増田 友也(ますだ ともや、1914年12月 - 1981年… 増田 友也(ますだ ともや、1914年12月 - 1981年8月)は、日本の建築家。建築研究者。元京都大学工学部教授。 兵庫県三原郡八木村(現・南あわじ市)に生まれる。八木村は徳島県鳴門市と鳴門海峡を挟んで向き合う淡路島の南西側に位置した。 1935年に京都帝国大学工学部建築学科に入学し、1年留年の上、1939年(昭和14年)に卒業した。卒業後は満州炭鉱工業会社に就職する。戦時体制が刻々と激化していく中で、いつ召集を受けるかもわからないという情勢であったが、増田は「関東軍コンクリート造船」の技術者として招かれ、試験を繰り返す3年間を過ごしたことで、結果的に戦地に送られることはなかった。 1950年8月15日に京都大学工学部建築学科講師に着任する。
杉澤 英男(すぎさわ ひでお、1914年11月29日 - 1… 杉澤 英男(すぎさわ ひでお、1914年11月29日 - 1983年5月11日)は、日本の実業家。神戸製鋼所社長を務めた。 奈良県奈良市出身。1938年に京都帝国大学工学部を卒業し、神戸製鋼所に入社した。取締役、常務、専務、副社長を経て、急死した鈴木博章の後任として1976年9月から社長に就任した。しかし、病気でわずか1年で退任し、社長の座を高橋孝吉に譲った。 1983年5月11日心不全のために死去。68歳没。
金田 秀夫(かねだ ひでお、1914年〈大正3年〉11月7日… 金田 秀夫(かねだ ひでお、1914年〈大正3年〉11月7日 - 1992年〈平成4年〉)は、日本の政治家、実業家。鳥取県議会議員。日ノ丸自動車常務。日本海測量社長。 鳥取県東伯郡倉吉町大字西仲町(現・倉吉市西仲町)出身。雑貨商・金田秀平の長男。1936年、松江高等学校文科甲類卒業。1939年、京都帝国大学法学部卒業。神戸製鋼所に勤務、終戦により帰県し家業に従事する。傍ら県立倉吉中学校教官として勤務する。 1947年、鳥取県会議員に当選。革新連盟に所属。1951年、鳥取県会議員に当選。新政会、中正会に所属。 日ノ丸自動車取締役倉吉支店長、日ノ丸自動車常務、倉吉石油取締役、山陰日日新聞社取締役、倉吉商工会議所会頭、鳥取県公安委員をつとめる。
森田 千賀三(もりた ちかぞう、1914年10月28日 - … 森田 千賀三(もりた ちかぞう、1914年10月28日 - 1999年8月12日)は、日本の経営者。東洋信託銀行社長を務めた。大阪府出身。 1940年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1965年11月に取締役に就任し、1968年11月に常務、1971年11月に専務を経て、1974年11月に社長に就任。1983年6月に会長に就任し、1991年6月に取締役相談役を経て、1995年6月には相談役に就任。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1984年11月に勲二等瑞宝章を受章。 1999年8月12日、死去。84歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
赤尾 庸吉(あかお ようきち、1914年〈大正3年〉9月22… 赤尾 庸吉(あかお ようきち、1914年〈大正3年〉9月22日 - 2005年〈平成17年〉10月6日)は、元聖マリアンナ医科大学副理事長。 財団法人聖マリアンナ会、財団法人日本明星育英会、聖マリアンナ医科大学の創立者で理事長を務めた明石嘉聞とともに、同大学、グループ創立に尽力した。 大正3年(1914年)9月22日、京都市に生まれた。京都教育大附属小学校、京都一中、松江高等学校、京都帝国大学理学部物理学科を卒業した。東京芝浦電気研究所に入所した。 太平洋戦争終戦後、庸吉の姉・田鶴子 が明石嘉聞 に嫁いでいた縁で、明石に請われて聖マリアンナ会設立に参画した。その後、財団法人聖マリアンナ会理事長、東横病院事務長、聖マリアンナ医科大学副理事長、聖マリアンナ東横惠愛病院理事長、明星育英会理事を歴任した。
上山 善紀(うえやま よしのり、1914年9月21日 - 2… 上山 善紀(うえやま よしのり、1914年9月21日 - 2009年8月25日)は実業家。近畿日本鉄道(近鉄)元社長(大阪電気軌道創業から10代目)・会長、近鉄グループの元代表者。
