益田 兼弘(ました かねひろ、1942年〈昭和17年〉7月2… 益田 兼弘(ました かねひろ、1942年〈昭和17年〉7月27日 - )は、日本の元陸上自衛官。東部方面総監。防衛大学校本科第9期卒業。 熊本県出身。実父益田兼利(陸軍大学校54期首席)は、東部方面総監在任時に1970年(昭和45年)11月25日に起きた三島事件の当事者となった。 親子2代で同一の師団長、方面総監を歴任した。なお石見国(島根県西部)の有力豪族であった益田氏の歴代当主に同姓同名の人物がおり、実父ともに通字の「兼」が充てられているが直接の関連性はない。
大麒麟 將能(だいきりん たかよし、1942年6月20日 -… 大麒麟 將能(だいきりん たかよし、1942年6月20日 - 2010年8月4日) は、佐賀県佐賀郡東川副村(のち諸富町、現・佐賀市)出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は堤 隆能(つつみ たかよし)。最高位は東大関。現役時代の体格は181cm、140kg。得意手は右四つ、寄り、吊り、うっちゃり。 1942年6月20日、整骨院を経営していた父・善治と母・かつの3男として生まれる。出生時で3600gという大柄な体格で、東川副小6年の時には健康優良児に選出されている。 諸富中学では柔道の選手として活躍。また生徒会長を務めるなど人望もあり、体力のみならず学力にも秀で、将来は防衛大学校を目指していたといわれ、後に理論、頭脳明晰として知られる人物の片鱗を見せていた。
國見 昌宏(くにみ まさひろ、1942年(昭和17年)1月 … 國見 昌宏(くにみ まさひろ、1942年(昭和17年)1月 - )は、日本の陸上自衛官。最終階級は陸将。初代情報本部長、初代内閣衛星情報センター所長。 1965年(昭和40年)3月、防衛大学校卒業(第9期)、陸上自衛隊入隊。 1977年(昭和52年)1月、3等陸佐。 1980年(昭和55年)7月、2等陸佐。 1983年(昭和58年)5月、1等陸佐、在中華人民共和国日本国大使館防衛駐在官。1986年(昭和61年)8月1日、陸上幕僚監部調査部調査第2課調査第2班長。1987年(昭和62年)8月1日、第10普通科連隊長兼滝川駐屯地司令。1989年(平成元年)6月30日、陸上幕僚監部人事部補任課長。 1991年(平成3年)3月16日、陸将補昇任、東北方面総監部幕僚副長。
土井 義尚(どい よしなお、1942年 - )は、日本の禅僧… 土井 義尚(どい よしなお、1942年 - )は、日本の禅僧、元陸上自衛隊の将官(陸将)。2022年現在、山梨県甲府市の限界集落にある曹洞宗・自性院の住職を務める。 1961年山梨県立甲府第一高等学校卒、1965年防衛大学校機械工学科を卒業後、陸上自衛隊に入隊する。陸上自衛隊幹部学校生時代、防衛大で学んだ機械工学の知識を活用して、校内に設置されていた缶コーヒーの自動販売機に細工して無料でコーヒーが出して仲間に振る舞ったことが発覚し、大問題となる。一時は退校処分まで検討されるが、当人の将来性を嘱望した校長の恩情により、大目玉を食らうことで事なきを得た。 その後、幹部自衛官として、スウェーデン防衛駐在武官、武器学校長、技術開発官、補給統制本部長等を歴任し、陸将にまで昇進する。
平山 助成(ひらやま すけなり、1942年 - )は、日本の… 平山 助成(ひらやま すけなり、1942年 - )は、日本の美術館館長、元海上自衛官。平山郁夫美術館館長。せとの海に遊ぶ会代表。最終階級は海将補。広島県尾道市瀬戸田町出身。兄は日本画家の平山郁夫。 広島県尾道市瀬戸田町に生まれる。8人兄弟であり、実の兄平山郁夫は日本画家。幼少期は、自宅の前の瀬戸田水道で一日中泳いでいたという。 1966年防衛大学校(10期)を卒業後、海上自衛隊に入隊、航空部隊に配属。1997年に海将補で退職。 2003年より平山郁夫美術館の館長に就任。 2014年には、春の叙勲で瑞宝小綬章を受章。 2018年、館長を務める平山郁夫美術館と広島大学が包括的連携協定を、締結した。 2022年には、広島大学東広島キャンパス内のサタケメモリアルホールにて開催された「平山郁夫と中国~平和への思い~」と題された講演に登壇。
