福井 崇時(ふくい しゅうじ、1923年(大正12年)8月1… 福井 崇時(ふくい しゅうじ、1923年(大正12年)8月19日 - 2018年(平成30年)5月4日)は、日本の物理学者。名古屋大学名誉教授。1957年、高エネルギー荷電粒子の飛跡を観測する「放電箱」(ディスチャージチェンバー、後のスパークチェンバー)を開発、1961年仁科記念賞、1962年朝日賞(文化賞部門)を、いずれも宮本重徳とともに受賞。1985年紫綬褒章、1993年勲三等旭日中綬章、2001年イタリア共和国功労賞コメンダトーレ三等騎士勲章。著書に『身近な物理の世界』(1991年)、『粒子物理計測学入門』(1992年)がある。 また1966年のノーベル物理学賞の候補に挙がっていたことが判明している 。
森 幹郎(もり みきお、1923年5月29日 - )は、日本… 森 幹郎(もり みきお、1923年5月29日 - )は、日本の老年学・ハンセン病史学者。専門は老年学(比較老年学及び政策老年学)。 名古屋大学経済学部卒業。邑久光明園(国立ハンセン病療養所)、国立東京光明寮(視力障害者リハビリテーションセンター。現・国立身体障害者リハビリテーションセンター)、厚生省社会局(老人福祉専門官)勤務、長野大学産業社会学部教授、奈良女子大学生活環境学部教授、花園大学社会福祉学部教授。1991年退職。
丹羽 義信(にわ よしのぶ、1923年4月12日 - 201… 丹羽 義信(にわ よしのぶ、1923年4月12日 - 2019年12月23日)は、日本の英語学者、名古屋大学名誉教授。 愛知県生まれ。名古屋大学文学部言語学科卒、同大学院修士課程修了。1975年「古代英語動詞接頭辞Ge-の研究」で名大文学博士。名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校教諭、名古屋大学教養部助教授、同言語文化部教授、1987年定年退官、名誉教授、中部大学教授、名古屋女子大学教授。1988-94年外国語教育メディア学会会長。2000年勲三等旭日中綬章受勲。 2019年12月23日、老衰のため、愛知県岩倉市の病院で死去。96歳没。死没日をもって正四位に叙される。
大澤 文夫(おおさわ ふみお、1922年12月10日 - 2… 大澤 文夫(おおさわ ふみお、1922年12月10日 - 2019年3月4日)は、日本の物理学者(生物物理学)。理学博士(名古屋大学・1958年)。名古屋大学名誉教授、大阪大学名誉教授、日本学士院会員。勲等は勲二等。姓の「澤」は「沢」の旧字体のため、新字体で大沢 文夫(おおさわ ふみお)とも表記される。ラテン文字転写ではFumio Oosawaとも表記される。 名古屋帝国大学理学部助手、名古屋大学理学部教授、名古屋大学理学部分子生物学研究施設施設長、愛知工業大学教授などを歴任。 1922年(大正11年)12月10日に大阪府で生まれた物理学者。日本の生物物理学の創設・開拓・牽引者として知られる。戦後、学問研究では異端とも思える状況の中で、物理学者の立場から生物の研究を開始した。
飯島 宗一(いいじま そういち、1922年11月28日 - … 飯島 宗一(いいじま そういち、1922年11月28日 - 2004年3月1日)は、日本の医学者(病理学者)である。医学博士。広島大学第4代学長、名古屋大学第8代総長。 長野県諏訪郡平野村(現岡谷市)生まれ。旧制諏訪中学(現長野県諏訪清陵高等学校)、旧制松本高校理科乙類を経て、1946年名古屋帝国大学医学部卒業。1955年西ドイツのフライブルク大学に留学。1958年名古屋大助教授を経て、1961年から広島大学医学部で原爆症を研究。同大学教授を歴任、大学紛争の中、46歳で広島大学学長となり、紛争収束後の大学再建を指揮した。広大学長を辞した後、1978年に母校の名古屋大学に移り、同大学医学部病理学科教授、同大学学長を歴任した。
阿久津 哲造(あくつ てつぞう、1922年〈大正11年〉8月… 阿久津 哲造(あくつ てつぞう、1922年〈大正11年〉8月20日 - 2007年〈平成19年〉8月)は、日本の医学者。医学博士(名古屋大学)。ミシシッピ州立大学(英語版)医学部教授。テキサス・ハート・インスティテュート教授。国立循環器病センター研究所副所長。テルモ社長。日本人工臓器学会名誉会長。世界で初めて人工心臓を開発し、人工心臓の父と呼ばれる。 1957年、クリーブランド・クリニック(アメリカ・オハイオ州)に留学。そこで、人工心臓の開発に取り組み、1958年、ウィレム・コルフ博士とともに、世界で初めて開発した人工心臓を使って、イヌを約1.5時間生存させることに成功した。その後、ニューヨーク州立大学、ミシシッピ州立大学、テキサス・ハート・インスティテュートで研究開発、改良を進め、動物実験での生存記録更新等成果を出した。
