スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山田 隆夫(やまだ たかお、芸名:山田 たかお、高座名:鈴々… 山田 隆夫(やまだ たかお、芸名:山田 たかお、高座名:鈴々舎 鈴丸〈れいれいしゃ すずまる〉、1956年〈昭和31年〉8月23日 - )は、日本のタレント、シンガーソングライター、落語家、俳優、6代目座布団運び。5代目鈴々舎馬風門下でもある。東京都江東区深川出身。親類は、山田純大、杉良太郎(山田勝啓)がいる。愛称は、山田君。 1956年8月23日、東京都江東区で生まれ育つ。6人兄弟姉妹の末っ子として誕生する。幼少期、材木問屋の実家が詐欺に遭い全財産を失う。それにより両親がいつも暗い顔をしていたので、山田は落語で両親を心から笑わせたいと思うようになり、これが落語に興味を持つきっかけになった。 渋谷区猿楽小学校時代には学芸会で演目に参加して人気があった。
磯野 正典(いその まさふみ、1956年3月17日 - )は… 磯野 正典(いその まさふみ、1956年3月17日 - )は、東京都出身の社会学者。金城学院大学教授。専門は情報学、社会学、地域研究。元東海テレビ放送の社員であり、アナウンサー、アナウンス副部長、編成局次長、秘書部長、コーポレート戦略部長、経営企画局次長、東海ビジネスドットコム、東海テレビ社会人フェローの会事務局局長等を務めた。 東京都練馬区に生まれ、保谷市(現:西東京市)で育つ。日本大学卒業後、1978年4月に東海テレビに入社。アナウンサー時代には、主にスポーツ番組・報道番組・自社製作のローカル番組を担当。 学生時代から外交評論家・小山房二に師事し、ジャーナリズムを学ぶ。趣味は剣道で、3段の腕前。
内田 正人(うちだ まさと、1955年〈昭和30年〉8月9日… 内田 正人(うちだ まさと、1955年〈昭和30年〉8月9日 - )は、日本の元アメリカンフットボール選手、元アメリカンフットボール指導者。元日本大学常務理事。埼玉県生まれ。 日本大学豊山高等学校卒業後、日本大学に入学した。日本大学ではアメリカンフットボールに打ち込み、篠竹幹夫の指導を受ける。 日本大学卒業後、1979年自身の母校である日本大学文理学部職員となる。2011年学校法人日本大学評議員に選任され、2014年同理事・人事部長を経て、2017年より同人事兼男女共同参画担当常務理事。 1978年より日本大学アメリカンフットボール部(日大フェニックス)のコーチを務め、1990年の毎日甲子園ボウルで優勝。
富岡 勝則(とみおか かつのり、1954年(昭和29年)11… 富岡 勝則(とみおか かつのり、1954年(昭和29年)11月22日 - )は、日本の政治家。埼玉県朝霞市長(5期)、埼玉県議会議員(1期)、朝霞市議会議員(2期)を務めた。 埼玉県朝霞市出身。朝霞市立朝霞第一小学校、朝霞市立朝霞第一中学校、日本大学豊山高等学校卒業。1977年(昭和52年)3月、日本大学法学部法律学科卒業。同年4月、朝霞市役所に入所。1995年(平成7年)、同市役所を退職。 1995年(平成7年)、朝霞市議会議員に就任。同市議は2期つとめる。 2003年(平成15年)4月13日執行の埼玉県議会議員選挙に、南20区選挙区から無所属で出馬。同県議は1期つとめる。 2005年(平成17年)2月27日執行の朝霞市長選挙に、自由民主党、民主党、公明党の推薦を受けて無所属で出馬し、初当選を果たす。
水口 章(みずぐち あきら、1954年(昭和29年) - )… 水口 章(みずぐち あきら、1954年(昭和29年) - )は、中東研究者、敬愛大学教授。専門は中東と国際関係、対外政策論、国際社会学、国際協力学。BS朝日番組審議会委員。 1976年(昭和51年)、日本大学文理学部史学科卒業。法政大学大学院公共政策研究科博士後期課程満期退学。駿台高等予備校講師を経て、1978年(昭和53年)に財団法人中東調査会の職員となりチーフ研究コーディネーター・上席研究員・『中東研究』編集長などを歴任。この間、2001年(平成13年)にBS朝日番組審議委員( - 現在)、2002年(平成14年)に大学評価・学位授与機構「国際的な連携及び交流活動に関する専門委員会」委員( - 2004年(平成16年))に就任した。
内田 喜郎(うちだ よしろう、1953年12月14日 - )… 内田 喜郎(うちだ よしろう、1953年12月14日 - )は、日本の元俳優・歌手。愛知県豊橋市小池町出身。血液型O型、身長172cm、体重60kg。本名・同じ。
