岩政 輝男(いわまさ てるお、1942年(昭和17年)2月2… 岩政 輝男(いわまさ てるお、1942年(昭和17年)2月25日 - 2019年(令和元年)6月8日)は、日本の医学者。琉球大学第15代学長。専門は病理学。 1942年(昭和17年)2月25日、山口県下関市出身。1966年(昭和41年)4月に熊本大学医学部を卒業。1972年(昭和47年)に医学博士号を取得し、1976年(昭和51年)11月に熊本大学医学部助教授となる。 1984年(昭和59年)4月に琉球大学医学部教授に着任。2000年(平成12年)4月から医学部長、2005年(平成17年6月)から副学長、財務・施設・医療担当理事を歴任した後、2007年(平成19年)6月から2013年(平成25年)まで琉球大学第15代学長を務めた。
三池 輝久(みいけ てるひさ、1942年 - )は、日本の小… 三池 輝久(みいけ てるひさ、1942年 - )は、日本の小児科医、熊本大学名誉教授。小児科専門医。小児神経科専門医。 熊本県生まれ。1968年熊本大学医学部卒業、1984年医学博士。1977~1980年米国ウエスト・ヴァージニア州立大学留学、熊本大学医学部小児発達学講師、助教授をへて、1984年教授、2003年熊本大学医学部附属病院長を経て、2008年定年退任、名誉教授。日本小児神経学会理事長、日本発達神経科学学会理事長、兵庫県立リハビリテーション中央病院子どもの睡眠と発達医療センター長、先端医療センター研究所上席研究員、アートチャイルドケア顧問、熊本県玉名地域保健医療センター医師。睡眠を専門とする。
石原 高文(いしはら たかふみ、1941年〈昭和16年〉7月… 石原 高文(いしはら たかふみ、1941年〈昭和16年〉7月8日 - )は、日本の薬理学者、医学博士。 熊本県熊本市東区小山出身。 実家である小山諏訪神社がある熊本県熊本市東区小山学区の熊本市立託麻東小学校を経て熊本市立東部中学校を卒業、県立高等学校を卒業後に熊本大学薬学部と熊本大学大学院の医学研究科博士課程と薬学研究科博士課程を卒業。 熊本大学大学院の医学研究科と薬学研究科に在籍のち大塚製薬など製薬会社で勤務、勲二等瑞宝章を受章し日本薬理学会名誉会員や日本薬学会有功会員である熊本大学薬学部名誉教授の加瀬佳年(1917年3月26日-2003年1月25日)から声が掛かり、1982年から教授と共に大阪山崎のサントリー生物医学研究所にて研究に携わる。
森 光昭(もり みつあき)(1941年6月26日 - 201… 森 光昭(もり みつあき)(1941年6月26日 - 2017年2月16日)は、日本のドイツ文学者。熊本大学名誉教授・顧問、元副学長、理事。同大学における男女共同参画を推進し、他大学でも講演を行っている。正四位、瑞宝中綬章。 長崎県立長崎東高等学校を経て、1965年東京大学文学部独語独文学科卒業後、1967年同大学大学院文学研究科独語独文学専攻修了。1967年金沢大学法文学部助手、1968年同講師を経て、1970年に熊本大学へ異動、教養部講師となる。1972年同助教授、1980年同教授を経て、1997年法学部教授。 1992年に日本独文学会西日本支部長を務めるなど研究に取り組む傍ら、1998年10月から2000年4月まで熊本大学学生部長、2000年4月から同年11月まで初めて設置された副学長を務めた。
相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日… 相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日本の中国研究者、福岡教育大学名誉教授。 中華民国河北省張家口市生まれ。1964年熊本大学法文学部卒、1973年東京教育大学大学院博士課程満期退学、福岡教育大学講師、1975年助教授、1983年教授、2001年定年退官、名誉教授、青山学院大学教授。2012年退職。
桑野 幸徳(くわの ゆきのり、1941年(昭和16年)2月1… 桑野 幸徳(くわの ゆきのり、1941年(昭和16年)2月14日 - )は、日本の太陽電池研究者、実業家。三洋電機代表取締役社長、太陽光発電技術研究組合理事長、大阪電気通信大学理事等を歴任した。集積型アモルファスシリコン太陽電池を世界で初めて工業化させた。 熊本大学理学部卒業。大阪大学にて工学博士号を取得。 1963年、三洋電機に入社。中央研究所に配属となり、アモルファス半導体の研究にとりくみ、1980年にアモルファスシリコン太陽電池の世界最初の工業化に成功した。 1993年に取締役研究開発本部長、1998年に常務となる。 2000年10月、太陽光発電パネルの不正表示が明るみに出て、近藤定男社長が辞任に追い込まれたことを受け、専務だった桑野が後任に就き、05年まで務めた。
