まれ。父親は元法政大学教授でマルクス経済学者の久留間鮫造。1956年、横浜国立大学経済学部卒業。1959年、法政大学大学院社会科学研究科修士課程修了。1962年、立教大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。 立教大学経済学部助手(1962年4月-1964年3月)、専任講師(1964年4月-1968年3月)、助教授(1968年4月-1978年3月)を経て立教大学経済学部教授(1978年4月-1997年3月)。この間、1987年より2年間、経済学部長を務める。
川内 彩友美(かわうち さゆみ、1932年1月20日 - )… 川内 彩友美(かわうち さゆみ、1932年1月20日 - )は、日本のアニメーションプロデューサー、実業家。日本美術家連盟会員、作詞家、画家。 川内康範の娘(先妻の連れ子)。法政大学文学部、武蔵野美術大学を卒業。愛企画センター入社後は「世の中から昔話が消えてしまう」との危機感から『まんが日本昔ばなし』を企画製作、プロデューサーとして長年にわたり手掛けた。のち株式会社愛企画センター代表取締役会長、株式会社愛プロ代表取締役会長。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
広瀬 豊(ひろせ ゆたか、1932年(昭和7年)1月18日 … 広瀬 豊(ひろせ ゆたか、1932年(昭和7年)1月18日 - 2006年(平成18年)7月20日)は日本の実業家、編集者。陸上競技社設立者・元社長、元関東学生陸上競技連盟会長。苗字の広は正確には广に黄。 愛知県稲沢市に生まれる。愛知県立一宮高等学校を1950年(昭和25年)に卒業、1954年(昭和29年)に法政大学経済学部を卒業し、ベースボールマガジン社に入社。季刊だった『陸上競技マガジン』の編集長に就任し、月刊化する功績を果たしたものの退社。その頃教科書出版に進出する講談社から、保健体育の編集者として声を掛けられ入社し、同時に1967年(昭和42年)に陸上競技専門誌『月刊陸上競技』を創刊、編集長を務める。
谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年〈昭和6年〉… 谷川 俊太郎(たにかわ しゅんたろう、1931年〈昭和6年〉12月15日 - 2024年〈令和6年〉11月13日)は、日本の詩人、翻訳家、絵本作家、脚本家。愛称は「タニシュン」。 太平洋戦争後の現代日本を代表する、国民的詩人と評価されている。 哲学者で法政大学総長を務めた谷川徹三を父、衆議院議員 長田桃蔵の娘である多喜子を母として、東京府豊多摩郡杉並町(現:東京都杉並区)に生まれ育つ。 1938年 (昭和13年)に東京市立杉並第二尋常小学校、1944年(昭和19年)に東京都立豊多摩中学校(後の東京都立豊多摩高等学校)へ入学。太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月に山の手空襲を体験した。この年、京都府久世郡淀町に疎開し、京都府立桃山中学校に転学した。
三浦昇(みうら のぼる、1931年12月12日 - 1999… 三浦昇(みうら のぼる、1931年12月12日 - 1999年4月10日)は、日本のジャーナリスト、作家。 台湾・新竹州新竹市で生まれ、宮城県で育つ。法政大学文学部卒。1955年中日新聞に入り、東京本社編集委員。将棋、古代史についての著作がある。
佐々木 宏(ささき ひろし、1931年12月7日 - 201… 佐々木 宏(ささき ひろし、1931年12月7日 - 2019年9月1日)は、日本の建築家、建築評論家、近代建築研究者。 アカデミズムに属さず、自ら設計事務所を経営する傍ら、在野の研究者というスタンスを貫いた。唯一在職した法政大学では、非常勤講師の立場を通した。しかし、在野であるために何者にも遠慮することなく辛辣な批判を加える立場を崩さなかった。 1931年北海道小樽市に生まれる。北海道大学に入り、当初数学を目指したが、教師のアドバイスにより断念して建築へ転向。立原道造に傾倒して学内誌に立原論を投稿。在学中からアメリカの建築雑誌『アーキテクチュラル・レヴュー』を購読し、以来海外の建築動向には一貫して注目。
金澤 隆(かなざわ たかし、1931年(昭和6年)11月28… 金澤 隆(かなざわ たかし、1931年(昭和6年)11月28日 - 2015年 <平成27年> 12月10日)は、日本の政治家。旧弘前市長(4期)。位階は正六位。 1931年(昭和6年)、青森県弘前市に生まれる。1974年(昭和49年)に法政大学法学部を卒業する。 弘前市企画課長、市長公室長などを経て、1992年(平成4年)に弘前市長選に出馬し、当選する。以後、連続4期当選する。市長任期中に津軽広域水道企業団企業長を併任。 2006年(平成17年)2月27日、岩木町、相馬村の旧町村と合併を行い、新弘前市を発足させる。これに伴って4月16日に行われた市長選挙に自民党・公明党の推薦と社民党支持を受けて立候補するも、相馬錩一に破れ、落選。
