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山科 満(やましな みつる、1961年 - )は、日本の医学… 山科 満(やましな みつる、1961年 - )は、日本の医学者・精神科医。中央大学文学部教授。元文教大学教授。学位は、博士(医学)。 1961年青森県生まれ。新潟県立新潟高等学校を経て、1989年新潟大学医学部医学科卒業。1992年東京都立松沢病院精神科医員。1998年順天堂大学医学部精神医学教室助手、後に講師。2001年博士(医学)(順天堂大学)。2008年文教大学人間科学部臨床心理学科准教授、後に教授。2010年中央大学文学部心理学専攻准教授を経て、現在教授。
高野 裕久(たかの ひろひさ、1958年 - )は、日本の工… 高野 裕久(たかの ひろひさ、1958年 - )は、日本の工学者、内科医。京都大学名誉教授。 新潟県立新潟高等学校を経て、京都府立医科大学医学部医学科卒業。博士(医学)。国立環境研究所主任研究員、同総合研究官、同環境健康研究領域長、筑波大学連携大学院教授、京都大学大学院地球環境学堂地球益学廊長・教授等を経て、2023年京都大学名誉教授、京都大学地球環境学堂地球親和技術学廊研究員。
猪股 裕紀洋(いのまた ゆきひろ、1953年〈昭和28年〉3… 猪股 裕紀洋(いのまた ゆきひろ、1953年〈昭和28年〉3月29日 - )は、日本の小児外科学者、移植外科学者、小児外科医、移植外科医。医学博士。熊本大学名誉教授、熊本労災病院名誉院長。 新潟県新潟市(現 新潟市東区)出身。1971年(昭和46年)3月に新潟高等学校を卒業、1977年(昭和52年)3月に京都大学医学部医学科を卒業、1986年(昭和61年)3月に京都大学大学院医学研究科医学専攻博士課程を修了。 2000年(平成12年)8月に熊本大学医学部附属病院小児外科教授に就任、2002年(平成14年)4月に熊本大学医学部小児外科学講座教授に就任、2003年(平成15年)4月に熊本大学大学院医学薬学研究部小児外科学分野教授に就任。
小黒 八七郎(おぐろ やなお、1929年〈昭和4年〉7月24… 小黒 八七郎(おぐろ やなお、1929年〈昭和4年〉7月24日 - 1997年〈平成9年〉11月18日)は、日本の医師・内科学者・消化器病学者。学位は、医学博士(東京大学・1959年)。位階は従四位、勲三等瑞宝章受章。 新潟県三島郡寺泊町(現長岡市)出身。 祖父は医師で儒学者、父親はじめ兄弟も医師。 新潟県立新潟中学校を経て1945年海軍兵学校に入学。その後、1953年東京大学医学部に入学、首席で卒業。 日本に内視鏡治療を広めたパイオニア、内視鏡レーザー治療による胃癌治療の第一人者である。 『胃癌の内視鏡診断の確立』により田宮記念賞受賞。 母校の第一内科研究生・講師を経て、1962年から国立がんセンターの内科医長・内視鏡部長を歴任。
茂野 六花(しげの ろっか、1926年(大正15年)7月1日… 茂野 六花(しげの ろっか、1926年(大正15年)7月1日 - 1985年(昭和60年)11月24日)は、日本の俳人、医師、法医学者。医学博士。第9代新潟大学学長、新潟大学医学部第12代学部長。本名は茂野 錄良(しげの ろくろう)。 新潟県新潟市出身。1943年(昭和18年)11月に新潟中学校を繰り上げ卒業、1945年(昭和20年)10月に海軍兵学校を卒業、1950年(昭和25年)3月に新潟医科大学を卒業。 1951年(昭和26年)7月に新潟大学新潟医科大学法医学教室助手に就任、同年9月から同教室教授で俳人の高野素十から俳句の指導を受け、「六花」の俳号を授かった。 1953年(昭和28年)4月に新潟大学医学部法医学教室助手に就任、1954年(昭和29年)8月に新潟大学医学部法医学教室(担任:山内峻呉教授)講師に就任。
