伊藤 吉男(いとう よしお、1920年 - )は、愛知県出身… 伊藤 吉男(いとう よしお、1920年 - )は、愛知県出身のプロ野球選手。
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伊藤 吉男(いとう よしお、1920年 - )は、愛知県出身… 伊藤 吉男(いとう よしお、1920年 - )は、愛知県出身のプロ野球選手。
藤戸 逸郎(ふじと いつろう、1920年 - 没年不明)は、… 藤戸 逸郎(ふじと いつろう、1920年 - 没年不明)は、大阪府出身のプロ野球選手。ポジションは二塁手、三塁手、遊撃手。
織辺 由三(おりべ よしぞう、1920年 - 戦死)は、兵庫… 織辺 由三(おりべ よしぞう、1920年 - 戦死)は、兵庫県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。
田中 金太郎(たなか きんたろう、1920年 - )は、熊本… 田中 金太郎(たなか きんたろう、1920年 - )は、熊本県出身のプロ野球選手(一塁手)。
金 溶益(キム・ヨンイク、김용익、1920年 - 1995年… 金 溶益(キム・ヨンイク、김용익、1920年 - 1995年)は韓国の小説家である。慶尚南道統営出身。 1956年、『Harper's Bazaar』に「The Wedding Shoes」を発表して、アメリカ合衆国で作家活動を始めた。1976年発表した「Village Wine」は、アメリカの最高優秀短編(Best American Short Stories)として選ばれた。 1957年から1964年まで、高麗大学と梨花女子大学で講義をし、この時期に英語で書かれた小説のほとんどを韓国語に翻訳して出版した。1964年には、再び渡米して西イリノイ大学(Western Illinois University)、UCバークレー大学(University of California, Berkeley)などで小説創作などを教えた。
金 璿(キム・ソン、1920年 - 2004年)は、大韓民国… 金 璿(キム・ソン、1920年 - 2004年)は、大韓民国の第19代法務部次官。 1943年9月関西大学専門部法科を卒業後、1944年6月関西大学法文学部中退。朴正煕維新体制時代の1973年〜1974年まで第19代法務部次官を務めた後、1990年代後半には大韓弁護士協会会長などを歴任した。
妹尾 隆彦(せお たかひこ、1920年(大正9年)- )は、… 妹尾 隆彦(せお たかひこ、1920年(大正9年)- )は、日本の著作家。 1920年(大正9年)香川県丸亀市生まれ。関西大学専門部卒業。1941年(昭和16年)、大阪税関在職中に応召し、陸軍一等兵として従軍。真珠湾攻撃の知らせをフランス領インドシナのハイフォンで聞く。第55師団歩兵第112連隊第3大隊に所属し、英語を話せるためビルマ戦線で情報の蒐集、住民に対する宣伝を行なう。 総員150名のカチン高原掃蕩隊の一員となり、途上の渡河でカチン族の協力を得たことをきっかけに交流を深める。日本軍の撤収で単身サンプラバムに残った際、すすめられてカチン族のコーカム(王)となり、カチン国の憲法を起案。首相を任命し、裁判を行なう。
中島 陽一郎(なかじま よういちろう、1920年 - 200… 中島 陽一郎(なかじま よういちろう、1920年 - 2000年8月)は、日本の歴史家、官僚。 東京都生まれ。1943年慶應義塾大学法学部政治学科卒業。東亜研究所調査員・衆議院参事。国立国会図書館主査。
山内 舜雄(やまうち しゅんゆう、1920年-)は日本の仏教… 山内 舜雄(やまうち しゅんゆう、1920年-)は日本の仏教学者。駒澤大学名誉教授。 1920年、栃木県に生まれる。1942年に駒澤大学文学部仏教学科を卒業する。1969年に『禅思想史より見たる天台止観の研究』により文学博士(駒澤大学)を取得する。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
