スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
舞立 昇治(まいたち しょうじ、1975年〈昭和50年〉8月… 舞立 昇治(まいたち しょうじ、1975年〈昭和50年〉8月13日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(3期)、財務副大臣。 自由民主党水産部会長、内閣府大臣政務官 、農林水産大臣政務官、参議院農林水産委員長を歴任。 鳥取県西伯郡日吉津村出身。日吉津村立日吉津小学校、米子市日吉津村中学校組合立箕蚊屋中学校、鳥取県立米子東高等学校を経て、1999年に東京大学経済学部卒業。同年、自治省(現:総務省)入省。 2001年、厚生労働省介護保険課。2003年、総務省市町村税課。2004年、総務省大臣官房企画課。2005年、山口県下関市財政部長。2007年、新潟県地域政策課長兼雪対策室長。2009年、同財政課長。
伊木 隆司(いぎ たかし、1973年〈昭和48年〉11月12… 伊木 隆司(いぎ たかし、1973年〈昭和48年〉11月12日 - )は、日本の政治家、公認会計士、税理士。鳥取県米子市長(3期)。 鳥取県米子市東町生まれ。生まれて間もなく皆生に引っ越す。 米子市立福生小学校、米子市立福生中学校、鳥取県立米子東高等学校卒業。1996年(平成8年)3月、中央大学商学部会計学科卒業。公認会計士2次試験に合格し、太田昭和監査法人(現・EY新日本有限責任監査法人)に入社。 2000年(平成12年)4月、公認会計士登録。2004年(平成14年)、米子市にて伊木会計事務所を開設。税理士登録。 2017年(平成29年)4月16日に行われた米子市長選挙に自由民主党・民進党・公明党の推薦を受けて立候補。
伊達 憲太郎(だて けんたろう、1959年〈昭和34年〉1月… 伊達 憲太郎(だて けんたろう、1959年〈昭和34年〉1月19日 - )は、日本の政治家。鳥取県境港市長(2期)。 鳥取県境港市竹内町生まれ。1977年(昭和52年)3月、鳥取県立米子東高等学校卒業。1981年(昭和56年)3月、大阪市立大学経済学部卒業。同年4月、境港市職員に採用される。市民生活部長、産業部長、福祉保健部長、総務部長等を歴任する。 2019年(平成31年)3月、境港市役所を退職。同年9月18日、任期満了に伴う境港市長選挙に立候補する意向を表明した。 2020年(令和2年)7月12日に行われた境港市長選挙に、自由民主党鳥取県連は伊達と元境港市議会議員の佐名木知信の両名に推薦を出し、16年ぶりの保守分裂選挙となった。
福嶋 浩彦(ふくしま ひろひこ、1956年(昭和31年)9月… 福嶋 浩彦(ふくしま ひろひこ、1956年(昭和31年)9月26日 - )は、日本の政治家。住民目線の会の共同代表。東京財団上席研究員。 消費者庁長官(第2代)、千葉県 我孫子市長(3期)、同市議会議員(3期)を務めた。 社会新報の記者を経て、生活協同組合我孫子センターに勤務した。その後、我孫子市議会議員や我孫子市長などを歴任し、全国青年市長会会長などを務めた。市長退任後は東京財団上席研究員に就任。2010年、消費者庁長官に任命され、2012年8月まで務める。 鳥取県米子市生まれ。鳥取県立米子東高等学校を卒業し、筑波大学第一学群社会学類に入学。しかし、1980年に学園祭の開催を求めてデモや集会を開き、学生運動を主導したことを理由に、1981年3月に除籍処分を受ける。
