森 金次郎(もり きんじろう、1930年2月7日 - 201… 森 金次郎(もり きんじろう、1930年2月7日 - 2018年5月23日)は、京都府出身の税理士。元日本税理士会連合会会長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
立命館大学:1,158人
森 金次郎(もり きんじろう、1930年2月7日 - 201… 森 金次郎(もり きんじろう、1930年2月7日 - 2018年5月23日)は、京都府出身の税理士。元日本税理士会連合会会長。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
河原 四郎(かわはら しろう、1930年1月31日 - 20… 河原 四郎(かわはら しろう、1930年1月31日 - 2017年5月6日)は、日本の実業家。元大同生命保険代表取締役社長。元立命館大学校友会会長。 大阪府出身。1956年立命館大学経済学部卒業、大同生命保険入社。1973年東京支社長。1982年常務取締役。1985年専務取締役。1988年代表取締役副社長。1990年代表取締役社長。1994年代表取締役会長。1995年藍綬褒章受章。1996年立命館大学校友会会長。1998年相談役。2001年勲三等瑞宝章受章。2017年肺炎のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
東上 高志(とうじょう たかし、1930年1月27日 - )… 東上 高志(とうじょう たかし、1930年1月27日 - )は、日本の教育学者。部落問題研究所常務理事。どの子も伸びる研究会代表幹事。同和教育や部落問題を専門としている。 京都府竹野郡網野町(現・京丹後市)生まれ。1949年、京都師範学校卒業。中学校と小学校でそれぞれ2年間の教員生活を送る。 1953年、部落問題研究所に入る。助手などを経て、1962年に常務理事となる。この間、1958年に立命館大学文学研究科日本史専攻修士課程修了。在学中に、日本共産党に入党した。 のち滋賀大学教育学部に移る。1964年に著書『同和教育入門』で毎日出版文化賞受賞。 1966年に部落問題研究所と解放同盟京都府連との間で勃発した文化厚生会館事件では、井上清、藤谷俊雄ら共産党系理事とともに、府連との対決路線を主導した。
森田 康夫(もりた やすお、1930年 - )は、日本史学者… 森田 康夫(もりた やすお、1930年 - )は、日本史学者、樟蔭東女子短期大学名誉教授。 大阪市生まれ。立命館大学大学院日本史研究科修士課程修了。樟蔭東女子短期大学教授、2001年定年、名誉教授。2009年「大塩平八郎と陽明学」で立命館大学文学博士。
渋谷 清視(しぶや きよみ、1929年11月21日 - )は… 渋谷 清視(しぶや きよみ、1929年11月21日 - )は、日本の児童文化評論家。日本児童文学者協会会員。 京都府綾部市生まれ。兵庫県豊岡市で育ち、兵庫県立豊岡中学校卒、立命館大学予科中退、豊岡市内の小学校に勤務。53年上京、業界紙記者ののち、教育雑誌編集部に勤務、57年文学教育の会創立に参加(のち日本文学教育連盟)、常任委員(事務局長)を務める。
伊藤 安男(いとう やすお、1929年11月21日 - 20… 伊藤 安男(いとう やすお、1929年11月21日 - 2015年10月8日)は、日本の地理学者(歴史地理学)。 名古屋市熱田区生まれ。1952年立命館大学文学部地理学科卒業。1954年岐阜県立海津高等学校(現岐阜県立海津明誠高等学校)教諭、1969年岐阜県立大垣北高等学校教諭(地理)、1976年岐阜経済大学講師、1982年花園大学文学部史学科教授。1995年「治水思想の風土 近世から現代へ」で立命館大博士(文学)。2000年定年、花園大学名誉教授。岐阜地理学会会長。輪中研究で知られる。日本地理学会賞、地方文化功労者文部科学大臣表彰などを受けた。