古澤 忠彦(ふるさわ ただひこ、1941年〈昭和16年〉12… 古澤 忠彦(ふるさわ ただひこ、1941年〈昭和16年〉12月 - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。舞鶴地方総監、統合幕僚会議事務局長、横須賀地方総監を歴任した。長崎県出身。 1941年(昭和16年)12月、長崎県佐世保市生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て1964年(昭和39年)3月、防衛大学校第8期卒業、海上自衛隊入隊。護衛艦「まきぐも」艦長、第34護衛隊司令、大湊地方総監部幕僚長、海上幕僚監部人事教育部長などを経て、1994年(平成6年)7月、舞鶴地方総監に就任。1996年(平成8年)3月には統合幕僚会議事務局長に就任し、日米防衛協力のための指針見直し問題に絡み、秋山昌廣(当時防衛局長)とともに中国を訪問して傅全有(中国人民解放軍総参謀長)らとの会談を行った。
藤縄 祐爾(ふじなわ ゆうじ、1941年(昭和16年)9月2… 藤縄 祐爾(ふじなわ ゆうじ、1941年(昭和16年)9月22日 - )は、日本の陸上自衛官。第26代陸上幕僚長、第23代統合幕僚会議議長。兵庫県出身。
磯島 恒夫(いそしま つねお、1941年(昭和16年)8月1… 磯島 恒夫(いそしま つねお、1941年(昭和16年)8月14日 - )は、日本の元陸上自衛官。第27代陸上幕僚長。1等陸佐までの職種は野戦特科。 兵庫県出身。実家が神戸に近かったことから、船乗りになりたいと思っていたが、友人に誘われたことから防衛大学校を受験した。一次試験合格後にキャンパスを見学したら非常にいい環境であり、海上自衛隊に入れば船に乗れるとのことで、入学した。しかし、目が悪かったことから海自を断念し、陸上自衛隊に進む。幹部候補生学校に入校後、職種は武器科を希望するが、区隊長から武器科は定員オーバーであるから輸送科か野戦特科を勧められ、特科を選択した。幹部候補生学校卒業後の初任地は名寄の第2特科連隊。
森本 敏(もりもと さとし、1941年〈昭和16年〉3月15… 森本 敏(もりもと さとし、1941年〈昭和16年〉3月15日 - )は、日本の国際政治学者、航空自衛官、外交官、政治家。防衛政策における論客家。 拓殖大学顧問、拓殖大学特任教授、21世紀臨調運営委員、防衛法学会顧問。拓殖大学第19代総長。野田内閣で民間人閣僚として初めて防衛大臣を務めた。 東京府東京市(現東京都)生まれ。大阪府立豊中高等学校を経て、防衛大学校本科(電気工学専攻、第9期生)卒業後、航空自衛隊に入隊。1977年(昭和52年)から外務省アメリカ局(現北米局)安全保障課に出向。 1979年(昭和54年)に航空自衛隊を退官し、正式に外務省入省。航空自衛官退官時の階級は3等空佐(米国などでいう「少佐」)。
山本 安正(やまもと やすまさ、1940年(昭和15年)11… 山本 安正(やまもと やすまさ、1940年(昭和15年)11月13日 - )は、日本の海上自衛官、第23代海上幕僚長。防衛大学校第7期卒業。 東京府出身。両国高校を経て防衛大学校(第7期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「とかち」艦長、第4護衛隊群司令、海上幕僚監部人事教育部長、統合幕僚会議事務局長、横須賀地方総監等の要職を歴任し、第23代海上幕僚長に就任。在任中の1998年(平成10年)には「北朝鮮によるミサイル発射実験」、翌1999年(平成11年)には「能登半島沖不審船事件」が発生。不審船事案では海上自衛隊創設以来初となる海上警備行動が発令され事態に対処した。
尾辻 秀久(おつじ ひでひさ、1940年10月2日 - )は… 尾辻 秀久(おつじ ひでひさ、1940年10月2日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(5期)、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会会長。
夏川 和也(なつかわ かずや、1940年(昭和15年)2月4… 夏川 和也(なつかわ かずや、1940年(昭和15年)2月4日 - )は、日本の元海上自衛官。第22代海上幕僚長、第22代統合幕僚会議議長。 山口県出身。防府高校を経て、防衛大学校(第6期)を卒業し海上自衛隊に入隊。航空隊等に勤務後、海上幕僚監部人事教育部長、教育航空集団司令官、佐世保地方総監等の要職を歴任し、第22代海上幕僚長を経て第22代統合幕僚会議議長に就任。
