井上 信幸(いのうえ のぶゆき、1937年(昭和12年)3月… 井上 信幸(いのうえ のぶゆき、1937年(昭和12年)3月12日 - 2023年(令和5年)2月22日)は、日本の政治家。位階は正五位。元大分県別府市長。 別府市出身。1959年(昭和34年)日本大学法学部政経学科卒業。 高等学校教師、別府市議会議員、同議長を経て、1995年(平成7年)別府市長に当選した。2003年(平成15年)まで務めた。 2023年2月22日、腎不全のため、死去。85歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
菅谷 真一(菅谷眞一、すがや しんいち、1937年〈昭和12… 菅谷 真一(菅谷眞一、すがや しんいち、1937年〈昭和12年〉3月4日 - 2012年〈平成24年〉12月20日)は、日本の政治家。東京都港区長(2期)。 茨城県出身。日本大学法学部卒業。卒業後は東京都港区役所に入る。区役所では防災、職員、総務の各課長と企画部長を務めた。 1992年(平成4年)港区長山田敬治の死去に伴う区長選挙に立候補し、初当選する。1986年(平成8年)に再選。港区長を2期務め、2000年(平成12年)に区長を引退した。2007年(平成19年)春の叙勲で旭日双光章受章。2012年12月20日死去、75歳。死没日をもって正六位に叙される。
阿部 實(あべ みのる、1936年〈昭和11年〉11月29日… 阿部 實(あべ みのる、1936年〈昭和11年〉11月29日 - 2017年〈平成29年〉3月3日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(2期) 。位階は正六位。 山形県南村山郡上山町矢来(現上山市)出身。山形工業高校を卒業後、日本大学旧工学部に進学。大学卒業後、山形県職員として就職した。山形県庄内総合支庁副支庁長、山形県土地開発公社専務理事、山形県土木部長などを務めた後、1995年に上山市助役に就任。 前市長の急逝を受け、その葬儀翌日となる1999年1月18日に上山市長選に出馬を表明。党派を超えて、国会議員で民主党の鹿野道彦や自民党の遠藤利明らの支援を受け、社民党系元市議の吉田明との選挙戦を制し2月14日に初当選(阿部實12,770票、吉田明10,087票)。
升田 重蔵(ますだ じゅうぞう、1934年11月6日-200… 升田 重蔵(ますだ じゅうぞう、1934年11月6日-2001年10月5日)は、日本の政治家・教育者。北海道島牧郡島牧村出身。北海道寿都町町長(1996年-2001年、2期)。位階は正六位。勲五等瑞宝章受章。 漁師の家に生まれる。北海道小樽水産高等学校卒業。1952年、島牧村の小学校助教諭に就く。日本大学文理学部通信教育課程卒業。日本大学で教員免許を取得し、歌棄中学校や寿都中学校などで教諭を務めた。寿都中学校長を経て、1992年寿都町教育委員会勤務。1994年寿都町教育長。1996年寿都町町長選挙に出馬し、同じ新人の岡部武を破って初当選。2000年も無投票で再選したが、2001年10月 在職中に逝去。
塚田 徹(つかだ とおる、1934年(昭和9年)8月12日 … 塚田 徹(つかだ とおる、1934年(昭和9年)8月12日 - )は、昭和期の政治家。元衆議院議員(3期)。塚田政治経済研究所長。 新潟県出身。1957年、日本大学法学部政治経済科卒業。日産自動車販売勤務を経て光陽商事社長となり、1963年、父の知事転任に伴い衆議院議員総選挙に旧新潟4区から無所属で立候補して、29歳で初当選、以来通算3期。のち自由民主党に入党。 衆院内閣常任委員会理事、日本ユネスコ国内委員、自民党政調内閣部会副部会長等を歴任する。福田赳夫内閣で建設政務次官を務めた。同じ選挙区から白川勝彦が当選してから塚田は落選続きとなり、以後立候補しなかった。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 201… 宮原 巍(みやはら たかし、1934年3月16日 - 2019年11月24日)は、日本出身のネパールの実業家、政治家。 長野県小県郡青木村出身。長野県上田高等学校、日本大学理工学部工業化学科、機械工学科(二部)卒業。在学中は山岳部に所属していた。 理研ビニル工業、千代田化工建設に勤務。1958年に南極地域観測隊第4次隊、1962年にヒマラヤ登山隊、1965年にグリーンランド遠征隊(隊長)に参加。1966年、自転車でインドからネパールに入る。同年ネパール政府通商産業省中小企業局に勤務。1968年にトランス・ヒマラヤン・ツアー社(カトマンズ)、1969年にヒマラヤ観光開発株式会社(本社・東京)を設立。
長谷雄 幸久(はせお ゆきひさ、1933年8月14日 ‐ 2… 長谷雄 幸久(はせお ゆきひさ、1933年8月14日 ‐ 2013年12月3日) は、日本の政治家。公明党衆議院議員(2期)。弁護士。 大分県別府市出身。1961年日本大学法学部卒。卒業後は東京銀行に勤務する。その後、司法試験に合格し、弁護士になる。1976年の第34回衆議院議員総選挙で東京11区から公明党公認で立候補して初当選。2期務める。1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。政界を引退した。落選後は特許事務所を開いた。 2007年3月に中央選挙管理会予備委員、その後2013年3月より中央選挙管理会委員に任命されたが、同年12月3日に死去した。80歳没 。
