木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017… 木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017年3月1日)は、ソ連・ロシア研究者、青山学院大学名誉教授。 岡山県倉敷市生まれ。1950年旧制京都大学文学部哲学科卒業。朝日新聞社モスクワ支局長、同調査研究室主任研究員、青山学院大学国際政治経済学部教授、2001年定年退任、名誉教授。日ロ交流協会常任理事。
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木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017… 木村 明生(きむら あきお、1925年4月27日- 2017年3月1日)は、ソ連・ロシア研究者、青山学院大学名誉教授。 岡山県倉敷市生まれ。1950年旧制京都大学文学部哲学科卒業。朝日新聞社モスクワ支局長、同調査研究室主任研究員、青山学院大学国際政治経済学部教授、2001年定年退任、名誉教授。日ロ交流協会常任理事。
鈴木 重靖(すずき しげやす、1925年4月27日 - 20… 鈴木 重靖(すずき しげやす、1925年4月27日 - 2021年1月19日)は、日本の経済学者。山口大学名誉教授。広島経済大学名誉教授。国際貿易論専攻。東京都文京区出身。経済学博士(1968年、京都大学で取得)。
田中 真晴(たなか まさはる、1925年4月5日 - 200… 田中 真晴(たなか まさはる、1925年4月5日 - 2000年6月21日)は、日本の経済学者。 京都市生まれ。1947年、京都帝国大学(現・京都大学)経済学部卒。大学院をへて1950年に京都大学経済学部助手、講師へ就任。1954年には助教授、1967年には教授に就任した。1968年、「ロシア経済思想史の研究 プレハーノフとロシア資本主義論史」で京大経済学博士。1974年、甲南大学経済学部教授、1986年京大名誉教授、甲南大学理事、経済学部長。1987年には経済学史学会代表幹事に。1991年には名誉教授、龍谷大学経済学部教授。1994年、退職。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
石田 一雄(いしだ かずお、1925年4月1日 - 1985… 石田 一雄(いしだ かずお、1925年4月1日 - 1985年8月12日)は、日本の経営者。京都府出身。 1947年に京都大学工学部応用化学科を卒業し、同年に阪神電気鉄道に入社。 主に車両部門で務め、1979年6月に取締役に就任し、1982年6月には常務に就任した。 1985年8月12日、運輸省(現・国土交通省)本庁舎で開催された日本民営鉄道協会の会議に私用で出席出来なくなった電鉄本社代表取締役社長:久万俊二郎(阪神タイガース球団オーナー)の代理として出席した電鉄本社専務取締役(球団社長)の中埜肇に同行し、大阪へ戻る為に搭乗した日本航空123便の墜落事故で中埜と共に犠牲となった。60歳没。
福田 茂夫(ふくだ しげお、1925年4月1日 - 2011… 福田 茂夫(ふくだ しげお、1925年4月1日 - 2011年11月12日)は、日本の政治学者、名古屋大学名誉教授、専門は、国際政治史、アメリカ外交史。京都府出身。京都大学法学部卒業。 2011年11月12日、心不全のため死去。
森 英雄(もり ひでお、1925年4月1日 - 2001年5… 森 英雄(もり ひでお、1925年4月1日 - 2001年5月10日)は、日本の実業家。住友化学社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1977年3月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1985年3月から1993年3月までに社長を務め、1993年3月から会長を務めた。 1990年5月から1994年5月までに日本化学工業協会会長を務め、大阪商工会議所副頭取も務めた。 1999年に勲二等旭日重光章を受章。 2001年5月10日、肺炎のために死去。76歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