渡邊 進(わたなべ すすむ、1922年〈大正11年〉6月15… 渡邊 進(わたなべ すすむ、1922年〈大正11年〉6月15日 - 2003年〈平成15年〉12月22日)は、日本の医師・医学者・教育者・元地方公務員・医学博士(北海道大学)。北海道女子大学名誉学長・北海道女子短期大学名誉教授である。北海道出身で「渡辺進」とも表記される。 ただし、北海道女子短期大学記念誌では、「渡邉進」と表記されている。 1946年(昭和21年)、名古屋帝国大学医学部公衆衛生科を卒業する。同医学部助手を務める。翌年の1947年(昭和22年)に医師免許を取得する。 1948年(昭和23年)、札幌市役所教育部技師として入所する。 1949年(昭和24年)、札幌市保健所に入所する。1956年(昭和31年)、同所長となる。
末廣 重二(すえひろ しげじ、1921年10月13日 - 2… 末廣 重二(すえひろ しげじ、1921年10月13日 - 2003年12月8日)は、日本の国土交通技官、理学博士。気象庁長官を務めた。 東京都出身。1946年に名古屋帝国大学理学部を卒業し、同年に気象庁に入庁。1979年に観測部長を経て、1983年4月から1985年3月までに長官を務めた。 1994年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2003年12月8日に肺炎のために死去。82歳没。
瀧 正男(たき まさお、1921年9月8日 - 2012年4… 瀧 正男(たき まさお、1921年9月8日 - 2012年4月2日)は、日本のアマチュア野球指導者、元アマチュア野球選手、体育学者。長男は野外活動、レクリエーション活動研究を専門とする中京大学スポーツ科学部スポーツ健康科学科教授の瀧克己。 愛知県一宮市出身。1936年に中京商業学校に入学し野球部に入り、5回甲子園大会に出場。1937年夏の第23回全国中等学校優勝野球大会及び1938年春の第15回選抜中等学校野球大会で捕手として優勝を経験している。バッテリーを組んだのは野口二郎であった。 中京商業を卒業後に名古屋高等商業学校(現在の名古屋大学経済学部)に進学した後、軍隊に入りマレーシアへ出征。終戦後のマレーシアでの捕虜生活を経て1947年に内地復員を果たす。
御手洗 玄洋(みたらい げんよう、1921年〈大正10年〉1… 御手洗 玄洋(みたらい げんよう、1921年〈大正10年〉1月5日 - 2015年〈平成27年〉6月28日)は、日本の医学者。名古屋大学名誉教授。宇宙医学と視覚生理学の分野での功績で知られている。1995年(平成7年)、勲三等旭日中綬章受章。大分県佐伯市出身。 私生活では俳句と書道を嗜んだ。肺炎療養中であった俳人の山口誓子と知り合い、俳句を学んだ。 伯父はキヤノン創設者の御手洗毅。弟の御手洗冨士夫はキヤノン会長兼社長を務める。元キヤノン社長の御手洗肇は従兄にあたる。
八木 国夫 (やぎ くにお、1919年6月24日 - 200… 八木 国夫 (やぎ くにお、1919年6月24日 - 2003年10月16日)は、日本の生化学者。医学博士(名古屋大学)。名古屋大学名誉教授。神奈川県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。
石岡 繁雄(いしおか しげお、1918年1月25日 - 20… 石岡 繁雄(いしおか しげお、1918年1月25日 - 2006年8月15日)は、日本の応用物理学者、登山家。ナイロンザイル事件の追究を通じ登山用品の安全性向上に貢献した。三重県鈴鹿市の山岳会、岩稜会会長を歴任した。日本山岳会東海支部名誉会員。鈴鹿工業高等専門学校教授。日本山岳会会員(1953−1996年)。 父の移民先である、アメリカ合衆国カリフォルニア州サクラメントにて生まれる。3歳で父の故郷である愛知県愛西市に父とともに帰国する。 愛知県立旧制津島中学校(現・愛知県立津島高等学校)、旧制第八高等学校をへて、1940年(昭和15年) 名古屋帝国大学工学部電気学科卒業。 旧制三重県立神戸中学校(現・三重県立神戸高等学校)教員、名古屋大学職員をへて、1964年(昭和39年)に豊田工業高等専門学校の助教授となる。