村木 鴻二(むらき こうじ、1940年(昭和15年)1月29… 村木 鴻二(むらき こうじ、1940年(昭和15年)1月29日 - )は、日本の航空自衛官である。山口県出身。第23代航空幕僚長。現在は千葉県在住。 満洲チチハルに生まれる。父は陸軍軍人の村木八郎(陸士45期)であり、 爆撃機のパイロットとしてノモンハン事件に従軍していた。その後、東京を経て山口県萩市に移り、小学校4年生まで過ごす。終戦後、父が航空自衛隊に入隊したことから東京の高校へ転校し、父と同じパイロットを目指し1958年(昭和33年)4月に防衛大学校に入学する。学生時代はバスケットボールに夢中になり、4年生の時には神奈川県のリーグで最優秀選手に選ばれている。 防大卒業後は航空自衛隊に入隊し、幹部候補生学校卒業後は念願通り、操縦課程に進む。
平岡 裕治(ひらおか ゆうじ、1939年(昭和14年)11月… 平岡 裕治(ひらおか ゆうじ、1939年(昭和14年)11月22日 - 2023年(令和5年)11月6日)は、日本の元航空自衛官。鹿児島県出身。第24代航空幕僚長。 平岡空将は他県人が抱く「薩摩隼人」のイメージを体現したような人物で、部下をしていると維新の志士と言うよりも藩主・島津斉彬に仕えているような気分になった。航空幕僚監部を舞台にしたTBSの「空飛ぶ広報室」でモト冬樹が演じた浅野航空幕僚長は平岡空将がモデルなのではないかと言われている。ちなみに1998年長野オリンピックの開会式でのブルーインパルスの展示飛行の特集番組には本人が登場していた。 また「航空自衛隊で最もダンディな将官」と呼ばれていて航空幕僚監部監理部総務課長の時には陸海の担当者と協議して「制服は官給品」と言う原則を打ち破って隊員が直営売店で自費購入するジャンバーとセーターの簡易服を制定している。
渡邊 信利(わたなべ のぶとし、1939年〈昭和14年〉9月… 渡邊 信利(わたなべ のぶとし、1939年〈昭和14年〉9月26日 - 2016年〈平成28年〉3月24日)は、日本の元陸上自衛官。第25代陸上幕僚長。1等陸佐までの職種は普通科、レンジャー出身。 1962年(昭和37年)に防衛大学校を卒業し、陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後し、初任地は第26普通科連隊に配属。その後は防衛大学校指導教官や第12普通科連隊長などを務め、1992年(平成4年)6月に陸将に昇任し、第2師団長、北部方面総監に就任を経て、1995年(平成7年)6月、第25代陸上幕僚長に就任。就任後に防衛計画の大綱(07大綱)、中期防衛力整備計画(08中期防)が策定され、13師団体制から旅団化への改編に努めた。
落合 畯(おちあい たおさ、1939年(昭和14年)7月 -… 落合 畯(おちあい たおさ、1939年(昭和14年)7月 - )は、日本の元海上自衛官である。最終階級は海将補。自衛隊初の海外任務となった、湾岸戦争後のペルシャ湾掃海派遣部隊の指揮官。現在は鎌倉市在住。 太平洋戦争での沖縄戦において、「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報を送った事で有名な大田実海軍中将の三男である。
松島 悠佐(まつしま ゆうすけ、1939年3月15日 - )… 松島 悠佐(まつしま ゆうすけ、1939年3月15日 - )は、福岡県出身の軍事評論家、元陸上自衛官(最終階級は陸将)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高森 直史(たかもり なおふみ、1939年(昭和14年) -… 高森 直史(たかもり なおふみ、1939年(昭和14年) - )は、海上自衛官、海軍史・海軍料理研究家、管理栄養士。本名は、日浦直史。最終階級は1等海佐。 熊本県人吉市出身。1959年(昭和34年)、佐伯栄養専門学校卒業。1960年(昭和35年)、海上自衛隊に入隊(2等海士)。1965年(昭和40年)、海上自衛隊幹部候補生学校卒業。防衛大学校教官、護衛艦補給長、航空群司令部幕僚、海上幕僚監部人事課、護衛艦隊司令部幕僚、海上幕僚監部衣糧班長、同給与班長、第4術科学校研究部長、舞鶴地方総監部経理部長を歴任。1986年(昭和61年)、1等海佐に昇任。1994年(平成6年)、退官。 旧海軍料理書から「肉じゃが」のルーツを発掘し、舞鶴や呉の町おこしに協力。