松野 栄一郎(まつの えいいちろう、1914年9月5日 - … 松野 栄一郎(まつの えいいちろう、1914年9月5日 - 1948年8月1日)は、日本の陸上競技(投擲競技)選手。 1936年ベルリンオリンピックに、男子ハンマー投で出場した。 1934年、旧制甲南高等学校卒業。京都帝国大学に進む。日本陸上競技選手権大会では、1934年に円盤投で、1935年にハンマー投で優勝。 京都大学採鉱科3年の時、1936年ベルリンオリンピックで男子ハンマー投に出場した。 この項目は、陸上選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:陸上競技/PJ陸上競技)。
延命 直松(えんめい なおまつ、1914年8月14日 - 1… 延命 直松(えんめい なおまつ、1914年8月14日 - 1997年7月10日)は、日本の経営者。アサヒビール社長を務めた。石川県鹿島郡鹿島町(現在の中能登町)出身。 旧制四高を経て1939年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に住友銀行に入行し、取締役、常務を歴任した。1971年に朝日麦酒専務に就任し、副社長を経て、1976年2月に社長に昇格した。1982年3月に取締役相談役を経て、1983年3月から相談役を務めた。 1984年11月に勲三等瑞宝章を受章した。 1997年7月10日心筋梗塞のために死去。82歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
ジュリアーナ・ストラミジョーリ(Giuliana Stram… ジュリアーナ・ストラミジョーリ(Giuliana Stramigioli、1914年8月8日 ローマ - 1988年7月25日 ローマ) はイタリアの日本学者、実業家。ローマ・ラ・サピエンツァ大学教授。『将門記』の研究者。勲三等宝冠章受章。 1914年8月8日、ローマ生。 1936年、ローマ・ラ・サピエンツァ大学にて学位取得。指導教官はジュゼッペ・トゥッチ。同年、第一回日伊交換留学生として京都帝国大学に留学し、日本語と仏教美術を研究する。2年後イタリアに帰国し、ナポリ大学にて教鞭を執るが、その1年後に国際文化振興会(国際交流基金の前身)の奨学金を得て再び日本に留学する。 1936年から1940年の間、ジャーナリズムの分野で盛んに活動。
岩崎 寿男(いわさき ひさお、1914年8月3日 - 200… 岩崎 寿男(いわさき ひさお、1914年8月3日 - 2005年10月24日)は、日本の実業家。元三菱自動車工業顧問。 近藤宏太郎の四男として新潟県に生まれた(出生地は東京府…現:東京都)。1937年京都帝国大学工学部機械工学科を卒業し、三菱重工業に入社。岩崎俊弥(旭硝子創業者)の三女・温子と結婚し、俊弥未亡人(すなわち妻・温子の母)八穂の婿養子となった。 名古屋航空機製作所、名古屋発動機製作所、静岡発動機製作所、川崎機器製作所勤務を経て東京自動車製作所に転じる。1958年10月同所川崎製造部長に、1965年3月川崎自動車製作所副所長に就任。1967年5月同所長となったが、同年妻・温子に先立たれた。
南 博(みなみ ひろし、1914年7月23日 - 2001年… 南 博(みなみ ひろし、1914年7月23日 - 2001年12月17日)は、日本の社会心理学者。日本女子大学教授・一橋大学社会学部教授・成城大学教授を歴任。日本社会心理学会第3期・第9期・第10期理事長。 1914年、東京市赤坂区田町(現在の東京都港区赤坂)に生まれる。父は医師の南大曹(福島県出身、1878年生まれ。日本医科大学教授、日本消化器病学会会長、財団法人癌研究会理事長、南胃腸病院院長)。近藤達児は父の兄。石川千代松は母方祖母の弟。大倉喜八郎は叔母の祖父であり、林達夫も叔母の縁続きに当たる。 慶應義塾幼稚舎、東京高等学校 (旧制) 尋常科から理科乙類を経て、父親の希望により医師を志すが、父の激務に恐れをなし1937年(昭和12年)東京帝国大学医学部を中退。
丸山 静(まるやま しずか、男性、1914年7月12日 - … 丸山 静(まるやま しずか、男性、1914年7月12日 - 1987年7月2日)は、日本の文芸評論家。 東京帝国大学仏文科卒、京都帝国大学東洋史学科卒。1980年から愛知大学教授を務めた。 風巻景次郎・西郷信綱らと「抒情」を創刊。当初は島木赤彦をはじめ現代日本文学の評論を行ったが、のち文化人類学、民俗学に関心を移し、『熊野考』を遺作として残した。 ジュリア・クリステヴァ、ジョルジュ・デュメジルなどの訳者としても知られる。1968年、現象学会設立。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