森川 正太(もりかわ しょうた、1953年〈昭和28年〉6月… 森川 正太(もりかわ しょうた、1953年〈昭和28年〉6月25日 - 2020年〈令和2年〉10月12日)は、日本の男性俳優、タレント。本名は新井 和夫(あらい かずお)。旧芸名:沖 正夫、森川 章玄。既婚。 東京都出身。日本大学豊山高等学校中退。ほっこう企画に所属していた。 『おれは男だ!』、『飛び出せ!青春』、『俺たちの旅』、『俺たちの朝』などの1970年代の青春ドラマに数多く出演し、名脇役として活躍した。
関口 昌一(せきぐち まさかず、1953年〈昭和28年〉6月… 関口 昌一(せきぐち まさかず、1953年〈昭和28年〉6月4日 - )は、日本の政治家、歯科医師。参議院議長(第34・35代)、自由民主党所属の参議院議員(5期)。 総務副大臣兼内閣府副大臣(第2次安倍内閣)、外務大臣政務官(第1次安倍内閣)、参議院文教科学委員長、埼玉県議会議員(3期)、自由民主党参議院議員会長(第30代)、同党参議院国会対策委員長などを歴任。 父は参議院議員、埼玉県歯科医師会会長を務めた関口恵造。長男は関口の第一秘書を務めている。 埼玉県秩父郡皆野町出身。日本大学豊山高等学校、城西歯科大学(現:明海大学)歯学部卒業。大学卒業後、出身地の秩父郡皆野町で歯科医院を開業。 1995年(平成7年)、埼玉県議会議員選挙に北2区(秩父郡皆野町、長瀞町、吉田町、小鹿野町、両神村、大滝村、荒川村、東秩父村)から自由民主党公認で出馬し、初当選。
石上 友彦(いしがみ ともひこ、1952年3月8日 - )は… 石上 友彦(いしがみ ともひこ、1952年3月8日 - )は、日本の歯科医師、歯学者。日本大学歯科補綴学II講座教授。日本顎顔面補綴学会理事長、日本磁気歯科学会理事長。 1978年日本大学歯学部卒業、1983年東京医科歯科大学大学院歯学研究科歯科補綴学修了。同年3月、歯学博士の学位を取得、論文の題は 「歯頸部エナメル質に形成されたマージンの走査電子顕微鏡による観察」。 東京医科歯科大学医員、愛知学院大学助手、講師、助教授を経て2001年より現職。
橘 右龍(たちばな うりゅう、本名:須賀雅信、1952年 -… 橘 右龍(たちばな うりゅう、本名:須賀雅信、1952年 - 2021年9月17日)は橘流寄席文字書家。寄席文字橘会理事。 東京都出身。日本大学豊山高校、日本大学文理学部卒業。 寄席文字との出会いは高校での落語研究会。高校2年生で本牧亭に通い出し、寄席文字の魅力にとりつかれ、大学入学後橘右近に正式に入門。芸人とも親交を深める。1976年に「橘右龍」の名前を許される。 浅草演芸ホール・東洋館の看板・めくりや各種筆耕などを数多く手掛け、寄席文字を理論的に研究した上での普及と橘右近の作品の継承に携わり、ビラ字研究の第一人者であった。 2021年9月17日に心臓病で死去。
小倉 蒼蛙(おぐら そうあ、1951年〈昭和26年〉10月2… 小倉 蒼蛙(おぐら そうあ、1951年〈昭和26年〉10月29日 - )は、日本の俳優、俳人、歌手、元子役である。旧芸名は小倉 一郎。作詞・作曲時のペンネーム、秋山 啓之介。 東京新宿で生まれ、すぐに両親の故郷の鹿児島県へ移住し(甑島列島の下甑村、現在の薩摩川内市の一部)、小学1年の夏から再び東京中野区で、小学校3年生から板橋区長後町で育つ。日本大学豊山高等学校中退。大判社所属。 2023年、がん克服を機に生まれ変わったという気持ちから、芸名を小倉一郎から俳号と同じ小倉蒼蛙に改名した。 中村錦之助や大川橋蔵に憧れ、小学校3年から、東映のエキストラになり、1960年に9歳で子役として活動を開始し、1962年の美空ひばり主演『べらんめえ芸者と大阪娘』、1964年『飢餓海峡』(内田吐夢監督)などに出演。
小倉 一郎(おぐら いちろう、1951年10月29日 - )… 小倉 一郎(おぐら いちろう、1951年10月29日 - )は、鹿児島県出生(東京都新宿区育ち[要出典])の俳優である。日本大学豊山高等学校中退[3]。テロワールに所属していた。
山田 正(やまだ ただし、1951年1月7日 - )は、日本… 山田 正(やまだ ただし、1951年1月7日 - )は、日本の土木工学、気象学、水文学研究者、中央大学理工学部土木工学科教授。防災や水利など、河川や水に関する諸問題の専門家として、長年にわたり多数の政府委員、審議員、自治体委員等を務めている。