茅原 郁生(かやはら いくお、1938年7月14日 - )は… 茅原 郁生(かやはら いくお、1938年7月14日 - )は陸上自衛官、拓殖大学名誉教授。専門は、中国の安全保障。山口県出身。
冨澤 暉(とみざわ ひかる、1938年〈昭和13年〉3月27… 冨澤 暉(とみざわ ひかる、1938年〈昭和13年〉3月27日 - )は、日本の陸上自衛官。東京府出身。第24代陸上幕僚長。1等陸佐までの職種は機甲科。 父は第4回芥川賞受賞作家の冨澤有爲男、妻は大戦中にF機関で活動した藤原岩市陸軍中佐(元陸将でもある)の娘。東京都立日比谷高等学校から防衛大学校に進み、1960年(昭和35年)3月、防大卒業と同時に陸上自衛隊に入隊。以後、機甲科部隊、陸上幕僚監部での勤務や米国留学等を経て、第13普通科連隊長、愛知地方連絡部長、第1師団長、陸上幕僚副長、北部方面総監等の要職を歴任し、第24代陸上幕僚長に就任した。陸幕長在任中の1992年(平成4年)に内戦後のカンボジアの復興を支援するため、自衛隊初の国連平和維持活動としてPKO部隊を同国に派遣した。
林崎 千明(はやしざき ちあき、1938年〈昭和13年〉3月… 林崎 千明(はやしざき ちあき、1938年〈昭和13年〉3月25日 - )は、日本の海上自衛官。第20代海上幕僚長。 岩手県遠野市出身。遠野高校を経て防衛大学校(第4期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。護衛艦「ちくご」艦長、第2護衛隊群司令、海上幕僚監部防衛部長、大湊地方総監、佐世保地方総監等の要職を歴任し、第20代海上幕僚長に就任。
杉山 蕃(すぎやま しげる、1938年(昭和13年)1月16… 杉山 蕃(すぎやま しげる、1938年(昭和13年)1月16日 - )は、航空自衛官。兵庫県出身。第22代航空幕僚長、第21代統合幕僚会議議長。保守系日刊紙『世界日報 (日本)』のコラム「ビューポイント」の常連寄稿者の一人である。現在は千葉県在住。戦闘機パイロット出身でTACネームは“BAN”。
大熊 康之(おおくま やすちか、1938年〈昭和13年〉 -… 大熊 康之(おおくま やすちか、1938年〈昭和13年〉 - )は、海上自衛官、システムエンジニア。 岐阜県生まれ。防衛大学校では電気工学を専攻し、1958年(昭和33年)に第6期生として卒業した。 昭和46年度計画で開発された海上自衛隊初のシステム艦である「たちかぜ」が搭載する目標指示装置 (WES) の導入のため、1970年10月5日、海上幕僚監部CCS幹事室に着任。このとき、同室長を務めていた、『解析射撃理論』の著者である小綿恭一2佐に師事することになる。その後、アメリカ海軍ミサイル・スクール (NAVGMSCOL) に留学し、1972年から2年間、カリフォルニア州サンタクラリタのバレンシアに所在するUNIVAC社の工場に駐在した。
福地 建夫(ふくち たけお、1937年(昭和12年)12月2… 福地 建夫(ふくち たけお、1937年(昭和12年)12月2日 - )は、日本の海上自衛官。第21代海上幕僚長。第5代横須賀地方総監・福地誠夫の次男で、親子で横須賀総監を務めている。 東京府出身。麻布高等学校卒業(父の福地誠夫は旧制麻布中学校出身)。防衛大学校第5期卒業後、海上自衛隊入隊。護衛艦「よしの」艦長、第4護衛隊群司令、海上幕僚監部人事教育部長、舞鶴地方総監、横須賀地方総監等の要職を歴任し、第21代海上幕僚長に就任。 山崎小五郎:1952.4.26-1952.7.31 山崎小五郎:1952.8.1-1954.6.30
宮下 裕(みやした ゆたか、1937年〈昭和12年〉1月1日… 宮下 裕(みやした ゆたか、1937年〈昭和12年〉1月1日 - 2014年〈平成26年〉8月16日)は、日本の航空自衛官、政治家。香川県善通寺市長(4期)。最終階級は空将。航空自衛隊航空総隊司令官。 香川県出身。尽誠学園高等学校を経て、1959年、防衛大学校電気科卒。同年、航空自衛隊入隊。 1989年、航空開発実験集団司令官、1990年、西部航空方面隊司令官、1991年、統合幕僚学校校長、同年、統合幕僚会議事務局長、1992年、航空自衛隊航空総隊司令官、1993年に退官。 その後、帰郷し1994年に善通寺市長選挙に立候補し初当選。市長在職中には職員削減や市の財政健全化を推進した。1998年、2002年、2006年の市長選挙はいずれも無投票当選だった。
