和田 好清(わだ よしきよ、1937年(昭和12年)- )は… 和田 好清(わだ よしきよ、1937年(昭和12年)- )は、日本のジャーナリスト、学者、政治活動家である。島根県大田市出身。早稲田大学卒業。産経新聞記者、藤田正明参議院議員政策担当秘書、新自由クラブ島根県連合代表、米アラスカ大学政治学客員教授、グアム大学政治学教授・総長顧問などを務めた。
早稲田大学:342人
和田 好清(わだ よしきよ、1937年(昭和12年)- )は… 和田 好清(わだ よしきよ、1937年(昭和12年)- )は、日本のジャーナリスト、学者、政治活動家である。島根県大田市出身。早稲田大学卒業。産経新聞記者、藤田正明参議院議員政策担当秘書、新自由クラブ島根県連合代表、米アラスカ大学政治学客員教授、グアム大学政治学教授・総長顧問などを務めた。
伊藤 明彦(いとう あきひこ、1936年11月5日 - 20… 伊藤 明彦(いとう あきひこ、1936年11月5日 - 2009年3月3日)は、日本のジャーナリスト。被爆者の声を聴き、伝えることに人生をかけた。 伊藤明彦は、入社8年後の1968年11月からNBC長崎放送のラジオ番組「被爆を語る」をスタートさせた。第1回放送は、11月5日火曜日。偶然にも32歳の誕生日だった。早朝の6分間、週3回の放送だった。これは、被爆地の放送局として「被爆者の声」を収録するとともに、長期的に保存し、その一部を放送するという新しい企画提案であった。ライフワークと思っていたが、番組を担当してわずか半年後に、この番組の担当を社内の事情でおろされ、佐世保支局へ転勤させられた。 その後、ラジオ番組「被爆を語る」は番組名を「長崎は証言する」に変更され、現在もなお毎週土曜日、朝6:40からの5分番組として長崎に在住している被爆体験者の声を取材して放送している。
伊藤 正孝(いとう まさたか、1936年10月23日 - 1… 伊藤 正孝(いとう まさたか、1936年10月23日 - 1995年5月31日)は、日本のジャーナリスト、編集者。朝日ジャーナル編集長、朝日新聞編集委員。 福岡市に生まれる。福岡学芸大学附属福岡中学校、福岡県立修猷館高等学校を経て、1955年早稲田大学文学部に進学するが、中学・高校の同期で親友であった山崎拓が商学部に入学したこともあり、翌年転入。なお、2人は中学時代に同じ文芸部に所属し、山崎が部長で伊藤は副部長であった。卒業後、山崎がブリヂストンタイヤに就職したため一時同社に入社するが、1960年朝日新聞に転職。山崎との親交は終生続いた。朝日新聞では、鹿児島支局、福岡支局社会部、1969年、東京本社社会部、1970年、アフリカ特派員、1972年、東京本社政治部、1977年、ダルエスサラーム特派員、1980年、カイロ特派員などを務める。
轡田 隆史(くつわだ たかふみ、1936年3月5日 - 20… 轡田 隆史(くつわだ たかふみ、1936年3月5日 - 2022年8月31日)は、日本のジャーナリスト、サッカー選手。元朝日新聞論説委員、日本ペンクラブ正会員。父の轡田三男(旧姓・横村)もサッカー選手および報知新聞記者であり、学生時代にサッカー日本代表に選出された経験を持つ。 東京府の出身だが太平洋戦争の戦火を逃れるため、従軍記者としてフィリピンへ赴いていた父の帰国と共に一家で埼玉県北足立郡与野町(与野市を経て、現在のさいたま市中央区)へ疎開をした。戦後に埼玉師範学校附属小学校から埼玉師範学校附属中学校へ進学すると中学1年時にサッカーを始め、埼玉県立浦和高等学校、早稲田大学政治経済学部へ進学後もサッカー選手としてプレーをした。
千本 健一郎(せんぼん けんいちろう、1935年10月26日… 千本 健一郎(せんぼん けんいちろう、1935年10月26日 - )は、ジャーナリスト、翻訳家。 東京生まれ。1960年早稲田大学政治経済学部経済学科卒。1965年朝日新聞社入社。「週刊朝日」記者、「朝日ジャーナル」記者・副編集長・編集委員などを経て、朝日カルチャーセンター文章教室講師、法政大学講師(社会思想)。
本間 義人(ほんま よしひと、1935年7月17日 - 20… 本間 義人(ほんま よしひと、1935年7月17日 - 2022年1月12日)は、日本のジャーナリスト、都市政策学者、法政大学名誉教授。 東京出身。1958年早稲田大学文学部卒。1989年「内務省住宅政策の教訓 公共住宅論序説」で北海道大学法学博士。1967年毎日新聞社入社、社会部編集委員、編集局編集委員、特別報道編集委員、1982年編集委員となる。1994年九州大学大学院比較社会文化研究科教授、1999年4月法政大学現代福祉学部教授に転じ、2006年定年、名誉教授となる。2022年1月12日、虚血性心不全のため死去、86歳。 1984年東京市政調査会藤田賞特別賞受賞。
筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年〈昭和10年〉6月23… 筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年〈昭和10年〉6月23日 - 2008年〈平成20年〉11月7日)は、日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。長年にわたって新聞・雑誌・テレビ報道の第一線に立ちつづけ、日本のテレビジャーナリズムの確立に多大な貢献をした業績により日本記者クラブ賞を受賞。朝日新聞社政治部記者、ワシントン特派員、テレビ朝日『日曜夕刊!こちらデスク』メインキャスター、朝日ジャーナル編集長などを経て、TBSテレビ『筑紫哲也NEWS23』キャスター編集長を18年あまり務めた。 大分県日田郡小野村(現在:日田市)で筑紫和臣・文子夫妻の長男として生まれた。静岡県立沼津東高等学校、東京都立小山台高等学校を経て、早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。
馬場 璋造(ばば しょうぞう、1935年2月13日 - 20… 馬場 璋造(ばば しょうぞう、1935年2月13日 - 2021年12月20日)は、日本の建築評論家、建築批評家、建築史家、編集者、建築ジャーナリスト。 1935年埼玉県川越市生まれ。1957年早稲田大学建築学科卒。1959年早稲田大学経済学科卒、新建築社入社。1972年新建築社取締役編集長。1989年から「高松宮殿下記念世界文化賞」建築部門の選考委員を務めた。1990年建築情報システム研究所設立。1992年日本建築学会理事。1995年日本文化デザイン会議福岡議長。2002年日本建築学会賞業績賞受賞。 コンペのプロフェッショナル・アドバイザー、さいたまスキップ・シティ技術提案競技審査委員長、中国仏山市スポーツセンター国際指名設計競技審査員、ブリーゼタワー国際指名設計競技審査員等を歴任。
小山 勇(こやま いさむ、1935年1月29日 - 2020… 小山 勇(こやま いさむ、1935年1月29日 - 2020年6月10日)は日本の実業家、ジャーナリスト。株式会社中日新聞社代表取締役副社長、中部日本放送株式会社非常勤取締役を歴任した。東京府東京市(現:東京都港区)出身。 養父は株式会社中日新聞社代表取締役社主を務めた小山龍三。 1935年(昭和10年)1月29日、東京府東京市に「平賀勇」として生まれる。 1959年(昭和34年)3月、早稲田大学政治経済学部を卒業する。在学中は後に内閣総理大臣となる森喜朗と交友があった。同年4月、自動車ディーラーのヤナセに入社する。 1969年(昭和44年)に義父の小山武夫が取締役を務める中部日本新聞社(現:中日新聞社)に入社、経済部記者に配属される。
友田 錫(ともだ せき、1935年1月27日 - 2018年… 友田 錫(ともだ せき、1935年1月27日 - 2018年7月31日)は、日本のジャーナリスト、国際関係学者。 東京生まれ。1958年早稲田大学文学部仏文科卒、東京新聞に入り外信部記者、1962年産経新聞社に移り外信部、1967-1968年サイゴン特派員、プノンペン特派員、1974-1978年パリ特派員、パリ支局長、政治部編集委員、1983年国際報道部長、1984年編集局次長、論説委員を経て、山陽学園短期大学教授となり、1992年亜細亜大学アジア研究所教授、2002-2004年所長、2005年日本国際問題研究所所長、2009年退任。2018年7月31日、腎盂癌のため死去。83歳没。
高田 正純(たかだ まさずみ、1935年 - )は、日本のジ… 高田 正純(たかだ まさずみ、1935年 - )は、日本のジャーナリスト、翻訳家。 東京生まれ。早稲田大学卒業。ハイテク新製品やトレンドを取材して世界各地を取材する情報通信ジャーナリスト。
中沢 啓吉(なかざわ けいきち、1935年(昭和10年)- … 中沢 啓吉(なかざわ けいきち、1935年(昭和10年)- )は、日本のジャーナリスト、政治活動家である。高知県南国市出身。早稲田大学文学部卒業。NHK職員、新自由クラブ遊説委員長、田川誠一衆議院議員秘書などを務めた。