布施 栄明(ふせ しげあき、1925年〈大正14年〉11月7… 布施 栄明(ふせ しげあき、1925年〈大正14年〉11月7日 - 2009年〈平成21年〉7月31日)は、日本の解剖学者、医師。医学博士。新潟大学歯学部口腔解剖学第一講座 初代教授、新潟大学医学部解剖学第二教室 第3代教授。新潟大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員。日本基督教団のクリスチャン。 新潟県刈羽郡鵜川村(現 柏崎市)の代々医者の家系に出生。1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1950年(昭和25年)に新潟大学医学部解剖学第二教室(担任:小池上春芳教授)研究生に就任、助手を経て1953年(昭和28年)4月に講師に就任、6月に新潟大学から医学博士号を取得、1956年(昭和31年)3月に助教授に就任、1966年(昭和41年)8月に新潟大学歯学部口腔解剖学第一講座初代教授に就任、1972年(昭和47年)6月に新潟大学医学部解剖学第二教室第3代教授に就任、1980年(昭和55年)12月から新潟大学附属図書館旭町分館館長を兼任、1984年(昭和59年)11月から新潟大学附属図書館館長を兼任、1991年(平成3年)3月に新潟大学を定年退官、5月に新潟大学名誉教授の称号を受称、1995年(平成7年)に新潟リハビリテーション専門学校学校長に就任。
竹本 吉夫(たけもと よしお、1925年〈大正14年〉5月2… 竹本 吉夫(たけもと よしお、1925年〈大正14年〉5月26日 - 2002年〈平成14年〉11月2日)は、日本の内科学者、内科医。医学博士。日本赤十字秋田短期大学初代学長。秋田赤十字病院名誉院長。元日本病院会副会長・顧問。 北海道稚内市で生まれ、新潟県新潟市で育つ。 1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1950年(昭和25年)6月から新潟県長岡市旭町1丁目の坂井医院に勤務、新潟市流作場2439番地(現 新潟市中央区万代2丁目1番1号)の新潟トヨタ診療所に勤務。 1952年(昭和27年)10月に新潟大学医学部第一内科に入局、1958年(昭和33年)3月に新潟大学から医学博士の学位を取得、7月に医局長に就任、講師を経て、1965年(昭和40年)10月に助教授に就任。
中山 沃(なかやま そそぐ、旧姓:蒲原、法名:沃観、1925… 中山 沃(なかやま そそぐ、旧姓:蒲原、法名:沃観、1925年〈大正14年〉5月16日 - 2012年〈平成24年〉5月24日)は、日本の生理学者、医史学者、医師、浄土真宗本願寺派僧侶。医学博士。岡山大学名誉教授。名塩御坊教行寺第15世住職。 新潟県新潟市西堀通10番町(現 新潟市中央区西堀通10番町)の浄土真宗本願寺派・蒲原浄光寺の第25世住職・蒲原霊英の次男として出生。 1943年(昭和18年)3月に新潟中学校を卒業、1945年(昭和20年)3月に新潟高等学校を1年繰り上げ卒業、1949年(昭和24年)3月に新潟医科大学を卒業。 1949年(昭和24年)3月に米子医科大学生理学教室(担任:福原武教授)助手に就任、1951年(昭和26年)4月に鳥取大学医学部生理学教室(担任:福原武教授)助手に就任、1953年(昭和28年)6月に鳥取大学医学部生理学教室生理学第一講座(担任:福原武教授)講師に就任、1954年(昭和29年)7月に医学博士号を取得、11月に鳥取大学医学部生理学教室生理学第二講座(担任:西田勇教授)助教授に就任、1957年(昭和32年)1月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座(担任:福原武教授)助教授に就任、1962年(昭和37年)11月から1964年(昭和39年)5月まで文部省在外研究員として西ドイツのゲッティンゲン大学生理学教室に留学、1970年(昭和45年)4月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座第2代教授に就任、1986年(昭和61年)4月に中国吉林省延辺医学院名誉教授(第1号)の称号を受称、1991年(平成3年)3月に岡山大学を定年退官、4月に岡山大学名誉教授の称号を受称。
