岡路 市郎(おかじ いちろう、1913年(大正2年)8月11… 岡路 市郎(おかじ いちろう、1913年(大正2年)8月11日 - 2003年(平成15年)4月11日)は、日本の心理学者・俳人。専門は教育心理学。元・北海道教育大学学長。 滋賀県出身。1946年広島文理科大学 (旧制)心理学科卒。その後、1947年北海道大学法文学部助教授、1950年同法経学部助教授を経て、1952年(昭和27年)北海道学芸大学助教授に就任。1959年(昭和34年)同教授。1975年(昭和50年)北海道教育大学7代学長。1983年(昭和58年)北海道教育大学退官。同名誉教授。北星学園大学文学部教授。1988年(昭和63年)北星学園大学定年退職。駒澤大学保育専門学校招聘講師(1992年まで))。
小尾 郊一(おび こういち、1913年2月2日 - 2004… 小尾 郊一(おび こういち、1913年2月2日 - 2004年2月4日)は、日本の中国文学者。広島大学名誉教授。 1913年、長野県諏訪郡豊平村(現・茅野市)生まれ。1930年、長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を卒業。長野師範学校専攻科に進み、1932年に卒業。1938年、大東文化学院(現・大東文化大学)本科を卒業。1941年、広島文理科大学(現・広島大学)文理学部文学科漢文学専攻を卒業した。 卒業後は、同1941年より東方文化学院京都研究所(現・京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センター)助手となった。太平洋戦争をはさみ、1946年に広島文理科大学講師に着任。
森田 武(もりた たけし、1913年 - 1994年9月28… 森田 武(もりた たけし、1913年 - 1994年9月28日)は、日本の国語学者、広島大学名誉教授。 1934年、広島高等師範学校卒業。1936年、広島文理科大学文学科卒業。朝鮮総督府大邱師範学校、広島高等師範学校教諭を経て、広島大学皆実分校教授に就任。広島大学教養部、広島大学総合科学部の教授を歴任した。1961年「長崎版日葡辞書の研究」で広島大文学博士。1976年、定年退職、名誉教授、安田女子大学教授。
占部 実(うらべ みのる、1912年12月2日 - 1975… 占部 実(うらべ みのる、1912年12月2日 - 1975年9月4日) は、日本の数学者。専門は数値解析。(簡易) ニュートン法に対する収束定理・誤差評価や非線形微分方程式に対する占部-Galerkin法などの業績がある。 福岡県出身。1940年に広島文理科大学卒業、同大学の助手・講師・助教授を経て、1952年に教授に就任。1953年「不動点をもつ正則変換」により理学博士の学位を取得。1963年、九州大学に転任。1966年、京都大学数理解析研究所教授に就任。 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
紀藤 信義(きとう のぶよし、1912年〈大正元年〉10月3… 紀藤 信義(きとう のぶよし、1912年〈大正元年〉10月31日 - 没年不明)は、日本の政治家、文学博士。広島大学名誉教授。広島修道大学法学部教授。 山口県厚狭郡船木町(現・宇部市)出身。紀藤常助の二男。1937年、広島文理科大学文学部史学科を卒業。同年4月、北海道旭川師範学校教授。1943年6月、海軍教授となり海兵教官にて終戦。 1947年4月、山口県厚狭郡船木町町長に当選する。1948年7月、広島高等師範学校教授。1957年、琉球大学臨時講師。1964年、学位を受く。1976年、広島大学文学部教授の職を停年退任する。 著書は『近代化概念の展開と民主主義思想の発展』、『イギリス初期独占の研究』などがある。
吉倉 真(よしくら まこと、1911年10月7日 - 200… 吉倉 真(よしくら まこと、1911年10月7日 - 2003年3月27日)は、日本のクモ学者。正字では眞。福井県出身。 1911年、福井県生まれ。1943年広島文理科大学卒業。阿部余四男教授の下、「ジグモの糸腺の組織学的研究」という卒業論文を作成。熊本大学名誉教授、九州クモの会会長。1984年、勲三等旭日中綬章を受章。2003年3月27日午後1時10分、老衰のため岐阜市の病院で死去(自宅は岐阜県各務原市)。91歳没。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