猪狩 元秀(いがり げんしゅう、1950年5月19日 - )… 猪狩 元秀(いがり げんしゅう、1950年5月19日 - )は、特定非営利活動法人日本拳法協会理事長・同協会主席師範。日本拳法九段。日本大学文理学部社会学科卒。元キックボクシングWKAミドル級王者。日本王者を二階級制覇。元・K-1レフェリー。 日本大学在学中に日本拳法部で活躍。プロのキックボクシングに転向。日本拳法をベースとした重いストレートパンチはマッハパンチと呼ばれ、ムエタイ統一王者サタンファー・ソープラティープをルンピニー・スタジアムでKOするなど、3人のムエタイの現役王者をKOで下している。キックボクシング国内タイトルを二階級制覇、WKAミドル級タイトルを獲得して活躍した。 初代タイガーマスク(佐山聡)が人気絶頂の頃、異種格闘技戦が企画され、対戦相手として猪狩がリストアップされたことがある。
横木 安良夫(よこぎ あらお、ALAO YOKOGI、194… 横木 安良夫(よこぎ あらお、ALAO YOKOGI、1949年 - )は、日本の写真家・作家。 1949年、千葉県市川市生まれ。日本大学豊山高等学校を経て日本大学藝術学部写真学科卒業。篠山紀信のアシスタントを経て、1975年独立。 広告、ファッション、ドキュメンタリー、タレント写真集、などあらゆる方面で活動。1998年ごろからは文筆活動も始め、ノンフィクションや小説も書いている。 撮影はさまざまな撮影テクニックを駆使する。TwilightTwistという懐中電灯でライティングするシリーズが有名 スナップでは「ノーファインダー」撮影を多用する。 2009年10月からテレビ朝日「世界の街道をゆく」(キヤノン提供)の、ムービーとスチールを担当している。
斉藤 清六(さいとう せいろく、本名:斎藤 精陸(読みは同じ… 斉藤 清六(さいとう せいろく、本名:斎藤 精陸(読みは同じ)、1948年6月15日 - )は、日本の俳優、お笑いタレント。欽ちゃんファミリーの一人であった。 東京都北区赤羽出身。日本大学法学部卒業。浅井企画所属であったが後に独立し、個人事務所「清六企画」を立ち上げた。 実家は米屋であった。地元区立小中学校を経て日大豊山高校入学。演芸が好きで中学高校時代に浅草等に通う。付属校対象による日大統一試験により内部推薦で日大法学部へ入学するも、学園紛争のあおりでレポートのみで卒業した。本人がメディア・著作で語ったところによると、学園紛争が無かったら卒業出来なかったという。 1971年、萩本欽一に弟子入りを求めて押しかける。
小宮山 典寛(こみやま のりひろ、1948年1月25日 - … 小宮山 典寛(こみやま のりひろ、1948年1月25日 - )は、日本の獣医師、日本動物病院福祉協会(JAHA)認定/獣医内科認定医である。有限会社日本ベェツグループ代表取締役。 日本大学農獣医学部卒業。趣味は奇術。 東京の東十条生まれ(1948年)。東京学芸大学附属追分小学校(現在の東京学芸大学附属小金井小学校)、北区立稲付中学校、日本大学豊山高等学校卒業。1968年に日本大学農獣医学部獣医学科(現在の日本大学生物資源科学部獣医学科)に入学。卒業時の1972年に獣医師国家試験合格後、獣医学研究科修士課程に進み1974年に修了。東京都武蔵野市にて三鷹獣医科グループを開設。1993年には新座獣医科グループを開設。
森 功至(もり かつじ、本名同じ(旧名:森 深雪〈もり みゆ… 森 功至(もり かつじ、本名同じ(旧名:森 深雪〈もり みゆき〉)、1945年7月10日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーターである。所属事務所は自らが代表を務めるオフィスもり。かつては、俳協、劇団河、青二プロダクションに所属していた。東京都生まれ。血液型はB型。
石川 多聞(いしかわ たもん、1943年5月11日 - 20… 石川 多聞(いしかわ たもん、1943年5月11日 - 2023年10月23日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元茨城県議会議員。茨城県東茨城郡城里町(旧常北町)出身。 父は、茨城県議・常北町長を務めた石川稲實。 地元の中学卒業後、東京に単身上京。日本大学豊山高等学校から日本大学法学部に進学し卒業。 大学卒業後は、日本会・日本総調和連盟の総裁である内閣総理大臣佐藤榮作の秘書、また機関紙『総調和』(発行責任者は山岡荘八)の編集長も務めた。 その後、郷土に戻り常北町議会議員(3期)を経て、自民党選出の茨城県議会議員を7期 務める。この間、各常任委員会委員長・茨城県議会議長、自民党茨城県連政調会長・総務会長・会派「いばらき自民党」議員会長を歴任。
