難波 平人(なんば ひらと、1941年- )は、山口県出身の… 難波 平人(なんば ひらと、1941年- )は、山口県出身の洋画家、教育者。二紀会委員・監事、広島大学名誉教授。中国文化賞を受賞。 1941年に山口県熊毛郡上関町白井田に生まれる。1964年には広島大学教育学部美術科を卒業する。翌年には同大学の研究生を修了。後に広島大学大学院教育学研究科造形芸術教育学講座の教授として後身を育成する。2004年、広島大学退官記念の作品展を東京芸術劇場、広島県民文化センターで開催。 現在は、二紀会委員、広島大学名誉教授、日本美術家連盟会員、中国新聞情報文化センター講師、NHK文化センター講師を務め、波の会を主催している。 1975年に第18回安井賞展に出品し、受賞候補となる。
上地 安昭(うえち やすあき、1940年11月3日 - 20… 上地 安昭(うえち やすあき、1940年11月3日 - 2018年5月14日)は、日本の心理学者・カウンセラー。兵庫教育大学名誉教授。 沖縄県国頭郡宜野座村出身、大阪府大阪市生まれ。1963年琉球大学法文学部心理学科卒、1969年広島大学大学院教育学研究科博士後期課程単位取得退学、1986年「青年期心理療法の技法論的研究 時間制限心理療法の理論と技法を中心に」で広島大学教育学博士。 1969年広島大学教育学部助手。1981年同保健管理センター助教授。1988年兵庫教育大学教授となり、2006年定年退官、名誉教授、武庫川女子大学教授。 臨床心理士、認定カウンセラー、認定スーパーバイザーの資格を有し、大学カウンセラー、医療カウンセラー、スクールカウンセラーとして40数年間、カウンセリング実践に携わる。
今石 元久(いまいし もとひさ、1940年9月10日- )は… 今石 元久(いまいし もとひさ、1940年9月10日- )は、日本の言語学者。学位は、文学博士(広島大学・論文博士・1998年)(学位論文「日本語音声の実験的研究 」)。広島女子大学名誉教授。 岡山県の中国山地内の山村(現・真庭市)に生まれる。広島大学教育学部卒、同大学院博士課程満期退学。藤原与一に師事。広島女学院大学講師、鳥取大学教育学部講師、助教授、鳴門教育大学教授、広島女子大学教授、県立広島大学教授、2006年定年退官、名誉教授。1998年、学位論文「日本語音声の実験的研究 」で広島大学より文学博士の学位を取得。音響分析を行い日本方言における「言語素地」を探る。音響分析ソフト「音声録聞見」についてパソコンで使えるようフリー化している。
稲田 利徳(いなだ としのり、1940年〈昭和15年〉6月 … 稲田 利徳(いなだ としのり、1940年〈昭和15年〉6月 - )は、日本の国文学者。専攻は中世文学。学位は、文学博士(広島大学・1979年)(学位論文「正徹の研究 中世歌人研究」)。岡山大学名誉教授。 愛媛県生まれ。1963年広島大学文学部国文科卒。1968年同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1976年日本古典文学会賞受賞、1979年「正徹の研究 中世歌人研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。広島大文学部助手、岡山大学教育学部助教授、教授、2005年定年退任、名誉教授。2005年『西行の和歌の世界』で角川源義賞受賞。2020年、瑞宝中綬章受章。
松田 文子(まつだ ふみこ、1940年5月7日 - )は、日… 松田 文子(まつだ ふみこ、1940年5月7日 - )は、日本の心理学者。学校法人福山大学副理事長。福山大学人間文化学部心理学科元教授、同学元学長、同学元顧問。広島大学名誉教授。 広島県広島市生まれ。1963年3月、広島大学教育学部心理学科卒業。1971年3月、同大学大学院教育学研究科教育心理学専攻博士課程後期修了。 広島女子大学児童学科助教授、鳴門教育大学学校教育学部教授を経て、1993年4月に広島大学教育学部教授に就任。2001年4月、同大学大学院教育学研究科教授。 2004年4月、福山大学人間文化学部教授。2009年4月、同大学副学長に就任。2010年6月、同大学学長に就任。2021年4月、同大学顧問に就任。
