孫 承徳(ソン・スンドク、朝鮮語: 손승덕/孫承德、1920… 孫 承徳(ソン・スンドク、朝鮮語: 손승덕/孫承德、1920年11月11日 - 1993年5月22日)は、大韓民国の政治家。第9・10・14代大韓民国国会議員。 1920年11月11日に生まれた。春川高等学校を卒業後渡日し、日本大学の専門部(商科)に進学し、卒業した。1973年2月27日に行われた第9代総選挙にて当選し国会議員となり、その後も2度国会議員を務めた。他には江原大学校期成会長、大韓体育会理事、大韓軟式庭球協会会長を務めた。 1992年の第14代総選挙で3選したが、1993年5月22日、江原道春川市漆田洞88公園の前で京春国道を渡る途中に孫娘と共にトラックにひかれて死去した。73歳没。
猪俣 良記(いのまた よしき、1920年(大正9年)10月2… 猪俣 良記(いのまた よしき、1920年(大正9年)10月27日 - 2007年(平成19年)5月22日)は、昭和時代の政治家。位階は正五位。福島県会津若松市長。 会津若松市出身。1943年(昭和18年)日本大学商経学部卒業。 門田村議会議員、会津若松市議会議員を経て、1967年(昭和42年)より福島県議会議員に5選する。1983年(昭和58年)会津若松市長に当選し、1987年(昭和62年)落選した。
厳 廷柱(オム・ジョンジュ、朝鮮語: 엄정주/嚴廷柱、192… 厳 廷柱(オム・ジョンジュ、朝鮮語: 엄정주/嚴廷柱、1920年4月28日 - 2000年4月8日)は、大韓民国の警察公務員、実業家、政治家。第6代韓国国会議員。 本貫は寧越厳氏。号は東泉(トンチョン、동천)。 日本統治時代の江原道寧越郡出身。日本大学経済学部卒。寧越警察署長(1949年6月12日〜1950年3月9日)、韓国鉱業振興株式会社副参事、シンシン薬品株式会社支配人、民主共和党江原第5地区党委員長・中央常任委員を歴任した。1963年の第6代総選挙では寧越・旌善選挙区より民主共和党所属で出馬して当選し、国会議員を1期務めた。以後、大韓鉱業振興公社副社長、韓国ブドウ堂社長、大韓民国憲政会書画委員長などを務めた。
岩男 頴一(いわお ひでかず、1919年(大正8年)1月15… 岩男 頴一(いわお ひでかず、1919年(大正8年)1月15日 - 1976年(昭和51年)8月9日)は、昭和期の医師、政治家。参議院議員、大分県大分郡湯布院町長。 大分県速見郡、のちの由布院村(由布院町、大分郡由布院町、湯布院町を経て現由布市)で生まれた。大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)を経て、1943年(昭和18年)日本大学医学科を卒業した。同年に応召し陸軍軍医として従軍した。 復員後に帰郷し岩男医院を継承した。由布院町青年団長、大分郡連合青年団長なども務め、1952年(昭和27年)の由布院盆地ダム化計画に対して反対運動を行い、計画の中止に貢献した。 1955年(昭和30年)湯布院町の発足に伴い初代町長に就任して5期在任した。
池田 淳(いけだ あつし、1918年(大正7年)12月19日… 池田 淳(いけだ あつし、1918年(大正7年)12月19日 - 1989年(平成元年)6月16日)は、昭和期の地方公務員、政治家。衆議院議員(2期、自由民主党)。 千葉県君津郡竹岡村(現富津市)で、清酒「聖泉」醸造元・池田酒造の二男として生まれた。木更津中学校(現千葉県立木更津高等学校)を経て、1947年(昭和22年)日本大学法文学部卒。 1948年(昭和23年)千葉県庁に入り、地方課長、総務課長、農林部長などを歴任し、1975年(昭和50年)出納長に就任。その後、国民保険会千葉県連合会副会長を務めた。 水田三喜男の後継者として1979年(昭和54年)の第35回衆議院議員総選挙に無所属で千葉県第3区から立候補し当選する。
沢田 広(澤田 廣、さわだ ひろし、1918年11月15日 … 沢田 広(澤田 廣、さわだ ひろし、1918年11月15日 - 2002年2月10日)は、日本の政治家。衆議院議員。 埼玉県大宮市(現さいたま市)出身。 1941年(昭和16年)日本大学文理学部(高等師範)卒業。国鉄職員から国鉄労働組合役員、大宮市議会議員を経て、1959年から大宮市選出の埼玉県議会議員を4期務める。 1972年総選挙に日本社会党公認で旧埼玉1区から立候補するが落選。 旧1区から旧埼玉5区が分離独立した1976年総選挙では旧5区から立候補し、初当選を果たした。以後衆議院議員を6期務める。 この間1979年(昭和54年)11月に衆議院交通安全対策特別委員会理事・1989年(平成元年)に衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長を務める。
尹 炳漢(ユン・ビョンハン、朝鮮語: 윤병한/尹炳漢、191… 尹 炳漢(ユン・ビョンハン、朝鮮語: 윤병한/尹炳漢、1917年12月10日 - 2000年4月5日)は、大韓民国の実業家、政治家。第5代韓国国会議員。 本貫は漆原尹氏(朝鮮語版)。号は曙東(ソドン、서동)。 日本統治時代の慶尚南道の巨済島(現・巨済市河清面)出身。日本大学法学部卒。1960年の第5代総選挙では民主党の公認で巨済郡選挙区から立候補し、他の11人の候補者を抑えて初当選した。1992年、75歳の尹は第14代総選挙に同じ選挙区から5回目の出馬をしたが、当選は第5代のたった1回であった。また、長春韓国僑民青年団長、大韓青年団(朝鮮語版)新馬山特別団副団長、産業日報社主幹・副社長、ミョンドク愛育園長、チャンソン青果株式会社社長、イリャン産業株式会社専務、ハニャン商事社長、用達業協会長などを務めた。
