榊 素寛(さかき もとひろ、1976年 - )は、日本の法学… 榊 素寛(さかき もとひろ、1976年 - )は、日本の法学者。専門は商法、特に保険法、運送法。神戸大学教授。落合誠一門下。
熊本県立熊本高等学校:41人
榊 素寛(さかき もとひろ、1976年 - )は、日本の法学… 榊 素寛(さかき もとひろ、1976年 - )は、日本の法学者。専門は商法、特に保険法、運送法。神戸大学教授。落合誠一門下。
向山 昌利(むこうやま まさとし、1975年5月20日 - … 向山 昌利(むこうやま まさとし、1975年5月20日 - )は、日本の元ラグビー選手であり、大学教員。現役引退後に同志社大学大学院スポーツ健康科学研究科修士課程修了 修士(スポーツ健康科学)、同志社大学大学院総合政策科学研究科博士後期課程 中退、びわこ学院大学教育福祉学部スポーツ教育学科講師を経て、流通経済大学スポーツ健康科学部 大学院 スポーツ健康科学研究科 准教授を経て、現在、中央大学文学部 准教授 1994年、熊本高校卒業後、同志社大学に入学する。 1997年、同志社大学ラグビー部の主将に就任した。 1998年、同志社大学卒業後、ワールド(現・ワールドファイティングブル)に加入。 2003年、NECグリーンロケッツに加入。
松村 圭一郎(まつむら けいいちろう、1975年〈昭和50年… 松村 圭一郎(まつむら けいいちろう、1975年〈昭和50年〉- )は、日本の文化人類学者、岡山大学准教授。 熊本県生まれ。熊本県立熊本高等学校、京都大学総合人間学部卒業。 2005年(平成17年)京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了、「土地所有と富の分配をめぐる人類学的研究 エチオピア西南部・コーヒー栽培農村の事例から」で博士(人間・環境学)の学位を取得。 2015年(平成27年)岡山大学大学院社会文化科学研究科・文学部准教授となる。 2018年(平成28年)『うしろめたさの人類学』で毎日出版文化賞特別賞受賞。専門は文化人類学。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークを続け、富の所有や分配、貧困と開発援助、海外出稼ぎなどについて研究。
河野 哲也(こうの てつや、1963年 - )は日本の哲学者… 河野 哲也(こうの てつや、1963年 - )は日本の哲学者。立教大学文学部教育学科教授。専門は心の哲学、現象学、倫理学、応用倫理学(ビジネス倫理、科学技術倫理)、倫理教育)
大森 賢治(おおもり けんじ、1962年11月10日 - )… 大森 賢治(おおもり けんじ、1962年11月10日 - )は、日本の物理学者、化学者。自然科学研究機構分子科学研究所教授。熊本市出身。 光と物質の量子力学的な相互作用の観測と制御、およびその工学応用に関する研究を行っている。これまでに、分子の中の量子力学的な物質波が描く時空間模様をフェムト秒ピコメートルの精度でデザインし可視化することに成功している[1, 2]。またこの技術を応用して、1個の分子でスーパーコンピューターの1,000倍以上の速さで計算する分子コンピューターを開発した[3, 4]。さらに、絶対零度近くの極低温原子とアト秒精度の超高速コヒーレント制御を組み合わせるという全く新しい発想で、量子多体系の非平衡ダイナミクスを1ナノ秒でシミュレートする超高速量子シミュレータの開発に成功した[5]。
後藤 雅宏(ごとう まさひろ、1961年8月10日 - ) … 後藤 雅宏(ごとう まさひろ、1961年8月10日 - ) は、日本の化学工学者。九州大学大学院工学研究院主幹教授、日本膜学会会長。元日本溶媒抽出学会会長。 1980年熊本県立熊本高等学校卒業。1984年九州大学工学部合成化学科卒業。1986年九州大学大学院工学研究科合成化学専攻修士課程修了。1989年九州大学大学院工学研究科合成化学専攻博士課程修了、工学博士、日本学術振興会特別研究員。1990年九州大学工学部合成化学科助教授。1994年マサチューセッツ工科大学留学。2000年化学工学会九州支部若手エンジニア連絡会会長。2001年九州大学大学院工学研究院応用化学部門教授、科学技術振興機構さきがけ21研究者。