柴田 整一(しばた せいいち、1923年〈大正12年〉7月1… 柴田 整一(しばた せいいち、1923年〈大正12年〉7月13日 - 1989年〈平成元年〉9月25日)は、日本の腎臓学者、内科医。医学博士。元国立病院医療センター臨床研究部長、帝京大学生物工学センター教授。 新潟県新潟市南大畑町(現 新潟市中央区南大畑町)の新潟医科大学内科学第二教室助教授・柴田経一郎の長男として出生。 1941年(昭和16年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 実地修練後、1948年(昭和23年)秋に東京大学医学部第三内科(教授:冲中重雄)に入局、1954年(昭和29年)6月に東京大学から医学博士の学位を取得、1956年(昭和31年)7月に東京大学医学部第三内科(教授:冲中重雄)助手に就任、1971年(昭和46年)2月に東京大学医学部第三内科(教授:中尾喜久)講師に就任、1977年(昭和52年)8月に東京大学医学部第三内科(教授:小坂樹徳)助教授に就任、1980年(昭和55年)1月に国立病院医療センター臨床研究部長に就任、1989年(平成元年)3月に定年退官、4月に帝京大学生物工学センター教授に就任。
清水 善夫(しみず よきお、1922年〈大正11年〉9月1日… 清水 善夫(しみず よきお、1922年〈大正11年〉9月1日 - 2013年〈平成25年〉9月19日)は、日本の内科医、小児科医。医学博士。新潟県西蒲原郡黒埼村第19代村長、黒埼町初代町長。原爆症患者第1号の担当医。 新潟県西蒲原郡黒埼村大字金巻(現 新潟市西区金巻)出身。1940年(昭和15年)3月に新潟中学校を卒業、1942年(昭和17年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1946年(昭和21年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 1947年(昭和22年)10月に東京大学医学部内科学教室内科学第二講座(担任:佐々貫之教授)副手に就任、1951年(昭和26年)4月から引き続き同講座(担任:美甘義夫教授)で研究。
黒川 一男(くろかわ かずお、1922年〈大正11年〉4月1… 黒川 一男(くろかわ かずお、1922年〈大正11年〉4月17日 - 2010年〈平成22年〉4月16日)は、日本の泌尿器科学者、泌尿器科医。医学博士。徳島大学名誉教授、日本泌尿器科学会名誉会員、協立病院名誉院長。 新潟県新潟市礎町通上一ノ町(現 新潟市中央区礎町通上一ノ町)の黒川栄一郎の長男として出生。 新潟市礎尋常小学校を経て、1940年(昭和15年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 1950年(昭和25年)3月に東京大学医学部助手に就任、1956年(昭和31年)5月に東京大学医学部講師に就任、同年8月に東京大学から医学博士の学位を取得、東京大学医学部附属病院分院外来診療所医長に就任、1961年(昭和36年)4月に東京大学医学部助教授に就任、東京大学医学部附属病院分院泌尿器科医長に就任、1963年(昭和38年)11月に徳島大学医学部泌尿器科学教室初代教授に就任、1976年(昭和51年)4月に徳島大学医学部附属看護学校第13代学校長に就任、1978年(昭和53年)1月に徳島大学医学部附属病院第14代病院長に就任、同月に徳島大学医学部附属助産婦学校第4代学校長に就任、1988年(昭和63年)3月に徳島大学を定年退官、4月に徳島大学名誉教授の称号を受称、徳島県徳島市八万町橋本の協立病院の院長に就任。
