杉野 幸夫(すぎの ゆきお、1928年7月 - 2017年1… 杉野 幸夫(すぎの ゆきお、1928年7月 - 2017年10月)は、愛知県出身の日本の生化学、分子生物学者。京都大学ウイルス研究所・教授、武田薬品工業株式会社・生物工学研究所・所長、武田薬品工業株式会社・取締役・中央研究所・所長などを務める。
名古屋大学:935人
杉野 幸夫(すぎの ゆきお、1928年7月 - 2017年1… 杉野 幸夫(すぎの ゆきお、1928年7月 - 2017年10月)は、愛知県出身の日本の生化学、分子生物学者。京都大学ウイルス研究所・教授、武田薬品工業株式会社・生物工学研究所・所長、武田薬品工業株式会社・取締役・中央研究所・所長などを務める。
中浜 博 (なかはま ひろし、1928年5月16日 - 20… 中浜 博 (なかはま ひろし、1928年5月16日 - 2008年4月3日)は、医師。元聖霊病院(名古屋)院長。専門は、心臓外科で、医学博士(名古屋大学)。スペイン医学博士。東京都出身。ジョン万次郎の直系の子孫(4代目)で、日本海事史学会会員でもあり、ジョン万次郎に関する研究と著作で知られる。 中浜東一郎の長男・清の子として生まれる。学習院高等科(旧制)を経て、名古屋大学医学部を卒業。その後、心臓外科治療の研究のためスペインに赴き、マドリッド大学大学院を修了。帰国後、東京において、聖母病院、東京厚生年金病院に勤務した後、1996年名古屋に移住。以後、聖霊病院院長、中日病院外科部長等を歴任した。2008年4月3日、虚血性心疾患のため79歳で死去。
諏訪 兼位(すわ かねのり、1928年5月15日 - 202… 諏訪 兼位(すわ かねのり、1928年5月15日 - 2020年3月15日)は、日本の地球科学者。専門は岩石学・地質学。学位は、理学博士(名古屋大学・論文博士・1962年)(学位論文「領家変成帯の岩石学的及び地質学的研究」)。名古屋大学名誉教授、日本福祉大学名誉教授。日本アフリカ学会元会長。 鹿児島県鹿児島市生まれ。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)、第七高等学校造士館 (旧制)を経て、1951年東京大学理学部地質学科卒業。 1962年、学位論文「領家変成帯の岩石学的及び地質学的研究」で、名古屋大学より理学博士の学位を取得。 その後、名古屋大学理学部地球科学教室教授、名古屋大学理学部学部長、日本福祉大学情報社会科学部学部長、日本福祉大学学長を歴任。
片野 彦二(かたの ひこじ、1928年4月5日 - 2012… 片野 彦二(かたの ひこじ、1928年4月5日 - 2012年10月17日)は、日本の経済学者。 愛知県生まれ。1952年名古屋大学経済学部卒、神戸大学経済経営研究所助手、1957年助教授、1970年「発展途上国における最適成長径路の決定に関する研究」で神戸大学経済学博士。1971年神戸大学助教授、1991年定年退官、名誉教授、名古屋学院大学教授。2000年退任。専門は国際経済学。
大江 志乃夫(おおえ しのぶ、1928年2月8日 - 200… 大江 志乃夫(おおえ しのぶ、1928年2月8日 - 2009年9月20日)は、日本の歴史学者、作家。茨城大学名誉教授。専門は日本近現代史。文学博士(東京教育大学)。 大分県大分市生まれ。父は陸軍軍人の大江一二三(敗戦時に大佐。陸士32期)。大分県師範学校附属小学校(現大分大学教育福祉科学部附属小学校)、東京市立富久小学校、東京府立第四中学校(現東京都立戸山高等学校)を経て、1944年、熊本陸軍幼年学校を卒業し陸軍予科士官学校へ進学。1945年陸軍航空士官学校に入学し、在学中に敗戦。敗戦による士官学校の解散に伴い復員。1950年旧制第五高等学校卒業、1953年旧制名古屋大学経済学部卒業、1954年名古屋大学大学院経済学研究科中退。
齊藤 隆夫(さいとう たかお、1928年 - )は、日本の会… 齊藤 隆夫(さいとう たかお、1928年 - )は、日本の会計学者。専門は管理会計。名古屋大学名誉教授。元名城大学大学院商学研究科長。元税理士試験試験委員。 名古屋大学卒業。名古屋大学経済学部講師、名古屋大学経済学部助教授、名古屋大学経済学部教授を経て、1981年名古屋大学経済学部長、名古屋大学経済学部附属経済構造分析センター長。1985年名古屋大学経済学部附属経済構造分析センター長。1987年税理士試験試験委員。 1988年名古屋大学経済学博士。1992年に退官し、名古屋大学名誉教授の称号を受け、名城大学教授、名城大学大学院商学研究科長を務め、2001年に退職した。2007年瑞宝中綬章受章。ゼミの指導学生に鈴木武元トヨタファイナンシャルサービス社長、広瀬伸一東京海上日動火災保険社長、公認会計士の稲垣靖元名古屋大学客員教授など。