藤本 由香里(ふじもと ゆかり、1959年8月13日 - )… 藤本 由香里(ふじもと ゆかり、1959年8月13日 - )は、熊本県に生まれ育った漫画研究家、明治大学国際日本学部教授。元筑摩書房編集者。 マンガ評論や、女性のセクシュアリティ(いわゆるジェンダー論)、家族論、あるいは時事問題を扱う評論家、作家、性(セックス)の研究も行なうリベラル・フェミニスト。文化庁芸術選奨推薦委員。国立国会図書館納本制度審議会委員。「東京都青少年健全育成条例改正を考える会」(同条例反対派団体)代表。自称・風俗評論家として白藤 花夜子(しらふじ かやこ)という別名がある。 編集者として手がけた書籍として『レイプ・男からの発言』(1988年)、『発情装置』(1998年)、『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(2000年)、『竹宮惠子のマンガ教室』(2001年)、など多数ある。
松薗 斉(まつぞの ひとし、1958年5月5日 - )は、日… 松薗 斉(まつぞの ひとし、1958年5月5日 - )は、日本の中世史研究者、愛知学院大学教授。 東京都生まれ。熊本県立熊本高等学校卒業、1981年九州大学文学部国史学科卒業、1988年同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。九州大学文学部国史学研究室を経て、1991年愛知学院大学文学部講師となり、1995年助教授、2002年教授。1998年「日記の家 中世国家の記録組織」で九州大学より博士(文学)の学位を取得。2018年4月より2020年3月まで文学部長。2020年4月より図書館情報センター長。
佐竹 健治(さたけ けんじ、1958年 - )は、日本の地震… 佐竹 健治(さたけ けんじ、1958年 - )は、日本の地震学者。東京大学名誉教授。東京大学地震研究所教授・所長を歴任。沈み込みと津波の研究に大きく貢献した。
永江 知文(ながえ ともふみ、1958年 - )は、日本の物… 永江 知文(ながえ ともふみ、1958年 - )は、日本の物理学者。専門はハドロン物理学、原子核物理学。京都大学名誉教授。第75・76期日本物理学会会長。理学博士。 1958年、熊本県八代市にて生まれた。1977年に熊本県立熊本高等学校を卒業した。1981年に東京大学理学部物理学科を卒業し、1986年に同大学院理学研究科の博士課程を修了した。東京大学の助手、東京大学原子核研究所(1997年より高エネルギー加速器研究機構)の助教授・教授を経て、2007年より京都大学の教授に着任した。2019年より2年間、第75・76期日本物理学会会長を務めた。また、核物理懇談会核物理委員長を務めた。2024年に京都大学を定年退職し、同大学および高エネルギー加速器研究機構の名誉教授となった。
守田優(もりた まさる、1953年2月23日 - )は、日… 守田優(もりた まさる、1953年2月23日 - )は、日本の水文学者、芝浦工業大学名誉教授。 熊本県熊本市に生まれる。熊本県立熊本高等学校を経て、1976年東京大学工学部土木工学科卒業。1978年同大学大学院修士課程修了、1986年7月「線形応答系としての被圧地下水位変動の解析とその地下水管理への応用に関する基礎的研究」で工学博士(東京大学)。 1978年東京都土木技術研究所にて地盤沈下、地下水、都市河川の研究に従事する。1987年芝浦工業大学講師、1990年同助教授、1996年同教授。芝浦工業大学副学長を務め、2021年退任。