石川 栄吉(いしかわ えいきち、1925年3月26日 - 2… 石川 栄吉(いしかわ えいきち、1925年3月26日 - 2005年3月27日)は、日本の人類学者。専攻は社会人類学。東京都立大学名誉教授。 1925年、東京都生まれ。京都大学文学部史学科卒業。卒業後は神戸大学助教授、立教大学教授を経て、1972年より東京都立大学教授。1988年に定年退職して名誉教授となる。その後は中京大学教授を務めた。日本民族学会会長(現・日本文化人類学会)を務めた。 人文地理学を専攻し、オセアニアなど南太平洋を中心にフィールドワークを進め、研究活動を行った。
梅原 猛(うめはら たけし、1925年(大正14年)3月20… 梅原 猛(うめはら たけし、1925年(大正14年)3月20日 - 2019年(平成31年)1月12日)は、日本の哲学者、評論家。位階は従三位。ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)。碧南市哲学たいけん村無我苑名誉村長。京都市名誉市民。 京都大学文学部哲学科卒業。立命館大学文学部哲学教授、京都市立芸術大学教授・学長の他、国際日本文化研究センター所長(初代)、社団法人日本ペンクラブ会長(第13代)などを歴任した。 西洋哲学から日本の芸能や文学の笑いまで幅広く研究し、日本文化の本質を探究する。大胆で独創的な梅原日本学を確立。
國本 哲男(くにもと てつお、1925年3月18日 - 19… 國本 哲男(くにもと てつお、1925年3月18日 - 1996年3月10日)は、日本のロシア史学者。 兵庫県(現神戸市)生まれ。陸軍幼年学校ののち、大阪外事専門学校でロシア語を学び、1953年京都大学文学部史学科卒、同大学院経済学研究科修了。中学校教師ののち1960年大阪外国語大学助教授、大阪大学教養部助教授、言語文化部教授。1973年「ロシア国家の起源」で大阪大学文学博士。88年定年退官、名誉教授。87年『ロシア原初年代記』で日本翻訳出版文化賞受賞。
戸塚 七郎(とつか しちろう、1925年3月11日 - )は… 戸塚 七郎(とつか しちろう、1925年3月11日 - )は、日本の哲学研究者、旧・東京都立大学名誉教授。西洋古典哲学専攻。 北海道小樽市生まれ。1950年京都大学文学部哲学科卒。東京都立大学助教授、教授、1987年定年退官、愛知大学教授。
大谷 光紹(おおたに こうしょう、1925年(大正14年)3… 大谷 光紹(おおたに こうしょう、1925年(大正14年)3月9日 - 1999年(平成11年)12月24日)は、浄土真宗の僧で、浄土真宗東本願寺派第25世法主。東京都台東区の東京本願寺(現:浄土真宗東本願寺派本山東本願寺)住職。幼名は光養麿。雅号は愚苑。院号は無稱光院。法名は興如。上皇の従兄、今上天皇の従伯父に当たる。弟は大谷暢順、大谷暢顯、大谷光道。長男は大谷光見。 東本願寺第24世法主(のちに門首)・大谷光暢(闡如)の長男として誕生。母は久邇宮邦彦王の三女で香淳皇后の妹に当たる大谷智子。1934年(昭和9年)、真宗大谷派の法嗣(法主後継者)として得度。1946年(昭和21年)、京都大学文学部史学科を卒業し、その後、アメリカのハーバード大学やコロンビア大学等に留学。
逸見 武光(へんみ たけみつ、1925年3月8日 - 200… 逸見 武光(へんみ たけみつ、1925年3月8日 - 2002年3月25日)は、日本の精神科医。 京都市出身。京都帝国大学附属医学専門学校精神科卒。1960年「てんかん及び類てんかんの犯罪精神医学的研究」で京都大学医学博士。京大医学部精神医学教室、法務省大津少年鑑別所、総合研究所、文部省、東京大学医学部教授、1985年定年退官、聖マリアンナ医学研究所顧問。島津一郎らと研究会を開いた。薬物依存治療を研究した。
中村 善也(なかむら ぜんや、1925年3月2日 - 198… 中村 善也(なかむら ぜんや、1925年3月2日 - 1985年4月5日)は、日本の西洋古典学者。 1925年、福井県で生まれた。京都大学文学部で学び、1949年に卒業。 卒業後は西京大学で教鞭を執った。1959年に西京大学は京都府立大学となったため、以降京都府立大学助教授。後に教授昇進。1985年、在職中に死去した。 専門は西洋古典学。ギリシア関係ではホメロスの叙事詩、ローマ関係ではキケロの『法律論』など多数の作品を翻訳した。
赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28… 赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28日 - 1981年(昭和56年)3月17日)は、日本の俳人。本名は赤尾俊郎。 兵庫県揖保郡網干町新在家(現:兵庫県姫路市網干区)で材木問屋を営む父・常治と母・とよの8人兄弟の二男として生まれた。網干尋常小学校、兵庫県立龍野中学校(現:兵庫県立龍野高等学校)を経て、1942年(昭和16年)旧制大阪外語専門学校中国語科へ入学する。この頃より俳誌『馬酔木』や『火星』に投句を始める。なお、同級生には蒙古語科の司馬遼太郎、一年上の印度語科に陳舜臣がいた。1944年(昭和19年)太平洋戦争激化のため、この年の9月に繰り上げ卒業し姫路に帰郷した。 1946年(昭和22年)京都大学文学部中国文学科入学、在学中の1948年(昭和23年)に水谷砕壺により俳誌『太陽系』の同人に推挙された。
井上 孝(いのうえ たかし、1925年2月23日 - 200… 井上 孝(いのうえ たかし、1925年2月23日 - 2004年11月7日)は、日本の建設技官、政治家。 国土庁長官(第23代)兼研究・学園都市担当大臣兼土地対策担当大臣(宮澤改造内閣)、参議院行財政機構及び行政監察に関する調査会長、同議院運営委員長、同国会等の移転に関する特別委員長、同内閣委員長、同エネルギー対策特別委員長、参議院議員(3期)、建設事務次官、建設技監、建設省道路局長、同省東北地方建設局長などを歴任。 1925年(大正14年)2月23日、中華民国吉林省長春南満洲鉄道附属地常盤町に生まれる。本籍地は新潟県。旧制旅順高校を経て、京都大学工学部土木工学科に入学。その後、学士試験に合格し、2年間大学院特別研究生として在籍した。
近藤 義郎(こんどう よしろう、1925年2月14日 ‐ 2… 近藤 義郎(こんどう よしろう、1925年2月14日 ‐ 2009年4月5日)は、日本の考古学者。岡山大学名誉教授。戦後の日本考古学を主導した重要な考古学者の一人である。 1925年(大正14年)、栃木県足利市に生まれる。栃木商業学校(現栃木県立栃木商業高等学校)を卒業。京都大学文学部を卒業。岡山大学へ赴任して以後、晩年まで数々の発掘調査を実施し、重要な調査成果と研究論文を次々と発表した。岡山大学法文学部教授ののち、名誉教授。考古学研究会代表、岡山の自然を守る会会長、前方後円墳研究会代表などを歴任した。 1979年(昭和54年)、古代オリエント史を専攻する三笠宮崇仁親王が楯築墳丘墓を見学した際には現地で説明にあたった。
武部 利男(たけべ としお、1925年2月11日 - 198… 武部 利男(たけべ としお、1925年2月11日 - 1981年2月22日)は、日本の古典中国文学者、漢文学者。 大阪市出身。京都大学文学部中国文学科卒、奈良女子大学助教授、福井大学教育学部教授、立命館大学文学部教授。在職中に56歳で死去。『Viking』同人。
宇尾 光治(うお こうじ 、1925年2月4日 - 1992… 宇尾 光治(うお こうじ 、1925年2月4日 - 1992年10月16日)は日本の物理学者。専門分野は核融合・プラズマ物理学。京都大学名誉教授。1991年紫綬褒章受章。 北海道札幌市生まれ。1952年京都大学工学部電気工学科卒、同教室助手、同講師。1960年、学位論文「同軸積層ケーブルの伝送特性 」で、工学博士(京都大学)。1962年よりアメリカ・プリンストン大学研究員、西ドイツ・マックスプランク研究所客員教授、イギリス・カラム研究所研究員を経て、1966年京都大学工学部教授。 1950年代よりヘリカル型核融合装置の研究に従事し、1958年に独自のヘリオトロン方式を提唱し、以降も実験を重ねながら装置の改良を進めた。
山口 昌哉(やまぐち まさや、1925年2月3日 - 199… 山口 昌哉(やまぐち まさや、1925年2月3日 - 1998年12月24日)は、日本の数学者(非線形数学)。京都大学名誉教授。社会・経済システム学会初代会長。 数学の力学系分野におけるカオス・フラクタル研究の先駆者。その他、主として非線型偏微分方程式の数値解析分野で業績を残した。研究の幅が広く、生物科学や社会科学への応用も積極的に行った。 溝畑茂とは京大在学中からの親友。弟子は多く、まとめて山口組と通称されることがある。西田孝明、西浦廉政、俣野博、宍倉光広、磯祐介らがいる。
安藤 巌(安藤 巖、あんどう いわお、1925年1月28日 … 安藤 巌(安藤 巖、あんどう いわお、1925年1月28日 - 2009年11月11日)は、日本の弁護士、日本共産党員、政治家。衆議院議員(4期)。 愛知県名古屋市出身。1948年に京都大学法学部を卒業後、中部日本新聞社に入り記者となるが、1950年にレッドパージの対象者とされ退社し、日本共産党に入党する。1961年に弁護士を開業、東海労働弁護団代表幹事や総評弁護団代表幹事などを歴任するかたわら、四日市公害や大須事件の弁護団にも加わる。 1976年の衆議院議員選挙に日本共産党公認で旧愛知県第6区から立候補し初当選を果たし、1990年の落選まで衆議院議員を通算4期務めた。議員在職中は法務、決算の各委員のほか、共産党愛知県副委員長などを歴任した。