伊藤 惣助丸(いとう そうすけまる、1933年(昭和8年)3… 伊藤 惣助丸(いとう そうすけまる、1933年(昭和8年)3月8日 - 1998年(平成10年)2月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期、公明党)。 東京都出身。福島県の労働基準局の給仕をしながら定時制高校を卒業し上京。1957年に創価学会入信。1965年日本大学法学部政経学科修了。豊島区議会議員となり。1967年の第31回衆議院議員総選挙において東京5区から公明党公認で立候補して初当選した。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選。以後は同選挙区からは長田武士が立候補した。 この他、山一堂を創立し、社長となった。 1998年2月16日、死去した。64歳没。同年3月10日、特旨を以て位記を追賜され、死没日をもって正五位勲三等に叙され、瑞宝章を追贈された。
西野 善雄(にしの よしお、1933年(昭和8年)2月1日 … 西野 善雄(にしの よしお、1933年(昭和8年)2月1日 - )は、日本の元政治家。大田区長等を歴任。 東京都大田区生まれ。1951年12月、大田区役所に臨時吏員として雇用される。その後働きながら日本大学法学部の夜間部に通い、東京都の幹部試験を受験。都職員となり大田区役所に正式配属された。 大田区役所内の要職(大田区議会事務局長、企画調整課長、企画部長、1980年助役)を歴任して、1987年から2007年までの5期20年、大田区長を務めた。1999年と2006年の2回にわたって特別区長会会長。 区長辞任後、特別区人事委員会委員長及び大田区体育協会会長を務めていた。趣味は読書・囲碁。
久島 正(ひさじま ただし、1932年(昭和7年)11月26… 久島 正(ひさじま ただし、1932年(昭和7年)11月26日 - 2005年(平成17年)2月26日)は、日本の政治家・地方公務員だった人物。 北海道北見市長(1987年-1995年、2期)。北見工業大学教授を歴任した。 北海道常呂郡訓子府町出身。北見市で育つ。 1956年(昭和31年)に日本大学旧工学部建築学科卒業。卒業後、市の職員として技師に就く。その後、北見市商工部長、同建設部長、同企画部長、同総務部長を歴任し、1983年(昭和58年)に同助役に就く。1987年(昭和42年)に寺前武雄の勇退を受けて、北見市市長選挙に出馬し初当選する。2期8年を務め、1995年(平成7年)に新人の小山健一に敗れ落選した。
田沢 智治(たざわ ともはる、田澤 智治、1932年(昭和7… 田沢 智治(たざわ ともはる、田澤 智治、1932年(昭和7年)11月23日 - 2006年(平成18年)11月21日)は、日本の政治家。位階は正四位。勲等は旭日重光章。参議院議員、法務大臣、日本大学理事、日本会理事長を歴任。 神奈川県横浜市出身。1956年に日本大学法学部を卒業。日大会頭・古田重二良の懐刀である。 日大評議員などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から出馬し、初当選。その後、比例区から立候補して、連続当選3回。党内では福田派→安倍派→三塚派に所属。 第2次中曽根内閣 (第1次改造)の通商産業政務次官、参議院文教委員長を経て、1995年の8月に村山改造内閣の法務大臣として初入閣したが、かねてから親密な関係にあった立正佼成会からの2億円借り入れ問題が発覚した。
秋山 重友(あきやま しげとも、1931年(昭和6年)4月2… 秋山 重友(あきやま しげとも、1931年(昭和6年)4月24日 - 1995年(平成7年)6月24日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。山梨県大月市長。 山梨県出身。山梨県立都留高等学校を経て、日本大学旧工学部に入るも中退する。1953年(昭和28年)秋山商店勤務を経て、1960年(昭和35年)中央産業を設立し社長となる。1965年(昭和40年)鳥沢交通取締役、1968年(昭和43年)中央開発代表取締役、1974年(昭和49年)桂川砂利興業に合併し、新たに中央産業を設立し社長となった。 1992年(平成4年)2月、大月市長に就任するが、任期中に死去した。
今道 仙次(いまみち せんじ、1931年(昭和6年)3月28… 今道 仙次(いまみち せんじ、1931年(昭和6年)3月28日 - 2014年(平成26年)3月26日)は、昭和から平成時代の政治家。京都府城陽市長。 京都府久世郡富野荘村(城陽町を経て、現城陽市)出身。生家は農業を営む。1953年(昭和28年)日本大学法学部卒業。 京都府連合青年団団長を経て、1963年(昭和38年)京都府議会議員選挙に立候補し、1967年(昭和42年)から3期務めた。1977年(昭和52年)から城陽市長に5選した。市長在任中は、JR奈良線複線電化促進協議会会長を歴任した。ほか、市政の基本方針として「国際交流の推進」を初めて掲げ、1991年(平成3年)1月の大韓民国の慶山市との姉妹都市盟約締結へ道筋を開いた。