山室 信一(やまむろ しんいち、1951年(昭和26年)8月… 山室 信一(やまむろ しんいち、1951年(昭和26年)8月23日 - )は、日本の歴史学者・政治学者。専門は、近代日本政治史・近代法政思想連鎖史。京都大学名誉教授。「憲法9条京都の会」世話人。 1951年、熊本県熊本市で生まれた。1970年に熊本県立熊本高等学校を卒業し、東京大学法学部政治学科に進んだ。1975年に同大学を卒業。 1975年4月、衆議院法制局参事となった。1978年4月、東京大学社会科学研究所助手に採用された。1983年、東北大学文学部附属日本文化研究施設講師に転じた。1985年に助教授昇格。翌1986年に京都大学人文科学研究所助教授となった。 1998年5月、同教授に昇格。2003年、学位論文『思想課題としてのアジア:基軸・連鎖・投企』を京都大学に提出して法学博士号を取得。
芹川 洋一(せりかわ よういち、1950年4月22日~ )は… 芹川 洋一(せりかわ よういち、1950年4月22日~ )は、日本の政治ジャーナリスト、日本経済新聞社客員編集委員、日本生産性本部上席フェロー、東海大学客員教授。 1950年4月22日、熊本県熊本市生まれ、熊本市立白川中学校卒業、69年熊本県立熊本高校卒業。1975年東京大学法学部政治コース、76年公法コース卒業、同大学新聞研究所修了。 76年日本経済新聞社に入社、静岡支局に配属。79年~2005年政治部所属、編集委員、次長、政治部長(01年~05年)。06年~08年大阪編集長などを経て、11年論説委員長、16年論説主幹、18年論説フェロー、24年客員編集委員。 BSテレ東番組『NIKKEI日曜サロン』キャスター(18年10月~24年3月) 19年度日本記者クラブ賞受賞[1] 1.2019年4月26日日経https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44259300W9A420C1CR8000/ 2.日経BOOKプラス https://bookplus.nikkei.com/atcl/catalog/23/08/04/00940/ 3.NIKKEI 150th KEY PERSONS https://www.nikkei.co.jp/nikkeiinfo/about/ourhistory/key-persons/toshie-obama.html
下斗米 伸夫(しもとまい のぶお、1948年11月3日 - … 下斗米 伸夫(しもとまい のぶお、1948年11月3日 - )は、日本の政治学者。法学博士(東京大学・課程博士・1978年)。法政大学名誉教授。専攻は、比較政治、ロシア・CIS政治、ソ連政治史。「旧ソ連・ロシア研究の第一人者」、「ロシア政治研究の第一人者」と称される。 1948年、北海道札幌市生まれ。熊本県立熊本高等学校を経て、1971年に東京大学法学部を卒業。東京大学大学院法学政治学研究科修士課程に進学し、渓内謙に師事した。1978年に、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。法学博士。学位論文は「ソビエト労働組合(1925年-1928年)伝達紐帯の政治構造」。 同年、成蹊大学法学部専任講師に就任し、1985年、同大学法学部教授を経て、1988年から2019年まで法政大学法学部教授。
松永 澄夫(まつなが すみお、1947年12月4日 - )は… 松永 澄夫(まつなが すみお、1947年12月4日 - )は、日本の哲学者、東京大学名誉教授。専攻はフランス哲学、言語論、社会哲学。 熊本県出身。熊本県立熊本高等学校から1966年東京大学理科一類入学、1968年理学部生物化学科進学、1970年文学部哲学専修課程転学、1971年同卒業、1973年同大学院人文科学研究科修士課程修了、1975年博士課程中途退学、関東学院大学文学部専任講師、1978年助教授、1979年九州大学教養部助教授、1985年東京大学文学部助教授、1993年教授、2010年定年を前に退任、立正大学文学部哲学科教授。2018年同大学を退任。 2008年共編『哲学の歴史』で毎日出版文化賞受賞。