村山 修一(むらやま しゅういち、1914年5月30日- 2… 村山 修一(むらやま しゅういち、1914年5月30日- 2010年4月16日)は、日本の歴史学者。文学博士(京都大学・1961年)(学位論文「日本中世都市生活の研究:特に中世京都の都市生活における社会と宗教との関係を顧慮しての」)。大阪女子大学名誉教授。皇族が歴代門主を務めた妙法院に残る膨大な文献史料類の翻刻に尽力し、『妙法院日次記』として刊行された。方広寺(京の大仏)は、江戸時代に妙法院の管理下にあったことから、それについての研究も行った。1987年勲三等旭日中綬章受章。 大阪市生まれ。1937年、京都帝国大学文学部史学科卒業。1961年、「日本中世都市生活の研究:特に中世京都の都市生活における社会と宗教との関係を顧慮しての」で京都大学より文学博士の学位を取得。
満田 久輝(みつだ ひさてる、1914年5月27日 - 20… 満田 久輝(みつだ ひさてる、1914年5月27日 - 2006年3月10日)は、日本の農芸化学者。京都大学名誉教授。農学博士。専門は栄養化学、食品工学。大阪市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
杉原 丈夫(すぎはら たけお、1914年 <大正3年> 5月… 杉原 丈夫(すぎはら たけお、1914年 <大正3年> 5月25日 - 1999年 <平成11年> 11月6日)は、日本の哲学者、民話研究家。位階は正四位。 福井県福井市出身。1940年京都帝国大学文学部哲学科卒、同大学院修了、1965年「様相論理学研究」で京都大学文学博士。1949年福井大学助教授、1957年教授、1976年定年退官、名誉教授、岡山大学教授となり、1980年福井県立博物館長に就任。1970年福井県文化賞、1983年郷土史研究賞「忠直配流―その説話と史実」で受賞、1987年勲二等瑞宝章受勲。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
沼田 稲次郎(ぬまた いねじろう、1914年5月25日 - … 沼田 稲次郎(ぬまた いねじろう、1914年5月25日 - 1997年5月16日)は、日本の法学者。専門は労働法。学位は、法学博士(立命館大学・論文博士・1952年)(学位論文「労働法原理の論理的構造」)。東京都立大学名誉教授。同大学第5代総長。 1914年、富山県高岡市出身。1938年、京都帝国大学法学部法律学科卒業。 大学院生の際に徴兵を受け、復員後の1946年に夕刊京都新聞社へ入社。同社では論説委員や労組委員長を歴任したが、1950年のレッドパージで退社を余儀なくされた。 1951年、東京学芸大学教授に就任し、翌1952年には(旧)東京都立大学へ移る。1952年、「労働法原理の論理的構造」で立命館大学より法学博士の学位を取得。
上田 稔(うえだ みのる、1914年5月8日 - 2011年… 上田 稔(うえだ みのる、1914年5月8日 - 2011年9月17日)は、日本の官僚、政治家及び技術士(建設部門)。京都府京都市出身。自由民主党参議院議員(4期)。京都帝国大学工学部卒業。1986年、勲一等瑞宝章受章。従三位。
豊田 尭(豊田堯、とよだ たかし、1914年5月6日- )は… 豊田 尭(豊田堯、とよだ たかし、1914年5月6日- )は、西洋史学者。 奈良県生まれ。1939年京都帝国大学文学部史学科卒。60年「バブーフとその時代 フランス革命の研究」で京都大学文学博士。戦前は同志社大学予科と第三高等学校で教授を、戦後は京都大学助教授、1959年大阪大学文学部助教授、64年教授。78年定年退官、名誉教授。87年勲三等旭日中綬章受章。
岸本 英太郎(きしもと えいたろう、1914年〈大正3年〉5… 岸本 英太郎(きしもと えいたろう、1914年〈大正3年〉5月1日 - 1976年〈昭和51年〉3月11日)は、日本の経済学者。元京都大学教授。学位は、経済学博士(同志社大学)。 岡山県出身。第六高等学校を経て1937年京都帝国大学法学部卒業。出版社などの勤務を経て1946年専修大学講師、1948年京都大学経済学部助教授、1952年より広島大学、岡山大学の助教授を併任。同年学位論文「社会政策論の根本問題」により同志社大学より経済学博士の学位を取得。1957年京都大学経済学部教授、1965年同学部長。専門は労働問題・社会政策論。大河内一男らと社会政策本質論争を行う。教授在職中に逝去。享年61。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