福島 茂夫(ふくしま しげお、1917年11月28日 - 2… 福島 茂夫(ふくしま しげお、1917年11月28日 - 2012年7月15日)は、日本の医師、医学博士、政治家。位階は正五位。 参議院議員(1期、自由民主党)。 埼玉県出身。1942年日本大学専門部医学科(現医学部)卒。1944年、埼玉県児玉郡本庄町(現・本庄市)に福島病院(現・本庄福島病院)を開設し院長となる。埼玉県議会議員(自由民主党)を2期務めた後、1977年の第11回参議院議員通常選挙に日本医師会の政治連盟である日本医師連盟の支援を受け、全国区から自民党公認で立候補、127万を超える票を得て3位当選(自民党候補の中ではトップ)。1980年7月から1981年11月まで鈴木内閣において環境政務次官を務めた。
井野 正揮(いの まさき、1917年(大正6年)5月1日 -… 井野 正揮(いの まさき、1917年(大正6年)5月1日 - 1977年(昭和52年)6月7日)は、昭和期の国家公務員(厚生省)、政治家。日本社会党所属の衆議院議員(1期)、登別開拓農業協同組合長。 広島県出身。牛馬商・井野京一の息子として生まれた。小学校入学直前に北海道上川郡に移住。1931年(昭和6年)美瑛尋常高等小学校卒。20歳で徴兵され野砲兵第7連隊に所属し、衛生兵として満洲、中国を転戦し、陸軍軍曹で終戦を迎えた。 戦後、厚生事務官となり、国立八雲病院勤務、国立登別病院庶務課長、同事務長を歴任。日本社会党に入党し、1951年(昭和26年)北海道議会議員となり4期在任した。 1967年(昭和42年)の第31回衆議院議員総選挙において北海道4区から日本社会党公認で立候補したが落選。
尹 吉重(ユン・ギルジュン、いん きつじゅう、 日本名平沼 … 尹 吉重(ユン・ギルジュン、いん きつじゅう、 日本名平沼 吉重、1916年9月11日〈陰暦8月14日〉 - 2001年10月11日)は、韓国の政治家、弁護士。本貫は坡平尹氏。号は青谷。革新政党・進歩党の幹事長を務めるなど進歩主義勢力で活動した後、全斗煥政権下では与党議員として活動するなど変転の激しい人物として知られる。国会議員を通算で6期(2・5・8・11・12・13代)務めた。 元国会議員の李鉉帥(朝鮮語版)は娘婿。 咸鏡南道北青郡出身。江原道原州郡の文幕普通小学校、京城法政学校を経て日本大学在学中に朝鮮弁護士試験に合格。高等文官試験合格後は朝鮮総督府に勤務し、康津郡守、務安郡守を務めた。1945年2月より朝鮮総督府学務局事務官。
金 翼基(キム・イッキ、朝鮮語: 김익기、1916年2月19… 金 翼基(キム・イッキ、朝鮮語: 김익기、1916年2月19日 - 1992年10月1日)は、大韓民国の実業家、政治家。安東邑長、制憲・第2・3・4・6代韓国国会議員。 本貫は新安東金氏。号は一江(イルガン、일강)。元錦湖アシアナグループ会長の朴定求(朝鮮語版)と元ヘテグループ会長の朴健培は娘婿。 日本統治時代の慶尚北道安東郡出身。日本大学専門部法学科卒。安東酒造株式会社専務取締役、安東金融組合長、独促国民会安東支部副委員長、安東邑長、制憲国会憲法および政府組織法起草委員、第2・3・4代国会社会保健分科委員会委員長、国会憲法委員会委員、酒類業組合中央会長、自由党安東乙区党委員長・院内政策委員長、民政党中央委員会副議長・党務委員、民衆党中央常務委員、イランテヘランIPU総会韓国代表、雲岩鉱山社長、憲政同友会副会長を務めた。
鄭 世煥(チョン・セファン、朝鮮語: 정세환、1915年12… 鄭 世煥(チョン・セファン、朝鮮語: 정세환、1915年12月16日または1916年または1918年 - 1986年10月12日)は、大韓民国の政治家。第3・4代韓国国会議員。本貫は晋州鄭氏(朝鮮語版)。 全羅北道(現・全北特別自治道)高敞郡出身。日本大学政治科卒。高敞中学校財団理事長、大山面(朝鮮語版)金融組合長、中山水利組合長、財団法人政治学院・政治大学理事、国民会全羅北道支部長・道代議員、自由党中央委員、国会財経委員を務めた。 1986年10月12日、高敞郡大山面栗村里の自宅で老衰により死去。享年72。 院内活動は欠席や遅刻がほとんどで、あまり議事堂に姿を見せないため、財務部の正門の前で待てば会えるという噂が広まった。
江崎 真澄(えさき ますみ、1915年11月23日 - 19… 江崎 真澄(えさき ますみ、1915年11月23日 - 1996年12月11日)は、日本の政治家。衆議院議員(17期)、総務庁長官、自治大臣、防衛庁長官などを歴任した。
李 浩根(イ・ホグン、朝鮮語: 이호근、1915年11月20… 李 浩根(イ・ホグン、朝鮮語: 이호근、1915年11月20日 - 1966年4月24日)は、大韓民国の政治家。第2代韓国国会議員、第8代慶尚北道知事を歴任した。 慶尚北道醴泉郡出身。日本大学専門部文科卒。大韓光復青年団醴泉郡支部長、大韓青年団醴泉郡団団長を務めた。36歳の時は1950年の第2代総選挙で醴泉郡選挙区から大韓青年団の候補として当選したが、1954年の第3代総選挙では自由党の公認をもらったものの落選した。民主党政権時代は第8代慶尚北道知事(1960年10月7日〜1961年5月23日)を務めた。1963年の第6代総選挙では民主党の公認を受けて立候補したが、再び落選した。 1966年4月24日、大邱市中区の自宅にて心臓麻痺により死去。