佐々木 高明(ささき こうめい、1929年11月17日 - … 佐々木 高明(ささき こうめい、1929年11月17日 - 2013年4月4日)は、日本の民族学者。国立民族学博物館名誉教授・元館長。総合研究大学院大学名誉教授。前財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構理事長。照葉樹林文化論の主要な提唱者の一人。 1929年、大阪府で開業医の家に生まれた。京都大学の図書館で働きながら立命館大学文学部地理学科(夜間)で学び、1952年に卒業。京都大学大学院文学研究科地理学専攻に進み、1959年3月に博士課程を単位取得満期退学。 1959年4月、京都大学教養部助手に採用された。1962年4月、立命館大学文学部講師に就いた。1965年4月に助教授昇格。1970年7月、学位論文『焼畑農業の比較地理学的研究』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。
木下 元二(きのした もとに、1929年(昭和4年)11月3… 木下 元二(きのした もとに、1929年(昭和4年)11月3日 - 2004年(平成16年)12月3日)は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(日本共産党公認、通算2期)。兵庫県の戦後初の自由法曹団員でもある。 兵庫県神戸市出身。旧制六甲中学校を経て、1949年(昭和24年)立命館大学専門部法政科を卒業。神戸市内で中学校教諭を2年間務める。その後司法試験に合格し1956年(昭和31年)4月に神戸弁護士会へ入会、1969年(昭和44年)には同会副会長を務める。この間総評系の法律事務所を自由法曹団所属の弁護士らと設立する。 1971年(昭和46年)第9回参議院議員通常選挙(兵庫県地方区、共産党)で落選。
蟹江 嘉信(かにえ よしのぶ、1929年9月17日 - 20… 蟹江 嘉信(かにえ よしのぶ、1929年9月17日 - 2012年1月20日)は、日本の経営者。 愛知県生まれ。カゴメ株式会社創業者蟹江一太郎の孫で、同社代表取締役社長、日本缶詰協会会長を歴任。カゴメ不動産株式会社(現・カゴメアクシス株式会社)元代表取締役社長の蟹江信孝は長男。 東海中学校・高等学校を経て、1952年(昭和27年)、立命館大学経済学部卒業。 1991年(平成3年)、第5代カゴメ株式会社社長就任と同時に同社を「農業食品メーカー」と規定。「収益力中心経営」をカゴメの経営課題に据え、当時2,000品目以上あった商品を1,000程度に絞り込むなど収益力重視の経営姿勢を貫いた。1996年(平成8年)には社長の座を伊藤正嗣に譲り、自らは相談役に退いて、5代続いた創業家社長の歴史に終止符を打った 。
杉 裕之(すぎ ひろゆき、1929年7月1日 - )は、日本… 杉 裕之(すぎ ひろゆき、1929年7月1日 - )は、日本の元俳優。本名同じ。東京都中野区出身。 父は俳優の杉狂児、兄も同じく俳優の杉義一、弟は、元俳優の杉幸彦、甥(義一の息子)は、元俳優の杉欣也。 明星学園高等学校卒業、その後立命館大学に進学。文学座を経て、1963年に劇団雲を設立、同劇団に所属していた。 立命館大学の後輩である長門裕之からは日頃から尊敬され、そのこともあって長門の芸名「裕之」は杉の名に由来している。
飛田 就一(ひだ しゅういち、1929年5月27日 - 20… 飛田 就一(ひだ しゅういち、1929年5月27日 - 2002年3月26日)は、日本の哲学研究者。 中国大連生まれ。1962年立命館大学大学院文学研究科修士課程修了。63年立命館大学経済学部講師、69年助教授、74年教授、94年定年退任、名誉教授。
竹村 民郎(たけむら たみお、1929年2月17日 - )は… 竹村 民郎(たけむら たみお、1929年2月17日 - )は、日本の社会学者。 大阪生まれ。立命館大学文学部卒。立正大学短期大学部教授、大阪産業大学経済学部教授。99年定年。国際日本文化研究センター共同研究員。近代日本の社会・文化を研究した。
小島 幸夫(こじま ゆきお、1929年(昭和4年)2月10日… 小島 幸夫(こじま ゆきお、1929年(昭和4年)2月10日 - 1999年(平成11年)1月2日)は、教育者。政治家。京都府亀岡市長。京都府出身。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