山内 功(やまうち おさむ、1954年10月16日 - )は… 山内 功(やまうち おさむ、1954年10月16日 - )は、日本の弁護士、政治家。衆議院議員(2期)を務めた。 鳥取県米子市出身。鳥取県立米子東高等学校、中央大学法学部卒。 卒業後、司法試験に合格、司法修習後、判事補、裁判官として東京や熊本など各地の裁判所に勤務する。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で鳥取2区より出馬したが、自由民主党の相澤英之に敗れ、比例復活もできずに落選。その後、新進党解党に伴い、民主党に入党。2000年の第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で再び鳥取2区から出馬し、小選挙区では相澤に敗れるも比例中国ブロックより復活し初当選した。以後2期連続当選。 党内では民主党鳥取県連代表代行や「あすの内閣」法務副大臣などを務めた。
浜田 和幸(濵田 和幸、はまだ かずゆき、1953年3月17… 浜田 和幸(濵田 和幸、はまだ かずゆき、1953年3月17日 - )は、日本の政治家、国際政治経済学者。 参議院議員(1期)、総務大臣政務官(菅直人第2次改造内閣)、外務大臣政務官(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣・野田第3次改造内閣)、国民新党政務調査会長、同幹事長(第4代)兼代表代行、次世代の党選挙対策委員長(第2代)、日本のこころを大切にする党議員総会長などを歴任。 鳥取県米子市出身。新日本製鐵、米戦略国際問題研究所、米議会調査局等を経て、2010年参院選にて鳥取県選挙区から立候補し当選。総務大臣政務官や外務大臣政務官を歴任。 専門は「技術と社会の未来予測」「国家と個人の安全保障」「長寿企業の戦略経営」。
近藤 宏樹(こんどう ひろき、1945年(昭和20年)1月1… 近藤 宏樹(こんどう ひろき、1945年(昭和20年)1月14日 - 2025年(令和7年)3月31日)は、日本の政治家。元島根県安来市長(3期)。 島根県能義郡安来町(現・安来市)に生まれる。安来市立安来小学校、米子市立第一中学校(現・米子市立東山中学校)、鳥取県立米子東高等学校卒業。1967年(昭和42年)、法政大学法学部政治学科卒業。 1997年(平成9年)に(旧)安来市議会議員に当選する(2期)。2004年(平成16年)に安来市議会議員に当選する(2期)。 2008年(平成20年)10月、安来市長選挙に初当選。2012年(平成24年)10月、再選。2016年(平成28年)、3選。 2020年(令和2年)10月18日投開票の同選挙で4選を目指すも元市議の田中武夫に敗れ落選。
森田 隆朝(もりた たかとも、1925年(大正14年)9月2… 森田 隆朝(もりた たかとも、1925年(大正14年)9月28日 - 2007年(平成19年)5月13日)は、日本の医師、政治家。産婦人科森田医院院長。鳥取県医師会常任理事。鳥大医学部同窓会名誉会長。日本・ネパール人づくり協力会会長。日野郡人会会長。米子市長。旧姓新出(にいで)。位階は従五位。 大正14年(1925年)、鳥取県日南町の寺院の3男として生まれた。同年、一家で現在の境港市に移住。父は托鉢をして集めた浄財で託児所を作り、孤児や恵まれない子どもを養育した。昭和18年(1943年)鳥取県立米子中学校(現・鳥取県立米子東高等学校)卒業。昭和29年(1954年)米子医科大学(現・鳥取大学医学部)卒業、産婦人科教室に入局。