野島 一彦(のじま かずひこ、1947年5月 - )は、日本… 野島 一彦(のじま かずひこ、1947年5月 - )は、日本の臨床心理学者。臨床心理士・公認心理師・日本集団精神療法学会認定グループサイコセラピスト / スーパーバイザー。博士(教育心理学)(九州大学)。九州大学名誉教授。元日本心理臨床学会理事長。 九州大学村山正治門下。専門は来談者中心療法と、エンカウンター・グループ。 エンカウンター・グループの実践と研究を長年にわたって続けている(東の國分・西の野島と称されることもある)。その経験から、エンカウンター・グループのファシリテーター論を展開し、その成果は『エンカウンター・グループのファシリテーション』(ナカニシヤ出版)にまとめられた。なお、エンカウンター・グループに関しては、指導するゼミ生による研究も盛んで、九州大学心理学研究、九州大学心理臨床研究にほぼ毎号掲載されている。
西田 典之(にしだ のりゆき、1947年〈昭和22年〉3月2… 西田 典之(にしだ のりゆき、1947年〈昭和22年〉3月2日 - 2013年〈平成25年〉6月14日)は、日本の法学者。専攻は刑法。東京大学名誉教授。熊本県熊本市出身。 元日本刑法学会理事長。平野龍一門下。 元々は九州大学を志望していたが、両親の希望に沿い東京大学文科I類に入学。在学中に司法試験に合格し、卒業後は弁護士になるつもりであったが、大学側から誘いがあったため、研究者として大学に残ることを選択した。 2013年6月14日、心不全のため死去。66歳没。 その刑法学説は、師の平野と同じく結果無価値論を基本とする。出世作は、後掲『共犯と身分』である。この点に関し、判例は、刑法65条1項を真正身分犯についての規定、2項を不真正身分犯についての規定と解していたが、平野は真正身分は違法身分であるから連帯的に作用し、不真正身分犯は責任身分であるから個別的に作用すると解していた。
大浜 啓吉(おおはま けいきち、1946年 - )は、日本の… 大浜 啓吉(おおはま けいきち、1946年 - )は、日本の法学者。専門は行政法。学位は、法学博士(学位論文「アメリカにおけるルールメイキングの研究」)。早稲田大学政治経済学術院教授を経て、早稲田大学名誉教授。高柳信一門下。 熊本市出身。熊本県立熊本高等学校を経て、早稲田大学第一法学部卒業。早稲田大学大学院政治学研究科博士前期課程修了(政治学修士)。その後、高柳信一東京大学名誉教授の知己を得て専修大学大学院に学び、「アメリカにおけるルールメイキングの研究」で法学博士の学位を取得。主査:高柳信一(東京大学名誉教授)、副査:小林直樹(東京大学名誉教授)、副査:石村善助(東京都立大学名誉教授)。 法学博士号取得後、専修大学専任講師、助教授を歴任し、1992年に早稲田大学政治経済学術院教授に就任。
渡邉 貴介(わたなべ たかすけ、1943年(昭和18年)1月… 渡邉 貴介(わたなべ たかすけ、1943年(昭和18年)1月2日 - 2001年(平成13年)8月18日)は、日本の観光計画、リゾート計画、都市計画、地域計画、国土計画の専門家で、都市計画家、観光学者。東京工業大学大学院情報理工学研究科教授。工学博士。 熊本市の出身。熊本県立熊本高等学校から東京大学工学部都市工学科に進み、学科の第一期卒業生となる。その後同大大学院修士課程修了後、1971年に博士課程を満期退学(1976年、工学博士の学位を東京大学より取得)。1971年4月より東京工業大学工学部助手。1973年4月から1976年10月までラック計画研究所に所属した後、1976年11月に東京大学講師となり大学に復帰。
松尾 光伸(まつお みつのぶ、または、こうしん、1943年 … 松尾 光伸(まつお みつのぶ、または、こうしん、1943年 - )は日本の彫刻家、基礎造形研究家、中国中央美術学院教授、中国清華大学美術学院彫塑学科客座教授。熊本県出身。東京藝術大学美術学部卒。 柳宗理に師事。東京南画廊にて楕円形をモチーフとした作品で第一回個展を開催、作品が文化庁買上げ(東京国立近代美術館収蔵)となる。文化庁芸術家在外研修員、ハーバード大学視覚芸術センター客員芸術家。 