白石 英司(しらいし えいじ、1929年1月15日 - 19… 白石 英司(しらいし えいじ、1929年1月15日 - 1983年1月27日)は、日本の実業家。白石古京の長男でもある。 京都府出身。立命館大学法学部卒業後に1959年に京都新聞社に入社。取締役を経て、1978年には副社長に就任し、1981年には社長に就任した。1977年には近畿放送の社長にも就任した。 日本文化財団理事長、日本新聞協会理事、共同通信社理事なども歴任した。 1972年にノルウェーの聖オーラヴ勲章(国際文化功労)を、1973年に紺綬褒章を、1979年にイタリアのコンメンダトーレ勲章(国際文化功労)をそれぞれ授章した。 1983年1月27日、転移性骨腫瘍のために在職中のまま京都市の病院で死去。
川勝 承哲(かわかつ じょうてつ、1929年 - )は、京都… 川勝 承哲(かわかつ じょうてつ、1929年 - )は、京都府生まれの臨済宗の僧侶。等持院の副住職。 1929年、京都府に生まれた。1959年、立命館大学大学院文学研究科哲学専攻修了し、聖家族女子高等学校(現・京都聖カタリナ高等学校)の教諭となった。1964年、聖家族女子高等学校の教頭に就任した。1967年には煎茶松涛流師範となった。1975年、得度。1989年から等持院の副住職を務める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
辻 ミチ子(つじ みちこ、1929年 - )は、日本の歴史学… 辻 ミチ子(つじ みちこ、1929年 - )は、日本の歴史学者。 京都府京都市生まれ。立命館大学大学院修士課程修了。2000年「転生の都市・京都 民衆の社会と生活」で博士(文学)。高校教諭ののち、宇治市歴史資料館館長、京都文化短期大学教授などを務めた。
増井 金典(ますい かねのり 1928年11月10日 - 2… 増井 金典(ますい かねのり 1928年11月10日 - 2026年5月3日)は、日本の国語学者。滋賀県甲賀市出身、大津市在住。立命館大学大学院修士課程修了。幼少期より言葉に関心を持ち、ある時、自分の名前の由来(「金」は父親の名前から、「典」は出生日が昭和天皇即位の御大典だったことから)を知って一層関心を高めた。滋賀県内の中学校・高等学校の国語教師を経て、1987年より滋賀女子短期大学(現滋賀短期大学)で語源や滋賀県内の方言の研究に努める。現在滋賀短期大学名誉教授。2000年には方言研究で滋賀県文化功労賞を受賞した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
師岡 佑行(もろおか すけゆき、1928年10月21日 - … 師岡 佑行(もろおか すけゆき、1928年10月21日 - 2006年6月12日)は、日本の日本史学者。 神戸市に生まれ、尼崎市で育つ。尼崎市立長洲小学校に代用教員として在職中の1949年10月10日、レッドパージにより退職勧告を受ける。同小学校の父兄会が師岡を支援し1200筆の反対署名が集まったが、結局解職となった。1951年には朝鮮戦争に反対して占領軍政策違反の容疑で逮捕・起訴されたが、対日講和条約の発効により免訴となる。 1953年、立命館大学文学部日本史専攻に編入学。奈良本辰也に師事し、1959年、同大学院修了。 1960年、安保闘争で樺美智子を支持。1961年、日本共産党の東尼崎診療所オルグに反対し、後に同党から除名処分を受ける。
久保 重男(くぼ しげお、1928年8月15日 - )は、京… 久保 重男(くぼ しげお、1928年8月15日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。 烏丸商業、立命館大学を経て1950年に大洋ホエールズへ入団。同年退団。
北村 春江(きたむら はるえ、1928年(昭和3年)7月11… 北村 春江(きたむら はるえ、1928年(昭和3年)7月11日 - 2022年(令和4年)3月13日)は、日本の元政治家、弁護士。兵庫県芦屋市長(第15・16・17代)。夫は弁護士の北村巌。 京都府京都市左京区生まれ、大阪府育ち。女学校時代には学徒動員を経験し、 1945年に立命館専門学校に入学。1952年に立命館大学法学部を卒業。性別による職場での不平等を経験したことから法律家を目指す。1956年に立命館大学の女子卒業者で初めて司法試験に合格し、司法修習を経て1959年に弁護士登録。大阪家庭裁判所調停委員や1979年からは芦屋市教育委員会委員長を務める。 教育関係者や市民グループに推されて1991年、62歳で芦屋市長選挙に無所属で立候補し、現職に約2千票差をつけ初当選を果たした。