西村 清則(にしむら きよのり、1924年〈大正13年〉6月… 西村 清則(にしむら きよのり、1924年〈大正13年〉6月15日 - 2003年〈平成15年〉2月5日)は、日本の政治家、実業家、教育者。鳥取県議会議員(日本社会党)。米子友好貿易代表取締役。日本中国友好協会鳥取県西部支部長。 鳥取県西伯郡夜見村上谷(現・米子市夜見町)に生まれる。武則の長男。米子中学校(現・米子東高校)を卒業、鳥取師範学校に入学。1945年、広島に野砲兵として入隊、6月に甲種幹部候補生として高知に行き、原爆の被災を免れる。 終戦後帰郷し、富益国民学校に勤務する。教員組合運動が盛んとなり、竹中栄、安田貞栄(のちの境港市長)らと共に運動に参加する。1947年に弓ヶ浜中学校に、1949年に美保中学校に、1954年に米子一中に転勤する。
小谷 守(こたに まもる、1915年(大正4年)9月23日 … 小谷 守(こたに まもる、1915年(大正4年)9月23日 – 2008年(平成20年)11月20日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 鳥取県出身。1933年(昭和8年)米子中学校、1936年(昭和11年)関西大学大学専門部法科を卒業した。1940年(昭和15年)から神戸市の旧制中学校で教員を務めた。 戦後すぐに教職員組合の結成に取り組み、神戸市教職員組合の役員を務めた。1950年(昭和25年)日本社会党に入党。同党兵庫県本部書記長、同委員長、同顧問を歴任。1951年(昭和26年)兵庫県議会議員に選出され5期在任した。 1971年(昭和46年)6月の第9回参議院議員通常選挙に兵庫県地方区から社会党公認で出馬して初当選。
岡田 洲二(おかだ しゅうじ、明治42年(1909年)3月5… 岡田 洲二(おかだ しゅうじ、明治42年(1909年)3月5日 - 没年不明)は日本の実業家、政治家。岡田商店の元代表取締役会長。元境港商工会議所会頭。元境港魚市場顧問、境港海陸運送相談役。元鳥取県会議員、境町会議員。 父親の岡田庄作は境港海運界の重鎮として境港発展に尽くした。叔父岡田信吉朗も海運業者である。 鳥取県西伯郡境町栄町(現在の境港市)出身。父は岡田庄作。 米子中学(現米子東高校)を経て、昭和9年(1934年)旅順工科大学機械科卒業。新潟県立長岡工業学校、米子高等女学校(現米子西高校)に勤務。昭和14年(1939年)岡田回漕店勤務。昭和19年(1944年)境港海陸運送を日本通運と創業、常務を経て社長に就任。
河合 弘道(かわい ひろみち、1907年(明治40年)11月… 河合 弘道(かわい ひろみち、1907年(明治40年)11月3日 - 1991年(平成3年)12月15日)は日本の政治家。鳥取県米子市長(5期)、金光教米子教会長。位階は従五位。 鳥取県西伯郡米子町(現在の米子市)道笑町に生まれる。 明道校から米子中学校(現在の米子東高校)へ進学する。 1931年(昭和6年)日本大学社会学科卒業。同大学社会学研究室助手となり、やがて講師、次いで1938年(昭和13年)予科の教授となる。 1946年(昭和21年)故郷米子に帰り、金光教米子教会長に就任。 戦後のすさんだ人々の心を導くと共に、社会教育の振興に取り組んだ。中でもボーイスカウトの再建、児童福祉施設わかば園の経営などの活動を通じて、次第に市政の在り方に関心を寄せ、彼を囲む市民の幅広い支持を得て、1963年(昭和38年)市長選に立候補し当選、1983年(昭和58年)4月までの5期20年に亘る長期間在職した。
田村 純一(たむら じゅんいち、1907年〈明治40年〉9月… 田村 純一(たむら じゅんいち、1907年〈明治40年〉9月4日 - 2000年〈平成12年〉)は、日本の政治家、実業家。久米桜酒造会長。鳥取県公安委員会委員長。 鳥取県米子市糀町出身。父・田村源太郎、母・あさの長男。家業は肥料商、酒造業。米子中学校を経て1929年、神戸高商を卒業、同年に田村源太郎商店に入り、酒造肥料商に従事する。1939年に米子市会議員に当選、1943年に再選する。米子市翼賛壮年団長をつとめる。 企業整備により家業を転廃業、米子境商業統制組合、米子市総合配給所の各専務理事に就任する。1947年、公職追放を受け、同年に久米桜酒造を創立し社長に就任。1952年、米子市教育委員に当選する。