小野 友道(おの ともみち、1940年8月 - )は日本の皮… 小野 友道(おの ともみち、1940年8月 - )は日本の皮膚科医。熊本大学皮膚科教授。熊本大学副学長。熊本保健科学大学学長。文筆家。 1940年、山口県徳山市出身(現在:周南市)、徳山高校卒業。1966年熊本大学医学部卒業。インターン無給をなくそうという全国的な闘争があり、1年半後に国家試験を同期と一緒に合格。熊本大学皮膚科入局(教授:中村家政、次期教授: 荒尾龍喜)。国内留学(和歌山大学三島豊教授に電子顕微鏡学を習得)1975年講師、1979年助教授。1982年米国オレゴン州オレゴン州立霊長類研究所に留学。(指導者Dr.Hunan Hu) 1984年以降13年間にわたり、JICAによるタイ国における皮膚科専門医養成コースに協力。
谷井 博美(たにい ひろみ、1940年(昭和15年)5月24… 谷井 博美(たにい ひろみ、1940年(昭和15年)5月24日 - )は、日本の政治家。元福岡県宗像市長(3期)。 1963年(昭和38年)3月、熊本大学法文学部卒業。同年4月、福岡県庁に入庁。1997年(平成9年)、福岡県企画振興部長に就任。1999年(平成11年)、福岡県庁を退職。同年、空港周辺整備機構福岡空港事業本部理事に就任。2001年(平成13年)、旧宗像市の助役に就任。 2003年(平成15年)4月1日、隣接する宗像郡玄海町と合併し、新制の宗像市が発足。引き続き助役を務める。 2006年(平成18年)4月4日、原田慎太郎宗像市長が在職中に死去。これに伴って5月に行われた市長選挙に自由民主党と公明党の推薦を受けて出馬し、無投票で初当選した。
高島 忠平(たかしま ちゅうへい、1939年12月 - )は… 高島 忠平(たかしま ちゅうへい、1939年12月 - )は日本の考古学者。佐賀女子短期大学元学長。学校法人旭学園理事長。邪馬台国九州説を唱える人物の一人で「ミスター吉野ヶ里」と呼ばれる。福岡県飯塚市出身。
上村 直己(かみむら なおき、1939年(昭和14年)-)は… 上村 直己(かみむら なおき、1939年(昭和14年)-)は、日本のドイツ学者、比較文化学者。学位は、博士(文学)。ドイツ学史および日独文化交流史が専門。熊本大学名誉教授。 鹿児島県出身。言語学者上村孝二鹿児島大学名誉教授の二男。兄は、比較文学者の上村和也(鹿児島大学名誉教授)。 幼少期、父・孝二の鹿児島県師範学校赴任にともない満洲国から鹿児島市へ移る。鹿児島県立甲南高等学校卒業。九州大学文学部ドイツ文学科卒業。九州大学文学研究科ドイツ文学専攻博士課程中退。富山大学助教授(ドイツ語)の後、熊本大学教養部教授を経て、1997年(平成9年)の教養部解体にともない熊本大学文学部教授(地域科学科空間地理学講座所属)。
古賀 允洋(こが よしひろ、1938年 - 2020年4月1… 古賀 允洋(こが よしひろ、1938年 - 2020年4月13日 )は、日本のドイツ語学者。熊本大学名誉教授。長崎県出身。 1938年長崎県生まれ。長崎県立長崎東高等学校、1964年東京大学文学部ドイツ文学科卒業、1966年同大学大学院人文科学研究科(現:東京大学大学院人文社会系研究科)独語独文学専門課程修士課程修了。同年4月熊本大学に着任、同大学文学部教授などを歴任し(その間ドイツ学術交流会の奨学金によりザールブリュッケン大学に留学)、2004年に退官、名誉教授。
河野 友信(かわの とものぶ、1937年7月14日 - 20… 河野 友信(かわの とものぶ、1937年7月14日 - 2005年5月18日)は、日本の医師。 1965年(昭和40年)熊本大学医学部卒業、九州大学医学部心療内科大学院中退、医学博士号を持たない[要出典]。東京都立駒込病院心身医療科医長、聖路加国際病院勤務、早稲田大学人間科学部客員教授、1996年(平成8年)東洋英和女学院大学人間科学研究科教授に就任する。2005年(平成17年)4月、メンタル大手町クリニックを開設するが直後の同年5月死去した。満67歳没。
首藤 基澄(しゅとう もとすみ、1937年1月17日- )は… 首藤 基澄(しゅとう もとすみ、1937年1月17日- )は、日本の文学研究者、文芸評論家、熊本大学名誉教授。平成音楽大学教授。日本近代文学が専攻。 大分県大野町生まれ。熊本大学法文学部卒、東京都立大学 (1949-2011)大学院博士課程中退。1977年「近代詩人の研究」で、東京都立大学から文学博士を取得。別府大学講師、熊本大学教養部助教授を経て、1975年に教授。2002年、定年退官、名誉教授。 俳句では『未来図』(鍵和田秞子)に所属。
平田 耿二(ひらた こうじ、1936年10月8日 - 201… 平田 耿二(ひらた こうじ、1936年10月8日 - 2014年6月4日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代政治史。上智大学名誉教授。古代史の戸籍について研究した。