青木 定雄(あおき さだお、本名:兪奉植, 朝: 유봉식、1… 青木 定雄(あおき さだお、本名:兪奉植, 朝: 유봉식、1928年6月23日 - 2017年6月8日)は、韓国の実業家。在日韓国人1世。元エムケイ会長、近畿産業信用組合代表理事会長など、複数の企業・団体の要職を歴任した。 (経歴は青木定雄の自伝、紳士録、MKグループホームページ「MKの歩み」、国会委員会議事録、記事などから) 日本におけるタクシー業界の規制緩和は、青木による運賃値下げ闘争から始まったといわれている。青木は運輸省によるタクシーの「同一地域内、同一運賃」の行政指導へ異を唱え、1981年、京都市内における一律のタクシー料金値上げにも単独反対する。この時は最終的に一律の運賃値上げに同調するが、翌1982年に運賃の値下げを申請。
山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、… 山手 治之(やまて はるゆき、1928年4月15日- )は、日本の国際法学者。立命館大学名誉教授。専門分野は、国際法・国際経済法・EU法(EC法)。広島県広島市出身。 昭和3年(1928年)4月15日、広島県安佐郡深川村(現広島市安佐北区)で生まれる。昭和17年(1942年)4月に旧制崇徳中学校へ入学。途中、海軍兵学校へ入学するが(1945年4月-8月、海軍兵学校第78期)、終戦後復帰し、昭和21年(1946年)3月に卒業する。昭和21年(1946年)9月に旧制山口高等学校理科甲類に進学し、昭和24年(1949年)卒業する。昭和24年(1949年)4月に旧制京都大学法学部に進学、昭和27年(1952年)には旧制京都大学大学院法学研究科に進学し、昭和29年(1954年)修了。
黒田 義之(くろだ よしゆき、1928年〈昭和3年〉3月4日… 黒田 義之(くろだ よしゆき、1928年〈昭和3年〉3月4日 - 2015年〈平成27年〉1月22日)は、日本の映画監督、特撮監督。 1928年(昭和3年)、愛媛県松山市生まれ。京都市立太秦小学校の同級生には、森田富士郎がいた。子供の頃、映画の子役を務めていた関係で、京都太秦にあった新興キネマ撮影所や、片岡千恵蔵が主宰した千恵プロの映画作品に多数出演した。 立命館大学理工学部数学科卒業。この時は子役時代の経験もあって「撮影所には入らないで、教員になろう」と思っていたことから、しばらく京都府立嵯峨野高等学校(当時は女学校だった)で数学教師を務めた。 1950年(昭和25年)、レッドパージの影響で大映京都撮影所の助監督が7人も退社して急遽助監督を募集していたこともあり、また叔父が伊藤大輔と稲垣浩で、また父親が映画会社大映で製作主任を務め、母親の弟がカメラマンの牧浦地志であるということもあって、大映の入社試験を受け合格。
森本 茂(もりもと しげる、1928年1月2日 - 1996… 森本 茂(もりもと しげる、1928年1月2日 - 1996年6月24日)は、日本の国文学者。 京都府生まれ。1956年(昭和31年)3月、立命館大学大学院日本文学科修士課程修了。相愛女子大学助教授、教授、梅花女子大学文学部教授、香川大学教育学部教授、1992年奈良大学文学部国文学科教授。1992年3月28日、「大和物語の考証的研究」で立命館大学より論文博士として博士(文学)の学位を取得。
大槻 幹郎(おおつき みきお、昭和3年(1928年) - )… 大槻 幹郎(おおつき みきお、昭和3年(1928年) - )は、日本の美術史・仏教文化を専攻する学者。専攻は日本美術システム・仏教文化史。 昭和3年(1928年)、京都府に生まれる。京都師範学校、立命館大学文学部史学科卒業。京都府立鴨沂高等学校教諭を経て、花園大学文学部非常勤講師となる。他に黄檗山万福寺黄檗文化研究所研究員・元花園大学国際禅学研究所客員研究員。