太田 文平(おおた ぶんぺい、1916年4月24日 - 19… 太田 文平(おおた ぶんぺい、1916年4月24日 - 1999年7月6日)は、経営学者、寺田寅彦研究者。 静岡県生まれ。1938年名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)卒業。日立製作所に入社。1976年退社、日本大学経済学部教授。1986年定年、名古屋商科大学教授。1989年退任。1999年、くも膜下出血のため死去。 本業で多くの著書を著すかたわら、寺田寅彦などの科学者文学者の研究もおこなった。
伊藤 眞次(いとう しんじ、1912年2月16日 - 200… 伊藤 眞次(いとう しんじ、1912年2月16日 - 2003年12月10日)は、三重県宇治山田市(現伊勢市)出身の北海道大学名誉教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
柏木 千秋(かしわぎ ちあき、1911年〈明治44年〉10月… 柏木 千秋(かしわぎ ちあき、1911年〈明治44年〉10月22日 - 2003年〈平成15年〉2月21日)は、日本の法学者、弁護士、元判事。法学博士。専門は刑法。名古屋大学名誉教授。司法省事務官として内藤文質、森田宗一とともに1948年少年法の立法に携わった。 東京出身。三重県士族・柏木五百次郎の三男。静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校を経て、1937年、東京帝国大学法学部卒業。東大在学中に司法試験に合格。 判事司法事務官などを経て、1949年、東京地方裁判所判事から、1949年、名古屋大学に転じ、名古屋大学法学部教授。1975年、名古屋大学を定年退官。 その後、筑波大学、慶應大学教授などを経て、1993年、創価大学教授を退職。
喜多野 徳俊(きたの のりたか、1910年〈明治43年〉11… 喜多野 徳俊(きたの のりたか、1910年〈明治43年〉11月12日 - 2005年〈平成17年〉7月30日)は、昭和〜平成期に活躍した医師、郷土史家。奈良地方の郷土史を記録する多くの著作や中世地誌の現代語訳を残した。京都府京都市出身。 1910年(明治43年)11月12日、父・竹澤徳蔵、母うめの五男、竹澤徳俊として生まれる。 1935年(昭和10年)、名古屋医科大学を外科学専攻にて卒業し、同年名古屋大学医学部助手としての勤務を始める。同年末、奈良市中筋町で病院を経営する喜多野義夫との養子縁組およびその長女、文子との縁談が持ち込まれる。医学者としての研究継続を望んでいた徳俊は逡巡したが、学位論文完成までは研究を続けること、その後は奈良で喜多野病院を継ぐが、家業の耳鼻咽喉科だけでなく、徳俊の専門であった外科の診療も行うことなどを条件に、縁談は進められることとなった。
山田 勇(やまだ いさむ、1909年8月12日 - 1986… 山田 勇(やまだ いさむ、1909年8月12日 - 1986年4月26日)は、日本の経済学者・統計学者。学位は、経済学博士(一橋大学・1961年)。1973年一橋大学名誉教授。1975年日本統計学会会長。国民経済計算、産業連関分析など計量経済学分野の研究で知られる。著書に『経済通論』・『産業連関の理論と計測』など、論文多数。訳書にW.J.ボーモル『経済動学序説』(共訳)・J.E.ミード『経済成長の理論』(監訳)など。 名古屋大学の北川一雄教授とともに名古屋高等商業学校が産んだ逸材の双璧とされた。指導学生に山澤逸平(一橋大学名誉教授)、島久代(千葉大学名誉教授)など。
朝比奈 一男(あさひな かずお、1908年(明治41年)12… 朝比奈 一男(あさひな かずお、1908年(明治41年)12月2日 - 1986年(昭和61年)10月23日)は日本の内科医、生理学者。元東邦大学医学部長、生理学第一講座初代教授。東邦大学名誉教授。日本で初めて脳波を記録した。旧名倭男。東京府東京市小石川区白山御殿町(現・東京都文京区白山)出身。 1934年(昭和9年)、名古屋医科大学卒業。第一内科入局(勝沼精蔵)。勝沼とともに訪独。1937年(昭和12年)10月、医学博士を授与される。1938年(昭和13年)6月、哈爾浜医科大学助教授(内科)。1941年(昭和16年)7月、名古屋帝国大学助教授(航空医学研究所・第一航空医学 勝沼精蔵)。1945年(昭和20年)12月(環境医学研究所・第4部門職業性疾患学方面 勝沼精蔵)。