雄川 一郎(おがわ いちろう、1920年 - 1985年2月… 雄川 一郎(おがわ いちろう、1920年 - 1985年2月)は、日本の法学者(行政法)。東京大学名誉教授。 兵庫県生まれ。1943年東京帝国大学法学部卒。東大助教授、1957年教授、1962年「統治行為論」で法学博士の学位を取得。 1981年定年退官、名誉教授、成蹊大学教授。在職中に逝去。門下に、小早川光郎、宇賀克也・遠藤博也・阿部泰隆などがいる。
中野 卓(なかの たかし、1920年 - 2014年)は、日… 中野 卓(なかの たかし、1920年 - 2014年)は、日本の社会学者、東京教育大学・千葉大学・中京大学名誉教授。 京都生まれ。父は中野忠八、叔父に久留島秀三郎(父・忠八の実弟)・中尾万三。(旧制)姫路高等学校を経て東京帝国大学文学部に入学、学徒出陣による年限短縮により1944年に社会学科卒。入営し中国・華北で軍隊生活を送る。 敗戦後、帰国ののち1949年東京大学文学部助手、東京教育大学文学部講師、1952年助教授(社会学)。1962年「暖簾内を中心とする家と家連合の研究」により、文学博士(東京教育大学)の学位を取得。1963年教授。1977年同大学名誉教授、千葉大学人文学部教授。1986年定年退官(1993年名誉教授)、中京大学社会学部教授。
長南 実(ちょうなん みのる、1920年 - 2007年)は… 長南 実(ちょうなん みのる、1920年 - 2007年)は、日本のスペイン文学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。 東京外国語大学に入学して会田由に師事。卒業後は天理大学助教授に就いた。その後、母校である東京外国語大学教授となった。大学でスペイン語を教授するとともに、多くの翻訳を手掛けた。
今村 宣彦(いまむら のぶひこ、1920年- 没年不明 )は… 今村 宣彦(いまむら のぶひこ、1920年- 没年不明 )は、プロ野球球団近鉄バファローズ球団代表である。 奈良県出身。1944年に早稲田大学法学部を卒業し、1948年に近畿日本鉄道に入社した。 1952年に近鉄パールスに出向しマネージャーと球団営業部長を歴任した。 1972年に球団代表に就任し、西本幸雄への招聘などチームの体質の改善に力を入れた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
前田 諭治(まえだ さとじ、1920年 - )は、日本の元プ… 前田 諭治(まえだ さとじ、1920年 - )は、日本の元プロ野球選手。ポジションは内野手、外野手。
檜 與平(ひのき よへい、1920年 - 1991年、桧 与… 檜 與平(ひのき よへい、1920年 - 1991年、桧 与平)は、日本の陸軍軍人。戦闘機操縦者。最終階級は陸軍少佐。徳島県出身。
中村 コウ(なかむら こう、1920年 - )は、陸上競技選… 中村 コウ(なかむら こう、1920年 - )は、陸上競技選手。1936年ベルリンオリンピック陸上女子円盤投代表。元円盤投日本選手権覇者。日本投擲界でオリンピックに初めて入賞を果たした名選手として知られる。 北海道釧路市出身。釧路市第三高等小学校、北海高等女学校の学生時代に1936年ベルリンオリンピック日本代表に選ばれる。 1935年、日本選手権で、35m90をマークして優勝、日本一になった。 1936年5月23日・24日のベルリンオリンピック参加の為の最終予選会で37m80を投げて優勝。2位の峰島秀と共にオリンピック出場。8月4日の女子円盤投で4位。 力投シーンは、記録映画『民族の祭典』に登場する。
舟喜 順一(ふなき じゅんいち、1920年 - 2010年4… 舟喜 順一(ふなき じゅんいち、1920年 - 2010年4月13日)は、日本の牧師、神学校教師。兵庫県神戸市まれ、群馬県前橋市育ち。福音派の神学教育者で福音派の指導者の一人。新改訳聖書の生みの親の1人とされる。元・聖書宣教会教師(晩年は常任顧問)、元・聖書同盟主事、元・新改訳聖書刊行会編集主事、同理事長。 父は舟喜麟一、弟に舟喜拓生、舟喜信、妻は翻訳者としても有名な舟喜晃子。 1920年、神戸平野教会の牧師であった舟喜麟一の長男として生まれる。生まれてすぐに、銚子福音伝道館の牧師に就任した父と共に転居する。(旧制)前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)で学ぶ。その時同級生だった羽鳥明をキリスト教に導く。