小島 瑞(こじま みず、1921年〈大正10年〉11月25日… 小島 瑞(こじま みず、1921年〈大正10年〉11月25日 - 1995年〈平成7年〉9月22日)は、日本の病理学者、医師。医学博士。福島県立医科大学名誉教授、日本血液学会名誉会員。 新潟県新潟市出生、新潟県佐渡郡金沢村大字泉(現 佐渡市泉)出身。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1941年(昭和16年)3月に新潟高等学校文科乙類を卒業、1944年(昭和19年)9月に新潟医科大学を半年繰り上げ卒業。 1945年(昭和20年)1月に横浜市戸塚区原宿町の海軍軍医学校戸塚分校を卒業、海軍軍医中尉に任官、山口県光市光井の第一特別基地隊附、3月に山口県平生町佐賀の平生突撃隊附、8月に終戦、1946年(昭和21年)1月に復員。
川村 明義(かわむら あきよし、1919年〈大正8年〉9月2… 川村 明義(かわむら あきよし、1919年〈大正8年〉9月2日 - 2006年〈平成18年〉6月9日)は、日本の免疫学者、医師。医学博士(東京大学・1957年)。東京大学名誉教授。 新潟県新潟市学校町通2番町(現 新潟市中央区学校町通2番町)の新潟医学専門学校病理学教室教授・川村麟也の三男として出生。 1938年(昭和13年)3月に新潟中学校を卒業、1942年(昭和17年)3月に新潟高等学校を卒業、1945年(昭和20年)9月に千葉医科大学を卒業。 1945年(昭和20年)10月に東京帝国大学伝染病研究所第二研究部(部長:田宮猛雄教授)に嘱託として入所、1948年(昭和23年)に東京大学伝染病研究所第五研究部(部長:田宮猛雄教授)副手に就任、1949年(昭和24年)に助手に就任、1959年(昭和34年)7月に東京大学伝染病研究所第二細菌研究部(部長:山本郁夫教授)助教授に就任、1971年(昭和46年)4月に東京大学医科学研究所免疫学研究部長・教授に就任、1980年(昭和55年)4月に東京大学を定年退官、5月に東京大学名誉教授の称号を受称。
澤野 十蔵(さわの じゅうぞう、1913年〈大正2年〉11月… 澤野 十蔵(さわの じゅうぞう、1913年〈大正2年〉11月28日 - 2007年〈平成19年〉7月20日)は、日本の解剖学者、医師、トンボ研究家。医学博士。広島大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員、日本蜻蛉学会名誉会員、広島虫の会名誉会長。 新潟県新潟市関屋松波町(現 新潟市中央区関屋松波町)出身。1931年(昭和6年)3月に新潟中学校を卒業、1938年(昭和13年)3月に新潟高等学校を卒業、1941年(昭和16年)12月に新潟医科大学を卒業。 1941年(昭和16年)12月に新潟医科大学副手に就任、1942年(昭和17年)に新潟医科大学助手に就任、1944年(昭和19年)に新潟医科大学臨時附属医学専門部助教授に就任、新潟医科大学講師を兼任。
君 健男(きみ たけお、1911年〈明治44年〉12月22日… 君 健男(きみ たけお、1911年〈明治44年〉12月22日 - 1989年〈平成元年〉4月20日)は日本の医師、官僚、政治家。参議院議員(1期)、新潟県知事(公選第9・10・11・12代)。医学博士。 1911年(明治44年)12月22日、君修一郎の長男として新潟市に出生。新潟県立新潟中学校を経て官立新潟高等学校を卒業。1936年(昭和11年)3月、官立新潟医科大学(現・新潟大学医学部)を卒業。同年11月、応召。 1940年(昭和15年)、栃尾町の栃尾郷立診療所組合(現・新潟県厚生農業協同組合連合会栃尾郷病院)内科部長に就任。東京の日本光学病院内科主任を経て、再度応召。 1947年(昭和22年)、新潟県庁に入庁し、1949年(昭和24年)に新潟県予防課長、1955年(昭和30年)に新潟県公衆衛生課長、1958年(昭和33年)に新潟県衛生部長を経て、1962年(昭和37年)に新潟県総務部長となる。