久田 宗也 (12代)(ひさだ そうや、1925年1月21日… 久田 宗也 (12代)(ひさだ そうや、1925年1月21日-2010年10月22日)は、茶道表千家流久田家十二世家元。 京都市生まれ。本名は和彦、号は半床庵・尋牛斎。十一世無適斎宗也の長男。京都大学文学部史学科卒。十三世即中斎千宗左に師事。
伊藤 昌寿(いとう よしかず、1925年 <大正14年> 1… 伊藤 昌寿(いとう よしかず、1925年 <大正14年> 1月18日 - 2006年 <平成18年> 2月18日)は、日本の経営者、工学博士。兵庫県神戸市出身。位階は正四位。 1948年に京都大学農学部農林化学科を卒業し、同年に東洋レーヨン(のちの東レ)に入社。 1970年11月に田代茂樹会長の抜擢により、取締役に就任し、1973年11月に常務、1978年6月に副社長を経て、1981年1月に社長に就任した。1987年4月に会長に就任し、1995年6月から相談役に就任した。 日本化学会会長なども歴任。 2006年2月18日心不全のために死去。81歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
青井 忠正(あおい ちゅうせい、1925年 <大正14年> … 青井 忠正(あおい ちゅうせい、1925年 <大正14年> 1月16日 - 1999年 <平成11年> 3月15日)は、日本の機械工学・物理学者。大阪工業大学第6代学長・名誉教授。理学博士(京都大学)。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 専門は、数値流体力学・流体機械、航空物理学。 石川県出身。京都大学理学部物理学科卒業(指導教授:日本の流体力学の第一人者である友近晋)。同大学助手などを経て、1954年理学博士(京都大学)。その後、大阪工業大学工学部に着任し、一般教育科教授、機械工学科教授などを経て、1973年大阪工業大学学長(1981年まで)。1995年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部にて、25年以上の長きに渡り教鞭を執り、特に数値流体力学の研究育成に貢献した。
宮地 良彦(みやち よしひこ、1925年1月12日 - 20… 宮地 良彦(みやち よしひこ、1925年1月12日 - 2023年10月17日)は日本の物理学者。 静岡県浜松市出身。旧制第八高等学校を経て、1948年京都帝国大学物理学科卒業。1949年広島大学理論物理学研究所助手、1961年信州大学文理学部助教授、1966年理学部教授、1972年理学部長、1990年退官。同年放送大学客員教授、1991年信州大学学長を歴任。2000年勲二等旭日重光章受章。 その他、2001年から2003年まで長野県の治水・利水ダム等検討委員会委員長を務めた。 2023年10月17日午前10時35分、肺がんのため松本市の病院で死去。98歳没。死没日付をもって正四位に叙された。 句集を出版している。
西尾 武喜(にしお たけよし、1925年(大正14年)1月1… 西尾 武喜(にしお たけよし、1925年(大正14年)1月10日 - 2006年(平成18年)8月29日)は、名古屋市長(3期)。父は中津川市長の西尾彦朗(1899年(明治32年) - 1986年(昭和61年))。 岐阜県恵那郡阿木村(現・中津川市阿木)出身。旧制高知高等学校を経て昭和24年に京都大学工学部土木工学科卒業後、名古屋市に入り、名古屋市水道局(現・名古屋市上下水道局)に入局。水道畑を歩む。名古屋水道労働組合初代青年婦人部長、名古屋市水道局技監、水道局長、名古屋市助役などを歴任した。 1985年(昭和60年)、社会党・公明党・民社党から誘いを受け、名古屋市長選挙へオール与党候補として立候補し初当選した。
