東瀬 耕太郎(あずせ こうたろう、1967年5月6日 - )… 東瀬 耕太郎(あずせ こうたろう、1967年5月6日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(投手)。
明治大学:181人
東瀬 耕太郎(あずせ こうたろう、1967年5月6日 - )… 東瀬 耕太郎(あずせ こうたろう、1967年5月6日 - )は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(投手)。
田原 伸吾(たはら しんご、1967年4月25日 - )は、… 田原 伸吾(たはら しんご、1967年4月25日 - )は、日本の元アマチュア野球選手(外野手)・コーチ、TDK社員。 此花学院高校の強打者として知られ、本塁打を量産して「浪速のベーブルース」としてスポーツ紙で取り上げられた。また、当時は清原和博のライバルと目されていた。 その後、明治大学卒業を経て社会人野球熊谷組、TDKでプレーする。 1983年、此花学院高校に入学する。1年生からレギュラーで出場し本塁打を量産した。高校通算で78本のホームランを打ち、これは同学年の清原を14本上回る成績であった。 PL学園野球部の練習場の付近で練習していたため、PL学園が練習を終えるまでは自分たちも練習を続けると意識したという。
平塚 克洋(ひらつか かつひろ、1966年1月29日 - )… 平塚 克洋(ひらつか かつひろ、1966年1月29日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ。 漫画『ど根性ガエル』に登場するキャラクター・佐川梅三郎に風貌がそっくりなことから、愛称は「ウメさん」。 野球部2期生として入学した春日部共栄高時代は、エースで4番打者を務めた。3年次の1983年には夏の甲子園埼玉大会で準々決勝に進出するが、長嶋一茂のいた立教高に惜敗。 高校卒業後は明治大学へ進学し、同期の武田一浩との二本柱で活躍。登板の無い時は一塁手としても活躍し、東京六大学リーグでは2年次の1986年に秋季で優勝を経験。リーグ通算28試合登板、6勝7敗、防御率2.27を記録。 大学卒業後は朝日生命へ入社し、外野手へ転向すると、同年の都市対抗にNTT東京の補強選手として出場。
高柳 出己(たかやなぎ いずみ、1964年6月2日 - )は… 高柳 出己(たかやなぎ いずみ、1964年6月2日 - )は、埼玉県久喜市出身の元プロ野球選手(投手)。1996年の登録名は髙柳 出己(読み同じ)で、引退後も日本プロ野球OBクラブなど一部活動では「髙柳」表記を用いている。 野球を始めたのは中学校の頃からで小学校時代は剣道をやっていた。後にこの剣道の経験がけん制やフィールディングに役立ったという。久喜市立久喜南中学校卒業後、春日部工高に進学するも、高校時代は登板機会に恵まれなかった。2年秋に関東大会初戦で先発するも敗退。1年先輩には、当時投手だった古川慎一がいる。 高校卒業後は、明治大学のセレクションを受け合格していたものの、社会人野球の日本通運に入社。
福王 昭仁(ふくおう あきひと、1964年1月10日 - )… 福王 昭仁(ふくおう あきひと、1964年1月10日 - )は、東京都町田市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。 日大三高では「三高野球部史上最高の遊撃手」と評価され、2年次の1980年からレギュラーの座を勝ちとる。同年の春季関東大会では準決勝に進むが、愛甲猛らのいた横浜高に敗退。夏の甲子園西東京大会は準々決勝で國學院久我山高に惜敗。同年の秋季東京大会は準々決勝に進むが、早稲田実の荒木大輔に完封を喫し、甲子園には出場できなかった。もの静かで温厚な性格、責任感は人一倍強く3年次の1981年には主将を任される。高校卒業後は1982年に明治大学へ進学し、東京六大学野球リーグでは在学中に2度の優勝を経験。
善波 達也(よしなみ たつや、1962年8月11日 - )は… 善波 達也(よしなみ たつや、1962年8月11日 - )は、神奈川県綾瀬市出身の元アマチュア野球選手(捕手)、野球指導者。 桐蔭学園高校では3年夏の県大会で近藤章仁とのバッテリーで決勝へ進むが、エース・愛甲猛を擁して後に全国制覇する横浜高に敗れる。卒業後に明治大学に進学して硬式野球部に所属し、東京六大学野球リーグでは1983年の春季と1984年の秋季の制覇に貢献。1984年の秋季はベストナインに選出された。同年の日米大学野球選手権大会の全日本メンバーにも選ばれた。4年時には主将を務めて同期の竹田光訓とバッテリーを組み、同じ学年に4番の広澤克実、1学年下に福王昭仁がいた。 大学卒業後は、社会人野球の東京ガスのチームに入団した。