北浦 昭義(きたうら あきよし、1940年〈昭和15年〉4月… 北浦 昭義(きたうら あきよし、1940年〈昭和15年〉4月10日 - )は、日本の俳優。本名同じ。身長174cm。芸映所属。柔道二段。 長崎県生まれ、広島県広島市育ち。1945年5歳の夏、広島市の爆心地から1.9キロ南の自宅で被爆。軽い火傷だけで一命を取りとめる。被爆者手帳を持つ。広島大学附属高等学校から一橋大学を目指すが失敗し、一浪後、日本大学芸術学部演劇科に入り同大学卒。在学中の1966年、森繁久彌主演の東宝「駅前シリーズ」『喜劇 駅前競馬』でデビューした。以降、様々な映画やテレビで地味な役に徹した。役柄はサラリーマン、刑事、教師、酒場のマスターなどが多く、1980年代に"中年男の哀愁を演じる俳優"としてマスメディアに取り上げられた。
鎌倉 矩子(かまくら のりこ、1939年9月29日 - 20… 鎌倉 矩子(かまくら のりこ、1939年9月29日 - 2023年6月16日)は、日本の医学者。学位は、医学博士。広島大学名誉教授。長野県諏訪郡原村出身。 1958年長野県諏訪二葉高等学校卒業。1962年東京大学医学部衛生看護学科卒業。教授の「日本には今後リハビリテーション医療が必要になる」との言葉で進路を決め、日本肢体不自由児協会整肢療育園に就職。東京大学医学部附属病院技官、東京都老人総合研究所主任研究員、東京都立医療技術短期大学教授、広島大学医学部保健学科教授、国際医療福祉大学大学院教授などを歴任。その業績は、発達障害、高次脳機能障害、上肢機能など多岐に渡る。 1976年、東京大学から医学博士の学位を取得。
大竹 美喜(おおたけ よしき、男性、1939年5月14日 -… 大竹 美喜(おおたけ よしき、男性、1939年5月14日 - )は、日本の実業家。アメリカンファミリー生命保険(AFLAC)日本支社設立者、元日本における代表者・社長・最高顧問。日本における外資系生命保険・がん保険の草分け。広島県庄原市出身。 中国山地豪雪地の農家の生まれ。広島県立庄原実業高校在学中は、サッカー部を創設するなどスポーツ少年だった。広島農業短期大学(現県立広島大学)卒業後、市長から農村の指導者になって欲しいと頼まれ、1960年に畜産技師を目指し米国に留学。ところが帰国した時は高度成長期の最中で農業は衰退しかかっており、転換期で諦め、地元選出の代議士・永山忠則(元自治大臣)の秘書となる。
大島 治男(おおしま はるお、1939年5月7日 - )は、… 大島 治男(おおしま はるお、1939年5月7日 - )は、広島県出身のサッカー選手。元サッカー日本代表。 現役時代は、小柄ながら抜群のボールコントロールを持ち合わせた選手。 中学からサッカーを初め、広島サッカー御三家であった広島大学附属高校に入学。鬼武健二、高重清純、丹羽洋介、野村尊敬、桑田隆幸らとプレーしている。 高校卒業後、東洋工業(現マツダ)に入社、東洋工業蹴球部(現サンフレッチェ広島)に所属する。1962年の全日本実業団サッカー選手権大会優勝に貢献、1965年にJSLが始まると、初年度には岡光龍三、松本育夫、桑田隆幸、桑原楽之、中村勤らとともにFWの一員として東洋工業無敗優勝に貢献、1960年代後半の黄金期のメンバーとして活躍した。
石井 義信(いしい よしのぶ、1939年3月13日 - 20… 石井 義信(いしい よしのぶ、1939年3月13日 - 2018年4月26日)は広島県福山市出身の 元日本代表サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 元フジタ工業(旧、藤和不動産/現、湘南ベルマーレ)監督、元日本代表監督。2001年よりFC東京アドバイザー。 福山市立西小学校–福山市立城北中学校–福山葦陽高等学校卒。石井らの時代に広島でサッカーが盛んだったのは広島市内だけで、福山の高校にサッカー部があったのは葦陽高校と広島大学福山分校の二校だけだった。当時の葦陽高校のグラウンドは福山城下にあり、野球、ラグビー、サッカー、陸上と共用で狭く、生徒総会で野球、ラグビー、サッカーのどのボールが一番危ないかの投票があり、断然野球が多く、野球部が潰れたという。
高市 順一郎(たかち じゅんいちろう、1939年3月7日 -… 高市 順一郎(たかち じゅんいちろう、1939年3月7日 - )は、詩人、英米文学者、桜美林大学名誉教授。 徳島県生まれ。本名・岡順寛(よしひろ)。1964年広島大学大学院英文科修士課程修了、弘前大学教養部助教授。79‐80年ケンブリッジ大学客員研究員、92‐93年米国イェール大学大学院客員研究員。桜美林大学教授。2000年「ド・マン/ブルーム/デリダ 文学理論と究極の決定」で筑波大学文学博士。桜美林大を2009年定年退任、名誉教授。小山順一郎、ジョシュア・タカチの筆名を用いる。