川野 信男(かわの のぶお、1936年(昭和11年)4月17… 川野 信男(かわの のぶお、1936年(昭和11年)4月17日 - )は、日本の政治家。鹿児島県南さつま市長(1期)、同加世田市長(3期)を務めた。 鹿児島県南さつま市の旧加世田市地域出身。熊本大学法文学部卒業。1960年鹿児島県庁に入り、行政考査監(1982年)、企画部調整課長(1984年)、商工労働部工業振興課長(1986年)、商工政策課長(1987年)、総務部人事課長(1988年)、企画部次長(1990年)、総務部次長(1992年)を歴任。1993年に鹿児島県職員を退職。 1993年に加世田市長選挙に立候補して当選する。加世田市長は3期12年間務めた。2005年に加世田市は合併で南さつま市となり、合併直後の市長選挙に立候補して、旧笠沙町長を破って当選した。
藤崎 康夫(ふじさき やすお、1936年3月30日 - )は… 藤崎 康夫(ふじさき やすお、1936年3月30日 - )は、日本の評論家、移民史研究者、児童文学作家。 ブラジル日本語新聞「ニッケイ新聞」(旧名パウリスタ新聞)東京支社名誉支社長。雑誌『児童文学』編集長。 熊本県生まれ。1944年朝鮮から引き揚げ。1958年熊本大学教育学部理科学科卒業。天草、東京で中学校教師等を経て、著作活動へ。南米の日本人移民の調査などを行った。 第17回日本児童文芸家協会賞受賞。弟子に奥野修司などがいる。
蓮田 太二(はすだ たいじ、1936年〈昭和11年〉1月23… 蓮田 太二(はすだ たいじ、1936年〈昭和11年〉1月23日 - 2020年〈令和2年〉10月25日)は、日本の産婦人科医、医学博士。慈恵病院で病院長を務め、親が育てられない赤ちゃんを匿名で受け入れる日本国内唯一の施設(2020年現在)である「こうのとりのゆりかご」を創設したことで知られる。蓮田善明の二男。 台湾の台中商業学校教師として赴任していた国文学者蓮田善明の次男として、 台中市村上町(現西区)で誕生。熊本県立済々黌高等学校で学び、1962年に熊本大学医学部を卒業。 熊本大学産婦人科教室の研究員を経て、1969年(昭和44年)2月からカトリック教会のマリアの宣教者フランシスコ修道会によって設立された社会福祉法人聖母会・琵琶崎聖母慈恵病院に勤務。
江本 裕(えもと ひろし、1936年 - )は、日本の国文学… 江本 裕(えもと ひろし、1936年 - )は、日本の国文学者・近世文学研究者。大妻女子大学名誉教授。 1936年、鹿児島県生まれ。1959年、熊本大学国文科を卒業。早稲田大学大学院に進み、1962年修士課程を修了。 1967年、都留文科大学講師となる。のち助教授昇進。1972年より文部省初中局教科書調査官。1979年、大妻女子大学助教授となった。のち教授昇進。2000年に大妻女子大学を定年退職し、名誉教授となった。
原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - 20… 原田 正純(はらだ まさずみ、1934年9月14日 - 2012年6月11日) は、日本の医師。学位は医学博士。 鹿児島県さつま町出身。ラ・サール高等学校、熊本大学医学部卒業。 熊本大学医学部で水俣病を研究し、胎児性水俣病も見いだす。水俣病と有機水銀中毒に関して数多くある研究の中でも、患者の立場からの徹底した診断と研究を行い、水俣病研究に関して詳細な知識を持った医師でもあった。熊本大学退職後は熊本学園大学社会福祉学部教授として環境公害を世界に訴える。 1972年6月、スウェーデンのストックホルムで開催された「国際連合人間環境会議」に環境学者の宇井純、水俣病患者の濱元二徳、坂本フジエ、坂本しのぶらと出席。
東 孝行(ひがし たかゆき、1933年12月 - 2018年… 東 孝行(ひがし たかゆき、1933年12月 - 2018年2月21日)は、日本の法学者。専門は民事系(民法・民事訴訟法)。熊本県出身。 1933年12月熊本県生まれ。元久留米大学法科大学院法務研究科教授・法学博士(神戸大学)。元判事・久留米大学法科大学院法務研究科初代研究科長(2004.4-2007.3)。神戸大学大学院時代は、柚木馨に師事した。裁判官が民事裁判において作られる「手控え」と呼ばれるものを、「訴訟メモ」と称して、要件事実の整理に用いることを提唱している。 以後、大阪地裁、大阪高裁を中心に、福岡、岡山、秋田(大館支部)、甲府、長崎(佐世保支部)等勤務 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