日中両国で、造形教育及び医療福祉に活用可能な『情報造形(INFORMART)』の特許を取得し、 普及事業の実施を開始 中国清華大学芸術博物館前庭に『歴史の輪』を設置 オランダで財団法人《Matsuo Form Art 》を設立 中国深圳第二回琵鷺杯公共芸術精鋭展にて『里・外 夜間』を発表 日本基礎造形学会名誉会員に任命される 中国河南省鄭州国際彫塑公園に『繁衍』を設置 『繁衍』鄭州国際彫塑公園(河南省) 福井・滋賀・三重市民活動フォーラムʻ98(三重県)実行委員長 ヘルスケアアートフォーラム東海イン四日市実行委員長横浜市磯子区公会堂緞帳を障害を持つ画家の原画で構成監修国際バリアフリーアート2000カレンダー発行(2009年迄10回発行) 国際バリアフリーアートサミット展(福岡・宮崎・沖縄) 主宰 バリアフリーアート中国交流展(ウェファン市図書館)主宰みえ健康福祉フェスタ企画プロデュース 水俣国際エコ・バリアフリーカイトフェスタ企画プロデュース 中国美術系教育機関での基礎造形及び抽象造形についての指導、教諭を本格的に実施 造形言語と基礎造形への応用》を発表 オランダで財団法人《Matsuo Form Art 》を設立 日本基礎造形学会名誉会員に任命される
青山 武憲(あおやま たけのり、1942年11月13日 - … 青山 武憲(あおやま たけのり、1942年11月13日 - )は、日本の法学者。元日本大学法学部教授。専門は憲法。
相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日… 相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日本の中国研究者、福岡教育大学名誉教授。
添島 義和(そえじま よしかず、1936年12月28日、熊本… 添島 義和(そえじま よしかず、1936年12月28日、熊本県玉名郡長洲町-2010年10月2日)は日本の歯科医師、歯学者、開業医。元東京歯科大学臨床教授、元日本口腔インプラント学会副会長・九州支部会長・第37回大会長、元日本審美歯科協会会長(初代)、元九州インプラント研究会会長。 熊本県立熊本高等学校、東京歯科大学卒業後、九州大学医学部歯科口腔外科、熊本大学医学部第一解剖学教室を経て開業。1974年、熊本大学にて医学博士を取得した。 歯科インプラント学の分野で知られる。松元教貢は、日本における即時過重インプラントのパイオニアは、1990年頃より即時加重治療を行っていた添島をおいて他にはいないとしている。
浦田 賢治(うらた けんじ、1935年2月25日 - )は、… 浦田 賢治(うらた けんじ、1935年2月25日 - )は、日本の法学者。専門は憲法。早稲田大学名誉教授。憲法学舎主宰。熊本県葦北郡佐敷町(現在の芦北町)出身。
岩﨑 一生(いわさき かずお、1935年 - )は、日本の法… 岩﨑 一生(いわさき かずお、1935年 - )は、日本の法学者・仲裁人。専門は国際私法。名古屋大学名誉教授。立命館大学教授、名古屋大学教授、ニューヨーク大学・ロー・スクールフルブライト上級研究員、モナシュ大学客員教授等を歴任。 熊本県熊本市出身。熊本県立熊本高等学校を経て、1959年一橋大学法学部卒業、三井金属鉱業株式会社入社。 京セラ株式会社、ネッスル日本株式会社を経て、1979年愛媛大学法文学部助教授。1981年から1982年までニューヨーク大学・ロー・スクールフルブライト上級研究員。1985年から1986年までモナシュ大学法科大学院客員教授。1985年愛媛大学法文学部教授。1988年立命館大学国際関係学部教授。
渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 20… 渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 2022年12月25日)は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。幕末・明治期の異邦人の訪日記を網羅した『逝きし世の面影』が著名。 日活映画の活動弁士であった父・次郎と母・かね子の子として京都府紀伊郡深草町(現:京都市伏見区深草)に生まれる。誕生日は8月1日となっているが、これは出生届の提出時に父が間違えたもので、実際の誕生は9月1日という。 1938年(昭和13年)、当時大陸で映画館の支配人をしていた父を追って中華民国・北京に移住、その二年後に大連に移り、南山麓小学校から大連第一中学校へ進む。1947年(昭和22年)、大連から日本に引揚げ、戦災で母の実家が身を寄せていた菩提寺の六畳間に寄寓する。