竹田 光訓(たけだ みつくに、1962年8月9日 - )は、… 竹田 光訓(たけだ みつくに、1962年8月9日 - )は、東京都荒川区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 在日朝鮮人であり、本名は宋 光訓(ソン・グァンフン、송광훈)。 中学時代はバレーボール部に所属。日大一高時代は平松政次(横浜大洋ホエールズ)に憧れ、彼のフォームを手本にしていた。高校時代はエースとして活躍するが、3年夏は東東京大会4回戦で敗れ甲子園には出場できなかった。 卒業後は明治大学に進学。明治大学硬式野球部時代は、東京六大学野球リーグ3回優勝を経験。同期の広沢克己とともにチームを引っ張り、1983年春季リーグ、1984年秋季リーグの優勝に貢献。1983年から2年連続で日米大学野球選手権大会日本代表に選出され、いずれもMVPを受賞している。
広澤 克実(ひろさわ かつみ、本名:広沢 克己(読み同じ)、… 広澤 克実(ひろさわ かつみ、本名:広沢 克己(読み同じ)、1962年4月10日 - )は、元プロ野球選手(内野手、外野手)、元プロ野球コーチ、ナショナルチーム・コーチ、野球解説者。茨城県結城市出身。
田中 武宏(たなか たけひろ、1961年4月10日 - )は… 田中 武宏(たなか たけひろ、1961年4月10日 - )は、兵庫県神戸市出身の元野球選手(外野手)、野球指導者。 舞子高校卒業後の1980年、明治大学文学部に進学し東京六大学野球連盟所属の野球部に入部した。俊足の外野手として出場した。 大学卒業後の1984年、社会人野球の日産自動車に入社し、8年間プレーした。家庭の事情で故郷の関西に戻る必要から将来的な日産野球部指導者としての道もあったが固辞し、退部した。大阪での社業専念後、日産自動車販売会社の兵庫日産自動車に出向した。垂水営業所の営業担当となり、日産・ブルーバード等の日産車の販売業務に携わる。在籍期間の約3年間で約120台近くを販売した。 2011年からは、母校・明治大学野球部のコーチを務めた。
沖 泰司(おき やすし、1961年1月5日 - )は、愛媛県… 沖 泰司(おき やすし、1961年1月5日 - )は、愛媛県松山市出身の元プロ野球選手(内野手、捕手、外野手)、プロ野球コーチ。
石井 雅博(いしい まさひろ、1960年9月4日 - )は、… 石井 雅博(いしい まさひろ、1960年9月4日 - )は、和歌山県有田市出身の元プロ野球選手(外野手)。
武藤 哲裕(むとう てつひろ、1960年 - )は、日本の元… 武藤 哲裕(むとう てつひろ、1960年 - )は、日本の元社会人野球選手(投手、右投右打)。
平田 勝男(ひらた かつお、1959年7月31日 - )は、… 平田 勝男(ひらた かつお、1959年7月31日 - )は、長崎県松浦市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。現在は阪神タイガースで二軍監督を務めている。 松浦市今福町出身。長崎市の海星高等学校に進学し、2年生で遊撃手のレギュラーになり、打順2番を務め、1年先輩の好投手酒井圭一を擁して第58回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、準決勝でPL学園高等学校に延長戦の末に敗れた。翌年の第49回選抜高等学校野球大会にも出場し、同大会では開会式の選手宣誓を行っている。2回戦(初戦)で、高知県立中村高等学校の山沖之彦投手に抑えられ敗退した。 卒業後は明治大学に進み、当時の野球部監督・島岡吉郎の指導を受けた。
鹿取 義隆(かとり よしたか、1957年3月10日 - )は… 鹿取 義隆(かとり よしたか、1957年3月10日 - )は、高知県香美市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。
高橋 三千丈(たかはし みちたけ、1956年11月10日 -… 高橋 三千丈(たかはし みちたけ、1956年11月10日 - )は、静岡県熱海市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ、解説者・評論家。2016年からは名古屋産業大学硬式野球部の監督を務める。