宮本 俊助(みやもと しゅんすけ、1933年(昭和8年)4月… 宮本 俊助(みやもと しゅんすけ、1933年(昭和8年)4月5日 - )は、日本の工学者。元徳島工業短期大学学長。阿南工業高等専門学校名誉教授。 熊本大学工学部電気工学科卒業。徳島県出身。 徳島県出身。1957年(昭和32年)に熊本大学工学部電気工学科を卒業。 大学卒業後は、1965年(昭和40年)まで熊本電波工業高等専門学校(現在の熊本高等専門学校)の教官を務め、同年より阿南工業高等専門学校の教官となり、同校で助教授・教授を経て、1997年(平成9年)の退官に伴い名誉教授に就任。 阿南工業高等専門学校の退官後は徳島工業短期大学で学長を務めた。 近藤安次郎 1943-1990 | 近藤吉克 1990-2009 | 近藤孝造 2009-2022 | 和田博文 2022-現在 近藤安次郎 | 濱田實 | 宮本俊助 | 近藤康夫 | 山本哲彦 2007-2013 | 宮城勢治 2013-2021 | 多田博夫 2021-現職 徳島工業短期大学の人物一覧 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
毛利 恒之(もうり つねゆき、1933年2月8日 - )は、… 毛利 恒之(もうり つねゆき、1933年2月8日 - )は、日本の脚本家、放送作家、小説家。 福岡県大牟田市で生まれる。福岡県立三池高等学校、熊本大学法文学部国文学科卒業。NHK契約ライターを経て、フリーの放送作家となる。 主な作品に、「マーサ」(九州朝日放送、1961年)、「十八年目の召集」(九州朝日放送、1964年)、「幾星霜」(九州朝日放送、1964年)といったテレビドラマのほか、「福大病院タリウム中毒事件の謎」(福岡放送、1982年)、北洋漁船の衝突事故を扱った「海難を超えて」(仙台放送、1983年)などのドキュメンタリーがある。一方で、KBCの情報ワイド番組「モーニングモーニング」(1986年 - 1998年)の企画立ち上げにも関わる。
光岡 明(みつおか あきら、1932年11月3日 - 200… 光岡 明(みつおか あきら、1932年11月3日 - 2004年12月22日)は、日本の作家である。熊本県熊本市生まれ。
名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 … 名和 宏(なわ ひろし、1932年〈昭和7年〉10月16日 - 2018年〈平成30年〉6月26日)は、日本の俳優。名和 広の表記もある。本名・与縄 章(よなわ あきら)。 熊本県熊本市出身(出生地は広島県)。実家は能の金春流で、20歳まで能楽を学んだ。熊本県立熊本高等学校卒業。熊本大学法文学部中退。日本大学芸術学部在学中の1954年(昭和29年)、日活ニューフェース第1期として日活に入社し俳優デビュー。能楽は破門となる。『若いお巡りさん』『地底の歌』『快傑耶茶坊』等に出演。主演映画も複数あり、『地底の歌』では急速に売り出し中の石原裕次郎を押さえてポスター序列トップである(この時点で裕次郎はダブル主演待遇どまりでトップは一度もない)。
前田 一昭(まえだ かずあき、1932年10月12日 - 2… 前田 一昭(まえだ かずあき、1932年10月12日 - 2023年1月16日)は、日本の裁判官。福岡高等裁判所部総括判事や、福岡地方裁判所所長、高松高等裁判所長官等を歴任した。 熊本県出身。熊本大学法学部卒業後、1957年裁判官任官、福岡地方裁判所判事補。1960年山形地方裁判所判事補。1963年大分地方裁判所判事補。1966年山口地方裁判所下関支部判事補。1967年山口地方裁判所下関支部判事。1968年福岡地方裁判所行橋支部判事。1970年福岡地方裁判所判事。1974年福岡地方裁判所飯塚支部部総括判事。1976年福岡地方裁判所部総括判事。1978年福岡高等裁判所事務局長。1983年福岡高等裁判所判事。
チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yo… チェスキーナ・永江 洋子(チェスキーナ・ながえ ようこ,Yoko Nagae Ceschina、1932年4月5日 - 2015年1月10日)は、日本・イタリアのハープ奏者。音楽家のパトロンとしての活動でも知られた。 熊本県玉名郡玉東町出身。熊本県立第一高等女学校で学んだ後、1952年に熊本大学教育学部附属小学校の代用教員となる。1954年、東京芸術大学のハープ科に入学。その後、同大学を休学し、東京交響楽団でハープ奏者として活動する。 1960年からイタリアのヴェネツィアに留学し、1977年には資産家のレンツォ・チェスキーナと結婚。1982年に夫が死去した後、裁判を経て300億円の遺産を相続し、篤志家として活動するようになる。
