スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
川上 伸昭(かわかみ のぶあき、1956年5月20日 - )… 川上 伸昭(かわかみ のぶあき、1956年5月20日 - )は、日本の文部科学技官。文部科学省大臣官房政策評価審議官や、文部科学省科学技術・学術政策局長、科学技術・学術政策研究所長を経て、公立大学法人宮城大学理事長兼学長。 東京都生まれ。宮城県仙台市出身。1975年宮城県仙台第一高等学校卒業。1979年北海道大学工学部応用物理学科卒業。1981年北海道大学大学院工学研究科応用物理学専攻修士課程修了、科学技術庁入庁、振興局国際課配属。1983年科学技術庁原子力安全局保障措置課。1985年通商産業省資源エネルギー庁公益事業部原子力発電安全審査課安全審査官。 1987年科学技術庁原子力安全局原子力安全課放射性廃棄物規制室長補佐。
櫻井 充(さくらい みつる、1956年(昭和31年)5月12… 櫻井 充(さくらい みつる、1956年(昭和31年)5月12日 - )は、日本の政治家、医師。学位は博士(医学)(東北大学・1993年)。自由民主党所属の参議院議員(5期)。桜井 充(読み同じ)とも。 民主党政策調査会長(第13代)、厚生労働副大臣(野田第3次改造内閣)、財務副大臣(菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣)、参議院経済産業委員長、参議院予算委員長等を歴任。 宮城県仙台市宮城野区二十人町生まれ(現住所は仙台市青葉区川平5丁目)。仙台市立榴岡小学校、仙台市立宮城野中学校、宮城県仙台第一高等学校、東京医科歯科大学医学部卒業。 1985年(昭和60年)から東北大学医学部付属病院内科に勤務。
本間 洋(ほんま よう、1956年5月8日 - )は、日本の… 本間 洋(ほんま よう、1956年5月8日 - )は、日本の実業家。元NTTデータグループ代表取締役社長兼CEO。 山形県酒田市出身。宮城県仙台第一高等学校を経て、1980年東北大学経済学部卒業、日本電信電話公社入社。 2013年エヌ・ティ・ティ・データ常務執行役員第三法人事業本部長、2014年取締役常務執行役員エンタープライズITサービスカンパニー長、2017年代表取締役副社長執行役員を歴任。 2018年から代表取締役社長を務め、売上の過半を海外売上とする目標を掲げ、海外事業の拡大や日本人以外の役員の増員を進めた。 デジタル変革(DX)を進めている酒田市からの要請を受け、2020年10月、現職と併任で市のDXの推進役である「最高デジタル責任者」(CDO)に就任する。
小川 郁(おがわ かおる、1955年5月14日 - )は、日… 小川 郁(おがわ かおる、1955年5月14日 - )は、日本の医学者、医師。慶應義塾大学名誉教授。株式会社オトリンク代表取締役。オトクリニック東京院長。専門は耳鼻咽喉科学。宮城県仙台市出身。娘はアナウンサーの小川彩佳。兄は学校法人岩手医科大学理事長の小川彰。
平沼貞次(ひらぬま さだじ、1954年4月9日 - )は日本… 平沼貞次(ひらぬま さだじ、1954年4月9日 - )は日本の財務官僚。血液型はB型。国税不服審判所次長などを歴任。 宮城県仙台市出身(父は大阪府、母は北海道)。宮城県仙台第一高等学校、東京大学法学部卒業。1978年 大蔵省入省(理財局国有財産総括課)。1983年7月 相馬税務署長。1994年7月 関東財務局理財部長。1999年7月 沖縄開発庁振興局振興総務課長。2001年1月6日 内閣府沖縄振興局総務課長。2003年7月 国税庁長官官房企画課長。2004年7月2日 財務省大臣官房地方課長兼財務総合政策研究所次長。2006年7月28日 名古屋国税局長。2007年5月1日 預金保険機構総務部長兼RCC室長。
飯沢耕太郎(いいざわ こうたろう、1954年3月26日 - … 飯沢耕太郎(いいざわ こうたろう、1954年3月26日 - )は、日本の写真評論家である。 宮城県仙台市出身。1977年、日本大学芸術学部写真学科卒業。1984年、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。 『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房。1986年)、『写真に帰れ 光画の時代』(平凡社。1988年)、『都市の視線 日本の写真 1920〜30年代』(創元社。1989年)の3部作で、頭角を現わし、日本の20世紀前半の写真研究者の第一人者に躍り出た[大言壮語的]。その後、雑誌「deja-vu」の編集長となる。 公募展である写真新世紀とひとつぼ展には設立当初から審査員として参加した。 90年代の『ガーリーフォト』ブームを作った。