川野 彰子(かわの しょうこ、女性、1928年〈昭和3年〉 … 川野 彰子(かわの しょうこ、女性、1928年〈昭和3年〉 - 1964年〈昭和39年〉9月11日)は日本の小説家。鹿児島県奄美大島生まれ。立命館大学文学部卒業。 立命館大学卒業後、開業医だった川野純夫(1924〜2002)と結婚し、創作活動に入る。1962年、雑誌『VIKING』(136号)に発表した処女作『色模様』が第47回直木賞候補にあがり注目を浴びた。 翌年『新潮』(昭和38年7月号)に発表した『廓育ち』も第50回直木賞候補に上がるが、再び苦杯を飲んだ。『廓育ち』は1964年に佐藤純彌監督、三田佳子、梅宮辰夫、中村賀津雄主演で映画化されている。 夫・川野純夫は、彰子と死別した後に作家の田辺聖子と再婚。
赤井 達郎(あかい たつろう、1927年12月24日 - 2… 赤井 達郎(あかい たつろう、1927年12月24日 - 2017年1月7日)は、日本の歴史学者。奈良教育大学名誉教授。専門は日本美術史・芸能史。 1927年、岐阜県中津川市で生まれた。立命館大学文学部で学び、1954年に卒業。同大学大学院文学研究科に進学し、1958年に修了。 1993年から1999年まで奈良教育大学学長を務め、同大学を退任後は名誉教授。2017年1月7日に死去。89歳没。叙正四位。
伊東 雋祐(いとう しゅんすけ、1927年7月18日 - 2… 伊東 雋祐(いとう しゅんすけ、1927年7月18日 - 2006年6月9日)は、日本のろう教育者。ろう者の権利獲得、手話通訳の普及に尽力した。京都府福知山市出身。息子は合唱指揮者・作詩家の伊東恵司。 京都師範学校、立命館大学文学部日本文学科卒業。大学卒業後の1949年、京都府立聾学校に勤務(1988年まで)。ろう教育の現場でろう者と関わる中で、手話通訳運動の普及、指導に尽力した。 1968年6月、福島県で行われた第一回全国手話通訳者会議において、ろうあ者の権利を守ることを立脚点とした「手話通訳論」を提唱した。1974年6月、全国手話通訳問題研究会の結成にあわせ、同研究会の初代運営委員長に就任。
羽賀 孝(はが たかし、1927年7月4日 - 2011年1… 羽賀 孝(はが たかし、1927年7月4日 - 2011年10月4日)は、日本の経営者。丸大食品社長、会長を務めた。愛媛県出身。 1953年に立命館大学法学部を卒業。大阪国税局での勤務を経て、1962年7月に丸大食品に転じ、1970年4月に取締役に就任し、1980年5月に常務、1981年10月に専務を経て、同年11月には社長に就任。1988年5月に会長に就任し、2001年7月に相談役を経て、2002年6月に社友に退いた。 1993年4月に藍綬褒章を受章。 2011年10月4日肝不全のために死去。84歳没。
高橋 宗治郎(たかはし そうじろう、1927年 <昭和2年>… 高橋 宗治郎(たかはし そうじろう、1927年 <昭和2年> 3月9日 - 2015年 <平成27年> 12月26日)は、日本の経営者、銀行家。滋賀銀行頭取を務めた。位階は正五位。 京都府京都市出身。1947年4月に滋賀銀行に入行し、1950年には立命館大学経済学部を卒業。1978年6月に常務、1984年5月に専務を経て、1987年8月に副頭取に就任し、1989年6月には頭取に昇格。1997年6月に会長に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2015年12月26日、心不全のために死去。88歳没。死没日付をもって正五位に叙された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
岩本 敏男(いわもと としお、1927年2月17日 - 20… 岩本 敏男(いわもと としお、1927年2月17日 - 2001年6月7日)は、日本の児童文学作家、作詞家。 京都生まれ。立命館大学中退。 上野瞭らと「馬車の会」を結成。その傍ら古田足日らの「児童文学実験集団」にも参加。1971年「馬車」に発表した連作をナンセンス童話『赤い風船』として刊行。 1980年『からすがカアカアないている』で第11回赤い鳥文学賞を受賞。 加山雄三の「俺は海の子」(作曲:弾厚作)、童謡「でかちびのっぽ」(大中恩作曲)などの作詞家でもある。