森山 恒雄(もりやま つねお、1932年2月21日 - 20… 森山 恒雄(もりやま つねお、1932年2月21日 - 2009年12月28日)は、日本の歴史学者。 専門は日本近世史で、主に豊臣秀吉の蔵入地や加藤清正の研究を手がけた。 熊本県玉名郡に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て、1949年熊本大学教育学部に入学、同校卒業後、1954年熊本県の私立鎮西高等学校に勤務。1956年同校を退職し、九州大学大学院文学研究科修士課程史学専攻に入学。修了後の1958年九州大学大学院文学研究科博士課程史学専攻に入学、1961年同課程を単位取得満期退学。 1963年九州大学文学部助手(国史学研究室)、1964年東海大学講師、1967年同校助教授となる。1971年母校の熊本大学に移り助教授、1977年教授に就任。
荒木 尚(あらき ひさし、1932年1月16日 - 2020… 荒木 尚(あらき ひさし、1932年1月16日 - 2020年1月15日)は、日本の国文学者。熊本大学名誉教授。 福岡県大牟田市生まれ。1954年熊本大学法文学部文学科卒、1957年早稲田大学大学院修士課程修了。1978年「今川了俊の研究」で早大文学博士。1956年熊本大学法学部助手、1962年講師、1964年教養部助教授、1970年法文学部助教授、1975年教授。1985-1987年図書館長、1997年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授、、2010年瑞宝中綬章。
松本 寿三郎(まつもと すみお、1932年(昭和7年) - … 松本 寿三郎(まつもと すみお、1932年(昭和7年) - )は、日本の歴史学者、熊本大学名誉教授。 朝鮮釜山に生まれる。1955年熊本大学法文学部史学科卒業。熊本大学文学部助教授、教授、1998年定年退官、名誉教授、崇城大学工学部教授、退職。
水田 栄久(みずた しげひさ、1931年10月23日 - )… 水田 栄久(みずた しげひさ、1931年10月23日 - )は、日本の経営者。井関農機社長を務めた。熊本県出身。 1955年に熊本大学理学部を卒業し、同年4月に井関農機に入社。1976年2月に取締役に就任し、1978年2月に常務、1986年3月に専務を経て、1988年2月には社長に就任。1992年12月から相談役を務めた。 1994年4月に藍綬褒章を受章。
西田 直敏(にしだ なおとし、1931年8月22日 - )は… 西田 直敏(にしだ なおとし、1931年8月22日 - )は、日本の国語学者。学位は、博士(文学)(東京大学・論文博士・1995年)(学位論文「「自敬表現」の歴史的研究」)。甲南女子大学名誉教授。北海道大学教授・甲南女子大学教授を歴任。 1954年熊本大学法文学部国文科卒。1956年東京大学大学院国語学修士課程修了。1995年、「「自敬表現」の歴史的研究」で、東京大学より博士(文学)の学位を取得。1956年東京大学文学部助手、駒澤大学文学部助教授、1965年北海道大学文学部助教授、1979年教授、1985年甲南女子大学文学部教授。2002年定年退任、名誉教授。 妻は児童文学研究者の西田良子。
西田 良子(にしだ よしこ、1931年2月5日 - 2018… 西田 良子(にしだ よしこ、1931年2月5日 - 2018年7月10日 )は、日本児童文学研究者。 福岡県大牟田市に生まれる。福岡県立大牟田高等女学校に入学。戦後、学制改革により福岡県立大牟田北高校を卒業。1954年、熊本大学法文学部文学科を卒業。卒業論文は「児童文学論」。同年、早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻に入学。修士論文は「赤い鳥研究」。1956年早稲田大学大学院日本文学博士課程満期退学。1956年、国語学者の西田直敏と結婚後、一男一女をもうける。1965年、夫の北海道大学文学部助教授就任に伴い、北海道札幌市に移住。北海道の各大学の非常勤講師を務める。1982年、國學院女子短期大学(現國學院大學北海道短期大学部)助教授、1984年、大阪国際児童文学館総括専門員、業務室長を経て、1991年、大谷大学教授。
前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1931年2月5日 - 2… 前田 勝之助(まえだ かつのすけ、1931年2月5日 - 2013年4月7日)は、日本の技術者・経営者。東レ名誉会長。 福岡県嘉穂郡穂波村大字忠隈(現:福岡県飯塚市)に生まれる。父・繁師(しげのり)は住友鉱山忠隈炭鉱の病院の薬局長、母・道枝は山鹿(熊本県)の御殿医の流れを汲む竹下病院の長女。住友鉱山の庭付きの社宅で育った。姉・上野栄子、兄・慶之助。 菰田小学校時代、約50人の学級の中に朝鮮人が5、6人おり、彼らは1、2歳年上だった。日本人と朝鮮人の生徒間の喧嘩が始まると、級長の前田は間に割って入った。 嘉穂中学校時代は勤労動員に遭遇し、炭鉱で採炭の仕事に明け暮れた。男たちは戦争に駆り出され人手不足だった。
