遠藤 源太郎(えんどう げんたろう、1922年 <大正11年… 遠藤 源太郎(えんどう げんたろう、1922年 <大正11年> 4月24日 - 1998年 <平成10年> 11月25日)は、日本の経営者。グンゼ社長、会長を務めた。位階は従四位。 京都府出身。1946年に神戸経済大学を卒業し、1951年に郡是製絲 (のちのグンゼ) に入社。 1971年に取締役に就任し、1975年に常務、1979年に専務を経て、1985年2月には社長に就任。1990年6月に会長に就任。 1987年11月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1998年11月25日肝不全のために死去。76歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
辻 源太郎(つじ げんたろう、1921年6月18日 - 20… 辻 源太郎(つじ げんたろう、1921年6月18日 - 2019年9月23日)は、日本の実業家。勲等は勲二等。 トヨタ自動車工業株式会社専務、トヨタ自動車株式会社副社長、トヨタ自動車株式会社副会長、国際デジタル通信株式会社会長、株式会社豊田自動織機製作所会長などを歴任した。 滋賀県彦根市出身。1946年に神戸経済大学(現神戸大学)卒業。 大学卒業後、トヨタ自動車工業に入社し、大学の先輩にあたる花井正八に師事。1972年楠兼敬とともに取締役に昇格。1978年常務取締役。1980年専務取締役。1982年副社長。1985年藍綬褒章受章。1986年から副会長として円高緊急対策委員長を務め、円高への対応などにあたった。
刺賀 信雄(さすが のぶお、1921年 <大正10年> 4月… 刺賀 信雄(さすが のぶお、1921年 <大正10年> 4月3日 - 2008年 <平成20年> 4月22日)は、日本の経営者。日本板硝子社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1944年に神戸商業大学を卒業し、1948年に日本板硝子に入社。1971年5月に取締役に就任し、1976年6月に常務、1980年6月に専務を経て、1982年6月には社長に就任。1988年6月に会長に就任し、1994年6月には相談役に就任。 1991年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2008年4月22日に老衰のために死去。87歳没。死没日付をもって従四位に叙された。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
水上 芳美(みずかみ よしみ、1921年2月17日 - 20… 水上 芳美(みずかみ よしみ、1921年2月17日 - 2006年3月20日)は、日本の経営者。長谷川工務店(現在の長谷工コーポレーション)社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1944年に神戸商業大学 (旧制)(現・神戸大学)を卒業。1946年に長谷川工務店に入社。1949年1月には早くも取締役に就任し、1960年2月常務、1962年12月専務となり長谷工の業績拡大に合わせて昇進を重ねる。1966年2月副社長就任を経て、1969年7月に同社創業者長谷川武彦の後を受けて第2代社長に就任。1987年8月に会長に就任するまで18年間社長職にあった。1996年6月に取締役相談役に退き、1998年6月から翌年まで顧問も務めた。
大植 武士(おおうえ たけし、1920年12月3日 - 19… 大植 武士(おおうえ たけし、1920年12月3日 - 1984年3月31日)は、日本の経営者。リコー社長を務めた。福井県出身。 1943年に神戸商科大学(現神戸大学)を卒業し、同年に湯浅電池に入社。1964年11月にリコーに転じ、常務に就任し、1968年5月に専務を経て、1976年10月に社長に就任した。 1984年3月31日、出張で福岡市に滞在中に心筋梗塞のために死去。63歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
植村 家隆(うえむら いえたか、1920年(大正9年)6月2… 植村 家隆(うえむら いえたか、1920年(大正9年)6月2日 - 1981年(昭和56年)5月18日)は日本の実業家。日本生命保険元専務取締役。ニッセイ児童文化振興財団(現:ニッセイ文化振興財団)常務理事。日本インターナショナル整流器監査役。旧子爵・旧大和高取藩第16代当主。東京都港区在籍。従五位。 東京都出身。旧大和高取藩第15代当主・植村家治の次男として生まれる。1944年(昭和19年)神戸商業大学(現:神戸大学)卒業後、1946年(昭和21)10月日本生命保険に入社。1968年(昭和43年)東京総務部長、1971年(昭和46年)取締役、1974年(昭和49年)常務、1979年(昭和54年)専務に就任。