岩垂 弘(いわだれ ひろし、1935年‐)は、日本のジャーナ… 岩垂 弘(いわだれ ひろし、1935年‐)は、日本のジャーナリスト。元朝日新聞記者。日本の平和運動や協同組合運動を中心に取材活動をしている。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1958年早稲田大学政治経済学部卒業、同年朝日新聞社に入社。盛岡、浦和、静岡各支局員、東京本社の社会部員、北埼玉支局長、浦和支局次長、首都部次長、社会部次長、編集委員などを歴任。1995年退職。現在、平和・協同ジャーナリスト基金代表運営委員、ブログ「リベラル21」副代表。 朝日新聞の社会部にいた岩垂は仲間と「北朝鮮は地上の楽園」という記事を書いた。この地上の楽園キャンペーンは20年以上続いた。2004年7月8日、「北朝鮮の素顔」という記事で、「情報が少なかった」「十分な取材ができなかった」から想像で天国のように書いたと認めた。
水口 義朗(みずぐち よしろう、1934年9月6日 - )は… 水口 義朗(みずぐち よしろう、1934年9月6日 - )は、編集者、ジャーナリスト、テレビ司会者である。 東京出身。早稲田大学第一文学部、大学院文学研究科ドイツ文学専攻科修士課程修了。 1959年に中央公論社入社。『中央公論』副編集長、『婦人公論』編集長などを務めた。 1986年4月~1994年3月、テレビ朝日系ワイドショー『こんにちは2時』(朝日放送など一部地域を除く)の司会者。 1994年、「婦人公論」編集長・主幹に再任。 大正大学「ジャーナリズム論」講師。サイバー大学客員教授(言論・表現の不自由-文学作品を中心に-)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
渡辺 みどり(わたなべ みどり、1934年〈昭和9年〉6月1… 渡辺 みどり(わたなべ みどり、1934年〈昭和9年〉6月11日- 2022年〈令和4年〉9月30日)は、日本の皇室ジャーナリスト。文化女子大学客員教授、元日本テレビ放送網報道局エグゼクティブ・プロデューサー。渡辺自身は、旧字体で「渡邉みどり」と表記していた。 1934年に東京府で生まれた。母の渡邉貞は秋田県の田舎から上京し、看護婦からダンスホールのダンサーをしていた頃に、当時学生だった古屋亨と知り合って関係をもち、みどりを私生児として出産した。 戦時中に秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)に疎開。港区立青南小学校を経て、東京女学館中学校・高等学校に進学。文化祭で原爆展を企画したことを学校から咎められ、東京都立城南高等学校に転校した。
海老沢 勝二(えびさわ・かつじ、1934年(昭和9年)5月5… 海老沢 勝二(えびさわ・かつじ、1934年(昭和9年)5月5日 - )は、日本の元ジャーナリスト。公益財団法人日本相撲協会評議員、一般財団法人世界少年野球推進財団理事、一般財団法人日本ウズベキスタン・シルクロード財団評議員長(会長)、一般社団法人日本外交協会理事、NPO法人日本グローバル・コミュニケーション・センター理事[3]。
田原 総一朗(たはら そういちろう、1934年〈昭和9年〉4… 田原 総一朗(たはら そういちろう、1934年〈昭和9年〉4月15日 - )は、日本のジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。元ドリームインキュベータ社外取締役。元東京12チャンネル(現:テレビ東京)ディレクター、元映画監督。日本国際フォーラム参与、政策委員。公益財団法人日印協会顧問、一般社団法人外国人雇用協議会顧問、NPO法人万年野党会長。芸能事務所のブルーミングエージェンシーと業務協力。 滋賀県彦根市出身。田原節子は2番目の妻、その妹に古賀さと子がいる。田原は2人の妻をいずれも癌で亡くしている。 近江商人の末裔。第二次世界大戦中は人並みな軍国少年で、「海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のが夢だった。
新堀 俊明(しんぼり としあき、1934年(昭和9年)2月1… 新堀 俊明(しんぼり としあき、1934年(昭和9年)2月17日 - 2018年(平成30年)3月18日)は、日本のアナウンサー、ニュースキャスター、ジャーナリスト。TBS解説委員、日本大学芸術学部放送学科教授。 東京府東京市牛込区生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。 1959年(昭和34年)4月、TBSにアナウンサー6期生として入社(同期にはアナウンサーの池田孝一郎、石井智、川野昌宏、里見恭夫、土屋統督、藤田和弘、料治直矢、相場君子、今井とも子、加藤かな子、加藤珪子、土井誉子、蛭田玲子がいる)。 主にニュース、報道番組、ナレーターを担い、1963年11月報道局ニュース部、1965年12月ニュース取材部、1967年10月ラジオニュース部兼テレビニュース部、1967年11月ラジオニュース部兼アナウンサー研修室付、1970年4月テレビ本部報道局テレビニュース部兼解説室委員に在籍し、報道記者として総理官邸、自民党、大蔵省(現・財務省)、通産省(現・経産省)、経済企画庁(現・内閣府)、科学技術庁(現・文部科学省)、財界などを担当。