手間本北栄(てまもと ほくえい、1954年3月3日 - )は… 手間本北栄(てまもと ほくえい、1954年3月3日 - )は、日本の彩書家。別号玲雲。 青森県東通村生まれ。後に本名を亀次郎から北栄に改名する。青森県立田名部高等学校2年中退後、宮城県仙台第一高等学校卒業。1973年、19歳で書道研究「麗」を主宰し、北栄書道会も設立して書道の研究に励む。 1978年から馬の絵で世界的に有名な三上隆彦に薦められ日輝展に作品を発表する(後に理事・審査員となる)。1980年、第15次全日本教育書道代表として中華民国派遣。1986年から国際展に出品する。1989年から墨一色の書から、一本の筆の先に3色~7色の顔料や濃淡の墨をつけ、一気に描き上げるカラーによる彩書作品を発表する。
小笠原 倫明(おがさわら みちあき、1954年1月29日 -… 小笠原 倫明(おがさわら みちあき、1954年1月29日 - )は日本の行政官。宮城県仙台市出身。民主党政権下で総務事務次官を務めたが、政権交代後、河相周夫外務事務次官、真砂靖財務事務次官、金子順一厚生労働事務次官、坂篤郎日本郵政社長などとともに就任1年未満で解任された。
八嶋 博人(やしま ひろと、1953年11月7日 - )は、… 八嶋 博人(やしま ひろと、1953年11月7日 - )は、日本人ヴァイオリニスト。ドイツ在住。 1953年、仙台市生まれ。4歳より現岡幹博、後に海野義雄に師事。東北大学工学研究科前期課程修了(工学修士)。同課程修了後、宮城フィルハーモニー管弦楽団(現在の仙台フィル)のコンサートマスターを務めたのち、83年に渡欧。ザルツブルク・モーツァルテウム音楽大学に入学し、バルトーク・ベーラやパブロ・カザルスとも親交の厚かった大家、シャーンドル・ヴェーグ教授に師事。まもなくしてカメラータ・アカデミカのメンバーに抜擢された。87年にソロディプロマを取得して卒業と同時に、ハノーファー北ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団(NDR)の第1ヴァイオリニストに就任し、2019年まで30年余り在籍。
長谷山 彰(はせやま あきら、1952年11月22日 - )… 長谷山 彰(はせやま あきら、1952年11月22日 - )は、日本の法制史学者。専攻は、日本法制史。学位は、法学博士(慶應義塾大学)。前学校法人慶應義塾長・慶應義塾大学長。学校法人慶應義塾学事顧問、慶應義塾大学名誉教授。 2022年4月1日、国立大学法人北海道国立大学機構の初代理事長として就任した。 1952年に秋田県秋田市で生まれ、宮城県仙台市で育った。宮城県仙台第一高等学校を経て、1975年に慶應義塾大学法学部法律学科、1979年に同大学文学部史学科を卒業した。1984年に慶應義塾大学大学院文学研究科史学専攻博士課程単位取得満期退学となる。 1987年から駿河台大学法学部専任講師、助教授を経て、1994年に教授に昇格。
渡辺 諒(わたなべ りょう、本名・芳敬、1952年 - )は… 渡辺 諒(わたなべ りょう、本名・芳敬、1952年 - )は、日本の文芸評論家、早稲田大学教育学部複合文化学科教授。専門はフランス現代思想・文学。
池上 政幸(いけがみ まさゆき、1951年8月29日 - )… 池上 政幸(いけがみ まさゆき、1951年8月29日 - )は、宮城県出身の検察官、弁護士。最高検察庁刑事部長、次長検事、名古屋高等検察庁検事長、大阪高等検察庁検事長を経て、最高裁判所判事(2014年10月2日-2021年8月28日)。
立谷 秀淸(たちや ひできよ、1951年(昭和26年)6月9… 立谷 秀淸(たちや ひできよ、1951年(昭和26年)6月9日 - )は、日本の医師、政治家。元福島県相馬市長(6期)。全国市長会会長(第30代)。元福島県議会議員(1期)。医療法人社団茶畑会 相馬中央病院理事長。 福島県相馬郡中村町(現・相馬市)出身。生家は味噌醤油醸造業を営んでいる。父は、相馬市議会議長を務めた立谷純一。高校は宮城県の宮城県仙台第一高等学校へ進み、福島県立医科大学に進学して内科学を学ぶ。 1977年に福島県立医科大学を卒業する際に医師免許を取得。公立気仙沼総合病院で初期研修を行い、東北大学医学部附属病院、公立相馬病院にて、内科の内勤医師として患者の診療に当たる。 1983年、相馬へ戻ると同時に立谷内科医院(有床診療所)を開業。
菅野 純(かんの じゅん、1950年 - )は、日本の心理学… 菅野 純(かんの じゅん、1950年 - )は、日本の心理学者。専門は学校カウンセリング。早稲田大学名誉教授。