八代 健三郎(やつしろ けんざぶろう、1920年2月25日-… 八代 健三郎(やつしろ けんざぶろう、1920年2月25日- 2019年2月16日 )は、日本の経営者。東海染工社長、名城大学理事長を務めた。 大阪府出身。1941年に神戸商科大学(現神戸大学)を卒業し、同年に住友本社に入社した。1946年9月に東海染工常務に就任し、専務を経て、1951年10月に社長に就任した。1985年11月に会長に就任し、1988年11月から1990年11月までに社長を兼任し、1998年6月から名誉会長を務めた。 1980年4月に藍綬褒章を受章し、1990年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2019年2月16日、死去。98歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
浦井 和男(うらい かずお、1919年11月26日 - 19… 浦井 和男(うらい かずお、1919年11月26日 - 1982年8月29日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1942年に神戸商業大学を卒業し、1946年10月に神戸銀行に入行。1967年5月に取締役に就任し、1968年10月に常務、1976年10月に太陽神戸銀行専務を経て、1978年6月に阪神相互銀行会長に就任。1981年6月には社長に就任。 1982年8月29日胃潰瘍のために死去。62歳没。
村上 武雄(むらかみ たけお、1919年9月21日 - 19… 村上 武雄(むらかみ たけお、1919年9月21日 - 1981年7月1日)は、日本の経営者。兵庫県神戸市出身。 1942年に神戸商科大学を卒業し、同年に東京ガスに入社。1969年9月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1976年1月に社長に就任。エネルギー産業の近代化を推進し、1969年には東京電力と共同でアラスカ産の液化天然ガスを導入した 1979年に藍綬褒章を受章。 1981年7月1日肝不全のために死去。61歳没。
山崎 勲(やまざき いさお、1917年3月12日 - 199… 山崎 勲(やまざき いさお、1917年3月12日 - 1999年10月31日)は、日本の経営者、銀行家。関西相互銀行社長を務めた。 熊本県出身。1940年に神戸商業大学を卒業し、同年に住友銀行に入行。1967年11月に取締役に就任し、1972年1月から1974年5月までに常務を務めた。。銀泉社長、大和ハウス工業監査役を歴任し、1978年12月には関西相互銀行社長に就任。1986年6月に会長を経て、1994年6月には関西銀行相談役に就任。 1987年4月に勲四等瑞宝章を受章。 1999年10月31日脳梗塞のために死去。82歳没。
山田 時雄(やまだ ときお、1916年2月3日 - 2001… 山田 時雄(やまだ ときお、1916年2月3日 - 2001年5月20日)は、日本の経営者、銀行家。阪神相互銀行社長を務めた。兵庫県出身。 1939年に神戸商科大学を卒業し、同年に神戸銀行に入行。1945年に川西機械製作所を経て、1952年に阪神相互銀行に転じ、1962年5月に取締役に就任し、1967年5月に常務、1973年5月に専務を経て、1975年5月に社長に就任。1981年6月に会長、1983年6月に取締役相談役、1985年6月相談役を経て、同年12月には顧問に退いた。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1986年4月に勲四等瑞宝章を受章。 2001年5月20日肺炎のために死去。85歳没。
喜多 善平(きた ぜんぺい、1916年1月16日 - 198… 喜多 善平(きた ぜんぺい、1916年1月16日 - 1983年1月31日)は、日本の経営者。兵庫県出身。 1938年に神戸商業大学を卒業し、同年に塩野義製薬に入社。1963年に取締役に就任し、1970年5月に常務、1974年5月に専務を経て、1978年6月に副社長に就任し、1982年6月に社長に昇格した。 1983年1月31日膵臓癌のために在任中に死去。67歳没。
中牟田 喜一郎(なかむた きいちろう、1915年9月15日 … 中牟田 喜一郎(なかむた きいちろう、1915年9月15日 - 2008年10月18日)は、日本の実業家。岩田屋の創業家で、社長・会長を務めた。妻は元テニス選手の加茂純子。日本テニス協会会長。 福岡県福岡市にて岩田屋百貨店創業者2代目中牟田喜兵衛の長男として生まれた。福岡商業学校、山口高等商業学校を卒業後、現在の神戸大学の前身となる神戸商業大学へ入学、テニス選手として3年時には3年の全日本ランキングで男子シングルス20位、ダブルス9位に名を連ねた。 大学卒業後の1940年に岩井産業(現双日)に入社、1945年岩田屋に入社し、2年後社長に就任、1985年まで務めた。その後会長に就任したが、2002年に経営不振より伊勢丹の傘下に入ったのをきっかけに会長の座から退き、特別顧問となっていた。