近藤 信好(こんどう のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月2… 近藤 信好(こんどう のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月25日 - 2005年〈平成17年〉5月29日)は日本の政治家。足立区議(2期)、第30代足立区議会副議長、東京都議(6期)、第31代都議会議長を歴任した。長女は足立区長の近藤弥生。 1930年8月25日、群馬県多野郡万場町(現:神流町)に生まれる。1955年に日本大学歯学部を卒業。1958年に近藤歯科医院を開業。1967年から足立区議会議員を2期6年務める。この間、第30代足立区議会副議長(1971年5月25日から1972年7月6日)を務める。1973年、東京都議会議員選挙に足立区選挙区から立候補して、初当選する。都議会では、警務消防委員会委員長(1979年から1980年)、都議会自民党政調会長(1981年から1982年)、都議会自民党幹事長(1983年から1984年)、議会運営委員会委員長(1983年から1984年)を歴任した。
近藤 元次(こんどう もとじ、1930年(昭和5年)6月20… 近藤 元次(こんどう もとじ、1930年(昭和5年)6月20日 - 1994年(平成6年)2月16日)は、日本の政治家。位階は従三位勲一等、勲章は瑞宝章 農林水産大臣、衆議院議員(6期・自由民主党)を歴任した。息子は元自民党衆議院議員の近藤基彦。 新潟県佐渡郡相川町出身。新潟県立新潟工業高等学校を経て日本大学理工学部卒業。 相川町議会議員、新潟県議会議員を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に旧新潟1区からに立候補し初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元など)。連続当選6回。 自民党内では宏池会(大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に所属。
田本 憲吾(たもと けんご、1929年〈昭和4年〉6月8日 … 田本 憲吾(たもと けんご、1929年〈昭和4年〉6月8日 - 2023年〈令和5年〉4月1日)は、日本の政治家。 北海道帯広市長(4期)を務め、中川一郎農林水産大臣の直系市長として帯広空港の建設や鉄道高架事業の誘致を手掛けた。 1929年(昭和4年)6月8日、樺太庁本斗郡内幌町に出生。豊原工業学校在学中に終戦を迎え、1947年(昭和22年)に樺太を引き揚げた。 1953年(昭和28年)、日本大学旧工学部土木工学科本科を卒業し、大豊建設に入社。1955年(昭和30年)に退社し、帯広に帰郷。帰郷後は家業である食堂の経営に携わった。その後、1970年(昭和45年)から帯広市都市計画委員を務め、翌1971年(昭和46年)10月には同委員長に就任。
奥山 澄雄(おくやま すみお、1929年〈昭和4年〉3月25… 奥山 澄雄(おくやま すみお、1929年〈昭和4年〉3月25日 - 2001年〈平成13年〉1月30日)は、日本の政治家。東京都墨田区長(3期)。 愛知県出身。日本大学経済学部卒。東京都墨田区役所に勤務する。企画経営室長、総務部財務課長、建設部計画課長などを経て、助役に就任する。 1987年〈昭和62年〉墨田区長選挙に立候補し、初当選。在任中はJR錦糸町駅北口の再開発、墨田区役所新庁舎、福祉保健センター、郷土文化資料館、すみだトリフォニーホールなどの建設に力を入れ、雨水利用促進制度を発足させるなど、独自の施策を打ち出した。1991年〈平成3年〉に再選。1995年〈平成7年〉には元民社党衆議院議員の伊藤昌弘らを破って三選を果たした。
谷本 巍(たにもと たかし、1928年9月10日 - 201… 谷本 巍(たにもと たかし、1928年9月10日 - 2017年5月7日)は、日本の政治家。社会民主党の参議院議員(2期)。位階は従四位。 福島県郡山市出身。早稲田大学中退。1954年に日本大学法学部を卒業。在学中の1951年、日本農民組合に入る。1958年全日本農民組合連合会(全日農)を結成し、米価、酪農などの各運動を指導。全日農青年部書記長、中央常任委員などを経て、1969年書記長に就任。米価審議会委員も務めた。1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区に日本社会党から立候補して当選し、2期務めた。 議員在職中には参議院逓信委員会と懲罰委員会で委員長を務めた。2001年の第19回参議院議員通常選挙で落選した。
浜田 幸一(はまだ こういち、1928年〈昭和3年〉9月5日… 浜田 幸一(はまだ こういち、1928年〈昭和3年〉9月5日 - 2012年〈平成24年〉8月5日)は、日本の政治家、タレント。株式会社YAMATO名誉顧問。 衆議院議員を7期務め、衆議院予算委員長、自由民主党広報委員長、自由民主党副幹事長などを歴任したが、国務大臣の経験がないまま政界を引退した。 「ハマコー」の愛称で知られ、「国会(政界)の暴れん坊」の異名をもつ。 政界引退後は「政治活動家」を自称していたほか、『ビートたけしのTVタックル』のレギュラーとなり、「悪党党幹事長」を名乗っていた。 千葉県君津郡青堀町(現:富津市大堀)出身。実家は大地主で、徒歩15分かかる青堀小学校まで他人の土地を踏まずに通学していた。