吉田 泰造(よしだ たいぞう、1925年(大正14年)1月1… 吉田 泰造(よしだ たいぞう、1925年(大正14年)1月10日 - )は、日本の実業家、政治家。元民社党衆議院議員。 徳島県出身。名古屋陸軍幼年学校を経て、1945年(昭和20年)6月、陸軍士官学校(58期)を卒業し、陸軍少尉に任官。1949年(昭和24年)京都帝国大学工学部を卒業した。 大進工業設立社長、太陽商事設立社長、太洋エンタープライズ設立社長、三宝倉庫取締役、阿倍野観光設立社長を務めた。 1967年(昭和42年)1月の第31回衆議院議員総選挙大阪6区に民主社会党から出馬して当選し、第32年総選挙でも再選され、連続2期在任した。この間、民社党本部中小企業対策副委員長、万国博覧会特別委員会事務局長、情報産業政策特別委員会事務局長、大阪府地域対策部会長を務めた。
梶山 雄一(かじやま ゆういち、1925年1月2日 - 20… 梶山 雄一(かじやま ゆういち、1925年1月2日 - 2004年3月29日)は、日本の仏教学者。京都大学名誉教授。 1925年、静岡県静岡市で生まれた。静岡県立静岡中学校を経て、1942年に旧制静岡高校に入学。戦時の措置により高校課程は2年半に短縮され、1944年5月以降は勤労動員された。この頃、浄土真宗の篤信者の強い感化を受けて、親鸞に傾倒。1944年9月に静岡高校を卒業。 1944年10月、京都大学文学部哲学科に入学。しかしながら、戦局の悪化に伴い、1945年1月より終戦時まで学業を中断して兵役につき、陸軍特別幹部候補生として習志野で訓練を受けた。終戦後復学し、宗教学第三講座で仏教学を専攻し、久松真一や長尾雅人の指導を受けた。
田辺 徹(たなべ とおる、1925年-2020年 )は、日本… 田辺 徹(たなべ とおる、1925年-2020年 )は、日本の美術史学者。成安造形大学名誉教授。 1925年、石川県金沢市生まれ。父・田辺孝次も美術研究者で、父のフランス留学帰国に伴って東京市へ移った。京都大学文学部哲学科美学美術史専攻で学び、1949年に卒業。 1949年に平凡社に入り、平凡社第一編集部長、『太陽』編集長などとして1985年まで勤務。月刊『太陽』編集長時代には、廃刊寸前だった同誌を復活させた。同時に、1954年から1985年まで財団法人朝倉彫塑館評議員、監事をつとめた。退社後は、1990年から1991年までドイツ国立エッセン大学造形芸術学部特別研究員。1993年、成安造形大学教授に就いた。
東久保 勝彦(とうくぼ かつひこ、1925年-)は日本の農学… 東久保 勝彦(とうくぼ かつひこ、1925年-)は日本の農学者、化学者、京都大学名誉教授、学位は農学博士。専攻は植物栄養化学。 大正14年(1925年)広島に生まれる。旧制広島高等学校を経て京都大学農学部農芸化学科を卒業。その後京都大学教授、退官後同大名誉教授。 趣味が多彩で研究の余暇に、文学・絵画・音楽に親み、音楽に対する造詣は深く、管楽器以外は何でもこなす。ギターが得意。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
仲村 祥一(なかむら しょういち、1925年 - )は、日本… 仲村 祥一(なかむら しょういち、1925年 - )は、日本の社会学者、大阪女子大学名誉教授。 京都大学文学部卒。熊本大学人文学部教授、大阪女子大学教授、87年定年退官。
片岡 曻(かたおか のぼる、1925年(大正14年) - )… 片岡 曻(かたおか のぼる、1925年(大正14年) - )は、日本の法学者。京都大学名誉教授。専門は労働法。発行される書籍の中では「片岡昇」とも表記される。
木南 卓一(きなみ たくいち、1925年 -2016年12月… 木南 卓一(きなみ たくいち、1925年 -2016年12月5日)は、日本の東洋思想学者。 大阪府生まれ。1948年京都帝国大学文学部中国哲学科卒業。1970年「朱子学の本質」で京都大学文学博士。帝塚山大学教養部助教授、教養学部教授、1996年定年退任、名誉教授となった。
溝畑 茂(みぞはた しげる、Sigeru Mizohata、… 溝畑 茂(みぞはた しげる、Sigeru Mizohata、1924年12月30日 - 2002年6月25日)は、日本の数学者。専門は偏微分方程式。京都大学名誉教授。 1924年(大正13年)大阪府で生まれる。1944年(昭和19年)に第三高等学校理科、1947年(昭和22年)に京都帝国大学理学部を卒業。師は岡村博教授。1953年(昭和28年)京都大学理学部助教授に就任。 1954年(昭和29年)から1957年(昭和32年)にかけて、フランス政府給費留学生としてフランス、次いでアメリカ合衆国に留学した。以降、多くの論文をフランス語で執筆するなど、留学時の影響は大きい。1961年(昭和36年)京都大学教授に就任。