小池上 春芳(こいけがみ はるよし、1907年〈明治40年〉… 小池上 春芳(こいけがみ はるよし、1907年〈明治40年〉2月11日 - 1997年〈平成9年〉10月26日)は、日本の解剖学者、医師。医学博士。新潟医科大学解剖学第二教室第2代教授。新潟大学名誉教授、日本解剖学会名誉会員。 新潟県新潟市上大川前通8番町(現 新潟市中央区上大川前通8番町)の富商・小池上春五郎の四男として出生。 1923年(大正12年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1926年(大正15年)3月に新潟高等学校を卒業、1930年(昭和5年)3月に新潟医科大学を卒業。 1930年(昭和5年)4月に新潟医科大学解剖学教室(担任:平澤興教授)助手に就任、1934年(昭和9年)3月に新潟医科大学解剖学教室助教授に就任、1935年(昭和10年)1月に新潟医科大学から医学博士の学位を取得。
高橋 松蔵(たかはし まつぞう、1905年〈明治38年〉12… 高橋 松蔵(たかはし まつぞう、1905年〈明治38年〉12月14日 - 1981年〈昭和56年〉1月31日)は、日本の外科医、内科医、小児科医。紫野診療所元所長、京都民医連第2代会長、ミノファーゲン製薬本舗元顧問。 新潟県出身。新潟師範学校附属小学校を経て、1922年(大正11年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1925年(大正14年)3月に新潟高等学校を卒業、1929年(昭和4年)3月に京都帝国大学医学部医学科を卒業。 1929年(昭和4年)4月に京都帝国大学医学部外科学教室副手に就任、1930年(昭和5年)9月15日に京都府宇治市の花屋敷浮舟園で結婚。 1931年(昭和6年)に京都府京都市左京区田中馬場町の養正隣保館に診療所を開設。
福原 武(ふくはら たけし、1904年〈明治37年〉4月3日… 福原 武(ふくはら たけし、1904年〈明治37年〉4月3日 - 1996年〈平成8年〉1月21日)は、日本の生理学者、医師。医学博士。岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座初代教授。岡山大学名誉教授、日本生理学会特別会員。 新潟県新潟市寄居町(現 新潟市中央区寄居町)出身。1921年(大正10年)3月に新潟中学校を4年で修了(四修)、1924年(大正13年)3月に新潟高等学校を卒業、1928年(昭和3年)3月に新潟医科大学を卒業。 1928年(昭和3年)4月に新潟医科大学生理学教室(担任:横田武三教授)助手に就任、1930年(昭和5年)4月に講師に就任、1932年(昭和7年)2月に新潟医科大学から医学博士号を取得、1933年(昭和8年)4月に新潟医科大学生理学教室助教授に就任、1938年(昭和13年)11月に永井潜の推薦で北京大学医学院生理学教室初代教授に就任、太平洋戦争後、1945年(昭和20年)12月に日本に帰国、1946年(昭和21年)6月に新潟医科大学薬理学教室(担任:木原玉汝教授)助教授に就任、1948年(昭和23年)7月に米子医科大学生理学教室初代教授に就任、1949年(昭和24年)5月に鳥取大学医学部生理学教室初代教授に就任、1954年(昭和29年)7月に岡山大学医学部生理学教室生理学第二講座初代教授に就任、1956年(昭和31年)5月に岡山で第33回日本生理学会総会を主催、1966年(昭和41年)7月に岡山で第8回日本平滑筋学会総会を主催、1970年(昭和45年)3月に岡山大学を定年退官、6月に川崎医科大学生理学教室初代教授に就任、1976年(昭和51年)3月に同大学を退任、同大学客員教授に就任。
薄田 七郎(うすだ しちろう、1898年〈明治31年〉1月1… 薄田 七郎(うすだ しちろう、1898年〈明治31年〉1月12日 - 1983年〈昭和58年〉10月22日)は、日本の病理学者、厚生技官、医師。医学博士。台北帝国大学医学部病理学教室病理学第一講座第2代教授。 新潟県中蒲原郡木戸村大字鴉俣(現 新潟市東区山木戸)の医師・薄田敬勝の長男として出生。 1915年(大正4年)3月に新潟中学校を卒業、1919年(大正8年)7月に第二高等学校を卒業、1923年(大正12年)4月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 東京帝国大学医学部病理学教室に入室、1925年(大正14年)1月に泉橋慈善病院内科医員に就任、1926年(大正15年)4月に同病院病理解剖科医員に就任、1932年(昭和7年)11月に東京帝国大学から医学博士の学位を取得。