蟻田 功(ありた いさお、1926年5月15日 - 2023… 蟻田 功(ありた いさお、1926年5月15日 - 2023年3月17日)は、日本の医学者。天然痘の撲滅に尽力した。 熊本県熊本市生まれ。旧制熊本中学、熊本医科大学(現・熊本大学医学部)卒業。 臨床医を経て、1950年に厚生省(現・厚生労働省)に医系技官として入省した。 1962年からWHOアフリカ事務局員としてリベリアに赴任し、天然痘の対策に尽力した。 1977年にはWHOの世界天然痘根絶対策本部長に就任。最後の流行地ソマリアでは紛争の中ワクチン接種を続け、1980年の天然痘根絶宣言につなげた。 1985年に帰国後、国立熊本病院(現・国立病院機構熊本医療センター)院長に就いた。 1988年に日本国際賞を受賞している。
谷川 道雄(たにがわ みちお、1925年12月2日 - 20… 谷川 道雄(たにがわ みちお、1925年12月2日 - 2013年6月7日)は、日本の東洋史学者、京都大学名誉教授。民俗学者谷川健一、詩人谷川雁は兄。弟に日本エディタースクール創設者の吉田公彦。 熊本県水俣市生まれ。水俣小学校、熊本県立熊本中学校(現:熊本県立熊本高等学校)、大阪府立浪速高等学校を経て、1945年、京都帝国大学文学部史学科に進学。兵役を挟んで、1948年9月卒業。同年京都大学大学院に入学し、その旁ら京都府立亀岡高等学校、京都府立洛北高等学校で教鞭も執る。 1952年11月に名古屋大学文学部助手(主任:宇都宮清吉)。1954年6月、京都大学大学院を退学する。名古屋大学文学部助教授を経て、1972年、名古屋大学文学部教授。
谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2… 谷川 健一(たにがわ けんいち、1921年7月28日 - 2013年8月24日)は、日本の民俗学者・地名学者・作家・歌人。近畿大学教授・日本地名研究所所長等を歴任。2007年文化功労者選出。 在野の学者として日本文学や民俗学の研究をおこない多くの研究書を著した。日本文学の源流を沖縄・鹿児島などの謡にもとめた「南島文学発生論」などの業績をあげた。 1921年、熊本県水俣で六人兄弟の長男として生まれた。熊本中学、浪速高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部に進学。しかし東京大学入学後、結核を患い、各地の療養所を転々とした。大学ではフランス文学専攻で学び、卒業。 30歳を過ぎた頃より編集者として平凡社に勤務、『風土記日本』(1957-60年)、『日本残酷物語』(1959-61年)などを企画・編集し、1963年創刊の『太陽』初代編集長を務めた。
平野 龍一(ひらの りゅういち、1920年〈大正9年〉9月2… 平野 龍一(ひらの りゅういち、1920年〈大正9年〉9月29日 - 2004年〈平成16年〉7月16日)は、日本の法学者。専門は刑事法。学位は、法学博士(東京大学、1962年〈昭和37年〉、学位論文は「刑事訴訟法」)。東京大学名誉教授。元東京大学総長。日本学士院会員。勲一等瑞宝章受章。文化功労者。熊本県熊本市出身。 父は鹿本選出の県会議員、のち熊本市長の平野龍起。同郷(熊本県鹿本町来民)の内閣総理大臣清浦奎吾(内務官僚、検事、司法次官、司法大臣、総理大臣、戦前の刑事訴訟法策定)の影響を受け、刑事法研究の世界に入り、小野清一郎に師事する。その後、アメリカ合衆国に留学。 かつて自著で「欧米の裁判所は有罪か無罪かを判断する所であるのに対して、日本の裁判所は有罪を認定するだけの所である」という痛烈な司法行政批判を行った事がある。