田草川 弘(たそがわ ひろし 1934年1月28日 - 20… 田草川 弘(たそがわ ひろし 1934年1月28日 - 2024年7月30日)は、日本の作家・ジャーナリスト。 東京都出身。東京都立新宿高等学校を経て早稲田大学第一文学部英文科卒業後、NHK記者、AP通信記者、東海大学教授を経てフリー・ジャーナリスト。 放送ジャーナリストエドワード・R・マローの評伝『ニュースキャスター』と、翻訳『マロー・ボーイズ』を刊行している。 『黒澤明VS.ハリウッド 「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて』(文藝春秋)で、第28回講談社ノンフィクション賞、第33回大佛次郎賞、第38回大宅壮一ノンフィクション賞、第57回芸術選奨文部科学大臣賞を、各受賞した。また映画本大賞2006(キネマ旬報)で、ベストワンに選出された。
岡田 芳郎(おかだ よしろう、1934年 - 2024年2月… 岡田 芳郎(おかだ よしろう、1934年 - 2024年2月)は、日本の広告ジャーナリスト。 東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、1956年に電通に入社。1970年の大阪万博では「笑いのパビリオン」を企画した。 コーポレート・アイデンティティ室長、電通総研常任監査役を務めた後の1998年、退職。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中澤 潔(中沢 潔、読み:なかざわ きよし、1934年 - … 中澤 潔(中沢 潔、読み:なかざわ きよし、1934年 - )は、広島県出身の相撲ジャーナリストである。東京相撲記者クラブ会友。 1957年に早稲田大学卒業後、報知新聞社へ入社。1959年より相撲担当記者となる。 1960年に毎日新聞社へ入社し、運動部で水泳・相撲を担当した。社会部を経て、1970年には再び運動部に異動、野球担当やミュンヘンオリンピック特派員・編集委員などを経験した。1989年に退社。以降フリーで活動している。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
国正 武重(くにまさ たけしげ、1933年11月27日 - … 国正 武重(くにまさ たけしげ、1933年11月27日 - 2019年11月21日)は、日本の政治評論家、ジャーナリスト。元朝日新聞編集委員。愛媛県出身。 1958年早稲田大学法学部第一法学部卒業、早稲田大学院入学。1959年朝日新聞に入社、1967年東京本社政治部に配属される。以来、佐藤栄作内閣を皮切りに歴代政権を担当した。1978年政治部次長、大平内閣の首相官邸クラブ責任者となる。1981年編集委員(政治担当)、1993年役員待遇。1995年退社、以後フリージャーナリストとして活躍した。 1999年に月刊誌『世界』に発表した湾岸戦争に関する論説記事で、同年度の日本記者クラブ賞を受賞。
白井久也(しらい ひさや、1933年9月9日- )は、日本の… 白井久也(しらい ひさや、1933年9月9日- )は、日本のジャーナリスト、研究者。 愛媛県出身。別名・富士太郎。早稲田大学商学部卒。1958年朝日新聞入社、大阪・東京本社経済部および外報部勤務をへて、75年モスクワ支局長。79年編集委員。93年に定年退社後、94年から99年まで東海大学平和戦略国際研究所教授。日露歴史研究センター代表、学校法人杉野学園理事。シベリア抑留、ゾルゲ事件などを研究する。
佐藤 幸次郎(さとう こうじろう、1933年(昭和8年)8月… 佐藤 幸次郎(さとう こうじろう、1933年(昭和8年)8月16日 - )は、日本の政治家、ジャーナリスト。元山形市長(第15代)。元山形新聞社論説委員。 山形県山形市出身。早稲田大学第一文学部卒業後、山形新聞社に入社。金澤忠雄市政下で市政担当記者を務め仙台支社長時代、金澤との知遇を得て目をかけられた。論説委員を経て、金澤は助役として市に迎え入れる意向であったが、保守系会派の反対により、ワンクッションを置き水道事業管理者、収入役を歴任後、1991年(平成3年)、助役に選任される。 1994年(平成6年)11月には、7期28年の金澤路線の継承を旗印に、山形市長選に出馬。吉村和夫との一騎討ちを制し初当選する。