弥吉 菅一(彌吉菅一、やよし かんいち、1911年9月27日… 弥吉 菅一(彌吉菅一、やよし かんいち、1911年9月27日 - 2000年3月14日)は、児童詩研究家・日本文学研究家。 福岡県浮羽郡(現うきは市)生まれ。広島文理科大学(現・広島大学)国文科卒。大阪学芸大学助教授、校名変更で大阪教育大学教授、1977年定年退官、名誉教授、梅花女子大学教授。1984年「日本児童詩教育の歴史的研究」で広島大学教育学博士。1997年日本児童文学学会特別賞受賞。1977年度博報賞受賞。
杉谷 雅文(すぎたに まさふみ、1910年9月25日 - 1… 杉谷 雅文(すぎたに まさふみ、1910年9月25日 - 1991年5月7日)は、日本の教育学者。広島大学名誉教授。 兵庫県美方郡浜坂町(現・新温泉町)出身。姫路師範学校卒、広島高等師範学校卒、1937年広島文理科大学教育学科卒、福井師範学校教授、鹿児島師範学校教授、鳥取師範学校教授、1947年広島文理科大学講師、1949年助教授、1952年「生命哲学と教育学」で広島文理科大学文学博士。1953年教授、広島大学教育学部教授、1961-1964年広島大学教育学部附属小学校校長、1974年広島大を定年退官、名誉教授、親和女子大学教授。1983年勲三等旭日中綬章を受章。
真鍋 元之(まなべ もとゆき、1910年9月12日 -198… 真鍋 元之(まなべ もとゆき、1910年9月12日 -1987年10月30日)は、日本の小説家、文芸評論家。大衆文学研究会会員。 愛媛県宇摩郡関川村(現・四国中央市)出身。1931年、広島高等師範学校(現・広島大学)国文科中退。上京して日本プロレタリア作家同盟に加入するが、後に脱退。1939年博文館に入社し、勤務の傍ら時代小説を執筆。戦後は数年間、新小説社の『大衆文芸』の編集をし、自ら「炎風」を連載。1958年『炎風』で新鷹会賞特別奨励賞を受賞。その後は実作及び評論を手がける。
池田 末利(いけだ すえとし、1910年 <明治42年> 3… 池田 末利(いけだ すえとし、1910年 <明治42年> 3月19日 - 2000年 <平成12年> 11月9日)は、日本の中国哲学者。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 福岡県生まれ。大東文化学院卒、1936年広島文理科大学卒。1938-1941年北京大学に学ぶ。1955年「中国ニ於ケル祖先崇拝ノ溯源的研究、並ニソノ天・地神崇拝トノ関係」で東京大学より文学博士の学位を取得。広島大学文学部助教授、教授、1973年定年退官、名誉教授、大東文化大学教授、学長。1979-1981年日本中国学会理事長。1984年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章を受章。2000年死去。死没日付をもって正四位に叙された。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
柴谷 久雄(しばたに ひさお、1910年2月11日 - 19… 柴谷 久雄(しばたに ひさお、1910年2月11日 - 1996年7月29日)は、日本の教育学者。 和歌山県出身。1936年広島文理科大学教育学科卒、福島県師範学校教員、浜松師範学校教員、1943年応召し、敗戦でシベリアに抑留され、48年復員。和歌山県教育委員会指導主事、大阪市教育委員研究所長、1962年「バートランド・ラッセルの教育思想研究」で広島大学教育学博士。1966年広島大学教育学部教授、同附属幼年教育研究施設長、附属幼稚園長。73年定年退官、四天王寺女子大学(四天王寺国際仏教大学)教授。
砂沢 喜代次(すなざわ きよじ、1910年 - 1984年)… 砂沢 喜代次(すなざわ きよじ、1910年 - 1984年)は、日本の教育学者、北海道大学名誉教授。
荘司 雅子(しょうじ まさこ、1909年10月6日 - 19… 荘司 雅子(しょうじ まさこ、1909年10月6日 - 1998年2月22日)は、日本の教育学者。広島大学名誉教授。フレーベル研究の第一人者。日本では女性で最初の文学博士取得者。 日本統治下の台湾、現在の嘉義県朴子市の生まれで、旧名は荘嫌(そう けん)、のちに荘無嫌(そう ぶけん)に改名。奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)を卒業後、広島文理科大学(現広島大学)教育学科に進学。そこで、ペスタロッチ研究者として知られる長田新に師事。フリードリヒ・フレーベルと幼稚園教育学を研究テーマに選ぶ。 卒業後、広島大学で助手、講師、助教授を経て、教授となる。1953年「フレーベル研究」で日本では女性で最初の文学博士の学位を取得。