緒方 博丸(おがた ひろまる、1931年1月17日 - 20… 緒方 博丸(おがた ひろまる、1931年1月17日 - 2023年3月18日)は、日本の医学者・麻酔科医。獨協医科大学名誉教授。学位は、医学博士(東京大学)。
魚津 郁夫(うおづ いくお、1931年(昭和6年) - )は… 魚津 郁夫(うおづ いくお、1931年(昭和6年) - )は、日本の哲学者。熊本大学名誉教授。プラグマティズム研究の第一人者とされる。 和歌山県出身。1953年東京大学文学部哲学科卒。1959年東京大学人文科学研究科博士課程修了。岩崎武雄に学ぶ。ハーバードでプラグマティズムを学んだ鶴見俊輔を事実上のリーダーとし、母校旧制田辺中学(現在の和歌山県立田辺中学校・高等学校)の社会科の元教諭でプラグマティストである上山春平も在籍していた思想集団、思想の科学研究会に、東大時代の友人 後藤宏行とともに入会。同研究会で共同研究「転向」等に参加した。1959年熊本大学講師。1970年熊本大学教授。1996年同大学定年退官。
永畑 道子(ながはた みちこ、1930年(昭和5年)9月27… 永畑 道子(ながはた みちこ、1930年(昭和5年)9月27日 - 2012年(平成24年)6月24日)は、日本の女性史家、ノンフィクション作家。 熊本市生まれ。熊本県立第一高等女学校、第五高等学校 (旧制)を経て、1953年熊本大学法文学部東洋史学科卒。熊本日日新聞社会部記者を務めたあと、福音館書店『母の友』編集部を経て、執筆活動に入る。女子美術短期大学教授を務めた。はじめ教育論が多かったが、50代以降、柳原白蓮、与謝野晶子、波多野秋子など、大正期の恋愛事件に関わる女性を描いたものが多くなった。 白蓮事件を扱った『恋の華・白蓮事件』はドラマ『恋の華 白蓮』(NHK総合「ドラマ人間模様」、1985年)の原作となっている。
青木 謙一郎(あおき けんいちろう、1930年 <昭和5年>… 青木 謙一郎(あおき けんいちろう、1930年 <昭和5年> 9月19日 - 2009年 <平成21年> 2月28日)は、日本の地球科学者。専門は岩石学。理学博士。東北大学名誉教授。位階は従四位。 1953年、熊本大学理学部地学科卒業、1959年、東北大学大学院理学研究科地学専攻博士課程修了。東北大学 理学博士 「壱岐島及び東松浦地域のアルカリ岩の岩石学的研究」。 1973年から1994年に退官するまで東北大学理学部教授。カリフォルニア大学サンディエゴ校スクリプス海洋研究所客員研究員、ニューメキシコ大学客員教授、パリ大学客員教授を務め、また、日本岩石鉱物鉱床学会会長、日本火山学会会長、日本学術会議会員を歴任した。
岩代 浩一(いわしろ こういち、1930年8月23日- 20… 岩代 浩一(いわしろ こういち、1930年8月23日- 2012年4月22日)は、熊本県出身の作曲家。父は教育者:岩代吉親、長男は作曲家、音楽プロデューサーの岩代太郎。 蘇陽高校、千原台高校、熊本北高校、苓明高校、翔陽高校、南稜高校、阿蘇清峰高校、国府高校(旧熊本女子商業高校)、慶誠高校(旧熊本女子高校)、文徳高校、熊本西高校応援歌、熊本女子商業創立記念歌 蘇陽中学校、菊池北中学校、出水南中学校、清水中学校、長嶺中学校、大津北中学校、新和中学校、楠中学校、東町中学校、井芹中学校、桜木中学校、文徳中学校、三角中学校 産山北部小学校、久木野小学校、長嶺小学校、青海小学校、東小天小学校、南ヶ丘小学校、三角小学校、境南小学校(東京都)、中松小学校百周年祝歌 県立職能短期大学校歌、東海大学学園歌 『かもめの季節』、東海大学学園歌『阿蘇に生きる』、熊本リハビリテーション学園歌 『明日への歓喜』、菊池少年自然の家の歌 『友情のうた』、熊本市保育園連盟の歌『光を浴びて』、RKK学苑歌、ライオンズクラブ記念歌 『清正公賛歌』、南阿蘇鉄道の歌、日本赤十字健康センターの歌、熊本日産モーター社歌、富田薬品社歌 『明日の花』『九州の大地に』、桜の丘特別養護老人ホームの歌 『桜の丘』、本渡市看護専門学校校歌、崇城大学・逍遥歌『鐘は鳴る』、身障者福祉連合会企画曲 『君は笑顔がよく似合う』、東京都市大学グループ学園歌『夢に翼を』 熊本県民歌『火の国旅情』、熊本県姉妹都市・桂林市歌『さよならは言わずにいこう』『不要説再見』、氷川町村連合歌『氷川のながれ』、宇土市民歌、蘇陽町の歌、三角町の歌、山江村の歌、玉名市民歌、植木農協の歌、合志町の歌、一の宮文化協会の歌、管弦楽組曲『火の国の物語』、弦楽四重奏曲『五木のファンタジー』『火の国旅情によるプレリュード アンドディベルトメント』 合唱曲『正月どんのこらした』『よへほ』『マウント・アソ』「山江村讃歌」その他