本田 靖春(ほんだ やすはる、1933年(昭和8年)3月21… 本田 靖春(ほんだ やすはる、1933年(昭和8年)3月21日 - 2004年(平成16年)12月4日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 朝鮮・京城府生まれ。父は朝鮮総督府の役人で、後に日本高周波重工業に移った。会社では廉潔な管理職だったが、自宅では異様なほどに躾に厳しかったという。東京都立千歳高等学校、早稲田大学政治経済学部新聞学科卒業。高校時代の同級生に映画監督の恩地日出夫がいる。 1955年、読売新聞社に入社。直後から社会部に在籍、朝日新聞社の深代惇郎とは同じ警察担当記者として接点があった。1964年、売血の実態を抉った「黄色い血」追放キャンペーンでは、自らも山谷の売血常習者たちの列に並んで売血するなどの綿密な取材の効果あって大きな反響を呼び、献血事業の改善につながった。
高杉 晋吾(たかすぎ しんご、1933年3月18日 - )は… 高杉 晋吾(たかすぎ しんご、1933年3月18日 - )は日本の社会評論家、ジャーナリスト。本名、石川晋吾。 秋田県秋田市生まれ。1957年、早稲田大学第一文学部卒業。団体記者を経て、1962年、日本社会党機関紙「社会新報」記者となるが、1970年にフリーランスとなり、『朝日ジャーナル』『現代の眼』などにルポや論文を発表。 袴田事件を当初[いつ?]から冤罪であると考え、死刑判決後にルポを発表するなど20年にわたり支援活動に携わる。人体実験についての著作も複数ある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
倉嶋 康(くらしま やすし、1933年1月7日 - )は、日… 倉嶋 康(くらしま やすし、1933年1月7日 - )は、日本のジャーナリスト。冒険家。社会活動家。 父は長野市長を務めた倉島至。叔父は気象学者の倉嶋厚。 中国・北京生まれ。朝鮮総督府に勤務する父の転勤に伴い、現在の北朝鮮と韓国を転住。終戦後、長野市に引き揚げ。長野県長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)を経て、早稲田大学第一政治経済学部政治学科を卒業後、1955年に毎日新聞社入社。 毎日新聞社入社後は福島支局に配属される。福島在勤2年目の1957年、松川事件で死刑判決を受けて上告中の被告人のアリバイを立証する証拠である『諏訪メモ』を福島地方検察庁郡山支部の支部長が保管していることを掴んだ。検事への聞き取り調査を進めて諏訪メモの存在を確認し、1957年6月29日付毎日新聞福島版記事でこれをスクープ報道。
津野田 勲(つのだ いさお、1933年1月1日 - )は、日… 津野田 勲(つのだ いさお、1933年1月1日 - )は、日本のジャーナリスト。本名は角田 勲。 長野県佐久市出身。長野県岩村田高等学校卒業後、早稲田大学文学部露文科に進学。大学在学中に業界紙の「香粧品新報社」に記者として入社。大学中退。その後「香粧品新報社」は「㈱週刊粧業」に吸収されたため「㈱週刊粧業」の記者として約2年間勤務。 1956年に友人と3名で「日本香料新聞社」を設立。1973年に同社を退社し「㈲フレグランスジャーナル社」を設立。代表取締役時代の1985年に出版したアロマテラピー専門書『アロマテラピー〈芳香療法〉の理論と実際:著者ーロバート・ティスランド、訳者ー高山林太郎』がベストセラーとなり、日本におけるアロマテラピーブーム火付け役の一人となった。
小池 唯夫(こいけ ただお、1932年11月12日 - 20… 小池 唯夫(こいけ ただお、1932年11月12日 - 2017年11月30日)は、日本のジャーナリスト、実業家。元毎日新聞社長。元パシフィック・リーグ会長。栃木県出身。 早稲田大学政治経済学部卒業後の1956年4月に毎日新聞社に入社。政治部長、論説委員長、東京本社編集局長などを経て、1992年6月に代表取締役社長に就任。1995年から1999年まで日本新聞協会会長を務めた。2001年1月からはパシフィック・リーグ会長に就任。2008年12月に任期満了で退任するまで、日本ハムファイターズの北海道への本拠地移転問題の解決や、2004年から始まったプレーオフ制度の導入、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併に端を発した球界再編問題への対応などに尽力した。
江森 陽弘(えもり ようこう、1932年〈昭和7年〉6月2日… 江森 陽弘(えもり ようこう、1932年〈昭和7年〉6月2日 - 2015年〈平成27年〉11月12日)は、ジャーナリスト。 本名の読みは「えもり はるみつ」と言う。