笹川 久吾(ささがわ きゅうご、1894年〈明治27年〉9月… 笹川 久吾(ささがわ きゅうご、1894年〈明治27年〉9月5日 - 1968年〈昭和43年〉5月16日)は、日本の生理学者、医師。医学博士。京都大学名誉教授、日本生理学会特別会員、日本体力医学会名誉会員。日本鍼灸学会初代会長。 新潟県西蒲原郡金巻村大字大野町(現 新潟市西区大野町)出身。1914年(大正3年)3月に新潟中学校を卒業、1919年(大正8年)7月に第四高等学校を卒業、1923年(大正12年)6月に京都帝国大学医学部医学科を卒業。 1925年(大正14年)6月に京都帝国大学医学部生理学第二講座(担任:石川日出鶴丸教授)助手に就任、1928年(昭和3年)11月に大阪高等医学専門学校教授に就任、1929年(昭和4年)6月に京都帝国大学から医学博士号を取得。
金子 義晁(かねこ よしとも、1894年〈明治27年〉7月1… 金子 義晁(かねこ よしとも、1894年〈明治27年〉7月1日 - 1966年〈昭和41年〉11月27日)は、日本の内科学者、内科医。医学博士。同和病院初代理事長・院長、元外務省診療所所長、元老人病研究所副所長、元東京医科大学教授。 新潟県中蒲原郡村松町(現 五泉市村松)の士族出身。1914年(大正3年)3月に新潟中学校を卒業、1918年(大正7年)7月に第八高等学校を卒業、1922年(大正11年)3月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 1922年(大正11年)4月に東京帝国大学医学部病理学第一講座(教授:緒方知三郎)に入室、1927年(昭和2年)に東京帝国大学医学部附属医院第二内科(教授:呉建)に入局、1929年(昭和4年)3月に東京帝国大学から医学博士号を取得。
石黒 芳雄(いしぐろ よしお、1893年〈明治26年〉8月2… 石黒 芳雄(いしぐろ よしお、1893年〈明治26年〉8月26日 - 1969年〈昭和44年〉8月5日)は、日本の生理学者、内科学者、内科医。医学博士。海軍軍医。最終階級は海軍軍医中将。 新潟県新潟市田中町(現 新潟市中央区田中町)出身。1912年(明治45年)3月新潟中学校卒業、同年(大正元年)9月新潟医学専門学校入学、1913年(大正2年)12月海軍軍医学生受命、1916年(大正5年)5月新潟医学専門学校卒業。 1916年(大正5年)7月海軍少軍医、1917年(大正6年)12月海軍中軍医、1919年(大正8年)9月海軍軍医中尉、1920年(大正9年)12月海軍軍医大尉、給油艦「知床」軍医長、1923年(大正12年)2月装甲巡洋艦「出雲」軍医長心得・分隊長心得、同年4月霞ヶ浦海軍航空隊分隊長、1925年(大正14年)12月海軍軍医少佐、1928年(昭和3年)4月新潟医科大学研究科学生(内科学・生理学)、1929年(昭和4年)11月海軍軍医中佐、1930年(昭和5年)12月横須賀海軍航空隊軍医長・分隊長、1931年(昭和6年)4月医学博士(新潟医科大学)、1933年(昭和8年)10月海軍航空廠医務部長、1934年(昭和9年)11月海軍軍医大佐、1938年(昭和13年)11月海軍軍医学校教官、1939年(昭和14年)4月海軍航空技術廠医務部長、1940年(昭和15年)11月海軍軍医少将、1943年(昭和18年)4月海軍航空技術廠航空医学部長、1944年(昭和19年)5月海軍軍医中将、同年11月佐世保鎮守府軍医長・佐世保海軍病院長、1945年(昭和20年)10月予備役。