酒井 憲一(さかい けんいち、1928年 - )は、日本のジ… 酒井 憲一(さかい けんいち、1928年 - )は、日本のジャーナリスト、都市学者、詩人。 名古屋大学法学部政治経済学科卒。1953年朝日新聞記者となる。1983年日曜版編集者から朝日学生新聞社に出向。常務取締役・編集主幹。アメニティ・ミーティング・ルーム主宰。成城大学短期大学部非常勤講師(都市論、アメニティ論)、東京大学大学院農学生命科学研究科生物材料物理学研究室研究員。詩誌『風』元同人。
大貫 義郎(おおぬき よしお、1928年 - 2026年2月… 大貫 義郎(おおぬき よしお、1928年 - 2026年2月16日[要出典])は、日本の物理学者。専門は素粒子論。学位は、理学博士(名古屋大学・論文博士・1961年)。名古屋大学名誉教授。坂田学派と呼ばれる坂田昌一博士の弟子の一人。 大貫は、坂田モデルに潜む粒子が互いに同等というYOO(山口・小川・大貫)対称性を元に、坂田モデルを群であらわすことに成功した。これが素粒子論の基礎となった。今に至るも素粒子論はこの記述方式に従い理論が構成されている。大貫は、この業績で、1965年と1966年の二度、マレー・ゲルマンやユヴァル・ネーマンらとの連名で、ノーベル物理学賞候補となっていたと、以前のノーベル財団によるノミネートリストには掲載されていたが、2025年時点のノミネートリストには見当たらなくなっている。
道家 達将(どうけ たつまさ、1928年 - 2024年6月… 道家 達将(どうけ たつまさ、1928年 - 2024年6月8日)は、日本の科学史家。理学博士(北海道大学・論文博士・1976年)。東京工業大学名誉教授。 愛知県生まれ。海軍兵学校(77期)を経て、1951年名古屋大学理学部化学科卒。1952年同物理学科研究生修了。紀伊國屋書店、和光学園勤務ののち、1963年東京工業大学助手、1967年助教授、1973年教授、1976年北海道大学より理学博士の学位を取得。1989年退官、名誉教授。茨城大学人文学部教授。放送大学教授。 2024年6月8日に死去。95歳没。
南 不二男(みなみ ふじお、1927年12月2日 - )は、… 南 不二男(みなみ ふじお、1927年12月2日 - )は、日本の国語学者。 愛知県生まれ。名古屋大学文学部国文科卒、1995年「現代日本語文法の輪郭」で大阪大学文学博士。國學院大學助教授、国立国語研究所日本語教育センター長。関西外国語大学教授、文教大学教授を務めた。
上沼 八郎(かみぬま はちろう、1927年11月20日 - … 上沼 八郎(かみぬま はちろう、1927年11月20日 - )は、日本の教育学者。筆名・伊那竜平。 長野県下伊那郡市田村(現高森町)生まれ。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)を経て、名古屋大学教育学部卒、1956年同大学院教育学研究科博士課程満期退学、1965年「信州教育史の研究 地方教育史研究序説」で名古屋大学より教育学博士の学位を取得。名大助手、沖縄国際大学助教授、信州大学助教授、東京女子体育大学講師、実践女子大学助教授、奈良教育大学教授、1990年高千穂商科大学教授。1998年定年退任。上沼真平の叔父にあたる。
飛田 武幸(ひだ たけゆき、1927年11月12日 - 20… 飛田 武幸(ひだ たけゆき、1927年11月12日 - 2017年12月29日)は、日本の数学者。専門は、確率論、関数解析学。名古屋大学名誉教授。名城大学名誉教授。 ホワイトノイズ解析の基礎を確立。確率過程論国際学会会長、国際研究発表ジャーナル「Infinite dimensional Analysis, Quantum Probability and Related Topics」の編集長等を務めた。
立松 延廣(たてまつ のふひろ、1927年10月2日 - )… 立松 延廣(たてまつ のふひろ、1927年10月2日 - )は、日本の経営者。井村屋社長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1952年に名古屋大学法学部政治学科を卒業し、同年に東海銀行に入行。1977年に井村屋取締役に就任し、1979年に常務、1983年に専務、1985年に社長に就任。1991年に会長を経て、1997年6月に取締役相談役に就任。