宮川 正澄(みやかわ まさすみ 1906年(明治39年)11… 宮川 正澄(みやかわ まさすみ 1906年(明治39年)11月3日 - 1994年(平成6年)4月17日)は、日本の医学者、病理学者。医学博士。元名古屋大学医学部教授。名古屋大学名誉教授。名古屋医科大学(現名古屋大学医学部)卒業。日本における実験動物の無菌飼育に新たな道を開いた。石川県出身。 1938年 名古屋大学 医学博士 論文の題は 「白血球の游走速度とグリコーゲンに関する研究」。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
真下 信一(ました しんいち、1906年10月24日 - 1… 真下 信一(ました しんいち、1906年10月24日 - 1985年2月9日)は、日本の哲学者。名古屋大学名誉教授。 京都府福知山市生まれ。京都府立一中、第三高等学校から京都帝国大学文学部哲学科に学ぶ。中学の同期には湯川秀樹がいた。三高時代には武田麟太郎と親交を結んだ。大学の同窓には戸坂潤がいた。大学院に進学、1933年の滝川事件のときには院生代表として活動する。院修了後は同志社大学勤務、のち教授。1935年中井正一らと雑誌『世界文化』を創刊、反ファシズムの立場で活動したが、1937年11月、新村猛らとともに治安維持法違反の容疑で検挙された。 戦後は、民主主義科学者協会に所属しながら唯物論哲学の立場で発言、名古屋大学助教授、教授。
上田 義文(うえだ よしふみ、1904年8月19日 - 19… 上田 義文(うえだ よしふみ、1904年8月19日 - 1993年4月26日)は、日本の仏教学者。名古屋大学名誉教授。 岡山県出身。旧制龍野中学(現:兵庫県立龍野高等学校)、旧制第六高等学校を経て、1933年東京帝国大学文学部印度哲学科卒、1948年「唯識思想研究」で九州大学文学博士。1945年龍谷大学教授、1949年名古屋大学文学部教授となり、文学部長を務め、1968年定年退官、名誉教授。1972年筑紫女学園短期大学学長となり、1986年、同大学退任。1975年勲三等旭日中綬章受勲。
熊沢 正夫(くまざわ まさお、1904年 (明治37年) 5… 熊沢 正夫(くまざわ まさお、1904年 (明治37年) 5月 - 1982年5月7日)は、日本の植物学者。愛知県出身。 息子は地球科学者の熊澤峰夫。妹は熊沢光子。 1904年 (明治37年) 5月に、愛知県名古屋市で生まれた。父親は地方裁判所判事を歴任後弁護士を開業した。東海中学校、旧制第八高等学校(現:名古屋大学)を卒業後、東京帝国大学(現:東京大学)理学物植物学科に進学。1929年に同大卒。 1933年から旧制第四高等学校(現:金沢大学)に植物学の講師として勤務。翌1934年には同大教授となり、1942年まで勤務した。 その後旧制第八高等学校に勤務。集団遺伝学者の木村資生は、1942年に同校で熊沢の指導を受けた。
篠原 卯吉(しのはら うきち、1903年4月9日 - 199… 篠原 卯吉(しのはら うきち、1903年4月9日 - 1993年3月3日)は、日本の電気工学者。第5代名古屋大学総長。第58代電気学会会長。 名古屋市生まれ。愛知県第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校を経て、1926年九州帝国大学工学部電気工学科卒業、九州帝国大学講師。1927年北海道帝国大学講師。同年北海道帝国大学助教授。1930年照明学会評議員。1935年九州帝国大学工学博士。1940年名古屋帝国大学理工学部教授。1953年名古屋大学工学部長。1958年郵政省電波技術審議会委員。1960年電気通信学会東海支部長。1961年電気学会浅野賞受賞。1963年名古屋大学教養学部長。同年名古屋大学総長、電気学会副会長、第6期日本学術会議会員、文部省大学設置審議会委員。