倉田 侃司(くらた かんじ、1938年11月26日 - )は… 倉田 侃司(くらた かんじ、1938年11月26日 - )は、日本の教育学者。 広島県呉市生まれ。1961年広島大学教育学部小学校教育専攻卒、1963年同大学院教育行政学修士課程修了。広島大学教育学部附属三原小学校教諭、鈴峯女子短期大学講師、助教授、広島文教女子大学教授、広島経済大学教授。2007年退任。
生田 義和 (いくた よしかず 1938年10月5日 - 2… 生田 義和 (いくた よしかず 1938年10月5日 - 2023年1月27日)は、日本の医学者。元広島大学病院病院長、広島大学名誉教授、元日本手外科学会理事長。専門は、手の外科を中心としたマイクロサージャリー(英語版、ドイツ語版、ベラルーシ語版、ギリシア語版)(顕微鏡を使用する手術)、手や指の怪我の治療、切断された指や腕の再接着など。
金田 晉(かなた すすむ、1938年7月15日 - )は、日… 金田 晉(かなた すすむ、1938年7月15日 - )は、日本の美学者。広島大学名誉教授。蘭島閣美術館名誉館長。専門は現象学的美学、造形美学の現象学。元広島県博物館協議会会長。 大阪府出身。大阪府立三国丘高等学校を経て、1962年東京大学文学部美学美術史学科卒業。1969年同大学院美学専攻博士課程単位修得退学。2004年「形態と価値の現象学-フッセルの美学思想を弾機として-」で東京大学文学博士。1969年広島大学教養部講師、1974年同総合科学部助教授、1983年教授。2000年定年退官、名誉教授、東亜大学総合人間・文化学部教授・同学部長、特任教授、広島大学監事。ひろしま美術館理事。財団法人蘭島文化振興財団顧問。
佐伯 道子(さえき みちこ、1938年4月 - 1974年5… 佐伯 道子(さえき みちこ、1938年4月 - 1974年5月22日)は、日本の歌人・登山家。 大分県南海部郡上野町生まれ。大分県立別府鶴見丘高等学校卒、1960年広島大学教育学部国語科卒、萩原朔太郎で卒論を書く。在学中から登山を始める、1960年10月、増永迪男と結婚し、福井市に住む。短歌を作る。登山中に転落し死亡。 この項目は、探検家や冒険者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
源氏田 重義(げんじだ しげよし、1938年1月17日 -… 源氏田 重義(げんじだ しげよし、1938年1月17日 - 2002年5月14日)は日本の大蔵官僚。大臣官房審議官(関税局担当)、印刷局長、大和銀行副頭取などを歴任。血液型はA型。 広島県広島市出身(父母も広島県)。広島大学附属高等学校、東京大学法学部卒業。1961年4月 大蔵省入省(主税局調査課)。イリノイ大学留学。1967年7月 山口税務署長。その後は国税庁直税部資産税課長補佐、派遣職員(アジア開発銀行)、主計局主計官補佐(司法・警察係主査)、大阪税関総務部長、内閣官房長官秘書官(事務担当)などを務める。1978年12月 大臣官房企画官。1979年4月 大臣官房参事官。同年7月 主税局国際租税課長。
高杉 弘之(たかすぎ ひろゆき、1938年(昭和13年) -… 高杉 弘之(たかすぎ ひろゆき、1938年(昭和13年) - )は、日本の教育者である。国立特殊教育総合研究所研究員として勤務した後、広島大学教育学部教授となる。障害児教育を研究分野としていた。岡山県真庭市出身。 1938年(昭和13年)岡山県阿賀郡呰部村(現:真庭市)の高杉家に出生する。地元に近い岡山県立高梁高等学校へ進学する。同期には、ノンフィクション作家になる河内洋輔がいる。その後、1957年(昭和32年)に同校を卒業する。 その後、東京大学へ進学する。同大学文学部で学び、1962年(昭和37年)に同大学を卒業する。その後、東京大学大学院人文社会系研究科へ進学する。ここで、日本において盲ろう教育の草分的な存在であった梅津八三名誉教授が高杉の指導教官となる。