阿出川 輝雄(あでがわ てるお、1943年1月10日 - )… 阿出川 輝雄(あでがわ てるお、1943年1月10日 - )は、東京都出身のプロサーファー。愛称は「テッド」。元日本スケートボード協会理事長。一般社団法人日本障害者サーフィン協会(現一般社団法人パラサーフィン協会)初代代表理事。日本サーフィン界では「レジェンド」の異名を持つ。 日大豊山高校から日本大学芸術学部に進み、在学中カリフォルニアに渡りサーフィンと出会う。当時、日本ではサーフィン文化は根付いていなかった時期であり、ノウハウを持ち帰って帰国後、米兵や日系人サーファーからサーフボードの作り方などを教わり、神田でサーフショップ「TED'S」を開いた。 その後、湘南でテストを行い、全国で普及活動を開始。
福島 滋雄(ふくしま しげお 1943年1月2日 - 199… 福島 滋雄(ふくしま しげお 1943年1月2日 - 1998年6月1日)は、日本の競泳選手。 1960年度(昭和35年度)に日本大学豊山高等学校を卒業、日本大学に進学した。1962年に重松盛人、佐藤好助、藤本達夫との440ヤードメドレーリレーで4分11秒0の世界新記録、220ヤード背泳ぎでも2分16秒1の世界新記録を樹立、その年の朝日スポーツ賞に選ばれている。 1964年の東京オリンピックの200m背泳ぎで決勝では、アメリカトリオに食い下がりタッチの勝負に持ち込み東京大会における競泳の初メダルと思われたが、長い写真判定の末4着に敗れた(2分13秒2)。中島功、石川健二、岡部幸明との400mメドレーリレーでは5位となった。
安西 水丸(あんざい みずまる、本名:渡辺 昇(わたなべ の… 安西 水丸(あんざい みずまる、本名:渡辺 昇(わたなべ のぼる)、1942年7月22日 - 2014年3月19日)は、日本のイラストレーター、漫画家、エッセイスト、作家、絵本作家、風俗評論家。日本スノードーム協会会長。 東京府東京市赤坂区(現在の東京都港区赤坂)生まれ。7人兄弟の末っ子で姉が5人いた。一番上の姉とは7つ離れている。生家は祖父の代から建築設計事務所を営んでいた。 1945年、重い喘息を患い、母の郷里である千葉県千倉町(現・南房総市)に移住。中学校卒業までを千倉で暮らす。その頃の体験や思い出は、初期の漫画作品、エッセイ、小説など多くの作品に登場している。「千倉」は彼にとって重要なキーワードとなっており、すべての心象のルーツであるように描かれている。
本田 博俊(ほんだ ひろとし、1942年〈昭和17年〉4月1… 本田 博俊(ほんだ ひろとし、1942年〈昭和17年〉4月11日 - )は、日本の自動車技術者、実業家。株式会社「無限」(現:M-TEC)の創業者。本田技研工業創業者・本田宗一郎の長男。 本田技研工業の創業者である本田宗一郎の長男として生まれる。 中学から高校時代に、父を介して浮谷東次郎に出会う。浮谷は、博俊が宗一郎から与えられた発売されたばかりのスーパーカブを乗り回しているのを記事で目にして興味を持ち、宗一郎に「あなたの息子の本田博俊さんと友人になりたい」との手紙を、私家版『がむしゃら1500キロ』に添えて送ったという。 日大豊山高校から日本大学理工学部へ入学後、芸術学部に転部し、工業デザイナーを志望する。
井上 大輔(いのうえ だいすけ、本名及び旧芸名:井上 忠夫(… 井上 大輔(いのうえ だいすけ、本名及び旧芸名:井上 忠夫(いのうえ ただお)、1941年9月13日 - 2000年5月30日)は、日本のミュージシャン、作曲家。東京都出身。日本大学豊山高等学校、日本大学芸術学部卒業。 有楽町(数寄屋橋)の寿司・おでん料理の店・富可川本店の長男として生まれる。祖父の忠治郎は山形県米沢市から上京し、官吏や俳優、土工など様々な職を転々としたが、店を一代で築いた人物。また東京音頭の元となる盆踊り大会を企画した旦那衆の一人であった。泰明小学校入学し、コーラス部に所属。日本大学附属豊山高校2年からブラスバンドでクラリネットを吹き始める。その後、日本大学芸術学部に進学し、映画学科演出コースから音楽学科作曲部門に移り、学生バンドを作ってジャズ喫茶などでモダン・ジャズを演奏していた。
石井 宏(いしい ひろし、1939年9月21日 - )は、東… 石井 宏(いしい ひろし、1939年9月21日 - )は、東京都出身の元競泳選手でのちに解説者、共同通信記者、現在は日本大学常務理事。1960年ローマオリンピック競泳男子800m自由形リレー銀メダリスト。日本大学卒業。 義兄弟に元フィギュアスケート選手の長瀬洋子と藤森美恵子(共に、旧姓 大岩)、甥に2024年パリオリンピック総合馬術の団体銅メダリストである大岩義明がいる。