桑原 公徳(くわばら ただのり、1927年(昭和2年)1月9… 桑原 公徳(くわばら ただのり、1927年(昭和2年)1月9日 - 2000年(平成12年)8月25日)は、歴史地理学者。専門は歴史地理学、村絵図、地籍図。小字(こあざ)の研究。 島根県安来市に生まれる。1951年(昭和26年)、立命館大学を卒業した。兵庫県立豊岡高等学校に勤務した。1956年(昭和31年)、立命館大学大学院文学研究科(地理学専攻)修士課程を修了した。京都府立桃山高等学校教諭を経て、1961年(昭和36年)に花園大学講師となり、地誌学・人文地理学・歴史地理学を担当した。後に花園大学助教授、教授を歴任した。1982年(昭和57年)から1996年(平成8年)まで佛教大学文学部史学科教授を務めた。
崔碩義(チェ・ソギ、1927年 - 2021年8月)は、韓国… 崔碩義(チェ・ソギ、1927年 - 2021年8月)は、韓国出身、日本で活動した作家、翻訳家、評論家。 韓国慶尚南道泗川生まれ。立命館大学文学部哲学科卒。その後、在日朝鮮人運動(朝鮮新報社)の活動にたずさわる。1980年から朝鮮近世文学史を専攻し、執筆活動を始める。在日朝鮮人運動史研究会会員。娘は山下英愛。
原田 清(はらだ きよし、1926年11月28日 - )は、… 原田 清(はらだ きよし、1926年11月28日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。ポジションは一塁手。
相馬 大(そうま だい、1926年8月28日 - 2011年… 相馬 大(そうま だい、1926年8月28日 - 2011年5月23日)は、日本の詩人・随筆家・国文学者。本名・出川光治。 長野県須坂市出身。旧制上高井農学校(長野県須坂園芸高等学校)を経て、1950年立命館大学文学部日本文学科卒業。京都市立中学校国語教諭を経て、京都聖母女学院短期大学助教授、教授、図書館長を務めた。詩の他、京都文化についての随筆を多く残した。
吉田 敏男(よしだ としお、1926年7月4日 - 1997… 吉田 敏男(よしだ としお、1926年7月4日 - 1997年7月1日)は、日本の実業家。ティー・エックス・エヌ九州(現在のTVQ九州放送)初代社長を務めた。 京都府出身。1950年に立命館大学専門部法政科を卒業し、日本経済新聞社に入社。日経では事業本部長、取締役、監査役を歴任した。1981年からテレビ大阪常務と専務を歴任し、1986年からテレビ東京専務に就任し、1989年には副社長に昇格。1990年から1995年までにティー・エックス・エヌ九州社長を務め、1995年から1997年までに同社会長を務めた。 1997年7月1日、急性心不全のために死去。70歳没。
西川 富雄(にしかわ とみお、1926年3月9日 - 201… 西川 富雄(にしかわ とみお、1926年3月9日 - 2010年7月7日)は、日本の哲学者(ドイツ哲学)。立命館大学名誉教授。 1926年、京都府で生まれた。立命館大学文学部哲学科で学び、1950年に卒業。2010年7月7日、呼吸不全のため死去。 卒業後は、立命館大学で教鞭を執った。1991年、立命館大学名誉教授。1995年、学位論文『続・シェリング哲学の研究:「自然の形而上学」の可能性』を立命館大学に提出して文学博士号を取得。フリードリヒ・シェリングの哲学を研究対象とし、日本シェリング協会会長を務めた。2010年に死去。
清水 卯一(しみず ういち、1926年3月5日 - 2004… 清水 卯一(しみず ういち、1926年3月5日 - 2004年2月18日)は日本の陶芸家。京都府京都市東山区五条生まれ。1985年人間国宝に認定。 1926年(大正15年)3月5日、京焼陶磁器卸問屋を営む生家の長男として誕生した。 11歳で父が急死したため、1938年(昭和13年)、家業を継ぐことを目的として立命館商業学校(後の新制立命館高等学校)に入学するも、作陶に興味を抱き同校を2年修了後の1940年に中退。14歳で石黒宗麿に師事し、通い弟子として陶芸を学ぶ。しかし国の戦時体制強化が影響したため弟子期間は数か月に終わり、その後は自宅にろくろ場を設け自作を開始した。 翌1941年国立京都陶磁試験場に伝習生として入所、同所では日根野作三、水町和三郎の指導を受けた。