白 亨南(ペク・ヒョンナム、朝鮮語: 백형남、1915年11… 白 亨南(ペク・ヒョンナム、朝鮮語: 백형남、1915年11月3日 - 1950年)は、日本統治時代の朝鮮の教員、校長、大韓民国の政治家。制憲韓国国会議員。本貫は水原白氏。 全羅北道益山郡黄登面(現・益山市)出身。咸羅公立普通学校(現・咸羅初等学校)、全州新興中学校を卒業後、日本大学文学部に入学した。これについて、3年次に中退したとも、修了したとも言われている。完州郡鳳東面私立永興学校の教員、黄登私立ケドン学校の教員と校長を務めたほか、黄登殉国青年同盟委員長、大韓独立促成国民会黄登支会副委員長、韓国光復青年会全北監察委員長と益山郡委員長、大同青年団益山軍団長、黄登軍団長などを務めた。1948年の初代総選挙に大同青年団の公認で益山郡甲選挙区から当選し、国会議員を1期務めた。
小平 忠(こだいら ただし、1915年8月1日 - 2000… 小平 忠(こだいら ただし、1915年8月1日 - 2000年12月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(11期)。正三位勲一等。北海道空知郡栗沢町(現・岩見沢市)出身。民主党元衆議院議員で、野田内閣 (第3次改造)で国家公安委員長を務めた小平忠正は実子。 現在の岩見沢市栗沢町茂世丑地区で、戊辰戦争に敗れ北海道に開拓に入った貧しい家庭に生まれた。 1941年に日本大学経済科を卒業後、出征し南方戦線より帰還した。その後、郷里の北海道へ戻り、北海道農協中央会専務理事を経て、1949年、農民新党公認で第24回衆議院議員総選挙に北海道第4区より立候補し初当選。以後通算当選11回。農民協同党→協同党→右派社会党→日本社会党を経て民社党の結成に参加。
井上 増吉(いのうえ ますきち、1914年〈大正3年〉8月2… 井上 増吉(いのうえ ますきち、1914年〈大正3年〉8月21日 - 2010年〈平成22年〉10月24日)は、昭和から平成時代の政治家。兵庫県小野市長。位階は従五位。 兵庫県小野市出身。旧制小野中学校(現在の兵庫県立小野高等学校)を卒業。1939年(昭和14年)日本大学商経学部経済科卒業。同年日本放送協会に入った。その後、1946年(昭和21年)、山陽利器に入社した。さらに、1951年(昭和26年)、小野町立病院に入った。そして、1952年(昭和27年)明石市役所に奉職し収入役を務めた。 1976年(昭和51年)の小野市長選挙に立候補して、保守・革新双方の推薦を得て、共産党が支持する新人を破って初当選を果たした。
柳原 三郎(やなぎはら さぶろう、1914年(大正3年)7月… 柳原 三郎(やなぎはら さぶろう、1914年(大正3年)7月3日 - 1990年(平成2年)1月25日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 岐阜県岐阜市出身。1932年(昭和7年)岐阜県立岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)を卒業。その後、日本大学を卒業した。 岐阜県会議員に選出され、司法保護委員も務めた。柳原工業工場長、同取締役副社長、岐阜商工会議所議員、岐阜県体育協会長などを歴任。岐阜青年連盟主幹に就任し『暁鐘』を主宰した。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で岐阜県第1区に民主党公認で出馬して初当選。その後、1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した。
浦野 幸男(うらの さちお、1914年1月14日 - 197… 浦野 幸男(うらの さちお、1914年1月14日 - 1977年1月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)、労働大臣(第38代)。自由民主党では宏池会に所属した。 科学技術庁長官の浦野烋興は娘婿。 愛知県西加茂郡猿投村(現豊田市四郷町下古屋)出身。父親の浦野本一は米穀飼料商を営んでいた。猿投第二尋常高等小学校(現豊田市立青木小学校)卒業。1930年3月、東邦商業学校(現東邦高等学校)卒業。日本大学政経科中退後は家業の米穀飼料商に従事する。1935年1月、応召して中国北部へ出征した。1946年1月、食糧営団西加茂支所長に起用される。 1947年、父親の浦野本一は猿投村長選挙に立候補し初当選。
吉永 治市(よしなが じいち、1913年(大正2年)10月1… 吉永 治市(よしなが じいち、1913年(大正2年)10月12日 - 2000年(平成12年)4月4日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。号・望蘇(ぼうそ)。 熊本県上益城郡、後の益城町で生まれた。陸軍に入隊し第106師団に配属され日中戦争に出征し、1939年(昭和14年)11月、独立混成第18旅団独立歩兵第92大隊に情報作戦担当として転属し、中支宋河鎮の警備中に陸軍士官学校将校学生として入学した。1943年(昭和18年)陸軍士官学校を卒業。その後、熊本歩兵第13連隊補充の教育主任となる。陸軍少佐で復員。 戦後、1951年(昭和26年) 日本大学経済学部を卒業した。全国農業会秘書課、西日本肥料工業社長、吉永興業社長、旭観光開発代表取締役などを務めた。