林 董一(はやし とういち、1927年8月18日 - 201… 林 董一(はやし とういち、1927年8月18日 - 2018年9月21日)は、日本の法制史学者。 名古屋市東区七間町(現・中区錦三丁目)、伸銅品販売の小舗岐阜屋東助こと、岐阜東商店の長男として出生。名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学薬学部)、名古屋帝国大学法学部から、名古屋大学大学院(旧制)に進み、1959年修了。1957年愛知学院大学法学部講師に嘱任、助教授、教授となり、2004年定年、名誉教授。日本法制史担当。1962年「尾張藩公法史の研究」で京都大学法学博士(旧制)の学位を受く。薬剤師免許。城山三郎の妹を妻とする(生年月日も城山と同じである)。
三輪 和雄(みわ かずお、1927年8月1日 - )は日本の… 三輪 和雄(みわ かずお、1927年8月1日 - )は日本の医師、ノンフィクション作家。 愛知県名古屋市生まれ、名古屋大学医学部卒。名大医学部第一外科学教室、中京病院をへて、社会保険中央総合病院の脳神経外科部長などを務めた。1959年伊勢湾台風の記録を集めて『海吠える』を刊行し、ノンフィクションやエッセイを手掛け、数十冊の著書がある。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
阪本 道隆(さかもと みちたか 1927年7月31日 - 2… 阪本 道隆(さかもと みちたか 1927年7月31日 - 2017年4月19日)は、日本の銀行家。元南都銀行頭取。元奈良商工会議所会頭。奈良県橿原市出身。 1953年名古屋大学経済学部卒業後、南都銀行入行。支店長、人事部長等の要職を経験した後、常務取締役、専務取締役を経て、頭取及び会長を歴任。銀行業務を通じ地域の発展に寄与した。また、数多くの公職を務め、2003年には旭日中綬章を受章。
三輪 茂雄(みわ しげお、1927年7月19日 - 2007… 三輪 茂雄(みわ しげお、1927年7月19日 - 2007年10月22日)は、岐阜県養老郡上石津町(現・大垣市)出身の工学者。専門は粉体工学。日本粉体工業協会名誉会員。粉体工学会名誉会員。 1927年(昭和2年)に岐阜県養老郡上石津町(現・大垣市)下山に生まれた。1952年(昭和27年)に名古屋大学工学部応用化学科を卒業し、昭和電工株式会社に就職した。昭和電工でプラント設計などに従事する傍らで、1961年(昭和36年)には「篩分けに関する研究」で名古屋大学から工学博士を授与された。 1966年(昭和41年)には同志社大学工学部の助教授に就任し、1967年(昭和42年)に工学部教授に就任した。1998年(平成10年)3月に定年で同志社大学を退任し、4月には同志社大学名誉教授となった。
高橋 宏(たかはし ひろし、1927年7月15日 - 198… 高橋 宏(たかはし ひろし、1927年7月15日 - 1982年8月23日)は、日本の経営者。日本車輌製造社長、会長を務めた。 愛知県出身。1951年に名古屋大学工学部電気工学科を卒業し、同年に日本車輌製造に入社。1974年に取締役に就任し、1979年に常務を経て、1982年6月には社長に就任した。 1982年8月23日、胃癌で在職中に死去。55歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
大野 稔(おおの みのる、1927年〈昭和2年〉7月3日 -… 大野 稔(おおの みのる、1927年〈昭和2年〉7月3日 - )は、日本の技術者。1950年代〜70年代にかけて日立製作所にて半導体事業で活躍し、現在の集積回路の基幹技術であるMOSFETの国産化において中心的役割を果たし、日本国内におけるMOSFET(MOSトランジスタ)開発の立役者の一人として知られる。 1927年7月3日 名古屋市に生まれる。 1952年 名古屋大学工学部電気科(当時は電気工学科)卒業。その後、特別奨学生コースを終了し、工学部の助手を務める。(大学院では磁性材料の研究) 1957年 半導体の技術を探していた日立製作所の誘いに応じ入社、日立中央研究所に入所。当時からいわゆる電界効果トランジスタの可能性に着目し研究を進めていたが、当時の日本では懐疑的な見方をするものが多く、研究所の総務部長からは「せっかく入ったけれども、知り合いが所長の小さい研究所があるから」と暗に退社・転職を勧められるほどだった。