西村 俊一(にしむら しゅんいち、1915年3月28日 - … 西村 俊一(にしむら しゅんいち、1915年3月28日 - 1982年8月29日)は、日本の経営者。サクラクレパス社長。西村治兵衛の孫。娘の結婚で皇室と縁続きとなった。 京都府京都市出身。祖父は西村治兵衛、父は1937年にサクラクレパス社長に就任した西村斎次郎。 1939年に神戸商業大学を卒業。大阪ガスでの勤務を経て、1940年8月にサクラクレパス社長に就任した。 1974年10月に藍綬褒章を受章した。 1982年8月29日、肝硬変のために死去。67歳没。
吉利 一雄(よしとし かずお、1914年8月26日 - 19… 吉利 一雄(よしとし かずお、1914年8月26日 - 1992年10月17日)は、日本の経営者。塩野義製薬社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1937年に神戸商業大学を卒業し、同年に塩野義製薬に入社した。取締役、常務、専務を経て、1983年2月に社長に就任。社長在任時には研究開発体制の強化に力を入れた。1992年6月に会長に就任した。 1992年10月17日、急性心不全のために死去。78歳没。
徳末 知夫(とくすえ ともお、1914年8月22日 - 20… 徳末 知夫(とくすえ ともお、1914年8月22日 - 2006年1月29日)は、日本の実業家。帝人代表取締役社長を務めた。 日本統治時代の台湾で生まれる。1938年神戸商業大学(現神戸大学)卒業、帝国人造絹絲入社。戦時中は陸軍主計大尉。戦後復帰し 1957年帝国人造絹絲テトロン販売部次長。1959年帝国人造絹絲テトロン販売部長。1961年帝国人造絹絲企画部長。1962年帝人ニューヨーク出張所長。1965年帝人取締役。1969年帝人常務取締役。1980年から帝人代表取締役社長を務めた。それまでの拡大路線で積み上がった不採算事業の整理を実施。一気に二十件以上の事業や海外案件から撤収するとともに、医療・医薬事業を次世代の成長事業として位置づけ、現在の事業構造の原型を築いた。
玉置 猛夫(たまき たけお、1914年(大正3年)7月1日 … 玉置 猛夫(たまき たけお、1914年(大正3年)7月1日 – 2010年(平成22年)4月21日)は、昭和期の実業家、政治家。参議院議員(1期)。 香川県小豆郡草壁村(草壁町、内海町草壁本町を経て現小豆島町)で生まれる。1941年(昭和16年)神戸商業大学(現神戸大学)を卒業した。 1941年、日本銀行に入行。外国為替局、考査局、為替管理局などで勤務し、1960年(昭和35年)に退行した。 1960年11月の第29回衆議院議員総選挙に香川県第1区から無所属で出馬して落選し、以後1967年(昭和42年)1月の第31回総選挙まで2回連続で立候補したがいずれも落選。1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙に全国区から自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
伊藤 恭一(いとう きょういち、大正3年(1914年)5月2… 伊藤 恭一(いとう きょういち、大正3年(1914年)5月27日 - 平成6年(1994年)8月9日)は、日本の実業家。二代目伊藤忠兵衛の長男。エルサルバドル共和国の繊維事業発展に貢献した。 昭和22年(1947年)に旧制神戸商業大学(現・神戸大学)を卒業し、大建産業に入社する。昭和25年(1950年)に呉羽紡績へ転じる。財務・管理部門を担当し、取締役、常務取締役、専務取締役を経て、昭和38年(1963年)に社長に就任した。その後、昭和41年(1966年)に呉羽紡績が東洋紡績に吸収合併されると、同社副社長となった。後に同社会長・相談役を歴任した。昭和58年(1983年)から伊藤忠兵衛基金理事長。
宍戸 福重(ししど ふくしげ、1913年9月27日 - 20… 宍戸 福重(ししど ふくしげ、1913年9月27日 - 2010年2月2日)は、日本の経営者。富士電機社長、会長を務めた。福島県出身。 1937年に神戸商業大学を卒業し、同年に第一銀行に入行。1963年2月に富士電機に出向し、同年11月に取締役に就任し、1965年11月に常務、1970年11月に専務を経て、1972年11月に副社長に就任し、1974年11月には社長に昇格。1981年6月に会長に就任し、1985年6月に常任相談役を経て、1987年6月から相談役を務めた。 1983年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2010年2月2日老衰のために死去。96歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