原 剛 (はら たけし、1937年(昭和12年) - )は、… 原 剛 (はら たけし、1937年(昭和12年) - )は、日本の軍事史研究者、陸上自衛官。防衛省防衛研究所図書館調査員、軍事史学会副会長。最終階級は1等陸佐。専攻は日本軍事史(特に国土防衛史)。 香川県出身。県立観音寺第一高校卒業後、1960年(昭和35年)防衛大学校本科卒業(第4期生)。同年陸上自衛隊入隊。第10普通科連隊、第28普通科連隊に勤務後、防衛大学校、陸上自衛隊少年工科学校、陸上自衛隊幹部候補生学校教官を歴任。この期間に日本大学法学部政治経済学科を卒業(通信教育課程)、国士舘大学で歴史学を研修[要出典]。 1980年(昭和55年)より防衛庁防衛研究所戦史部所員。1991年に自衛官を退官後、教官として防衛研究所戦史部勤務、1998年定年退官し非常勤調査員として戦史部に勤務後、現職。
石塚勲(いしづかいさお、1936年〈昭和11年〉9月30日 … 石塚勲(いしづかいさお、1936年〈昭和11年〉9月30日 - )は、日本の航空自衛官。第21代航空幕僚長。防大3期。 秋田県出身。1959年(昭和34年)3月、防衛大学校卒業(第3期)、航空自衛隊入隊(1等空曹)。 1970年(昭和45年)7月、3等空佐。1974年(昭和49年)7月、2等空佐。 1978年(昭和53年)7月、1等空佐。1981年(昭和56年)2月、自衛隊埼玉地方連絡部長。1983年(昭和58年)3月16日、航空幕僚監部防衛部運用課長。1984年(昭和59年)3月16日、航空幕僚監部防衛部防衛課長。 同年7月2日、空将補に昇任。1985年(昭和60年)3月1日、航空幕僚監部人事教育部副部長。
西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1… 西元 徹也(にしもと てつや、1936年〈昭和11年〉6月1日 - 2024年〈令和6年〉4月3日)は、日本の陸上自衛官、軍事評論家。第23代陸上幕僚長、第20代統合幕僚会議議長。元隊友会会長。1佐までの職種は機甲科。 鹿児島県垂水市出身。父親の仕事の関係で小中学校の時に二度ほど横浜に住んだが、中学一年の時に垂水市にもどる。県立垂水高校卒業後、防衛大学校に入校するが、高校の野球の試合の時に鹿児島の桟橋で防大生に出会ったことがきっかけであった。防大卒業後の1959年(昭和34年)に陸上自衛隊に入隊。幹部候補生学校卒業後は機甲科に進み、初任地は北恵庭の第101戦車大隊。ここでの勤務がその後の部隊勤務の基礎ができたと語っている。
熊谷 光久(くまがい てるひさ、1936年(昭和11年)4月… 熊谷 光久(くまがい てるひさ、1936年(昭和11年)4月28日 - )は、元航空自衛官、軍事史学者、軍事評論家、歴史評論家である。ペンネーム熊谷 直(くまがい ただす)を著作の種別により用いる。 父方・母方ともに長州藩士の家系であるという。
志方 俊之(しかた としゆき、1936年3月30日 - )は… 志方 俊之(しかた としゆき、1936年3月30日 - )は、日本の防衛評論家、帝京大学名誉教授、星槎大学客員教授、元陸上自衛官(最終階級:陸将)。工学博士(京都大学、1968年)。 静岡県浜松市出身。金沢大学附属高等学校、防衛大学校本科(土木工学専攻)を卒業(第2期)。京都大学大学院工学研究科博士課程修了(工学博士)。 岩見沢駐屯地第102施設大隊長(1974年3月16日~1976年3月24日)、アメリカ陸軍戦略大学研究員、在米国大使館防衛駐在官、陸上幕僚監部人事部長、第2師団長、防衛大学校幹事、北部方面総監などの要職を歴任する。北部方面総監在任中の1991年には陸上自衛隊としては初の方面隊規模の災害対処訓練「ビッグレスキュー'91」を統裁した。
杉之尾 宜生(すぎのお よしお、本名:杉之尾孝生(読み同じ)… 杉之尾 宜生(すぎのお よしお、本名:杉之尾孝生(読み同じ)、1936年3月8日 - 2025年12月25日)は、日本の戦史研究家。元防衛大学校教授(戦史・戦略)。孫子の兵法・クラウゼヴィッツ、中東戦史、日本近代戦史の研究家として知られる。第16方面軍参謀の杉之尾三夫陸軍中佐(陸士41期、陸大51期)は父。 鹿児島県生まれ。ラ・サール高等学校、防衛大学校(本科第5期・応用化学科)卒業。陸上自衛隊第7戦車大隊(現・第71戦車連隊)、第7偵察隊、中央調査隊、第1偵察隊、中央資料隊勤務を経て1991年(平成3年)1等陸佐で退官。退官後、防衛研修所戦史部、防衛大学校助教授及び同校教授(戦史、戦略)を務める。