鳥井 守幸(とりい もりゆき、1932年1月10日 - 20… 鳥井 守幸(とりい もりゆき、1932年1月10日 - 2025年8月15日)は、日本のジャーナリスト。元帝京平成大学教授。元日本ジャーナリスト専門学校校長。 福岡県大牟田市出身。早稲田大学法学部卒業。 大学卒業後、毎日新聞社に入社。毎日新聞西部本社管轄の福岡総局、大分支局勤務を経て東京本社勤務となり、社会部副部長、編集委員、『サンデー毎日』編集長を歴任。『サンデー毎日』時代の1980年には、同誌編集部員の鳥越俊太郎と共に、社会問題となっていた「イエスの方舟」への密着取材を敢行。主宰者の千石剛賢に単独インタビューを行うなど、当時他マスコミから全く無視されていた「イエスの方舟」側の主張を取り上げ、事態の沈静化へ導いた。
ロバートソン 黎子(ロバートソン れいこ、1932年 - 2… ロバートソン 黎子(ロバートソン れいこ、1932年 - 2020年)は、作家、ジャーナリスト。 現在の富山県高岡市能町生まれ。生家は古くからの地主であり、農地改革前は「三歩あるけば一歩は蒲田はんの地面」と言われるほどの土地を所有していた。富山県立高岡北部高等学校の同期に後の高岡法科大学学長吉原節夫がいた。東京外国語大学英語学科を経て1957年に早稲田大学第一政治経済学部卒業。岩波書店とNHKの採用試験にも合格したが、1957年、毎日新聞東京本社に入社。1年間の仙台支局勤務を経て、女性初の外信部記者となる。フルブライト奨学金を獲得し、1958年8月から日本人女性として初めてヴァージニア大学(国際関係論修士課程)に留学していた時、同大学医科大学院在学中に、宣教師の息子で高校時代にインドのダージリンで過ごした経験があるスコットランド系アメリカ人のトマス・リー・ロバートソンJrと知り合う。
佐藤 毅(さとう つよし、1931年〈昭和6年〉10月6日 … 佐藤 毅(さとう つよし、1931年〈昭和6年〉10月6日 - 2022年〈令和4年〉1月13日)は、日本の新聞記者、実業家、ジャーナリスト。岐阜県美濃市神洞(出生当時は武儀郡下牧村神洞)出身。中日新聞東京本社編集局長、中日新聞社相談役。 1995年(平成7年)9月から2001年(平成11年)10月まで中日ドラゴンズの5代目球団代表取締役社長を務めた。2022年1月13日、自宅のあった岐阜県岐阜市のビルで発生した火災により死亡した(90歳没)。 1931年(昭和6年)10月6日、岐阜県美濃市で出生した。出身地は美濃市立神洞小学校区であり、少年時代に神洞で過ごした思い出についても語っている。 日中戦争が始まった翌年の1938年(昭和13年)に小学校に入学、4年生だった1941年(昭和16年)に日本は太平洋戦争に突入した。
宮智宗七(みやち そうしち、1931年8月9日 - 2015… 宮智宗七(みやち そうしち、1931年8月9日 - 2015年7月7日)は、日本のジャーナリスト、経済学者。 東京府にて宮智喜十郎の子として生まれる。祖父は彫金家の宮智一男。1955年早稲田大学政経学部経済学科卒、日本経済新聞社入社、ロンドン特派員、経済部次長、経済解説部長産業部長 北米総局長などを経て論説副主幹、89年テレビ東京取締役解説委員長、95年退任。産能大学経営学部教授を務めた。墓所は江東区清澄の本誓寺。
吉永 春子(よしなが はるこ、1931年(昭和6年)5月19… 吉永 春子(よしなが はるこ、1931年(昭和6年)5月19日 - 2016年(平成28年)11月4日)は、日本のジャーナリスト、テレビディレクター。TBS報道局長。現代センター代表。多くのドキュメンタリー番組を制作した。 広島県三原市生まれ。日本女子大学附属高等学校に入るため、高校生のときから上京、早稲田大学教育学部社会学科に入学した。東京に出てきて、初めて自分から勉強するようになり、社会の矛盾に気づき世の中の真実は何かという問題意識を持ち始めた。早大の学生演劇研究会「自由舞台」などで議論していくうち、ジャーナリストになって世の中のために働きたいと思うようになる。 1955年4月、開局したばかりのラジオ東京テレビ(KRT、後のTBS)に入社。
岩名 泰得(いわな やすのり、1931年3月21日 - )は… 岩名 泰得(いわな やすのり、1931年3月21日 - )は、日本のジャーナリスト、政治運動家。 東京府北豊島郡石神井村(現・東京都練馬区下石神井)生まれ。早稲田大学に進み、在学中の1953年1月15日、日本共産党に入党。党本部勤務員、東京・中央区委員会副委員長、東京・中部地区委員会常任委員を務めたのち、赤旗編集局に入局。校正部記者、整理部記者、外信部ハノイ特派員、外信部副部長、ブカレスト特派員などを歴任した。1984年7月15日、離党届を提出したが、1985年1月25日、除籍された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