玉城 康四郎(たまき こうしろう、1915年 <大正4年> … 玉城 康四郎(たまき こうしろう、1915年 <大正4年> 7月29日 - 1999年 <平成11年> 1月14日)は、日本の仏教学者。東京大学名誉教授。世界各地の宗教を研究した。位階は従四位。 熊本県熊本市の浄土真宗の門徒の家に生まれ、熊本中学校卒。高校時代から禅、真宗の師につく。1936年第五高等学校(現・熊本大学)卒、1940年東京帝国大学文学部印度哲学科卒業、大学院に進む。1942年10月召集を受け、敗戦を迎えて熊本の専門学校で教えたあと、1951年再上京し大学院に復帰。 1954年東洋大学文学部勤務。1959年「天台実相観における心の捉え方の問題」で東京大学より文学博士の学位を取得。同年東京大学文学部印度哲学科助教授、1964年教授、1976年定年退官、名誉教授、東北大学教授。
内藤 寿七郎(ないとう じゅしちろう、1906年10月23日… 内藤 寿七郎(ないとう じゅしちろう、1906年10月23日 - 2007年12月12日)は、日本の医学者、小児科医。元日本小児科医会名誉会長、日本小児科医会の初代会長。「育児の神様」と称された。 東京都生まれ。熊本県立熊本中学校(現 熊本県立熊本高等学校)、官立第五高等学校を経て、1931年に東京帝国大学(現 東京大学)医学部を卒業。同大学小児科教室勤務を経て、日本赤十字社中央病院小児科部長。1956年、愛育病院院長ならびに愛育研究所所長に就任。1968年、藍綬褒章。1984年、日本小児科医会初代会長、日本医師会最高優秀功労賞。1985年、毎日出版文化賞。1986年、国際小児科学会賞。1992年、日本人として初めてシュバイツァー博愛賞を受賞。
松前 重義(まつまえ しげよし、1901年(明治34年)10… 松前 重義(まつまえ しげよし、1901年(明治34年)10月24日 - 1991年(平成3年)8月25日)は、日本の逓信官僚、政治家、工学者、教育者。学位は工学博士(東北帝国大学・1937年)。熊本県出身。東海大学創立者。内村鑑三を師とするクリスチャン。 戦前は逓信官僚として新体制運動に加わり大政翼賛会総務部長、戦後は逓信院総裁(逓信大臣・郵政大臣相当)、社会党右派の衆議院議員を務め、ソ連との友好親善に尽力した。静岡市名誉市民。 熊本県上益城郡嘉島町生まれ。合併前の大島村で村長を務めた松前集義が父である。祖父松前熊太郎、曾祖父松前叶は熊本藩士。小学5年生のとき熊本市に移った際、故郷の農村と違って夕方になると町中に一斉に電灯がともるのを見て美しさに驚き、これがのちに電気を専攻するきっかけとなった。
古賀 逸策(こが いっさく、1899年〈明治32年〉12月5… 古賀 逸策(こが いっさく、1899年〈明治32年〉12月5日 - 1982年〈昭和57年〉9月2日)は、日本の電気通信工学者。東京工業大学および東京大学名誉教授。 佐賀県三養基郡田代村(現・鳥栖市)生まれ。熊本中学校、第五高等学校、東京帝国大学卒業。東京工業大学、東京大学の教授を歴任し、東京工業大学及び東京大学名誉教授。東京大学を退官してからは国際電信電話に移籍し研究職を続けた。 水晶結晶(クォーツ)を用いた圧電効果の研究が多くある。無線通信に用いる水晶振動子において温度変化の影響を受けない水晶振動子を開発し、さらに分周器(プリスケーラ)を発明し日本初のクォーツ時計を製作するなど現在の水晶振動子利用の基礎を築いた。
末延三次(すえのぶ さんじ、1899年 <明治32年> 12… 末延三次(すえのぶ さんじ、1899年 <明治32年> 12月5日 - 1989年 <平成元年> 7月24日)は、日本の法学者。専門は英米法。学位は法学博士。東京大学名誉教授。立教大学法学部元教授。末延道成の養子(旧姓・平井)。日本学士院会員。末延財団設立者、同初代理事長。位階は正四位。土方寧、高柳賢三に師事。弟子に海原文雄、伊藤正己、土屋喜平、大木雅夫、田中英夫など。 熊本県熊本市西唐人町の坪井川沿いで蝋燭・マッチ商を営んでいた平井茂八の三男として生まれる。五高、東京帝国大学を出て、東京帝国大学助手を経て助教授となり、1928年英国留学、ケンブリッジ大学で学んだのち渡米し、イエール大学、ハーバード大学で研究。