藤井 清(ふじい きよし、1909年4月17日 - 1998… 藤井 清(ふじい きよし、1909年4月17日 - 1998年10月6日)は、日本の歌人・国文学者。 福井県鯖江市生まれ。1939年広島文理科大学史学科卒。仙台の宮城県立第一高等女学校(現在の宮城県宮城第一高等学校)をふりだしに、宇都宮、福井など各地の高校、大学で教え、1969年退職。 1932年『国民文学』に入会し、松村英一に師事する。のち編集委員・選者。1978年「高樹会」会員となり、合同歌集「高樹」に参加。千代國一編集の歌誌「国民文学」の選者を務めた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
末吉 悌次(すえよし ていじ、1909年1月28日 - 20… 末吉 悌次(すえよし ていじ、1909年1月28日 - 2003年1月)は、日本の教育学者。長崎県生まれ。広島文理科大学教育学科卒。文学博士(広島文理科大学・1953年)(学位論文「社会的教育学の性格」)。広島大学教育学部教授、74年定年退官、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
栗山 理一(くりやま りいち、1909年1月14日 - 19… 栗山 理一(くりやま りいち、1909年1月14日 - 1989年8月19日)は、日本の国文学者・俳句評論家。成城大学名誉教授。 1909年、佐賀県鹿島で生まれた。広島文理科大学で学び、1933年に卒業。 卒業後は教諭となり、大阪府立堺中学校に勤務。1938年、大学の同窓生蓮田善明・池田勉・清水文雄と雑誌『文藝文化』を創刊し、日本浪曼派の一派をなした。同雑誌は1944年まで続いた[要出典]。1942年、興亜工業大学教授に転じ、1944年に立華高等女学校校長となった。 1954年、成城大学文芸学部教授に就いた。1962年、学位論文『中興俳諧の研究』を広島大学に提出して文学博士の学位を取得。1979年に成城大学を定年退職し、名誉教授となった。
山田 勝美(やまだ かつみ、1909年1月9日 - 1989… 山田 勝美(やまだ かつみ、1909年1月9日 - 1989年4月10日)は、日本の漢文学者。 千葉県出身。広島文理科大学漢文学科卒業後、東京帝国大学文学部支那哲学科研究生として加藤常賢に契金文を学ぶ。1957年「塩鉄論の基礎的研究」で広島文理科大学文学博士。上智大学文学部教授を務め、79年定年、名誉教授。71年中華学術院から名誉哲士号を贈られる。
藤原 与一(ふじわら よいち、1909年1月6日 - 200… 藤原 与一(ふじわら よいち、1909年1月6日 - 2007年10月23日)は、日本の言語学者・方言学者。広島大学名誉教授。愛媛県大三島(現・今治市)出身。 愛媛県越智郡大三島町肥海に生まれる。15歳で松山の愛媛県師範学校に入学、広島高等師範学校(広島文理科大学)に進学し、2年時に赴任してきた方言研究者の東条操に師事して方言学に進む。そのころより全国の方言調査を行った。東条を通して柳田国男とも交流を持った。在学中の1933年に、生家の隣にある金剛寺の梵鐘についての著作「梵鐘を鋳る」を発表、井伏鱒二はこれをなぞって連作エッセイ『釣鐘の音に関する研究』を執筆。 広島大学教授定年退官後は広島方言研究所を設立し、多数の著書を出版した。
清宮 博(せいみや ひろし、1908年8月6日 - 1976… 清宮 博(せいみや ひろし、1908年8月6日 - 1976年4月27日)は電気工学者、実業家。元富士通社長、会長。日本のコンピューターパイオニアの一人。旧姓根岸。 広島県広島市大手町(現在の同市中区)出身。広島高等師範学校附属中学校(現・広島大学附属高校)から第一高等学校をへて東京帝国大学電気工学科卒(1932年)。逓信省電気試験所第4部に入り、光通信、電子管(マグネトロン、速度変調管)などの研究を担当。1936年、関杜夫とともにグラスファイバーを光通信に使うアイデアを発明した。 終戦後の1947年12月23日、アメリカベル電話研究所でトランジスタが発明され、翌1948年6月30日公表された。
渡辺 直己(わたなべ なおき、1908年(明治41年)6月4… 渡辺 直己(わたなべ なおき、1908年(明治41年)6月4日 - 1939年(昭和14年)8月21日)は、広島県呉市出身の歌人。 呉一中(現:広島県立呉三津田高等学校)、広島高等師範学校(現:広島大学)卒業。芥川龍之介に影響を受けた文学青年で、マルクス主義にも関心を持った。異父兄・高橋彰三の影響で短歌を始める。1935年(昭和10年)、伊藤左千夫を中心にして1908年(明治41年)に作られた短歌誌『アララギ』に入会し、土屋文明に師事した。しかし当初の渡辺の作品は牧歌的で、島木赤彦や文明の模倣でしかなかった。 呉市立高等女学校(現:呉三津田高等学校)の国語教師として奉職中だった1937年(昭和12年)、日中戦争に応召し、中国に第五師団歩兵第十一連隊陸軍少尉として送られる。