植田 三男(うえだ みつお、1913年3月11日 - 199… 植田 三男(うえだ みつお、1913年3月11日 - 1997年8月30日)は、日本の経営者。兵庫県出身。 1937年に神戸商業大学(現神戸大学)を卒業し、同年に日商に入社した。 1992年11月に取締役に就任し、1970年5月には日商岩井専務に就任し、1974年11月に副社長に就任し、1977年6月には社長に昇格した。1984年6月に会長に就任し、1986年6月から相談役を務めた。 1990年4月に勲二等旭日重光章を受章した。 1997年8月30日慢性心不全のために死去。84歳没。
沢村 貴義(さわむら たかよし、1913年2月6日 - 19… 沢村 貴義(さわむら たかよし、1913年2月6日 - 1977年1月28日)は、日本の経営者。日本通運社長を務めた。 香川県坂出市出身。1937年に神戸商業大学を卒業し、同年に日本通運に入社。 1946年に取締役に就任し、常務、海運事業部長を経て、1966年11月に専務に就任。1968年1月には社長に昇格した。 日野自動車工業取締役、東京商工会議所議員、日本経営者団体連盟常任理事なども歴任した。 1977年1月28日、肝硬変のために死去。63歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
石井 利雄(いしい としお、1912年(明治45年)4月10… 石井 利雄(いしい としお、1912年(明治45年)4月10日 - 2001年(平成13年)1月12日)は、日本の造船技師(専門は舶用内燃機関、造船の生産技術・品質管理などの生産管理全般)、海軍軍人(予備将校)、実業家である。最終階級は海軍中尉。従七位。とくに、戦時急造された海防艦の専門家であり、戦時中、御蔵型など40隻の海防艦を竣工させた。戦後は、南極観測船の建造にも関わった。ブロック工法(ブロック建造方式)による艦船建造の先駆者の一人。 佐賀県神埼市出身。生家は佐賀藩主鍋島家の藩祖以来の外戚家門石井家。初代藩主鍋島勝茂の従兄石井茂成の8代目の子孫という。 神埼市立神埼小学校を経て、佐賀県立佐賀中学校(現・佐賀西高等学校)に進学。
小畑 千秋(おばた ちあき、1911年10月24日 - 19… 小畑 千秋(おばた ちあき、1911年10月24日 - 1995年9月16日)は、日本の経営者。日本ペイント社長を務めた。兵庫県出身。位階は正五位。 1935年に神戸商業大学を卒業し、日本生命保険での勤務を経て、1937年12月に日本ペイントに入社。1944年2月に取締役に就任し、1946年2月に常務、1952年12月に専務を経て、1965年6月には社長に就任。1975年7月には会長に就任。 1973年4月に藍綬褒章を受章し、1981年11月に勲三等瑞宝章を受章した。 1995年9月16日心不全のために死去。83歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
伊藤 英吉(いとう えいきち、1911年(明治44年)6月2… 伊藤 英吉(いとう えいきち、1911年(明治44年)6月25日 - 2011年(平成23年)8月30日)は、日本の実業家。伊藤忠商事元会長。 伊藤竹之助、ときの長男として生まれる。父・竹之助は伊藤忠兵衛 (初代) の長女・ときの婿養子。弟は伊藤順吉。 旧制甲南高等学校を経て、旧制神戸商業大学(現・神戸大学)、ケンブリッジ大学を卒業し、1940年に伊藤忠商事へ入社した。1954年からニューヨークに駐在する。1959年に帰国し、常務、専務、副社長を経て、1968年に会長に就任した。 妻・英子は子爵加納久朗の次女。 2011年8月30日、老衰のため死去。100歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
中島 隆太郎(なかじま りゅうたろう、1911年3月31日 … 中島 隆太郎(なかじま りゅうたろう、1911年3月31日 - 1998年11月1日)は、日本の経営者。日本ペイント社長を務めた。兵庫県出身。位階は正五位。 1932年に神戸高等商業学校を卒業し、同年4月に日本ペイントに入社。1963年6月に取締役に就任し、1968年12月に常務、1971年6月に専務を経て、1974年6月に副社長に就任し、1975年7月には社長に昇格。1981年7月には相談役に就任。 1982年4月に勲三等瑞宝章を受章。 1998年11月1日肺炎のために死去。87歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