朝倉 昌(あさくら しょう、1927年4月16日 - 201… 朝倉 昌(あさくら しょう、1927年4月16日 - 2016年3月16日)は、日本の生物物理学者。理学博士。細菌鞭毛の形成に関する研究で1973年に朝日賞を受賞。名古屋大学名誉教授、元日本生物物理学会会長。大沢文夫 の直弟子。 1954年、大澤文夫とともに枯渇相互作用のモデル(朝倉-大沢理論とよばれる)を提唱し、溶液中に分散したコロイド粒子間にはたらく引力相互作用の存在を理論的に予言した。 その後、生体運動の分子機構に研究テーマをシフトし、細菌の鞭毛タンパク質であるフラジェリンのインビトロでの重合・脱重合に成功し、生物物理学的に研究した。さらに鞭毛の多型の発見などを通し、タンパク質の多型、細菌運動の分子機構の解明で、世界をリードした。
伊藤 礼吉(いとう れいきち、1927年4月10日 - 19… 伊藤 礼吉(いとう れいきち、1927年4月10日 - 1995年7月16日)は、日本の化学者。専門は、量子化学。旧姓は、宮坂。 長野県岡谷市出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、1953年名古屋大学理学部物理科卒業。同大学大学院、小林理学研究所勤務を経て、1957年東京農工大学助手。1961年理学博士学位取得。1962年同大学助教授。1966年早稲田大学理工学部(現・早稲田大学先進理工学部)助教授、化学科設立要員として赴任し同学科設立へ向けて尽力。1970年同大学理工学部教授。チューリッヒ工科大学留学を経て、1973年早稲田大学理工学部化学科(現・早稲田大学先進理工学部化学・生命化学科)設立し、以後の教育・研究に尽力。
森 政弘(もり まさひろ、1927年〈昭和2年〉2月12日 … 森 政弘(もり まさひろ、1927年〈昭和2年〉2月12日 - 2025年〈令和7年〉1月12日)は、日本の工学者、仏教徒。東京工業大学名誉教授、工学博士(東京大学)。オートメーションやロボットの研究で先駆的な研究実績を持ち、創造性や仏教に関する著書や講演も多い。日本のロボットコンテストの創始者であり、「ロボコン博士」の異名も持つ。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章を受勲。 東京大学生産技術研究所助教授、東京工業大学制御工学科教授、(株)自在研究所代表取締役、日本ロボット学会会長を歴任。早期にロボットハンドや人工心肺の自動制御、人工筋肉や群ロボットの研究開発に着手し、サイバネティックモーションや不気味の谷といった新概念も提唱した。
永田 雅宜(ながた まさよし、1927年 <昭和2年> 2月… 永田 雅宜(ながた まさよし、1927年 <昭和2年> 2月9日 - 2008年 <平成20年> 8月27日)は、日本の数学者。学位は、理学博士(京都大学)。京都大学名誉教授。日本数学会理事・日本学術会議会員・国際数学連合副会長を歴任。中日文化賞・日本学士院賞受賞。正四位勲二等瑞宝章。愛知県知多郡大府町峯畑(現・大府市若草町)出身。 1927年(昭和2年)2月9日、愛知県知多郡大府町峯畑(現・大府市若草町3丁目)に生まれた。大府町立大府小学校、愛知県刈谷中学校(現・愛知県立刈谷高等学校)を卒業した。名古屋大学理学部数学科に進学し、在学中には開校間もない愛知県立大府高等学校の非常勤講師を1年間務めている。
川浦 康次(かわうら やすじ、1927年2月5日 - 197… 川浦 康次(かわうら やすじ、1927年2月5日 - 1970年11月11日)は、日本経済史家。 愛知県一宮市出身。問屋の家に育つ。愛知県立商業学校を経て、1950年大阪商科大学高等商業部卒業。1953年名古屋大学経済学部経済学科卒業。1958年同大学大学院退学。学部・大学院で塩澤君夫の指導を受け、日本経済史を専攻。1958年名城大学法商学部講師、1959年助教授、1964年教授、1966年同大学大学院教授。1966年「幕藩体制解体期の経済構造」で経済学博士(名古屋大学)。1970年11月11日、持病のため急逝、享年43歳。 主に幕末の日本の経済体制を研究した。『寄生地主制論』(塩沢君夫共著、御茶の水書房、1957年)は大塚久雄が提起した「局地的市場圏」や「蓄積基盤の移行」などを初めて日本史の分析に取り入れ、幕末における経済発展の性格や尾西綿織物業の経営形態などをめぐって論議を呼び起こした。
伊藤 清三(いとう せいぞう、1927年1月30日 - 20… 伊藤 清三(いとう せいぞう、1927年1月30日 - 2011年11月26日)は、日本の数学者。専門は関数解析学、偏微分方程式論。東京大学名誉教授。日本数学会理事長。 1927年、三重県生まれ。1950年に名古屋大学理学部数学科を卒業。 卒業後は名古屋大学理学部助手を経て、1953年名古屋大学理学部講師。1957年、東京大学理学部講師に就いた。1958年、理学博士号を取得。1960年に同大学助教授、1965年に同大学教授に昇進。1987年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は東京商船大学教授として教鞭をとった。1988年からは杏林大学教授をつとめた。 学界では、日本数学会理事長をつとめた。