久保 明(、1936年〈昭和11年〉12月1日 - )は、日… 久保 明(、1936年〈昭和11年〉12月1日 - )は、日本の俳優。本名は山内 康儀()。東京都江東区出身。立教大学文学部卒業。俳優・歌手の山内賢は実弟。 通っていた小学校で演劇が盛んだったことから、教師の勧めで舞台のオーディションを受けて合格。ラジオドラマ『鐘の鳴る丘』の舞台版に子役として出演。中学時代も映画撮影所が近所に多かったことから、教育映画などにも出演。 劇団創作座、劇団薔薇座を経て、1948年に松竹と契約。『鐘の鳴る丘』の映画版でスクリーンデビュー。 1952年、東宝専属となり、『思春期』で本格的に映画俳優の活動を開始。本名での出演だったが、その後は同作品で演じた役名にちなんで「久保明」と改名。
佐藤 昭(さとう あきら、1930年1月24日 - )は、元… 佐藤 昭(さとう あきら、1930年1月24日 - )は、元日本テレビアナウンサー、元福島中央テレビ役員、元株式会社21インコーポレーション取締役社長。
林 青梧(はやし せいご、1929年11月19日 - 200… 林 青梧(はやし せいご、1929年11月19日 - 2007年3月30日)は、日本の小説家、作家。 平壌生まれ。本名・亀谷(かめがい)梧郎。1946年内地へ帰り、東京都立大学 (1949-2011)英文科卒。日本大学豊山高等学校教諭。 朝鮮での敗戦体験を小説にし、『円卓』『文学者』などに発表。のち南京大学客員教授。 1958年「第七車輛」で芥川賞候補、「ふりむくな奇蹟は」で同、59年「橋《九月十一日》」で同、1961年「仁王」で直木賞候補、64年『誰のための大地』で同、70年『南北朝の疑惑』で同。計六回、芥川・直木賞候補となった。 第1回社会党文芸賞、中国国家友誼奨を受けた。 なお、目黒寄生虫館を創設した亀谷了は実兄にあたる。
園田 高弘(そのだ たかひろ、1928年9月17日 - 20… 園田 高弘(そのだ たかひろ、1928年9月17日 - 2004年10月7日)は、日本のクラシック音楽のピアニスト。 戦後の日本の音楽界を演奏者・教育者としてリードした。レパートリーと録音・演奏回数ともに余人の及ばない域に達しており、没年の翌年にも演奏会のスケジュールが入っていた。 1928年、東京府豊多摩郡中野町生まれ。園田の幼少期に急逝した父・清秀は、フランスでロベール・カサドシュに学んだピアニストであった。その方針により音楽の英才教育を受ける。1936年、父が他界。1939年からユダヤ系ロシア人ピアニストレオ・シロタの個人指導を受ける。本郷区千駄木尋常小学校を経て、軍事教練の無かった旧制豊山中学4年修了後、最年少で東京音楽学校に入学する。
大越 幸夫(おおこし ゆきお、1928年3月16日 - 20… 大越 幸夫(おおこし ゆきお、1928年3月16日 - 2018年12月4日)は、TBS顧問、同局初代北京特派員である。東京都出身。 1951年早稲田大学卒業後、同年にTBS入社。1964年TBS北京特派員、1975年同局編成局長、1977年報道局長、1981年取締役、1983年常務取締役、1986年同局映画社社長、1991年同局緑山スタジオ社長、1993年同局ビジョン社長、1997年同局顧問となり日中交流に活躍した。 2018年12月4日、肝不全のため死去。
日比野 和幸(ひびの かずゆき、1925年12月28日 - … 日比野 和幸(ひびの かずゆき、1925年12月28日 - 2009年1月5日)は日本のジャーナリスト、エッセイストである。
田中 茂(たなか しげる、1925年(大正14年)12月26… 田中 茂(たなか しげる、1925年(大正14年)12月26日 - 2012年(平成24年)7月13日)は、昭和から平成時代の政治家。医師。埼玉県和光市長(第6代〜第8代)。 福岡県出身。旧制豊山中学校、清水高等商船学校(現東京海洋大学)を経て、1950年(昭和25年)慶應義塾大学医学専門部卒業。1951年(昭和26年)和光市にて開業する。1960年(昭和35年)慶應義塾大学生理学教室にて博士号を受ける。1962年(昭和37年)から1976年(昭和51年)まで朝霞地区医師会会長。ほか、埼玉県医師会役員、日本医師会代議員、日本・ラテンアメリカ医学協会役員などを歴任した。 1989年(平成元年)和光市長に当選し、同年5月から2001年(平成13年)5月まで3期務めた。