勝 忠男(かつ ただお、1926年 - 2006年7月17日… 勝 忠男(かつ ただお、1926年 - 2006年7月17日)は、大阪市を本拠とする芸能事務所大手の松竹芸能創業者の一人で元会長・社長。興行師・芸能プロモーター。大阪府出身。 1947年、立命館大学法学部卒業後、大手映画会社・松竹創業者の一人である白井松次郎が経営する千土地興行(のちの日本ドリーム観光)に入社。戎橋松竹の支配人などを経て、1954年に千土地興行を退社。 その後、芸人を斡旋する芸能事務所新生プロダクションを主宰。1958年、もう一人の松竹創業者である白井の実弟・大谷竹次郎を担ぎ出し、秋田實と藤井康民が興し自らも関係していた上方演芸との合流を果たして、松竹芸能の前身松竹新演芸を設立した(1962年に松竹芸能に社名変更)。
倉本 寛司(くらもと かんじ、1926年 - 2004年10… 倉本 寛司(くらもと かんじ、1926年 - 2004年10月4日)は在アメリカ被爆者協会名誉会長。ハワイ・ホノルル出身。 祖父の代で広島県からハワイに移民する。5歳で祖父の看病のために家族で日本に渡り、日本で育つ。立命館大学専門部工学科卒業、カリフォルニア大学中退。 1945年8月6日、山口県光市の海軍工廠で仕事をしていたが、父親のいた広島市に新型爆弾(原爆)が投下されたのを聞き、翌日広島入りし地獄絵の中、1ヶ月父を捜すが見つからなかった。広島市の復興局で働いたが、父を失い生活は苦しいものだった。 アメリカ国籍を保有していたため、1948年再びアメリカに渡り、カリフォルニア州道路局に勤務。アメリカには広島や長崎で被爆した日系人が多数いたが、被爆者相互の交流はほとんどなかった。
山口 幸生(やまぐち こうせい、1925年12月16日 - … 山口 幸生(やまぐち こうせい、1925年12月16日 - 2011年10月25日 )は、日本の俳優。 京都府出身。立命館大学(1944〜1948)卒業。 元新春座座員。。」かつてビックワンウエストに所属していた。 水戸黄門や必殺シリーズなど数多くの時代劇に出演。特撮テレビ番組『仮面の忍者 赤影』(第2部まんじ党編)では、全身緑衣装で顔も緑に塗っている忍者むささび道軒を演じ、強い印象を残した。また同作品ではナレーターも担当した。
伊吹 新一(いぶき しんいち、1925年3月2日 - 201… 伊吹 新一(いぶき しんいち、1925年3月2日 - 2012年7月26日)は、京都府京都市生まれの指揮者・音楽監督・音楽教育者。 オーケストラ・合唱・吹奏楽を指揮することが多い中で、ハイドンのミサ曲の演奏に力を入れた。アメリカ、ハワイ、中国、カナダ、オーストリア、ウィーン、ドイツなど海外公演もこなし、国際的な活躍もみせた。 京都府京都市西本願寺前の念珠屋「伊吹新八商店」八代目として生まれる。立命館大学専門部法政科卒業後、同大学法学部へ進学。在学中に立命館大学メンネルコール、立命館大学混声合唱団メディックス、立命館大学交響楽団を創部。京都市役所渉外課に依頼され、マシュー・リッジウェイ第8軍司令長官宅でクリスマス・キャロルを演奏する。
山本 建三(やまもと けんぞう、1925年 - 2007年1… 山本 建三(やまもと けんぞう、1925年 - 2007年12月14日)は日本の写真家。日本写真家協会会員、日本広告写真家協会会員、フォト禅主宰。 大阪府高槻市出身。1949年、立命館大学文学部卒業。株式会社湯浅電池に勤務しながら、大阪の丹平写真倶楽部に入会、先輩の藤田一一に薫陶を受ける。1959年に藤田一一との二人展を開催しプロ写真家として歩みはじめる。その後、京都を中心とする風景写真家として、80冊以上の写真集を出版するほか、日本各地で個展を開くなど活躍。また風景写真家として活動するほか、フォト禅を主宰するなど後進の指導にも力を尽くす。京都写真家協会元会長。2001年日本風景写真協会名誉会員(顧問)に。