栗田 元次(くりた もとつぐ、1890年〈明治23年〉11月… 栗田 元次(くりた もとつぐ、1890年〈明治23年〉11月3日 - 1955年〈昭和30年〉12月1日)は、日本の国史学者。名古屋大学名誉教授。旧制第八高等学校校長。専門は日本近世史。 愛知県愛知郡田代村(現・名古屋市千種区)出身。旧制明倫中(現・愛知県立明和高等学校)、旧制八高を経て、1914年に東京帝国大学文学部国史学科卒。 東京帝大史料編纂官補となり、「大日本史料」の編纂に従事。八高教授、広島高等師範学校教授、1929年に広島文理科大学教授、1946年に第八高等学校校長、1949年に名古屋大学教授。1953年に中日文化賞を受賞。 1955年、在官のまま病死。法名は顕学院釈元晃。桃巌寺に葬られた。
助川 喜四郎(すけがわ きしろう、1883年(明治16年)8… 助川 喜四郎(すけがわ きしろう、1883年(明治16年)8月7日) - 1963年(昭和38年)12月11日)は、日本の医師・ウイルス学者。 1915年(大正4年)、神奈川県衛生試験所(現・神奈川県衛生研究所)にはいり、狂犬病を研究。1921年(大正10年)「助川梅野法」とよばれる犬体注射法を完成。天然痘病原体の鶏卵内培養にも成功した。1928年(昭和3年)、土浦市に昭和病院及び助川研究所を設立。 大正4、5年頃、狂犬病流行の兆を呈し、被害が広がる折、梅野信吉より病理学の権威であった草間滋を通じ、助川喜四郎へ狂犬病に関する相談があった。当時、パスツールによる人体に狂犬病予防注射する方法が行われていたが、応用接種しても発病する事があるため、更に進んで犬体に予防接種する研究を行う事となった。
武石 貞松(たけいし さだまつ、1868年 - 1931年)… 武石 貞松(たけいし さだまつ、1868年 - 1931年)は、明治時代から昭和時代の漢学者、詩人、教育者。諱は潜、字は伯龍。 越後国南蒲原郡中之島村大字長呂(後に新潟県中通村)の名主武石弘六の長男として生まれる。長岡の誠意塾に学び、頭脳明晰で師匠の高橋竹之助の信任厚く、塾頭に選ばれる。ここで堀口九萬一と知り合い親友となり、義兄弟の契を結ぶ。長呂の若宮社には、弟の武石弘三郎が制作した2人の胸像が建つ。 後に故郷に戻り自邸にて漢詩塾および修斉館を開き地域の教育に尽力した。東北日報(新潟日報の前身)の漢詩撰者を務め、同紙の同時期の俳句撰者は会津八一であった。また、水田区画整理事業の「島田他三ケ字耕地整理」に従事、ツツガムシ対策により名古屋大学医学部の林直助を村に招待、信濃川流域の荒地に柳を植樹し行李の生産を勧めるなど地域振興に努め、農業整備や架橋、信用組合創立に取り組んだ。
飯尾 隆義(いいお たかよし)は、日本の生物物理学者。名古屋… 飯尾 隆義(いいお たかよし)は、日本の生物物理学者。名古屋大学大学院理学研究科物理学専攻教授。
今井 正治(いまい まさはる)は、日本の工学者。京都情報大学… 今井 正治(いまい まさはる)は、日本の工学者。京都情報大学院大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大岡 昌博(おおおか まさひろ) は、日本の機械工学者。名古… 大岡 昌博(おおおか まさひろ) は、日本の機械工学者。名古屋大学教授、第91期日本機械学会機素潤滑設計部門長。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
猿渡 洋(さるわたり ひろし)は、日本の情報工学者。東京大学… 猿渡 洋(さるわたり ひろし)は、日本の情報工学者。東京大学大学院情報理工学系研究科システム情報学専攻教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
上坊 敏子(じょうぼう としこ)は、日本の医師・医学者。医学… 上坊 敏子(じょうぼう としこ)は、日本の医師・医学者。医学博士(北里大学)。元北里大学医学部医学科教授。社会保険相模野病院婦人科腫瘍センター長。 専門は、産婦人科学。子宮癌・卵巣癌。特に子宮体癌の黄体ホルモンによる治療法の研究者として知られる。「生活ほっとモーニング」、「たけしの本当は怖い家庭の医学」などテレビ番組への出演もしている。
高橋徹(たかはしとおる)は、日本の物理学者。広島大学大学院先… 高橋徹(たかはしとおる)は、日本の物理学者。広島大学大学院先端物質科学研究科准教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
