スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月1… 西東 三鬼(さいとう さんき、1900年(明治33年)5月15日 - 1962年(昭和37年)4月1日)は、岡山県出身の日本の俳人。本名・斎藤敬直(さいとう けいちょく)。歯科医として勤める傍ら30代で俳句をはじめ、伝統俳句から離れたモダンな感性を持つ俳句で新興俳句運動の中心人物の一人として活躍。戦後は「天狼」「雷光」などに参加し「断崖」を主宰。 岡山県苫田郡津山町大字南新座(現在の津山市南新座)、父・敬止、母・登勢の四男として生まれる。家は代々漢学者の家系。1906年、父死去、以後長兄の扶養を受ける。高等小学校時代は条虫にかかり虚弱であった。1918年には当時大流行したスペイン風邪で母が死去し、東京の長兄のもとへ移住。
遠藤 仁郎(えんどう にろう、1900年2月28日 - 19… 遠藤 仁郎(えんどう にろう、1900年2月28日 - 1997年6月2日)は、日本の内科医である。青汁健康法の提唱者として知られる。 1900年(明治33年)2月28日、岡山県英田郡福本村で誕生する。津山中学校を経て、1921年(大正10年)に第三高等学校を卒業する。1925年(大正14年)に京都帝国大学医学部を卒業し、1930年(昭和5年)に『血中ビリルビン、ヒヨレステリン及胆汁酸の相互的関係に就ての臨床的並に実験的研究』で医学博士を取得する。1931年(昭和6年)に京都帝国大学講師、1932年(昭和7年)に大阪女子高等医学専門学校助教授を勤める。1934年(昭和9年)に同学校内科教授となる。
福田 邦三(ふくだ くにぞう、1896年12月20日 - 1… 福田 邦三(ふくだ くにぞう、1896年12月20日 - 1988年10月17日)は日本の生理学者である。旧名川村邦三。東京大学名誉教授、山梨大学名誉教授でもあった。実兄は川村清一と川村多実二。 岡山県津山中学校(旧制)卒業。 東京帝国大学医学部卒、1932年医学博士。論文の題は「蛙の筋が全困憊に至るまでに遊離するエネルギーに就て(英文) 」。名古屋帝国大学教授、戦後東京大学医学部教授、57年定年退官、名誉教授、のち山梨大学教授・学長。
井上 義夫(いのうえ よしお、1896年〈明治29年〉9月3… 井上 義夫(いのうえ よしお、1896年〈明治29年〉9月3日 - 1956年〈昭和31年〉6月7日)は、日本の政治家、岡山県津山市長(1期)。 岡山県東南条郡林田村(のち苫田郡林田村→津山東町、現・津山市)生まれ。旧制岡山県立津山中学校(現・岡山県立津山中学校・高等学校)卒。林田村役場に入り、収入役となり、1923年の津山東町発足後は、同町助役となる。1929年、合併により、津山市役所勤務。同市収入役、助役を経て、1955年、津山市長に当選。 市長に就任した年は岡山県は農業県から工業県への転換や町村行財政近代化による町村合併(昭和の大合併)の推進など激しい変動期に当たった。これらは国内市場の拡大や後進地域の経済振興といった高度経済成長政策に見合うものだった。
竹内 俊一(たけうち しゅんいち、1896年1月17日 - … 竹内 俊一(たけうち しゅんいち、1896年1月17日 - 1976年10月26日)は日本の実業家。三菱石油(現ENEOSホールディングス)社長・会長や、石油連盟会長を務めた。 大阪府出身。津山中学校(現岡山県立津山高等学校)を経て、1917年東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後、三菱合資会社入社。三菱商事を経て、1941年から三菱石油。 1946年三菱石油社長、1936年同会長。社長就任後、各ポストの職名を変え、責任を明確化。方針決定は、合議制で行われるように組織改編を行った。 石油連盟会長や、日経連常任理事、東京ロータリークラブ会長等も歴任。 趣味はゴルフと歌舞伎鑑賞。