鵜澤 義行(うざわ よしゆき、1920年 - 2012年4月… 鵜澤 義行(うざわ よしゆき、1920年 - 2012年4月21日)は、日本の政治学者、日本大学名誉教授。 東京都生まれ。1938年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一中学校・日本大学第一高等学校)卒。1938年、日本大学第一高等学院(予科文科)入学。1942年、日大法文学部法律学科卒。1948年、同講師、1953年、同法学部助教授、1958年、教授。1973年、「幕末政治思想の史的展開」で日大法学博士。1978年、日大副総長。1980年、日本大学第一学園8代同窓会長。1990年、定年退任、名誉教授。1994年、勲三等旭日中綬章受章。
深尾 文彦(ふかお ふみひこ、1920年 - 没年不明)は、… 深尾 文彦(ふかお ふみひこ、1920年 - 没年不明)は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。 京阪商業学校(現:大阪府立芦間高等学校)時代には春1回(1938年)、夏2回(1938年,1939年)甲子園に出場した。京阪商業時代のチームメイトに宮口美吉や加地健三郎がいる。 1940年、南海軍に入団。しかしデビュー戦となった1940年4月6日の阪急軍戦で、劉瀬章、平野正太郎の後を受け3番手投手として登板するも、7回から9回までの3イニングで17失点を浴びた。個人の投手での1試合17失点は当時のプロ野球記録(現在のプロ野球記録は1950年に伊藤万喜三〈東急〉が記録した18失点)。投手としてはこの1試合で見切られ、野手や代打要員として出場するも全く活躍できず、1941年限りで現役引退。
奥田 精一郎(おくだ せいいちろう、1920年 - 2020… 奥田 精一郎(おくだ せいいちろう、1920年 - 2020年11月13日)は、競泳コーチ。オリンピック選手を多く輩出しているイトマンスイミングスクール名誉会長。 大阪府生まれ。旧制茨木中学(現大阪府立茨木高等学校)卒業。中学5年時には水球日本代表にも選出された。早稲田第二高等学院を経て、早稲田大学に入学、水泳部である「稲泳会」に入部。1942年9月末の繰上卒業で従軍。愛知県豊橋市の陸軍南方軍第2航空師団入隊。その後第7飛行師団司令部付きとなり、フィリピン、ビルマを転戦。鹿児島県知覧町(現南九州市)の知覧陸軍飛行場で終戦を迎え、戦後は家業の造り酒屋で働く。後に競泳コーチに転身。山田スイミングクラブを経て、イトマンスイミングスクール会長となった。
後藤 文利(ごとう ふみとし、1920年 - 1993年10… 後藤 文利(ごとう ふみとし、1920年 - 1993年10月12日)は、日本の経済学者・経済思想史研究家。 神戸市生まれ。兵庫県第二神戸中学校(「神戸二中」、現在の兵庫県立兵庫高等学校)卒業。兵庫県立神戸高等商業学校(のちの神戸商科大学、現在の兵庫県立大学)を経て神戸大学卒業。指導教官は福田徳三門下の宮田喜代蔵。近畿大学商経学部元教授。思想の科学研究会会員。 マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるカルヴァン派に相当するものが、日本における浄土真宗であると考え、『真宗と資本主義』(所書店、1973年)を著した。また恩師と同じ福田門下である大熊信行の着想を展開させた『配分の経済学』(同文館出版、1977年)を出版した。