李 雨茁(イ・ウジュルまたはイ・ウチュル、朝鮮語: 이우줄ま… 李 雨茁(イ・ウジュルまたはイ・ウチュル、朝鮮語: 이우줄または이우출、1913年9月27日または1914年または1915年9月27日 - 1976年1月4日)は、大韓民国の教育者、政治家。大邱市議会議員、第3・4代韓国国会議員を歴任した。 祖父の李圭晙は韓方医である。 大邱府(現・大邱広域市)出身。日本大学法学部卒。慶尚北道民族自決闘争本部総司令、嶺南保安隊副隊長、徳化公民学院設立者、大邱市議会文教分科委員長、罹災民同胞自治会委員長、徳化中学校(現・青丘高等学校(朝鮮語版))校長(1954年時点)、大韓傷痍軍人会慶北支部顧問、自立更生院顧問を務めた。自由党所属で第4代国会議員に就任した直後、1958年7月の再検票により林文碩の方が2800票差で勝ったとわかったため、当選無効判決により議員資格を失った。
朴 世東(パク・セドン、朝鮮語: 박세동、1913年3月4日… 朴 世東(パク・セドン、朝鮮語: 박세동、1913年3月4日 - 没年不詳)は、大韓民国の実業家、政治家。第2代韓国国会議員。 江原江陵出身。日本大学法科卒。商会支配人、鉱山経営者、鉱業評論社社長、大韓青年団江陵郡団長、建青首席総務、大韓農民総連盟中央総本部副委員長、大韓独立青年団中央広報部副団長、経済新聞主幹、現代日報創刊主幹・総務局長、大韓反共団中央総本部副団長、大韓啓蒙協会副会長などを務めた。光復後は共産党打倒に尽力し、国会議員在任中は李承晩の政治路線に従って自由党の発展に貢献をしたが、その後族青系と見なされ、除名処分を受ける危機に陥った。
坪内 八郎(つぼうち はちろう、1912年〈大正元年〉12月… 坪内 八郎(つぼうち はちろう、1912年〈大正元年〉12月7日 - 1996年〈平成8年〉12月25日)は、昭和期の教育者、政治家。衆議院議員、剣道七段・達士。 長崎県出身。1940年(昭和15年)日本大学高等師範部修身公民科を卒業した。 帝京商業学校(現帝京大学中学校・高等学校)教諭、長崎逓信講習所教官、長崎市立商業学校(現長崎市立長崎商業高等学校)教諭、同第二商業学校(長崎市立長崎高等学校となり2000年閉校)教諭などを務めた。 政界では、長崎県議会議員、長崎市議会議員に選出された。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で長崎県全県区に無所属で出馬して落選。今村等の公職追放、本田英作の死去により1948年(昭和23年)11月に実施された第23回総選挙の長崎県第1区補欠選挙に民主自由党公認で出馬して初当選。
大西 正道(おおにし せいどう、1912年(大正元年)11月… 大西 正道(おおにし せいどう、1912年(大正元年)11月7日 - 1960年(昭和35年)7月15日)は、大正から昭和期の教育者、労働運動家、政治家。衆議院議員(3期)。 兵庫県飾磨郡花田村(現姫路市花田町)で生まれる。姫路師範学校をへて、1939年(昭和14年)日本大学高等師範部を卒業した。 1939年から兵庫県、東京都、青森県の小学校訓導を務め、青森県立弘前高等女学校(現青森県立弘前中央高等学校)教諭に就任。戦後、労働組合運動に加わり、日本教職員組合が結成されると同中央執行委員、その後、同副委員長に就任した。その他、中央教育復興会議幹事長、ユネスコ全国連盟常任委員、世界連邦建設同盟常任理事、文部省教科書検定委員、全日本仏教会参与などを務めた。
栗原 敬三(くりはら けいぞう、1912年(大正元年)9月1… 栗原 敬三(くりはら けいぞう、1912年(大正元年)9月15日 - 2007年(平成19年)3月30日)は、昭和から平成時代初期の政治家。東京都板橋区長。位階は従五位。 東京府出身。1935年(昭和10年)日本大学専門部を卒業し東京市臨時国勢調査部に奉職する。戦後、1946年(昭和21年)板橋区総務課に転じ、教育長、助役を経て、1979年(昭和54年)板橋区長に当選した。3期務め、1991年(平成3年)引退した。2007年死去。死没日付をもって従五位に叙された。
中沢 茂一(なかざわ もいち、1912年(明治45年)5月5… 中沢 茂一(なかざわ もいち、1912年(明治45年)5月5日 - 2004年(平成16年)11月20日)は、衆議院議員(日本社会党)。 長野県上水内郡芋井村(現長野市)生まれ。昭和12年(1937年)日本大学政治学科卒。桜田製作所に入社し、保険組合常務となり、同19年(1944年)奥田製油所南方総局長兼シンガポール所長として現地に赴任、敗戦で帰国した。同22年(1947年)米倉龍也の秘書となり、長野県農協連合会嘱託、県農民連盟常任参与、信越林産工業協同組合理事長などを歴任した。 昭和27年(1952年)第25回衆議院議員総選挙に長野県第1区から初当選し、同47年(1972年)の第33回衆議院議員総選挙まで断続的に通算8回当選を果たし、主に農政問題に尽力した。