武岡 鶴代(たけおか つるよ、1895年(明治28年)9月1… 武岡 鶴代(たけおか つるよ、1895年(明治28年)9月18日 - 1966年(昭和41年)9月30日)は、日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。国立音楽大学の創立メンバーの一人。 岡山県東南条郡林田(はいだ)村(現在の津山市川崎)にて、米問屋の父・安次郎、母・澤のもと、六人姉妹の六女として生まれる。岡山県津山高等女学校卒業後、1913年(大正2年)東京音楽学校予科入学。1914年(大正3年)東京音楽学校本科声楽科入学。ハンカ・ペツォルトとマルガレーテ・ネトケ=レーヴェに師事。1917年(大正6年)卒業、上真行奨励賞受賞。研究科に進み、1919年(大正8年)修了。同年5月御前演奏会に出演。同年10月、東京音楽学校「秋季演奏会」に出演、公式に楽会にデビュー。
岡本 忠(おかもと すなお、1894年9月1日 - 1955… 岡本 忠(おかもと すなお、1894年9月1日 - 1955年9月2日)は、日本の実業家。学生時代よりテニス選手として活躍し、デビスカップやオリンピックに日本代表として出場した。 岡山県赤磐郡瀬戸町大字瀬戸(現在の岡山市東区)生まれ。津山中学校(現・岡山県立津山中学校・高等学校)を経て、東京高等商業学校(現在の一橋大学)に入学。学生時代からテニス選手として活躍した。 1917年(大正6年)、東京高等商業学校を卒業し、三井物産に入社した。 1921年(大正10年)、清水善造・鳥羽貞三と共に、皇居内コートでの初の「御前試合」に参加。 1924年パリオリンピックでは、日本代表選手4人のうちの1人で、男子シングルス (singles) と男子ダブルス (doubles) で出場。
佐々木 達治郎(ささき たつじろう、1894年(明治27年)… 佐々木 達治郎(ささき たつじろう、1894年(明治27年)8月25日 - 1973年(昭和48年)10月19日)は、日本の陸軍軍人、物理学者。最終階級は陸軍少将。理学博士。 岡山県西北条郡津山町 (現津山市)出身。佐々木清十郎の長男として生まれる。津山中学校(現岡山県立津山中学校・高等学校)を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業し、同年12月、砲兵少尉に任官し野砲兵第13連隊付となる。1918年(大正7年)11月、陸軍砲工学校高等科(24期)を卒業。野砲兵第11連隊大隊副官を経て、1919年(大正8年)9月から1922年(大正11年)3月まで陸軍派遣学生として東京帝国大学理学部物理学科で学んで卒業した。
片岡 鉄兵(かたおか てっぺい、1894年(明治27年)2月… 片岡 鉄兵(かたおか てっぺい、1894年(明治27年)2月2日 - 1944年(昭和19年)12月25日)は、日本の大正・昭和前期における小説家。「鉄平」と表記されることもある。 岡山県苫田郡芳野村(現・鏡野町)に生まれる。 津山中学の同級生に矢野峰人、中山巍らがいる。中学校卒業後、第六高等学校受験に失敗、自殺を企てた。上京し、慶應義塾大学仏文科に進学したが、出席日数が不足したため中退、一時帰郷。様々な職を転々としながら小説を書き始め、各雑誌・出版社に投稿を行う。1921年『舌』などを書いて文壇に出る。山陽新報、大阪朝日新聞社、大阪時事新報の記者を務める。 1924年(大正13年)、横光利一や川端康成らと文学雑誌「文芸時代」を創刊し、創作活動のみならず評論活動や翻訳活動にも手を付けた。
花谷 正(はなや ただし、1894年(明治27年)1月5日 … 花谷 正(はなや ただし、1894年(明治27年)1月5日 - 1957年(昭和32年)8月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。奉天特務機関員として柳条湖事件(満洲事変)に関与したとされ、太平洋戦争では第55師団長としてビルマ戦線で作戦を指揮した。人物・指揮ぶりの評価は一様ではなく、統率の強硬さを問題視する見解と、作戦指揮を評価する見解が併存している。 岡山県勝田郡広戸村村長・花谷章の息子として生まれる。津山中学校、大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業し、同年12月、歩兵少尉任官。歩兵第54連隊付となる。1922年(大正11年)11月、陸軍大学校(34期)を卒業した。