山口 猛(やまぐち たけし、1949年12月29日 - 20… 山口 猛(やまぐち たけし、1949年12月29日 - 2004年9月3日)は、日本の映画、演劇評論家。本名:真 宮城県仙台市に生まれる。宮城県仙台第一高等学校20回生。東北大学工学部金属学科中退。劇団状況劇場の研究生となり、20歳から25歳まで状況劇場で過ごす。1975年に唐十郎監督の『任侠外伝 玄界灘』の助監督を務めた後、同年以降、フリーライターとなり、1981年からは映画を執筆の中心とした。東京藝術大学講師も務めた。 2004年9月3日、東京都内の病院にて心不全のため死去。
武田 信平(たけだ しんぺい、1949年12月11日 - )… 武田 信平(たけだ しんぺい、1949年12月11日 - )は、宮城県亘理町出身のサッカー選手、元サッカークラブ経営者。川崎フロンターレ前会長。日本アンプティサッカー協会理事長。元Jリーグ・クラブ経営アドバイザー。 中学時代、入学と同時に新設されたサッカー部にてサッカーを始める。仙台第一高校卒業後、1968年に慶応義塾大学経済学部に入学。ソッカー部では2年生時に全日本大学サッカー選手権大会に優勝した。 1972年に大学を卒業、サッカーを続けるために富士通に入社する。しかし富士通サッカー部総監督の八重樫茂生から、これ以上続けていても先が見えているからと現役引退を勧められ、2年目からはサッカー部のマネージャー(1973年-1976年)、日本サッカーリーグの運営委員(1977年-1981年)を務める。
野家 啓一(のえ けいいち、1949年2月21日 - )は、… 野家 啓一(のえ けいいち、1949年2月21日 - )は、日本の哲学者。専攻は科学哲学。東北大学名誉教授。東北大学総長特命教授、元日本哲学会会長。 1949年、宮城県仙台市生まれ。宮城県仙台第一高等学校卒業。東北大学理学部に入学し、1971年3月に東北大学理学部物理学科を卒業。物理学科在学中に廣松渉の論文「マッハの哲学と相対性理論」を読んだことが「物理学から哲学へ変わるきっかけ」となり、大学院は東京大学大学院理学系研究科科学史・科学基礎理論に進学した。大森荘蔵に師事。1974年3月、東京大学大学院理学系研究科科学史・科学基礎理論専門課程修士課程修了。1976年3月、東京大学大学院理学系研究科科学史・科学基礎論専門課程博士課程を中退。
江刺 正喜(えさし まさよし、1949年1月30日 - )は… 江刺 正喜(えさし まさよし、1949年1月30日 - )は、日本の工学者。MEMSの研究家である。 宮城県仙台市出身。東北大学大学院工学研究科教授を2013年3月を以て定年退官したが、同年4月以降も同大学で原子分子材料科学高等研究機構教授(兼)マイクロシステム融合研究開発センター長を務める。
山崎 彰三(やまざき しょうぞう、1948年9月12日 - … 山崎 彰三(やまざき しょうぞう、1948年9月12日 - 2024年8月30日)は、日本の公認会計士。監査法人トーマツ代表社員や、日本公認会計士協会会長、東北大学大学院教授等を歴任した。 宮城県仙台市生まれ。宮城県仙台第一高等学校を経て、東北大学経済学部に進学。1970年公認会計士第二次試験合格、等松・青木監査法人仙台事務所入所。1972年東北大学経済学部卒業。1974年公認会計士登録。1983年ペンシルベニア大学ウォートン・スクール・ウォートン・インターナショナル・アドバンスト・マネジメント・プログラム修了。1984年等松・青木監査法人社員。1991年監査法人トーマツ代表社員。日本公認会計士協会会長。
本川 達雄(もとかわ たつお、1948年4月9日 - )は、… 本川 達雄(もとかわ たつお、1948年4月9日 - )は、日本の生物学者、シンガーソングライター。東京工業大学名誉教授。専攻は動物生理学。 1948年、宮城県仙台市で生理学者の本川弘一(後に東北大学総長)の息子として生まれる。宮城県仙台第一高等学校を経て、1971年、東京大学理学部生物学科(動物学)卒業。東京大学助手、琉球大学助教授、デューク大学客員助教授を経て、1991年より2014年まで東京工業大学教授。 研究対象は、キャッチ結合組織や、ホヤを題材にしたサイズの生物学(アロメトリー)など。キャッチ結合組織とは硬さが素早く変わる結合組織で、棘皮動物にのみ見られるもの。この組織が棘皮動物5つの綱すべてで働いていることを示し、硬さ変化の機構や変化の神経制御など、この分野を切り開いて行ったことで、世界の棘皮動物学者の間で名高い。