大西 正文(おおにし まさふみ、1924年12月11日 - … 大西 正文(おおにし まさふみ、1924年12月11日 - 2014年10月15日)は、実業家。大阪ガス特別顧問・元社長・会長。 大阪府出身。父は元高松高等裁判所長官の大西道太郎。東京府立十中、高知高校を経て、1947年京都帝国大学法学部卒業。同大学院修了後の1948年に大阪ガスに入社し、代表取締役社長(1981年 - )、会長(1991年 - )、相談役(1998年 - )を歴任。 その他には大阪商工会議所会頭(1992年11月~1999年3月)、日本商工会議所副会頭、アジア商工会議所連合会会長、日本ガス協会会長、近畿日本鉄道、朝日放送、リーガロイヤルホテルなどの取締役、大丸監査役をそれぞれ務めた。
大須賀 二朗(おおすが じろう、1924年12月6日 - 2… 大須賀 二朗(おおすが じろう、1924年12月6日 - 2008年11月4日)は、日本の経営者。ダイハツ工業社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1937年に京都帝国大学工学部応用物理科を卒業し、同年にダイハツ工業に入社。 1971年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1986年9月に副社長を就任。1988年6月に社長に昇格し、1992年6月には会長に就任。 1989年4月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2008年11月4日心不全のために死去。83歳没。
多田 道太郎(ただ みちたろう、1924年12月2日 - 2… 多田 道太郎(ただ みちたろう、1924年12月2日 - 2007年12月2日)は、日本のフランス文学者・評論家。京都大学名誉教授。 1924年、京都府京都市で生まれた。京都大学文学部文学科に入学し、フランス語学フランス文学専攻で学び、1949年3月に卒業。 同1949年12月、京都大学人文科学研究所助手に採用された。1957年に同研究所講師、1965年8月に同研究所助教授に昇進。1976年6月には同研究所教授となり、西洋思想研究部門に所属した。1976年には、桑原武夫、鶴見俊輔、井上俊、津金沢聡広らと「現代風俗研究会」を創設し、のちに第2代会長を務めた(初代会長は桑原)。1988年3月に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。
井上 秀雄(いのうえ ひでお、1924年(大正13年)12月… 井上 秀雄(いのうえ ひでお、1924年(大正13年)12月1日 - 2008年10月7日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授、樟蔭女子短期大学名誉教授。専門は古代朝鮮史、日朝関係史。 1924年、愛知県生まれ。京都大学文学部に入学し、三品彰英に師事。1950年、京都大学文学部史学科卒業。1962年より大阪工業大学講師、1963年より同助教授、1973年より同教授。1975年に東北大学文学部へ移り、教授を務め、1988年に定年退官、名誉教授。その後は樟蔭女子短期大学教授として教鞭をとり、1993年~1999年には樟蔭女子短期大学学長を務めた。 通説とは異なった多くの問題提起をした。倭を大和朝廷とする通説に対して、朝鮮半島南部にいた人を倭人と呼んだ、などがその一例である(「倭・倭人・倭国」東アジア古代史再検討 第2部参照 人文書院)。
堀場 雅夫(ほりば まさお、1924年〈大正13年〉12月1… 堀場 雅夫(ほりば まさお、1924年〈大正13年〉12月1日 - 2015年〈平成27年〉7月14日)は、日本の実業家。株式会社堀場製作所創業者および同社最高顧問。 京都帝国大学理学部教授の堀場信吉の長男として京都市に生まれる。京都教育大学附属京都小学校・京都教育大学附属京都中学校(現:京都教育大学附属京都小中学校)、旧制甲南高等学校(現:甲南大学)を経て、1946年(昭和21年)京都帝国大学理学部物理学専攻卒業。物理学者を志したが、在学中の1945年(昭和20年)に太平洋戦争が日本の敗戦に終わると、堀場の指導教授であった荒勝文策が日本の原子力爆弾開発の中心人物であったために、京大の原子力核実験施設はGHQによってすべて粉々に解体され、研究の道に進むことを断念する。