真実 一男(まざね かずお、1920年 - 2004年12月… 真実 一男(まざね かずお、1920年 - 2004年12月26日)は、日本の思想史家。大阪市立大学名誉教授。元経済学史学会代表幹事。デヴィッド・リカード研究を専門とした。 長崎県壱岐石田町出身。小倉市立小倉商業学校(現福岡県立小倉商業高等学校)を経て、1938年長崎高等商業学校(現長崎大学)無試験入学。1943年東京商科大学(現一橋大学)を繰り上げ卒業。杉本栄一ゼミ出身。一貫してデヴィッド・リカードを専攻。 学徒出陣し薩摩半島で終戦を迎え、日本の降伏後、九州で語学教師などを務め、1949年から上京し杉本に師事。1951年長崎大学商業短期大学助教授兼長崎大学経済学部講師。1954年長崎大学経済学部助教授。
酒井 忠一(さかい ただつね、1920年(大正9年) - 2… 酒井 忠一(さかい ただつね、1920年(大正9年) - 2010年(平成22年)7月22日)は、日本の歴史家。致道博物館第2代館長理事・顧問、鶴岡市文化保護審議会会長、山形県文化財保護協会副会長、左衛門尉酒井家分家当主。
近藤 清(こんどう きよし、1920年 - 1945年4月2… 近藤 清(こんどう きよし、1920年 - 1945年4月28日) は、日本の元アマチュア野球選手。早稲田大学野球部で外野手として活躍した人物である。岐阜県出身。
宗宮 房之助(そうみや ふさのすけ、1920年 - 1982… 宗宮 房之助(そうみや ふさのすけ、1920年 - 1982年5月19日)は、愛知県出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手、遊撃手)。
鞠谷 宏士(きくたに ひろし、1920年代 - 2010年1… 鞠谷 宏士(きくたに ひろし、1920年代 - 2010年10月29日)は、日本の運送施設工学者。大阪府大阪市出身。
小谷 豪冶郎、ないし、小谷 秀二郎(こたに ひでじろう、19… 小谷 豪冶郎、ないし、小谷 秀二郎(こたに ひでじろう、1920年 - 2002年12月18日)は、日本の国際政治学者。著作活動においては、1980年ころまでは小谷 秀二郎と名乗り、以降は小谷 豪冶郎の名義を用いた。 長崎市生まれ。大連の旧制中学校を経て兵庫県立神戸高等商業学校を卒業。学徒出陣で短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、横須賀軍需部に配属。同年12月、海軍主計少尉に任官し、第1海軍衣料廠に転じて特殊糧食の調達に従事。1945年9月に主計中尉に進んで予備役に編入された。 京都大学農学部卒。米国で学び、南山大学講師、防衛研修所所員、京都産業大学、京都外国語大学教授などを務めた。
高井 太郎(たかい たろう、1920年(大正9年) - 20… 高井 太郎(たかい たろう、1920年(大正9年) - 2010年(平成22年)1月23日)は、日本の海軍軍人、実業家。海兵70期。岐阜県出身。 海軍兵学校卒業後すぐに実戦配備となり測的士として「古鷹」に乗組となり第一次ソロモン海戦を経験する。サボ島沖海戦で「古鷹」が撃沈されるも「初雪」に救助される。その後「雪風」乗組となりケ号作戦に参加、ガダルカナル島撤退作戦において陸兵輸送を行う。撤退作戦が終わると一度は内地に戻され横須賀鎮守府付となるが、本人の希望もあり見張分隊長として「瑞鶴」乗組を命ぜられマリアナ沖海戦などを歴戦する。レイテ沖海戦にて「瑞鶴」が撃沈されると、4時間にわたる漂流ののちまたも僚艦に救助される。
河原 忠彦(かわはら ただひこ、1920年 - 2021年7… 河原 忠彦(かわはら ただひこ、1920年 - 2021年7月10日[要出典])は、ドイツ文学者、東京大学名誉教授。息子は西洋中世史研究者の河原温。 第一高等学校から1949年東大独文科卒。横浜国立大学講師、1953年東大教養学部助教授、教授。1981年定年退官、名誉教授。明治大学教授を務め、1991年退職。100歳で死去。[要出典] この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