竹村嘉夫(たけむら よしお、1925年4月29日 - )は、… 竹村嘉夫(たけむら よしお、1925年4月29日 - )は、日本の写真家。 東京出身。1943年3月、旧制豊山中学を卒業。その後、水産講習所(現東京海洋大学)に入学・卒業。農林省水産試験所に勤務するかたわら、1978年佐々木崑らと自然科学写真協会(のち、日本自然科学写真協会となる)を創立して理事長となる。1982年退官し、1983年自然科学写真センターを設立。
大川 清(おおかわ きよし、1925年3月15日 - 200… 大川 清(おおかわ きよし、1925年3月15日 - 2004年7月10日)は、日本の考古学者。陶芸家。国士舘大学名誉教授、日本窯業史研究所社長。歴史考古学、奈良・平安期古瓦、窯業史研究。
内海 英男(うつみ ひでお、1922年4月26日 - 200… 内海 英男(うつみ ひでお、1922年4月26日 - 2005年8月21日)は、日本の政治家。位階は正三位。建設大臣(第46代)、国土庁長官(第17代)、衆議院議員(9期)。 関東州(現在の中国東北部)大連市に生まれる。私立豊山中学校(現日本大学豊山中学校)を経て、中央大学法学部に入学。1944年、大学在学中に学徒出陣となり、海軍の特攻隊に配属される。復員後、住宅営団勤務を経て、衆議院議員だった父内海安吉の秘書となる。 1967年1月、健康不安のため引退を決意した安吉の後継者として旧宮城2区から自由民主党公認で衆院選に立候補し、初当選。自民党では当初、船田派に所属。1979年の第35回衆議院議員総選挙の後、田中派に移り、同派幹部田村元の側近となる。
西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひ… 西沢 爽(にしざわ そう、本名、西澤 義久(にしざわ よしひさ)、1919年(大正8年)1月9日 - 2000年(平成12年)7月19日)は、日本の作詞家、元日本作詩家協会会長、文学博士。 東京府出身。1954年(昭和29年)から日本コロムビアの専属となり、島倉千代子「からたち日記」、「恋しているんだもん」「星空に両手を」、美空ひばり「ひばりの佐渡情話」、「波止場だよ、お父つぁん」、水原弘「女の爪あと」、小林旭「さすらい」、舟木一夫「学園広場」など数々のヒット曲を世に送り、戦後の大衆音楽に多大な影響を与えた。 1974年(昭和49年)、休筆を宣言し、作詞活動の第一線から身を引く。その後、中世以降の歌謡曲研究に専念し、「日本近代歌謡史」、「雑学歌謡昭和史」などを著した。
石井 正之助(いしい しょうのすけ、1912年 - 1990… 石井 正之助(いしい しょうのすけ、1912年 - 1990年)は、英文学者、東京学芸大学名誉教授。東京都生まれ。麹町小学校、旧制豊山中学校を経て、1935年東京外国語学校英語部卒業、50年文部省内地研究員として東京文理科大学在籍。51年ガリオア留学生として米国オハイオ州立大学大学院に学ぶ。69年「ロバート・ヘリック研究」で東京教育大学文学博士。東京学芸大学教授、76年定年退官、名誉教授、白百合女子大学教授。83年退職。
島岡 吉郎(しまおか きちろう、1911年6月4日 - 19… 島岡 吉郎(しまおか きちろう、1911年6月4日 - 1989年4月11日)は、明治大学硬式野球部監督。 ラグビー部の北島忠治監督と共に、明治大学の名物監督として知られた人物。愛称は御大(島岡御大)。東京六大学リーグ戦優勝15回は、監督として歴代1位。明大野球部員からは東京六大学野球の神様と称された。 長野県下伊那郡市田村(現・高森町)出身。4歳時に母の花江が結核にて死去。父の宮次郎は朝鮮鉄道の技師として国外で働いていたため、父方の祖母かね代に育てられた(両親不在による「肉親の情への飢え」「持って行き場のない寂しさと悲しさ」が島岡の人格を作ったと教え子の近藤唯之は見解を述べている。)。 松本商業(現松商学園)から捕手として誘いがあったが、朝鮮で働いていた鉄道技師の父から東京に出て大学に入学するよう勧められ、父から学資の仕送りを受け、12歳で単身上京。
小糸 忠吾(こいと ちゅうご、1911年3月11日 - 20… 小糸 忠吾(こいと ちゅうご、1911年3月11日 - 2001年3月6日)は、日本のジャーナリスト。上智大学文学部新聞学科長で、同大学大学院ジャーナリスト学科設立に大きく尽力した。専門は新聞学。 東京都出身。米国ワシントン州立大学卒業、ミネソタ大学院修了後、共同通信社ニューヨーク支局長などを経て国際局次長となる。1966年上智大学文学部教授、1971年同大大学院新聞学科教授、1973年新聞学科長を歴任。
