古賀 雷四郎(こが らいしろう、1915年12月23日 - … 古賀 雷四郎(こが らいしろう、1915年12月23日 - 2008年6月13日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。 佐賀県鳥栖市出身。旧制五高を経て1940年に九州帝国大学工学部土木工学科を卒業後、内務省に入省し、河川局長、建設技監などを経て、退官。1971年6月27日投票の第9回参議院議員通常選挙に全国区から出馬し、23位で初当選。自由民主党では佐藤栄作派(周山会)→田中角栄派(木曜クラブ)→竹下登派(経世会)に属した。 1977年7月10日投票の第11回参議院議員通常選挙に全国区から出馬し、12位で2回目の当選。1983年6月26日投票の第13回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し、26位で3回目の当選。
伊藤 一雄(いとう かずお、1915年8月14日 - 200… 伊藤 一雄(いとう かずお、1915年8月14日 - 2005年10月1日)は、日本の農学者・林学者。 秋田県出身。九州帝国大学農学部卒、1949年「紫紋羽病に関する研究」で九大農学博士。日本の松の緑を守る会。全国森林病虫獣害防除協会顧問。
生源寺 廷(しょうげんじ ただし、大正4年〈1915年〉7月… 生源寺 廷(しょうげんじ ただし、大正4年〈1915年〉7月 - ?)は、日本の科学者。 大正4年(1915年)7月、父生源寺順、母嘉納治五郎の次女である忠子夫妻の長男として生まれる。昭和12年(1937年)3月31日、旧制福岡高等学校理科甲類を卒業。九州帝国大学応用化学科卒業。 博士論文「濃縮燃焼による亜硫酸パルプ廃液処理に関する研究」を著し、昭和36年(1961年)11月18日に工学博士を授与された。生源寺廷, 高橋英郎 & 丹野和夫 1962, p. 172によれば、工業技術院東京工業試験所に入所している。四国工業技術試験所(現在の産業技術総合研究所四国センター)に転じており(生源寺廷 1968, p. 26)、少なくとも翌年までは同所にいることが赤松勲・生源寺廷 1969, p. 195により判明している。
池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう、大正4年(1915年)6月… 池見 酉次郎(いけみ ゆうじろう、大正4年(1915年)6月12日 - 平成11年(1999年)6月25日)は、日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。九州大学医学部名誉教授。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。甥は臨床心理学者の池見陽。 福岡県糟屋郡粕屋町生まれ。旧制福岡中学(現福岡県立福岡高等学校)、九州帝国大学医学部卒業。戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。昭和27年(1952年)にはアメリカミネソタ州のメイヨー・クリニックに留学し、帰国後、日野原重明、三浦岱栄らと共に昭和35年(1960年)日本心身医学会を設立し、初代理事長になる。翌昭和36年(1961年)九州大学に国内最初に設立された精神身体医学研究施設(現在の心療内科に当たる)教授に就任し、内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化、実用化に尽力した。
正田 誠一(しょうだ せいいち、1915年〈大正4年〉5月1… 正田 誠一(しょうだ せいいち、1915年〈大正4年〉5月10日 - 1974年〈昭和49年〉10月11日)は、日本の経済学者。広島県安芸郡江田島村(後の江田島市)出身。原爆歌人として知られる正田篠枝の実弟。 広島県立第一中学校(後の広島県立広島国泰寺高等学校)、旧制広島高等学校を経て、九州大学法文学部経済学科を卒業。広島高時代は同校始まって以来の秀才との評判を得ていた。その後、日本鉄鋼連合会調査部、宇品内燃機有限会社、不二越鋼材株式会社の勤務を経て、1946年(昭和21年)に九州大学の講師に就任し、後に助教授、さらに教授に昇任した。 教授職においては工業政策や社会政策講座を担当する傍ら、九州の石炭産業の分析・研究に関する論文を多く執筆した。