重松 惠三(しげまつ けいぞう、1936年 - )は、愛媛県… 重松 惠三(しげまつ けいぞう、1936年 - )は、愛媛県出身の陸上自衛官。第25代東部方面総監、第21代西部方面総監。 愛媛県立今治西高等学校卒。防衛大学校第3期卒。陸上自衛隊幹部候補生学校教官、第9師団長、西部方面総監を歴任。 1993年、東部方面総監で退官。 2008年11月、瑞宝中綬章を受章。 陸上自衛隊幹部候補生学校校歌の作詞者。青年時代は三島由紀夫と親交があった。定年退官後は日本会議愛媛県本部会長に就任(2013年6月退任。後任は愛媛銀行会長・中山紘治郎が務める)、尖閣諸島防衛や憲法改正による自衛隊の国軍化を訴える政治活動を行う。田母神俊雄を故郷の愛媛県に数回招待し、講演会等を開催したこともある。
土屋 道雄(つちや みちお、1935年(昭和10年)8月22… 土屋 道雄(つちや みちお、1935年(昭和10年)8月22日 - )は、日本の国語教育者。編集者、文筆家。元横浜創英短期大学教授。 長野県生まれ。1958年防衛大学校土木工学科卒、在学中より福田恆存に師事。 1960年から16年間国語問題協議会の主事として機関紙「国語国字」の編集を担当。1969年に『評論』で自由新人賞を受賞。 1976年に横浜創英短期大学助教授に就任し、のち教授、同校図書館長を歴任。 ※:Amazon Kindleで再刊
岡部 文雄(おかべ ふみお、1935年(昭和10年)3月18… 岡部 文雄(おかべ ふみお、1935年(昭和10年)3月18日 - )は、海上自衛官。第19代海上幕僚長。 福岡県出身。筑紫中央高校を経て、1958年(昭和33年)3月、防衛大学校(第2期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は主として対潜哨戒機のパイロットとして航空隊等に勤務。その後、海上幕僚監部防衛部長、教育航空集団司令官、舞鶴地方総監、佐世保地方総監等の要職を歴任し、第19代海上幕僚長に就任。
佐久間 一(さくま まこと、1935年(昭和10年)3月18… 佐久間 一(さくま まこと、1935年(昭和10年)3月18日 - 2014年(平成26年)7月18日)は、日本の海上自衛官。第18代海上幕僚長、第19代統合幕僚会議議長。神奈川県出身。位階は従三位。 1935年(昭和10年)3月、横須賀市に生まれる。父は海軍大佐の佐久間良也(海兵第51期)である。父の転勤により軍港の街を転々とし、戦時中は母の実家のある宮崎市郊外に疎開し、終戦後も宮崎で中・高校生活を送った。高校3年生の時に大阪に引っ越し府立勝山高校に転入し、卒業した。 1953年(昭和28年)4月、保安大学校(後の防衛大学校)に第1期生として入校。卒業後は海上自衛隊に入隊し、幹部候補生学校を経て、1958年(昭和33年)3月、遠洋練習航海に参加。
仙田 岑夫(せんだ みねお、1935年〈昭和10年〉 - 2… 仙田 岑夫(せんだ みねお、1935年〈昭和10年〉 - 2005年〈平成17年〉3月22日)は、日本の政治家、航空自衛官。扶桑町議会議員(3期)。 愛知県扶桑村(現:扶桑町)出身。1957年(昭和32年)3月に防衛大学校を第一期で卒業。航空自衛隊幹部学校主任研究開発官などを経て1985年(昭和60年)3月16日から1987年(昭和62年)3月15日まで第4高射群司令(1等空佐)、その後は航空自衛隊第1術科学校副校長、三菱重工顧問などを歴任。 1991年(平成3年)の扶桑町長選挙に立候補。前収入役の澤田正夫との一騎討ちとなり、仙田陣営は中学時代の同窓生らが中心になって運動を進めたが、澤田に及ばず落選。
志摩 篤(しま あつし、1934年〈昭和9年〉12月27日 … 志摩 篤(しま あつし、1934年〈昭和9年〉12月27日 - )は、日本の陸上自衛官。第22代陸上幕僚長。初の防衛大学校卒業の陸上幕僚長である。2012年より偕行社理事長。 熊本県熊本市に5人兄弟の末っ子として生まれる。小学校1年の時に父の転勤により、福岡に移り、戦後は長崎県大村市で高校卒業まで過ごす。防衛大学校(当時は保安大学校)入校の動機は兄が保安隊に入隊しており、以前から入隊を勧められていたことと、当時新聞に掲載された保安大学校の制服を見て格好いいと思い志願した。防大では剣道部に所属する。1957年(昭和32年)に防大を卒業し、幹部候補生として訓練を受けたのち、1958年(昭和33年)に初任地である第1普通科連隊(練馬)に小隊長として配属された。