前島 康彦(まえじま やすひこ、1910年9月26日 - 1… 前島 康彦(まえじま やすひこ、1910年9月26日 - 1988年12月10日)は日本の造園家。造園史家。農学博士。 東京に野尻爻六・すね夫妻のもとに生まれる。豊山中学校を卒業し、國學院高等師範部に進学し、渡辺世祐、高柳光寿の指導を受け、1931年に卒業。博文館に勤めた後、東京市に任用になり、井下清課長のもとで公園行政ともっぱら公園機関紙の編集に関わる。 1970年、第1回日本公園緑地協会北村賞受賞。1983年に「宗教緑地論 : 社寺境内地の歴史的評価と公園緑地政策におけるその役割」により、東京農業大学から農学博士の学位を授与される。おもな著書に東京公園文庫シリーズがある。
窪田 章一郎(くぼた しょういちろう、1908年8月1日 -… 窪田 章一郎(くぼた しょういちろう、1908年8月1日 - 2001年4月15日)は、日本の歌人・国文学者。早稲田大学名誉教授。 窪田空穂の長男として、東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)南榎町に生まれる。旧制私立豊山中学校(現在の日本大学豊山高等学校)4年修了後、早稲田大学文学部国文科卒。1943年、武川忠一らが創設した早稲田大学短歌会に指導役として参加。そこから発展した歌誌『まひる野』を創刊主宰した。早稲田大学講師・教授を歴任、名誉教授の称号を受く。国文学者としては西行研究の第一人者であった。 1980年、「素心臘梅」で第14回迢空賞受賞。1988年、「窪田章一郎全歌集」で第11回現代短歌大賞受賞。
柳 致環(りゅう ちかん、1908年陰暦7月14日‐1967… 柳 致環(りゅう ちかん、1908年陰暦7月14日‐1967年2月13日)は、朝鮮の詩人。号は青馬。柳は死と虚無を前にして人間の存在と意味を探し求めた。「詩人になった動機はなんだと問われたら、ためらうことなく恋愛であると答える」と述べた柳の詩は、恋愛の末に結婚した妻、権在順に宛てた恋文であった。 1908年陰暦7月14日、慶尚南道忠武市太平洞に生まれる。父は晋州柳氏の柳煖秀、母は密陽朴氏の朴又守。八人兄妹の次男。父の柳煖秀は巨済の屯徳面芳下里の儒学者であり、母の実家は裕福な密陽朴氏であったため、柳は幼い頃から私塾で漢学を学ぶことができた。1918年、柳が10歳のとき、統営普通学校に入学する。この頃、後に妻となる権在順と親しくなる。
中野 四郎(なかの しろう、1907年(明治40年)1月25… 中野 四郎(なかの しろう、1907年(明治40年)1月25日 - 1985年(昭和60年)10月21日)は、日本の政治家。位階は正三位勲一等、勲章は旭日大綬章。衆議院議員(通算13期)、国土庁長官、碧南市長などを歴任した。 愛知県碧海郡新川町(現・碧南市)に中野久吉、さだ夫妻の四男として生まれる。生家はどじょう屋。小学校卒業後農機具店に奉公に出るが、13歳の時単身上京し、新聞配達などをしながら私立豊山中学校(現・日本大学豊山中学校・高等学校)で学ぶ。1923年9月に同校を中退。 愛知県出身のジャーナリストで衆議院議員でもあった鈴木正吾の紹介で、大正デモクラシー期を代表する論客の一人であった茅原華山の門下生となる。
坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月… 坂口 安吾(さかぐち あんご、1906年(明治39年)10月20日 - 1955年(昭和30年)2月17日)は、日本の小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。 第二次世界大戦前から戦後にかけて活躍した、近現代日本文学を代表する小説家の一人である。純文学のみならず、歴史小説や推理小説、文芸や時代風俗から古代史まで広範に材を採る随筆、囲碁・将棋におけるタイトル戦の観戦記などの多彩な活動を通し、無頼派、新戯作派と呼ばれる地歩を築いた。 新潟県新潟市出身。東洋大学印度哲学倫理学科(現・文学部 東洋思想文化学科)卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。 戦前はファルス的ナンセンス作品『風博士』で文壇に注目され、一時低迷した後、終戦直後に発表した『堕落論』『白痴』により時代の寵児となり、太宰治、織田作之助、石川淳らと共に、無頼派・新戯作派と呼ばれ地歩を築いた。