北裏 喜一郎(きたうら きいちろう、1911年〈明治44年〉… 北裏 喜一郎(きたうら きいちろう、1911年〈明治44年〉3月14日 - 1985年〈昭和60年〉10月30日)は、日本の実業家。野村證券社長。 野村證券の国際化戦略の立役者。 和歌山県日高郡美浜町生まれ。神戸高等商業学校(現神戸大学)予科修了後、1933年(昭和8年)兵庫県立神戸高等商業学校(現兵庫県立大学)を卒業。同年野村證券へ入社。 戦後は、野村證券の首脳陣がGHQの公職追放で辞任したために二階級特進、1949年取締役大阪支店支配人となり、本店支配人を経て、1952年常務に昇進。続いて専務から1959年6月には副社長に進み、1968年11月に社長に就任するまで瀬川美能留とのコンビで野村證券の発展に大きく寄与。
北野 精一(きたの せいいち、1911年1月2日 - 200… 北野 精一(きたの せいいち、1911年1月2日 - 2000年9月1日)は、日本の経営者。日本触媒化学工業社長を務めた。兵庫県神戸市出身。 1932年に神戸高等商業学校を卒業。 商工省、大阪工業試験所での勤務を経て、後にヲサメ合成化學工業(後の日本触媒)に転じ、1948年1月に取締役に就任し、1963年1月に常務、1965年7月に専務を経て、1970年4月には社長に就任。1981年2月に会長、1986年2月に取締役相談役を経て、1987年2月から相談役を務めた。 1975年4月に藍綬褒章を受章し、1981年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2000年9月1日肺炎のために死去。89歳没。
塩野 孝太郎(しおの こうたろう、1910年 <明治43年>… 塩野 孝太郎(しおの こうたろう、1910年 <明治43年> 11月13日 - 1989年 <平成元年> 11月20日)は、日本の経営者。塩野義製薬社長、会長を務めた。位階は正四位。 大阪府出身。1934年に神戸商業大学を卒業し、同年に塩野義製薬に入社。 1937年に取締役に就任し、1941年に専務を経て、1953年10月には社長に就任した。1982年6月から会長を務めた。 1971年11月に藍綬褒章を受章し、1981年4月に勲二等瑞宝章を受章。 1989年11月20日呼吸不全のために死去。79歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
福田 克己(ふくだ かつみ、1910年5月10日- 2001… 福田 克己(ふくだ かつみ、1910年5月10日- 2001年2月26日 )は、日本の経営者。徳山曹達(現在のトクヤマ)社長、会長を務めた。 山口県出身。1935年に神戸商科大学を卒業し、1937年に徳山曹達(のちのトクヤマ)に入社した。1960年11月に取締役に就任し、1970年11月に常務、1972年11月に専務を経て、1974年5月には社長に就任。1982年6月に会長に就任し、1986年6月に取締役相談役を経て、1988年6月には相談役に就任。 1988年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2001年2月26日、心不全のために死去。90歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高山 義雄(たかやま よしお、1910年2月26日 - 19… 高山 義雄(たかやま よしお、1910年2月26日 - 1997年1月12日)は、日本の実業家。三和銀行(現:三菱UFJ銀行)元副頭取。兵庫県神戸市出身。 大阪市南区心斎橋筋1丁目にあった糸商・伏見屋の3男として生まれる。 大阪市立御津尋常小学校、市岡商業学校を経て1932年に神戸高等商業学校を卒業し、山口銀行に入行。翌年の合併により、三和銀行(現:三菱UFJ銀行)行員となる。 一貫して調査畑を歩み、取締役、専務を経て、1970年から1972年まで副頭取を務めた。 その一方で、1969年から1970年までに関西経済同友会代表幹事を務め、1970年の大阪万博の際には、「みどり館」の責任者を務めた。
大倉 弘(おおくら ひろむ、1910年(明治43年)2月17… 大倉 弘(おおくら ひろむ、1910年(明治43年)2月17日 - 2005年(平成17年)12月6日)は、日本の実業家。月桂冠株式会社元代表取締役会長・相談役。 1910年(明治43年)2月17日、大倉恒吉の五男として京都府京都市に生まれる。 1934年(昭和9年)3月、神戸商業大学(現・神戸大学)を卒業後、翌年の1935年(昭和10年)5月、第一銀行大阪支店に入行する。 1938年(昭和13年)4月、退行し、同年5月大倉常吉商店(現・月桂冠)株式会社に入社、同年6月取締役に就任。 1945年(昭和19年)2月、大倉酒造株式会社に社名変更、専務取締役、副社長を経て、1970年(昭和45年)6月社長に就任。