小野 義彦(おの よしひこ、1914年4月25日 - 199… 小野 義彦(おの よしひこ、1914年4月25日 - 1990年11月19日)は、日本の経済学者、大阪市立大学名誉教授。マルクス主義の立場から資本主義批判を行った。日本共産党における主流派のアメリカ従属論を批判した。主流派が、日本のアメリカ従属から脱する民族民主革命と社会主義革命が必要とする二段階革命論を唱えたことに対して日本はアメリカに従属しておらず、戦術としてアメリカ従属を利用する日本の独占資本主義に対する一段階革命論を提唱し、事実上日本共産党から排除された。1963年9月に平民学連からシンパ学生を率いて民主主義学生同盟を結成した。 東京府東京市四谷区生まれ。仙台第二中学校から第一高等学校へ進んだが、1933年に左翼活動のため中退。
三戸サツヱ(みとさつえ、1914年4月21日 - 2012年… 三戸サツヱ(みとさつえ、1914年4月21日 - 2012年4月7日)は教師、研究者。小学校、中学校の教員をしながら、1948年から始まった京都大学の宮崎県串間市幸島(発音は本により、コウシマと、コージマがある)のサルの研究に加勢した。三戸はサル全数の個体識別を行い、戸籍を作り、サルがイモを洗って食べる習慣の発生と伝達など発見し、サル学の発展に貢献した。1970年から1984年にかけて、京都大学霊長類研究所研究員になった。著書の名義では三戸サツエの表記も使われる。
藤岡 謙二郎(ふじおか けんじろう、1914年4月15日 -… 藤岡 謙二郎(ふじおか けんじろう、1914年4月15日 - 1985年4月14日)は、日本の地理学者。学位は、文学博士(京都大学・1961年)。京都大学名誉教授。 京都府出身。1935年高知高等学校卒業。京都帝国大学文学部史学科卒業。 1938年京都帝国大学文学部副手、1939年立命館大学講師、1945年立命館大学法文学部助教授、教授を経て、1949年京都大学教養部助教授、翌年教授。1978年定年退官。同年、奈良大学文学部教授となり、1985年定年退職。 1961年、「わが國律令時代における地方都市及び交通路の歴史地理学的研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。逝去にあたり、正四位勲三等旭日中綬章。
西野 照太郎(にしの てるたろう、1914年3月31日 - … 西野 照太郎(にしの てるたろう、1914年3月31日 - 1993年12月30日)は、日本のアフリカ研究家。徳島県出身。京都帝国大学卒。海軍嘱託として蘭印ジャカルタに駐在。1948年から国立国会図書館勤務、専門調査員としてアフリカや南太平洋の問題を研究し著述をなした。
糸賀 一雄(いとが かずお、1914年3月29日 - 196… 糸賀 一雄(いとが かずお、1914年3月29日 - 1968年9月18日)は、日本の社会福祉の実践家。 知的障害のある子どもたちの福祉と教育における先駆的な役割を担い、戦後日本の障害者福祉を切り開いた第一人者として知られる。 鳥取市立川町出身。母子家庭で育つ。旧制鳥取県立鳥取第二中学校(現・鳥取県立鳥取東高等学校)から旧制松江高等学校(現・島根大学)を経て、1938年京都帝国大学文学部哲学科を卒業する。 小学校の代用教員を経て、1940年滋賀県庁に社会教育主事補として奉職し、近藤壌太郎知事によって秘書課長に抜擢され、終戦直後まで滋賀県の要職を歴任する。 また、この間に教育哲学者の木村素衛や学生義勇軍同志会会長であった十河信二、『次郎物語』の作者である下村湖人らと親交を結ぶ。
京都 伸夫(きょうと のぶお、1914年3月3日 - 200… 京都 伸夫(きょうと のぶお、1914年3月3日 - 2004年11月28日[要出典])は、日本の脚本家、作家。本名は長篠 義臣。 1914年(大正3年)生まれ。徳島県出身。京都帝国大学文学部社会学科卒業。 高校生の頃「女の書ける小説家になりたい」という悲願を立て、以来結婚するまで、「広く、浅く、多く」を主義に、プレイボーイくずれのような生活を送った。1934年(昭和9年)京都大学に入ってからは、映画女優クローデット・コルベール、ギャビー・モルレー(フランス語版)、アンナベラ、マリー・ベルに夢中になり、とりわけヴィヴィアーヌ・ロマンスとシモーヌ・シモンにのぼせた。日本人で贔屓にしたのは桑野通子と志賀暁子。