渡辺 武(わたなべ たけし、1915年(大正4年)3月24日… 渡辺 武(わたなべ たけし、1915年(大正4年)3月24日 - 2005年(平成17年)10月4日)は、日本の政治家、経済学者。日本共産党参議院議員。 静岡県沼津市出身。1941年(昭和16年)九州帝国大学法文学部経済学科を卒業する。福岡経済専門学校(後の福岡大学)教授を務めた後、1946年(昭和21年)日本共産党に入党。党中央委員、中央委員会経済調査部長、経済政策委員会責任者などを歴任。 1968年(昭和43年)第8回参議院議員通常選挙で全国区から立候補し当選する。当選回数2回。党参議院国会対策委員長などを務めた。 2005年(平成17年)10月4日多臓器不全のため死去。90歳。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
春日 和男(かすが かずお、1915年2月8日 - 2012… 春日 和男(かすが かずお、1915年2月8日 - 2012年)は、日本の国語学者。九州大学名誉教授。 長野県生まれ。春日政治の長男で、親子二代で九州大学国語国文の教授を務めた。旧制福岡県立福岡中学を経て、京都帝国大学文学部国文科卒。1962年「古代国語における存在詞の展開」で九州大学文学博士。福岡経済専門学校教員、福岡商科大学(校名変更、のち福岡大学)助教授、九州大学文学部助教授を経て、教授となる。1978年定年退官、名誉教授、帝京大学文学部教授を務めた。
厳 敏永(オム・ミニョン、朝鮮語: 엄민영/嚴敏永、1915… 厳 敏永(オム・ミニョン、朝鮮語: 엄민영/嚴敏永、1915年2月4日 - 1969年12月10日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の政治家、官僚、弁護士。本貫は寧越厳氏。漢字表記は厳敏英とも。日本名は雉山 敏夫(きじやま としお)。 慶尚北道慶山郡または善山郡にて誕生。大邱公立高等普通学校(のちの慶北高等学校(朝鮮語版))を経て、1936年法政大学予科修了。1939年九州帝国大学法文学部法科卒業。米国ノースウェスタン大学法科大学院修了。高等文官試験行政科に合格して朝鮮総督府の官吏となり、京城地方専売局清州出張所で勤務した。1943年以後、全羅北道任実郡と茂朱郡の郡守を務めた。 太平洋戦争(大東亜戦争)終戦後は、全羅北道農商部長と全羅南道農林局長を務めた。
門上 千恵子(かどがみ ちえこ、1914年12月8日 - 2… 門上 千恵子(かどがみ ちえこ、1914年12月8日 - 2007年8月6日)は、愛媛県出身の弁護士。日本における初めての女性検事。門上チエ子、門上チヱ子とも表記する。旧姓、福枡。論理学の東京経済大学名誉教授である門上秀叡は夫。三男の門上光照は京都造形芸術大学芸術学部教授。 愛媛県伊予郡松前町で米屋の長女として生まれる。愛媛県立松山高等女学校(現・愛媛県立松山南高等学校)から広島県立女子専門学校(現・県立広島大学)国文科を経て、1939年に九州帝国大学法文学部法律学科を卒業。在学中、1937年にはローマ法の研究で帝国学士院から賞を受ける。岡山県林野高等女学校(現・岡山県立林野高等学校)の英語教諭を経て、1940年に九州帝国大学へ戻り、1944年まで法律学研究室の副手(のち助手)として勤務。
白 南檍(ペク・ナモク、朝鮮語: 백남억、1914年11月1… 白 南檍(ペク・ナモク、朝鮮語: 백남억、1914年11月11日 - 2001年1月15日)は、日本統治時代の朝鮮の鉄道官僚、大韓民国の教育者、政治家。初代大邱大学(現・嶺南大学校)大学院長、参議員・第6・7・8・9代韓国国会議員を歴任した。 本貫は水原白氏。漢字表記は白南憶とも。国民大学校経商大学学長の白種玹は息子、元国会議長の朴浚圭は妻の兄弟。実業家の李秉喆の妻の朴杜乙(朝鮮語版)は妻の従おば(岳父の従姉妹)。 日本統治時代の慶尚北道金泉郡(現・金泉市)出身。九州帝国大学(現・九州大学)法文学部、ミシガン大学大学院修了。解放前は鉄道系統で官吏を務めたが、解放後は教育界に転身し、大邱大学(現・嶺南大学校)教授、同校初代大学院長(1958年3月 - 1960年11月)、東国大学校・建国大学校大学院講師を務めた。
城野 節子(じょうの せつこ、1914年10月21日 - 2… 城野 節子(じょうの せつこ、1914年10月21日 - 2002年1月22日)は、日本のフランス文学者。 中国・瀋陽市生まれ。九州帝国大学法文学部仏文科卒。九州大学教養部助教授、教授を務め、1978年定年退官、名誉教授。スタール夫人を専門とした。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、文学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJライトノベル)。 項目が小説家・作家の場合には {{Writer-stub}} を、文学作品以外の本・雑誌の場合には {{Book-stub}} を貼り付けてください。