武田 光雄(たけだ みつお、1920年 - 2006年2月1… 武田 光雄(たけだ みつお、1920年 - 2006年2月14日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。最終階級は海軍大尉。 1920年(大正9年)、東京市にて、豊田貞次郎の次男として生まれる。のち、跡取りのいなかった母方の祖父・武田秀雄(海軍機関中将)の養子となる。黄海海戦に参加した祖父は、幼少期の光雄に多大な影響を与えた。 東京高等師範学校付属中学卒業後の1938年(昭和13年)、海軍兵学校に70期として入校。海兵68期の酒巻和男とは分隊が同じだった。1941年(昭和16年)11月15日、海兵70期は繰上げ卒業することとなり、練習航海や天皇への拝謁もなく、直ちに実戦部隊に配属された。武田が配属されたのは、祖父が手がけた巡洋艦「青葉」の水雷士だった。
福田 敏南(ふくだ としなみ、1920年 - 没年不詳)は、… 福田 敏南(ふくだ としなみ、1920年 - 没年不詳)は、日本の学校経営者、学校法人福田学園(現・学校法人純真学園)理事長を長く務め、東和大学学長、純真女子短期大学学長なども歴任した。 父親は裁判官で、兄福田喜東と長姉福田昌子は後にそれぞれ衆議院議員となった。 1938年福岡県中学修猷館、1942年第一高等学校文科丙類を経て、東京帝国大学法学部在学中に満州へ出征して3年間のシベリア抑留を経験し、復員後は官僚となり、商工省(後の通商産業省)に入省した。1972年から1974年にかけて勤めた福岡通産局長を最後に通産省を退職し、1976年1月28日付で学校法人福田学園(現・学校法人純真学園)理事長および純真女子短期大学第二代学長となって、同年の第34回衆議院議員総選挙に福岡県第1区から出馬したが、落選した。
崔 成雄(チェ・ソンウン、朝鮮語: 최성웅、1920年 - … 崔 成雄(チェ・ソンウン、朝鮮語: 최성웅、1920年 - 1989年1月27日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家。第2代韓国国会議員。 慶南密陽出身。早稲田大学卒。大東新聞(大同新聞)密陽支局長、大韓青年団(韓国青年団)密陽郡団長、孤児院長を務めた。 国会議員在任中は郷校財産管理法案を提出した。 5・26政治波動の時、憲兵司令官の元容徳将軍の胸ぐらを掴んで「お前国会議員か」と言った。
結城 よしを(ゆうき よしを、1920年 - 1944年9月… 結城 よしを(ゆうき よしを、1920年 - 1944年9月13日)は、日本の童謡詩人。童謡『ないしょ話』(山口保治作曲)の作詞者であるが、童謡が広く知られているのに対し、作詞者の知名度は高くない。 生涯で5000曲を超える童謡を作詞し、そのうち30数曲がレコード化されている。 本名は結城 芳夫(ゆうき よしお)。 歌人・結城健三と妻・えつの長男として山形県東置賜郡宮内町(現在の南陽市)で生まれる。父の仕事の都合で鶴岡町(現在の鶴岡市)、酒田町(現在の酒田市)へ移り、1930年より山形市内に移り住む。1934年に山形市立第四尋常高等小学校(現在の山形市立第四小学校)高等科を卒業すると「好きな本が読める」という理由から山形市内の八文字屋書店で住み込みの店員となる。
八村 信三(はちむら のぶぞう、1908年〈明治41年〉12… 八村 信三(はちむら のぶぞう、1908年〈明治41年〉12月29日 - 1990年〈平成2年〉6月2日)は、日本の実業家。鳥取銀行元頭取。鳥取ガス元監査役。鳥取商工会議所元会頭。鳥取県経済同友会元代表幹事(東部)。旧姓・山田。位階は正五位。 大阪府布施市(現:東大阪市)の素封家・山田勝太郎の次男として生まれる。大阪府立天王寺中学校 、静岡高等学校を経て、1934年(昭和9年)東京帝国大学経済学部を卒業。 1934年(昭和9年)7月、鳥取市の素封家・八村八太郎の養嗣子となる。 1936年(昭和11年)鳥取市収入役となり、同市助役を経て、1944年(昭和19年)退任。1949年(昭和24年)鳥取銀行常務、1959年(昭和34年)専務、1961年(昭和36年)副頭取を経て、同年11月頭取に就任。