田宮 謙次郎(たみや けんじろう、1928年2月11日 - … 田宮 謙次郎(たみや けんじろう、1928年2月11日 - 2010年5月5日)は、茨城県下館市(現・筑西市)出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・コーチ・監督、解説者・政治家。
文 太俊(ムン・テジュン、朝鮮語: 문태준、1928年1月1… 文 太俊(ムン・テジュン、朝鮮語: 문태준、1928年1月14日 - 2020年3月11日)は、韓国の政治家、医師(神経外科)。元保健社会部長官、第7・8・9・10代国会議員。号は徳巌(トガム、덕암)。本貫は南平文氏(朝鮮語版)、キリスト教徒。 日本統治時代の資本家・中枢院参議の文明琦は祖父。陸軍軍人の蔡命新は妹の夫。 文明琦の長孫として日本統治時代の慶尚北道盈徳郡に生まれた。ソウル大学校医科大学卒業、トーマス・ジェファーソン大学大学院修了、日本大学医学博士。忠北大学校名誉理学博士、トーマス・ジェファーソン大学名誉法学博士。 朝鮮戦争では陸軍の軍医官として参戦した。終戦後は延世大学校主任教授、外来教授を歴任した。
宮里 松正(みやざと まつしょう、1927年11月3日 - … 宮里 松正(みやざと まつしょう、1927年11月3日 - 2003年10月26日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員を3期務めた。 比嘉秀平(1952–1956) 当間重剛(–1959) 大田政作(–1964) 松岡政保(–1968) 屋良朝苗(–1972) 泉有平(1952–1953) 与儀達敏(–1956) 神村孝太郎(–1957) 大田政作(–1959) 瀬長浩(–1964) 小波蔵政光(–1967) 小渡三郎(–1968) 赤嶺義信(–1968) 知念朝功(–1971) 宮里松正(–1972)
金子 佐一郎(かねこ さいちろう、1927年〈昭和2年〉8月… 金子 佐一郎(かねこ さいちろう、1927年〈昭和2年〉8月16日 - 2014年〈平成26年〉8月9日)は、日本の地方政治家、教育者。第5代東京都調布市長。位階は正六位。 1951年(昭和26年)、日本大学農獣医学部畜産学科卒業。卒業後は東京都青少年委員、公明選挙推進委員を経て、保護司となった。1963年(昭和38年)、調布市議会議員に当選し、自民党系の会派に所属した。都議会議員選挙立候補のため、1965年(昭和40年)7月8日付で辞職した。同月の都議選に調布市選挙区から自民党公認で立候補したが、落選した。1966年(昭和41年)3月、私立調布若竹幼稚園(現・学校法人泳光学園調布若竹幼稚園)を開園し、自ら理事長となった。
宮島 滉(みやじま ひろし、1927年2月22日 - 202… 宮島 滉(みやじま ひろし、1927年2月22日 - 2021年4月13日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。次男は元衆議院議員、元長崎県議会議員、第32代佐世保市長の宮島大典。 長崎県佐世保市出身。1953年日本大学法学部卒。農協に入り、農協組合長やテレビ長崎取締役などを務めた。1983年の第13回参議院議員通常選挙で長崎県選挙区から自民党公認で立候補し当選。1988年竹下改造内閣で労働政務次官に就任。翌1989年の宇野内閣でも留任した。同年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。1997年春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。1998年に組合長として土地の評価を水増してさせぼ農協に約4億9000万円、不正に融資をさせたとして引責辞任、背任で逮捕され、懲役3年執行猶予5年の判決を受け、2000年に確定。
森下 昭司(もりした しょうじ、1927年(昭和2年)2月2… 森下 昭司(もりした しょうじ、1927年(昭和2年)2月21日 - 1993年(平成5年)5月15日)は、昭和期の政治家。参議院議員(1期)、愛知県議会議員(5期)。 愛知県名古屋市で生まれる。1952年(昭和27年)日本大学経済学部を卒業した。 衆議院議員赤松勇事務所勤務、参議院議員成瀬幡治の秘書を務めた。 1955年(昭和30年)4月、愛知県議会議員選挙に名古屋市昭和区選挙区から左派社会党公認で立候補し初当選。5期在任。その他、日本社会党愛知県本部書記長、同委員長、同党愛知県議会議員団長などを務めた。 1974年(昭和49年)7月の第10回参議院議員通常選挙に愛知県地方区から社会党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