和田 鶴一(わだ つるいち、1912年(明治45年)3月27… 和田 鶴一(わだ つるいち、1912年(明治45年)3月27日 - 1973年(昭和48年)6月1日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。 和田今之助の次男として和歌山県西牟婁郡串本町(現・東牟婁郡串本町)で生まれる。和歌山県師範学校を経て、日本大学法文学部を卒業。 1932年(昭和7年)から和歌山県や東京府の小学校に教員として勤務し、1945年(昭和20年)に帰郷して和歌山県立串本商業学校教諭となった。1947年(昭和22年)、和歌山県水産会総務部長に就任し、1949年(昭和24年)に和歌山県水産振興対策委員会副委員長、串本漁業協同組合理事となり、翌1950年(昭和25年)には推されて和歌山県漁業協同組合連合会長に就任した。
李 亀洙(イ・グス、朝鮮語: 이구수/李龜洙、1912年また… 李 亀洙(イ・グス、朝鮮語: 이구수/李龜洙、1912年または1913年4月18日 - 1967年6月6日)は、大韓民国の政治家。制憲韓国国会議員。 慶南固城郡大可面(朝鮮語版)岩田里に生まれる。小学校、日本大学法科卒。記者を4年間務めた後、会社員、農業をした。 1948年5月に実施された制憲議会選挙にて、慶尚南道固城郡選挙区から無所属候補として出馬し当選した。国会議員当選後は国会財政経済委員会委員を務めた。1948年6月に「統一と均等社会を確約する無所属倶楽部」(통일과 균등사회를 다짐하는 무소속구락부)を結成し、その後も国会内の若手議員が集まった「成仁会」や「同成会」に所属した。 1948年8月に国会本会議で民族反逆行為を処罰する特別法の早急な制定と特別委員会の設置を主張し、同年9・10月に韓米行政移譲協定と米軍駐屯の反対声明の発表に参加した。
矢沢 恒雄(やざわ つねお、1911年〈明治44年〉11月2… 矢沢 恒雄(やざわ つねお、1911年〈明治44年〉11月29日 - 1994年〈平成6年〉5月17日)は、昭和から平成時代前期の政治家。埼玉県加須市長。加須市名誉市民。 埼玉県北埼玉郡加須町(現加須市)出身。日本大学文学部中退。埼玉県に奉職し、同教育民政部厚生課住宅係長、秘書課長、民生部長、農林部長、総務部長を経て、1984年(昭和59年)加須市長に当選。3期務めた。没後の1994年(平成6年)9月、加須市名誉市民に推挙された。
友光 恒(ともみつ つね、1911年(明治44年)9月24日… 友光 恒(ともみつ つね、1911年(明治44年)9月24日 - 1994年(平成6年)11月25日)は、昭和時代の政治家。埼玉県上尾市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 埼玉県北足立郡上尾町(現上尾市)出身。日本大学専門部法科を卒業後上尾町役場に入職する。上尾市議会議員を経て、1968年(昭和43年)同市助役となり、1972年(昭和47年)2月上尾駅東口の再開発(アリコベール)を公約に掲げて市長に当選し4期務めた。上尾市長選挙で北上尾駅開業の是非をめぐり、駅建設見直し派である荒井松司と争い1988年(昭和63年)2月、落選した。1994年死去。死没日付をもって正七位から従五位に進階し、勲四等旭日小綬章を追贈された。
金 善太(キム・ソンテ、朝鮮語: 김선태、1911年7月15… 金 善太(キム・ソンテ、朝鮮語: 김선태、1911年7月15日または8月2日または8月8日 - 1978年11月29日または12月29日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の法曹、政治家、大学教員。第3・4・5代韓国国会議員。 本貫は金陵金氏(朝鮮語版)。別名は逸松、日本名は金澤善太。 全羅南道莞島郡郡外面生まれ、本籍地は忠清南道公州郡。1927年に莞島郡外普通学校を卒業、中学2年生の時にこっそりと海南郡で家の牛を売り、そのお金でソウルに上京した。中東中学校、儆新学校、京城法政学校を経て1936年に日本大学専門部法科に編入、1939年3月に卒業した。同年に高等文官試験司法科に合格した後、光復までは全州・清州・清津で地方法院の判事を務めた。
河本 敏夫(こうもと としお、1911年〈明治44年〉6月2… 河本 敏夫(こうもと としお、1911年〈明治44年〉6月22日 - 2001年〈平成13年〉5月24日)は、日本の政治家、実業家。 衆議院議員を連続17期務め、沖縄開発庁長官(第15代)、対外経済問題・民間活力導入担当大臣(第2次中曽根第1次改造内閣)、経済企画庁長官(第32・34代)、通商産業大臣(第34・36代)、郵政大臣(第28代)、衆議院議員(17期)、自由民主党政務調査会長などを歴任し、一時は「三角大福」に次ぐ自民党の実力者としても知られた。また、政界入り前は海運大手の1社だった三光汽船社長を務めており、政界入りに当たって辞任した後も事実上のオーナーであった。 正三位勲一等旭日大綬章受章。