赤沢 正道(赤澤 正道、あかざわ まさみち、1907年(明治… 赤沢 正道(赤澤 正道、あかざわ まさみち、1907年(明治40年)7月26日 - 1982年(昭和57年)1月20日)は、日本の実業家、政治家。赤沢組会長。自治大臣兼国家公安委員長。 山陰労災病院の誘致、国道9号の拡幅、美保基地周辺の民生安定事業など、郷土に残した足跡は多い。衆議院議員で、経済産業大臣などを務める赤沢亮正は孫。 鳥取県米子市西倉吉町に生まれた。父・康平は、徳島県出身の土木建築業。旧徳島藩士である。明治30年代から始まった山陰本線の建設に参加するため米子に進出、業界のリーダーとして業績を積み上げた。 また康平は、邸内に造った弓道場で毎朝弓を引いたといわれ、赤沢家は市民から一目置かれる家庭だった。
安田 光昭(やすだ みつあき、1907年(明治40年)3月1… 安田 光昭(やすだ みつあき、1907年(明治40年)3月11日 - 1993年(平成5年)1月12日)は日本の教育者、政治家。元鳥取県議会議員。元米子市教育長。号東馬。 地方教育行政の要として野坂寛治市長のもと教育基盤の確立に尽力。米子市独自の教育立地計画を樹立することが肝要と6年間にわたり現場教職員と一体となり実態調査を実施。その結果を4冊にまとめ逐次刊行した。このことは全国的に注目された。また、全国の都市教育委員会の教育長に呼びかけて全国都市教育長会を結成し、地教委本来の使命達成に努めた。その他、県立移管となった市立米子高等学校の開設「米子市小学校再配置計画」の立案実施を行った。 鳥取県西伯郡大篠津村(現米子市大篠津町)の「大阪屋」という割烹旅館の長男として生まれた。
木下 昇(きのした のぼる、1907年〈明治40年〉1月15… 木下 昇(きのした のぼる、1907年〈明治40年〉1月15日 - 没年不詳)は、日本の政治家。初代名和町長。 鳥取県出身。木下鶴吉の養嗣子となった。米子中学校(現・米子東高校)卒業後、農耕に精励する。民生委員、農業会常務理事、農業委員、県郡養蚕連副会長監事、小学校PTA会長、村会議員、鳥取県町村長会副会長等を歴任した。 1950年(昭和25年)11月から1954年(昭和29年)3月まで光徳村長を務めた。その後、合併で発足した名和町長を同年4月から1966年(昭和41年)4月まで務めた。 住所は鳥取県西伯郡名和町大字東坪(現・大山町東坪)。
松本 豊(まつもと ゆたか、明治39年(1906年)5月8日… 松本 豊(まつもと ゆたか、明治39年(1906年)5月8日 - 平成12年(2000年)12月25日)は日本の柔道家、実業家、政治家。境港商工会議所名誉会頭。元境町会議員、境港市会議員。 鳥取県境港市出身。万一の長男。 米中卒。松本材木店経営。姫路野砲第十連隊入隊、昭和19年(1944年)再応召、陸軍中尉。 昭和21年(1946年)松本木材(株)を設立、取締役社長に就任、同年境港商工会議所会頭(のち公職追放で辞任)。昭和30年(1955年)~昭和61年(1986年)境港商工会議所会頭。 昭和34年(1959年)(株)米子木材市場取締役社長、境港外材輸入(協)理事長、昭和38年(1963年)大山産業(株)取締役社長、昭和57年(1982年)松本木材(株)を境港木材工業(株)に改組、取締役顧問。