戸谷 誠之(とたに まさゆき)は、日本の医学者、小児科医。医… 戸谷 誠之(とたに まさゆき)は、日本の医学者、小児科医。医学博士。昭和女子大学大学院生活機構学教授。東京都生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
宅 香菜子(たく かなこ)は、心理学者。現在、アメリカ合衆国… 宅 香菜子(たく かなこ)は、心理学者。現在、アメリカ合衆国ミシガン州のオークランド大学心理学部プロフェッサー。PTG(Posttraumatic Growth、心的外傷後の成長)について研究している。PTG研究についての第一人者である。
高木 秀雄(たかぎ ひでお)は、日本の地質学者。早稲田大学教… 高木 秀雄(たかぎ ひでお)は、日本の地質学者。早稲田大学教育学部名誉教授。元日本地質学会副会長。 東京都世田谷区新町生まれ。父は地質調査所の専門家。北区立王子第一小学校、北区立清至中学校、東京都立文京高等学校を経て、1978年千葉大学理学部地学科卒業。1980年名古屋大学大学院理学研究科地球科学専攻修士課程修了。水谷伸治郎研究室出身。1982年同博士課程中退、早稲田大学教育学部地球科学教室助手。1985年理学博士。1986年日本地質学会研究奨励賞受賞。1989年ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ訪問研究員。早稲田大学教育学部地球科学教室助教授を経て、1997年同教授。2008年日本地質学会副会長、日本ジオパーク委員会顧問。
酒井 康彦(さかい やすひこ) は、日本の機械工学者。名古屋… 酒井 康彦(さかい やすひこ) は、日本の機械工学者。名古屋大学大学院工学研究科教授。元日本機械学会流体工学部門長。 富山県立富山中部高等学校を経て、1978年名古屋大学工学部機械学科卒業。1983年名古屋大学大学院工学研究科機械工学及び機械工学第二専攻博士後期課程単位取得満期退学、名古屋大学工学部機械学科助手。 1984年名古屋大学教養部図学教室助手、名古屋大学より工学博士の学位を取得。1989年ケンブリッジ大学応用数学及び理論物理学科留学。名古屋大学講師、名古屋大学助教授を経て、2001年名古屋大学大学院工学研究科教授。2007年日本流体力学会中部支部支部長。2010年日本機械学会流体工学部門副部門長。
田中 昌司(たなか しょうじ)は、日本の工学者(認知科学・知… 田中 昌司(たなか しょうじ)は、日本の工学者(認知科学・知能情報学・脳計測科学・基盤社会脳科学)。学位は工学博士(名古屋大学・1985年)。上智大学名誉教授。専門は脳科学。日本原子力研究所那珂核融合研究所博士研究員、上智大学理工学部教授などを歴任した。 岐阜県に生まれ、岐阜県立大垣北高校卒業後、名古屋大学に進学し、工学部の電気工学科にて学んだ。1980年3月25日、名古屋大学を卒業し、工学士の称号を取得した。同大学の大学院に進学し、工学系研究科にて核融合やプラズマについて研究した。1982年3月25日、修士課程を修了し、工学修士の学位を取得した。1985年3月25日、博士課程を修了し、工学博士の学位を取得した。
小澤 勝男(おざわ かつお、 - )は、日本の医学者、医師。… 小澤 勝男(おざわ かつお、 - )は、日本の医学者、医師。専門は心臓血管外科学。静岡済生会総合病院第4代院長。医学博士(名古屋大学)。 1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。1967年、名古屋大学医学部卒業。名古屋大学医学部第1外科、米国オハイオ州クリーブランド・クリニック人工臓器部門を経て、1981年、名古屋保険衛生大学医学部外科学助教授。1993年、静岡済生会総合病院第1医療部部長兼心臓血管外科医長。1998年、同院副院長。2001年、静岡済生会総合病院院長兼心臓血管外科科長(〜2009年)。2004年、静岡済生会看護専門学校第5代校長。東海医療工学専門学校校長などを勤めた。東海医療工学専門学校非常勤講師。
村瀬 洋(むらせ ひろし)は、日本の工学者。情報科学者。工学… 村瀬 洋(むらせ ひろし)は、日本の工学者。情報科学者。工学博士(名古屋大学)。名古屋大学大学院情報科学研究科メディア科学専攻教授を経て、同特任教授。紫綬褒章受章。愛知県出身。 愛知県立刈谷高等学校を経て、1978年名古屋大学工学部電気電子工学科卒業、1980年名古屋大学大学院工学研究科電気電子工学専攻修士課程修了後、NTT入社。NTTコミュニケーション科学基礎研究所部長等を経て、2003年名古屋大学教授。 パラメトリック固有空間法という3次元の物体を効率よく認識する方法を開発し、画像、映像などの検索を短時間で行う方法を実現したことで知られる。