中井 浩(なかい ひろし、1927年1月23日 - 1992… 中井 浩(なかい ひろし、1927年1月23日 - 1992年2月19日)は日本の情報科学者、図書館学者。 今猿人(こんさると)の筆名もある。美学者で国立国会図書館初代副館長の中井正一の長男。 1927年1月23日、京都府で誕生。名古屋大学理学部では理論物理学(素粒子論)を専攻。広島大学理論物理学研究所助手を経て、副館長をしていた父・正一の逝去の翌年から、国立国会図書館に勤める。工業技術院、科学技術庁に出向。高度経済成長を支えた多くの技術移転にかかわった。日本科学技術情報センター(現、科学技術振興機構)の設立に参加。日本の情報検索、データベース分野の草分けとなる。同センター監事。東京大学教育学部、慶應義塾大学文学部、産業能率短期大学(現、産業能率大学)講師(兼任)。
将積 茂(しょうじゃく しげる、1926年10月9日-201… 将積 茂(しょうじゃく しげる、1926年10月9日-2014年1月22日)は、日本の哲学研究者。愛知教育大学名誉教授。 愛知県豊橋市出身。旧姓・高柳。1951年、名古屋大学文学部哲学科卒業。愛知学芸大学助教授、愛知教育大学教授。1989年7月1日から1995年6月30日まで同大学学長を務めた。同大学名誉教授。専門はヘーゲルだが、ヒトラーの『わが闘争』の翻訳で知られる。
島津 康男(しまづ やすお、1926年9月17日 - )は、… 島津 康男(しまづ やすお、1926年9月17日 - )は、地球物理学者、環境学者、名古屋大学名誉教授。
勝沼 信彦(かつぬま のぶひこ、1926年(昭和元年)7月7… 勝沼 信彦(かつぬま のぶひこ、1926年(昭和元年)7月7日 - 2013年(平成25年)11月10日)は、日本の医学者。専門は生化学、酵素学。徳島大学医学部長を経て、同名誉教授。徳島文理大学名誉教授、名誉学長。学位は医学博士。剣道教士七段。 長崎県長崎市出身。1953年(昭和28年)、名古屋大学医学部卒業。その後、大阪大学蛋白質研究所で助教授を務める。1961年(昭和36年)、徳島大学医学部教授。のち医学部長。1987年(昭和62年)、徳島大学酵素科学研究センター長。1992年(平成4年)、徳島文理大学教授、健康科学研究所所長。1996年(平成8年)、文部省のハイテク・リサーチセンター長。2000年(平成12年)、徳島文理大学学長。
片岡 順(かたおか じゅん、1926年(大正15年)4月26… 片岡 順(かたおか じゅん、1926年(大正15年)4月26日 - 2022年(令和4年)3月15日)は、日本の砂防学者。名古屋大学名誉教授。農学博士。 1926年、静岡市(現在の清水区)生まれ。静岡県立静岡中学校を経て、1952年、東京大学農学部林学科卒業。1955年、名古屋大学農学部治山工学研究室助手。1964年、「山地表層の保水機能に関する実験的研究」で農学博士。名古屋大学助教授。1969年、文部省在外研究員として、カリフォルニア大学バークレー校に「森林水文及び侵食防止についての研究」を目的として留学(1年間)。1977年、名古屋大学教授。1987年、砂防学会会長。1990年、定年退職。名誉教授。
櫻井 三男(さくらい みつお、1926年(大正15年)4月1… 櫻井 三男(さくらい みつお、1926年(大正15年)4月17日 - 2006年(平成18年)4月)は、日本のジャーナリスト、実業家。 上毛新聞元専務・論説委員長。上毛新聞TRサービス元取締役。 長男は元総務事務次官の櫻井俊。孫は嵐のメンバーの櫻井翔。 群馬県出身。父は太田市出身の教師。1948年(昭和23年)旧制新潟高等学校文科甲類を卒業。1949年(昭和24年)名古屋大学法経学部を中退。1950年(昭和25年)上毛新聞社に入社。入社後は報道部長、企画室長、高崎支社編集局長を経て、1974年(昭和49年)同社取締役に就任。1977年(昭和52年)同社常務を経て、1989年(平成元年)同社専務・論説委員長に就任。