池田 勉(いけだ つとむ、1908年 - 2002年)は、日… 池田 勉(いけだ つとむ、1908年 - 2002年)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(東洋大学・論文博士・1962年)(学位論文「源氏物語の制作過程に関する研究」)。成城大学名誉教授。 1934年広島文理科大学卒。1938年同窓の蓮田善明・清水文雄・栗山理一とともに『文藝文化』を創刊、1944年まで続け、日本浪曼派の一翼を担い、三島由紀夫を育てた。1962年「源氏物語の制作過程に関する研究」で東洋大学より文学博士の学位を取得。成城大学教授、1979年定年退任。
佐藤 源治(さとう げんじ、1908年(明治41年) - 1… 佐藤 源治(さとう げんじ、1908年(明治41年) - 1995年(平成7年)6月9日)は、日本の教育者、民俗学者。朝日村名誉村民(現・鶴岡市名誉市民)。栄典は従四位・勲四等・旭日小綬章。
高原 博(たかはら ひろし、1907年〈明治40年〉10月 … 高原 博(たかはら ひろし、1907年〈明治40年〉10月 - 1987年〈昭和62年〉)は、日本の教育者、哲学者(カント美学・デューイ教育哲学)、歌人。勲等は勲三等。静岡女子大学名誉教授。 津市立高等女学校教諭、鹿児島県女子師範学校教諭、広島師範学校教授、静岡女子短期大学教授、静岡女子大学文学部教授、短歌個性主宰などを歴任した。 広島県出身の哲学者である。倫理学を専攻するとともに、探求学習に関する研究も手掛けていた。高等女学校や師範学校の教員を経て、静岡女子短期大学、静岡女子大学で教鞭を執り、後進の育成に努めた。歌集をいくつも上梓するなど歌人としても知られており、多くの歌人を育成した。 1907年(明治40年)10月、広島県で生まれた。
内海 巌(うつみ いわお、1907年〈明治40年〉9月7日 … 内海 巌(うつみ いわお、1907年〈明治40年〉9月7日 - 1987年〈昭和62年〉8月22日)は、日本の教育学者(社会科)。教育学博士。広島大学名誉教授。比治山女子短大教授。広島市立中央図書館長。日本ユネスコ協会連盟副会長。 大阪市北区樋之上町に生まれる。父・内海岩五郎、母・ツネの長男。1920年、大阪府三島郡高槻町立高槻尋常小学校卒業。1925年、京都府立京都第一中学校卒業。 1930年、広島高等師範学校卒業。1942年、広島文理科大学哲学科卒業。1945年、広島高等師範学校教授。1951年、広島大学教育学部教授。 1953年、全日本社会科教育学会を創設し初代理事長を務めた。1956年、文部省初等中等教育局視学官となる。
金井 清(かない きよし、1907年(明治40年)7月25日… 金井 清(かない きよし、1907年(明治40年)7月25日 - 2008年(平成20年)4月13日)は、日本の地震工学者。分散性表面波、常時微動の測定法開発、構造物や地盤の振動理論などの研究で知られる。東京大学教授・日本大学副総長を歴任。 1907年(明治40年)、広島市で生まれる。広島県立広島第一中学校を経て、1928年(昭和3年)に広島高等工業学校電気工学科を卒業した。卒業後は同校久保研究室で実験助手を勤めていたが、1931年(昭和6年)に上京し、東京帝国大学地震研究所の妹沢克惟を訪れ、1934年(昭和9年)に正式に助手となった。妹沢との共同研究は10年余に及んだが、この期間に地震研究所彙報により発表された論文は年に10-20編に達する。
金子 金治郎(かねこ きんじろう、1907年 <明治40年>… 金子 金治郎(かねこ きんじろう、1907年 <明治40年> 2月2日 - 1999年 <平成11年> 5月31日)は、日本の国文学者。広島大学名誉教授。中世国文学、連歌史専攻。ホトトギス系の俳人でもある。位階は正四位。 1907年、長野県諏訪市で生まれた。旧制諏訪中学(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、広島文理科大学に進学。1933年に卒業した。 卒業後は教員となり、東京明星学園や旧制前橋中学(群馬県立前橋高等学校)に勤務。1941年、広島高等師範学校教授に就いた。1949年に学制改革に伴い高等師範学校が広島大学に包摂されることとなったため、1950年より広島大学助教授。1957年に同教授昇格。