兼清 正徳(かねきよ まさのり、1914年10月3日 - 2… 兼清 正徳(かねきよ まさのり、1914年10月3日 - 2018年4月22日)は、日本の国文学者。 山口県生まれ。1939年九州帝国大学法文学部国史学科卒。山口県立岩国高等学校教諭などののち、1966年山口県立文書館長、1983年徳島文理大学教授を務め、1990年退任。桂園派の歌人を研究した。
大島 信太郎(おおしま しんたろう、1914年8月5日 - … 大島 信太郎(おおしま しんたろう、1914年8月5日 - 1995年2月24日) は、日本の技術者。国際電信電話副社長や、電気通信学会会長、テレビジョン学会会長などを歴任した。紫綬褒章受章。 1940年九州帝国大学工学部電気工学科卒業、国際電気通信入社。名古屋大学工学部助教授を経て、1950年電気通信研究所入所。喜安善市の下で研究に従事した。1954年国際電信電話入社。1962年九州大学工学博士。国際電信電話取締役研究所長を経て、1977年国際電信電話副社長、電気通信学会会長。1979年テレビジョン学会会長。独創的電気通信研究を行った。紫綬褒章、勲三等旭日中綬章受章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
諸星 静次郎(もろほし せいじろう、1914年3月24日 -… 諸星 静次郎(もろほし せいじろう、1914年3月24日 - 2001年1月5日)は、日本の蚕糸学者。東京農工大学学長や、江戸川大学学長、日本蚕糸学会会長、日本学士院会員などを歴任した。日本学士院賞受賞。紫綬褒章受章。 神奈川県中郡秦野(現秦野市)出身。吉田島農林学校(現神奈川県立吉田島高等学校)、東京高等蚕糸学校(現東京農工大学)養蚕学科を経て、1939年九州帝国大学農学部卒業、郡是製絲入社。1945年農学博士。1946年郡是製絲蚕種部品種課長。1951年郡是工業蚕種部事業部長兼蚕桑研究所長。1963年東京農工大学農学部教授。1965年東京農工大学評議員。1968年東京農工大学農学部長。1973年日本学士院賞受賞。
新福 尚武(しんふく なおたけ、1914年3月2日 - 20… 新福 尚武(しんふく なおたけ、1914年3月2日 - 2012年3月12日)は、日本の医学者・精神科医。東京慈恵会医科大学名誉教授。長男は医学者で神戸大学名誉教授の新福尚隆。 鹿児島県鹿児島市生まれ。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1937年九州帝国大学医学部卒業、下田光造に師事。1947年「ショック療法の精神病理学的研究」で九州帝国大学より医学博士の学位を取得。 台北帝国大学医学部精神科助手、陸軍軍医(高雄)、鳥取大学医学部助教授などを経て、1952年同教授。1966年東京慈恵会医科大学教授、1979年定年退職、名誉教授。アルコール医学会長、交通科学会長、心身医学会長、国際老年精神医学会名誉会長など。
近藤 春雄(こんどう はるお、1914年2月20日 - 20… 近藤 春雄(こんどう はるお、1914年2月20日 - 2014年1月21日)は、日本の中国文学者、愛知県立大学名誉教授。 三重県生まれ。父は漢学者・近藤杢。九州帝国大学法文学部支那文学科卒。福岡県中学修猷館教諭、愛知県立女子専門学校教授、愛知県立女子短期大学助教授、愛知県立大学教授、79年定年退官、名誉教授。79年「唐代小説の研究」で九州大学文学博士。古代から現代まで中国文学を幅広く研究した。87年勲三等旭日中綬章受章。2014年1月24日逝去。享年99。
高良 鉄夫(たから てつお、1913年6月25日 - 201… 高良 鉄夫(たから てつお、1913年6月25日 - 2014年5月17日)は、日本の動物学者。第8代琉球大学学長(就任期間:1970年7月1日 - 1973年6月30日)。農学博士。専攻は応用動物学。沖縄県本部町出身。 ハブの研究で知られ、「ハブ博士」と呼ばれた。 イリオモテヤマネコの発見につながる幼獣の捕獲を果たしたことでも知られる。 沖縄の本土復帰に伴う国立大学化の際の学長であった。 戦後の1950年から1968年にかけて5回に渡り、調査団を結成して尖閣諸島に上陸して学術調査を実行。この時のメンバーには後に沖縄社会大衆党委員長となる瑞慶覧長方がいる。 紫綬褒章、勲二等瑞宝章、沖縄県功労者、沖縄タイムス賞などを受賞。