近藤 正二(こんどう しょうじ、1893年〈明治26年〉2月… 近藤 正二(こんどう しょうじ、1893年〈明治26年〉2月5日 - 1977年〈昭和52年〉1月22日)は、日本の衛生学者、医師。医学博士。東北大学名誉教授。 生涯を通して食生活改善の啓蒙・普及に尽力し、欧米人と比較して著しく劣っていた日本人の体格、体力、寿命の向上に貢献した。 新潟県新潟市本町通10番町(現 新潟市中央区本町通10番町)の薬種商・近藤市蔵の次男として出生。 1910年(明治43年)3月に新潟中学校を卒業、1913年(大正2年)7月に第一高等学校を卒業、1917年(大正6年)12月に東京帝国大学医科大学医学科を卒業。 1918年(大正7年)1月に東北帝国大学医科大学細菌学教室細菌学講座(担任:青木薫教授)助手に就任、1920年(大正9年)11月に東北帝国大学医学部細菌学教室細菌学講座講師に就任、1921年(大正10年)3月に助教授に就任。
高田 蒔(たかた まき、1892年〈明治25年〉12月30日… 高田 蒔(たかた まき、1892年〈明治25年〉12月30日 - 1978年〈昭和53年〉3月4日)は、日本の生化学者、内科学者、内科医。医学博士。東邦大学名誉教授、アメリカ国際アカデミー名誉会員。雅号は日庵主人。 新潟県新潟市学校町通(現 新潟市中央区学校町通)の新潟県直税署職員・高田善一郎の四男として出生。 1910年(明治43年)3月に新潟中学校を卒業、1911年(明治44年)9月に仙台医学専門学校医学科に入学、1913年(大正2年)8月に東京府北豊島郡巣鴨町巣鴨(現 東京都豊島区巣鴨)の溝口伯爵家家扶・高田政敏の養子になった。 1915年(大正4年)9月に東北帝国大学医学専門部医学科を優等で卒業、恩賜の銀時計を下賜された。
小川 蕃(おがわ しげし、1891年〈明治24年〉10月14… 小川 蕃(おがわ しげし、1891年〈明治24年〉10月14日 - 1939年〈昭和14年〉9月1日)は、日本の外科学者、外科医。医学博士。京城帝国大学医学部外科学教室外科学第二講座初代教授。朝鮮医学界に大きな貢献をした。 新潟県中蒲原郡津島村大字古津(現 新潟市秋葉区古津)において津島村村長・小川重綽の五男として出生。 1909年(明治42年)3月に新潟中学校を卒業、1913年(大正2年)7月に第二高等学校を卒業、1917年(大正6年)12月に東京帝国大学医科大学医学科を卒業。 東京帝国大学医科大学外科学教室外科学第二講座(担任:近藤次繁教授)副手に就任、1919年(大正8年)12月から神戸三菱造船所病院に勤務、1921年(大正10年)3月に朝鮮総督府医院医官に就任、6月から京城医学専門学校教授を兼任。
田村 廿三郎(たむら はたさぶろう、1890年〈明治23年〉… 田村 廿三郎(たむら はたさぶろう、1890年〈明治23年〉6月13日 - 1961年〈昭和36年〉1月6日)は、日本の内科医、実業家、政治家。イチジク製薬創業者・初代社長。「イチジク浣腸」の考案者。 新潟県中蒲原郡鷲巻村大字西笠巻(現 新潟県新潟市南区西笠巻)の医師・田村篤司の三男として出生。 1909年(明治42年)3月に新潟中学校を卒業、1914年(大正3年)9月に千葉医学専門学校医学科に入学、1918年(大正7年)5月に同校を卒業。 千葉県東葛飾郡市川町大字市川字上出口(現 千葉県市川市市川)の吉岡医院に勤務したのち、1920年(大正9年)に東京府南葛飾郡瑞江村大字上今井(現 東京都江戸川区江戸川)に田村医院を開業。
木村 博(きむら ひろし、旧姓:今井、1888年〈明治21年… 木村 博(きむら ひろし、旧姓:今井、1888年〈明治21年〉10月14日 - 1952年〈昭和27年〉3月13日)は、日本の外科学者、外科医。医学博士。慶應義塾大学医学部外科学教室教授。 新潟県中蒲原郡新津村一之町(現 新潟市秋葉区新津本町4丁目)で全天病院を開業する医師・今井玄秀の三男として出生。 1907年(明治40年)3月に新潟中学校を卒業、1911年(明治44年)7月に第四高等学校を卒業、1915年(大正4年)11月に京都帝国大学医科大学医学科を卒業、1918年(大正7年)2月に京都帝国大学医科大学大学院に入学。 1920年(大正9年)10月に慶應義塾大学医学部外科学教室助手に就任、講師を経て、1922年(大正11年)10月に助教授に就任、1925年(大正14年)9月から1926年(大正15年)9月までヨーロッパとアメリカの病院を視察、1927年(昭和2年)12月に教授に就任、1934年(昭和9年)5月に横浜の警友病院の開設に伴い副院長に就任、1945年(昭和20年)2月に慶應義塾大学病院外科部長に就任、1946年(昭和21年)9月に慶應義塾大学を退職、員外教授に就任、11月に東京都滝野川区滝野川町(現 東京都北区滝野川)の河端病院の開設に伴い院長に就任。