丸㔟 進(まるせ すすむ、1926年 - 2024年9月10… 丸㔟 進(まるせ すすむ、1926年 - 2024年9月10日)は、日本の電子工学者。名古屋大学名誉教授。元名城大学学長。元日本電子顕微鏡学会会長。 長崎県生まれ。1947年名古屋帝国大学工学部電気科卒業。1962年工学博士。 1956年電気学会電気学術振興賞進歩賞。1963年日本電子顕微鏡学会学会賞(瀬籐賞)。 1965年名古屋大学教授。1982年日本電子顕微鏡学会会長。 1983年名古屋大学工学部学部長。同年世界初の2-tank方式超高圧電子顕微鏡を完成させる。 1989年名古屋大学名誉教授、名城大学教授。1991年名城大学学長。2004年瑞宝重光章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
丹生 潔(にう きよし、1925年8月2日 - 2017年1… 丹生 潔(にう きよし、1925年8月2日 - 2017年1月30日)は、日本の物理学者。名古屋大学名誉教授。専門は素粒子物理学。世界で最初の、第4のクォークである「チャームクォーク」の発見者。東京出身。従四位。 1971年から名古屋大理学部教授を務め、原子核乾板の実験装置で得られた宇宙線の素粒子反応の中から、特異な様式で崩壊する新粒子を発見。同年の物理学会で、それを「X粒子」と名付けて報告した。この粒子は、広島大学の小川修三(後に名古屋大学)らによって、4つめのクォーク(当時の表現では「第4の粒子」)であると主張されたが、当時においては広く認められるまでには至らなかった。 しかしこのことが、小林誠や益川敏英に4つめのクォークの存在を確信させ、両者が小林・益川理論(クォーク6個の理論)を生み出す契機となった。
中西 香爾(なかにし こうじ、1925年5月11日 - 20… 中西 香爾(なかにし こうじ、1925年5月11日 - 2019年3月28日)は、香港生まれの日本の化学者。コロンビア大学名誉教授。名古屋大学特別教授。初代サントリー生物有機科学研究所所長。位階は従三位。文化勲章受章。 有機化学の分野、特に生物活性天然有機化合物の分野で高い評価を受けており、円偏光二色性、核オーバーハウザー効果などを構造決定の技術として導入した業績は名高い。イチョウから得られる化合物ギンコライド類やスズメバチの毒成分であるフィラントトキシンの研究などがよく知られている。趣味はマジック。 他に全米科学アカデミー化学賞など。
齋藤 勇(斎藤勇、さいとう いさむ、1925年4月13日 -… 齋藤 勇(斎藤勇、さいとう いさむ、1925年4月13日 - )は、日本の経済学者。専攻は日本経済史・社会政策、日本近・現代史。 東京府北豊島郡岩淵町(現・東京都北区)生まれ。1938年東京市富久尋常小学校卒業後、海軍省大臣官房、東京帝国大学農学部水産学教室、私塾必成塾に勤務。1943年東京府立第四中学校夜間部卒業。同年城北高等補習学校卒業。1945年海軍兵学校繰上卒業。1949年第一高等学校文科丙類卒業。1953年名古屋大学経済学部経済学科卒業、同大学経済学部農業経済政策講座助手。1958年日本福祉大学助教授。1963年名古屋市立女子短期大学助教授、1967年教授。1987年退職、愛知大学教養部教授。
鷺坂 修二(さぎさか しゅうじ、1925年3月28日 - 2… 鷺坂 修二(さぎさか しゅうじ、1925年3月28日 - 2015年10月14日)は、日本の物理学者。専門は、宇宙線物理学。信州大学名誉教授であった。 1925年鷺坂清信・操夫妻の次男として東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区赤城元町)に生まれた。 1931年東京府麴町区小学校に入学。1937年、第一東京市立中学校に入学。1942年、旧制第一高等学校理科に入学。 1945年、名古屋大学理学部物理教室に入学。旧制一高・名古屋大学理学部を通じての級友に物理学者の丹生潔がいる。 入学した年の7月に長野県神川村(現・長野県上田市)に疎開。 この頃、結核を発症し、上田で結核病院に入院療養する。 1945年にはやや快方に向かい、長野県松代町にあった松代地震研究所々長を務めていた父のもとで暮らした。
豊田 章一郞(とよだ しょういちろう、1925年(大正14年… 豊田 章一郞(とよだ しょういちろう、1925年(大正14年)2月27日 - )は、日本の実業家、技術者。勲等は桐花大綬章。学位は工学博士(名古屋大学・1955年)。トヨタ自動車株式会社名誉会長、日本経済団体連合会名誉会長、株式会社デンソー取締役、東和不動産株式会社取締役会長、社会福祉法人恩賜財団済生会会長、学校法人海陽学園理事長(初代)、学校法人トヨタ学園理事。