坂上 富男(坂上 冨男、さかがみ とみお、1927年1月2日… 坂上 富男(坂上 冨男、さかがみ とみお、1927年1月2日 - 2018年4月9日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員を通算3期務めた。 新潟県三条市出身。1949年、日本大学法文学部政経学科卒業。新潟県内の小学校教員となる。 1952年、弁護士税理士事務所を開設。燕三条税理士法人の代表社員になる。三条市議会議員、新潟県弁護士会会長を務める。 1982年4月25日に行われた新潟県知事選挙に社会党・共産党の推薦を得て立候補。現職の君健男との一騎打ちに敗れ落選。 1986年の第38回衆議院議員総選挙に旧新潟3区から、社会党の統一候補として立候補し初当選。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で社会党は坂上と前県議の目黒吉之助の二人に公認を出す。
円山 雅也(まるやま まさや、1926年10月19日 - 2… 円山 雅也(まるやま まさや、1926年10月19日 - 2004年12月)は日本の弁護士、政治家。参議院議員(1期)。別名・遠山雅之。 東京府東京市京橋区(後の東京都中央区京橋)出身。父は日本弁護士連合会会長を務めた円山田作。 1950年、日本大学法学部を卒業後、司法試験に合格。1952年には判事補となる。1956年に退官し弁護士登録、東京弁護士会所属。「円山雅也法律相談事務所」(後の「円山法律事務所」)を設立。以後メディアを中心にわかりやすい法律解説で人気を集め、1975年から日本テレビ系で開始されたテレビ番組『テレビ三面記事 ウィークエンダー』では番組監修を務めただけでなく自らも解説者として出演しており、同番組が円山の知名度を上げるきっかけとなりタレント弁護士の草分け的存在となる。
吉浦 忠治(よしうら ちゅうじ、1926年7月16日 - 2… 吉浦 忠治(よしうら ちゅうじ、1926年7月16日 - 2000年2月15日)は、日本の政治家。公明党衆議院議員(4期)。 佐賀県三養基郡基山町出身。1954年日本大学文学部卒業後、中学校教師を務めた。 1969年の第32回衆議院議員総選挙と1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧千葉3区から立候補するが次点。 1976年の第34回衆議院議員総選挙で初当選。以後4期務める。 1986年の公明党第二四回全国大会で中央統制委員に選出。 1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選。 1996年11月の秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章。 2000年2月15日、死去。73歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
梶山 静六(かじやま せいろく、1926年〈大正15年〉3月… 梶山 静六(かじやま せいろく、1926年〈大正15年〉3月27日 - 2000年〈平成12年〉6月6日)は、日本の政治家。位階は正三位。 内閣官房長官(第60・61代)、法務大臣(第52代)、通商産業大臣(第49代)、自治大臣(第36代)、国家公安委員会委員長(第46代)、衆議院議員(9期)、自由民主党国会対策委員長(第35代・37代)、自由民主党幹事長(第29代)を歴任した。竹下派七奉行の1人に数えられる。 茨城県出身。茨城県立太田中学校(現在の茨城県立太田第一高等学校)、陸軍予科士官学校、陸軍航空士官学校(59期・軍曹)卒業後、日本大学旧工学部(現・日本大学理工学部)土木工学科卒業。家業の石材業を継ぐ。
粕谷 茂(かすや しげる、1926年〈大正15年〉2月14日… 粕谷 茂(かすや しげる、1926年〈大正15年〉2月14日 - 2011年〈平成23年〉10月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。 自由民主党衆議院議員(9期)。東京都出身。北海道開発庁長官(第50代)、沖縄開発庁長官(第19代)を歴任した。 日本大学法文学部政治経済学科卒業。広川弘禅秘書、東京都議会議員を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧東京4区から出馬し初当選。連続当選9回(当選同期に小泉純一郎・加藤紘一・山崎拓・石原慎太郎・三塚博・村岡兼造・保岡興治・瓦力・越智通雄・野田毅・深谷隆司など)。自由民主党内では宏池会(大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に所属。1987年竹下内閣の北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官として初入閣。
伊勢 辰雄(いせ たつお、1925年(大正14年)10月1日… 伊勢 辰雄(いせ たつお、1925年(大正14年)10月1日 - 2006年(平成18年)11月26日)は、昭和から平成時代の政治家。山形県東根市長。勲五等瑞宝章。 東根市出身。日本大学専門部卒業。 東根町職員、山形県建築士会副会長、建築設計事務所会長、東根市振興審議会委員を経て、1990年(平成2年)東根市長に当選。2期務め、1998年(平成10年)引退した。2002年春の叙勲で勲五等瑞宝章を受章。2006年(平成18年)11月26日死去、81歳。死没日をもって正六位に叙される。