松永 怜一(まつなが れいいち、1931年11月3日 - 2… 松永 怜一(まつなが れいいち、1931年11月3日 - 2022年5月12日)は、福岡県北九州市出身のアマチュア野球指導者。 学生・社会人野球界で監督を歴任。野球が公開競技であったロサンゼルスオリンピックでは野球日本代表を監督として金メダルに導いた。 八幡市立(現在の北九州市立)槻田小学校時代、家の近くの八幡製鉄のホームグラウンド大谷球場(現在の北九州市立大谷球場)で八幡製鉄と門司鉄道管理局の春・秋の定期戦「製門戦」に夢中になる。 福岡県立八幡中学校(1948年の学制改革により福岡県立八幡高等学校となる)では三塁手、三番打者として活躍。同じ北九州の福岡県立小倉中学校(のち福岡県立小倉高等学校)がエース福嶋一雄(2013年野球殿堂入り)を擁し、1947年から夏の甲子園で連続優勝、打倒小倉高が目標となる。
羽佐間 正雄(はざま まさお、1931年10月29日 - )… 羽佐間 正雄(はざま まさお、1931年10月29日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。
大里 晴信(おおさと はるのぶ、1931年10月1日 - 2… 大里 晴信(おおさと はるのぶ、1931年10月1日 - 2019年4月21日)は、茨城県常総市出身の元プロ野球審判員。審判員袖番号は5。 茨城県立水海道第一高等学校(のちに同校野球部監督も務めた)を経て法政大学を卒業後、1959年にセ・リーグ審判部入局。1981年からインサイドプロテクターを使用し、長らく中堅審判員として活躍したが、1973年6月12日の巨人対阪神タイガース戦で江夏豊が王貞治に対して投じた内角球をボールと判定したところ不服に思った江夏に突き飛ばされて、江夏を退場処分とした。また1990年の巨人対ヤクルト開幕戦で、巨人の打者・篠塚和典がヤクルトの内藤尚行から放ったライトポール際の打球を、一塁塁審の大里がホームランと判定した。
佐々木 元治(ささき もとじ、1931年9月10日 - 20… 佐々木 元治(ささき もとじ、1931年9月10日 - 2013年7月5日)は、京都府出身のプロ野球選手。 堀川高校から法政大学を経て1955年に中日ドラゴンズへ入団。1956年に引退。
北町 嘉朗(きたまち よしろう、1931年8月1日 - 20… 北町 嘉朗(きたまち よしろう、1931年8月1日 - 2021年5月4日)は、日本の俳優、声優。本名・武井 和雄。埼玉県出身。 法政大学中退。劇団十三人座、八田元夫演出研究所、銀座プロダクション、天知茂が設立したA&Aプロダクション(後にアマチプロゼに改称)などを経て北斗七星所属。山村聰に師事していた経験もある。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
寺田 和雄(てらだ かずお、1931年(昭和6年)6月27日… 寺田 和雄(てらだ かずお、1931年(昭和6年)6月27日 - 2015年(平成27年)5月2日)は、日本の政治家。元東京都町田市長(4期)。 市内原町田にて寺田要と母アイの長男として生まれる。父が失明したため働きながら、東京都立町田高等学校に通い卒業。1958年、法政大学経済学部卒業。 1949年、小松製作所(現在の相模工業)に入社。1957年、東京都職員となる。1970年に大下勝正が町田市長となると、誘われて町田市役所に転職。町田市秘書課長、企画部長、開発部長、総務部長、教育長、助役を歴任。 大下の後任として、1990年から2006年までの4期16年に渡って町田市長を務める。人口急増期の町田市の秩序ある発展をはかりながら、多摩丘陵の誇れる緑と自然環境を守り、福祉と文化のまちづくりを推進した。
稲名 嘉男(いなな よしお、1931年(昭和6年)6月14日… 稲名 嘉男(いなな よしお、1931年(昭和6年)6月14日 - 2014年(平成26年)10月24日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。静岡県清水市長。位階は正五位。勲四等旭日小綬章。 清水市出身。1952年(昭和27年)法政大学経済学部卒業。1960年(昭和35年)稲名製材社長となる。 1963年(昭和38年)4月、静岡県議会議員に初当選後、1974年(昭和49年)7月から1975年(昭和50年)5月まで同副議長、同年9月から1976年(昭和51年)6月まで同議長。その後、1977年(昭和52年)8月から1985年(昭和60年)8月まで清水市長を2期務めた。ほか、自由民主党静岡県連副会長を歴任した。