中山 巍(なかやま たかし、1893年(明治26年)8月24… 中山 巍(なかやま たかし、1893年(明治26年)8月24日 - 1978年(昭和53年)5月19日)は、岡山県出身の日本の洋画家。 1893年(明治26年)8月24日、第8代岡山市長中山寛の四男として岡山県岡山市に生まれる。 1900年(明治33年)4月、岡山師範学校附属小学校入学。在学中、中堀愛作に啓発されて水彩画を描くようになる。 1900年(明治33年)、附属小学校を卒業し岡山県立津山中学校(旧制中学校)に進学。同級生に金田廉、矢野峰人、片岡鉄兵が居た。中学在学中に水彩画から油絵に移行。 1907年(明治40年)、奈良県で開かれた大下藤次郎の水彩画夏期講習会に最年少参加者として参加。翌1908年(明治41年)にも鎌倉で開かれた大下藤次郎水彩画夏期講習会へ参加している。
矢野 峰人(やの ほうじん、1893年3月11日 - 198… 矢野 峰人(やの ほうじん、1893年3月11日 - 1988年5月21日)は、日本の詩人、英文学者。本名は矢野禾積(かづみ)。 1893年、岡山県津山市で生まれた。久米北条郡大倭村(現・津山市西部)出身。幼時に父母と死別し、母方の祖母、叔父に育てられた。津山中学校(現・岡山県立津山中学校・高等学校)在学中、文学雑誌『文章世界』『秀才文壇』などに盛んに投稿。同級生に片岡鉄兵、中山巍、上級生に出隆らがいて親交があった。第三高等学校を経て、京都帝国大学文学部に進学。英文科で上田敏、厨川白村の教えを受けた。 卒業後は、第三高等学校教授に就いた。1935年、学位論文『アーノルドの文学論』を京都帝国大学に提出して文学博士号を取得。
土居 章平(どい しょうへい、1892年(明治25年)10月… 土居 章平(どい しょうへい、1892年(明治25年)10月6日 - 1978年(昭和53年)11月9日)は、日本の内務・警察官僚、弁護士。官選県知事。旧姓・八木。 岡山県西西条郡西苫田村上河原(現津山市上河原)出身。八木喜次郎の五男として生まれ、津山市一宮、叔父・土居弥之助の養子となる。津山中学校 、第六高等学校を経て、1919年、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。内務省に入省し山口県属となる。 以後、山口県警視、1923年(大正12年)4月奈良県理事官、愛知県理事官、1927年(昭和2年)2月に欧米出張を命ぜられ1929年(昭和4年)1月に帰朝し、山口県学務部長、内務省社会局事務官、同書記官、岐阜県書記官・警察部長、青森県書記官・警察部長、宮崎県書記官・内務部長、福岡県書記官・経済部長、大阪府経済部長兼大阪府工業奨励館長などを歴任。
出 隆(いで たかし、1892年〈明治25年〉3月10日 -… 出 隆(いで たかし、1892年〈明治25年〉3月10日 - 1980年〈昭和55年〉3月9日) は、日本の哲学者。 岡山県苫田郡津山町(現津山市)で、渡部惟明(元鶴山高等小学校校長)の次男として生まれる。津山中学校在学中に叔父・出道直の養子となる。第六高等学校を経て東京帝国大学卒業、大学院に入り、副手を嘱託される。1920年、日本大学および法政大学教授、1921年、東洋大学教授となる。同年刊行の『哲学以前』は哲学青年の愛読書となる。1924年、東京帝国大学助教授となり、1925年より二年間、英国、およびドイツに留学。 1928年(昭和3年)、立教大学文学部教授に就任し、哲学史(古代哲学)や哲学演習を担った。
本位田 祥男(ほんいでん よしお、1892年(明治25年)3… 本位田 祥男(ほんいでん よしお、1892年(明治25年)3月8日 - 1978年(昭和53年)11月17日)は、日本の経済学者。西洋経済史専攻。欧州経済史、殊にイギリス経済史および消費組合研究の権威者として知られ、協同組合論にも多大な貢献をもたらした。
伊賀 良一(いが りょういち、1891年(明治24年)6月9… 伊賀 良一(いが りょういち、1891年(明治24年)6月9日 - 1967年(昭和42年)7月16日)は、日本の内務官僚。 岡山県西北条郡西苫田村大字総社(苫田郡西苫田村を経て現津山市総社)出身。1913年(大正2年)、日本大学法科を卒業し、さらに東京外国語学校英語科に学んだ。同年、高等文官試験に合格。鉄道院書記を経て、茨城県警察部長、宮城県警察部長、秋田県内務部長、埼玉県内務部長を歴任した。 退官後、1932年(昭和7年)から1934年(昭和10年)まで京都市助役を務めた。 1949年(昭和24年)歌舞伎座の建物としては、第4期(1950年12月竣工、1951年1月開場)、株式会社歌舞伎座設立時、事務長に就任。