茶本 繁正(ちゃもと しげまさ、1929年10月3日 - 2… 茶本 繁正(ちゃもと しげまさ、1929年10月3日 - 2006年3月10日)は日本のジャーナリスト。 大分県出身。戦時中は少年兵に志願し、終戦時には特攻隊下士官であったことから平和への思いが深く、イラクへの自衛隊派兵や有事法制に対する批判を度々行っていたことでも知られる。 早稲田大学卒業後、新聞記者、主婦と生活社勤務を経て、1960年よりフリーのルポライターに転向。 1977年、統一協会(現・世界平和統一家庭連合)傘下の学生組織原理研究会の内幕を追った『原理運動の研究』『同 資料編 1』『同 資料編 2』を刊行。翌1978年、この3冊により日本ジャーナリスト会議奨励賞を受賞。後に同会議で代表委員を務めた。
生内 玲子(うぶない れいこ、1928年(昭和3年) - 2… 生内 玲子(うぶない れいこ、1928年(昭和3年) - 2013年(平成25年))は、日本の交通評論家、旅行ジャーナリスト。 東京生まれ。早稲田大学文学部卒、同大学院修了。朝日新聞東京本社出版局記者を経て独立。以後、交通評論家、旅行ジャーナリストとして文筆活動を始める。 航空機工業審議会、生涯学習審議会、地方交通審議会、道路審議会、自然環境保全審議会各委員、内閣府・中央交通安全対策会議専門委員などを務める。 パンダの保護活動にも積極的に参加、中国臥龍パンダセンターの里親制度の創設に尽力した。
恩田 貢(おんだ みつぐ、1927年6月15日 - 2003… 恩田 貢(おんだ みつぐ、1927年6月15日 - 2003年1月31日)は、日本のジャーナリスト。ジャーナリストの恩田将葉は長男。
鈴木 肇(すずき はじめ、1927年 - )は、日本のジャー… 鈴木 肇(すずき はじめ、1927年 - )は、日本のジャーナリスト。 東京生まれ。早稲田大学文学部ロシア文学科卒業、産経新聞に入り、1955年鈴木俊子と結婚。1966-69年モスクワ支局長、1988年東京家政学院筑波短期大学教授、平成国際大学教授、2002年退職、名誉教授。専攻はロシアの思想と文化。妻は『誰も書かなかったソ連』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した鈴木俊子。 鈴木は1976年3月時点で、統一教会の関連団体「世界平和教授アカデミー」の会員だった。
桑田 弘一郎(くわた こういちろう、1926年(大正15年)… 桑田 弘一郎(くわた こういちろう、1926年(大正15年)9月18日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。朝日新聞社専務、全国朝日放送(テレビ朝日)社長として勤務。また日本民間放送連盟会長ともなった。 東京都渋谷区出身。1950年(昭和25年)早稲田大学文学部卒業。朝日新聞社入社。78年4月大阪本社編集局長、83年4月東京本社代表。 1983年(昭和58年)6月取締役・東京本社代表、86年6月常務・東京本社代表、87年6月常務・東京本社代表・電子計算室担当、88年6月専務・東京本社代表・電子計算室担当。 1989年(平成元年)6月、顧問を経て全国朝日放送社長に就任し、93年6月代表取締役相談役に退く。
松本 昭(まつもと あきら、1925年10月30日 - 20… 松本 昭(まつもと あきら、1925年10月30日 - 2018年11月9日)は、日本のジャーナリスト・仏教学者、昭和女子大学副学長。 神奈川県生まれ。早稲田大学文学部美術史専攻卒業、同大学院特別研究生。1982年「弘法大師入定説話の研究」で早大文学博士。毎日新聞社入社後、サンデー毎日編集部、学芸部、政治部を経て事業部長。昭和女子大学副学長を務めた。
土井 新吉(どい・しんきち、1925年10月18日 - 20… 土井 新吉(どい・しんきち、1925年10月18日 - 2004年6月16日)は、日本国のスポーツジャーナリスト。
楠田 實(くすだ みのる、1924年11月7日 - 2003… 楠田 實(くすだ みのる、1924年11月7日 - 2003年9月29日)は、日本の政治評論家、ジャーナリスト。 1967年から1972年まで内閣総理大臣佐藤栄作だった首席秘書官を務めたことで知られる。 鹿児島県出身。戦時中は帝国陸軍に入隊し中国大陸の戦線で大陸打通作戦で従軍した。早稲田大学専門部商科に入学し(在学中大学商学部に廃止・改組)、1952年卒業し産経新聞社に入社した。政治部配属後は三木武吉、河野一郎の番記者を歴任するが、河野にはなじむことができず、大蔵大臣(第2次岸内閣)を務める佐藤栄作の番記者に転じ、マスコミを滅多に寄せ付けない言われていた佐藤との間に信頼関係を構築する。その後も総理官邸キャップ、政治部デスクなどを務める傍らで佐藤の寵愛を受けた。