淡中 忠郎 (たんなか ただお、1908年12月27日 - … 淡中 忠郎 (たんなか ただお、1908年12月27日 - 1986年10月25日)は、日本の数学者。専門は代数学。 愛媛県松山市生まれ。東北帝国大学卒。1945年東北帝国大学教授、後に東北学院大学教授を務めた。ポントリャーギン双対性をコンパクト群へ拡張した淡中-クラインの双対定理で著名。 この定理はグロタンディークによる淡中圏の概念へと発展した。 東京出版の月刊誌『大学への数学』で、「数学雑談」という連載記事の執筆を1960年(昭和35年)から晩年まで担当していた。 この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
斎藤 秀一(さいとう ひでかつ、1908年12月24日 - … 斎藤 秀一(さいとう ひでかつ、1908年12月24日 - 1940年9月5日)は、日本の言語学者、僧侶。エスペランティスト、ローマ字論者。別名に森馥、鳥海昇、北島三郎、野沢愛蘭。 明治41年、山形県東田川郡山添村(現:鶴岡市櫛引地区)泉流寺の長男として生まれる。鶴岡中学(現・山形県立鶴岡南高等学校)、1931年駒澤大学文学部東洋文学科卒業。大学在学中、日本エスペラント学会、カナ文字会、秋田雨雀らのソビエトの会の会員となる。 大学卒業後、朝日村大泉小学校教員となり、大平や八久和などの分校に勤めていたが、軍国主義教育に批判的であり、児童にローマ字を教えていたことが問題視され、赤化教員の疑いで鶴岡警察署に1度目の逮捕。
永井 行蔵(ながい こうぞう、1908年〈明治41年〉12月… 永井 行蔵(ながい こうぞう、1908年〈明治41年〉12月22日 - 1988年〈昭和63年〉8月23日)は、日本の国文学者。新潟大学名誉教授。 新潟県南蒲原郡長沢村大字中野原新田(現 三条市中野原)の教育者・永井長祥の三男として出生。 1926年(大正15年)3月に新潟中学校を卒業、1929年(昭和4年)3月に新潟高等学校を卒業、1932年(昭和7年)3月に東京帝国大学文学部国文学科を卒業。池田亀鑑のもとで『神皇正統記』の研究や『校異源氏物語』の作成に従事。 1933年(昭和8年)1月に岩波書店から出版の『岩波講座 日本文學』の付録の雑誌『文學』第19号に「神皇正統記阿刀氏本に就いて」という題名の論文を発表し、その中で『神皇正統記』の阿刀本を紹介して草稿もしくは初稿本と推定した。
稲村 耕雄(いなむら やすお、1908年12月21日 - 1… 稲村 耕雄(いなむら やすお、1908年12月21日 - 1967年4月24日)は、日本の無機化学者、色彩学者。元東京工業大学教授。インターカラー共同設立者。 父は中型ゆかた本舗の染色会社社長で、経営者になるため当初は東京高等商業学校(現一橋大学)を志望していたが、戦後恐慌のため家業が倒産し、1930年に東京高等工業学校染料科を卒業。1933年東京工業大学染料化学科卒業。1938年から日仏交換留学生としてコレージュ・ド・フランス、モンペリエ大学科学研究所に留学。 東京工業大学講師、東京工業大学助教授を経て、東京工業大学教授。1949年大阪大学理学博士。 1953年日本流行色協会発起人。1963年インターカラー設立。
山田 坂仁(やまだ さかじ、1908年12月20日 - 19… 山田 坂仁(やまだ さかじ、1908年12月20日 - 1987年6月3日)は、日本の哲学者。 長野県諏訪郡豊田村(現・諏訪市)出身。旧制長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、旧制松本高等学校を経て、1929年東京帝国大学文学部哲学科卒業、報知新聞社入社。プロレタリア科学研究所、唯物論研究会に所属し、「哲学のレーニン的段階」に関する論争に参加、山岸辰蔵・薬袋俊二・鵜飼隆夫などの筆名で機関誌『唯物論研究』などを執筆。1937年東京府立第九中学校(現・東京都立北園高等学校)英語教師。1940年読売新聞社外報部嘱託。1943年北隆館出版部長。1946年千葉工業大学予科教授。1957年明治大学経営学部教授。