鈴木 肇(すずき はじめ、1938年 - )は、元NHK「シ… 鈴木 肇(すずき はじめ、1938年 - )は、元NHK「シルクロード」取材団長。 三重県生まれ。1961年広島大学卒業後、NHKに入局。1967年ドキュメンタリー第一作「子牛誕生」を製作、1969年東京勤務以後、「新日本紀行」、「明治の群像 海に火輪を」(1975年)など一貫してドキュメンタリー番組の制作を手がけ、1979~81年の「NHK特集 シルクロード」では取材団団長を務め、80年には司馬遼太郎と会い、楼蘭で女性のミイラを発掘した。80年井上靖との共同取材で菊池寛賞受賞。1995年定年退職。京都造形芸術大学教授、南京広播学院教授などを歴任。
長谷川 滋成(はせがわ しげなり、1938年- )は、日本の… 長谷川 滋成(はせがわ しげなり、1938年- )は、日本の漢文学者、広島大学・尾道大学名誉教授。 1938年、山口県生まれ。広島大学文学部に入学し、中国語学ならびに中国文学を専攻した。同大学大学院修士課程を修了。 卒業後は、広島大学附属中学校・高等学校教諭となった。その後、兵庫教育大学助教授、母校の広島大学教育学部教授をつとめた。2002年、広島大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は尾道大学教授として教鞭をとったが、2009年に退職し、名誉教授となった。
高橋 啓(たかはし はじめ、1938年 - )は、日本の歴史… 高橋 啓(たかはし はじめ、1938年 - )は、日本の歴史学者。広島大学大学院文学研究科修士課程修了。専門は日本近世史。徳島県出身。 1963年(昭和38年)に広島大学大学院文学研究科修士課程修了。 鳴門教育大学教授を経て2004年(平成16年)4月1日から2010年(平成22年)3月31日まで同大学の学長を務めた。2016年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
浜本 純逸(はまもと じゅんいつ、1937年(昭和12年)1… 浜本 純逸(はまもと じゅんいつ、1937年(昭和12年)11月28日 - )は、日本の教育学者、国語教育学者。神戸大学名誉教授。 愛媛県今治市生まれ。1960年広島大学教育学部卒業、1962年同大学大学院教育学研究科修士課程修了、1967年同大学院博士課程単位取得退学。1969年福岡教育大学講師、1971年同助教授、1979年神戸大学教育学部教授。1984年「ロシア・ソビエトにおける文学教育の成立と発展に関する研究」で広島大学教育学博士。2001年神戸大学を定年退官、名誉教授、鳥取大学教育学部教授。2003年早稲田大学教育学部特任教授。 1981年石井賞(全国大学国語教育学会)、1998年大村はま賞(大村はまの会)、2002年教育研究賞(日本教育研究連合会)をそれぞれ受賞した。
中野重人(なかの しげと、1937年9月15日 - )は、日… 中野重人(なかの しげと、1937年9月15日 - )は、日本の文部官僚、教育学者。 鹿児島県生まれ。広島大学教育学部公立小中学校教員養成課程卒。公立中学校教員、1969年広島大大学院修士課程修了、宮崎大学教育学部講師、助教授を経て、1979年文部省教科調査官となる。1989年の学習指導要領の改訂に従事し、小学校低学年に生活科が新設されたことに伴い、初代の生活科担当の教科調査官となる。91年文部省視学官、95年国立教育研究所教科教育研究部長、2000年日本体育大学教授。2008年退任。ゆとり教育の推進・擁護者でもある。
中本環(なかもと たまき、男性、1937年8月15日- )は… 中本環(なかもと たまき、男性、1937年8月15日- )は、日本文学研究者。 広島県呉市生まれ。広島大学文学部国文科卒、同大学院博士課程満期退学、尾道短期大学講師、比治山女子短期大学助教授、熊本大学教育学部助教授、教授、2003年定年退官。文学雑誌『町塾』を刊行する。光村図書の小中学校国語教科書の編纂にも携わった。
碓井 静照(うすい しずてる、1937年5月29日 - 20… 碓井 静照(うすい しずてる、1937年5月29日 - 2012年5月9日)は、日本の医師及び作家。