豊田 誠佑(とよだ せいすけ、1956年4月23日 - )は… 豊田 誠佑(とよだ せいすけ、1956年4月23日 - )は、東京都練馬区出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、プロ野球コーチ。右投右打。1988年から1997年までの登録名は豊田 成佑(読み方同じ)。 日大三高では、右翼手として1974年春の選抜に出場。向陽高を破り2回戦に進むが、銚子商高の土屋正勝に抑えられ敗退。この大会の本塁打記録は1本と珍しい大会であったが、その1本は豊田が土屋から打ったランニングホームランであった。 高校卒業後は、明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは3度の優勝を経験。 1977年春季リーグで首位打者を獲得。 1978年春季リーグでは鹿取義隆、高橋三千丈の両エースを擁し、中心打者として優勝に貢献。
川口 啓太(かわぐち けいた、1954年7月15日 - )は… 川口 啓太(かわぐち けいた、1954年7月15日 - )は、元アマチュア野球選手(内野手)、野球指導者。 初めは日大一高に通学していたが、日体荏原高に転校する。高校卒業後に明治大学に進学して硬式野球部に所属。東京六大学野球リーグではエースの丸山清光や名取和彦の好投もあり、1975年に春秋季連続優勝を飾る。同年春季リーグではベストナイン(三塁手)に選出された。直後の全日本大学野球選手権ではこの大会初となる満塁本塁打も記録するが、準決勝で中畑清を打の主軸とする駒大に敗退する。しかし同年の明治神宮野球大会は、決勝で因縁の駒大を降し優勝を飾った。 その後は江戸川学園取手高校の野球部部長、沼津学園高校の監督を務めた。
伊藤 文隆(いとう ふみたか、1954年5月11日 - )は… 伊藤 文隆(いとう ふみたか、1954年5月11日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。愛知県名古屋市中村区出身。プロ選手としては、阪神タイガースに所属した。 社会人野球時代の1972年から1978年までは「伊藤 弘利」(いとう ひろとし)、1979年から1985年までは「伊藤 宏光」(いとう ひろみつ)の登録名でプレーした。 大同工業高校では、エースとして1972年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、中京高の金本誠吉と投げ合い敗退。同年のプロ野球ドラフト会議で中日から5位指名を受けるも入団を拒否。その後、明治大学に進学するも中退。 社会人野球の三協精機に入社。1977年の都市対抗では1回戦で愛知トヨタに完投勝利。
荒井 信久(あらい のぶひさ、1954年3月19日 - )は… 荒井 信久(あらい のぶひさ、1954年3月19日 - )は、千葉県山武市出身の元アマチュア野球選手(捕手)、元指導者。 千葉県山武郡松尾町(現在の山武市)出身。成東高校では、のちに中日に入団する1年下の鈴木孝政とバッテリーを組む。1971年には夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東関東大会準決勝に進むが、竜ヶ崎一高に1-2で惜敗し、甲子園への出場を果たすことができなかった。 高校卒業後に明治大学に入学。東京六大学野球リーグでは、同期でエースの丸山清光や名取和彦とバッテリーを組み、1975年に春秋季連続優勝を飾る。同年の第4回日米大学野球選手権大会日本代表にも選ばれた。同年の明治神宮野球大会に出場、決勝で中畑清を打の主軸とする駒大を降し優勝を果たした。
八木 勝彦(やぎ かつひこ、1952年 -)は、日本の元アマ… 八木 勝彦(やぎ かつひこ、1952年 -)は、日本の元アマチュア野球選手である。ポジションは投手、外野手。 大宮高校では1970年夏の甲子園県予選でエースとして活躍し、2回戦において、飯能高校を相手にノーヒットノーランを達成。しかし、準々決勝で上尾高校に敗れ、甲子園への出場を果たすことができなかった。同年のドラフト会議で大洋ホエールズから5位指名されたが入団を拒否。 明治大学に進学し、外野手に転向する。東京六大学野球リーグでは、1974年秋季リーグで、首位打者を獲得し、ベストナインにも選ばれた。 大学卒業後は朝日生命に入社。1976年の都市対抗から補強選手として、5年連続出場した。引退後は野球部副部長を務めた。