浦田 勝(うらた まさる、1925年6月20日 - 2026… 浦田 勝(うらた まさる、1925年6月20日 - 2026年3月5日)は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。元熊本県議会議員(6期)。田中派。
田中 恒利(たなか つねとし、1925年4月1日 - 201… 田中 恒利(たなか つねとし、1925年4月1日 - 2014年1月12日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(6期)。 愛媛県東宇和郡俵津村(現在の西予市明浜町出身)で、半農半漁の家に生まれる。家業だけでなく、青年団活動においても活躍した。1953年に日本大学専門部社会学科を卒業。地元に戻り、愛媛県立宇和高等学校教諭、愛媛労農会議副議長を経て、1969年の総選挙で旧愛媛3区から社会党公認で立候補し初当選した。1972年、1976年、1979年の選挙にも3度立候補したが落選した。それを経て、1980年にはトップ当選となった。その後、1993年まで衆議院議員を6期務めたが、1996年に政界から引退した。
中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 20… 中山 利生(なかやま としお、1925年3月16日 - 2004年9月30日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、防衛庁長官、自民党副幹事長、衆議院安全保障委員長などを歴任。位階は正三位。 衆議院議員を務めた中山栄一の息子として、茨城県稲敷郡龍ケ崎町(現・龍ケ崎市)に生まれた。旧制龍ケ崎中学(現・竜ヶ崎一高)を経て、日本大学法学部を卒業。大学時代は水泳部に所属し、副主将を務めた。 大学卒業後、父の秘書を経て1969年の第32回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧茨城県第1区から出馬し当選。以降9期当選した。法務政務次官や自治政務次官を経て、1992年12月12日、宮澤改造内閣で初入閣し、防衛庁長官に任命された。
坂東 徹(ばんどう とおる、1925年(大正14年)2月13… 坂東 徹(ばんどう とおる、1925年(大正14年)2月13日 - 2010年(平成22年)9月2日)は、日本の政治家。旭川市長、旭川市名誉市民。 北海道旭川市出身。坂東幸太郎の四男として生まれる。1945年(昭和20年)東京獣医畜産専門学校卒業。1948年(昭和23年)旭川市役所に奉職し3年間勤務後、旭川隣保会第三保育所長、敬生会老人ホーム敬生園長などを務め、1959年(昭和34年)に旭川市議会議員に当選。市議4期の間に、市議会副議長も務めた。 1978年(昭和53年)に旭川市長選挙に立候補し、現職の松本勇を破って、初当選。五十嵐広三、松本と続いた革新市政から保守市政を奪還した。以降4期、市長を務めた。
大矢 正(おおや ただし、1925年1月25日 - 1983… 大矢 正(おおや ただし、1925年1月25日 - 1983年1月1日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、日本社会党)。 北海道小樽市出身。日本大学で学ぶ。北海道炭礦汽船に入り、戦後は労働運動に加わり、北海道炭礦汽船労組委員長、北海道炭労委員長となる。1956年の第4回参議院議員通常選挙で北海道から日本社会党公認で立候補して初当選した。以来3期務める。この間参議院文教委員長、同石炭対策委員長、同公害対策及び環境保全特別委員長などを歴任した。1974年の第10回参議院議員通常選挙に出馬せず引退。 1983年1月1日死去、58歳。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
藤井 富雄(ふじい とみお、1924年〈大正13年〉8月17… 藤井 富雄(ふじい とみお、1924年〈大正13年〉8月17日 - 2021年〈令和3年〉7月11日)は、日本の政治家。 東京都議会議員(11期)、公明代表(初代)、公明党最高顧問、公明党東京都本部顧問などを歴任した。 後藤組の元組長の後藤忠政によれば元公明党最高顧問の藤井富雄が後藤のもとを訪れ、池田大作の名のもとに反創価学会の活動をしている有名画家A(仮名)や亀井静香ら4名の暗殺を依頼されたという。また、共同通信社記者の魚住昭は『月刊・現代』の中で藤井が後藤に、創価学会に対して批判的な亀井静香を黙らせて欲しいと依頼する場面が収録されたビデオテープがあることを記している。暗殺リストに名前があった亀井は警察関係者、弁護士などと創価学会対策会議を行うこととなる。
岩崎 純三(岩﨑 純三、いわさき じゅんぞう、1924年(大… 岩崎 純三(岩﨑 純三、いわさき じゅんぞう、1924年(大正13年)5月5日 - 2004年(平成16年)7月10日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。栃木県真岡市長、参議院議員(自由民主党所属)、総務庁長官を歴任した。 栃木県真岡町(現:真岡市)出身。日本大学法文学部政治経済学科卒業。 1951年、真岡町議会議員に当選。1958年の第28回衆議院議員総選挙と1960年の第29回衆議院議員総選挙では栃木2区から自由民主党公認で立候補したが落選した。1962年に栃木県真岡市長に当選。当時、38歳の全国最年少市長だった。1977年まで4期15年務めた。その間、工業団地の造成、神戸製鋼の誘致などに努め、地元発展の基礎を作った。