伊藤 修令(、1937年3月7日 - )は、日本の技術者。広… 伊藤 修令(、1937年3月7日 - )は、日本の技術者。広島県竹原市出身。 1959年、広島大学工学部機械工学科卒業。同年4月、プリンス自動車の前身の富士精密工業に入社。 主にスカイライン(ALSID II型 - S50型系)のシャーシ設計を担当。日産自動車との合併後も、スカイライン、ローレル、レパード(F30型、F31型)の開発に参画。1982年1月からはプレーリー(主管)、マーチK10型(主管)などの開発を担当。 1984年には、初代からスカイラインの開発に携わり、2代目から同車の開発主管を一貫して務めていた桜井眞一郎が病に倒れて入院したことにより、旧・プリンス時代からの桜井の後輩で一番弟子であり、共に車両開発に携わっていた伊藤が、急遽、他車種の開発主管から異動してスカイラインの開発主管を引き継ぐことになった。
林 忠幸(はやし ただゆき、1937年 - )は、日本の教育… 林 忠幸(はやし ただゆき、1937年 - )は、日本の教育学者、福岡教育大学名誉教授。専門は教育哲学、道徳教育。 福岡県生まれ。1960年福岡学芸大学教育学部小学校教員養成課程卒業、1968年広島大学大学院教育学研究科博士課程教育哲学専攻単位取得満期退学。1978年西ドイツ・マールブルク大学留学。 1960-1965年福岡県公立小学校教諭、福岡教育大学助手、講師、助教授、教授、2000年定年退官、名誉教授、神戸親和女子大学発達教育学部教授。2007年退職。2018年春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。
原田 彰(はらだ あきら、1937年 - )は、日本の教育社… 原田 彰(はらだ あきら、1937年 - )は、日本の教育社会学者、広島大学名誉教授。 朝鮮慶州生まれ。広島大学大学院教育学研究科博士課程単位取得期退学(教育社会学専攻)。四国女子大学助教授、1974年同志社大学助教授、1979年徳島大学教授、1985年鳴門教育大学教授、1991年広島大学教授、2001年名誉教授、広島文化学園大学教授。1985年「デュルケームの教育理論 学校教育への社会学的アプローチ」で広島大学教育学博士。
越智 道雄(おち みちお、1936年11月3日 - 2021… 越智 道雄(おち みちお、1936年11月3日 - 2021年5月26日)は、日本の英語圏政治/文化研究者、翻訳家。明治大学名誉教授。 愛媛県今治市出身。1965年広島大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学、1966年玉川大学文学部助教授、1970年明治大学商学部助教授、1975年教授、2007年定年退職、名誉教授。 1983年にザヴィア・ハーバート「かわいそうな私の国」で日本翻訳出版文化賞、1987年にローズマリー・ハリス「遠い日の歌が聞こえる」翻訳で産経児童出版文化賞受賞。 多元文化国家アメリカ論で多数の著書がある。他にオーストラリアを中心にカナダ・ニュージーランド・南アを含めた「英語圏新世界諸国」をアメリカとエコーさせる視点での論考、アメリカを中心とする多数の翻訳に加えて、児童文学・ミステリ・SFの翻訳がある。
根平 邦人(ねひら くにと、1936年9月6日 - 2026… 根平 邦人(ねひら くにと、1936年9月6日 - 2026年3月8日)は、日本の植物学者、自然科学者、理学博士。広島大学及び広島経済大学名誉教授。現在放送大学客員教授、実践生物教育研究会講師でもある。鳥取県境港市出身。広島市西区在住。
武村 重和(たけむら しげかず、1936年2月24日 - )… 武村 重和(たけむら しげかず、1936年2月24日 - )は、日本の教育学者。広島大学名誉教授、日本教科教育学会名誉会長などを務める。2013年に文部科学大臣賞科学技術賞受賞。理科教育が専門。 滋賀県栗太郡葉山村(現在の栗東市)に生まれる。文部省の小学校教育科専門職員、広島大学助教授、教授を歴任。 退官後は国際協力機構(JICA)により教育者としてケニアに赴く。 武村は50代の頃に調査で訪れたコンゴ共和国やチュニジアで、マラリアやコレラに苦しむ子供をみて「衝撃を受けた」という。武村は退職後、1999年から7年にわたり国際協力機構によってケニアに赴いた。現地では、アフリカの中等教育、特に理数系の教育者育成に携わり、1万5000人の理科教師を育てた。