坂本 薫俊(さかもと しげとし、1910年1月10日 - 2… 坂本 薫俊(さかもと しげとし、1910年1月10日 - 2003年11月5日)は、日本の経営者。ホシザキの創業者。 島根県雲南市出身。1931年に神戸高等工業学校を卒業。1947年に星崎電機(現在のホシザキ)を創立し、社長に就任。1984年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2003年11月5日に心不全のために死去。93歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三島 重人(みしま しげと、1909年2月27日 - 20… 三島 重人(みしま しげと、1909年2月27日 - 2009年8月9日)は、日本の経営者、銀行家。筑邦銀行頭取を務めた。 福岡県出身。1932年に神戸商業大学を卒業し、1933年に日本勧業銀行に入行した。1962年5月に筑邦銀行頭取に就任。1981年6月に会長に就任し、1988年6月に取締役相談役を経て、1989年6月には取締役名誉会長に就任。 1981年4月に勲四等瑞宝章を受章し、1990年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 2009年8月9日、老衰のために死去。100歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
磯野 万亀男(いその まきお、1909年1月27日 - 20… 磯野 万亀男(いその まきお、1909年1月27日 - 2003年5月19日)は、日本の経営者。野村不動産社長、会長を務めた。兵庫県出身。 1929年に神戸商業大学を卒業し、同年に野村證券に入社。1949年1月に取締役に就任し、1956年11月に常務、1959年6月に野村不動産専務を経て、1963年11月には副社長に就任し、1969年1月には社長に昇格。1978年10月に会長に就任し、1981年12月に代表取締役相談役を経て、1987年12月から相談役を務めた。社長時代には、鎌倉市での大規模住宅開発と新宿野村ビルの建設などを手掛けた。 1988年4月に藍綬褒章を受章。 2003年5月19日心不全のために死去。
辻 良雄(つじ よしお、1909年1月1日 - 1980年1… 辻 良雄(つじ よしお、1909年1月1日 - 1980年11月30日)は、日本の経営者。広島県広島市出身。鴻池運輸創業家に婿入りした辻卓史は子。 1934年に神戸商業大学(現神戸大学)を卒業。サンマス貿易での勤務を経て、1939年に日商に転じ、取締役、常務、専務を経て、1968年10月に日商岩井専務に就任し、1969年11月には社長に昇格。 1971年10月に藍綬褒章を受章。 1980年11月30日急性肝炎のために死去。71歳没。
前田 勝(まえだ まさる、1907年9月9日 - 2003年… 前田 勝(まえだ まさる、1907年9月9日 - 2003年1月1日 )は、日本の経営者。紀陽銀行頭取を務めた。 和歌山県出身。1929年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に伊那合同銀行(のちの紀陽銀行)に入行した。1948年に取締役に就任し、1959年に常務、1961年に専務を経て、1974年に副頭取に就任し、1981年4月には頭取に昇格した。1985年6月から1987年6月までに会長を務めた。 1985年4月に勲四等旭日小綬章を受章。 2003年1月1日、老衰のために死去。95歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
滝本 清八郎(たきもと せいはちろう、1906年4月5日 -… 滝本 清八郎(たきもと せいはちろう、1906年4月5日 - 1971年5月2日)は、日本の経営者。日本板硝子社長を務めた。 富山県富山市出身。1933年に神戸商業大学を卒業し、1934年に日本板硝子に入社。1951年11月に取締役に就任し、1958年5月に常務、1967年2月に専務を経て、1968年11月に社長に就任した。 1971年5月2日、肺癌のために死去。65歳没。
石井 廣治(いしい ひろじ、1906年2月20日 - 198… 石井 廣治(いしい ひろじ、1906年2月20日 - 1988年7月22日)は、昭和時代日本の実業家、政治家。タイヘイレコード(のち日本マーキュリー)代表取締役社長、兵庫県議会議員(3期)を務める。 神戸市出身。1930年(昭和5年)に灘区で合資会社六甲ゴム製造所を立ち上げる。1944年(昭和19年)、神戸経済大学経営経録第一講習所を卒業。 西宮市今津に所在し、戦時下でキングレコード改め富士音盤に接収されていた旧タイヘイレコードの工場を買い戻す受け皿として資本金400万円で新法人のタイヘイ音響株式会社を設立し、10年ぶりにレーベルを復活させる。1952年(昭和27年)にはアメリカ合衆国(米国)のマーキュリー・レコードと契約を結び、社名を「日本マーキュリー」へ変更した。