2代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、明治39年(1906年… 2代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、明治39年(1906年)2月15日 - 昭和61年(1986年)2月17日)は日本の実業家、政治家。坂口合名会社・代表社員会長。米子商工会議所名誉会頭。衆議院議員。幼名清太郎。 平兵衛によれば、「その頃の私は一種のやんちゃもんでして、柔道家の山根、佐伯、永見というような荒らくれ者とばかりつきあっていました。急に私が帰らなくてはならなくなった。先代の合名社長豊蔵が五十九歳で昭和五年に死亡し、私は豊蔵の養子になっていた。二十五歳だったが相続することになった。相続は(プラスの)財産を受けるのが当たり前ですが、私は十に余る会社の社長を引き受けた。それは借金を引き受けるということで、苦労を相続したのです。
増谷 慶一郎(ますたに けいいちろう、明治38年(1905年… 増谷 慶一郎(ますたに けいいちろう、明治38年(1905年)2月23日 - 昭和45年(1970年)12月13日)は日本の実業家、政治家。境港商工会議所第2代会頭。元増谷薬局代表取締役。元境町会議員。三代目当主。本名は正巳。 鳥取県境港市出身。実家は薬種商。 米子中学校(現米子東高校)、金沢医科大学付属薬学専門部(現在の金沢大学薬学部)卒業。 大正14年(1925年)から大阪で自家製剤を修行して帰郷し、家業の薬種商・増谷薬店“杏花堂”を手伝う。昭和22年(1947年)境町の町会議員を務める一方、境港商工会議所初代会頭松本豊の後を受けて2代目会頭に就任する。 昭和25年(1950年)境町だけでなく米子駅前にも出店し、実弟・芳郎とともに有限会社増谷薬局を設立するなど、会社を大きく発展させた。
門脇 章太郎(かどわき しょうたろう、1901年〈明治34年… 門脇 章太郎(かどわき しょうたろう、1901年〈明治34年〉3月30日 - 1971年〈昭和46年〉)は、日本の実業家、政治家、宗教家。 学習院大学名誉教授門脇卓爾の父。 鳥取県西伯郡所子村(現:大山町)の豪農の家(門脇家住宅として現存)に生まれる。父・門脇才蔵、母・チヨノの長男。米子中学校を経て、大正13年(1924年)京大修了。 所子村産業組合長、所子村農会長、所子村長を経て米子銀行取締役、鳥取県産業組合連合会理事米子支所長、米子銀行常務取締役を歴任した。1941年(昭和16年)合併により山陰合同銀行取締役に就任した。その後、1946年(昭和21年)に常務取締役となった。1959年(昭和34年)11月6日の株主総会で常務取締役を退任した。
織田 収(おだ おさむ、明治30年(1897年)8月15日 … 織田 収(おだ おさむ、明治30年(1897年)8月15日 - 昭和63年(1988年)3月1日)は日本の実業家、政治家、ジャーナリスト。元鳥取県会議員。 山陰のジャーナリストの大御所として、政治・経済・文化・スポーツなど幅広い分野で活動した。 鳥取県米子市東町生まれ。父・永太郎は明治37年(1904年)に『角磐日報』を創刊した米子地方におけるジャーナリズムの先駆者だった。 米子中学(現在の米子東高校)を経て大正9年(1920年)7月東亜同文書院卒業(第17期生)。大正12年(1923年)4月大阪毎日新聞社入社、新聞記者となる。 昭和7年(1932年)12月山陰日日新聞社主幹として帰郷。昭和12年(1937年)4月鳥取県会議員補欠選挙に初当選、以来戦後の昭和21年(1946年)公職追放になるまで県政に参画、昭和15年(1940年)12月大政翼賛会鳥取県支部が結成されると庶務部長に就任、昭和20年(1945年)まで翼賛運動に専念。