細川 益男(ほそかわ ますお、1924年〈大正13年〉11月… 細川 益男(ほそかわ ますお、1924年〈大正13年〉11月29日 - 2010年〈平成22年〉3月31日)は、日本の実業家、馬主。 1924年11月29日、大阪府に生まれる。 1943年、旧制浪速高等学校を卒業後、京都帝国大学工学部化学機械科へ入学。卒業後、武田薬品工業で研究員として勤めたのち、1951年、父の細川永一から細川鉄工所(現:ホソカワミクロン)を継承し、1961年に同社の代表取締役社長となる。1995年、同社代表取締役会長に就任。 2006年、東北大学の非常勤理事に就任。 2010年3月31日、肺炎のため死去。85歳没。 日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。
木崎 良平(きさき りょうへい、1924年11月17日 - … 木崎 良平(きさき りょうへい、1924年11月17日 - )は、日本の西洋史学者、立正大学名誉教授。日露交渉史を研究した。 1924年、大阪府守口市生まれ。召集をへて、戦後京都大学西洋史学科を卒業。 1951年、鹿児島大学文理学部助教授に着任。1964年、学位論文『ルーシ」という語の意味に関する歴史的一考察』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1965年より鹿児島大学教養部教授、1971年より教養部長を務めた。1976年、立正大学教授となった。1995年に立正大学を定年退任し、名誉教授となった。
谷 正雄(たに まさお、1924年〈大正13年〉11月16日… 谷 正雄(たに まさお、1924年〈大正13年〉11月16日 - 1999年〈平成11年〉3月6日)は、日本の経営者。北陸電力社長を務めた。富山県魚津市出身。位階は従三位。 1946年に京都帝国大学経済学部を卒業し、1947年に北陸配電(のちの北陸電力)に入社した。1974年に取締役に就任し、1979年に常務、1981年に副社長を経て、1987年に社長に就任。1993年に会長に就任。 北陸経済連合会会長、ケーブルテレビ富山社長も歴任。 1986年に藍綬褒章を受章し、1998年に勲一等瑞宝章を受章。 1999年3月6日急性肺炎のために死去。74歳没。死没日付をもって従三位に叙された。
木村 資生(きむら もとお、1924年〈大正13年〉11月1… 木村 資生(きむら もとお、1924年〈大正13年〉11月13日 - 1994年〈平成6年〉11月13日)は、日本の集団遺伝学者。中立進化説を提唱した。日本人で唯一ダーウィン・メダルを受賞。また、パフィオペディラムの育種家としても知られる。学位は、理学博士(大阪大学・1956年)。国立遺伝学研究所名誉教授。日本学士院会員。文化功労者。文化勲章受章。岡崎市名誉市民。 中立進化説とは、分子レベルの進化はダーウィン的な「サバイバル・オブ・ザ・フィッテスト(fittest)」(適者生存)だけではなく、生存に有利でも不利でもない中立的な変化で「サバイバル・オブ・ザ・ラッキエスト(luckiest)」、すなわち、たまたま幸運に恵まれたものも残っていくという学説である。
樋口 謹一(ひぐち きんいち、1924年11月8日 - 20… 樋口 謹一(ひぐち きんいち、1924年11月8日 - 2004年1月9日)は、日本の歴史学者、政治思想学者。専攻はヨーロッパ政治思想史。京都大学名誉教授。 京都大学卒業。1965年に設立した京都ベ平連の中心メンバーの一人だった。京都大学人文科学研究所助教授・教授、佛教大学教授を歴任し、日本平和学会会長も務めた。2004年叙従四位、授瑞宝中綬章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
臼井 勝美(うすい かつみ、1924年11月4日 - 202… 臼井 勝美(うすい かつみ、1924年11月4日 - 2021年9月24日)は、日本の歴史学者、筑波大学名誉教授。専攻は日本近代史。近代日中関係史。 栃木県出身。大正から昭和前期における日中関係史研究の重鎮。外務省では栗原健の指導の下、外交文書の編纂に従事。転出後も『日本外交文書』編纂委員を務める。1990年には、NHKと共に張学良とのインタビューを行った。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
太田 美實(おおた よしみ、1924年11月1日 - 201… 太田 美實(おおた よしみ、1924年11月1日 - 2015年1月16日)は、日本の内科・小児科・泌尿器科医師、馬主。 京都府京都市東山区に所在する太田医院元院長。京都馬主協会に所属していた馬主でもあり、1993年のダービー馬のウイニングチケットなどを所有していた。妻の珠々子は本城珠喜の芸名で活動していた元タカラジェンヌである(宝塚歌劇団37期生)。 1924年、京都府出身。京都大学医学部を卒業し、その後太田医院を開院した。1993年時点では東山医師会の会長を務めていた。 2015年1月16日、心不全のため逝去。90歳没。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録した馬主としても知られた。
