RYOJI.M(リョウジ・エム、本名:前林 良治、1977年… RYOJI.M(リョウジ・エム、本名:前林 良治、1977年(昭和52年)8月24日 - )は、日本の音楽プロデューサー・ソングライター・実業家。徳島県徳島市出身。 徳島県徳島市出身。鳴門教育大学附属小学校・鳴門教育大学附属中学校・徳島県立城東高等学校を卒業。福井県立大学・東京水産大学を中退。東京水産大学を中退後、2002年に世界で初めて畜養(養殖)クロマグロの中国からの輸出に成功。その後、2004年のNHKアイテックの外注社員時にはB-SAT海外プロデューサーに就任。 2006年、香港の音楽プロデューサーであるMARK LUIと香港日本POPS輸出入提携協定の契約締結に成功。同年11月には韓雪、S.H.E、周華健、中孝介、元ちとせ、w-inds.等を中心に開催された「中華年記念音楽祭」のアテンダントオフィサーの代表に就任。
水谷 豊(みずたに ゆたか、1952年〈昭和27年〉7月14… 水谷 豊(みずたに ゆたか、1952年〈昭和27年〉7月14日 - )は、日本の俳優、歌手、映画監督、実業家。Trysome Bros.LLC合同会社代表社員。北海道芦別市出身。Trysome Bros.所属。妻は伊藤蘭、長女は趣里。 北海道芦別市野花南で生まれる。両親は京都出身である。四人兄弟の末っ子。父親はすぐに仕事を変えては転々とし、家族もこれに伴い、北海道の各地を転々。北海道時代の記憶はほとんどないという。小学校は北海道留萌郡小平町立達布小学校に入学。小学2年の時、父が東京都立川市で土建業を興し、以降、立川で育ち、俳優デビュー後も20代半ばまで実家に住んだ。 立川市立立川第四小学校、立川市立立川第一中学校卒業。
當眞 嗣吉(とうま つぎよし、1947年9月13日 - )は… 當眞 嗣吉(とうま つぎよし、1947年9月13日 - )は、日本の経営者。沖縄電力社長を務めた。 沖縄県出身。1970年に東京商船大学商船学部機関科を卒業し、1971年に琉球電力に入社。 1999年6月に取締役に就任し、2001年6月に副社長に就任し、2003年6月には社長に昇格。2007年6月には会長に就任。 2018年11月に旭日中綬章を受章。
小林 浩(こばやし ひろし、1946年10月13日 - )は… 小林 浩(こばやし ひろし、1946年10月13日 - )は日本の実業家。日本ハム、元北海道日本ハムファイターズ会長。広島県安芸郡府中町出身。 1969年東京水産大学(現・東京海洋大学)水産学部製造学科卒業、日本ハム入社。食肉輸入事業に長く携わり水産物・乳製品の責任者などを歴任。 1992年3月輸入ブロイラー部長就任。1999年4月輸入食肉第二次業部長代行就任。2000年取締役輸入食肉第二次業部長就任2003年上席執行役員就任2005年常務執行役員就任2007年4月に代表取締役社長就任2012年代表取締役会長に就任2015年代表取締役会長を退任した。 2002年の牛肉偽装事件の後、藤井良清前社長が取り組んだ社内コンプライアンス(法令順守)経営の推進とコーポレートガバナンス(企業統治)強化を継承。
深川 清司(ふかがわ きよし、1926年11月27日 - )… 深川 清司(ふかがわ きよし、1926年11月27日 - )は、日本の経営者。東洋水産会長を務めた。 三重県出身。1948年に農林水産講習所(現・東京海洋大学)を卒業し、とある食品メーカーで魚肉ソーセージ等の製造を手掛けていたが、その品質の高さを評価した東洋水産のある役員にスカウトされ、1958年に東洋水産に入社。 1972年5月に取締役に就任し、同社研究部長として製品開発の指揮を執る。当時はフリルフラマイド(AF2)の使用禁止問題などに翻弄されつつも、1975年に発売した『マルちゃんのカップうどんきつね』(後のマルちゃん赤いきつねと緑のたぬき)がヒットするなど、東洋水産を即席麺のトップメーカーの一角を占めるまでに成長させた。
天辰 祐之郎(あまたつ ゆうしろう、1920年11月29日 … 天辰 祐之郎(あまたつ ゆうしろう、1920年11月29日 - 1996年11月8日)は、日本の経営者。現在の鹿児島県薩摩川内市出身。 1944年に水産講習所を卒業し、1945年11月に西大洋漁業統制(のちの大洋漁業)に入社。1972年3月に取締役に就任し、1973年10月に常務、1978年4月に専務、1981年4月に副社長、1986年4月に会長を経て、1987年2月に社長に就任。1989年6月に会長を経て、1990年6月から相談役を務めた。 1994年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 1996年11月8日肝硬変のために死去。75歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森 和夫(もり かずお、1916年(大正5年)4月1日 - … 森 和夫(もり かずお、1916年(大正5年)4月1日 - 2011年(平成23年)7月14日)は、日本の実業家。東洋水産創業者。静岡県賀茂郡田子村(現在の西伊豆町)出身。静岡県立豆陽中学校(旧制)(後の静岡県立下田高等学校)、水産講習所(現在の東京海洋大学)卒業。 実家は元々漁業を営んでいたが、父の代で冷蔵製氷業に転じ、1919年(大正8年)に田子製氷株式会社(2007年(平成19年)に東洋水産に吸収合併される)を設立し、田子村で冷蔵庫を運営していた。 和夫は水産講習所卒業後水産会社に就職するが、間もなく徴兵され、旅順の陸軍予備士官学校を経て1939年(昭和14年)のノモンハン事件に従軍。所属していた部隊がほとんど全滅に近い被害を受ける中、かろうじて生き残り帰国する。
小副川 十郎(おそえがわ じゅうろう、1915年2月15日 … 小副川 十郎(おそえがわ じゅうろう、1915年2月15日 - 1996年6月15日)は、日本の経営者。日本水産社長、会長を務めた。佐賀県出身。 1940年に農林水産講習所を卒業し、同年に日本水産に入社。 1964年に取締役に就任し、1969年5月に常務、1971年5月に専務を経て、1973年5月に副社長に就任し、1975年12月には社長に昇格。1980年6月に取締役相談役に就任し、1982年6月には相談役に就任。 1979年4月に藍綬褒章を受章。 1996年6月15日心不全のために死去。81歳没。
崔 瑞日(チェ・ソイル、朝鮮語: 최서일、1906年9月27… 崔 瑞日(チェ・ソイル、朝鮮語: 최서일、1906年9月27日 - 1970年7月24日)は、日本統治時代の朝鮮の教員および大韓民国の実業家、政治家。第5代海務庁長、第6代韓国国会議員。 全羅南道莞島郡出身。日本農林省水産講習所(現・東京海洋大学)卒。水産業界の専門家として麗水水産学校の教諭を6年間務めた。光復後は朝鮮水産開発株式会社社長、商工部水産局長、第5代海務庁長(1960年10月22日〜1961年5月21日)を歴任した。5・16軍事クーデター以降は政界に入り、民主共和党所属の第6代国会議員、民主共和党全羅南道第13地区党委員長、国会農林委員会委員を務めた。 1970年7月24日、持病によりソウル市城東区の自宅で死去。
廿日出 要之進(はつかで ようのしん、1898年11月30日… 廿日出 要之進(はつかで ようのしん、1898年11月30日 - 1973年9月26日)は、広島県出身の実業家。アヲハタ創業者。 広島県豊田郡大長村(現在の呉市豊町)生まれ。大長村は広島ミカン発祥の地で廿日出の実家も果物農家を営んでいた。旧制忠海中学校(現広島県立忠海高等学校)~農林省水産講習所(現・東京海洋大学)卒業(1923年)。同講習所の先輩で中島董一郎が創業した中島董商店に入社。大長村の同郷で、ミカン缶詰のアルカリ剥皮法で名を残す加島正人に協力して郷里でみかんの缶詰作りに取り組む。ところが加島が中島董商店を通さず、直接英国と取り引きを始めたことから、中島の全額出資を得て1932年、みかんの缶詰加工とオレンジママレードなどジャム類の製造を目的として広島県竹原市忠海に「旗道園株式会社」を創業した。
鈴木 九平(すずき きゅうへい、1893年 <明治26年> … 鈴木 九平(すずき きゅうへい、1893年 <明治26年> 1月11日 - 1980年 <昭和55年> 8月21日)は、日本の経営者。位階は正四位。 静岡県磐田市出身。1918年に東京高等商船学校を卒業。日本郵船での勤務を経て、1935年に日本捕鯨(のちの日本水産)に入社し、1950年には社長に就任。1951年には会長も兼務し、1963年には相談役に退いた。 1960年5月に藍綬褒章と紺綬褒章を受章し、1972年4月に勲二等旭日重光章を受章。 1980年8月21日急性心不全のために死去。87歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
秋山 俊一郎(あきやま しゅんいちろう、1892年〈明治25… 秋山 俊一郎(あきやま しゅんいちろう、1892年〈明治25年〉10月22日 - 1972年〈昭和47年〉12月3日)は、大正から昭和期の水産技術者、実業家、政治家。参議院議員。 高知県長岡郡東豊永村(大豊村を経て現大豊町怒田)で、秋山紋弥、春女の長男として生まれる。1912年(明治45年)高知県立第一中学校(現高知県立高知追手前高等学校)を卒業。1915年(大正4年)農商務省水産講習所(現東京海洋大学)漁撈科を卒業。 台湾宜蘭庁技手に任官し、1916年(大正5年)台湾総督府に転任。1920年(大正9年)長崎県に転じた。1928年(昭和3年)高知県水産課長に就任。その後、佐賀県水産課長を経て、長崎県水産試験場長となった。