松山 緑(まつやま みどり、1906年2月10日 - 200… 松山 緑(まつやま みどり、1906年2月10日 - 2005年3月23日)は、日本の経営者。藤田観光社長を務めた。 長崎県出身。1930年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に安田信託に入社。 1943年に藤田興業に転じ、1957年8月に同和鉱業取締役に就任し、1959年5月に常務を経て、1963年2月に藤田観光副社長に就任し、1977年3月には社長に昇格。 1981年3月に会長、1985年3月に取締役相談役を経て、1991年3月に相談役に就任し、1997年3月には名誉社友に退いた。 2005年3月23日老衰のために死去。99歳没。
梅谷 勝(うめたに まさる、1905年 <明治38年> 10… 梅谷 勝(うめたに まさる、1905年 <明治38年> 10月29日 - 1987年 <昭和62年> 8月17日)は、日本の経営者。位階は従五位。 兵庫県出身。1927年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に日動火災海上保険に入社。1954年に取締役に就任し、常務、副社長を経て、1961年には社長に就任。1964年から1968年までに会長を務めた。 1977年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 1987年8月17日肺炎のために死去。81歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
山根 寛作(やまね かんさく、1905年9月17日 - 19… 山根 寛作(やまね かんさく、1905年9月17日 - 1988年9月9日)は、日本の経営者。中国電力社長、会長を務めた。山口県出身。 1927年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に山口電気局に入社し、1942年に中国配電(のちの中国電力)に転じた。1960年に取締役に就任し、1962年に常務、1967年に副社長を経て、1971年に社長に就任。1981年に会長に就任し、1985年には相談役に就任。社長在任時に島根原発1号機、2号機の建設を推進。日本経営者団体連盟常任理事、経済団体連合会常任理事、中国地方経済連合会会長、中国放送、広島ガス、西日本旅客鉄道などの取締役などを歴任。 1967年に藍綬褒章を受章。
木下 常雄(きのした つねお、1904年8月23日 - 19… 木下 常雄(きのした つねお、1904年8月23日 - 1985年8月21日)は、日本の経営者、銀行家。福岡県出身。 1926年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に日本銀行に入行。1954年4月に大分銀行会長に就任し、1958年4月に頭取、1973年6月に会長を歴任し、1975年5月から1981年6月までに監査役を務めた。 1966年9月に藍綬褒章を受章し、1974年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1985年8月21日気管支拡張のために死去。80歳没。
李 甲植(イ・ガプシク、朝鮮語: 이갑식、1904年2月10… 李 甲植(イ・ガプシク、朝鮮語: 이갑식、1904年2月10日 - 1972年7月8日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。本貫は全州李氏。儒教の信者。 漢城府(現・ソウル特別市)または全羅南道求礼郡出身。釜山商校を経て1928年神戸高等商業学校(神戸商業大学を経て神戸大学)卒。朝鮮殖産銀行、株式取引所での勤務を経て、上海で酒精工場、三客商社を経営した。解放後に帰国し、中央庁財政部職員、朝鮮機械技術協会顧問、朝鮮機械製作所理事長、韓国機械工作連合会理事長、大韓伸鉄工業会理事長、韓国軍需産業促進会理事、自由党全羅南道党委員長・中央委員・選挙対策委員長・企画委員、第3代国会米穀輸出特別対策委員会委員長・商工分科委員長、第4代国会財政経済分科委員長を務めた。