福村 晃夫(ふくむら てるお、1925年1月5日 - 201… 福村 晃夫(ふくむら てるお、1925年1月5日 - 2016年12月5日) は、日本の情報工学者。名古屋大学名誉教授。初代人工知能学会会長。 広島県江田島生まれ。1945年広島高等学校甲類卒業。1949年名古屋大学工学部電気学科卒業、名古屋大学工学部電気学科助手。 1959年名古屋大学工学部電気学科講師。1960年名古屋大学工学部電気学科助教授。1966年工学博士(東北大学)の学位を取得。1968年名古屋大学工学部電気工学第二学科教授。1980年文部省学術審議会専門委員。1981年名古屋大学大型計算機センタセンター長。1984年情報処理学会理事。1987年文部省大学設置・学校法人審議会専門委員。
鈴木 亭一(すずき ていいち、1925年1月3日 - )は、… 鈴木 亭一(すずき ていいち、1925年1月3日 - )は、日本の経営者。日本特殊陶業社長を務めた。 静岡県出身。1944年に名古屋経済専門学校(現名古屋大学経済学部)を卒業し、同年に日本特殊陶業に入社。1977年に取締役に就任し、1981年6月に常務、1983年6月に専務を経て、1985年6月に社長に就任。1993年6月に会長に就任し、1997年6月に相談役に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1996年4月に勲三等瑞宝章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
家田 正之(いえだ まさゆき、1925年 - 1999年)は… 家田 正之(いえだ まさゆき、1925年 - 1999年)は、名古屋大学名誉教授。電気学会会長。 昭和24年3月名古屋大学工学部電気学科卒業。工学博士。愛知工業大学教授、名古屋大学名誉教授、日本学術会議会員を歴任。平2年放電グループ会長。91年電気学会会長。平成11年従三位。
高橋 康(たかはし やすし、1924年12月12日 - 20… 高橋 康(たかはし やすし、1924年12月12日 - 2013年2月12日)は、日本の物理学者(理論物理学)。専門は量子力学。アルバータ大学(カナダ)名誉教授。名古屋大学で物理学を学び、坂田学派と呼ばれる坂田昌一博士の弟子の一人である。 高橋百千の長男。1951年(昭和26年)、名古屋大学理学部卒業。1954年(昭和29年)、フルブライト留学で渡米。ロチェスター大学へ進む。その後、アイルランド高等科学研究所を経て、1968年(昭和43年)にアルバータ大学教授に就任。 場の量子論において対称性の原理を表現する最も基本的な関係式といわれる「Ward-高橋の恒等式」を導き出したことで知られる(この業績により、2003年日本物理学会・素粒子メダルを受賞)。
西條 八束(さいじょう やつか、1924年11月19日 - … 西條 八束(さいじょう やつか、1924年11月19日 - 2007年10月9日)は日本の陸水学者。名古屋大学名誉教授。日本自然保護協会参与、日本陸水学会会長などを務めた。詩人、作詞家の西條八十は実父。童話作家の三井ふたばこは実姉。
鳥塚 賀治(とりづか よしはる、1924年10月19日 - … 鳥塚 賀治(とりづか よしはる、1924年10月19日 - 2011年11月6日)。理学博士。物理学者で東北大学教授、日本大学教授を務めた。今日広く電子機器類に使われているフェライト(強磁性酸化物)の人工合成と応用(特許200404号)に成功した。さらに1960年代、日本の電子線型加速器/ライナックの開発・製作に尽力し、その加速器を用い多くの原子核研究の先駆的業績をあげた。その中でも原子核の巨大共鳴の発見は、原子核の特徴的構造の理解を深める成果である。 1924年10月19日 埼玉県寄居町にて9人の兄弟、1人の妹の長男として生まれた。寄居町鉢形小学校卒業、1942年3月 埼玉県立熊谷中学校(旧制)を卒業し、同年4月仙台の旧制第二高等学校に入学した。
梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ、1924年9月20日 - 1… 梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ、1924年9月20日 - 1995年3月25日)は、日本の理論物理学者。学位は、理学博士。アルバータ大学(カナダ)名誉教授。坂田昌一の弟子の一人で、場の量子論で世界的に著名。 兄弟に、梅澤純夫(有機合成化学、抗生物質研究)、梅澤濱夫(抗生物質カナマイシン発見)、梅澤邦臣(科学技術事務次官)がいる。 北海道に生まれる。出身は東京都。開成中学(東京)卒業後、旧制武蔵高校を経て名古屋帝国大学工学部電気工学科に入学。大学3年生の時から、理学部の坂田昌一のところに出入りするようになり、物理学の研究者となった。1947年に大学を卒業し、引き続き大学院に進学し、1952年に博士課程を修了して理学博士号を取得した(学位論文「素粒子の相互作用の構造について」 )。
梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ 1924年9月20日 - 1… 梅沢 博臣(うめざわ ひろおみ 1924年9月20日 - 1995年3月25日)は、日本の物理学者。理論物理学者。理学博士。アルバータ大学(カナダ)名誉教授。坂田昌一博士の弟子の一人で、場の量子論で世界的に著名。
大井 龍夫(おおい たつお、1924年9月16日 - 200… 大井 龍夫(おおい たつお、1924年9月16日 - 2002年9月25日) は、日本の生物物理学者。京都大学名誉教授。元日本生物物理学会会長。 1947年名古屋帝国大学理学部物理学科卒業。1961年名古屋大学理学博士。名古屋帝国大学理学部特別研究生、名古屋大学理学部助手、名古屋大学理学部助教授を経て、1968年京都大学化学研究所教授。1978年国際生物物理学会議実行委員長。1980年日本生物物理学会会長。1988年定年退官、京都大学名誉教授、京都女子大学家政学部食物学科教授。1993年京都女子大学図書館長。1998年定年退職。日本の大学で初めて生体分子を用いた生物物理学研究を行った。 2002年9月25日、急性白血病のため死去、正四位。
小谷 剛(こたに つよし、1924年9月11日-1991年8… 小谷 剛(こたに つよし、1924年9月11日-1991年8月29日)は、医師、作家。 京都市生まれ、愛知県名古屋市育ち。旧制東海中学、名古屋帝国大学附属医学専門部卒業。 名古屋市中川区で産婦人科医院を開業、同人雑誌『作家』を主宰する。1949年上半期、「確証」で戦後復活した最初の芥川賞を受賞する。医師として活動しながら『作家』の刊行を続け、後進を育成した。 小谷の死去後、『作家』は1992年1月号をもって月刊誌としての刊行を終了。後継誌として『季刊作家』が創刊された。
小林 宏武(こばやし ひろむ、1924年7月29日 - 20… 小林 宏武(こばやし ひろむ、1924年7月29日 - 2009年7月10日)は、日本の経営者、銀行家。山梨中央銀行頭取を務めた。位階は従5位。 山梨県出身。1944年に名古屋高等商業学校(現名古屋大学)を卒業し、1947年5月に山梨中央銀行に入行。1978年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1991年6月には頭取に就任。1995年6月に会長を経て、2001年6月から2002年6月まで相談役を務めた。 甲府商工会議所会頭、山梨県銀行協会理事会長、山梨県長期計画審議会会長、山梨県行政改革委員会会長、甲府ファッション協会会長を務めた。 2000年に勲四等旭日章を受章、山梨県県政特別功績者に選ばれている。
倉西 正武(くらにし まさたけ、1924年7月19日 - 2… 倉西 正武(くらにし まさたけ、1924年7月19日 - 2021年6月22日)は、日本の数学者。コロンビア大学名誉教授。名古屋大学卒。理学博士(名古屋大学、1952年)。専門は複素幾何学、複素解析、偏微分方程式。 1924年東京生まれ。東京工業大学助手を経て、1952年名古屋大学助教授。1954年から渡米し、プリンストン高等研究所(IAS)、シカゴ大学、マサチューセッツ工科大学(MIT)、プリンストン大学等の客員研究者を務める。1957年名古屋大学教授。1961年コロンビア大学教授。1999年退職、同 名誉教授。コロンビア大学に於いて大規模記念集会が1994年、2005年に開催されている。指導教員は中山正。
久徳 重盛(きゅうとく しげもり、1924年6月14日 - … 久徳 重盛(きゅうとく しげもり、1924年6月14日 - 2002年8月11日)は日本の小児科・精神科医師、医事評論家。 名古屋大学講師、愛知医科大学教授を経て久徳クリニック院長を勤め、人間形成医学研究所長も務めた。「母原病」という言葉を同名著書によって広めたとされる。 1924年6月14日、愛知県名古屋市に生まれる(出身地を大阪府高槻市とする文献もある)。 1949年、名古屋大学医学部卒業。 1950年、名古屋大学小児科学教室入局。 1951年、名古屋第一赤十字病院小児科勤務。 1955年、名古屋大学に復帰。 1959年、名古屋大学医学部附属病院分院小児科長。同年に名古屋大学の医学博士となった。