木下 哲(きのした てつ、1911年(明治44年)6月 - … 木下 哲(きのした てつ、1911年(明治44年)6月 - 1961年(昭和36年)7月25日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 大分県宇佐郡安心院村(安心院町を経て現宇佐市)で、木下淳太郎、ウメの息子として生まれる。大分県立大分中学校(現大分県立大分上野丘高等学校)を経て、1935年(昭和10年)日本大学法律学科を卒業した。 家業の弁当屋・梅乃屋を継承した。兄木下郁から影響を受け、1946年(昭和21年)日本社会党に入党し、1947年(昭和22年)大分県議会議員に当選し2期在任。この間、社会党大分県連書記長、同会長を務めた。1955年(昭和30年)兄の郁が大分県知事選挙に転じたことに伴い、同年2月の第27回衆議院議員総選挙で大分県第1区から右派社会党公認で出馬して初当選し、1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙では社会党公認で出馬して再選され、衆議院議員に連続2期在任した。
尹 亨南(ユン・ヒョンナム、朝鮮語: 윤형남、1911年3月… 尹 亨南(ユン・ヒョンナム、朝鮮語: 윤형남、1911年3月16日または1912年 - 2002年10月9日)は、大韓民国の官僚、政治家、弁護士、ジャーナリスト。漆谷郡・尚州郡郡守、第3・4・5代韓国国会議員を歴任した。本貫は坡平尹氏。 日本統治時代の全羅南道順天郡(現・順天市)出身。全羅南道公立師範学校(現・光州教育大学校)を経て日本大学法学科卒。高等文官試験司法科・行政科合格。漆谷郡・尚州郡(現・尚州市)郡守、外務部法務課長、法制処法制官、光州朝鮮衆報主筆、弁護士、民主党中央委員・全南道党副委員長、内閣責任制改憲起草委員、第5代国会民議院法制司法委員長(1960年10月2日~1961年5月16日)を務めた。
多田 勇(ただ いさむ、1911年(明治44年)2月8日 -… 多田 勇(ただ いさむ、1911年(明治44年)2月8日 - 1990年(平成2年)3月12日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 千葉県香取郡佐原町(佐原市を経て現香取市)で生まれる。1931年(昭和6年)日本大学商業学校(現在の日本大学第一中学校・高等学校)を卒業した。 房総新聞記者となる。以後、千葉県砂糖卸商業組合専務理事、同日用品配給統制組合常務理事、千葉県生活用品販売副社長、東日本産業社長、多田印刷社長、千葉県印刷工業組合理事長、全日本印刷工業組合連合会理事、同常務理事、同副会長、日本印刷工業会理事、全国印刷工業健康保険組合理事、千葉印刷団地協同組合理事長、関東五県印刷工業厚生年金基金理事、千葉陸上競技協会会長、千葉県体育協会副会長、同顧問などを務めた。
長谷川 政友(はせがわ まさとも、1910年(明治43年)1… 長谷川 政友(はせがわ まさとも、1910年(明治43年)11月20日 - 1980年(昭和55年)3月14日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 福井県大野郡上庄村木本(現大野市)出身。政治家を目ざして16歳で上京し、苦学して1935年(昭和10年)日本大学法文学部政治科を卒業した。 北海道庁嘱託、同農林主事を歴任。1942年(昭和17年)に応召し、終戦により1945年(昭和20年)に復員した。1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で福井県全県区から民主党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。この間、1948年(昭和23年)に政治資金に関する問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された。
向井 長年(むかい ながとし、1910年11月6日 - 19… 向井 長年(むかい ながとし、1910年11月6日 - 1980年6月23日)は、日本の労働運動家、政治家、参議院議員(4期)。 1910年、奈良県宇陀郡室生村に生まれる。1932年日本大学法律学科卒業。はじめ東邦電力に入社、奈良支店に配属、戦後は関西電力に属す。日本電気産業労働組合(初代書記長は佐々木良作)が結成されると関西地方本部委員長に就任するが、後に電産執行部の路線を批判して脱退。関西電力労働組合を結成して初代委員長となる。 奈良総評議長4期を経験し、1959年7月の参院選全国区に日本社会党から立候補し初当選(連続4回)。 1960年1月前年に社会党から離党した旧右派系(西尾派、河上派の一部)による民主社会党結成に参加。
北島 義彦(きたじま よしひこ、1910年〈明治43年〉5月… 北島 義彦(きたじま よしひこ、1910年〈明治43年〉5月30日 - 1959年〈昭和34年〉1月7日)は、日本の政治家。元自由民主党都議会議員。1964年東京オリンピック大会招致実行委員長。位階は正六位。勲等は勲五等。 佐賀県小城郡小城町(現・小城市)生まれ。日本大学卒業。会社顧問、北区立赤羽小学校PTA会長などを歴任した。1943年(昭和18年)3月に東京府会議員となった。同年9月の東京都議会議員選挙に当時の王子区から立候補して初当選を果たした。柔道5段。 戦後の1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補したが落選した。落選後は翌1947年(昭和22年)から北区選挙区から民主党公認で都議に当選した。