野澤 正雄(のざわ まさお、1906年8月26日-1994年… 野澤 正雄(のざわ まさお、1906年8月26日-1994年11月18日[要出典])は、広島県出身の元サッカー選手、日本代表選手(全日本)。野澤晁、野澤信韶は実弟。 同級の手島志郎らと共に広島高等師範学校附属中学(現広島大学附属高校)から1925年、創設間もない旧制広島高校(現広島大学総合科学部)に進学。1926年、東京帝大主催による旧制高校の全国大会、第3回全国高等学校ア式蹴球大会(インターハイ)では、ハーフバック(HB)・主将として1、2年生チームをまとめ準優勝。1928年の第5回大会では優勝に導いた。幅広い動きは当代随一と評され前線の手島らに好パスを供給し、全4試合で合計25得点を挙げる原動力となった。
曻地 三郎(しょうち さぶろう、1906年(明治39年)8月… 曻地 三郎(しょうち さぶろう、1906年(明治39年)8月16日 - 2013年(平成25年)11月27日、旧姓:山本)は、日本の教育者、教育学者。教育学・心理学・精神医学が専門。日本初の知的障害児通園施設しいのみ学園を設立、運営した。 福岡教育大学教育学部教授、韓国社会事業大学(現大邱大学校)教授・大学院長、社会福祉法人しいのみ学園理事長兼園長を歴任。関西大学法学士、広島文理科大学文学博士、九州大学医学博士。福岡教育大学名誉教授、韓国・建陽大学校名誉教授、中国・長春大学名誉教授、上海・華東師範大学名誉教授、モスクワ心理教育大学名誉教授。大韓民国国民勲章受章、ペスタロッチー教育賞受賞。吉川英治文化賞受賞。
川村 智治郎(かわむら としじろう、1906年3月7日 - … 川村 智治郎(かわむら としじろう、1906年3月7日 - 2003年1月27日)は、両生類の研究者。第3代広島大学学長。 滋賀県生まれ。(旧制)広島文理科大学に進学、広島文理科大学時代の指導教官は阿部余四男教授で、卒業論文はウズラに関する内容であった。1933年(昭和8年)に同大学を卒業後、同大学助手・講師、京都帝国大学講師、広島文理科大学助教授を務めた。 1935年(昭和10年)9月から翌年3月までの半年間、広島高等師範学校の動物の授業を担当した。 1947年(昭和22年)12月6日、広島県内に昭和天皇の戦後巡幸があった際には、厳島に宿泊していた昭和天皇に召し出されて「両生類における実験発生学的研究」について奏上する機会を得た。
伍堂 輝雄(ごどう てるお、1906年(明治39年)1月1日… 伍堂 輝雄(ごどう てるお、1906年(明治39年)1月1日 - 1993年(平成5年)12月16日)は、広島県安芸郡下蒲刈島三之瀬出身の実業家、弁護士。元日本航空(JAL)会長。 1906年、弁護士の永野法城の五男、永野輝雄として出生。日本有数の閨閥地図を作り上げたといわれた"永野六兄弟"の一人となった。 海軍中将だった伍堂卓雄に養子入りし、広島高等師範学校附属小学校・中学校(現・広島大学附属小学校、広島大学附属中学校・高等学校)、第六高等学校を経て、東京帝国大学卒業。卒業後、岩田寅造法律事務所に勤務。1933年、日本鋼管顧問弁護士。 昭和鋼管勤務、鉄道大臣秘書官を経て1941年日本鋼管に入社。
友田 三八二(ともだ みやじ、1905年8月22日 - 20… 友田 三八二(ともだ みやじ、1905年8月22日 - 2002年2月9日)は、日本の経営者、工学博士。横河電機製作所(現在の横河電機)社長を務めた。広島県出身。 1927年に広島高等工業学校電気工学科を卒業し、同年に横河電機製作所(現在の横河電機)に入社。1940年7月に取締役に就任し、1949年12月に常務、1960年11月に副社長を経て、1966年11月に社長に就任し、1971年6月までに務めた。 1958年4月に紫綬褒章を受章し、1975年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2002年2月9日肺炎のために死去。96歳没。
広田 精一郎(ひろた せいいちろう、1905年1月25日 -… 広田 精一郎(ひろた せいいちろう、1905年1月25日 - 1993年8月2日)は、日本の経営者。 福岡県遠賀郡遠賀町出身。1927年に広島高等工業学校を卒業し、同年に東洋レーヨン(のちの東レ)に入社。 名古屋、滋賀での各工場長を務め、1956年に取締役に就任し、1963年に副社長に就任し、1966年から1971年までに社長を務めた。 1968年に藍綬褒章を受章。 1993年8月2日急性心不全のために死去。88歳没。
池谷 敏雄(いけや としお、1904年9月 - 1990年1… 池谷 敏雄(いけや としお、1904年9月 - 1990年12月19日)は、英文学者。 静岡県浜松市生まれ。1927年広島高等師範学校(現・広島大学)英文科卒、東京府立第五中学校(現・東京都立小石川高等学校)教諭、東京都立日比谷高等学校教諭、桜美林大学教授。1985年中京大学教授。ジョン・バニヤン『天路歴程』を翻訳した。