小笠原 道雄(おがさわら みちお、1936年2月12日 - … 小笠原 道雄(おがさわら みちお、1936年2月12日 - )は、日本の教育学者。専門はドイツ教育哲学。広島大学名誉教授。広島文化学園短期大学学長や広島県教育委員会委員長も務めた。著作について複数の盗用が指摘され、2014年以降に出版した著書のうち4冊が絶版処分となっている(後述)。 以下のように、著書の絶版処分が複数発生している。 小笠原の著書での盗用(上述)について詳しく調査した紀要論文。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大槻 和夫(おおつき かずお、1936年2月6日 - )は、… 大槻 和夫(おおつき かずお、1936年2月6日 - )は、日本の国語教育学者。広島大学名誉教授。 京都府天田郡川合村(現福知山市)生まれ。京都府立綾部高等学校卒、1958年広島大学教育学部卒、1965年同博士課程中退、教育学部助手、1967年講師、1970年助教授、1984年教授、1993-1997年附属小学校長、1999年定年退官、名誉教授、安田女子大学教授。 2016年、春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。 (このほかに単著なし)
今中 亘(いまなか わたる、1936年1月20日 - )は、… 今中 亘(いまなか わたる、1936年1月20日 - )は、日本の経営者。中国新聞社社長を務めた。 広島県出身。1959年に広島大学文学部仏文学科を卒業し、同年に中国新聞社に入社した。1992年に取締役、1997年に常務を経て、2000年3月に社長に就任した。2006年3月に顧問に退いた。 2010年4月に旭日重光章を受章。
小川 国治(おがわ くにはる、1936年1月1日 - 202… 小川 国治(おがわ くにはる、1936年1月1日 - 2025年6月15日)は、日本の歴史学者。山口大学名誉教授。専攻は日本史学。 1936年、広島県広島市生まれ。1966年広島大学大学院文学研究科修士課程修了。1968年広島大学大学院文学研究科博士課程(国史学専攻)退学。山口大学教育学部教授、広島大学総合科学部教授、東亜大学大学院教授を歴任。山口大学名誉教授。 2025年6月15日死去。89歳没。
長町 三生(ながまち みつお、1936年 - )は、日本の工… 長町 三生(ながまち みつお、1936年 - )は、日本の工学者。専門は人間工学。学位は、文学博士(1963年)。「感性工学」の日本における創始者である。広島大学名誉教授。2012年瑞宝中綬章受章。 1936年、兵庫県神戸市生まれ。1958年に広島大学教育学部心理学科を卒業、1963年に文学博士の学位を取得し、翌年、広島大学工学部助手となる。1978年、同教授に就任。専門は、人間工学、認知科学。特に、感性工学については、日本におけるパイオニア的な存在である。感性工学の発想を初めて商品開発に導入した人物とされる。そのほか、労務管理、安全工学に関する著作も多い。 広島大学退官に際し名誉教授の称号を贈られ、退官後は、呉工業高等専門学校の第五代校長を経て、広島国際大学人間環境学部長を務める。
木村 収(きむら おさむ、1936年 - )は、日本の地方財… 木村 収(きむら おさむ、1936年 - )は、日本の地方財政学者。専門は地方財政学。 1958年広島大学政経学部卒業。1958年大阪市役所入庁。1976年自治省に出向し、税務局市町村税課課長補佐(1978年大阪市役所復帰)。1983年大阪市財政局次長。1985年大阪市財政局主税部長。1986年大阪市財政局長。1990年大阪市立大学事務局長。1992年大阪市経済局長。1994年大阪市退職。1994年大阪市立大学経済学部教授(1999年退職)。1995年阪南大学経済学部教授。2002年博士。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
吉田 信啓(よしだ のぶひろ、1936年 - 2016年)は… 吉田 信啓(よしだ のぶひろ、1936年 - 2016年)は、日本の考古学者、教員、コラムニスト。 ペトログラフ(岩石文字)研究の第一人者であり、日本ペトログラフ協会の会長。 1936年(昭和11年)、福岡県行橋市で生まれる。 1960年(昭和35年)に広島大学文学部文学科言語学専攻を卒業後、同大学院の英語学英文学専攻を修了した。大学院時代には中国放送のラジオ番組の契約構成作家として学校放送を担当した。 その後、教員免許を取得し、地方公務員の教員となり、広島県立庄原格致高等学校、福岡県立小倉高等学校、福岡県立修猷館高等学校などで英語教諭として37年間勤務し、1997年(平成9年)に定年退職した。