小林 政子(こばやし まさこ、1924年2月29日 - 20… 小林 政子(こばやし まさこ、1924年2月29日 - 2008年6月28日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員(日本共産党公認)を5期務めた。日本共産党名誉幹部会顧問。 新潟県出身。日本大学を卒業後の1944年小学校教諭に就任。東京都教職員組合(都教組)足立支部執行委員婦人部長や全日本自由労働組合(全日自労)足立分会執行委員婦人部長を経て、1951年に足立区議(4期)、1967年には東京都議にそれぞれ当選する。 1969年の衆院選で旧東京10区(足立・葛飾・江戸川区)から出馬し初当選。この選挙では小林のほか、同じく共産党から不破哲三前議長や山原健二郎ら、自民党では森喜朗元首相や浜田幸一など、後に党・政界を牽引する人士が初当選を飾ったことから、「花の昭和44年組」とも称される。
菅野 壽(かんの ひさし、1923年4月1日 - 2006年… 菅野 壽(かんの ひさし、1923年4月1日 - 2006年8月21日)は日本の政治家、医師。位階は従四位。勲二等瑞宝章。 参議院議員(連続2期・在職12年)、日本医師会常任理事。医学博士(新潟大学)。 宮城県桃生郡北村(現石巻市)出身。旧制石巻中学から1947年日本大学医学部卒業。1972年東武中央病院(埼玉県和光市)開設。菅野総合病院(同)理事長、埼玉県医師会理事、常任理事を経て、1982年から1984年まで花岡堅而会長のもとで日本医師会常任理事を一期務めた。 1989年第15回参議院議員通常選挙比例代表区に日本社会党から出馬し初当選、連続二期。参議院厚生委員会理事、地方行政委員長、環境特別委員長を歴任。
大場 啓二(おおば けいじ、1923年(大正12年)2月10… 大場 啓二(おおば けいじ、1923年(大正12年)2月10日 - 2011年(平成23年)9月1日)は、日本の政治家。東京都世田谷区長(7期)、特別区長会会長を務めた。 現在の山形県最上郡舟形町出身。1940年、東京市経済局に入局。同局に在籍しながら日本大学法学部を卒業した。1943年に世田谷区役所に配属され、農務係長、広報係長、区議会事務局長を歴任した。 1975年、東京都の特別区において区長の公選選挙が復活。社会・共産・民社3党の推薦と公明党の支持を受け、世田谷区長選挙に立候補。自民党推薦の前選任区長の佐野保房、諸派の高田巖を破り初当選した(大場:129,894票、佐野:123,803票、高田:4,231票)。
世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 199… 世耕 政隆(せこう まさたか、1923年1月6日 - 1998年9月25日)は、日本の政治家、医学者、学校法人理事長。位階は正三位。 日本大学第二高等学校卒業。1949年、日本大学医学部を卒業する。同大学に残り、同大医学部皮膚科学の教授に。1960年 日本大学 医学博士。論文の題は「紫斑性皮膚疾患の血液学的分布」。 1965年から父弘一のあとを継ぎ、2代目近畿大学総長・理事長を務める。 1967年に第31回衆議院議員総選挙に自民党公認で旧和歌山2区から立候補し当選するが(当選同期に山下元利・増岡博之・塩川正十郎・加藤六月・河野洋平・中尾栄一・藤波孝生・武藤嘉文・坂本三十次・塩谷一夫・山口敏夫・水野清など)、1969年の第32回衆議院議員総選挙で落選。
金 春洙(キム・チュンス、김춘수、1922年11月25日 -… 金 春洙(キム・チュンス、김춘수、1922年11月25日 - 2004年11月29日)は韓国の詩人、文学評論家、国文学者、政治家である。本貫は光山金氏。慶尚南道忠武市(現在の統営市)出身。 代表作は「花」「ブダペストでの少女の死」など、韓国の教科書に収録されることもある。 1922年11月25日、慶尚南道の忠武で生まれる。統営普通学校と京畿中学校を卒業して、日本大学の芸術科に入学したが、1942年12月に不敬罪の疑いにより退学処分になった。 統営中学校、馬山高校の教師、それから馬山の海印大学(現・慶南大学校)、慶北大学校、嶺南大学校などで教授を務めた。文芸振興院の顧問、韓国詩人協会長などを歴任。
竹内 猛(たけうち たけし、1922年 <大正11年> 9月… 竹内 猛(たけうち たけし、1922年 <大正11年> 9月25日 - 2004年 <平成16年> 11月2日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(8期)。位階は正四位。 長野県諏訪郡湖東村(現・茅野市)出身。 1946年、日本大学法文学部卒業。日本農民組合中央本部書記となり、1949年に社会党に入党。書記局員、農民部長を経て、1966年から中央執行委員組織局長を3期務めた。 落合寛茂の後継として1969年の第32回衆議院議員総選挙で旧茨城3区に社会党公認で立候補するも次点で落選。1972年の第33回衆議院議員総選挙では3位で初当選し、以来衆議院議員を8期期務めた他、同年から社会党茨城県本部委員長も6期務めた。