小川 二郎(おがわ じろう、1904年〈明治37年〉2月6日… 小川 二郎(おがわ じろう、1904年〈明治37年〉2月6日 - 1981年〈昭和56年〉5月22日)は、日本の英文学者。文学博士。広島大学名誉教授。ノートルダム清心女子短期大学教授。龍谷大学教授。 大阪府大阪市出身。甚之丞の二男。1926年、広島高等師範学校卒業。和歌山県立海草中学校教諭となる。1934年、広島文理科大学英文科卒業。1942年、広島文理科大学助教授となる。1950年、ウィリアム・ブレイク「無心と経験の歌」研究で広島大学文学博士。1951年、広島大学教授に就任。1967年、定年退官する。 英国ロマン派の詩が専門。宗教は仏教。趣味は随筆、油絵、詩歌。住所は広島県安佐郡安古市町相田(現・広島市安佐南区相田)、広島市牛田本町。
清水 文雄(しみず ふみお、1903年(明治36年)6月6日… 清水 文雄(しみず ふみお、1903年(明治36年)6月6日 - 1998年(平成10年)2月4日)は、熊本県出身の国文学者。和泉式部など中古文学・中世文学の研究で有名。作家・三島由紀夫の才能を見出したことで知られる。 1932年(昭和7年)、広島文理科大学卒業。1933年(昭和8年)、蓮田善明や栗山理一、池田勉と共に「国文学試論」を発行。1938年(昭和13年)、蓮田たちと共に「文藝文化」創刊。 1938年(昭和13年)、国語教師として旧制成城高校から学習院に赴任。1939年(昭和14年)、当時中等科3年生だった平岡公威(三島由紀夫)に、国文法と作文を教える。1940年(昭和15年)、寄宿舎の星雲寮舎監。
西内 雅(にしうち ただし、1903年 - 1993年4月1… 西内 雅(にしうち ただし、1903年 - 1993年4月19日)は、日本の歴史学者。 高知県生まれ。高知第一中学校卒業。一時期マルクス主義やアナーキズムに傾倒。代用教員を経て、広島文理科大学数学科卒業。和暦および暦法研究の過程で、谷秦山(渋川春海の弟子)の土佐勤皇思想(土佐南学)に接し、皇国史観にのめり込む。平泉澄(当時東京帝国大学教授)が開いた青々塾の門下生となり、皇国史観で著名な「平泉学派」のイデオローグの一人とみなされるに至る。 広島文理大研究生、陸軍士官学校嘱託教官を経て陸軍教授(1933年以降青々塾門下生が次々に陸海軍学校の教官に迎え入れられている)。のち、総力戦研究所所員(思想担当教官)として同所研究生等に「皇国思想」を教授するが、当時の日本の各界の若手エリートからなる同所研究生の間では時代錯誤的であるとして評判が悪かったといわれる。
佐藤 井岐雄(さとう いきお、1902年〈明治35年〉11月… 佐藤 井岐雄(さとう いきお、1902年〈明治35年〉11月22日 - 1945年〈昭和20年〉8月11日)は日本の生物学者。サンショウウオを中心とする両生類研究の世界的権威であった。 岐阜県郡上郡奥明方村(現・郡上市)に生まれる。命名の由来は、父の出身地・岐阜県の「岐」と母の出身地福井県の「井」にちなむ。 奈良県の中学を卒業したのち広島高師に入学し長野県の自然誌を研究[要出典]、高師卒業後は長野県で中学校教諭として勤務した。その後旧制広島文理科大学(現在の広島大学)に入学、阿部余四男教授に師事した(のち佐藤は自分が確認した新種のサンショウウオに命名する際、恩師の名にちなみ「アベサンショウウオ」とした)。
野村 幸祐(のむら こうすけ、1902年 <明治35年> 1… 野村 幸祐(のむら こうすけ、1902年 <明治35年> 1月25日 - 1991年 <平成3年> 4月27日)は、日本の経営者。山口放送社長を務めた。[要出典]位階は従四位。 山口県出身。広島高等師範学校を経て、1933年に広島文理大学史学科を卒業。朝鮮総督府、兵庫県、文部省で教学官や史学官を務め、広島文理大学事務官、広島高等師範学校教授、佐賀青年師範学校校長を歴任し、1949年4月に山口県教育委員会委員長に就任。1956年3月には県内初の民間放送局として設立されたラジオ山口(現在の山口放送)に入社し、社長に就任。1987年6月には会長に就任。会長在職中の1988年にはドキュメンタリーのディレクターとして評価の高かった磯野恭子の、民放初の女性取締役抜擢にも尽力した。
舟越 康寿(ふなこし やすじゅ、1901年12月13日 - … 舟越 康寿(ふなこし やすじゅ、1901年12月13日 - 1971年6月27日)は、日本の経済学者、歴史学者。 鳥取県日野郡生まれ。1921年、鳥取師範学校卒。1925年3月に廣島高等師範学校を卒業。このころ、名字を岡と改める。同年、岐阜県立大垣高等女学校教諭、1927年広島県立府中中学校教諭、1929年から1933年3月まで熊本県立御船中学校教諭。同年4月に廣島文理科大学入学。卒業論文「メロヴィング朝に於ける土地制度の発達」をまとめ、1936年3月同大学西洋史学科を卒業し、同大学副手として西洋史学教室勤務ののち、1940年文部省図書監修官補となる。その後、文部省民族研究所嘱託を経て、1945年に立命館専門学校講師、1946年に同校教授。