中村 正夫(なかむら まさお、1924年(大正13年)7月6… 中村 正夫(なかむら まさお、1924年(大正13年)7月6日 - 2014年(平成26年)3月2日)は、日本の実業家、元北陸電気工業社長。 京都府出身。趣味は、読書・謡曲。 1949年(昭和24年)、立命館大学専門部卒業。 1953年(昭和28年)、北陸電気工業入社。 1960年(昭和35年)、同社代表取締役就任。 1970年(昭和45年)、同社常務取締役就任。 1978年(昭和53年)、同社専務取締役就任。 1979年(昭和54年)、同社代表取締役副社長就任。 1981年(昭和56年)、同社代表取締役社長就任。 2014年3月2日、心不全で死去、89歳没。
大橋 清秀(おおはし きよひで、1924年〈大正13年〉5月… 大橋 清秀(おおはし きよひで、1924年〈大正13年〉5月5日 - )は、国文学者、帝塚山学院大学名誉教授。 大阪府生まれ。1948年立命館大学文学部国文科卒、1962年同大学院(旧制)修了、大阪工業大学助教授、帝塚山学院大学文学部助教授、教授、1995年定年退任、名誉教授。
山舗 公義(やましき きみよし、1924年3月7日 - 19… 山舗 公義(やましき きみよし、1924年3月7日 - 1999年9月14日)は日本の柔道家(講道館9段)。 柔道家としての現役時代は全日本選手権準優勝や世界選手権3位等の成績を残し、引退後は三重県津市の市議会議員、三重県柔道協会会長を歴任した。 1924年三重県に生まれる。進学先の旧制・京都中学は柔道か剣道が必須科目であったため、柔道を選択したのが柔道を始めるきっかけとなった。教師を務める海部勇次5段の元で立技を中心に稽古し、1941年の第12回明治神宮大会中等学校府県対抗試合に京都府代表の一員として出場し優勝に貢献。その時の監督が、生涯の師として仰ぐ事となる森下勇9段(のち全日本柔道連盟副会長)であった。
大迫 輝通(おおさこ てるみち、1924年(大正13年)1月… 大迫 輝通(おおさこ てるみち、1924年(大正13年)1月8日 - 2022年(令和4年)11月30日)は、日本の経済学者。岐阜経済大学名誉教授。日本やアジアの養蚕を専門分野とした。 1924年(大正13年)京都府に生まれる。1954年(昭和29年)から奈良育英学園勤務。1966年(昭和41年)立命館大学大学院文学研究科を卒業後、1967年(昭和42年)岐阜経済大学講師。翌1968年(昭和43年)同大助教授、1972年(昭和47年)教授。後に経済学部学部長も務めた。 2022年(令和4年)11月30日、老衰のため死去、98歳。
南 緑八郎(みなみ ろくうはちろう、1923年9月7日 - … 南 緑八郎(みなみ ろくうはちろう、1923年9月7日 - 2005年4月27日)は、日本の経営者。 新潟日報社社長を務めた。新潟県出身。 1946年に立命館大学を卒業し、1949年に新潟日報社に入社。1976年に取締役に就任し、1983年に常務、1988年に専務を経て、1990年から1992年までに社長を務めた。 2002年11月22日解離性大動脈瘤のために死去。79歳没。
岩井 栄太郎(いわい えいたろう、1923年1月19日 - … 岩井 栄太郎(いわい えいたろう、1923年1月19日 - 2002年12月23日)は、日本の経営者。京都府出身。 1949年に立命館大学法学部を卒業。1954年11月にホテルはとや、1963年4月にはとや不動産をそれぞれ創立し、各社社長に就任。1972年7月に両社が合併し発足したハトヤ観光社長に就任し、1975年3月には会長に就任。1994年5月に京都放送社長に就任。 1973年2月に紺綬褒章を受章し、1983年11月に藍綬褒章を受章。。 2002年11月23日肺炎のために死去。79歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
鈴木 正三(すずき しょうぞう、1922年12月18日 - … 鈴木 正三(すずき しょうぞう、1922年12月18日 - 2011年11月12日)は、日本の経営者。日本写真印刷社長、会長を務めた。 大阪府出身。1947年に立命館大学法文学部を卒業し、1956年に日本写真印刷に入社し、監査役に就任。1957年に常務を経て、1959年に社長に就任。1992年3月に会長に就任し、2007年から相談役を務めた。 2011年11月12日、膵臓がんのために死去。88歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。