韓 建洙(ハン・ゴンス、朝鮮語: 한건수/韓建洙、1921年… 韓 建洙(ハン・ゴンス、朝鮮語: 한건수/韓建洙、1921年8月10日 - 1994年8月5日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家、実業家。 第6・8・9・10代韓国国会議員。本貫は清州韓氏、号は鳳巌(ボンアム、봉암/鳳巖)。 元の名前の漢字表記は韓 鍵洙(ハングル表記同じ)であったが、煩雑であったため第2代総選挙の後は金偏のない「韓 建洙」の名前を選挙区民宛のハガキと手紙に使用した。その後は裁判所により改名許可を受けた。 日本統治時代の忠清南道礼山郡に生まれた。礼山農業学校(現在は廃校)を卒業後に渡日し、早稲田大学法学科を卒業した。 世界日報社編集局次長、批判新聞の主筆などを務めた後、1948年より監察委員会(2022年現在は監査院)情報課長、調査課長、1951年より政界公論主筆、1952年より弘益大学校事務処長を務めた。
今井 金吾(いまい きんご、大正9年(1920年)7月5日 … 今井 金吾(いまい きんご、大正9年(1920年)7月5日 - 平成22年(2010年)5月2日)は、日本のジャーナリスト、文筆家、江戸・街道研究家。日本経済新聞社記者。街道歩きの第一人者[要出典]。『半七捕物帳』の研究でも知られる。 大正9年(1920年)7月5日、東京府東京市神田区に生まれ育つ。後に品川区大井に移る。先祖は群馬県碓氷郡坂本町(現安中市松井田町坂本)という。 戦後間もない昭和21年(1946年)、早稲田大学を卒業して日本経済新聞社に入社、社会部に配属され、帝銀事件・下山事件・三鷹事件等の取材に関わった。警視庁キャップ、婦人家庭部長、大阪本社社会部長、東京本社地方部長、札幌支社長等を歴て、昭和49年(1974年)定年退職した。
永井 萠二(ながい ほうじ、1920年5月4日 - 1993… 永井 萠二(ながい ほうじ、1920年5月4日 - 1993年9月6日)は、日本のジャーナリスト、児童文学作家。 東京生まれ。父の萬助は新聞記者。早稲田大学文学部社会学科卒業。在学中は早大童話会に所属。 1946年朝日新聞社に入社、戦後は出版局編集委員を務める。児童向けのノンフィクションやルポルタージュを執筆。 1956年『ささぶね船長』でサンケイ児童出版文化賞受賞。のち聖徳学園短期大学教授を務めた。墓所は多磨霊園。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
崔 成雄(チェ・ソンウン、朝鮮語: 최성웅、1920年 - … 崔 成雄(チェ・ソンウン、朝鮮語: 최성웅、1920年 - 1989年1月27日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第2代韓国国会議員。 慶南密陽出身。早稲田大学卒。大東新聞(大同新聞)密陽支局長、大韓青年団(韓国青年団)密陽郡団長、孤児院長を務めた。 国会議員在任中は郷校財産管理法案を提出した。 5・26政治波動の時、憲兵司令官の元容徳将軍の胸ぐらを掴んで「お前国会議員か」と言った。
朴 甲東(パク・カプトン、朝鮮語: 박갑동、1919年3月3… 朴 甲東(パク・カプトン、朝鮮語: 박갑동、1919年3月31日 - 没年不詳)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、朝鮮民主主義人民共和国の官僚、ジャーナリスト、日本の実業家、大韓民国の人権活動家。朝鮮民主統一救国戦線常任議長。 日本統治時代の慶尚南道山清郡出身。16歳の時に渡日し、早稲田大学政治経済学部政治学科卒。1941年に帰国し独立運動に参加した。解放日報政治部記者、労力人民編集部長などを務め、1950年4月に南朝鮮労働党地下総責となるも同年6月に朝鮮戦争に非協力だったという理由で解職された。その後、文化宣伝省(現在は廃止)欧州部長を務めるが、1953年に金日成による粛清に巻き込まれ逮捕・監禁されたが、釈放された。
寺山 義雄(てらやま よしお、1919年3月28日 - 20… 寺山 義雄(てらやま よしお、1919年3月28日 - 2002年10月26日)は、農政ジャーナリスト。 埼玉県大宮市(現さいたま市)出身。1943年早稲田大学政治経済学部卒、同盟通信社に入社、1945年共同通信社、1962年論説委員。79年退社。農政について多くの記事を書き、取材を行った。 2002年10月26日死去。83歳没。