土井美夫(どい よしお、1901年 - 1986年)は日本の… 土井美夫(どい よしお、1901年 - 1986年)は日本の植物学者である。 広島県尾道市出身、広島高等師範学校付属臨時教育育成養成所を卒業し、鹿児島県、広島県で中学、高校の教員を務めた。鹿児島県旧制伊集院中学の教員、教頭時代などに多くの新種の植物を採集した(沖縄、台湾等でも採取を行った)。鹿児島を訪れた天皇へご進講した。後に、広島県山中女子師範学校等に勤務。原爆投下時、2.5㎞地点で被爆した。長年にわたり採集、分類した多くの標本は、広島大学の宮島分所に保管されている。著書に、『薩摩植物誌』(文明堂書店、1926年-1931年)、『広島県植物目録』(博新館、1983年)(広島県の植物目録として、初期のものである。
高城 憲夫(たき のりお、1900年1月1日 - 1987年… 高城 憲夫(たき のりお、1900年1月1日 - 1987年3月14日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(1期)、枕崎市長。その後、幼稚園を経営。 鹿児島県川辺郡東南方村(現・枕崎市)出身。鹿児島県師範学校(現鹿児島大学教育学部)卒業。1919年東南方村桜山小学校に赴任。次に勤めた鹿児島県第二師範学校付属小学校での保守的な教育方針に反発し一度学校を去り、上京して国語と漢文の文検を受け中等学校教員の資格を取得。旧制鹿児島県立鹿屋中学校(現鹿児島県立鹿屋高等学校)教諭の後、1934年広島文理科大学(現広島大学)史学科を卒業。卒業後、香川県女子師範学校教諭兼付属小学校主事、鹿児島県女子師範学校教諭兼付属小学校主事、同小学校の教頭、校長、事務取扱を経て、1942年4月旭川師範学校校長に就任。
友近 美晴(ともちか よしはる、1899年(明治32年)11… 友近 美晴(ともちか よしはる、1899年(明治32年)11月16日 - 1980年(昭和55年)3月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 愛媛県出身。呉服卸商・友近彦次郎の三男として生まれる。広島高等師範学校附属中学校(現広島大学附属中学校・高等学校)、広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野戦重砲兵第4連隊付となる。1923年(大正12年)12月、陸軍砲工学校高等科(29期)を卒業した。陸軍野戦砲兵学校付などを経て、1928年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を卒業し野戦重砲兵第4連隊中隊長に就任。
小倉豊文(おぐら とよふみ、1899年8月20日 - 199… 小倉豊文(おぐら とよふみ、1899年8月20日 - 1996年6月10日)は、日本の日本史・日本文学研究者、広島大学名誉教授。 千葉県市川真間に生まれる。野田小学校から千葉師範学校を経て広島高等師範学校を卒業。奈良女子高等師範学校教官の後、広島文理科大学を卒業し、姫路高等学校教授を経て広島文理科大学助教授となる。1945年に広島市への原子爆弾投下により被爆、妻を失う。教授に昇任した後、学制改革に伴う大学の改組で広島大学教授に就任。1965年に定年退官し、名誉教授となる。広島大学を退いた後は親和女子大学教授を務めた。 被爆死した妻・文子への私信の形をとる被爆体験記『絶後の記録』を著したことで知られる。
皇 至道(すめらぎ しどう、1899年(明治32年)6月19… 皇 至道(すめらぎ しどう、1899年(明治32年)6月19日 - 1988年(昭和63年)9月27日)は、日本の教育学者。専門は教育行財政学。長年にわたり、多くの教育者、教育学者を育成した。1973年(昭和48年)に勲二等瑞宝章を受章。 元テレビ朝日プロデューサー・皇達也は長男。弟に、東北大学名誉教授、のち玉川大学文学部長を務めた皇晃之(名は、きらゆき。1908年 - 2004年)がいる。こちらも専門は教育行財政学。 滋賀県愛知郡湖東町(現・東近江市)出身。広島高等師範学校、広島文理科大学卒業。広島高等師範学校講師、広島文理科大学教授、広島大学教育学部教授、同教育学部長(連続5期)を経て、1963年(昭和38年)、森戸辰男の後を継ぎ、第2代学長に就任した。