石田 靖雅(いしだ やすまさ)は、日本の医学者。奈良先端科学… 石田 靖雅(いしだ やすまさ)は、日本の医学者。奈良先端科学技術大学院大学機能ゲノム医学研究室准教授。愛知県名古屋市出身。 東海高等学校を経て名古屋大学医学部卒業。1987年に京都大学大学院に進学し、本庶佑研究室に所属。当初はT細胞のアポトーシス誘導時に発現が増強される遺伝子と想定したPD-1(Programmed cell death 1)を1992年に発見、同定・命名した。 T細胞は胸腺で作られるが、その際自己攻撃性を獲得した危険なT細胞がアポトーシスで自死する際に重要な役割を果たすものであって欲しい、という願いをこめて、Programmed Death-1と命名した、と石田は述べている。 発見者の石田は発見後わずか一年でアメリカ留学のためPD-1研究から離れたが、その後も本庶研究室では他の研究員達により長年に渡って継続された。
池上 明(いけがみ あきら) は、日本の生物物理学者。慶應義… 池上 明(いけがみ あきら) は、日本の生物物理学者。慶應義塾大学医学部教授や、日本生物物理学会会長を務めた。 1960年名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了。大澤文夫門下。名古屋大学理学部助手、東京大学理学部助教授、理化学研究所主任研究員を経て、慶應義塾大学医学部教授。1990年日本生物物理学会会長。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
石川 義道(いしかわ よしみち)は、日本の外務官僚・法学者(… 石川 義道(いしかわ よしみち)は、日本の外務官僚・法学者(国際経済法)。修士(国際経済法)(横浜国立大学・2007年)。静岡県立大学国際関係学部講師・大学院国際関係学研究科講師。 外務省経済局世界貿易機関紛争処理室室員などを歴任。 2003年3月、名古屋大学法学部卒業。その後、横浜国立大学大学院に進学、国際社会科学研究科国際経済法学系国際関係法専攻に在籍、森川俊孝・荒木一郎らの指導を受けた。横浜国立大学の短期派遣留学制度を利用してスイスに渡り、2005年9月から一年間、ベルン大学の世界貿易研究所にて学んだ。2007年3月、横浜国立大学大学院博士課程前期を修了。その後、横浜国立大学大学院博士課程後期に進学。
今井 克典(いまい かつのり)は、日本の法学者。名古屋大学大… 今井 克典(いまい かつのり)は、日本の法学者。名古屋大学大学院法学研究科実務法曹養成専攻応用先端法学教授。学位は、博士(法学)(名古屋大学・1999年)。専門は商法。 富山大学経済学部講師、名古屋大学大学院法学研究科助教授を経て、2007年名古屋大学大学院法学研究科教授。
梅村 勲(うめむら いさお)は、日本の素粒子物理学者。京都大… 梅村 勲(うめむら いさお)は、日本の素粒子物理学者。京都大学名誉教授。 1955年名古屋大学理学部卒業。1962年名古屋大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士。日本学術振興会奨励研究生、名古屋大学理学部文部技官、名古屋大学理学部助手を経て、1965年京都大学基礎物理学研究所助手。 京都大学工学部講師、京都大学工学部助教授を経て、1991年京都大学工学部教授。1994年京都大学大学院工学研究科原子核工学専攻量子物質工学講座量子物理学分野教授。1995年停年退官、京都大学名誉教授。素粒子論の研究で優れた業績を上げた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