信太 正三(しだ しょうぞう、1914年3月3日 - 197… 信太 正三(しだ しょうぞう、1914年3月3日 - 1972年5月15日)は、日本の比較哲学者。 秋田県出身。旧姓・木村。京都帝国大学哲学科卒。文部省図書局勤務。戦後、横浜専門学校教授、校名変更で神奈川大学教授、1970年東洋大学教授に転じたがほどなく死去。 ヘーゲル、ニーチェ、禅などを研究、翻訳した。彼の著書『永遠回帰と遊戯の哲学 ニーチェにおける無限革命の理論』は神奈川大学の人文学研究所の伝統的研究テーマ無限革命論として神奈川大学にモニュメント「メビウス”永遠”」が立つ。
廉 殷鉉(ヨム・ウニョン、1914年2月22日 - 1999… 廉 殷鉉(ヨム・ウニョン、1914年2月22日 - 1999年1月19日)は、朝鮮半島出身のバスケットボール選手。本貫は坡州廉氏。 1936年ベルリンオリンピックに日本代表選手の一人として出場した。 第二次世界大戦後は大韓民国で西洋史の大学教員となった。 ソウル出身という。延禧専門学校(現在の延世大学校)のバスケットボール部で、センターとして活躍。1936年の全日本選手権では朝鮮代表(延禧専門学校)として出場し、優勝した。1936年ベルリンオリンピックには日本代表選手の一人として出場した。この時の日本代表チームには、廉殷鉉を含む3人の朝鮮人選手が参加していた。ほかの2人も全日本選手権優勝メンバーで、李性求(延禧専門学校OB)・張利鎮(延禧専門学校学生)である。
奥島 啓弐 (おくしま けいじ、1914年2月16日 - 2… 奥島 啓弐 (おくしま けいじ、1914年2月16日 - 2002年4月11日 )は、日本の工学者。京都大学名誉教授。摂南大学名誉教授。専門は生産工学、切削工学。工学博士(京都大学)(1949年)。京都府生まれ。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
吉井 良三(よしい りょうぞう、1914年 <大正3年> 2… 吉井 良三(よしい りょうぞう、1914年 <大正3年> 2月14日 - 1999年 <平成11年> 1月28日)は、日本の昆虫学者。京都大学名誉教授。専門は洞窟生物学、昆虫形態学。位階は従四位。 1914年(大正3年)、大阪府の旧家に生まれる。旧制第三高校を経て、1938年(昭和13年)に京都帝国大学理学部動物学科を卒業。トビムシ研究から、日本の洞窟生物の研究をたちあげた。 また、その土壌動物採集の中でカマアシムシ目の昆虫を日本で初めて発見した。その種は彼の名にちなんでヨシイムシと名付けられた。 1959年、京都大学理学博士。学位論文の題は「粘管目の分類・系統学的研究」。 1987年勲三等旭日中綬章受章。
安田 章一郎(やすだ しょういちろう、1914年2月6日 -… 安田 章一郎(やすだ しょういちろう、1914年2月6日 - 2019年11月13日)は、日本の英文学者、翻訳家。名古屋大学名誉教授。 島根県生まれ。1937年京都帝国大学文学部英文科卒、浪速大学、奈良女子大学教授、1971年名古屋大学教授、1977年定年退官、甲南女子大学教授を務めた。 T・S・エリオット、W・H・オーデン、ジェラード・マンリ・ホプキンスなど英国モダニズム詩人を研究、翻訳した。深瀬基寛の一番弟子。 2019年11月13日、呼吸不全のため死去。105歳没。死没日をもって従四位に叙される。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
等々力 英男(とどりき ひでお、1914年 <大正3年> 1… 等々力 英男(とどりき ひでお、1914年 <大正3年> 1月25日 - 1992年 <平成4年> 5月6日)は、日本の経営者。位階は正五位。 新潟県新潟市出身。1936年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に新潟トヨタ自動車に入社。1951年に社長に就任し、1987年には会長に就任。1980年10月から1988年6月までにテレビ新潟放送網社長を務め、第四銀行顧問、新潟商工会議所会頭なども歴任。 1975年4月に藍綬褒章を受章し、1984年4月に勲二等瑞宝章を受章した。また馬主ともなり、1971年から1979年にかけて新潟馬主協会会長を務めた。 1992年5月6日肺気腫のために死去。78歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
谷藤 正三(たにふじ しょうぞう、1914年1月6日 - 2… 谷藤 正三(たにふじ しょうぞう、1914年1月6日 - 2004年6月3日)は、日本の建設官僚。元北海道開発事務次官。工学博士(京都大学、1949年)(学位論文「路盤に関する土質力学的研究」)。秋田県河辺郡浜田村(のちの秋田市)出身。