藤井 英男(ふじい ひでお、1913年3月20日 - 200… 藤井 英男(ふじい ひでお、1913年3月20日 - 2002年10月1日)は、日本の弁護士。日本弁護士連合会会長。 東京都出身、山口県育ち。1939年九州帝国大学法学部卒業。高等試験司法科合格後、東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長を経て、1988年日本弁護士連合会会長。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
西原 忠毅(にしはら ただよし、1913年3月15日 - 2… 西原 忠毅(にしはら ただよし、1913年3月15日 - 2001年6月21日)は、日本の英語学者。 福岡県出身。九州帝国大学文学部英文科卒。九州大学教養部助教授、教授。76年定年退官、名誉教授となり、西南学院大学教授を務めた。英語音声学が専門で、短歌も詠んだ。日本英語音声学会顧問。
横山 正(よこやま ただし、1913年2月27日 - 198… 横山 正(よこやま ただし、1913年2月27日 - 1989年11月29日)は、日本の芸能・演劇史研究者。 広島県福山市生まれ。1938年九州帝国大学文学部国文科卒、1944年京都帝国大学大学院退学。大阪学芸大学助教授、大阪教育大学教授。1962年「近世的性格に焦点をおいた浄瑠璃の史的研究」で大阪大学文学博士。78年定年退官、名誉教授。
近藤 英一郎(こんどう えいいちろう、1913年(大正2年)… 近藤 英一郎(こんどう えいいちろう、1913年(大正2年)2月4日 - 2014年(平成26年)4月15日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。元群馬県議会議員(5期)。元大間々町長。
城福 勇(じょうふく いさむ、1913年2月1日 - 198… 城福 勇(じょうふく いさむ、1913年2月1日 - 1986年1月22日)は、日本史学者。 徳島県出身。九州帝国大学法文学部卒。香川大学学芸学部助教授、教育学部教授。77年定年退官、名誉教授。徳川時代の文人、特に平賀源内の研究で知られる。
奥村 正二(おくむら しょうじ、1913年1月15日 - 没… 奥村 正二(おくむら しょうじ、1913年1月15日 - 没年不詳)は、日本の技術史家。 滋賀県生まれ。1937年九州帝国大学工学部卒業。戦後は神田で弁理士を開業するかたわら、技術史に関する著作をなした。半世紀以上、神田に在住。
岡庭 博(おかにわ ひろし、1912年11月30日 - 20… 岡庭 博(おかにわ ひろし、1912年11月30日 - 2004年2月20日)は、日本の実業家、経営学者。日本興業銀行勤務を経て、三光汽船の代表取締役、会長を務めた。大阪産業大学名誉教授、経済学博士。 長男は評論家の岡庭昇。 兵庫県神戸市出身。姫路高等学校を経て、1935年に九州帝国大学法文学部に入学。在学中に高等文官試験に合格したが、官僚への道には進まず、卒業後、日本興業銀行に入行。調査部に配置され、大阪支店に勤務した。 1943年、姫路高校の先輩である河本敏夫に乞われて、三光汽船に取締役として入社。三光汽船の番頭格として河本を補佐し、財務担当役員として活躍した。 1949年、河本が第24回衆議院議員総選挙に兵庫県第4区から出馬し当選。
陣内 傳之助(じんない でんのすけ、 1912年11月8日 … 陣内 傳之助(じんない でんのすけ、 1912年11月8日 - 1987年8月30日)は、日本の外科医。大阪大学医学部名誉教授、近畿大学医学部名誉教授、近畿大学医学部附属病院初代院長。
惣郷 正明(そうごう まさあき、1912年9月16日 - 1… 惣郷 正明(そうごう まさあき、1912年9月16日 - 1993年4月16日)は、日本の英学史・辞書史学者。 広島県出身。九州帝国大学法文学部卒、朝日新聞記者、国立国語研究所国語辞典編纂員、のち朝日新聞社友。
住友 彰(すみとも あきら、1912年3月12日 - 201… 住友 彰(すみとも あきら、1912年3月12日 - 2011年8月16日)は、日本の土木技術者。専門はトンネル工学。 福岡市に生まれる。1930年福岡県中学修猷館を経て、1935年九州帝国大学工学部土木工学科を卒業。 1935年内務省技師となり、下関工事事務所に勤務。1937年下関市と門司市(現・北九州市)の海底を結ぶ関門国道トンネルの調査工事の下関側責任者となり、戦中の工事休眠期間中は他事務所へ転任。工事が再開されると、併任のまま関門国道工事に携わる。戦前、戦中から、1958年の完成まで、21年間にわたって一貫してトンネル工事の調査から設計施工までを幹部として関わり、関門国道トンネルの完成に尽くした。