佐瀬 昌盛(させ まさもり、1934年〈昭和9年〉12月21… 佐瀬 昌盛(させ まさもり、1934年〈昭和9年〉12月21日 - 2026年〈令和8年〉2月24日)は、日本の国際政治学者。防衛大学校名誉教授、拓殖大学客員教授。専門はヨーロッパの国際政治、安全保障論で、米ソ東西冷戦研究の第一人者。 1934年(昭和9年)関東州大連市生まれ。東京大学大学院国際関係論専門修士課程修了。ベルリン自由大学に留学後、東京大学教養学部の助手となる。成蹊大学の助教授を経て、防衛大学校の教授に就任。2000年(平成12年)退官後に拓殖大学海外事情研究所の教授、所長となる。 2007年4月、日本の集団的自衛権に関する憲法解釈の見直しを検討する、安倍晋三内閣総理大臣の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」の有識者委員を務めた。
前川 清(まえかわ きよし、1934年 - )は、日本の国際… 前川 清(まえかわ きよし、1934年 - )は、日本の国際政治学者、武蔵野学院大学名誉教授、公益財団法人防衛大学校学術・教育振興会監事。陸上自衛隊出身者であり、最終階級は陸将補。 香川県の、現在の三豊市生まれ。 1期生として防衛大学校に学び、1957年に工学部応用化学専攻を卒業した。 1970年から1972年にかけて、フランスに留学(フランス陸軍大学校84期)。 1974年から1976年にかけて外務省中東課に出向し、次いで1977年から1980年にかけて初代のエジプト防衛駐在官を務めた。 以降は、第32普通科連隊長、陸上幕僚監部教育課長、第2師団副師団長、第2混成団長(善通寺駐屯地司令)、防衛研究所副所長などを歴任し、57歳、陸将補で退官した。
松村 劭(まつむら つとむ、1934年 - 2010年1月2… 松村 劭(まつむら つとむ、1934年 - 2010年1月28日)は、日本の陸上自衛官、軍事評論家。専門は戦略・戦術研究・情報分析。デュピュイ戦略研究所東アジア代表を務め、国際戦略研究所会員であった。大阪府出身。東京都に在住した。 陸上自衛隊在隊間は陸上幕僚監部情報幕僚、同指揮幕僚、西部方面総監部防衛部長、第7師団第7戦車大隊長(当時。現・第71戦車連隊)、富士学校機甲科部副部長等の要職を歴任した。国際活動では、アメリカ陸軍指揮幕僚大学教官、在ジュネーブ軍縮代表部スタッフを経験している。 また、陸上自衛隊幹部学校時代の学友である楊鴻儒退役大佐との再会をきっかけに台湾を訪問。デュピュイ戦略研究所で考案された「定量的戦術判定法」(TNDM)の基本理論を、中華民国軍陸軍参謀本部の作戦部の人々に説明した。
森野 安弘(もりの やすひろ、1933年(昭和8年)12月8… 森野 安弘(もりの やすひろ、1933年(昭和8年)12月8日 - )は、東京都出身の軍事評論家、元陸上自衛官(最終階級は陸将)。 いずれも「森野軍事研究所」として出版。
源川 幸夫(げんかわ さちお、1933年(昭和8年)10月 … 源川 幸夫(げんかわ さちお、1933年(昭和8年)10月 - 2020年5月1日)は、陸上自衛官。防衛大学校卒業(第1期)。第21代東北方面総監及び第23代東部方面総監。
鈴木 昭雄(すずき あきお、1933年〈昭和8年〉8月29日… 鈴木 昭雄(すずき あきお、1933年〈昭和8年〉8月29日 - )は、日本の航空自衛官。第20代航空幕僚長。防大1期。 北海道出身。1957年(昭和32年)3月、防衛大学校電気工学科卒業(第1期)、航空自衛隊入隊。 1961年(昭和36年)12月、アクロバット飛行チーム「ブルーインパルス」に所属。 1977年(昭和52年)1月1日、1等空佐。1978年(昭和53年)8月1日、第8航空団飛行群司令。1980年(昭和55年)8月1日、航空幕僚監部防衛部防衛課長。 1982年(昭和57年)7月1日、空将補昇任。同年8月2日、第7航空団司令兼百里基地司令。1984年(昭和59年)3月2日、航空幕僚監部防衛部長。