岡村 誠三(おかむら せいぞう、1914年1月1日 - 20… 岡村 誠三(おかむら せいぞう、1914年1月1日 - 2001年5月2日)は、日本の化学者。専門は、高分子化学。工学博士。京都大学名誉教授。元京都大学原子炉実験所(現・京都大学複合原子力科学研究所)長。元日本学士院会員。勲二等旭日重光章受章。 放射線重合の研究を推進し、放射線高分子化学という新しい分野を開拓した。1970年に「放射線重合に関する研究」により恩賜賞・日本学士院賞を受賞。
佐々木 宗雄(ささき むねお、1914年-?)は、日本の物理… 佐々木 宗雄(ささき むねお、1914年-?)は、日本の物理学者。 熊本県生まれ。1941年京都帝国大学理学部物理学科卒業。1954年「高エネルギーにおける重水素核の光分解」で東京教育大学理学博士。東京文理科大学助手、東京都立大学 (1949-2011)助教授をへて教授、78年定年退官、名誉教授。
横尾 義貫(よこお よしつら、1914年 - 2007年1月… 横尾 義貫(よこお よしつら、1914年 - 2007年1月28日)は、日本の建築学者。建築教育者。京都大学名誉教授。専門分野は建築構造学。 神奈川県生まれ。佐賀県出身。江藤新平の曾孫。旧制逗子開成中学校から1932年に旧制静岡高校を経て1939年、京都帝国大学工学部建築学科卒業後、佐世保海軍建築部に勤務。1942年京都帝国大学 助教授、1949年京都大学工学部教授に就任。1977年4月豊橋技術科学大学へ転出。同大学では副学長を歴任。その後名古屋大学教授、日本建築総合試験所理事長など。1975年日本建築学会会長(1975年 - 1977年)。著書に『東三河の戦国時代』、『建築学小事典 建築の美と技術』(監訳)、『構造力学〈第1-2巻〉 (1951年)』(共著)など。
時岡 隆(ときおか たかし、1913年12月19日- 200… 時岡 隆(ときおか たかし、1913年12月19日- 2001年9月30日)は日本の動物学者。京都大学名誉教授。 1913年、山口県生まれ。旧制山口高等学校を経て、1936年に京都帝国大学理学部動物学科を卒業した。 卒業後は母校である同大学の理学部助手に着任。1946年、京都大学に『日本動物分類』を提出して理学博士号を取得。農学部助教授、農学部教授、理学部附属瀬戸臨海実験所助教授を経て、同実験所教授に昇進。1975年から1977年には同実験所の所長を務めた。1977年、京都大学を停年退官し、京都大学名誉教授となった。 私人としてはピアノ演奏の技術に長けていた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
奈良本 辰也(ならもと たつや、1913年12月11日 - … 奈良本 辰也(ならもと たつや、1913年12月11日 - 2001年3月22日)は、日本の歴史学者。立命館大学教授、部落問題研究所所長などを歴任。日本中世史、幕末史、特に郷里でもある長州藩に関係した著作多数。 1913年、山口県大島郡小松志佐村(後に大島町を経て現・周防大島町)で生まれた。旧制岩国中学校(現:山口県立岩国高等学校)を経て、1935年3月旧制松山高等学校文科甲類を卒業。 京都帝国大学文学部国史学科に進学し、西田直二郎に師事した。1938年、同大学を卒業。卒業論文は『近世に於ける市民的世界観への通路-主として思想史に於ける商業資本の問題-』であった。 1938年、兵庫県立豊岡中学校(現:兵庫県立豊岡高等学校)教諭となった。
岩上 二郎(いわかみ にろう、1913年(大正2年)11月2… 岩上 二郎(いわかみ にろう、1913年(大正2年)11月29日 - 1989年(平成元年)8月16日)は、日本の政治家。茨城県知事(第4・5・6・7代)、参議院議員(3期、自民党)。茨城高等学校中学校校長。清真学園高等学校・中学校初代理事長。 茨城県那珂郡瓜連町(現那珂市)生まれ。茨城中学校、水戸高等学校から1940年に京都帝国大学法学部を卒業、ブリヂストンに入社したものの、直後に応召し太平洋戦争を戦う。 1946年に復員し、青年文化運動に参加、1947年に瓜連町長となる。1951年に一旦町長の座を退きペパーダイン大学に留学、地方自治や社会福祉を研究し帰国後の1955年に町長に復帰する。 1959年初めての民選・茨城県知事選挙に、自らが地元組合長をしていた農協組織を中心に設立された茨城県興農政治連盟に擁立され、日本社会党と県職員組合の支援を得て立候補。