井上 明(いのうえ あきら、1951年 - )は、日本の元学… 井上 明(いのうえ あきら、1951年 - )は、日本の元学生野球選手(投手)、新聞記者。愛媛県松山市生まれ。
今井 恒夫(いまい つねお、1948年 - )は、東京都出身… 今井 恒夫(いまい つねお、1948年 - )は、東京都出身の元アマチュア野球選手(投手)。 明治高等学校では1年上の古川義弘(明治大学-日本楽器)とバッテリーを組み、1965年春の選抜に出場。1回戦で田原本農を降すが、2回戦では岡山東商の平松政次と投げ合い0-1で惜敗。同年夏の甲子園都予選は6回戦で日大二高に敗れる。同年秋季東京大会は準々決勝に進むが国士舘高に敗退。 明治大学に進学し、古川と再びバッテリーを組む。東京六大学野球リーグでは1969年春季リーグで8年振りに優勝。主軸であった星野仙一、池島和彦両投手が卒業し下馬評は高くなかったが、1年上の古屋英雄との二本柱で早大、法大を振り切った。同年の全日本大学野球選手権大会では東海大の上田二郎に抑えられ、2回戦敗退。
鈴木 一比古(すずき かずひこ、1948年 - )は、長野県… 鈴木 一比古(すずき かずひこ、1948年 - )は、長野県出身の元アマチュア野球選手(内野手)。 伊那北高等学校では、1966年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、エース吉江喜一を擁する塚原高に完封負け。卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは一塁手として活躍。1969年春季リーグで8年振りに優勝を飾る。主軸であった星野仙一、池島和彦両投手が卒業し下馬評は高くなかったが、1年上の古屋英雄、同期の今井恒夫が好投、早大、法大を振り切った。同年の全日本大学野球選手権大会では東海大の上田二郎に抑えられ、2回戦敗退。ベストナイン(一塁手)に2回選出されている。大学同期に外野手の辻哲也らがいる。
小野寺 重之(おのでら しげゆき、1947年10月24日 -… 小野寺 重之(おのでら しげゆき、1947年10月24日 - )は、日本の社会人野球選手(外野手)、元Jリーグ・柏レイソル社長。宮城県生まれ。 気仙沼市出身。宮城県気仙沼高等学校では1965年、夏の東北大会県予選準決勝に進むが古川工業に敗退。甲子園には出場できなかった。卒業後は明治大学に進学。名将島岡吉郎監督の指導を受ける。東京六大学野球リーグでは、1967年春季リーグから四番打者に抜擢され、1969年春季リーグで8年振りに優勝。直後の全日本大学野球選手権大会では東海大の上田二郎投手に抑えられ、2回戦敗退。同年の第8回アジア野球選手権大会日本代表に選出される。外野手としてベストナインに2回選出。
倉田 晃(くらた あきら、1947年4月14日 - )は、福… 倉田 晃(くらた あきら、1947年4月14日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。1973年の登録名は倉田 隆司(くらた たかし)。 博多工業高では1964年、2年生の時に遊撃手として春の選抜に出場。エース橋本孝志を擁し準決勝まで進出するが、尾道商の小川邦和に抑えられ完封負け。しかし、同年6月の新潟国体では、決勝で尾道商を降し初優勝を飾る。 高校卒業後は、明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは1968年春季リーグで打率.441を記録、首位打者となる。1969年春季リーグでは同期の古屋英雄、1年下の今井恒夫の好投もあって8年ぶりの優勝を飾った。古屋以外の大学同期に外野手の小野寺重之らがいた。
池島 和彦(いけじま かずひこ、1947年2月9日 - )は… 池島 和彦(いけじま かずひこ、1947年2月9日 - )は、大阪府豊中市出身(南河内郡河南町生まれ)の元プロ野球選手(投手)。 島上高校卒業後の1966年に明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、同期のエース・星野仙一の陰に隠れがちであったが、次第に力を付け投手陣の双璧として活躍。実力では星野よりも上と評価されるようになり、4年次の1968年には春季・秋季リーグで3勝ずつ挙げる。 同年のドラフトで読売ジャイアンツから8位で指名されるが、肩の故障もあって拒否し、大学卒業後の1969年に三協精機へ入社。モーター製造三課に勤務する傍ら、明大の先輩である光沢毅監督の指導を受ける。明大時代はオーバースローの本格派右腕であったが、前述の肩の故障でスリークォーター気味の技巧派に転換。