江戸 満(えど みつる、1933年〈昭和8年〉7月13日 -… 江戸 満(えど みつる、1933年〈昭和8年〉7月13日 - 2022年〈令和4年〉5月12日)は、日本の政治家、陸上自衛官。第9代扶桑町長(3期)。町長退任時の2016年当時、愛知県内の首長で最高齢(83歳)だった。愛知県町村会会長などを歴任。 1933年(昭和8年)7月13日、石川県能美郡川北町に生まれる。1957年(昭和32年)3月に防衛大学校を第一期で卒業して防衛庁に奉職。1977年(昭和52年)6月統合幕僚学校を卒業。1980年(昭和55年)8月より陸上幕僚監部施設課長、1982年(昭和57年)3月より陸上自衛隊施設学校副校長を務める。1985年(昭和60年)3月には第4施設団長兼大久保駐屯地司令となり、1987年(昭和62年)7月から施設補給処長兼古河駐屯地司令を務めたのち、1988年(昭和63年)7月に退官。
平間 洋一(ひらま よういち、1933年(昭和8年)5月14… 平間 洋一(ひらま よういち、1933年(昭和8年)5月14日 - 2020年(令和2年)3月11日)は、日本の海上自衛官、歴史学者。海上自衛官としての最終階級は海将補。元防衛大学校教授。太平洋学会理事、戦略研究学会理事、呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)委員、横須賀市史編纂委員、特定非営利活動法人岡崎研究所理事、社会福祉法人興寿会理事などを務めた。放送法遵守を求める視聴者の会の賛同者。 神奈川県横須賀市出身。父の平間源之助は海軍軍人で第二次世界大戦後は、公職追放の対象となり、一家は経済的に困窮していたという。一時は社会主義に傾倒するも左派社会党の選挙運動を応援した際に実態を知り転向し、そのことがきっかけとなってコミンテルンの研究を行うようになった。
倉谷 昌伺(くらたに まさし)は、京都情報大学院大学の教授で… 倉谷 昌伺(くらたに まさし)は、京都情報大学院大学の教授である。専門はオペレーションズ・リサーチ(軍事OR)、朝鮮・日本水軍史(中世・近世)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田中 浩司(たなか こうじ、生年非公開)は、日本のアメリカ文… 田中 浩司(たなか こうじ、生年非公開)は、日本のアメリカ文学の研究者、防衛大学校教授、英文学博士、翻訳家。カトリック作家フラナリー・オコナーを研究した論文、エドガー・アラン・ポーをキリスト教とグリーフケアの観点から捉えた論文、内村鑑三と日本近代作家に関する論文等々を発表。主に文学をキリスト教との関連から研究している。 神奈川県立横須賀高等学校、上智大学外国語学部英語学科を卒業し、横浜国立大学大学院修士課程修了、明治学院大学大学院博士課程満期単位取得退学。。 防衛大学校教授。明治学院大学非常勤講師。日本フラナリー・オコナー協会会長。英米文化学会学術担当理事。明治学院大学キリスト教研究所(元)協力研究員。
中谷 真一 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6… 中谷 真一 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、財務副大臣。
吉川 圭祐(よしかわ けいすけ)は、日本の自衛官、海将。第2… 吉川 圭祐(よしかわ けいすけ)は、日本の自衛官、海将。第24代大湊地方総監。 愛知県津島市出身。愛知県立津島高等学校を1952年(昭和27年)卒業。新設された保安大学校(1954年7月に防衛大学校に改名)に1期生として入校し卒業。
オオカミ少佐(オオカミしょうさ)は、日本の著作家。 防衛大学… オオカミ少佐(オオカミしょうさ)は、日本の著作家。 防衛大学校卒業、海上自衛隊幹部候補生学校を卒業、元自衛官。 2025年4月には『海上自衛隊 潜水艦 最強ファイル』を出版する。世界トップレベルの性能や能力を誇る日本の最新の潜水艦を、そのメカニズムから、運用の実際、戦闘技術、艦内での生活までを解説する。 潜水艦の優劣とは、強いて言うならば、静粛性と探知能力で、いかに相手に見つからず、いかに相手を見つけられるかが重要であるとする。 2025年11月には『元海上自衛隊幹部が教える 国を守る地政学入門』を出版。この書籍は各国の軍事力や日本の防衛力を基として著す。もし有事が発生すれば日本政府や自衛隊はどう動くかを分析して解説する。