岩下 正(いわした ただし、1948年1月1日 - )は、日… 岩下 正(いわした ただし、1948年1月1日 - )は、日本の財務官僚、企業経営者。ローソン銀行代表取締役会長。 宮城県仙台市出身。血液型はB型。宮城県仙台第一高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1970年に大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1971年に大臣官房秘書課調査係長心得。1974年にイェール大学で経営学修士号を修得。同年7月 銀行局総務課企画係長。1975年7月 福知山税務署長。1993年6月 大臣官房調査企画課長兼財政金融研究所次長。1994年4月から1995年5月まで羽田孜、村山富市の下で内閣総理大臣秘書官(事務担当)。1999年7月8日に国際局次長、2002年7月9日に財務総合政策研究所長となる。
庄子 哲雄(しょうじ てつお、1947年11月16日 - )… 庄子 哲雄(しょうじ てつお、1947年11月16日 - ) は、日本の材料工学者。東北大学名誉教授。東北大学ディスティングイッシュトプロフェッサー。マサチューセッツ工科大学客員教授、国立応用科学院客員教授、日本学術会議会員等を歴任。 1966年宮城県仙台第一高等学校卒業。1970年東北大学工学部機械工学科卒業。1972年東北大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1975年東北大学大学院工学研究科機械工学専攻博士課程修了、工学博士、東北大学工学部一般工学教室助手。1982年ニューカッスル大学金属及び材料科学科博士研究員。1983年東北大学工学部附属材料強度研究施設助教授。 1988年東北大学工学部機械工学第二学科材料計測・評価学研究室教授。
岡本 勝(おかもと まさる、1947年11月11日 - )は… 岡本 勝(おかもと まさる、1947年11月11日 - )は、日本の法学者、歌人。東北大学名誉教授。専攻は、刑法、近代ドイツ刑法史、犯罪論と刑法哲学。宮城県出身。 宮城県中新田町(現・加美町)で建設業を営む家に生まれ、小中学時代を鳴子町川渡(現・大崎市)で送る。その後、宮城県仙台第一高等学校、東北大学法学部卒業(指導教官は荘子邦雄)。卒業後、助手、助教授、教授を経て大学院法学研究科・法学部教授。2012年定年退官、名誉教授。 伊達政宗に仕えた初代岡本久兵衛義成を始祖とする仙台藩士岡本家の16代目当主。文学にも造詣が深く、東北大学短歌会の顧問をしていた。島田修二(青藍・草木)に師事していたが、現在は「まひる野」に所属。
清野 智(せいの さとし、1947年9月30日 - )は、日… 清野 智(せいの さとし、1947年9月30日 - )は、日本の実業家、経営者。東日本旅客鉄道(JR東日本)顧問。東京都新宿区在住。勲等は旭日大綬章。
小池 光(こいけ ひかる、1947年(昭和22年)6月28日… 小池 光(こいけ ひかる、1947年(昭和22年)6月28日 - )は、日本の歌人。学位は理学修士(東北大学)。本名は小池 比加兒。仙台文学館館長(第2代)。 1947年、宮城県柴田郡船岡町(現在の柴田町)に、大池唯雄(小池忠雄)の長男として生まれる。父の大池は、「兜首」および「秋田口の兄弟」にて第8回直木三十五賞を受賞するなど、小説家として活動していた。 宮城県仙台第一高等学校を経て、東北大学理学部物理学科を卒業。その後、同大学の大学院に進学し、理学研究科修士課程を修了。 1972年、短歌結社「短歌人」に入会。その後、高瀬一誌の薫陶を受ける。1975年、埼玉県の浦和実業学園高等学校へ理科教師として就職。
氏家 照彦(うじいえ てるひこ、1946年〈昭和21年〉8月… 氏家 照彦(うじいえ てるひこ、1946年〈昭和21年〉8月29日 - )は、日本の銀行家。七十七銀行相談役。慶應義塾大学仙台三田会副会長。七十七銀行頭取・会長を務めた4代目氏家清吉の孫。七十七銀行頭取・会長を務めた氏家榮一の長男。 氏家榮一の長男として宮城県に生まれる。慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本興業銀行に入行。関連事業部参事役等を歴任する。 1993年に七十七銀行へ入行。以降、専務、副頭取等を歴任。2010年には頭取に昇格。2018年会長に退き、2025年相談役。
斎藤和夫(さいとう かずお、1946年 - )は日本の法学者… 斎藤和夫(さいとう かずお、1946年 - )は日本の法学者、弁護士。慶應義塾大学名誉教授(民法講座)、元明治学院大学院教授(民事訴訟法講座)、第一東京弁護士会総合研修センター委員。 専攻は担保法学(担保実体法学と担保手続法学)、民事実体法学(民法総則、物権法、担保物権法、債権法)、民事手続法学(民事訴訟法、民事執行法、民事保全法、倒産法)、金融法学、ドイツ法学。担保実体法と担保手続法の統合的アプローチ。 慶應義塾大学では、同名誉教授内池慶四郎(民法学)・同名誉教授伊東乾(民事訴訟法学)・同名誉教授石川明(民事訴訟法学)に師事。 ドイツ・ザールラント大学法学部では、ザール大学名誉教授、同法学博士、慶應義塾大学名誉博士であるゲルハルト・リュケ(民法・民事訴訟法・強制執行法・倒産法学)に師事。