田代 正治(たしろ しょうじ、1892年(明治25年)9月1… 田代 正治(たしろ しょうじ、1892年(明治25年)9月11日 - 1983年(昭和58年)11月11日)は、日本の実業家、漁業家、政治家。衆議院議員。 新潟県中蒲原郡村松町(現五泉市)で素封家・田代兼次の三男として生まれる。新潟県立新潟中学校を経て、1915年、農林省水産講習所(現東京海洋大学)漁撈科を卒業した。 その後、佐渡島で漁業に従事。1916年、青森県技手に就任。1919年、日魯漁業の平塚常次郎に見いだされ同社に入社。函館製網船具 (株) に転じて新川工場長に就任し漁網の改良に従事。1931年に独立して漁網漁具製造販売業を営んだ。また、函館産業社長、函館青果卸売市場社長、北海道方面委員、函館地方裁判所調停委員、函館調停協会理事などを務めた。
岩波 嘉重(いわなみ かじゅう、1886年 - 1974年)… 岩波 嘉重(いわなみ かじゅう、1886年 - 1974年)は、日本の実業家。日本ピラー工業(現・PILLAR)創業者。 長野県諏訪郡中洲村(現・諏訪市)出身。長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京高等商船学校(現・東京海洋大学)卒業。1924年船舶用レシプロエンジンのシリンダーグランド用として国産第一号の船舶用パッキンである合金製ピラーパッキンを考案し、兵庫県神戸市灘区に日本ピラー工業所(現・PILLAR)を創業。1926年大阪府大阪市淀川区に本社・工場を新設。1948年株式会社に改組し、日本ピラー工業株式会社(現・株式会社PILLAR)を設立。
高碕 達之助(たかさき たつのすけ、1885年2月7日 - … 高碕 達之助(たかさき たつのすけ、1885年2月7日 - 1964年2月24日)は、日本の政治家・実業家。満洲重工業開発株式会社副総裁・第2代総裁、電源開発初代総裁、通商産業大臣、初代経済企画庁長官などを歴任した。 大阪府島上郡三箇牧村(現在の高槻市)で生まれる。旧制茨木中学を卒業後、農商務省水産講習所(後の東京水産大学、現在の東京海洋大学)に入所。その後、メキシコ万博漁業に入社し、水産技師として勤務。1917年、東洋製罐を創立。1938年、東洋製罐専修学校(後の東洋食品工業短期大学)を設立。1942年、満洲重工業開発総裁に就任。1947年公職追放、1951年同解除。1952年、電源開発総裁に就任。
中島 董一郎(なかしま とういちろう、1883年8月22日 … 中島 董一郎(なかしま とういちろう、1883年8月22日 - 1973年12月19日)は、愛知県西尾市出身の実業家。キユーピー創業者。
辰沢 延次郎(たつざわ えんじろう、慶応元年11月14日(1… 辰沢 延次郎(たつざわ えんじろう、慶応元年11月14日(1865年12月31日) - 1931年(昭和6年)10月16日)は日本の実業家、政治家。東京市会議員。 静岡藩士、石渡栄次郎の二男として江戸(後の東京市京橋区新船松町(霊岸島)、現東京都中央区新川)に生まれる。辰沢豊三郎の養子となった後、1877年(明治10年)1月家督相続。攻玉社中学を経て、1885年(明治18年)東京商船学校航海科卒業、海運業界に入る。当初は運転士として海上勤務だったが入社先が日本郵船に改称すると陸上勤務に転じる。同社は艀船部を廃止して京浜艀船受負事務所を新設、辰沢は同社を退職して1897年(明治30年)に事務所と同じ所在地に辰沢回漕店を開業、自ら海運業を営み、日本郵船から事業を受け継いで京浜間の貨物輸送を嘱託されていた。
岩原 謙三 (いわはら けんぞう、1863年12月1日(文久… 岩原 謙三 (いわはら けんぞう、1863年12月1日(文久3年10月21日)- 1936年(昭和11年)7月12日)は、明治から昭和初期の実業家。三井物産時代にヴィッカーズ事件で有罪となるも、その後足利紡績、芝浦製作所社長、日本放送協会会長など多くの重役を務めた。 加賀国大聖寺藩(現在の石川県加賀市大聖寺錦町)の藩士・岩原孝興の長男として誕生。 金沢の石川県啓明学校にて学業を始め、1878年(明治11年)に卒業し大阪に出立して旧制大阪英語学校を経て東京の旧制東京商船学校を卒業。 1883年(明治16年)東京商船学校を卒業すると共同運輸会社(現在の日本郵船)へ入社。その後、三井物産(旧社)に転職する。