賀集 唱(かしゅう しょう、1924年(大正13年)10月3… 賀集 唱(かしゅう しょう、1924年(大正13年)10月31日 - 2008年(平成20年)7月26日)は、日本の裁判官。元東京高等裁判所判事部総括。兵庫県神戸市出身。 福井地家裁所長や和歌山地家裁所長を歴任、東京高等裁判所判事部総括で退官。退官後は弁護士登録し、帝京大学法学部教授を務める一方、多方面の役職を歴任した。 民事裁判手続・司法制度分野の権威でもあった。 永年にわたる功労により1994年(平成6年)には勲二等瑞宝章を受章。死後、従三位に叙された。 1944年海軍経理学校卒業、1945年海軍主計中尉、1947年京都帝国大学法学部入学、1949年12月 司法試験第二次試験合格、1950年京都大学法学部卒業、司法修習生、1952年司法修習終了、名古屋地方裁判所・名古屋家庭裁判所判事補、1954年東京家庭裁判所判事補・最高裁判所事務総局民事局付、最高裁判所事務総局総務局付、1957年旭川地方裁判所・旭川家庭裁判所判事補、1958年札幌地方裁判所・札幌家庭裁判所判事補、1960年東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事補、1962年東京地方裁判所・東京家庭裁判所判事、1963年司法研修所教官兼、1968年大阪高等裁判所判事、1971年東京地方裁判所判事、1972年同部総括、1973年東京高等検察庁検事・法務大臣官房参事官、1975年法務大臣官房司法法制調査部長兼、1978年東京高等裁判所判事、1980年福井地方裁判所・福井家庭裁判所長。
坂井 利之(さかい としゆき、1924年10月19日 - 2… 坂井 利之(さかい としゆき、1924年10月19日 - 2017年8月16日)は、日本の情報処理工学者。京都大学名誉教授、龍谷大学名誉教授。専門は、情報通信工学、情報工学、情報学。工学博士(京都大学、1954年)。 大阪府高槻市生まれ。文字や音声などを認識する技術、パターン認識の研究・開拓の先駆者とされ、情報処理学会や国際パターン認識連盟(英語版)の会長を務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
高木 久雄(たかぎ ひさお、1924年10月14日 - 20… 高木 久雄(たかぎ ひさお、1924年10月14日 - 2014年8月31日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授、京都外国語大学元学長。近代ドイツ文学専攻。 長野県岡谷市生まれ。長野県立諏訪中学校(現:長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)、一高を経て、1951年京都大学文学部卒、西京大学助教授、京都大学教養部助教授、1971年教授、1988年定年退官、名誉教授、京都外国語大学教授、1992年から1998年まで同大学及び短期大学学長、2000年に定年退職、名誉教授。 2014年8月31日、肺炎により京都市内の病院で死去。
今井 宏(いまい ひろし、1924年(大正13年)10月7日… 今井 宏(いまい ひろし、1924年(大正13年)10月7日- )は、日本の法学者(商法)。法学博士(京都大学・論文博士・1975年)。元九州大学教授。姫路獨協大学名誉教授、大阪府立大学名誉教授。弁護士。2024年4月17日没 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
永井 三明(ながい みつあき、1924年〈大正13年〉10月… 永井 三明(ながい みつあき、1924年〈大正13年〉10月3日 - 2022年〈令和4年〉7月21日)は、日本の西洋史研究者。同志社大学名誉教授。永井岩之丞の孫。永井繁の子。平岡梓の従弟。 京都大学文学部史学科卒業。同志社大学助教授、教授を経て、名誉教授。2003年、勲三等瑞宝章を受章。 2022年7月21日午前8時53分、老衰のため死去。97歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。