金森 政雄(かなもり まさお、1911年(明治44年)12月… 金森 政雄(かなもり まさお、1911年(明治44年)12月18日 - 2001年(平成13年)8月15日)は、日本の技術者、実業家。三菱重工業取締役社長や、同社取締役会長、経団連副会長、日本プラントメンテナンス協会会長、日本造船工業会会長などを歴任した。勲一等瑞宝章受章。 山口県山口市野田生まれ。1932年(昭和7年)旧制福岡高等学校を卒業。1935年(昭和10年)九州帝国大学工学部冶金学科卒業し、三菱重工業に入社。1971年(昭和46年)三菱重工業技術本部長。 1977年(昭和52年)三菱重工業取締役社長。1981年(昭和56年)三菱重工業取締役会長。 1986年(昭和61年)日本プラントメンテナンス協会会長。
山崎 平八郎(やまざき へいはちろう、1911年12月16日… 山崎 平八郎(やまざき へいはちろう、1911年12月16日 - 1989年1月11日 )は、日本の農林官僚、政治家。 国土庁長官(第14代、第2次中曽根内閣)、衆議院議員(7期)などを歴任。福岡県大川市出身。勲一等瑞宝章受章。 山崎四郎の息子として生まれた。幼くして父と死別したため、子供のいない父方の伯父・達之輔(のちに立憲政友会所属代議士、農林大臣・逓信大臣・農商務大臣)に育てられた。自治大臣を務めた山崎巌は父方の叔父にあたる。 旧制佐賀高等学校を経て1939年九州帝国大学農学部農業工学科卒業。 大学卒業後、農林省に入省。九州農政局長を退官後の1969年、前年死去した叔父・巌の後継者として衆議院議員選挙に福岡3区から自由民主党公認で立候補し初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・渡部恒三・奥田敬和・林義郎・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
矢嶋 三義(やじま みよし、1911年(明治44年)11月1… 矢嶋 三義(やじま みよし、1911年(明治44年)11月16日 - 1996年(平成8年)4月19日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。旧姓は安部。 大分県直入郡、現在の竹田市で安部家に生まれる。1933年(昭和8年)九州帝国大学附設教員養成所数学科を卒業した。 下野中学校教諭、栃木県立宇都宮中学校教諭、福岡県立八女中学校教諭、長崎県立長崎中学校教諭、熊本県立熊本中学校教諭、熊本県立熊本高等学校教諭などを務めた。 労働運動に加わり、熊本県教職員組合委員長、日本教職員組合九州地協委員長、熊本県学生協同組合理事長、同県教育会長などを務めた。 1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で全国区に無所属で出馬して当選し、1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙で全国区に日本社会党公認で出馬して再選され、参議院議員に連続2期在任した。
田中 敏文(たなか としぶみ、1911年11月9日 - 19… 田中 敏文(たなか としぶみ、1911年11月9日 - 1982年12月20日)は、日本の政治家。北海道知事。青森県出身。
麻生 太賀吉(あそう たかきち、1911年〈明治44年〉9月… 麻生 太賀吉(あそう たかきち、1911年〈明治44年〉9月29日 - 1980年〈昭和55年〉12月2日)は、日本の実業家、政治家。麻生セメント会長。衆議院議員(3期)。第92代内閣総理大臣麻生太郎の父。 1911年(明治44年)9月29日、九州の炭鉱王麻生太吉の三男・太郎を父に、子爵加納久朗の妹・夏子を母として福岡県嘉穂郡飯塚町(現・飯塚市)に生まれる。1929年(昭和4年)に旧制福岡中学校(現・福岡県立福岡高等学校)を卒業し、昭和4年から昭和7年まで九州帝国大学(現・九州大学)法文学部聴講生。1931年(昭和6年)に祖父の経営する麻生商店に入社し、1934年(昭和9年)に社長となる。1935年(昭和10年)、帝国軍人後援会福岡県支会経費として2000円寄付により1937年(昭和12年)褒状下賜。