坂本 寧(さかもと やすし、さかもと ねい。1930年5月1… 坂本 寧(さかもと やすし、さかもと ねい。1930年5月17日 - 2023年12月2日)は、日本の医師、画家、元坂本善三美術館名誉館長。 1930年(昭和5年)、熊本県菊池郡大津町に生まれる。1946年(昭和21年)より、絵を描き始める。熊本大学大学院医学研究科を修了した医師であり、熊本県宇城市で開業医として医業にたずさわりつつ作家活動を続けてきた。西孝親、坂本善三、海老原喜之助らに師事する。 特に坂本善三には、自身が10代の頃より善三が亡くなるまで長く師事した。善三の死後、坂本善三美術館の立ち上げに関わり、1995年(平成7年)、坂本善三美術館館長に就任する。なお、坂本善三と姓は同じであるが、血縁関係はない。
高木 正幸(たかぎ まさゆき、1930年(昭和5年)3月10… 高木 正幸(たかぎ まさゆき、1930年(昭和5年)3月10日 - 1998年(平成10年)7月13日)は、日本のジャーナリスト、評論家。 1953年(昭和28年)、熊本大学文学部英文学科卒業。同年、朝日新聞社入社。鹿児島支局、西部本社、東京本社社会部、首都部次長を経て、1974年(昭和49年)から東京本社編集委員。 全共闘運動の時代から学生運動に関わる記事を多数執筆し、次いで部落問題の専門記者として鳴らした。1980年(昭和55年)までは部落解放同盟の見解に共鳴し、部落解放同盟寄りの記者と見られていた。この間、シルクロード踏査隊に参加。 1982年(昭和57年)から北九州市同和対策審議会委員。
桑原 潤(くわはら じゅん、1930年3月1日 - 2003… 桑原 潤(くわはら じゅん、1930年3月1日 - 2003年2月26日)は、日本の実業家。ヤクルト本社社長、ヤクルトスワローズのオーナーを務めた。 熊本県出身(出生地は福岡県大牟田市)。三池高校、熊本大学工学部を卒業後、ヤクルト本社に入社。副社長時代の1987年7月に社長の松園尚巳が病に倒れると本社の業務を任され、1988年4月にヤクルト本社社長に就任した。 ヤクルトはプロ野球球団(ヤクルトスワローズ)を保有しており、松園がオーナーを務めていたが、球団については球団社長の相馬和夫がオーナー代行を兼任する形で運営を任されており、当初は桑原は球団運営には関わっていなかった。ところが自身が他球団のオーナーであるにもかかわらず大の巨人ファンとして有名だった松園は、この年に長嶋茂雄の息子・一茂の獲得に成功していたこともあり、一刻も早く長嶋監督就任を実現しようと、まだリーグ優勝チームすら決まっていないシーズン途中の10月3日に、桑原に命令して記者会見を開かせ、現監督関根潤三の任期中にもかかわらず(1989年までの3年契約)、現場の相馬の頭越しに「長嶋氏に来年度からの監督就任をお願いする」と表明させ、翌日には相馬が慌ててこれを取消す事態に発展した。
中村 爲昭(なかむら ためあき、1930年2月5日 - )は… 中村 爲昭(なかむら ためあき、1930年2月5日 - )は、日本の経営者。住友金属工業社長を務めた。 福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)出身。1947年に旧制小倉中学校卒業。熊本大学工学部を経て、1955年に京都大学大学院工学部を修了し、同年に住友金属工業に入社。 小倉製鉄所所長、取締役、常務、鹿島製鉄所所長、専務を経て、1992年6月から1996年6月までに社長を務め、1996年6月から1998年6月までに副会長を務めた。社長在任時には、円高に対応して、人員削減を中心としたリストラを実施した。また、鹿島製鉄所所長在任時には新宮康男とともに住友金属工業蹴球団をJリーグに参加するために地域自治体への陳情活動を行っていた。
斉藤 俊彦(齊藤 俊彦、さいとう としひこ、1929年 - … 斉藤 俊彦(齊藤 俊彦、さいとう としひこ、1929年 - )は、日本の乗り物史研究家。 熊本県生まれ。熊本大学法文学部卒業後、NHKに入社。資料センター主査。退職後、立正大学大学院に学び、1989年「近代における道路交通地理 人力車から自動車へ」で立正大学文学博士。東京交通短期大学非常勤講師を務める。また、『藤沢市教育史』編纂に参加、幼児教育部門を担当。『人力車』で1979年度交通図書賞、『轍の文化史』で1993年度自動車工業史・中尾奨学金受賞、1994年度国際交通安全学会賞受賞。近代道路交通史研究、日本地理学会、交通史学会、富士学会、自動車史研究会会員。
村上 悳(むらかみ なおとし、1929年 - )は、日本の教… 村上 悳(むらかみ なおとし、1929年 - )は、日本の教育者。日本の医学者。専門は環境生理学。山口大学第9代目学長。同大名誉教授。学位は、医学博士(熊本大学・1959年)。 1959年熊本大学より「身体冷却時の体温調節に関する中枢性反応に関する研究」で医学博士の学位を取得。1978年山口大学医学部(第2生理)に在籍時、シンポジウムⅡ「生体機能と日内リズム」にて、‘‘体温と脳内アミン’’と題して講演。1980年、日本体質医学会第30回会長。1986年山口大学医学部教授(1992年まで)。1993年同大学第9代目学長に就任。1996年同大学退官。同大学名誉教授となる。1997年熊本リハビリテーション学院第3代学院長。