受田 新吉(うけだ しんきち、1910年5月18日 - 19… 受田 新吉(うけだ しんきち、1910年5月18日 - 1979年9月21日)は、昭和期の政治家。位階は正三位、勲等は勲一等。衆議院議員(12期)。 山口県大島郡大島町(現周防大島町)出身。日本大学法科卒業。青年学校長、中学校校長、山口県教職員組合副委員長を経て政界入り。無所属、日本社会党(左右分裂時は右派社会党)を経て民社党結成に参加し、党中央執行委員や国会議員団長を務めた。 1963年8月、大島町公民館建設資金として10万円寄付により1964年4月18日紺綬褒章受章。 1979年、体調を崩し、声が出なくなる病に倒れたため引退を表明し、後継者に受田の元秘書で山口県議会議員の部谷孝之を指名。同年9月21日、肺癌のため茨城県新治郡桜村の筑波大学附属病院で死去した。
内藤 利紀(ないとう としのり、1910年(明治43年)3月… 内藤 利紀(ないとう としのり、1910年(明治43年)3月18日 - 1983年(昭和58年)4月10日)は、日本の政治家。東京都保谷市(現・西東京市)長(2期)。 福島県出身。1934年日本大学法文学部法律科を卒業。卒業後は逓信省に入り、簡易保険局書記となる。1951年保谷町議会議員となり、のち市制施行で保谷市議会議員となる。1969年保谷市長に当選。市長就任後は小学校や保育園、児童館の建設、休日診療所の開設、市街化区域及び市街化調整区域の決定、市の木を「ケヤキ」、市の花を「サザンカ」に決定した。ほか、1977年に市長を退任するまで教育や福祉の各施設、都市計画や環境整備の拡充に力を尽くした。
木原 津與志(きはら つよし、1909年9月28日 - 19… 木原 津與志(きはら つよし、1909年9月28日 - 1971年4月17日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。弁護士。 長崎県出身。1932年日本大学法律科卒。卒業後は朝鮮に渡り、朝鮮総督府で検事をしていた。終戦後に引揚げ、長崎市で弁護士を開業した。長崎県労働委員会中立委員、同会長代理となり、1951年の長崎市長選挙では現職の大橋博に対抗する形で無所属で立候補したが、同じ弁護士の田川務に破れて落選した(現職の大橋も落選)。 その後、1952年第25回衆議院議員総選挙で長崎1区から日本社会党左派公認で立候補して初当選し、6回当選した。この間1963年の第30回衆議院議員総選挙で落選、1967年の第31回衆議院議員総選挙で復帰、1969年の第32回衆議院議員総選挙に出馬せず引退した。
中田 弘二(なかた こうじ、1909年9月14日 - 没年不… 中田 弘二(なかた こうじ、1909年9月14日 - 没年不詳)は、俳優、政治家である。本名は中田 博二(なかた ひろじ)。 1909年(明治42年)9月14日、長崎県長崎市瀬ノ脇町(現在の同市飽の浦町)に生まれる。父中田猪十郎(生年不詳 - 1914年)は貿易商・土木労力請負業を経営する傍ら、国家主義者頭山満の政治結社玄洋社に入社し、孫文(1866年 - 1925年)の第三革命にも参加していた。 朝日尋常小学校(現在の長崎市立朝日小学校)から長崎県立瓊浦中学(現在は廃校)を経て、1930年(昭和5年)、日本大学専門部芸術科を卒業。卒業後、直ちに野戦銃砲第6聯隊に幹部候補生として入隊。除隊した1932年(昭和7年)10月、スカウトされて日活太秦撮影所に入社。
渡辺 一太郎(わたなべ いちたろう、1909年(明治42年)… 渡辺 一太郎(わたなべ いちたろう、1909年(明治42年)4月6日 – 1991年(平成3年)1月22日)は、昭和期の内務・警察官僚、政治家。参議院議員、千葉県副知事。 東京府出身。日本大学専門部を経て、1934年(昭和9年)同大学法文学部を卒業した。1936年(昭和11年)長野県巡査に任官。1938年(昭和13年)10月、高等試験行政科試験に合格し、厚生省に入省。以後、徳島県農務課長、鹿児島県庶務課長、神奈川県商工課長、鳥取県警察部長、警察庁参事官、千葉県警察本部長、臨時行政調査会専門委員などを歴任。1963年(昭和38年)千葉県副知事に就任した。また、戦時中は陸軍司政官に転出した。 1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙に千葉県地方区から自由民主党公認で出馬して当選し、参議院議員に1期在任した。
小宮 市太郎(こみや いちたろう、1909年(明治42年)2… 小宮 市太郎(こみや いちたろう、1909年(明治42年)2月14日 - 1966年(昭和41年)10月2日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員。 福岡県、現在の大牟田市で生まれる。福岡県立三池中学校(現福岡県立三池高等学校)、福岡県八女工業学校(現福岡県立八女工業高等学校)を経て、日本大学で学んだが軍事教練反対で退校処分となり、1928年(昭和3年)長野県師範学校を卒業した。 その後、長野県・福岡県内の公立小学校で勤務。文部省教員検定試験に合格し中等教員免状を取得し、朝鮮公立高等女学校、母校の三池中学校、新制三池高等学校の教員を務めた。 戦後、教職員組合の結成に参画し、福岡県教職員連合会文化部長、福岡県高等学校教職員組合副委員長、大牟田地区労働組合評議会会長などを務めた。