金子 廉次郎(かねこ れんじろう、旧姓:山口、1886年〈明… 金子 廉次郎(かねこ れんじろう、旧姓:山口、1886年〈明治19年〉3月31日 - 1945年〈昭和20年〉7月23日)は、日本の内科学者、内科医。医学博士。九州帝国大学名誉教授。「日本脳炎」という名称の元になった症例を学会に報告した。 新潟県南蒲原郡猪子場新田(現 三条市猪子場新田)の素封家・山口新次郎の長男に生まれた。 1904年(明治37年)3月に新潟中学校を卒業、1907年(明治40年)7月に第三高等学校を卒業、新潟県南蒲原郡大面村大字蔵内(現 三条市蔵内)の大面村初代村長の金子正次の婿養子になった。 1907年(明治40年)9月に京都帝国大学福岡医科大学医学科に入学、1911年(明治44年)11月に九州帝国大学医科大学を優等で卒業、恩賜の銀時計を下賜された。
中村 隆治(なかむら りゅうじ、1882年〈明治15年〉5月… 中村 隆治(なかむら りゅうじ、1882年〈明治15年〉5月7日 - 1943年〈昭和18年〉4月9日)は、日本の精神医学者、精神科医。医学博士。新潟医学専門学校精神病学教室初代教授。新潟医科大学名誉教授。位階は正三位。 新潟県北蒲原郡水原町上町(現 阿賀野市中央町)の老舗・中村新吉菓子店の次男として出生。 1901年(明治34年)3月に新潟中学校を卒業、1904年(明治37年)7月に第一高等学校を卒業、1907年(明治40年)10月に東京帝国大学文科大学哲学科(心理学専修)を卒業。 妹の病気を治療するために東京帝国大学医科大学医学科に入学、1911年(明治44年)12月に同大学を卒業、妹の病気を治療した。
島峰 徹(しまみね とおる、1877年(明治10年)4月3日… 島峰 徹(しまみね とおる、1877年(明治10年)4月3日 - 1945年(昭和20年)2月10日)は、日本の大正から昭和前期における医学博士・歯科医・東京高等歯科医学校(旧東京医科歯科大学(現東京科学大学)の母体)の創立者・同附属医院長。日本における近代歯科学の確立と歯科医師の地位向上に努めた。新潟県出身。 島峰徹の姓は、父恂斎碑文及び墓所銘や一部資料・書籍において島峯が用いられているが、大学名簿・官報等公文書では島峰が用いられていることから、本稿においても島峰を用いた。 島峰家は越後長岡藩の藩医を代々勤め、祖父伝庵は十三人扶持(長岡藩上士槙家記録)、または75石取りと記録されている。戊辰戦争当時、祖父伝庵は63歳・父恂斎は22歳で既に家督を継ぎ、戊辰戦争における長岡藩内の記録「士分賞罰留」において恂斎は勤労の功を賞され二両二分を下され、また負傷した河井継之助を会津で同僚藩医と共に治療を行ったとされる。
羽賀 博典(はが ひろのり)は、日本の医師、医学者、京都大学… 羽賀 博典(はが ひろのり)は、日本の医師、医学者、京都大学大学院医学研究科病理診断学分野教授、京都大学医学部附属病院病理診断科診療科長・病理部部長である。専門は病理診断学。日本病理学会や日本肝移植学会などに所属し、肝移植後の病理診断や移植関連免疫病理の研究で知られる[大言壮語的]。 新潟県立新潟高等学校(1985年卒業)を経て、京都大学医学部医学科を1991年に卒業。1999年5月より2008年3月まで京都大学医学部附属病院臓器移植医療部(病理部)で勤務。 京都大学大学院医学研究科で博士(医学)を取得(2004年、論文博士)。 2008年4月から2010年6月まで北海道大学病院病理部助教授・准教授を務め、2010年7月より京都大学大学院医学研究科病理診断学分野教授に就任。