室山 敏昭(むろやま としあき、1936年 - )は、日本の… 室山 敏昭(むろやま としあき、1936年 - )は、日本の言語学者。専門は、生活語彙論・文化言語学。広島大学名誉教授。 鳥取県倉吉市生まれ。1964年、広島大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。ノートルダム清心女子大学助教授、鳥取大学教育学部助教授、広島大学文学部助教授、教授。2000年、定年退官、名誉教授。第21回新村出賞受賞。
松尾 聰(まつお さとし、1935年12月28日 - 202… 松尾 聰(まつお さとし、1935年12月28日 - 2020年7月3日)は、日本の実業家。カルビー代表取締役社長や、代表取締役会長を務めた。一般社団法人グリーン・ファミリー代表理事である。 広島市生まれ。1954年広島県立広島国泰寺高等学校卒業。1958年広島大学工学部卒業。竹林守元マツダ代表取締役会長は高校の同期。カルビー創業者松尾孝の長男で、1987年から第2代カルビー代表取締役社長を務めた。1992年カルビー代表取締役会長。2001年会長退任。一般社団法人グリーン・ファミリー代表理事も務め、2014年には母校広島大学に給付型奨学金・グリーン・ウィング教育奨学金を設立した。2020年没。 カルビー創業者松尾孝は父。
熊井 英水(くまい ひでみ、1935年10月10日 - )は… 熊井 英水(くまい ひでみ、1935年10月10日 - )は、日本の水産学者。近畿大学農学部名誉教授、学校法人近畿大学本部理事。農学博士。近畿大学水産研究所元所長。 長野県塩尻市出身。長野県松本深志高等学校を経て、1958年、広島大学水畜産学部を卒業、近畿大学白浜臨海研究所(現・水産研究所)副手に就任。以来、約半世紀にわたり、一貫して魚類の養殖にたずさわる。数々の海産魚の完全養殖に成功したほか、交雑魚の研究でも成果をあげた。1983年同農学部教授。1991年から2008年まで同水産研究所所長。 2002年には、研究チームのリーダーとして、難しいと思われていたクロマグロの完全養殖を成功に導いた。世界初の成果である。
小割 まさ江(こわり まさえ)(1935年8月7日 - )は… 小割 まさ江(こわり まさえ)(1935年8月7日 - )は、日本のジャズ歌手である。 広島県呉市出身、広島大学附属中学校卒業、血液型はA型。小割には1人の兄、4人の姉がおり、海軍で仕事をしていた父・権之助、母・益代のもと、1935年に5人兄弟の末っ子として生まれる。小学生時代、青い鳥児童合唱団に所属し、NHK広島放送局で童謡を歌ったこともあった。1952年に一家で大阪へ移住し、その頃より、ジャズ・ヴォーカルに興味を抱く。知人がジャズ・バンドを持っていたことから、歌い始めるようになる。その後、1954年に大阪で、花田与一のビッグ・ジャズメンの専属歌手としてデビューし、当初はバラードを得意としていたが、ビッグ・ジャズメンの演奏スタイルに感化され、リズム&ブルース風の楽曲も歌うようになり、リズム&ブルースを得意とした女性シンガーとして活躍した。
大橋 謙三(おおはし けんぞう、1935年4月21日 - 2… 大橋 謙三(おおはし けんぞう、1935年4月21日 - 2015年12月21日)は、広島県出身のサッカー日本代表選手・指導者(FIFAコーチライセンス習得、日本体育協会公認上級コーチ)。 現役時代はハーフバック(MF)として活躍。体が強く、ボール扱いが巧みでキープ力があり、確実に前線に繋いだ。 広島大学附属高校が第37回全国高等学校蹴球選手権大会において大阪府立岸和田高等学校と両校優勝したときのキャプテン。高校時代は、樽谷恵三から指導を受けた 。その後、早稲田大学へ進学、早稲田大学ア式蹴球部に所属する。 大学を卒業後は関西の湯浅電池に所属し、徳弘隆らとプレーした。この時に日本代表に選ばれ1958年アジア競技大会で国際Aマッチ1試合に出場した。
森野 繁夫(もりの しげお、1935年(昭和10年)1月14… 森野 繁夫(もりの しげお、1935年(昭和10年)1月14日 - 2013年(平成25年)11月28日)は、中国文学者。広島県呉市生まれ。1957年広島大学文学部中国文学科卒、1963年同大学院文学研究科博士課程満期退学。75年「斉梁詩の研究」で文学博士。地方公務員である公立高校教員となり広島県立福山誠之館高等学校教諭、1972年広島大学教育学部助教授、文学部教授、96年定年退官、名誉教授、安田女子大学教授。六朝の詩が専門。