津末 昭生(つすえ あきお、1928年9月24日 - 199… 津末 昭生(つすえ あきお、1928年9月24日 - 1995年6月10日)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。熊本大学教授。東京都港区出身。祖父は衆院議員の津末良介。 成蹊高等学校から東京大学へ入学。1954年、理学部地学科(地質学課程)を卒業。鉱床学の渡辺武男教授の指導を受けて大学院に進み、1960年、博士課程を修了(理学博士)、「岩手県釜石鉱山地方の接触交代型鉄、銅鉱床について 」。 理学部地質学教室助手となる。ただちに米国のコロンビア大学・プリンストン大学に留学し、1963年復職。 1970年、熊本大学理学部助教授、1973年、教授となる。1994年、停年退官。この間、1990年から1992年は理学部長を務める。
阿萬 英昭(あまん ひであき、1927年12月6日 - 19… 阿萬 英昭(あまん ひであき、1927年12月6日 - 1998年2月5日)は、日本の経営者。日本新薬社長、会長を務めた。大分県出身。 1948年に熊本薬学専門学校薬学科を卒業し、同年に日本新薬に入社。 1977年に取締役に就任し、1981年6月に常務を経て、1987年6月に社長に就任。1997年6月に会長に就任。 1998年2月5日骨腫瘍のために死去。70歳没。
大浜 方栄(おおはま ほうえい、大濱方榮、1927年10月2… 大浜 方栄(おおはま ほうえい、大濱方榮、1927年10月27日 - 2014年4月28日)は、日本の政治家、医師。位階は従四位。 社会福祉法人・医療法人・財団法人おもと会理事長。元自由民主党参議院議員。 1980年の第12回参議院議員通常選挙(沖縄地方区)に保守系無所属で立候補するも、革新共闘会議の喜屋武真栄に敗北。その後、1983年の第13回参議院議員通常選挙(比例区)で初当選、2期務める。派閥は平成研究会(竹下派→小渕派)。 2014年4月28日午前0時47分、老衰のため沖縄県那覇市の大浜第一病院で死去。86歳没。叙従四位。
川北 徹(かわきた とおる、1927年10月13日 - 20… 川北 徹(かわきた とおる、1927年10月13日 - 2009年6月29日)は、日本の経営者。三井金属鉱業社長、相談役などを歴任。 島根県出身または鹿児島県いちき串木野市旧串木野市地域出身。鹿児島県立第二鹿児島中学校(鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1948年に熊本工業専門学校冶金学科(現熊本大学工学部)を卒業し、同年に三井鉱山に入社した。神岡鉱山(岐阜県)や竹原製錬所(広島県)で製錬技術者として業務に従事。竹原製錬所の労組委員長も務めた。三井鉱山から1950年に神岡鉱業が分離し1952年に三井鉱山から三井金属鉱業に社名変更した後は、三井金属鉱業勤務。1981年に取締役に就任し、1984年6月に常務、1987年6月に専務、1989年6月に副社長を経て、1990年6月には社長に就任した。
有馬 直和(ありま なおかず、1927年(昭和2年)1月26… 有馬 直和(ありま なおかず、1927年(昭和2年)1月26日 - 2013年(平成25年)6月3日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。福岡県直方市長。 福岡県出身。1948年(昭和23年)熊本工業専門学校採鉱科(現熊本大学工学部)卒業。 1952年(昭和27年)有馬鉱業専務、1964年(昭和39年)同社長を経て、1979年(昭和54年)以来、直方市長に4選。1995年(平成7年)引退した。 2013年(平成25年)6月3日、心不全のため死去した。
蟻田 功(ありた いさお、1926年5月15日 - 2023… 蟻田 功(ありた いさお、1926年5月15日 - 2023年3月17日)は、日本の医学者。天然痘の撲滅に尽力した。 熊本県熊本市生まれ。旧制熊本中学、熊本医科大学(現・熊本大学医学部)卒業。 臨床医を経て、1950年に厚生省(現・厚生労働省)に医系技官として入省した。 1962年からWHOアフリカ事務局員としてリベリアに赴任し、天然痘の対策に尽力した。 1977年にはWHOの世界天然痘根絶対策本部長に就任。最後の流行地ソマリアでは紛争の中ワクチン接種を続け、1980年の天然痘根絶宣言につなげた。 1985年に帰国後、国立熊本病院(現・国立病院機構熊本医療センター)院長に就いた。 1988年に日本国際賞を受賞している。