青戸 辰午(あおと たつご、明治30年(1897年)6月30… 青戸 辰午(あおと たつご、明治30年(1897年)6月30日 - 昭和47年(1972年)5月)は、日本の弁護士、政治家。旧名は貞吉。 鳥取県日野郡日南町出身。甚太郎の長男。 米子中学、松江中学を経て、大正7年(1918年)早大中退。昭和3年(1928年)、朝鮮において弁護士開業。昭和6年(1931年)に鳥取県米子市に移住した後も引き続き開業した。 戦前に米子市会議員を1期務め、戦後は鳥取県地方労働委員会委員、人権擁護委員、米子市選挙管理委員会委員、鳥取県人事委員会委員などに選任され、その功績により昭和37年(1962年)に藍綬褒章を授与された。 昭和47年(1972年)5月、74歳で亡くなった。
手島 栄(てしま さかえ、明治29年(1896年)12月10… 手島 栄(てしま さかえ、明治29年(1896年)12月10日 - 昭和38年(1963年)4月18日)は、日本の逓信官僚、政治家。位階は正三位。郵政大臣(第18代)、参議院議員(2期)。 鳥取県西伯郡富益村(現米子市富益町)の農家に生まれた。手島菊松の二男。 旧制米子中学校(現米子東高等学校)、第四高等学校を経て、大正11年(1922年)3月東京帝国大学法学部卒業。逓信省に入る。 昭和12年(1937年)経理局長、昭和15年(1940年)管理局長、昭和16年(1941年)航空局長官、同年10月逓信次官に任ぜられ航空局長官事務取扱を命ぜられる。昭和18年(1943年)10月退官。 戦後は実業界に入り、昭和20年(1945年)国際電気通信社長、日本郵便逓送顧問などを歴任した。
粟屋 仙吉(あわや せんきち、1893年〈明治26年〉11月… 粟屋 仙吉(あわや せんきち、1893年〈明治26年〉11月7日 - 1945年〈昭和20年〉8月6日)は、日本の内務官僚、政治家。ゴーストップ事件時の大阪府警察部長、広島市への原子爆弾投下時の広島市長として知られる。東京府士族。 鉄道官吏・粟屋頴祐(えいすけ)の二男として生まれる。父の転勤先の仙台で生まれたため「仙吉」と命名される。父は山口県出身だが、鉄道に勤務していたために転勤をくりかえし、その任地の一つとして1902年鳥取の米子に来た。 1906年鳥取県立第二中学校(現在の米子東高校)に入学し、野球と柔道に熱中した。 1911年12月林重浩校長が鳥取中学校へ転任することになった際、仙吉は生徒の先頭に立って留任運動のリーダーになった。
野坂 康久(のざか やすひさ、明治22年(1889年)6月1… 野坂 康久(のざか やすひさ、明治22年(1889年)6月18日 - 没)は、日本の実業家、政治家。旧姓稲田。洋食のレストラン“十字屋”経営主。元米子市会議員(議長)。 外交官、米子市長だった野坂康夫の祖父。弁護士・公証人雑賀愛造の実兄。戦後米子市長を務めた野坂寛治は姻戚関係にある。 鳥取県米子市出身。酒造業稲田家に生まれた。養父は野坂吉五郎。 米子中学校(現米子東高校)から大阪高等工業学校醸造科に進み、同校を明治45年(1912年)3月卒業。初めの10年程は家業に従事したが、海陸運送業、楽器販売、飲食業と、転々仕事を新たにして終戦時に及んだ。 その間昭和8年(1933年)米子商工会議所議員、昭和10年(1935年)米子市会議員に当選。
野坂 寛治(のさか かんじ、1889年(明治22年)5月2日… 野坂 寛治(のさか かんじ、1889年(明治22年)5月2日 - 1965年(昭和40年)4月1日)は、日本の政治家。米子市長、境町長、鳥取県会議員。米子市名誉市民。位階は従五位。 衆議院議員を務めた野坂茂三郎の長男。米子市長野坂康夫、康夫の祖父野坂康久とは姻戚関係にある。 米子・法勝寺町の商家(呉服商)野坂家の長男として生まれた。父は茂三郎、母はたみの。 幼い頃は乳母の手で育てられ“野坂のぼんち”で大きくなった。 野坂家が繁栄したのは父・茂三郎の代で、およそ明治20年代から大正の半ば頃に及んでいる。 1902年(明治35年)、角盤高等小学校から米子中学(現在の米子東高校)に進んだ。 1907年(明治40年)に米子中学を卒業。