守屋 武昌(もりや たけまさ、1944年〈昭和19年〉9月2… 守屋 武昌(もりや たけまさ、1944年〈昭和19年〉9月23日 - )は、日本の防衛官僚。宮城県塩竈市出身。東北大学法学部卒。1971年(昭和46年)、防衛庁入庁。1996年(平成8年)、内閣審議官として普天間問題に係わる。長官官房長・防衛局長を務めた後、2003年(平成15年)、防衛事務次官。2007年(平成19年)8月に防衛省を退職。のち、在任中の収賄などによって逮捕・起訴され、有罪判決(懲役2年6月の実刑・追徴金約1250万円)が確定した。 1944年(昭和19年)、宮城県塩竈市に生まれた。父親は戦前、帝国議会(戦後の国会)の衆院議員を務めた後、同市の初代市長に就いた守屋栄夫。武昌は父の栄夫が59歳のときの子で、親子ほども歳の離れた兄がいる。
剣持宣揚(けんもち のぶあき、1944年2月11日 - )は… 剣持宣揚(けんもち のぶあき、1944年2月11日 - )は日本の大蔵官僚。 東京都港区出身(父は群馬県、母は福島県)。宮城県仙台第一高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類(私法コース)在学中に国家公務員上級甲種試験(法律)を合格。1966年 大蔵省入省(主計局総務課)。1967年4月 国際金融局国際機構課。1968年4月 国際金融局付(留学)。1970年7月 国際金融局総務課企画調整係長。1971年7月 高山税務署長。1988年6月 造幣局東京支局長。1989年6月 派遣職員(国際復興開発銀行)。1992年6月 国税不服審判所次長。1993年9月 大臣官房審議官(大臣官房担当)。
庄司 捷彦(しょうじ かつひこ、1943年8月30日 - )… 庄司 捷彦(しょうじ かつひこ、1943年8月30日 - )は、日本の弁護士・詩人。仙台弁護士会所属。自由法曹団所属。
中名生 隆(なかのみょう たかし、1943年〈昭和18年〉 … 中名生 隆(なかのみょう たかし、1943年〈昭和18年〉 - )は、日本の経企官僚。元国民生活センター理事長、元経済企画事務次官。宮城県出身。 東京大学経済学部卒業後、経済企画庁に入庁。物価局審議官、国民生活局審議官を経て、1996年(平成8年)調査局長、1997年(平成9年)総合計画局長。1999年(平成11年)経済企画事務次官に就任。 2001年(平成13年)に退官し、連合総合生活開発研究所所長等を経て、2007年(平成19年)から国民生活センター理事長を務め、2010年に退任した。2020年より消費者教育支援センター理事長に就任した。 中名生の経済企画庁総合計画局計画官時代の部下に、日本専売公社から出向していた森永卓郎(現:経済アナリスト)がいた。
佐藤 昭(さとう あきら、1942年〈昭和17年〉5月28日… 佐藤 昭(さとう あきら、1942年〈昭和17年〉5月28日 - )は、日本の政治家。元宮城県塩竈市長(4期)。 塩竈市立第一小学校、塩竈市立第一中学校、宮城県仙台第一高等学校卒業。1966年(昭和41年)3月、日本大学理工学部土木工学科卒業。同年4月、宮城県庁へ入庁。2002年(平成14年)10月、同庁を退職。 2003年(平成15年)4月27日に行われた塩竈市長選挙に無所属で出馬し初当選。5月1日、市長就任。 2007年(平成19年)4月22日に行われた市長選で2期目の当選。 東日本大震災の影響で実施日が約5か月延期された2011年(平成23年)9月11日の市長選(2期目の任期は選挙の前日まで延長)で3期目の当選。
齋藤 貞(さいとう ただし、1942年5月21日 - )は、… 齋藤 貞(さいとう ただし、1942年5月21日 - )は、日本の政治家。元宮城県亘理町長(1期)。 宮城県亘理町生まれ。1961年(昭和36年)3月、宮城県仙台第一高等学校卒業。同年4月、日興證券に就職。1965年(昭和40年)10月、仙台中央青果卸売株式会社に転職。1993年(平成5年)5月、同社の取締役に就任。 2002年(平成14年)7月、亘理町助役に就任。2007年(平成19年)4月、地方自治法一部改正により副町長となる。2014年(平成26年)3月、副町長を退任。 2014年(平成26年)5月、亘理町長選挙に立候補し初当選を果たした。5月28日、町長就任。 2016年(平成28年)10月19日、東日本大震災の復旧工事の入札で不正を行ったとして、官製談合防止法違反(入札妨害)などの疑いで町職員、建設会社社長ら3名が逮捕される。