浅井 孝二(あさい こうじ、1902年8月3日 - 1992… 浅井 孝二(あさい こうじ、1902年8月3日 - 1992年2月20日)は、日本の実業家。住友銀行元頭取。石川県金沢市出身。 1921年に大阪明星高校、1925年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に住友銀行に入行。1947年に取締役、1952年に常務、1958年に専務、1963年に副頭取を経て、堀田庄三の後を継ぐ形で、1971年6月から1973年5月までに頭取を務めた。 その一方で、1974年から1981年までに大阪商工会議所副会頭を務め、1981年に大阪商工会議所会頭の座を巡り、関西財界を二分した「大商戦争」の際に、佐伯勇会頭の続投を支持しつつ、事態の収拾にも努めた。1972年に勲二等瑞宝章を受章した。
藤本 秀二(ふじもと しゅうじ、1901年11月21日 - … 藤本 秀二(ふじもと しゅうじ、1901年11月21日 - 1990年1月31日)は、日本の経営者。同和火災海上保険社長を務めた。兵庫県出身。位階は従五位。 1925年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に神戸海上火災保険に入社。1945年に同和火災海上保険に転じ、1947年に取締役に就任し、1949年に常務を経て、1962年6月には社長に就任し、1968年6月までに務めた。 1966年9月に藍綬褒章を受章し、1972年5月に勲四等瑞宝章を受章。 1990年1月31日呼吸不全のために死去。88歳没。死没日付をもって従五位に叙された。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
浅沼 隆男(あさぬま たかお、1901年8月28日 - 19… 浅沼 隆男(あさぬま たかお、1901年8月28日 - 1992年2月14日)は、日本の経営者。明治乳業社長を務めた。岡山県出身。 旧制岡山一中(現:岡山県立岡山朝日高校)を経て、1924年に神戸高等商業学校経済学部(現:神戸大学)を卒業。明治製菓での勤務を経て、1964年11月に明治乳業副社長に就任し、1966年11月には社長に昇格。1972年5月から相談役を務めた。 1992年2月14日老衰のために死去。90歳没。
越後 正一(えちご まさかず、1901年(明治34年)4月2… 越後 正一(えちご まさかず、1901年(明治34年)4月26日 - 1991年(平成3年)4月2日)は、日本の実業家。元伊藤忠商事社長・会長。戦後再発足した伊藤忠商事・初代社長・小菅宇一郎の後任者。「伊藤忠中興の祖」、「繊維相場の神様」とよばれた。滋賀県出身。
中部 利三郎(なかべ りさぶろう、1901年〈明治34年〉3… 中部 利三郎(なかべ りさぶろう、1901年〈明治34年〉3月11日 - 1970年〈昭和45年〉3月6日)は、日本の実業家。大洋漁業副社長。大洋漁業創業者中部幾次郎の三男。 兵庫県明石市出身。中部幾次郎の三男。1924年、神戸高等商業学校を卒業。中部農事、林兼商店各監査役、大洋捕鯨取締役、林兼商店、林兼工業各常務、林兼造船副社長同社長を経て1951年、大洋漁業副社長。1955年、林兼産業社長。1963年、長崎放送社長。1964年、藍綬褒章・紺綬褒章を受章。 宗教は浄土宗、仏教。趣味はゴルフ、将棋。住所は山口県下関市上田中町3丁目、同町1丁目、同市竹崎町、兵庫県明石市東魚町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
安宅 英一(あたか えいいち、1901年1月1日 - 199… 安宅 英一(あたか えいいち、1901年1月1日 - 1994年5月7日)は、日本の実業家。安宅産業会長、相談役社賓。芸術家のパトロン・美術品コレクターとしても知られた。 安宅産業創業者安宅弥吉、静子の長男として生まれる。英国領であった香港で生まれたため「英一」と名付けられた。 弟に重雄(安宅産業第2代社長)、妹に登美子(長谷川周重夫人)がいる。 大阪偕行社付属小学校(現:追手門学院小学校)を経て、兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)に入学。一中時代の同級生には有馬大五郎(NHK交響楽団副理事長、国立音楽大学学長)がおり、親友として晩年まで過ごした。また16歳の頃から、登美子のピアノ練習に触発され、上京してピアノのレッスンを受けた。
出原 信造(いずはら のぶぞう、1900年11月11日 - … 出原 信造(いずはら のぶぞう、1900年11月11日 - 1991年12月27日)は、日本の経営者。大同生命保険社長を務めた。 大阪府出身。1925年に神戸高等商業学校を卒業し、同年に大同生命保険に入社。1947年7月に取締役に就任し、1950年6月に常務、1961年1月に専務を経て、1963年1月に社長に就任。1973年1月に会長に就任し、1978年4月に取締役相談役を経て、1986年7月には相談役に就任。 1991年12月27日老衰のために死去。91歳没。