江原 万里(江原 萬里 えばら ばんり、1890年(明治23… 江原 万里(江原 萬里 えばら ばんり、1890年(明治23年)8月14日 - 1933年(昭和8年)8月7日)は、東京帝国大学教授、新渡戸稲造及び内村鑑三の門下生で無教会伝道者であった。 岡山県北部の津山に生まれる。父は津山藩士、母方の祖父は赤穂藩士であった。 第一高等学校に在学中、無教会派の伝道者でもあった内村鑑三の講義を聞き、キリスト教に入信する。東京帝国大学政治学科に在学中に、内村鑑三の弟子らによる集まりである柏会に参加する。帝大卒業後1915年(大正4年)に、住友総本店に入社する。1918年(大正7年)に、柏会での友人黒崎幸吉(聖書学者)の妹・黒崎祝と結婚する。 1921年(大正10年)に住友を退職して、東京帝国大学経済学部教授になる。
黒田 正利(くろだ まさとし、1890年 - 1973年)は… 黒田 正利(くろだ まさとし、1890年 - 1973年)は、イタリア文学者。 京都帝国大学英文科卒。1949年「Dante(ダンテ)の詩に関するManifesto(マニフエスト)」で京都大学文学博士。戦後、京都学芸大学教授、龍谷大学教授を務めた。
太田 泰治(おおた たいじ、1887年1月25日 - 196… 太田 泰治(おおた たいじ、1887年1月25日 - 1960年2月12日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。 岡山県出身。太田吉三郎の二男として生れる。岡山津山中学校を経て、1909年11月、海軍兵学校(37期)を卒業し、翌年12月、海軍少尉任官。1916年12月、海軍砲術学校高等科を卒業し、以後、「薩摩」「浅間」「扶桑」の各分隊長、「澤風」砲術長、東郷平八郎元帥付副官、「三日月」「初雪」の各駆逐艦長、横須賀鎮守府参謀、海軍省軍務局員などを経て、1926年6月から翌年1月にかけて欧米に出張した。 人事局員(第1課)、「加古」「榛名」の各副長、運送艦「洲埼」・「大井」・「浅間」の各艦長、軍務局第2課長などを歴任し、1936年12月、海軍少将に進級した。
美土路 昌一(みどろ ますいち、1886年(明治19年)7月… 美土路 昌一(みどろ ますいち、1886年(明治19年)7月16日 - 1973年(昭和48年)5月11日)は、日本のジャーナリスト、実業家。全日本空輸初代社長、朝日新聞社社長を歴任した。号は春泥。 岡山県苫田郡一宮村(現・津山市)に所在する中山神社の社家の長男として生まれる。 津山中学校(現岡山県立津山高等学校)を卒業し、早稲田大学英文科に進むが、家計が苦しくなったため、早稲田を中退。つてをたどって、1908年1月東京朝日新聞社に入社。社会部員となる。1910年、飛行機の日本初飛行を取材したことで、空への関心が芽生える。 1914年8月に日本が第一次世界大戦に参戦すると、従軍記者として青島攻囲軍に参加。
島田 茂(しまだ しげる、1885年9月22日 - 1953… 島田 茂(しまだ しげる、1885年9月22日 - 1953年9月26日)は、昭和時代の日本の大蔵省官僚。台湾銀行頭取。 岡山県出身。旧制津山中学校卒業。東京帝国大学卒業後、大蔵省入省。書記官、特別銀行課長等を経て、1927年に台湾銀行頭取となり、昭和金融恐慌で休業に陥った同行の再建にあたった。1934年に帝人事件で逮捕され辞職した。
菅 實(かん みのる、1884年? - 1946年(昭和21… 菅 實(かん みのる、1884年? - 1946年(昭和21年))は、日本の医師、政治家。新字体にて菅 実(かん みのる)と表記されることもある。菅納家重の子。第94代内閣総理大臣菅直人の祖父。 久米郡医師会会長、久米郡会議員などを歴任した。 岡山県出身。生家は江戸時代には村の庄屋を務めており、元は豪族であった。 旧制岡山県津山中学校(現・岡山県立津山高等学校)を経て岡山医学専門学校を卒業し、医師となる。岡山県病院で研修の後、1911年(明治44年)に津山市内で開業。1913年(大正2年)に郷里に戻って医業を続け、久米郡医師会長、郡会議員などを歴任。囲碁、俳諧の趣味も楽しみ、1946年(昭和21年)に62歳で死去。