小江 慶雄(おえ よしお/おおえ よしお、1911年 <明治… 小江 慶雄(おえ よしお/おおえ よしお、1911年 <明治44年> 9月8日 - 1988年 <昭和63年> 11月7日)は日本の考古学者。位階は従四位。 1911年滋賀県東浅井郡湖北町尾上(現・長浜市湖北町尾上)に生まれる。1933年九州帝国大学法文学部入学。考古学を学び、1936年に卒業。1948年、京都師範学校教授となり、ついで京都学芸大学で考古学を教え、後進の指導も熱心に行なった。京都学芸大学学長に就任後も精力的に国内外の遺跡調査に奔走した。 1983年勲二等瑞宝章受章。1988年死去。死没日付をもって従四位に叙された。 1970年代以降に地中海を中心として調査が進められていた欧米の水中考古学を幅広く日本の考古学会に紹介し、島国である日本における水中遺跡調査の必要性を積極的に教授したが、当時は陸上の遺跡調査が優先であって協力・賛同を得ることは困難であった。
金 裕澤(キム・ユテク、朝鮮語: 김유택、1911年4月10… 金 裕澤(キム・ユテク、朝鮮語: 김유택、1911年4月10日 - 1975年6月17日)は、大韓民国の政治家、官僚。韓国銀行総裁や駐日大韓民国代表部首席代表(現在の駐日大韓民国大使の前身)、大韓民国副首相兼経済企画院長官などを務めた。本貫は清風金氏(朝鮮語版)。 1911年に黄海道載寧郡で生まれる清風金氏。海州高等普通学校を経て、1932年京城高等商業学校卒業。1938年に九州帝国大学法文学部法科を卒業後、日本植民地時代に韓国銀行の前身である朝鮮銀行に入行し、貸付部長、理事、副総裁などを経験する。1951年から5年間は韓国銀行総裁を務め、国際通貨基金と国際復興開発銀行加入のために活躍する。1957年には駐日大韓民国代表部首席代表に着任し、その後は駐英韓国大使を経て1961年の5・16軍事クーデターを機に政界へ進出した。
大内田 正(おおうちだ ただし、1911年3月25日-199… 大内田 正(おおうちだ ただし、1911年3月25日-1998年3月5日 )は、日本の経営者。日立建機社長、会長を務めた。 福岡県出身。1933年に九州帝国大学工学部電気工学科を卒業し、同年に日立製作所に入社。 1963年11月に取締役に就任し、1968年11月に常務を経て、1970年9月に専務と日立建機取締役に就任し、1981年6月には社長に就任。1981年6月に会長に就任し、1985年6月に相談役に就任。 1975年4月に藍綬褒章を受章し、1981年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 1998年3月5日腎不全のために死去。86歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
伊藤 不二男(いとう ふじお、1911年3月20日-1987… 伊藤 不二男(いとう ふじお、1911年3月20日-1987年3月25日)は、日本の国際法学者。 福岡県出身。1936年東京帝国大学法学部法律学科、37年同政治学科卒。1940年九州帝国大学大学院修了、同副手、助手、南山大学助教授、熊本大学助教授、1953年九州大学法学部助教授、54年教授、62年九州大学法学博士。63-65年法学部長。74年定年退官、名誉教授、西南学院大学教授。1966年「ビトリアの国際法理論」で日本学士院賞受賞。
小林 春男(こばやし はるお、1911年3月4日 - 200… 小林 春男(こばやし はるお、1911年3月4日 - 2005年9月21日)は、日本の経営者。八十二銀行頭取を務めた。長野県出身。 1937年に九州帝国大学法文学部経済学科を卒業。東洋拓殖、大蔵省での勤務を経て、1951年に八十二銀行に入社し、常任監査役に就任。 1967年に取締役に就任し、1969年に常務を経て、1973年5月に副頭取に就任し、1975年12月に頭取に昇格。1989年6月から会長を務めた。 1981年11月に勲三等瑞宝章を受章し、1990年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2005年9月21日心不全のために死去。94歳没。