多田 勉(ただ つとむ、1943年10月9日 - )は、徳島… 多田 勉(ただ つとむ、1943年10月9日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
松岡 功祐(まつおか こうすけ、1943年2月9日 - )は… 松岡 功祐(まつおか こうすけ、1943年2月9日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。
石岡 康三(いしおか こうぞう、1941年4月16日 - 2… 石岡 康三(いしおか こうぞう、1941年4月16日 - 2019年10月18日)は、千葉県長生郡一宮町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ。 中学時代は遊撃手としてプレーし、一宮商業高校卒業後の1960年に明治大学へ進学。明大では捕手の倉島今朝徳、外野手の三浦和美と同期になり、東京六大学リーグでは後藤晃吾・八木孝ら主力投手と共に辻佳紀とバッテリーを組む。2年次の1961年では春季で優勝を経験し、同年の全日本大学選手権では準決勝で日大に敗れる。リーグ通算36試合登板、10勝12敗、防御率1.78、143奪三振を記録。 大学卒業後の1964年に国鉄スワローズへ倉島と共に入団。本格派右腕と期待され、同年はジュニアオールスターにも出場した。
成島 和久(なるしま かずひさ、1941年度生まれ)は、東京… 成島 和久(なるしま かずひさ、1941年度生まれ)は、東京都出身の元野球選手。 東京都品川区出身で、品川区立大崎中学校、明治高校、明治大学を経て、社会人野球の日本コロムビアで野球選手として活躍した。明治高校では春、夏1度ずつ2度の甲子園出場を果たした。第40回全国高等学校野球選手権大会東京都代表決勝戦では、王貞治が投手だった早稲田実業学校と戦い、1対1で延長戦に入り、延長12回表に早稲田実業に4点を取られたが、その裏明治が5点を奪い劇的な逆転サヨナラ勝利で、甲子園出場を果たした。この時成島は2年生でショートを守っていた。王貞治は今でもこの時のことを生涯忘れられないと語っている。 卒業後は明治大学に入り、東京六大学野球で活躍し、東大戦でホームランも打っている。
辻 佳紀(つじ よしのり、1940年12月20日 - 198… 辻 佳紀(つじ よしのり、1940年12月20日 - 1989年4月25日)は、福井県敦賀市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者。
八木 孝(やぎ たかし、1940年9月16日- )は、大分県… 八木 孝(やぎ たかし、1940年9月16日- )は、大分県出身の元プロ野球選手。現役時代のポジションは投手、外野手。
別部 捷夫(わけべ よしお、1940年7月28日 - )は、… 別部 捷夫(わけべ よしお、1940年7月28日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手、捕手。
一枝 修平(いちえだ しゅうへい、1940年7月24日 - … 一枝 修平(いちえだ しゅうへい、1940年7月24日 - )は、大阪府大阪市天王寺区出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家。
三原 新二郎(みはら しんじろう、1940年7月20日 - … 三原 新二郎(みはら しんじろう、1940年7月20日 - )は、広島県広島市己斐(現西区己斐)出身の高校野球指導者である。広島県山陽高校野球部元監督。
倉島 今朝徳(くらしま けさのり、1940年6月24日 - … 倉島 今朝徳(くらしま けさのり、1940年6月24日 - 2013年7月3日)は、長野県出身のプロ野球選手(捕手・内野手)。 長中3年生の時に野球を始め、上田松尾高では1年生の時、神津進投手とバッテリーを組み、1957年夏の甲子園に捕手、六番打者として出場。前年度優勝校の平安高を降し準々決勝に進出するが、この大会に優勝した広島商の山中英明(法大)に完封負けを喫した。同年秋の静岡国体は1回戦で 早実高を降すが、準々決勝で法政二高の延藤謙吉(三重交通)らに抑えられ完封負け。翌1958年春季北信越大会に進むが、準決勝で小松実に敗退。1959年夏は県予選準々決勝で小諸商に敗れる。 卒業後は明治大学へ進学。