本田 正次(ほんだ まさじ、1897年1月20日 - 198… 本田 正次(ほんだ まさじ、1897年1月20日 - 1984年7月1日)は、日本の植物学者。東京大学名誉教授。昭和天皇の植物研究の相手も務め、伊豆や那須に同行した。熊本県熊本市出身。 1897年(明治30年)1月20日、熊本県熊本市に生まれた。熊本県立熊本中学校、第五高等学校を経て、1921年(大正10年)5月に東京帝国大学理学部植物学科を卒業し、同時に東京帝国大学助手に任じられた。 1931年(昭和6年)3月に博士(理学)の学位を授与され、1934年(昭和9年)4月に東京帝国大学助教授に就任した。1940年(昭和15年)7月には史蹟名勝天然紀念物調査会臨時委員となり、1942年(昭和17年)9月には史蹟名勝天然紀念物調査会委員となった。
福田 得志(ふくだ とくし、1891年11月23日 - 19… 福田 得志(ふくだ とくし、1891年11月23日 - 1975年10月4日)は、日本の医学者、薬理学者。鹿児島大学第2代学長・名誉教授、鹿児島県立大学元学長、九州大学名誉教授、日本薬理学会名誉会員、医学博士。フグ毒やハブ毒研究の権威だった。 熊本県宇土郡宇土町(現宇土市の一部)生まれ、下益城郡松橋村(松橋町を経て現宇城市の一部)出身。旧制熊本中学校(熊本県立熊本高等学校の前身)を経て、1912年に第五高等学校大学予科第三部(医科志望)を卒業。1916年12月に東京帝国大学医科大学(現東京大学医学部)を卒業して、副手として薬物学教室入りし、高橋順太郎、林春雄各教授に師事。1918年9月、東京帝国大学附属医院三浦内科に転じ、三浦謹之助教授のもと内科一般を修める。
松村 武雄(まつむら たけお、1883年(明治16年)8月2… 松村 武雄(まつむら たけお、1883年(明治16年)8月23日 - 1969年(昭和44年)9月25日)は、日本の神話学者。 1883年、熊本県生まれ。旧制熊本中学校、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学文科大学英文科に進学。英文科在学中から神話研究を志し、卒業論文も神話をテーマに選んだ。1910年、大学を卒業し、大学院へ進学。 1919年、東京帝国大学文学部の講師となり、ギリシア神話の講義を担当した。1921年、学位論文『古代希臘の文化に現れたる神々の宗教的葛藤の研究』を提出して、文学博士の学位を取得。1921年からは旧制浦和高等学校に英語教授として勤務。同年、國學院大學に招かれて神話学を講義。
小畑 惟清(おばた これきよ、1883年〈明治16年〉6月2… 小畑 惟清(おばた これきよ、1883年〈明治16年〉6月2日 - 1962年〈昭和37年〉7月23日)は、日本の医学者(医学博士)、産婦人科医(浜田産科婦人科病院院長)。東京都特別区公安委員、実践女子学園理事長、日本産科婦人科学会会長、東京都医師会会長、日本医師会会長を歴任。 熊本県宇土郡宇土町にて漢方医小畑宗憲の次男として生まれる(長男は夭逝)。宇土尋常小学校卒業後、鶴城学館予科(高等小学科)及び本科(中学科)、さらに熊本市の私立済々黌へ編入。1901年(明治34年)に県立熊本中学校(第二済々黌より改称)、1904年(明治37年)に第五高等学校、1908年(明治41年)12月に東京帝国大学医科大学を卒業。
佐川 尚(さがわ たかし)は、日本の化学工学者。京都大学大学… 佐川 尚(さがわ たかし)は、日本の化学工学者。京都大学大学院エネルギー科学研究科教授。 熊本県立熊本高等学校卒業。1987年熊本大学工学部合成化学科卒業。1989年熊本大学大学院工学研究科修士課程合成化学専攻修了。1990年熊本大学工学部助手。1995年博士(工学)。2000年京都大学エネルギー理工学研究所助手。2003年インペリアル・カレッジ・ロンドン訪問研究員。2006年京都大学エネルギー理工学研究所准教授。2012年京都大学大学院エネルギー科学研究科教授。
原村 嘉彦(はらむら よしひこ)は、日本の工学者である。専門… 原村 嘉彦(はらむら よしひこ)は、日本の工学者である。専門は熱工学。神奈川大学工学部機械工学科教授。スターリングエンジンの研究で知られる。日本伝熱学会会員