田中 織之進(たなか おりのしん、1911年2月27日 - … 田中 織之進(たなか おりのしん、1911年2月27日 - 1978年3月2日)は、和歌山県の被差別部落出身の政治家、新聞記者、部落解放運動家。衆議院議員。 九州帝国大学法学部卒。読売新聞社政経部次長の時に日本の敗戦を迎え、1947年、第23回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬して当選。この選挙で当選した部落出身議員には、ほかに田中松月、松井豊吉、吉川兼光、加藤静雄、宮村又八がいた。以後、社会党左派の議員として8選を重ね、日米安保反対派として論陣を張る。 1966年、貿易商社の不正輸出事件に絡み東京地検に恐喝容疑で起訴され、7年後に無罪が確定。この事件を機に社会党を離れ、無所属となる。 かたわら、部落解放全国委員会常任中央委員、部落解放同盟和歌山県連委員長、部落解放同盟常任中央委員、同書記長を歴任。
岡 直遙(おか なおはる、1911年 - 1965年5月10… 岡 直遙(おか なおはる、1911年 - 1965年5月10日)は、日本の法学者。専門は行政法。八幡大学教授。福岡県宗像郡出身。 宗像郡の神社宮司の四男として生まれる。福岡高等学校 (旧制)から九州帝国大学法文学部法律学科に入学、宇賀田順三に師事する。 九大卒業後、三井鉱山に入社。1954年(昭和29年)八幡大学法経学部に講師として就任。行政法各論、地方自治法、国家公務員法の講義を受け持った。古武士的な峻厳さと謙虚さを兼ねる反面リベラル的な性格も持った責任感の強い教授であった。また大学の厚生補導課長として八幡大学野球部長を務め1961年(昭和36年)には九州六大学野球連盟リーグで初優勝を齎した。
吉竹 迪夫(よしたけ みちお、1911年 - 1979年9月… 吉竹 迪夫(よしたけ みちお、1911年 - 1979年9月12日)は、日本の英文学者。 埼玉県川越市生まれ。青山学院英文科卒、1935年九州帝国大学法文学部英文科卒。福岡県で旧制中学校教師、明治専門学校(九州工業大学)講師、福岡学芸大学助教授をへて、九州大学教養部助教授、教授。1974年定年退官、名誉教授。
市田 左右一(いちだ そういち、1910年12月30日 – … 市田 左右一(いちだ そういち、1910年12月30日 – 1986年6月30日)は、日本の実業家。国際サッカー連盟 (FIFA) 常任理事を日本人としてはじめて務めた。著名な切手収集家でもあり、日本の手彫切手の収集・研究に努めるとともに、多くの著作を通じてその成果を海外に紹介した。 1910年(明治43年)、市田幸四郎・四寿子夫妻の長男としてとして、東京に生まれる。父は日本におけるオフセット印刷の創始者と呼ばれる人物。母はキリスト教伝道者金森通倫の娘。市田家は神戸元町通で著名な写真館「市田写真館」を営んでおり、幸四郎は明治初年に神戸で活動した写真家市田左右太(1843年 - 1896年)から数えて3代目にあたる(ただし市田家は男子に恵まれず代々を養子で継いでおり、幸四郎も養子である)。
真藤 恒(しんとう ひさし、1910年7月2日 - 2003… 真藤 恒(しんとう ひさし、1910年7月2日 - 2003年1月26日)は、日本の実業家。福岡県久留米市出身。石川島播磨重工業(現:IHI)の社長、電電公社の最終代総裁、NTT初代社長・会長を務めた。また、ドクター合理化の異名を取った。 中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)卒業。1934年春、九州帝国大学工学部造船学科を卒業後、播磨造船所(後の石川島播磨重工業)に入社。戦後はアメリカの「海運王」、ダニエル・ラドウィックと手を組み、当時としては画期的な手法で数々の船舶を建造し、専門の船ではそれまでの常識を破った「ズングリムックリ」型のタンカーを考え出したり、従来の貨物船が一隻ごとにオーナーと仕様を決めるオーダーメイドであったのを、あらかじめ造船所が主要スペックを決めてカタログ販売する標準船を世に送り出した。
藤野 博(ふじの ひろし、1910年6月27日 - 2005… 藤野 博(ふじの ひろし、1910年6月27日 - 2005年11月24日)は、日本の口腔外科医。専門は口唇口蓋裂治療。九州大学名誉教授。 1910年、兵庫県にて生まれる。1932年に旧制山口高等学校を卒業し、九州帝国大学医学部に進学。1937年に卒業後、第一外科学教室(赤岩八郎教授)を経て歯科学口腔外科学教室(1922年設置)に入局。初代教授・問田亮次(在任1922年 - 1943年)、第2代教授・加来素六(在任1943年 - 1954年)の後を継いで1954年に第3代教授に就任した。同教室の歯学部昇格運動に尽力し、1967年に東京医科歯科大学・大阪大学・東北大学・新潟大学・広島大学に続く6校目の国立大学歯学部設置を果たした(北海道大学と同時)。