城之内 邦雄(じょうのうち くにお、1940年2月3日 - … 城之内 邦雄(じょうのうち くにお、1940年2月3日 - )は、千葉県佐原市(現:香取市)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 小学校時代は陸上部に所属し、中学校入学と同時に野球を始めるが、中学時代は控え一塁手で3年春には野球部を退部。進学した佐原一高では入学時にバレーボール部へ入部したが、部員不足の野球部から勧誘を受けて同年6月に移る。入学当初は一塁手であったが、秋から肩の強さを見込まれて投手となる。最初はオーバースローで投げていたが、高校に野球を教えに来ていた明治大学の選手から勧められて2年生の6月頃からサイドスローに転向した。同年秋からエースになると一念発起し、毎朝10キロのランニング、ハンドグリッパーを握り続けながら登校などの努力を続ける。
漆畑 勝久(うるしばた かつひさ、1939年10月12日 -… 漆畑 勝久(うるしばた かつひさ、1939年10月12日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 清水東高校では1957年春季中部大会決勝に進み、掛川西高を降し優勝を飾る。同年の夏の甲子園に四番打者、遊撃手として出場。2回戦(初戦)で、この大会に準優勝する法政二高の延藤謙吉(三重交通)、青木武文(駒大)の継投の前に完封を喫する。1年後輩のチームメートに捕手の鈴木悳夫がいた。 1958年に明治大学へ進学。東京六大学野球リーグでは後藤晃吾、八木孝両投手を擁し、1961年春季リーグで優勝。同年の全日本大学野球選手権大会に出場するが、準決勝でエース宮田征典を擁する日大に敗れた。
金 博昭(こん ひろあき、1939年1月7日 - )は、東京… 金 博昭(こん ひろあき、1939年1月7日 - )は、東京都出身の元プロ野球選手(外野手)。 帝都育英工を1年で中退し、再入学した日大二高から明治大学、日本大学へ進学したが、それぞれ一年で中退。 1960年に、当時は準硬式野球部であった立正佼成会へ進んだ。翌年にチームが硬式に転向し、1963年には熊谷組、1964年にはサッポロビールの補強選手として都市対抗に出場。1965年の都市対抗にエース若生和也を擁しチーム初出場。大会史上に残る大応援団のもと、1回戦で三重交通を降すが、2回戦で松下電器に敗れた。この大会では打率.528で首位打者となる。また1967年には、監督兼選手としてチームを率いた。同年都市対抗に再度出場し、打率.444を記録し優秀選手となった。
岡野 義光(おかの よしみつ、1938年11月28日 - )… 岡野 義光(おかの よしみつ、1938年11月28日 - )は、茨城県つくば市出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、外野手)。 土浦第一高校では、捕手として1956年春季関東大会県予選決勝に進出するが水戸商に惜敗。夏の甲子園県予選でも準決勝に進むが水戸一高に敗れる。高校の1年下に安藤統男がいた。 明治大学に進学。1年上に佐々木勲がおり、その後継として4年生からレギュラーとなる。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかった。卒業後は三協精機へ入社。1962年の産業対抗では準々決勝に進むが東黎工業に敗退。 強肩に定評があり、1962年シーズン途中に中日ドラゴンズへ入団。当時の中日は吉沢岳男が近鉄に移籍し、中心打者の江藤慎一を捕手に回すなど苦しい状況にあり、一軍定着が期待された。
佐々木 勲(ささき いさお、1937年10月10日 - )は… 佐々木 勲(ささき いさお、1937年10月10日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手(捕手)。
一色 俊作(いっしき しゅんさく、1937年7月22日 - … 一色 俊作(いっしき しゅんさく、1937年7月22日 - 2013年4月24日)は、日本の高校野球指導者。元愛媛県立松山商業高等学校野球部員で、後に監督として愛媛の高校野球の基礎を作った。