榎本 吉孝(えのもと よしたか)は、日本の知的財産学者・情報… 榎本 吉孝(えのもと よしたか)は、日本の知的財産学者・情報学者。弁理士。大阪工業大学知的財産専門職大学院教授。元特許庁審査第一部首席審査長。元日本貿易振興機構(JETRO)ソウル事務所副所長、元工業所有権情報・研修館(INPIT)審議役・知財活用支援センター長。元発明協会特許流通促進事業センター部長。ピラミデ国際特許事務所パートナー・弁理士。 専門は、特許権・特許情報・知的財産情報システム、国際特許・工業所有権(特に日本・韓国)・実用新案法、知的財産戦略(特に知的財産事業化)。 和歌山県立新宮高等学校卒業。1990年名古屋大学大学院理学研究科物理学専攻修士課程修了。通商産業省(現:経済産業省)特許庁に入庁、主に特許審査・審判実務に従事。
大久保 仁(おおくぼ ひとし)は、日本の電力工学者。名古屋大… 大久保 仁(おおくぼ ひとし)は、日本の電力工学者。名古屋大学名誉教授。電気学会会長。 1973年名古屋大学大学院工学研究科電気工学専攻修士課程修了。1984年名古屋大学工学博士。1996年電気学会学術振興賞進歩賞 。 名古屋大学大学院工学研究科電子情報システム専攻教授を経て、平成23年度(第98代)電気学会会長。 2007年電気学会 業績賞。13年電気学会から功績賞。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
大野 信忠(おおの のぶただ) は、日本の材料力学者。学位は… 大野 信忠(おおの のぶただ) は、日本の材料力学者。学位は、工学博士(名古屋大学・1979年)。名古屋大学名誉教授。日本機械学会第92期副会長。 1973年名古屋大学工学部機械学科卒業。1975年03月名古屋大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1977年日本機械学会論文賞。1978年名古屋大学大学院工学研究科博士課程後期課程機械工学専攻単位取得退学、名古屋大学工学部助手。1979年名古屋大学より工学博士の学位を取得。 1982年ハーバード大学応用科学部客員研究員。1983年豊橋技術科学大学工学部講師。1984年豊橋技術科学大学工学部助教授。 1988年名古屋大学工学部助教授。1991年日本機械学会論文賞。
小山田 英治(おやまだ えいじ)は、同志社大学大学院グローバ… 小山田 英治(おやまだ えいじ)は、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。 1991~2001年:国連開発計画東京事務所。2002~2003年:国際連合東ティモール・ミッション事務総長特別副代表補佐官。2003~2007年世界銀行ジャカルタ事務所ガバナンスアドバイザー、2004・2005年国際連合パレスチナ選挙支援ユニット西岸地区マネージャー。2000年よりフィリピン大学院開発マネジメント研究科客員助教授、ガジャ・マダ大学平和・紛争解決センター客員教授(2000-2003)、社会政治学研究科客員教授(2005-10)、パラマディナ大学(インドネシア語版)国際協力センター長・教授(2005-2010)。
尾張部 克志(おわりべ かつし)は、細胞生物学者。細胞接着に… 尾張部 克志(おわりべ かつし)は、細胞生物学者。細胞接着における基底膜の機能やヘミデスモソームの分子構築の研究で著名。1993年、日本生化学会のJB論文賞を受賞。名古屋大学名誉教授。理学博士。秦野節司の直弟子。 動物の組織構築には、細胞の極性が必要で、細胞間および細胞・基質間の細胞接着装置にその仕組みがある。尾張部は、ヘミデスモソームの細胞接着に関与する細胞接着分子を生化学・細胞生物学・免疫学的に研究した。 1991年、ウシの角膜上皮細胞からヘミデスモソームの単離に成功し、天疱瘡抗原(pemphigoid antigen)、新しいタンパク質・HD1(hemidesmosome 1)を発見した。
加藤 一実(かとう かずみ)は、日本の材料工学者。産業技術総… 加藤 一実(かとう かずみ)は、日本の材料工学者。産業技術総合研究所フェロー、日本学術会議会員、総務省公害等調整委員会委員。文部科学大臣表彰受賞。応用物理学会フェロー、日本セラミックス協会フェロー。 1989年名古屋大学大学院工学研究科応用化学及び合成化学専攻博士課程後期課程修了、工学博士。同年富山県工業技術センター中央研究所入所。 1993年工業技術院名古屋工業技術試験所入所。2001年産業技術総合研究所セラミックス研究部門テーラードリキッドソース研究グループ長。 2004年産業技術総合研究所先進製造プロセス研究部門テーラードリキッド集積研究グループ長。2013年産業技術総合研究所先進製造プロセス研究部門首席研究員。