長谷川 鉱平(長谷川鑛平、はせがわ こうへい、1908年12… 長谷川 鉱平(長谷川鑛平、はせがわ こうへい、1908年12月20日 - 1995年7月16日)は、日本の編集者、文筆家。 岐阜県出身、名古屋市生まれ。1924年、私立目白中学校3年編入学、埴谷雄高が同期。1926年、目白中学校4年修了で第一高等学校 (旧制)に入ったが1928年に病気のため退学。1929年、法政大学予科第二部入学。法政大学文学部哲学科卒。岩波書店、1946年中央公論社勤務、『思想の科学』などの編集に当たる。63年中央公論社を定年退職。本州大学教授、改称で長野大学教授、1984年退職。文学、哲学などについて執筆した。
田村 しげる(たむら しげる、本名:田村 茂、1908年(明… 田村 しげる(たむら しげる、本名:田村 茂、1908年(明治41年)12月20日 - 1980年(昭和55年)10月14日)は、昭和期の作曲家。妻は作詞家の寺尾智沙、娘は女優の田村奈巳。 京都府中郡峰山町(現京丹後市)出身。家は、現在の田村写真館(京丹後市峰山町白銀)1925年(大正14年)地元の宮津中学校を卒業し上京。武蔵野音楽学校に入学。1927年(昭和2年)3月7日に発生した北丹後地震で故郷の家が被災し、財産を喪失。苦学する。 1931年(昭和6年)武蔵野音楽大学を卒業。ビクターレコードから「酔って笑って」を作曲し作曲家デビュー。翌年キングレコードの専属となって松島詩子らの曲を作曲し、さらにポリドールレコードの東海林太郎などにも曲を提供した。
横山 林二(よこやま りんじ、1908年(明治41年)12月… 横山 林二(よこやま りんじ、1908年(明治41年)12月20日-1973年(昭和48年)2月25日)は、日本の自由律俳句の俳人。層雲の荻原井泉水に師事、のちプロレタリア俳句運動に転じ、新興俳句弾圧事件により投獄された。戦後は新俳句人連盟常任委員、現代俳句協会会員。東京都生まれ、本名は吉太郎。 東京都港区に生まれ、芝新網町に育つ。父は露天商、母は日雇労働者、二人の姉は芸者と女工という貧しい家庭だった。新網の特殊小学校、専修商業学校を経て早稲田大学政経学部を卒業。14歳の時に関東大震災を経験。関東大震災朝鮮人虐殺事件や甘粕事件を契機に社会性俳句に目覚め、その年の1923年、荻原井泉水が選者をしていた朝日新聞の自由律俳句欄に投句、翌年にはその井泉水が主宰する層雲に入会、同じ層雲の栗林一石路や橋本夢道らとプロレタリア俳句運動を展開する。
大村 武彦(おおむら たけひこ、1908年12月19日 - … 大村 武彦(おおむら たけひこ、1908年12月19日 - 1994年8月23日)は、日本の銀行家。西日本相互銀行社長、会長を務めた。福岡県出身。位階は正五位。 1936年に九州帝国大学法科を卒業し、同年に朝鮮銀行に入行。 1947年3月に福岡税務署で勤務し、1948年3月に熊本財務局理財局長を経て、1952年2月に西日本相互銀行に転じ、1964年5月に取締役に就任し、1968年5月に常務、1971年5月に専務を経て、1973年7月に社長に就任。1982年10月に会長に就任し、1984年6月に名誉会長を経て、1986年6月に常任相談役に就任。 1975年9月に藍綬褒章を受章し、1981年4月に勲三等瑞宝章を受章。
夏目 伸六(なつめ しんろく、1908年(明治41年)12月… 夏目 伸六(なつめ しんろく、1908年(明治41年)12月17日 - 1975年(昭和50年)2月11日)は、日本の随筆家。 夏目漱石と夏目鏡子の二男として東京市牛込区(現在の東京都新宿区)早稲田南町に生まれる。伸六の上に姉4名と兄がいた。漱石は、名前を「申年に生まれた6番目の子ども」ということで「申六」とする予定だったが、「先生、いくらなんでも人間の子供ですから、ニンベンをつけて『伸』にしましょう」と漱石の弟子である小宮豊隆から言われ、「伸六」となった。 父の死去時には数えで9歳(小学校2年生)であった。暁星小学校および同中学校を経て慶應義塾大学文学部予科に進み、その後、日本フィルハーモニー交響楽団からチェリストとして声がかかり、同独文科を中退した。