高橋 彦博(たかはし ひこひろ、1931年3月24日 - )… 高橋 彦博(たかはし ひこひろ、1931年3月24日 - )は、日本の政治学者。法政大学名誉教授。法政大学大原社会問題研究所嘱託研究員。研究テーマは日本現代史・政治史、社会労働運動史、日本の社会民主主義。 学派としては学部指導教授だった増島宏、大学院の指導教授だった中村哲に連なる。 長年にわたり日本共産党の「党員知識人」であったが、著書『左翼知識人の理論責任』の出版後、一方的に除籍される。以降は同時期に除籍となった加藤哲郎、後房雄とともに日本共産党批判の急先鋒に立つ。 また研究・指導活動のみならず、1984年の法政大学キャンパス移転の際には、社会学部学部長として学内の調整、移転反対勢力との交渉に尽力し、『法政大学百二十年史』の編集委員も務めた。
春田 一夫(はるた かずお、1931年3月 - )は、日本の… 春田 一夫(はるた かずお、1931年3月 - )は、日本の法学者。専門は債権総論(民法)。弁護士。元九州国際大学学長。 ドイツ民法の研究で知られる。フライブルク大学では民法学の権威フリッツ・リットナー博士に師事を受けた。1978年9月八幡大学で開催されたリットナー博士の学術講演会で通訳を務めた。 学外活動として九州法学会理事、北九州市商工会議所法律相談員、新日鉄労組法律相談員を務めた。他に民法の代理の研究から権利取得授権を元に第三者のためにする契約の法理を構築した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
韓 昌祐(ハン・チャンウ、かん しょうゆう、Han Chan… 韓 昌祐(ハン・チャンウ、かん しょうゆう、Han Chang-Woo、1931年2月15日 - )は、日本の実業家。大手パチンコ店グループ・マルハンの創業者で代表取締役会長。公益財団法人韓昌祐・哲文化財団名誉最高顧問。 朝鮮・慶尚南道泗川郡(現・泗川市)三千浦で小作農をする家庭に生まれる。別名・西原昌佑[要出典]。 1945年10月21日、 日本でレンガ工をしていた実兄の招きを受けて密航船に乗り込み、同年10月22日に山口県下関市から日本へ密入国で渡った。 その後、朝鮮奨学会の支援を得て法政大学経済学部に進学、1952年に卒業した。就職先のなかった韓は、京都府中郡峰山町(現・京丹後市)において「千波 峰山店」の屋号でパチンコ台20台を抱えるパチンコ店を展開していた義兄のところへ身を寄せ、その後義兄からパチンコ店事業を継承し、「ぱちんこ峰山カジノ店」に屋号を変更。
舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年… 舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年9月17日)は、日本の俳優。本名:舟橋 澄。新東宝映画での活躍をはじめ、テレビ時代劇『新選組血風録』『燃えよ剣』の近藤勇役としても知られる。 北海道帯広市生まれ。1948年、法政大学予科在学中に、東横映画(東映の前身)の第1回ニューフェイスに合格、大学を中退して入社し、『月光城の盗賊』でデビューした。退社後は文化放送のラジオドラマなどでキャリアを積む。 劇団ひばり座を経て1950年に、東映東京撮影所の大泉演劇協団に入り、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』に出演する。1952年、佐分利信に見出され、佐分利監督による『人生劇場』において青成瓢吉役を演じて注目された。
水野潤一(みずの じゅんいち、1931年2月2日- )は、日… 水野潤一(みずの じゅんいち、1931年2月2日- )は、日本の海外旅行コンダクター。文筆家。 神戸市生まれ。姫路高等学校 (旧制)で、浦山桐郎の一年後輩だった。法政大学文学部史学科卒業。 日本航空に勤務、ジャルパック主任教官、ニュージーランド大使館観光広報部長、日本国際観光学会理事などを務めた。1974年トラベルマン・オブ・ザ・イヤー表彰。
南雲 道雄(なぐも みちお、1931年 - )は、日本の文芸… 南雲 道雄(なぐも みちお、1931年 - )は、日本の文芸評論家。 新潟県生まれ。1957年、法政大学文学部卒業。日本農民文学会の『農民文学』の編集長を務めた。『土の文学への招待』で農民文学功労賞受賞。
新井 欣弥(あらい きんや、1931年(昭和6年) - )は… 新井 欣弥(あらい きんや、1931年(昭和6年) - )は日本の実業家。鹿島建設株式会社代表取締役元副社長、鹿島出版会元社長。 昭和6年茨城県生まれ。昭和21年旧制水戸中学校(現水戸第一高等学校)入学。疎開先の旧制新庄中学(現新庄北高等学校)に在籍した後、昭和25年水戸中学校卒業。昭和28年法政大学経済学部卒業、鹿島建設株式会社入社。建築本部経理部長、東京支店次長兼支店長室長等を経て平成2年より取締役、常務、専務を歴任。平成9年代表取締役副社長に就任。さらに鹿島出版会社長。