佐々木 丙二(ささき へいじ、1899年(明治32年)3月1… 佐々木 丙二(ささき へいじ、1899年(明治32年)3月15日 - 1945年(昭和20年)9月1日)は、日本海軍の軍人。海軍兵学校48期。太平洋戦争末期のミンダナオ島防衛戦において、第32特別根拠地隊ザンボアンガ派遣隊長兼第33警備隊副長として戦死。最終階級は海軍中佐。五・一五事件を契機に予備役に編入され、満州国軍政部に籍を置いた時期もあった。 広島県広島市出身。代々広島藩の上士の家系。広島高等師範学校附属中学校(現:広島大学附属中学校・高等学校)を卒業し、1917年(大正6年)江田島の海軍兵学校(48期)に進んだ。卒業直前に、宮中御内儀として明治天皇の皇后(昭憲皇太后)に仕えた叔母マチと養子縁組した。
三好 康之(みよし やすゆき、1898年(明治31年)8月1… 三好 康之(みよし やすゆき、1898年(明治31年)8月12日 - 1989年(平成元年)11月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 広島県出身。広島地裁判事・三好康親の息子として生まれる。広島高等師範学校附属中学校(現広島大学附属中学校・高等学校)卒業を経て、1919年(大正8年)5月、陸軍士官学校(31期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第42連隊付となる。1922年(大正11年)12月、歩兵中尉に昇進。1923年(大正12年)2月から10月まで、陸軍航空学校で操縦学生として学んだ。1923年11月、飛行第3大隊付となる。1925年(大正14年)5月、兵科を航空兵に転科し航空兵中尉に任官し飛行第3連隊付となる。
井上 孝太郎(いのうえ こうたろう、1898年3月29日 -… 井上 孝太郎(いのうえ こうたろう、1898年3月29日 - 1984年5月23日)は、日本の教育者。 井上為三郎の三男として福岡県に生まれる。1933年東京文理科大学(東京教育大学文学部・理学部の前身)数学科を卒業。 1949年4月より1958年3月まで福岡県立修猷館高等学校館長(校長)を務め、小倉市(現・北九州市)の常盤高等学校校長を経て、1960年11月より1963年1月まで純真女子高等学校(現・純真高等学校)校長、および純真女子短期大学(現・純真短期大学)学長に就任する。その間、1961年1月福岡県教育委員に挙げられ、後に同委員長を務める。 その後、精華女子短期大学学生部長、福岡家庭裁判所調停委員などを務めた。
田口 正治(たぐち まさはる、1898年(明治31年) - … 田口 正治(たぐち まさはる、1898年(明治31年) - 1978年(昭和53年))は、日本思想史学者、大分大学名誉教授。 1933年(昭和8年)広島文理科大学漢文学専攻卒業。大分師範学校教授、大分大学教授。1961年(昭和36年)定年退官、名誉教授。1962年(昭和37年)「玄語稿本之研究」で九州大学文学博士。三浦梅園を研究、梅園学会会長を務めた。
清水 盛明(しみず もりあき / もりあきら、1896年〈明… 清水 盛明(しみず もりあき / もりあきら、1896年〈明治29年〉8月24日 - 1979年〈昭和54年〉4月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 愛知県出身。久留米で陸軍少佐・清水盛次の長男として生まれる。広島高等師範学校附属中学校(現広島大学附属中学校・高等学校)、広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業。同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第14連隊付となる。1920年(大正9年)11月、陸軍砲工学校高等科(26期)を卒業。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業した。 1926年(大正15年)3月、砲兵大尉に昇進し野砲兵第3連隊中隊長に就任。
石橋 犀水(いしばし さいすい、1896年〈明治29年〉1月… 石橋 犀水(いしばし さいすい、1896年〈明治29年〉1月9日 - 1993年〈平成5年〉2月15日)は日本の書家、書道教育家。本名は啓十郎。新吉富村名誉村民。正五位。文学博士。公益財団法人日本書道教育学会会長で書家の石橋鯉城は息子、書家の松本子游は娘、書家の松本筑峯は女婿(子游の夫)。 日下部鳴鶴・西川萱南・比田井天来に師事し、戦後は財団法人日本書道教育学会を設立するなど、書道教育の確立に尽力した。楊守敬が日下部鳴鶴を介して日本に伝えた廻腕法(廻腕執筆法)を受け継いだ。東京美術学校講師。新潟大学書道科初代教授。昭和を代表する書家であり、書道教育の第一人者である。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。