池田 英俊(いけだ ひでとし、1937年〈昭和12年〉5月1… 池田 英俊(いけだ ひでとし、1937年〈昭和12年〉5月13日 - 2023年〈令和5年〉1月16日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 進学校・福岡高校では当初遊撃手であったが、1年次の1953年秋から投手に転向。2年次の1954年には夏の甲子園県予選で準決勝に進み、小倉高の畑隆幸と投げ合うが0-1で惜敗。その後も県予選で敗れ、甲子園出場はならなかった。 高校卒業後は西鉄の誘いを断り、1956年に兄が講師をしていた明治大学へ進学。1年次の同年秋季リーグから投手陣の主軸となり、東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、2年次の1957年秋季に7勝を記録。長嶋茂雄らのいた立大には及ばぬも2位躍進に貢献したが、冬休みのランニング中に肉離れを起こす。
近藤 和彦(こんどう かずひこ、 1936年3月2日 - 2… 近藤 和彦(こんどう かずひこ、 1936年3月2日 - 2002年6月10日)は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(外野手)。
八名 信夫(やな のぶお、1935年8月19日 - )は、俳… 八名 信夫(やな のぶお、1935年8月19日 - )は、俳優、元プロ野球選手。岡山県岡山市出身。血液型B型。悪役商会所属。本名は同じ。
岡田 忠弘(おかだ ただひろ、1935年4月26日- 没年不… 岡田 忠弘(おかだ ただひろ、1935年4月26日- 没年不明)は、栃木県出身の元プロ野球選手(投手)。 栃木県立栃木高等学校を卒業後、明治大学を経て、1958年に東映フライヤーズへ入団。この年には、東京六大学リーグ時代のライバルであった杉浦忠(立教大学卒)らも、自身と同時にプロ入りしている。準硬式上がりの投手でもあった。 しかし、1年目から華々しい活躍を見せた杉浦達とは対照的に、中継ぎを中心とした地味な役回りに終始した。 フライヤーズが南海ホークスと熾烈な優勝争いを展開した1961年には、スライダー・カーブ・シュートを武器にプロ初勝利を含む3勝を挙げている。 1963年には広島カープへ移籍し、自己最多タイの24試合に登板するも勝ち星には恵まれず、同年暮れに引退した。
関口 一郎(せきぐち いちろう、1935年2月19日 - )… 関口 一郎(せきぐち いちろう、1935年2月19日 - )は、1950年代に大洋ホエールズに在籍した東京都中央区出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 明治高校では控え投手。1952年春季関東大会決勝に進み、宇都宮高を相手に先発を任せられるが、初回に打ち込まれ降板している。卒業後は明治大学に進学。東京六大学野球リーグでは3年生までに3回の優勝を経験。貴重な左腕として期待されるが、1年上の秋山登の陰に隠れ登板機会には恵まれなかった。しかし秋山が卒業した1956年春季リーグでは、中田昌宏、衆樹資宏ら強打者揃いの慶大を完封し、一躍脚光を浴びる。その後は投手陣の中軸として起用されるが、チームは春季3位、秋季4位に終わった。
荻 孝雄(おぎ たかお、1934年12月6日 - 2014年… 荻 孝雄(おぎ たかお、1934年12月6日 - 2014年12月)は、福岡県久留米市出身のプロ野球選手。
田村 満(たむら みつる、1934年8月28日 - )は、静… 田村 満(たむら みつる、1934年8月28日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 静岡県立富士高等学校から明治大学に進学するが、人間関係が原因で大学を中退。1954年に先輩の勧めで、新球団・高橋ユニオンズの春季キャンプにテスト生として参加し、実力を認められて高橋に入団した。 プロ2試合目の登板となった6月12日の対西鉄ライオンズ戦で8回表にプロ野球記録のイニング7与四球を記録した。この試合を最後に登板機会がないままシーズンを終了。シーズンオフに、球団から来期の契約を結ばない旨の通告を受けるが、投手コーチ・若林忠志の配慮により、2月にテストをするので、春季キャンプには参加するようにとの連絡を受ける。
佐々木 重徳(ささき しげのり、1934年4月21日 - )… 佐々木 重徳(ささき しげのり、1934年4月21日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。右投右打で、ポジションは二塁手。