広瀬 哲士(ひろせ てつし、1883年〈明治16年〉9月9日… 広瀬 哲士(ひろせ てつし、1883年〈明治16年〉9月9日 - 1952年〈昭和27年〉7月26日)は、日本のフランス文学者。慶應義塾大学教授。岡山県津山市出身。 1883年(明治16年)岡山県勝田郡河辺村瓜生原(現:津山市瓜生原)にて出生する。生家は、曽祖父に書家で有名な広瀬台山がいる。地元の旧制岡山県津山尋常中学(現:岡山県立津山高等学校)へ1期生として入学する。1900年(明治33年)に同校を卒業し、その後、東京にある旧制第一高等学校へ進学する。1904年(明治37年)7月に同校を卒業する。 この後、同年、東京帝国大学文科大学へ進学し、東大ではフランス語を専攻、1907年(明治40年)7月に同大学を卒業した。
川村 多実二(かわむら たみじ、1883年5月4日 - 19… 川村 多実二(かわむら たみじ、1883年5月4日 - 1964年12月16日)は、日本の動物学者。岡山県津山市出身。河川・湖沼を含む淡水域の生物学を創始。動物生態学や動物心理学などが研究の中心で、多くの研究者を育成したが、一般には鳥類の研究でより知られている。日本野鳥の会京都支部初代支部長でもあり、京都大学総合博物館や大阪市立自然史博物館には、川村が収集した日本周辺産と北米産の鳥類コレクションなどが所蔵されている。実兄は植物学者(キノコが中心)の川村清一。実弟は生理学者の福田邦三。 日本陸水学会の第2代会長も務め、名誉会員にもなっている。なお「陸水」という言葉は、海水を除く湖水や河水、地下水などの総称として川村が提唱した造語である。
川村 清一 (かわむら せいいち、1881年5月11日 - … 川村 清一 (かわむら せいいち、1881年5月11日 - 1946年3月11日)は日本の菌類分類学者。実弟は生物学者の川村多実二と生理学者の福田邦三。義兄は出隆。孫は建築家の川村純一。 岡山県津山市出身。旧制津山中学校卒業。日本における菌類分類学研究の草分けで、東京帝国大学理学部植物学科を卒業し、帝室林野局を経て千葉高等園芸学校(現・千葉大学)教授に就任。松戸市辺りに分布する菌類相の調査・研究を行った。代表著作に「原色日本菌類図鑑」がある。「牧野日本植物図鑑」中の菌類各種を執筆したことでも知られる。 著作の一部はデジタル化され、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。
石田 誠(いしだ まこと、1881年〈明治14年〉- 195… 石田 誠(いしだ まこと、1881年〈明治14年〉- 1959年〈昭和34年〉)は、日本の細菌学者、耳鼻咽喉科医師、富田浜病院初代院長。妻の石田マサヲについても記述する。 岡山県苫田郡奥津村細田生まれ。旧制津山中学校・関西中学校を経て、1896年(明治29年)に上京して第一高等学校独法科に入学したが、翌年胸部を患い、北里療養所に入院した。その後、郷里の兵庫県赤穂市で静養を続けた。その後、1901年(明治34年)に京都府立医学専門学校へ入学して、1907年(明治40年)に卒業して医師免許を得た。 その後、京都帝国大学医学部へ入学し、京都帝国大学の耳鼻咽喉科で和辻春次教授の指導を受けて、細菌学や血清学の研究に従事した。
春日 政治(かすが まさじ、1878年4月1日 – 1962… 春日 政治(かすが まさじ、1878年4月1日 – 1962年6月30日)は、日本の国語学者。平安時代初期の古経典から仮名や古訓点の研究に業績を残し、訓点語学の基礎を築いた。
田岡 嶺雲(たおか れいうん、明治3年10月28日(1870… 田岡 嶺雲(たおか れいうん、明治3年10月28日(1870年11月21日) - 大正元年(1912年)9月7日)は、近代日本の文芸評論・思想家。本名は佐代治。
菊池 謙二郎(きくち けんじろう、1867年2月23日(慶応… 菊池 謙二郎(きくち けんじろう、1867年2月23日(慶応3年1月19日) - 1945年(昭和20年)2月3日)は、日本の教育者、歴史研究者。号は仙湖。正岡子規、秋山真之、夏目漱石らとの交友、藤田東湖を中心とした水戸学の研究で知られ、衆議院議員も務めた。
太田原 豊一 は、日本の衛生学者である。
大塚 芳忠 は、日本の男性声優、ナレーター。岡山県苫田郡阿波… 大塚 芳忠 は、日本の男性声優、ナレーター。岡山県苫田郡阿波村(現在の津山市阿波)出身。クレイジーボックス所属。