植松 雅俊(うえまつ まさとし、1910年(明治43年)6月… 植松 雅俊(うえまつ まさとし、1910年(明治43年)6月19日 - 1958年(昭和33年)11月14日)は、昭和期の宮内官、政治家。京都府華族(子爵)。貴族院議員。正五位。 1910年(明治43年)6月、式部官・植松雅道の長男として生まれる。 1935年(昭和10年)九州帝国大学法文学部を卒業。同年以降、宮内省諸陵寮雇、同嘱託、殿掌などを務めた。 父の死去に伴い、1941年(昭和16年)7月1日、子爵を襲爵した。 1946年(昭和21年)6月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選した。研究会に所属し、1947年(昭和22年)5月2日まで在任した。 1958年(昭和33年)11月、死去。
杉村 春三(すぎむら しゅんぞう、1910年3月11日 - … 杉村 春三(すぎむら しゅんぞう、1910年3月11日 - 1994年2月8日)は日本の社会福祉家。在学時代からハンセン病のフィールドワークを始め、九州大学で学び、国立療養所星塚敬愛園、満州国立らい療養所同康院、リデル・ライト記念養老院などで働き、『らいと社会福祉』の研究をまた、老人の福祉についても研究した。
進藤 貞和(しんどう さだかず、1910年3月4日 - 20… 進藤 貞和(しんどう さだかず、1910年3月4日 - 2002年2月22日)は、日本の実業家。三菱電機社長を歴任。広島県呉市生まれ、長崎県、高知県育ち。九州帝国大学工学部電気科卒。
全 禮鎔(전예용 チョン・イェヨン 1910年1月3日 - … 全 禮鎔(전예용 チョン・イェヨン 1910年1月3日 - 1994年7月4日)は、韓国の政治家・官僚。韓国銀行総裁や復興部長官、建設部長官などを務めた。日本名は江原 禮三。 京城府(現ソウル特別市)西大門区で銀行家の父のもとに生まれる。南大門商業学校を経て、1930年京城高等商業学校卒業。1933年に九州帝国大学法文学部法科を卒業後、同年高等文官試験に合格。朝鮮総督府内務局社会課長などを務め、終戦時には朝鮮総督府財務部長の職にあった。その後、復興部長官や韓国銀行総裁などを経て建設部長官に就任する。在韓国九州大学同窓会会長も務めた。 朝鮮戦争が勃発した1950年にソウル市の副市長を務めていたが、朝鮮人民軍がソウルを占拠したときに、市民に通知することなくあらかじめ避難していた。
間 端夫(あいだ まさお、1909年11月24日 - 199… 間 端夫(あいだ まさお、1909年11月24日 - 1994年5月29日)は、日本の経営者。福岡県出身。 1933年に九州帝国大学法学部法学科を卒業し、同年8月に八幡製鉄所に入社。1954年12月に参与に就任し、1961年2月に愛知製鋼専務を経て、1962年6¥2月に副社長に就任し、1964年2月から1969円12月までに社長を務めた。1972年5月から1976年9月までに日本特殊鋼社長を務めた。 1994年5月29日心不全のために死去。84歳没。
谷口 鉄雄(たにぐち てつお、1909年11月23日 - 1… 谷口 鉄雄(たにぐち てつお、1909年11月23日 - 1995年3月17日)は、日本の美術史学者。専門は東洋美術。 福岡県八幡市(現在の北九州市八幡西区)に生まれる。旧制福岡高等学校文科を経て、1933年に九州帝国大学法文学部哲学科を卒業。卒業後は、法文学部の副手に採用され、1935年助手、1948年九州大学文学部講師、1951年助教授を経て、1955年に教授に就任する。1966年 - 1968年に文学部長を務めた。1973年に定年退官し、名誉教授となる。 退官後は、九州産業大学教授に就任。学外では、1973年 - 1978年北九州市立美術館長、1982年 - 1988年石橋美術館(ブリヂストン美術館)長を兼任した。
鴨 良弼(かも よしすけ、1909年〈明治42年〉9月23日… 鴨 良弼(かも よしすけ、1909年〈明治42年〉9月23日 - 1994年〈平成6年〉5月4日)は、日本の法学者・裁判官・教育者。刑事訴訟法学者。東北大学名誉教授。東北大学法学部教授を経て、一橋大学法学部で刑事訴訟法講座の初代教授を務めた。 1909年、福島県石城郡湯本町生まれ。1929年、青山師範学校を卒業。卒業後は、東京の旧制尋常小学校に教員として勤務した。1940年、司法試験(旧制)合格。九州帝國大学法文学部に入学し、1941年に卒業。司法修習生(旧制)となる。 1942年、東京地方裁判所判事。1944年からは秋田地方裁判所判事。その後、仙台地方裁判所判事を経て、1952年東北大学法学部助教授に着任。