入間田 宣夫(いるまだ のぶお、1942年3月31日 - )… 入間田 宣夫(いるまだ のぶお、1942年3月31日 - )は、日本の歴史学者、東北大学名誉教授。専門は、日本中世史。
小栗宏夫(おぐり ひろお、1941年(昭和16年)8月24日… 小栗宏夫(おぐり ひろお、1941年(昭和16年)8月24日 - )は、日本の銀行家。肥後銀行顧問。 父が南満洲鉄道に勤務していたため、満洲国奉天市で生まれる。終戦により引揚者として帰国。その後父が国鉄に入社したこともあり、転勤のため日本各地を転居して暮らした。 東大法学部卒業後、当時預金残高日本一であった富士銀行に入行した。 同行時代においては、各店支店長を務め営業の第一線を歩んだほか、審査部門を長らく担当した。 1998年(平成10年)、当時の稲垣精一頭取が富士銀出身だったことや、山本惠朗富士銀頭取の勧めもあり、肥後銀行に入行。2001年(平成13年)、頭取に就任した。 2013年(平成25年)には、会長を経て顧問退いた。
鎌田 宏(かまた ひろし、1941年(昭和16年)4月11日… 鎌田 宏(かまた ひろし、1941年(昭和16年)4月11日 - )は、日本の銀行家。七十七銀行頭取を務めた。 七十七銀行専務取締役を歴任した鎌田英一の長男として、宮城県仙台市に生まれる。 慶應義塾大学法学部卒業後、七十七銀入行。1993年(平成5年)に取締役昇格。親子2代にわたって役員として、同行の経営に携わることとなった。 2005年(平成17年)頭取、10年会長、18年相談役。 2010年(平成22年)10月、仙台商工会議所会頭に就任し、22年10月名誉会頭となる。 2011年(平成23年)6月には、東北楽天ゴールデンイーグルス監督である星野仙一の仙台後援会「楽仙会」の会長に就任した。
亀谷 博昭(かめや ひろあき、1940年〈昭和15年〉5月1… 亀谷 博昭(かめや ひろあき、1940年〈昭和15年〉5月18日 - 2003年〈平成15年〉2月19日)は、日本の政治家。 宮城県議会議長、宮城県議会議員(5期)、参議院議員(1期)を歴任した。 1940年(昭和15年)5月18日、当時父が海軍に勤務していた関係で、海軍基地のある神奈川県横須賀市に生まれる。その後、太平洋戦争勃発と戦争激化に伴い、郷里である宮城県に疎開し、多賀城市に移り住む。 1959年(昭和34年)宮城県仙台第一高等学校を卒業。家庭の事情で、大学進学を断念し、地元の河北新報社に就職する。この間、ボランティア活動を通じて政治を志し、1971年(昭和46年)宮城県議会議員選挙に仙台市選挙区から立候補するが現職の壁が厚く落選。
須藤 祐孝(すとう ゆうこう、1939年5月28日 - 20… 須藤 祐孝(すとう ゆうこう、1939年5月28日 - 2018年7月27日)は、日本の政治学者。専門はイタリア政治思想。愛知大学名誉教授。 1939年、宮城県柴田郡で生まれた。宮城県仙台第一高等学校を経て、東北大学法学部に進学。同大学大学院に進み、法学修士号を取得した。 愛知大学法学部教授を長らく勤め、「ヨーロッパ政治思想史」などの科目を担当した。2010年3月に愛知大学を定年退職し、4月に同大学名誉教授となった。 専門はイタリアの政治思想史。特に、ジロラモ・サヴォナローラ、ニッコロ・マキャヴェッリの研究で知られている。ルネサンス期以外でも、ガエターノ・モスカを中心とする「寡頭制の鉄則」の研究などもおこなった。
市川 一朗(いちかわ いちろう、1937年4月12日 - )… 市川 一朗(いちかわ いちろう、1937年4月12日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。 参議院議員(3期)、農林水産副大臣(第1次小泉第2次改造内閣、第2次小泉内閣)などを歴任。 宮城県栗原郡鶯沢町(現在の栗原市鴬沢地区)出身。仙台第一高等学校卒業後、東京大学文科一類入学。1961年、東京大学法学部(私法コース)卒業と同時に建設省に入省する。国土庁防災局長、建設省都市局長、建設省総務審議官を経て、1993年に国土事務次官に就任し、翌1994年に退官。 1995年の第17回参議院議員通常選挙に無所属(新進党推薦)で宮城県選挙区から立候補し、初当選。当選後は新進党の参議院会派である平成会に所属したものの、最後まで新進党には入党しなかった。
藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 20… 藤原 作弥(ふじわら さくや、1937年1月14日 - 2025年10月17日)は、日本のジャーナリスト、エッセイスト、ノンフィクション作家。時事通信社解説委員長、日本銀行副総裁、日立総合計画研究所社長などを務めた。 宮城県仙台市生まれ。1942年、言語学者の父に従って朝鮮の清津へ移住する。1944年、満洲の興安街に転居するが、1945年ソ連軍による侵攻の9時間前に脱出。安東で生活した後、1946年11月に帰国。 宮城県仙台第一高等学校を経て、1962年東京外国語大学フランス語科卒、時事通信社に入社。経済部記者として大蔵省担当。1967年よりオタワ[要出典]、ワシントン特派員。以後、日本銀行、経団連、外務省などの担当を経て、編集委員[要出典]、解説委員、解説委員長を歴任。
針生 宏(はりゅう ひろし、1935年6月2日 - )は日本… 針生 宏(はりゅう ひろし、1935年6月2日 - )は日本映画のプロデューサー。宮城県仙台市出身。美術評論家針生一郎は兄。 仙台一高を経て、東京大学経済学部を卒業。1960年に東宝へ入社。東宝撮影所に配属され、映画『慕情の人』より助監督を務める。演出部からテレビ部企画係、文芸部を経て、1971年に東宝映画へ出向。その後東宝テレビ部に移籍。 映画『モスラ』では、チーフ助監督の野長瀬三摩地からの指示で劇中歌「モスラの歌」のインドネシア語歌詞をカタカナに書き起こした。針生は、曲をつける際に歌いやすいよう変えるだろうと考えていたが、完成作品では針生の書いたものがそのまま使われており驚いたという。
井上 ひさし(いのうえ ひさし、本名:井上 廈〈読み同じ〉、… 井上 ひさし(いのうえ ひさし、本名:井上 廈〈読み同じ〉、1934年〈昭和9年〉11月16日 - 2010年〈平成22年〉4月9日)は、日本の小説家、劇作家、放送作家。文化功労者、日本芸術院会員。 1961年から1986年までの本名は内山 廈(うちやま ひさし)。遅筆堂(ちひつどう)を名乗ることもあった。 日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任した。晩年は自身の蔵書を収蔵した遅筆堂文庫を設立、運営した(後述)。 先妻は西舘代志子。後妻のユリは元衆議院議員米原昶の娘。長女は元こまつ座主宰の井上都。三女は株式会社こまつ座社長の井上麻矢。 11934年11月16日、井上靖と競った文学青年の井上修吉を父とし、井上マスを母として山形県東置賜郡小松町中小松(現・川西町)に生まれる。
樋口 陽一(ひぐち よういち、1934年9月10日 - )は… 樋口 陽一(ひぐち よういち、1934年9月10日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。学位は法学博士(東北大学・1964年)。東北大学名誉教授、東京大学名誉教授、日本学士院会員、日仏会館名誉理事長。 東北大学法学部教授、東京大学法学部教授、上智大学法学部教授、上智大学社会正義研究所所長、早稲田大学法学部特任教授などを歴任した。清宮四郎門下。弟子に渡邊康行、山元一、石川健治、蟻川恒正、毛利透など。 宮城県仙台市出身。仙台第一高等学校卒業後、東北大学法学部法学科入学。英語、ドイツ語、フランス語、ラテン語等の語学に堪能で、それを生かして比較憲法学に取り組んだ。東北大学より法学博士、パリ第2大学(パンテオン・アサス)より名誉博士を授与される。
千葉 卓朗(ちば たくろう、1934年3月8日 - 2011… 千葉 卓朗(ちば たくろう、1934年3月8日 - 2011年5月31日)は、日本のフェンシング選手、指導者、政治家。宮城県本吉郡本吉町長(4期)。 宮城県本吉郡本吉町(現在の気仙沼市)津谷松岡出身。実家は味噌醤油で知られるカネセン徳田屋。宮城県仙台第一高等学校、明治大学卒業。 仙台一高ではフェンシング部を創設。大学時代には、全日本選手権エペ3位、フルーレ5位の成績を収めている。 1955年、宮城県鼎が浦高等学校フェンシング班コーチに就任。同校にフェンシング同好会を発足させた顧問と共に、鼎が浦高校を宮城県高校総体団体・個人優勝に、さらにインターハイ団体優勝、1958年には4連覇に導いた。教え子には1964年東京オリンピック出場の大和田智子などがいる。
菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年〈昭和8年〉8月16… 菅原 文太(すがわら ぶんた、1933年〈昭和8年〉8月16日 - 2014年〈平成26年〉11月28日)は、日本の俳優・声優・ラジオパーソナリティ・農業従事者である。 キャリアを始めた時は、その身長(178cm)を活かしファッションモデルとして活躍。その後の俳優としての出演作品は非常に多く(#出演作品)、映画のシリーズものとしては具体的には「現代やくざシリーズ」、『関東テキヤ一家』シリーズ、『まむしの兄弟』シリーズ、『仁義なき戦い』シリーズ、『トラック野郎』シリーズなどがある。俳優としていわゆる「下積み」の時代が長かったが、39歳の時に公開された映画『仁義なき戦い』の大ヒットで有名になり、俳優としての地位を確立した。
佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24… 佐藤 道夫(さとう みちお、1932年(昭和7年)10月24日 - 2009年(平成21年)7月15日)は、日本の検察官、政治家、弁護士。札幌高等検察庁検事長、参議院議員(2期)を務めた。 宮城県仙台市出身。仙台一高、東北大学法学部卒業。1955年に司法修習生。1957年に検察庁に入り、札幌地検検事、法務省刑事課長、東京地検刑事部長、横浜地検検事正、最高検刑事部長、札幌高検検事長などを歴任。 東京地検特捜部では、1972年の沖縄返還交渉での西山事件の捜査を担当し、起訴状を書いた。起訴状に記された「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」という起訴理由は、世論を国家が密約を結んだことの是非から、西山太吉の私的なスキャンダルに向けさせた。
重倉 祐光(しげくら ゆうこう、1931年3月31日 - 2… 重倉 祐光(しげくら ゆうこう、1931年3月31日 - 2020年10月1日)は、日本の工学者。東京理科大学名誉教授。東京理科大学学長補佐や、諏訪東京理科大学初代学長を務めた。藍綬褒章受章。 重倉珉祐(東北大学名誉教授)長男として、1931年仙台市に生まれる。東北大学工学部建築学科、同大学院博士課程を経て小野田セメント中央研究所に7年間勤務、東京理科大学に転じ助教授、39歳で教授となる。 建築学科主任、理工学部長、理工学研究科長、火災科学研究所長、学長補佐などの要職を歴任した。1998年東京理科大学諏訪短期大学を四年制大学に転換するため学長として赴任、転換後、諏訪東京理科大学学長を務めた。専門は建築材料学。
白鳥 信一(しらとり しんいち、1928年6月28日 - 2… 白鳥 信一(しらとり しんいち、1928年6月28日 - 2001年8月22日)は日本の映画監督である。妻はスクリプターの白鳥あかね。 1928年6月28日、東京市本郷区に生まれる。仙台第一中学校、第二高等学校を経て1952年、東京大学文学部国文科を卒業。1954年、制作を再開した日活撮影所助監督部に入り、再開第一作『国定忠治』にサード助監督としてつく。以後、川島雄三、井上梅次、堀池清、西河克己の下で働く。とくに西河克己監督作品には『伊豆の踊子』『赤い蕾と白い花』など多数つき『何処へ』では挿入歌「こいちや節」の作詞まで手掛けた。1966年からは日活製作のテレビドラマを多数演出。この間、日活がロマンポルノに路線を転向したため、劇場映画の監督デビューは1973年の『団地妻 女の匂い』となった。
板橋 興宗 (いたばし こうしゅう、1927年(昭和2年)5… 板橋 興宗 (いたばし こうしゅう、1927年(昭和2年)5月20日 - 2020年(令和2年)7月5日)は、日本の曹洞宗の僧侶。大本山總持寺貫首(獨住第二十三世、閑月即眞禅師、雲海興宗大和尚)、曹洞宗管長。總持寺祖院住職。大乗寺七十世。瑞洞院二十六世。御誕生寺三世中興。宮城県多賀城市出身。 1927年(昭和2年)、宮城県多賀城市の農家の長男に生まれる。海軍による買い上げに遭い、塩竈市に移住。旧制仙台第一中学校を経て1944年(昭和19年)に海軍兵学校76期舞鶴分校機関科に入校。敗戦後、栄養失調により肋膜炎で入院。退院後、仙台工業専門学校に入るも退学し、1949年(昭和24年)に新制東北大学文学部宗教学科に第1期生として進学、石津照璽に師事。
二宮 康明(にのみや やすあき、1926年4月10日 - 2… 二宮 康明(にのみや やすあき、1926年4月10日 - 2023年11月15日)は、日本の紙飛行機の設計者、日本紙飛行機協会会長、日本インダストリアルデザイナー協会会員、工学博士、自家用飛行機操縦士。ハードSF研究所客員研究員。 紙飛行機設計歴50年の世界的権威、設計したオリジナル機は、競技機から軽飛行機、プロフィール機まで2,600機を超え、素材には紙だけでなくバルサ材やスチレンペーパーも使用して紙飛行機の可能性を追求している。1967年、第1回国際紙飛行機サンフランシスコ大会でグランプリを獲得。1985年シアトルでの第2回大会では元宇宙飛行士マイケル・コリンズらとともに審査委員を務めた。 1967年から、月刊『子供の科学』で紙飛行機の付録を連載。