関口 幸男(せきぐち ゆきお、1935年 - )は、日本の翻… 関口 幸男(せきぐち ゆきお、1935年 - )は、日本の翻訳家。本名、関口 義二(せきぐち よしじ)。 大阪府生まれ。1957年、広島大学教育学部卒業。防衛庁、航空自衛隊を経て、翻訳家となる。冒険SFの翻訳多数。
森川 洋(もりかわ ひろし、1935年 - )は、日本の地理… 森川 洋(もりかわ ひろし、1935年 - )は、日本の地理学者で、専門は人文地理学。広島大学名誉教授。 1935年、広島県生まれ。広島大学教育学部で学び、1957年に卒業。同大学大学院文学研究科に進学して地理学を学んだ。1962年、博士課程を単位習得期間満了退学。 県内の公立学校勤務を経て、1964年に大分大学助手に就いた。1966年に講師、1969年に助教授昇進。この間、1967年に発表した2本の論文で1969年に第1回日本都市学会賞(奥井記念賞)を共同受賞。1972年、広島大学文学部助教授となった。1972年3月、学位論文『中心地研究:理論と実証』を広島大学に提出して文学博士の学位を取得。
行武 正刀(ゆくたけ まさと、1934年(昭和9年)5月11… 行武 正刀(ゆくたけ まさと、1934年(昭和9年)5月11日 - 2009年(平成21年)3月26日)は、日本の医師である。専門は呼吸器学。第二次世界大戦中に毒ガス製造に従事していた元工員らが罹患した後遺症の治療、研究に尽力した。 1934年、広島県、現在の三原市で生まれる。1962年(昭和37年)7月、広島大学大学院から当時の忠海病院(現在の呉共済病院忠海分院)に赴任、広島県大久野島における毒ガス製造に従事したことによる後遺症で入院していた元工員らを診療し、その治療法を研究した。晩年にはイラン・イラク戦争における毒ガス被害者や現地医師への国際的協力も行った。現在、忠海分院の症歴室には、行武が診療した約4,200人の患者カルテが保管されている。
磯野 恭子(いその やすこ、1934年(昭和9年)1月6日 … 磯野 恭子(いその やすこ、1934年(昭和9年)1月6日 - 2017年(平成29年)8月2日)は、山口放送に在籍していたテレビディレクター、実業家。ドキュメンタリーの制作を多く手がけ、同局の取締役や岩国市の教育長も歴任した。 広島県高田村(現・江田島市)出身。地元の高田小学校に登校する途中、原爆投下のキノコ雲を能美島で目撃した。 12歳で能美島を離れ、広島県立第一高等女学校に通う。第一高女はのちに男女共学の県立皆実高等学校となり、恭子もそのまま皆実高に進んだ。皆実高の同級生に亀井郁夫(政治家)がいて、晩年まで交流があった。東京大学を目指したが、受験に失敗し、単身上京。予備校に通い、アルバイトをしながら浪人生活を送ったものの、心身ともに疲れ果て、1年で広島に戻り、広島大学政経学部の夜間部に入学する。
大田 英雄(おおた ひでお、1934年(昭和9年)- 200… 大田 英雄(おおた ひでお、1934年(昭和9年)- 2005年(平成17年))は、日本の教師、平和運動家。神奈川県横須賀市生まれ。 沖縄戦で海軍陸戦隊を指揮した大田実海軍中将の長男として生まれる。11歳の時、広島県呉市で終戦を迎える。 軍国少年として育ち、父の影響から防衛大学校進学をめざした。ところが1952年に父の遺骨と対面した際、ピストルの穴の空いた頭蓋骨を見て軍人にむなしさを感じ、教師を志すようになる。 広島大学教育学部高校教育社会学科へ進学し、卒業後は社会科教師として広島県内各地の高校に赴任。反戦活動にも熱心に取り組み、原水爆禁止呉協議会事務局長、高教組呉地区支部平和教育推進部長、呉地区高校生「平和の集い」顧問、歴史教育者協議会会員などとして平和教育にたずさわる。
安仁屋 政昭 (あにや まさあき、1934年 - )は、沖縄… 安仁屋 政昭 (あにや まさあき、1934年 - )は、沖縄県出身の歴史学者、専攻は日本近現代史。沖縄国際大学名誉教授。沖縄平和ネットワーク代表。歴史科学者協議会、日本科学者会議会員。
木島 丘(きじま たかし、1933年(昭和8年)8月16日 … 木島 丘(きじま たかし、1933年(昭和8年)8月16日 - )は、広島市出身の政治家。広島市議会議長などを務めた。