上林 貞治郎(かんばやし ていじろう、1908年(明治41年… 上林 貞治郎(かんばやし ていじろう、1908年(明治41年)12月16日 - 2001年(平成13年)4月14日)は、日本の経済学者。半世紀を超える大学での教育活動や多くの著書を通じ、一貫して科学的社会主義の立場を貫徹し、学生や労働者に大きな影響を与えた。経済学博士。 1908年、大阪府堺市熊野の由緒ある商家に父・栄吉と母・コウの長男として生まれる。 堺市立熊野小学校、大阪市立第一商業学校(のちの天王寺商業)、大阪高等商業学校(のちの大阪商科大学高商部)を経て、1932年、大阪商科大学第一期生として、首席で同大学を卒業。 1932年、大阪商科大学大学院に入学。1933年に同大学副手となり、助手、講師嘱託を経て、 1939年に高商部教授、 1941年に助教授へと昇進した。
山田 申吾(やまだ しんご、1908年(明治41年)12月1… 山田 申吾(やまだ しんご、1908年(明治41年)12月15日 - 1977年(昭和52年)7月7日)は日本画家。父は日本画家山田敬中。 父 敬中、母 はな の次男として東京府滝野川村(現・東京都北区)田端に生まれる。1926年(大正15年) 東京美術学校日本画科へ入学。同学年に東山魁夷、橋本明治、加藤栄三らがいる。1930年(昭和5年)第11回帝展で《水辺初夏》が初入選。1931年(昭和6年)東京美術学校を卒業。卒業制作は《武蔵野》。その後、結城素明に師事する。 1944年(昭和19年) 私立麻布中学教諭となる。後に日本画家となる野田修一郎は麻布中学校時代に山田に師事している。 1950年(昭和25年) 第6回日展へ出品した《馬」》で特選、白寿賞を受賞する。
向井 久万(むかい くま、1908年(明治41年)12月14… 向井 久万(むかい くま、1908年(明治41年)12月14日 - 1987年(昭和62年)1月20日)は、日本画家。創画会会員。 大阪府泉南郡上之郷(現・泉佐野市)生まれ。1929年(昭和4年)、京都高等工芸学校図案科卒業。妻も同じく日本画家の広田多津。 1941年(昭和16年)、「男子生まる」を文展に出品して特選を受賞。 1948年(昭和23年)、創造美術を結成。この後、西山翠嶂に師事、裸婦像と花鳥画に才能を発揮した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
吉川 逸治(よしかわ いつじ、1908年12月14日 - 2… 吉川 逸治(よしかわ いつじ、1908年12月14日 - 2002年12月5日)は、日本の美術史学者。西洋美術史専攻。東京大学名誉教授。従兄は中国文学者の吉川幸次郎。 神奈川県横浜市生まれ。旧制神奈川県立横浜第一中学校、旧制浦和高等学校、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。矢代幸雄に師事。1933年から1939年までフランスに留学、アンリ・フォシヨンに師事。「サン・サヴァン教会堂のヨハネ黙示録画の研究」でパリ大学より博士号取得。ロマネスク建築・壁画研究を専門とした。 1947年東京芸術大学教授を経て1953年東京大学文学部助教授、1955年教授、1969年定年退官後、大和文華館館長。後に名古屋大学教授、東海大学教授。
出雲路 敬和(いずもじ よしかず、1908年12月13日 -… 出雲路 敬和(いずもじ よしかず、1908年12月13日 - 1978年4月19日)は、神職、京都評論家。 京都市出身。出雲路信直の子孫。國學院大學文学部卒、立命館大学教授、成安女子短期大学学長。
森田 正義(もりた まさよし、1908年12月13日 - 2… 森田 正義(もりた まさよし、1908年12月13日 - 2004年12月2日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。栃木県岩舟町名誉町民。 栃木県下都賀郡寒川村(間々田町を経て現小山市)出身。1932年、東京帝国大学経済学部卒業。生家は地元の名家であった。寒川村長などを務めた。応召して日中戦争に従軍し陸軍主計曹長となる。 1942年の第21回衆議院議員総選挙において帝国議会当時の旧衆議院栃木2区から翼賛政治体制協議会の推薦を受け出馬して当選、1期活動した。在任中は内務省委員などを務めた。1945年(昭和20年)12月1日に衆議院議員を辞職。戦後は公職追放を経て、追放解除後は岩舟町長となり、1964年から1980年までの4期在職した。