岡本 道雄(おかもと みちお、1913年(大正2年)11月2… 岡本 道雄(おかもと みちお、1913年(大正2年)11月25日 - 2012年(平成24年)7月24日)は、日本の医学者。京都大学名誉教授・総長。位階は従三位。専門は脳神経解剖学。 1913年11月25日京都府舞鶴市生まれ。旧制第三高等学校を経て、1941年京都帝国大学医学部卒業。同大学院特別研究生修了(脳神経解剖学)。1946年(昭和21年)京都大学医学博士。博士論文の題は「腫瘍の発育より観たる淋巴の解剖学」。 その後、三重県立医科大学教授、神戸医科大学教授を経て、1959年(昭和34年)京都大学教授となり、1970年(昭和45年)医学部長、1972年(昭和47年)に再任の後、1974年(昭和49年)に総長に就任した。
竹之内 静雄(たけのうち しずお、1913年11月25日 -… 竹之内 静雄(たけのうち しずお、1913年11月25日 - 1997年12月19日)は、日本の小説家、筑摩書房社長。 静岡県生まれ。旧姓・桑原。1932年第三高等学校に入学、野間宏、富士正晴と、竹内勝太郎に師事して雑誌『三人』を刊行する。大学では吉川幸次郎に師事、1940年京都帝国大学文学部哲学科卒、河出書房に入社する。のち筑摩書房に移り、戦時中は海軍に応召した。1950年「ロッダム号の船長」で芥川賞候補となる。1966年から1972年まで古田晁の後を受けて筑摩書房2代目社長を務めた。
松尾 三郎(まつお さぶろう、1913年(大正2年)11月1… 松尾 三郎(まつお さぶろう、1913年(大正2年)11月19日 - 1998年(平成10年)9月1日)は、日本の工学者・実業家・学校経営者。工学博士(京都大学)。電子開発学園初代理事長。兵庫県出身。 郵政省電波技術審議会委員やソフトウェア産業振興協会副会長も務めた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
保田 清(やすだ きよし、1913年 <大正2年> 11月1… 保田 清(やすだ きよし、1913年 <大正2年> 11月19日 - 1999年 <平成11年> 3月23日)は、日本の倫理学者。京都大学名誉教授。位階は正四位。 兵庫県神戸市生まれ。1937年京都帝国大学文学部卒業、大学院に進む。1943年大学院特別研究生。1950年京大教養部専任講師、1951年助教授、1962年教授、1977年定年退官、名誉教授。 1987年、勲三等旭日中綬章を受章。1993年「道徳哲学の基本」で、80歳にして文学博士。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
加藤 吉郎(かとう よしろう、1913年10月30日 - 1… 加藤 吉郎(かとう よしろう、1913年10月30日 - 1985年3月23日)は、日本の実業家。南海電気鉄道の社長を務めた。岐阜県出身。 1944年、京都帝国大学法学部を卒業し、南海電気鉄道の前身である南海鉄道に入社。1964年に熊野交通に出向し、専務を務め、瀞八丁の観光船にジェット船を採用した。1966年に南海電鉄に戻り、自動車計画部長、取締役、常務、専務を歴任し、1975年12月から副社長を務め、社長の川勝傳を支えた。1983年6月に川勝傳の後任として社長に就任する。しかし体調不良で1985年1月に社長を辞任し、同年3月23日、すい臓がんのために大阪府堺市の自宅で死去。71歳没。なお社長は川勝傳が会長と兼任する形で一時的に社長を務め、1985年6月に吉村茂夫が社長に就任した。
堀部 正二(ほりべ しょうじ、1913年10月29日 - 1… 堀部 正二(ほりべ しょうじ、1913年10月29日 - 1944年9月7日)は、日本の国文学者、文献学者。中古文学専攻。旧姓・鹿嶋。 大阪府出身。京都帝国大学文学部卒業。大学院生時代、京都帝国大学図書館に寄託されていた近衛家文書の古筆証本「二十巻本類聚歌合」を調査研究。その後、設立された陽明文庫嘱託となる。 1944年(昭和19年)応召、同年9月7日、中国で戦病死。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月… 織田 作之助(おだ さくのすけ、1913年(大正2年)10月26日 - 1947年(昭和22年)1月10日)は、日本の小説家。戦後、太宰治、坂口安吾、石川淳らと共に無頼派、新戯作派と呼ばれ「織田作(おださく)」の愛称で親しまれる。『夫婦善哉』で作家としての地位を確立。 1913年(大正2年)、大阪市南区生玉前町(現・天王寺区上汐4丁目、生魂小学校正門前付近)にて、仕出屋(後に『一銭天麩羅屋』に業態変更)「魚春」の織田鶴吉、たかゑの長男として生まれる。仕出屋とは言え、上汐町筋より路地を入った所謂『裏店』(うらだな)であったが、中央区上汐1丁目の一画(『近松門左衛門の墓』のすぐ東側)に当時の家並(表店と路地=長屋)が唯一残っている。
岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月… 岩動 道行(いするぎ みちゆき、1913年〈大正2年〉10月15日 - 1987年〈昭和62年〉1月25日)は、日本の政治家、大蔵官僚。自由民主党衆議院議員(1期)・参議院議員(4期)。科学技術庁長官。 元衆議院議長林譲治の女婿。元衆議院議員岸田正記の妻・和子は従姉妹に当たる。 岩手県紫波郡赤石村(現・紫波町)に生まれた。岩動康治の二男。 盛岡中学、旧制府立高校を経て、1939年、京都帝国大学法学部卒業、大蔵省に入省。為替局属。広島税務署長、吉田内閣総理大臣秘書官、主計局主計官(文部・厚生担当)、管財局閉鎖機関課長、管財局特殊清算課長、外務省在英国大使館参事官などを歴任。1960年2月1日、東海財務局長。
佐藤 長(さとう ひさし、1913年(大正2年)9月16日 … 佐藤 長(さとう ひさし、1913年(大正2年)9月16日 - 2008年(平成20年)1月6日)は、日本の歴史学者、チベット学者。古代チベット史を研究。京都大学名誉教授。 佐藤の住んでいた、京都市中京区丸太町堺町の築100年(明治42年建造)になる木造二階建ての町屋は、遺言により友人の瀬戸内寂聴に譲渡され、2009年(平成21年)に文化サロン「羅紗庵(らさ・あん)」としてオープン。名称はチベット仏教の聖地「ラサ」に因んで命名された。老朽化が進んでいたため、佐藤の没後2008年(平成20年)11月から3ヶ月かけて修理改修が進められた。佐藤と瀬戸内の親交は1943年(昭和18年)瀬戸内が新婚生活を送っていた北京の集合住宅の上階に留学中の佐藤が下宿して以来。
梅田 善司(うめだ ぜんじ、1913年9月13日 - 200… 梅田 善司(うめだ ぜんじ、1913年9月13日 - 2004年8月24日)は、日本の実業家。川崎重工業社長、会長を務めた。 和歌山県那賀郡岩出町出身。旧制高知高等学校を経て1939年に京都帝国大学法学部を卒業し、川崎造船所に入社した。1964年12月に取締役、1969年11月に常務、1975年5月に専務を経て、1976年11月から副社長に就任し、1977年6月に社長に就任した。在任中は、日本で初めて、LNG運搬船の受注を獲得したり、韓国の現代グループへの技術支援や中国で大口受注を獲得するなど海外展開にも積極的に取り組んでいった。1981年6月に会長、12月に取締役相談役を経て、1987年6月から2002年6月までに相談役を務めた。
増山 太助(ますやま たすけ、1913年8月20日 - 20… 増山 太助(ますやま たすけ、1913年8月20日 - 2007年5月27日)は、日本の社会運動家、社会運動研究家である。 東京・日本橋新堀町生まれ。開成中学を1931年3月に卒業。翌4月成城高等学校に入学、2学年のとき自由主義教育の理念を掲げる小原國芳主事の解雇反対運動(成城事件)で生徒側の闘争委員を務めた。1935年4月京都帝国大学経済学部に入学、農業経済を専攻しのち地代論を学んだ。在学中、新村猛・中井正一らの『世界文化』の発行に呼応し、反ファシズム人民戦線運動の一環として、1936年5月『学生評論』を創刊した。1938年9月「日本共産主義者団」の事件に連座して検挙されたが、同年12月不起訴で釈放され、1939年3月大学を卒業した。
古川 進(ふるかわ すすむ、1913年8月19日 - 199… 古川 進(ふるかわ すすむ、1913年8月19日 - 1991年10月23日)は、日本の実業家。大和銀行元頭取、会長。佐賀県佐賀市出身。 1938年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に野村銀行(のちの大和銀行。統合により現在はりそな銀行となる。)に入行した。 1961年11月に取締役に就任し、1963年4月に常務、1966年11月に専務、1968年11月に副頭取を経て、1973年4月からは大和銀行頭取を務め、1977年4月からは会長、1987年6月からは相談役を歴任した。 その一方で、1981年12月から1985年12月までに大阪商工会議所会頭を務め、海外交流に力を入れた。日本商工会議所副会頭、大阪銀行協会会長、全国銀行協会連合会副会長、関西経済同友会代表幹事なども歴任した。