大立 廉(おおだて れん、明治22年(1889年)4月 - … 大立 廉(おおだて れん、明治22年(1889年)4月 - 昭和42年(1967年)4月)は、日本の技術者、政治家。元米子製鋼所長。元成実村会議員。 鳥取県西伯郡成実村(現在の米子市)の農家に生まれた。唯次郎の長男。 米子中学(現在の米子東高校)を経て明治44年(1911年)大阪高等工業学校卒業。米子製鋼所に迎えられ、生涯ここにとどまって、技術の研究開発につとめ、製鋼業の基盤を確立した。 大立が所長になったのは、坂口豊蔵所長が没した昭和5年(1930年)頃からと思われる。そのころから、新持馨(中国電力の重役)、今井兼文(今井書店の会長)の二人と親交を結び、謡、碁、旅行などの清遊を楽しんでいる。 戦後、大立は野に帰って百姓を始めた。
矢野 晋也(やの しんや、1888年〈明治21年〉4月25日… 矢野 晋也(やの しんや、1888年〈明治21年〉4月25日 - 1948年〈昭和23年〉3月2日)は、日本の政治家、ジャーナリスト。衆議院議員(立憲政友会)。 鳥取県西伯郡米子町道笑町(現在の米子市)出身。矢野市郎兵衛の三男あるいは六男。矢野藤十郎の弟。鳥取県立米子中学校を卒業後、1906年(明治39年)より『東京日日新聞』記者となった。そのかたわら早稲田大学政治経済科で学び、1910年(明治43年)に卒業した。 その後『中央新聞』を経て、1911年(明治44年)に二六新報社に入社し、社会部長を務めた。1917年(大正6年)に政治部長に転じ、1924年(大正13年)に社長の秋田清が辞任すると、後任の社長に就任した。
斎藤 干城(さいとう かんじょう、明治18年(1885年)1… 斎藤 干城(さいとう かんじょう、明治18年(1885年)12月13日 - 昭和23年(1948年)5月18日)は、日本の医師、陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍軍医中将。鳥取県米子市長。正四位勲一等瑞宝章。 鳥取県米子市尾高町に生まれた。開業医斎藤勇夫の長男。 米子中学(現在の米子東高校)を経て大正元年(1912年)九州帝国大学医学部卒業後、熊本歩兵第13連隊軍医に任官。昭和3年(1928年)、浜田陸軍病院長に就任。昭和5年(1930年)3月、一等軍医正(大佐相当官)に昇進し豊橋陸軍病院長となる。昭和6年(1931年)8月、名古屋陸軍病院長に異動。昭和7年(1932年)12月、第12師団軍医部長となり、第3師団軍医部長に転じた。
落合 恒雄(おちあい つねお、1872年〈明治5年〉 - 1… 落合 恒雄(おちあい つねお、1872年〈明治5年〉 - 1940年〈昭和15年〉)は、日本の武道家、政治家。 鳥取県出身。米子市西町、落合甚大夫の養子。少時より剣道を修業する。米子中学校(現・米子東高校)修学。1905年、大日本武徳会教員養成所に入所、内藤高治範士の門下生となる。卒業後米子中学校(現・米子東高校)武道教員を拝命する。 1912年に師範学校、中学校教員剣道講習会において課程を修了する。1917年12月より1921年10月まで西区長として自治に尽力する。1921年9月より1927年3月まで米子町会議員として町政に参与する。1927年7月、西区長に再任。 1921年に剣道精錬証を取得、武徳会地方幹事、青年演武大会審判員となる。
湯原 俊二 は、日本の政治家。