鄭 幹鎔(チョン・ガニョン、朝鮮語: 정간용、1922年5月… 鄭 幹鎔(チョン・ガニョン、朝鮮語: 정간용、1922年5月9日 - 2003年8月30日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の教員、実業家、政治家。第7・8代韓国国会議員。本貫は慶州鄭氏(朝鮮語版)。カトリック教徒。 日本統治時代の全羅南道莞島郡出身。莞島郡薬山初等学校、平安中学校(京都)、日本大学法科卒。上海臨時政府宣撫団参加。全羅南道光州西中学校・莞島中学校教員、莞島郡水産高等学校・長興高等学校校監を務めた後に政界入り、民主共和党結党メンバー・大統領選挙対策委員長・莞島地区党事務局長・全南地区組織部長・宣伝部長、韓国水産技術協会会長、三光物産重役などを務めた。また、1968年12月11日より第11代大韓バドミントン協会会長を務めた。
大木 正吾(おおき しょうご、1922年〈大正11年〉3月2… 大木 正吾(おおき しょうご、1922年〈大正11年〉3月26日 - 2004年〈平成16年〉3月17日)は、昭和から平成初期の労働運動家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(2期)。 千葉県山武郡松尾町(現・山武市)出身。 1937年(昭和12年)東京浅草寿町郵便局勤務。その後、日本大学法律科に入るが、1943年(昭和18年)に中退し軍務に就いた。 1948年(昭和23年)全逓信従業員組合中央執行委員。1950年(昭和25年)日本電信電話公社関東電気通信局に移り、1953年(昭和28年)に全電通書記長になる。1958年(昭和33年)委員長に就任。1962年(昭和37年)総評幹事。1970年(昭和45年)から6年間事務局長を務めた。
岩波 三郎(いわなみ さぶろう、1922年(大正11年)1月… 岩波 三郎(いわなみ さぶろう、1922年(大正11年)1月28日 - 2013年(平成25年)6月4日)は、日本の政治家。東京都練馬区長(4期)、練馬区教育長を歴任した。 練馬区出身。1939年から東京市板橋区役所練馬派出所に勤務。在職中に日本大学専門部法律科卒業。1947年に板橋区からの分区で練馬区が成立し、練馬区役所勤務となる。練馬区学務課長(1960年-1965年)、庶務課長(1965年-1966年)、納税課長(1966年-1968年)、財務課長(1968年-1971年)、予算課長(1971年)、区民部長(1971年-1973年)などを務めた。庶務課長時代の1964年、学校給食センターにまつわる汚職事件で、東龍太郎都知事から懲戒処分を受けた。
楠 正俊(くすのき まさとし、1921年〈大正10年〉6月1… 楠 正俊(くすのき まさとし、1921年〈大正10年〉6月11日 - 2007年〈平成19年〉12月13日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。海軍軍人。東洋英和女学院大学教授の楠精一郎は息子。 1921年(大正10年)東京府(現在の東京都)生まれ。1947年(昭和22年)文部省大臣官房宗務課(現在の文化庁文化部宗務課)勤務。3年勤務した後、1951年に設立された新宗連の結成に事務局員として参加。後に事務局長を務める。 1965年(昭和40年)第7回参議院議員通常選挙で全国区に自由民主党から出馬し、初当選。1971年(昭和46年)第9回参議院議員通常選挙全国区で再選。1973年(昭和48年)4月30日自民党の玉置和郎参議院議員、藤尾正行衆議院議員と訪台。
閔 庚植(ミン・ギョンシク、朝鮮語: 민경식、1920年12… 閔 庚植(ミン・ギョンシク、朝鮮語: 민경식、1920年12月30日 - 2000年12月22日)は、満洲国のジャーナリスト、大韓民国の政治家、実業家。制憲韓国国会議員。 本貫は驪興閔氏。号は三隠(サムン、三隱/삼은)。 日本統治時代の京畿道龍仁郡(現・龍仁市器興区)出身。日本大学芸術科卒。満州日報記者、大韓青年団員を経て、1948年の初代総選挙に大韓独立促成国民会の候補として龍仁選挙区より出馬し、国会議員に当選した。その後は韓国ポプラ社長を務め、1960年代には全国でポプラの植樹運動を推進した。2000年に死去、享年80。
佐々木 栄造(佐々木 榮造、ささき えいぞう、1920年(大… 佐々木 栄造(佐々木 榮造、ささき えいぞう、1920年(大正9年)12月16日 - 2019年(令和元年)12月26日)は、昭和から平成時代前期の政治家。青森県五所川原市長。号に遠城。位階は従四位。旭日中綬章。 青森県北津軽郡五所川原町(現五所川原市)出身。五所川原農学校を経て、日本大学法学部、同大学大学院法学研究科修士課程修了。1958年(昭和33年)日本青年団協議会長、1959年(昭和34年)青森県議会議員を経て、1962年(昭和37年)五所川原市長に当選。公職選挙法違反で1966年(昭和41年)に一度は失職しながらも直ぐに復帰、1979年(昭和54年)に病気で市長から退くものの2代後の森田稔夫がリコールによって解職されたことに伴い1989年(平成元年)6月に12年ぶり市長に返り咲き。