占部 秀男(うらべ ひでお、1909年(明治42年)2月11… 占部 秀男(うらべ ひでお、1909年(明治42年)2月11日 - 1978年(昭和53年)10月13日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員。 神奈川県出身。1929年(昭和4年)日本大学商科を卒業した。 1929年、東京毎夕新聞社に入社。その後、東京都主事に転じた。労働運動に加わり、東京都職員労働組合委員長(7期)、全日本自治団体労働組合(自治労)委員長(5期)、官公労議長などを務めた。自治労政治部長、同東京都本部地方選挙対策委員長として、美濃部亮吉革新知事の実現に尽力した。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙で全国区に日本社会党公認で立候補して落選。1953年(昭和28年)4月の第3回通常選挙で全国区に左派社会党公認で立候補して落選。
柳 聖甲(ユ・ソンガプ、朝鮮語: 유성갑、1909年または1… 柳 聖甲(ユ・ソンガプ、朝鮮語: 유성갑、1909年または1910年11月11日 - 没年不明)は、大韓民国の政治家。制憲韓国国会議員。仏教徒。 本貫は高興柳氏(朝鮮語版)。ハングル表記はリュ・ソンガプ(류성갑)とも。 日本統治時代の全羅南道高興郡出身。漢文修学を経て宝城郡筏橋宋明学館、城西学院中学校卒。大正大学予科修了、日本大学法科卒。満洲で活躍した後、大韓独立促成全国青年総連盟常任委員、国民会青年団監察委員長・総務部長、東国大学講師、国華女子専門学校教授、檀民党所属の国会議員、国会法制司法委員を務めた。
山田 長司(やまだ ちょうじ、1908年(明治41年)3月2… 山田 長司(やまだ ちょうじ、1908年(明治41年)3月23日 - 1972年(昭和47年)3月2日)は、日本のジャーナリスト、農民運動家、政治家。日本社会党衆議院議員(6期)。 栃木県安蘇郡新合村閑馬(田沼町を経て現佐野市閑馬町)で生まれる。1925年(大正14年)に上京し、苦学して1932年(昭和7年)日本大学法律科を卒業した。萬朝報、時事新報、名古屋新聞の記者を務めた。1935年(昭和10年)時事新報社解散反対ストライキを主導した。1936年(昭和11年)日本無産党栃木県支部連合会長に就任したが、1937年(昭和12年)12月の人民戦線事件で検挙された。その後、情報局嘱託、日本移動展協会専務理事、日本輿論研究所長などを務めた。
林 了(はやし りょう、1908年〈明治41年〉3月9日 –… 林 了(はやし りょう、1908年〈明治41年〉3月9日 – 1953年〈昭和28年〉12月20日)は、昭和期の歯科医師、政治家。参議院議員(1期)、日本大学歯学部教授。医学博士。 福井県福井市生まれ。1929年(昭和4年)日本大学歯科医学校(現日本大学歯学部)を卒業。同年、歯科医院を開業。1932年(昭和7年)日大歯科医学校附属医院に勤務。以後、城西病院歯科部長、日大歯科医学校長、日大歯学部教授を歴任。 その他、日本歯科医師会理事、同事務局長、同常務理事、同税制対策委員長、日本歯科医師政治連盟(現日本歯科医師連盟)理事長、臨時診療報酬調査会委員、臨時医療保険審議会委員、社会保険診療報酬支払基金理事、軽井沢会理事長、軽井沢国際観光協会顧問、八欧無線(株)顧問などを務めた。
安孫子清水(あびこ しみず、1908年1月9日 - 1994… 安孫子清水(あびこ しみず、1908年1月9日 - 1994年3月26日)は、日本の政治家である。 1933年日本大学法文学部卒業。 1937年弁理士登録。 1959年自由民主党北区支部事務局長。 1964年滝野川信用金庫理事。 1969年東京都議会議員。1989年まで5期20年間務めた。 1980年11月の秋の叙勲で勲七等から勲五等に叙され、瑞宝章を受章し、1989年11月の秋の叙勲で勲四等に叙され、瑞宝章をそれぞれ受章する。 1994年3月26日、死去した。86歳没。同年4月19日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって従五位に叙された。 桜門紳士録刊行会編『桜門紳士録』桜門紳士録刊行会 昭和57年6月10日
河合 弘道(かわい ひろみち、1907年(明治40年)11月… 河合 弘道(かわい ひろみち、1907年(明治40年)11月3日 - 1991年(平成3年)12月15日)は日本の政治家。鳥取県米子市長(5期)、金光教米子教会長。位階は従五位。 鳥取県西伯郡米子町(現在の米子市)道笑町に生まれる。 明道校から米子中学校(現在の米子東高校)へ進学する。 1931年(昭和6年)日本大学社会学科卒業。同大学社会学研究室助手となり、やがて講師、次いで1938年(昭和13年)予科の教授となる。 1946年(昭和21年)故郷米子に帰り、金光教米子教会長に就任。 戦後のすさんだ人々の心を導くと共に、社会教育の振興に取り組んだ。中でもボーイスカウトの再建、児童福祉施設わかば園の経営などの活動を通じて、次第に市政の在り方に関心を寄せ、彼を囲む市民の幅広い支持を得て、1963年(昭和38年)市長選に立候補し当選、1983年(昭和58年)4月までの5期20年に亘る長期間在職した。