沼野井 春雄(ぬまのい はるお、1906年3月31日 - 1… 沼野井 春雄(ぬまのい はるお、1906年3月31日 - 1998年5月14日)は、日本の生物学者。東京大学名誉教授。理学博士。 茨城県水戸市生まれ。東京帝国大学理学部動物学科卒業後、大学院に通いながら旧制浦和高等学校で教鞭をとり、旧制浦和高等学校教授を経て、1949年(昭和24年)に東京大学理学部教授となる。定年退官後は、早稲田大学教育学部理学科生物学専修の教授に就任。。高校課程の生物教育にも大きく貢献し、旺文社より出版された『生物の研究』は特に有名で、ラジオ生物学講座の講師にもなり、多くの後進の生物学者を育てた。 また、早大教授時代は合気道部の部長も務めた。なお、中学は旧制豊山中学(現日本大学豊山高等学校)に学んだが、旧制新潟中学校から転入してきた作家の坂口安吾とは豊山中学時代の同級生である。
小川 徳治(おがわ とくじ、1905年8月2日 - 2001… 小川 徳治(おがわ とくじ、1905年8月2日 - 2001年1月5日)は、日本の経済学者。立教大学経済学部元教授。専門は貿易商務。恩師のポール・ラッシュとともに立教大学にアメリカンフットボール部を創設して部長を務め、明治大学のアメリカンフットボール部の創設も支援した。日本アメリカンフットボール協会理事長も務め、フットボールの発展に携わった。日本アメリカンフットボール殿堂顕彰者。立教大学学生部長、就職部長、総務部長など大学運営の要職も務めたほか、立教大学の硬式野球部や空手部、スキー部の各部長も歴任し、アメリカンフットボールのみならず学生スポーツの振興に大きく貢献した。 東京市小石川区原町に小川延秋の二男として生まれる。
岩田 巌(いわた いわお、1905年4月20日 - 1955… 岩田 巌(いわた いわお、1905年4月20日 - 1955年3月3日)は、日本の会計学者。元一橋大学商学部教授。 東京都新宿区西大久保生まれ。先祖は武蔵野の郷士で、家には家系図が残されている。 1923年3月、私立豊山中学校(現・日本大学豊山中学校・高等学校)第4学年修了後、父の死去により、就職のためから早稲田実業学校(現・早稲田実業学校高等部)へ編入、1年間在籍するも、就職はしなかった。1930年、東京商科大学本科卒業、同年同大学研究科入学。大学時代はマックスウェーバーの研究に取り組む。1931年、中央会計研究所入所。1932年、東京商科大学研究科修了。1933年、東京商科大学予科講師、1937年同教授、1941年同大学助教授兼予科教授。
城米 彦造(じょうまい ひこぞう、1904年5月4日 - 2… 城米 彦造(じょうまい ひこぞう、1904年5月4日 - 2006年5月8日)は、日本の昭和時代に活動した画家、路上詩人。第二次大戦後の10年間、国鉄の有楽町駅前にて自作の詩集を手売りしていたことで知られる。 1904年、京都にて16代続いた老舗呉服・染物屋の長男に生まれる(京染め悉皆業の長男と表現する資料もある)。実母を亡くした後、継母との仲に悩んだ末、放浪を繰り返し、その後、18歳の時に上京する。小石川区の旧制私立豊山中学校(現日本大学豊山高校)定時制卒業。城米が文筆家の道を歩み始めたのは、神田区役所(現千代田区役所)に勤務していた1931年のこと。小説家の武者小路実篤のもとに税金の督促に赴き、そこで感化されたことによる。
戸叶 武(とかの たけし、1903年2月11日 – 1982… 戸叶 武(とかの たけし、1903年2月11日 – 1982年12月25日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。参議院議員(4期、日本社会党)。妻は衆議院議員の戸叶里子。 田中正造の政治的後継者で、下野新聞社長を務めていた戸叶薫雄の長男として、栃木県安蘇郡田沼町(現佐野市)に生まれた。旧制豊山中学校(現日本大学豊山高等学校)を経て、早稲田大学政治経済学部へ入学。在学中は、高野実などと社会主義学生団体「文化会」を率いる。また、雄弁会に参加し、1922年(大正11年)には先輩である浅沼稲次郎の推薦により幹事となった。 1925年(大正14年)1月24日、学校教練に反対するデモにリーダー格で参加して麹町警察署に一時検束される。
八幡一郎(やわた いちろう、1902年4月14日 - 198… 八幡一郎(やわた いちろう、1902年4月14日 - 1987年10月26日)は日本の考古学者。 専攻は縄文時代、民具の研究。